神のように祭り上げられた金芝河2018/05/19

 1970年代、ファッショ的軍事独裁と言われた朴正熙政権のもとで、鋭い政権批判の詩を書いて民主化運動を果敢に闘い、ついには逮捕され、死刑判決まで下った詩人・金芝河。 日本では彼の救援・救出活動が盛んでした。 彼は韓国の民主化運動の象徴的存在として、大いに祭り上げられていました。

 韓国に関心を持つ者は、彼の『五賊』や『良心宣言』などの作品を貪るように読み、時の朴政権への批判を強めたものでした。 そのために金芝河は、まるで神のように祭り上げられる存在となっていました。 当時彼がどのように称賛・賛美されていたか、その頃に発刊されていた『季刊 三千里』から紹介します。

金芝河のしぶとい、不抜の精神と魂はいったいどこからきているのだろう。考えてみるに、それはおそらく金芝河自身が民衆の力を信じているからに相違ない。  ‥‥  誰かのためにたたかっているのではなく、金芝河は自分が真に生きるためにたたかっているのである。従ってその文学はつよく自己解放をふくんだ文学であり、自由への欲求の劇(はげ)しい文学であることは言うまでもない。 (『季刊 三千里』創刊号 南坊義道「金芝河の抵抗―ファシズム下の文学精神」 1975年2月 32・33頁)

(金芝河のような)詩人としてこれだけの作品を書いて、その敵と云いましょうか、その対象をこれだけ震撼させることができたら、以て瞑すべきではないか、とね。その後も続々と、さらにそれに劣らないショッキングな詩が出てきたわけですが、まだ若い人ですけれども、こういう詩人はやはり激動、乱世が生み出すものかもしれませんね。 ともかく南朝鮮―韓国のそういう深刻な状況が生み出した詩人である、ということははっきりいえる。 (同上 金達寿・鶴見俊輔「特集 金芝河 対談 激動が動かすもの」1975年2月 24・25頁)

いまの時代の、民主主義の仮面をつけた狂信的独裁者の権力欲が、自由を葬り去ろうとする韓国にあって、民族的感受性が強く、民衆の心を表現する抒情詩人である金芝河の運命ほど、劇的で美しいものはない。(同上 7号 金慶植「マルトックとの出会い」1976年8月 18頁)

いうまでもなく金芝河は韓国民主化運動の旗手として、とりわけその不屈の魂のシンボルとしてある。‥‥獄中および法廷における鉄火の試練をつうじて、思想家として大きく成長したことに注目したい。いわば思想家としての金芝河の誕生である。‥‥かれは新しい思想を構築するために、たんに思索に沈潜している青白きインテリではない。われわれの眼前に聳え立つかれのまばゆいばかりの魅力は、そのような営みが底辺の民衆とともに生き、たたかい、そしてその民衆とともに救われるためのものであることである。(同上 10号 姜在彦「金芝河の思想を考える―それはどこに立っているか―」1977年5月 28・29頁)

いまや金芝河は韓国と日本をとび越え、世界的な存在として大きくクローズアップされてきている。 ‥‥ 金芝河はあくまで民族詩人である。詩人であると同時に思想家でもある。‥その意思はまた、時代とか民族とかにかかわりなく、人間に普遍的なものとしてしめされている。長い間の受難の歴史のなかで育まれてきた、民族のパトスでありロゴスであるところの民族精神が、詩人金芝河をつうじてわれわれの目の前に明示されているのだ。(同上 19号 金学鉉「光は獄中から・金芝河の思想」1979年8月 154・155頁)

 以上のように賞賛されていた金芝河が、実は1970年代前半には既に転向していたのですねえ。 

金芝河の告白 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/06/8798456

 朴正熙政権の人たちは、金芝河を賛美して救援活動をしていた人々をおそらく腹の底から笑っていたものと想像します。

 金芝河はちょっと長く生き過ぎたようで、1991年に転向を告白し、2012年の大統領選挙では保守の朴槿恵を支持しました。 ですから人間的には正直で憎めないと思うのですが、今はもう過去の人物で、評判が悪いですねえ。

 韓国民主化運動の象徴として輝いていた時期で終わっていたら英雄として祭り上げられて尊敬されただろうに、そしてその作品が教科書に載せられていただろうに、と思います。