光州事件の方がましだった―朝日ジャーナル(2)2018/01/20

 前回の「光州事件の方がましだった」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/15/8769881 の一文に対し、読者からかなりの批判があったようで、『朝日ジャーナル1989年7月7日号』に筆者である編集長の弁明というか回答が出ています。 かいつまんで紹介します。

「光州事件の方がましだった」(6月16日号本欄)に対してたくさんの人から抗議の面会要求、手紙、電話があった。 ‥‥抗議の主な内容は、「光州事件の方がまだ人間味があったという表現は、全斗煥政権を免罪してしまう。 光州事件を軽んじることで犠牲者や関係者の心をひどく傷つける」「一人殺すも千人殺すも同じ。 権力による人民虐殺が問題で、比較するなどもってのほか」という二点である。

いまも光州事件の責任追及と、犠牲者の救済運動にかかわっている人々には心外な表現だったに違いない。 ‥‥私の真意は「光州の虐殺も残忍きわまる犯罪だったが、天安門虐殺は規模といい、凶行を見られて恥じない政府の神経といい、それ以上だ」ということである。

抗議の人と話し合いながら、私は感覚のずれを痛感した。 虐殺を絶対視し、犠牲者を聖域としている人々と、ともすれば相対化、客観化しがちな自分との差である。 このずれはどこからきたのか?アラブ・アフリカの特派員として、私の主な仕事は戦場から戦場へ、虐殺の現場から現場へと移動することだった。 この間に私が学んだことは、政府も人民を虐殺するが、解放勢力も人民も、時には人民が人民を虐殺するということである。 ‥‥さらに学んだことは、虐殺の被害者が歳月とともに加害者になり得ることである。

虐殺の記憶は私のなかで重く明滅する。 虐殺の規模や、動機、虐殺に至るまでの経過などを、私はどうしても比較する。 そうしなければ人民対人民のような虐殺の多様さに対応できない。 また私は犠牲者に同情こそすれ、聖域にまつりあげる気にはならない。

 最後の「犠牲者に同情こそすれ、聖域にまつりあげる気にはならない」とあるところは、私も共感します。