許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは? ― 2016/03/31
李朝時代の女性にはアイデンティティの名前がないと論じたことに対し、この時代の有名な女性である許蘭雪軒・申師任堂は「本名」があるではないか、という指摘がありました。
どちらも16世紀の人物で、秀吉の朝鮮出兵より以前に活躍しました。 日本史上においては出て来ませんので、我々には馴染みの薄い女性たちです。 だからでしょうか、日本では伝記の類は発行されていません。 韓国にはおそらく伝記があると思うのですが、我が近くの図書館には見当たりませんでした。 韓国のインターネット上の事典を見るしかありません。
許蘭雪軒 http://terms.naver.com/entry.nhn?docId=527432
申師任堂 https://ko.wikipedia.org/wiki/%EC%8B%A0%EC%82%AC%EC%9E%84%EB%8B%B9
そこには確かに「本名」として、許蘭雪軒は「楚姫」、申師任堂は「仁善」が記されています。 それでは、ここに言う「本名」とは一体何か?です。
朝鮮史上の人物で「本名」とあれば、族譜や戸籍上の名前を指します。 当時の戸籍資料は手近にないので、族譜の方で考えてみます。
朝鮮で現存している族譜資料で最も古いものは、安東権氏の「成化譜」で15世紀です。 そこには女性は名前が記されていません。女性は一例を挙げると、「女夫張茂」というようになります。 これは「張茂」と結婚した女性、という意味です。
また李朝時代の前半は女性にも相続権があったのですが、相続を証明する文書にも女性は名前がなく、代わりに夫の名前が記されており、族譜の原則が貫かれます。 族譜には女性は名前を記されず、従って女性には名前がないということは、李朝時代に全般に見られます。
とすれば許蘭雪軒・申師任堂の本名とされる「楚姫」や「仁善」は、少なくとも許氏や申氏の族譜上の名前ではないと考えた方がいいでしょう。 それではこの「本名」というものはどの資料で出てくる名前なのかということになりますが、これは浅学の私には分かりませんでした。
一番可能性のあるのは幼名ではないか、ということです。 許蘭雪軒も申師任堂も、その家族は有名人ですから、手紙や日記といった資料が残っている可能性が高いです。 女性は結婚しても、実家の親兄弟とは幼名を使っていたことが考えられます。 従って、家族の手紙や日記資料に幼名が記されているのではないか、これを韓国の事典は「本名」としたのではないか、というのが私の推測です。
李朝時代に女性は名前がなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782
名前を忌避する韓国の女性 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916
李朝時代の婢には名前がある http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165
李朝時代に女性は名前がなかったのか(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612
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