中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(3)2017/06/16

 なぜ日本の外国人登録で韓国籍に切り替えずに、「朝鮮籍」を維持するのか。

 朴鐘鳴さんは次のように語っています。

朝鮮籍か韓国籍か選択を迫られる局面があると、そこで考えるわけですね。‥‥‥朝鮮半島全体の南だけの範囲での韓国を選びますか。北半分だけの共和国としてそこを選ぶかと。私が生きてきた朝鮮とは何だ?古朝鮮から現在に至る統一体としての朝鮮。地域の統一性、言語の統一性、文化の統一性、その一体としての存在。そのような存在としての朝鮮こそが朝鮮半島全体を、歴史的に表現し、高麗時代からだけをとっても1000年近くを統一的な地域として存続してきた。その意味での朝鮮があり、私は朝鮮人として生まれ、朝鮮人として生き、朝鮮人としての自己表現のままで死んでいきたい。中身が変わる形で行きたいとは思わない。」(70~71頁)

 鄭仁さんは次のように語っています。

やっぱり一応は統一した祖国やろうな。なんせストレートにいえば、今の北朝鮮の政権にも、朴槿恵(当時の韓国大統領)の政権にも俺、帰属感がないもん。でも出自は朝鮮人や、これは間違いない。そういう出自に対する愛はあるよ。あるけど、国家権力に対する帰属感はない。あえていえば自分自身に帰属しているとしかいいようがないよ。朝鮮籍なのもそこ」(110頁)

 朴正恵さんは次のように語っています。

韓国籍に変える人を批判するつもりはないですよ。お墓守るとか、親族に会わなアカンと各々の事情があるから。でも私でいえば一生変えない。 ‥‥あんな理由(上述のような各々の理由のこと)で変えざるを得ない状況にすごい憤懣がある。この分断状況を続ける朝鮮人社会と、その原因である日本に対してね。 ‥‥それにしても私、死んだら夫の家の墓に入れるのかな。それとも朝鮮籍は骨になっても入国拒否で、玄界灘に散骨するんかなあ‥‥」(144~145頁)

 彼らによると、韓国籍は統一した祖国ではなく、祖国の分断を表すものだ、朝鮮籍こそが統一した祖国なのだ、という「思想」ですねえ。 ここで疑問なのは、そもそも国籍とは所属する国家と国民の関係を表すものですが、彼らの言う「朝鮮籍」は日本の外国人登録上の表記であるということです。つまり、統一した祖国を表す「朝鮮籍」は、祖国でもない日本の、しかもそこの国家権力が証するものだということです。

 別にいえば「朝鮮籍」によって祖国の統一を訴えるにしても その「朝鮮籍」を証明するのが日本の国家権力であり、本人もそれを承知し、望んでいるということになります。 祖国の問題なのに、なぜ日本の権力に依拠しようとするのか。

 「朝鮮籍」というのは、中村さんによれば「(日本が)植民地出身者への法的、道義的責任を打っ棄るために、在日朝鮮人から諸権利を奪いとり、公的空間から排除する措置だった。『朝鮮』籍は、いわば犯罪の上塗りで始まった『戦後』の証明でもある」(ⅵ頁)。その中村さんが、日本の「犯罪の上塗り」である「朝鮮籍」を維持する人たちに歩み寄って賛同するところに、私には理解できないのです。

 なお李実根さんは、少し違って次のように言います。

朝鮮籍でいるのは大した問題ではない。後でできた韓国に替える必要はないし、ましてや日本に替えるなんてありえません。韓国にだってアメリカにだって堂々と朝鮮籍で、朝鮮民主主義人共和国の国籍で入りました。私のプライドですよ。」(180頁)

 李さんは北朝鮮の国籍を有しているから「朝鮮籍」だとしています。 北朝鮮の評価は別にして、国籍だけを取り出して考えると、分かりやすく明快です。李さんの「思想」が一番真っ当ではないかと思います。

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589790

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/13/8593507