かつての左翼・革新―佐藤勝巳2016/01/22

 佐藤勝巳さんはすでにお亡くなりになりましたが、1950年代から北朝鮮側の立場に立った活動を始めて、日本朝鮮研究所の事務局長を務めました。 その後反北朝鮮に転向し、「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」の会長として拉致問題に積極的関わった方です。

 そんな経歴はともかく、佐藤さんの日本朝鮮研究所時代の次のような一文を見つけました。 彼が左翼思想で真っ赤に染まっていた時期に書かれたものですが、内容は彼独自の考え方ではなく、当時の左翼・革新系の人たちが共有していた考え方です。 40年前の日本の左翼・革新がどのような思想を持っていたかを知るには手頃なものと思われ、ここに紹介するものです。

 ここにある「金大中事件」とは、朴正熙政権時代の野党政治家だった金大中(その後大統領就任)が韓国政府当局によって1973年8月に東京で拉致され、韓国に不法に連れ戻された事件のことです。

 佐藤勝巳「金大中事件と排外主義」(『朝鮮研究128』1973年7・8月号所収)

この度の金大中事件を、誰が仕組んだかは、衆目のみるところ、韓国政府機関の一部、もしくは、それに近いものであることで一致している。   このような韓国政治のありようは、あらためて議論するまでもなく否定されるべきことである。だが、筆者が、この種の事件が起きるたびに、激しいいらだちを感ずることは、マスコミなど多くの日本人が示す途方もない排外主義、大国主義的反応である。日本人の反応は、あげて「日本の主権が侵害された、許すことができない」という点に集中している。

一体、日本の「主権」とはなにか。 不本意ながら、日本の主権は、自民党と政府、それを支えている財界にあることは、周知のことだ。筆者は、この度の事件で自分の主権が犯されたなどという実感はみじんもない。 政府自民党によって主権を犯されている日本人が韓国に「主権を侵害された」と大騒ぎしているのは、どういうことなのだろう。

日本政府の、半世紀近い朝鮮植民地支配、つまり侵略はすべて合法であった。 従って日本政府は、日本から「分離」する韓国に、「お祝い」として経済援助五億ドル出す。 しかし援助金の使用は、すべて日本政府の許可を必要とするというのが、1966年1月発効した日韓間の「‥‥経済協力に関する協定」の内容の一部である。右協定を根拠に、韓国の経済に公然と介入し、即ち主権を侵害(ほかにも沢山ある)しつづけ、この度のようなことを平気でやる朴政権を強力に支持してきたのは、日本政府ではないか。 そのために、心ある韓国の民衆の血が、ここ数十年間流され続けてきた。金大中事件もその一つだ。

「主権が侵害された」と大騒ぎしている人々が日本政府が韓国の主権を侵害していることに対し日本政府抗議したという話をきいたことがない。 日本人の目には、日本政府の韓国に対する主権侵害は映らず、自分達には、ほど遠い、政府・自民党の「主権」への侵害は、鮮明に自覚できる。

他民族を支配する政府をチェックできない民衆の思想状況とは、このようなものであるということを、金大中事件は、またまた、浮きぼりにした。 日本人が、問題にしなければならないことは、このような日本の状況ではないだろうか。 (佐藤勝巳)

 この一文はそのなかで 「日本の『主権』とはなにか。不本意ながら、日本の主権は、自民党と政府、それを支えている財界にあることは、周知のことだ。」 とあるように、日本の主権は自民党政権とそれを支える財界にあって、我々国民にはない、という考え方です。 しかし国民は選挙によって自民党政権を選んだのですから、主権は国民にないというのは荒唐無稽な話なのですが、このようなことが当時の左翼・革新の人たちでは真剣に議論されていたのです。 こういう人たちは佐藤さんも含めて自分たち仲間同士だけで議論する傾向が強かったですから、佐藤さんはこの考え方を「周知のこと」と書きました。 左翼・革新でない普通一般の人々はこんな文章を読んだら、だったら何のための選挙なのか、とビックリしたでしょうね。

 続いて 「筆者は、この度の事件で自分の主権が犯されたなどという実感はみじんもない。政府自民党によって主権を犯されている日本人が韓国に『主権を侵害された』と大騒ぎしているのは、どういうことなのだろう。」 とあります。 本来は金大中事件は当時の朴正熙政権が日本国内で引き起こした拉致・監禁・殺人未遂事件なのですから、典型的な主権侵害です。 しかし当時の左翼・革新は、政府自民党が国民の主権を犯している、という考え方をしていましたから、金大中事件で日本国民は「主権侵害だ!」と騒いではならない、なぜなら侵害されたのは政府自民党の主権であるからだ、となります。

 佐藤さんは 「韓国の経済に公然と介入し、即ち主権を侵害(ほかにも沢山ある)しつづけ、この度のようなことを平気でやる朴政権を強力に支持してきたのは、日本政府ではないか。」 と書きます。 この当時の状況を説明しますと、韓国の朴正熙政権は輸出主導型経済政策を取ります。 これは外国の資本と技術を導入して製品を作り、これを外国に輸出して経済を発展させようとする政策で、韓国ではこれが大成功を収めました。 しかし日本の左翼・革新は、日本が韓国に資本と技術を提供することを「韓国の経済に公然と介入し、即ち主権を侵害」と考えたのです。 だから左翼・革新でない一般の日本人が金大中事件を主権侵害だと憤慨したことに対しては、「日本人の目には、日本政府の韓国に対する主権侵害は映らず、自分達には、ほど遠い、政府・自民党の『主権』への侵害は、鮮明に自覚できる。」 というように日本人の不明を慨嘆し、日本の韓国への経済進出こそが主権侵害なのであって、金大中事件などは日本国民ではなく政府・自民党への主権侵害なのだから問題にすべきではない、という主張になる訳です。

 佐藤さんは 「他民族を支配する政府をチェックできない民衆の思想状況とは、このようなものであるということを、金大中事件は、またまた、浮きぼりにした。」 とありますように、「民衆の思想状況」を嘆いています。 当時の左翼・革新の現状分析は、日本帝国主義・軍国主義が復活してアジアを再侵略している、韓国は日本の経済的植民地になろうとしている、というものでした。 そしてこれを許容する日本の民衆を覚醒させるのだと使命感を燃やしていたのです。

 今から考えると1970年代の左翼・革新は、このように実にバカバカしいことを考えていました。 そして私も含めて左翼・革新の人士はこれを本当に真剣に議論し、その考え方を共有していたのでした。 

【関連拙稿】

70年代のスローガン「アジアとの連帯」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/11/6538315

「親の因果が子に報い」と「自己否定論」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/18/6605712