韓国女性の美容整形と化粧2019/01/03

 エジプト出身のタレントであるフィフィが、韓国に行ったら「あなたの顔は整形した方がいいよってアドバイスされた」と言われて、「韓国は悲しい、乏しい社会だ」と綴ったことが話題になっているようです。

タレントのフィフィが、韓国で顔の美容整形を勧められたことを明かし、「悲しい」と思いをつづった。    フィフィは1日、ツイッターを更新。「韓国の人は皆んなではないだろうけど」と前置きした上で、「哀れむぐらい顔面コンプレックスや人種コンプレックスがすごいと思う」と私見を述べた。    「私も韓国であなたの顔は整形した方がいいよってアドバイスされたし、この国は容姿が全てだからと説明された」と自身の経験をつづり、「悲しい、乏しい社会だ」と悲嘆。「少なくとも日本はそんなこと人に言う国ではなくて良かった」とつづった。

http://news.livedoor.com/article/detail/15818349/

 彼女は幼児の時に来日し、そのまま日本で育っていますから、日本的な感性を有しているようです。 だから他人から美容整形を勧められるとビックリしたものと思われます。しかし韓国では他人に(特に女性に)美容整形を勧めるのはごく自然なことです。 女性の容姿端麗を至上価値とする韓国では、美容整形は当たり前のようにされているのです。

 日本には韓国から韓国語講師がたくさんやってきて、なかには何年も滞在する人も多く、そうした人たちの授業で韓国の美容整形の話を聞いたことがあります。

 娘が高校を卒業するころに、親が美容整形を「プレゼント」するのは普通だそうで、そうしたら母娘の顔付きが違ってしまい親子でなくなるみたいだからと母娘のダブルで美容整形した人もいるという話もありました。

 次の実話には驚きました。 結婚するにはやはり本国の人とせねばならないと、ようやく婚約まで漕ぎつけた韓国人男性の母親に挨拶に行った時のこと。 母親は嫁になる自分に部厚い封筒を渡そうとします。 「お母さん、そんな気を使わなくていいです。 私たちの収入で十分にやっていけますから」と断ると、母親は「いや、今度嫁になる女だと親戚や近所に挨拶しに行かねばならない。 そんな顔では挨拶する時に恥ずかしいから、整形に行って来い、その金だ」と言ったそうです。 ビックリして、結局はこんな親とはやっていけないからと破談にしたということでした。 彼女は日本に何年か住んでいるうちに、日本人の感性を身につけてしまったということでしょうか。

 儒教の教えに「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」というのがあります。 美容整形はこの儒教の教えに反するのではないですか、韓国は儒教の国でしょう、なんて質問すると、論語に出てくる「女子と小人は養い難し」という孔子様の教えで反論されました。 だったら男性の美容整形は儒教に反すると思うのですが、そこまでは口にしませんでした。 なお韓国では男性の美容整形も結構あるようです。 盧武鉉大統領でしたか、在任中に美容整形で二重瞼にして、話題になりましたねえ。

 化粧でも日本と韓国では感性が違うようです。 韓国の特に若い女性は真っ赤の口紅を塗る人が多いです。 日本の観光地で真っ赤の口紅の女性を見かけると、大抵が韓国語を喋っていました。 また日本に留学してきた韓国人女学生は当初は真っ赤な口紅をしていても、一ヶ月もすると化粧が薄くなり、口紅も落ち着いた色になりますね。

 韓国旅行すると時々高校生の遠足か修学旅行に出会うことがあります。 全てではありませんが女子高生の多くが真っ赤な口紅をしているのを見かけます。 日本では高校生の化粧は禁止されているところがほとんどですが、韓国ではそうではないようです。 制服を来た女子高生が真っ赤な口紅をして歩き回っているのを見ると、やはり韓国だなあと、その違いに感心します。

 美容整形とお化粧、どちらが良い悪いというのではなく、お国柄の違いとして認め合うしかないところです。 フィフィのように「哀れむぐらい顔面コンプレックスや人種コンプレックスがすごい」とまで言うことはないと思うのですがねえ。

北朝鮮の「갓끈 전술(帽子の紐 戦術)」2019/01/08

 韓国の有力紙『朝鮮日報』の1月6日付のインターネット版で、北朝鮮の「갓끈 전술(帽子の紐 戦術)」路線についての記事があり、そう言えば昔、北朝鮮はそんなことを言っていたなあと、かすかな記憶を思い出させてくれました。 http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2019/01/04/2019010401742.html

 抜粋して翻訳してみます。 なお「갓」というのは、李朝時代に成人男性が被る帽子のことで、二本の紐を顎で結んで留めるものです。 韓国ドラマの時代劇によく出てきますね。

北朝鮮の「帽子の紐 戦術」と破綻直前の韓日関係

「人の頭に被る帽子の紐のうち、一つだけを切っても風に吹かれて飛んでいく。」 金日成が1972年に金日成政治大学の卒業式の演説で強調した、いわゆる「帽子の紐 戦術」だ。 金日成は「南朝鮮政権は、アメリカと日本という二つの紐によって維持されている。」 「南朝鮮政権はアメリカという紐と日本という紐のうち、どちらか一つだけ切ってしまえば崩壊してしまう」と強調した。

韓国に亡命した、北朝鮮の主体思想の創始者である黄長燁 前労働党秘書も「北朝鮮政権は金日成の帽子の紐戦術によって、韓米同盟と韓日友好関係を弱体化させるという統一戦線戦術を駆使している」と指摘していた。

北朝鮮政権は、その間韓国で反日感情を煽り、日本との関係強化を強調する韓国の人士たちを親日派と責め立てるなど、宣伝・扇動工作を繰り広げてきた。 実際に北朝鮮の機関紙である労働新聞を始めとして、北朝鮮の官営言論機関は機会ある度に日本の過去の植民地支配を批判するなど、徹底して反日路線を主張してきた。特に北朝鮮の官営言論機関は軍事・外交の分野で、韓日関係の強化に対して辛辣に批判してきた。 ‥‥

北朝鮮政権は歴史を捏造してまで反日路線を推進してきたのは、金日成が掲げる、いわゆる「帽子の紐 戦術」のためである。 北朝鮮政権の一貫した目標は、韓米日の三角同盟を阻止することである。 特に北朝鮮政権は韓米同盟が堅固なだけに、韓日関係を裂くことがはるかに効果的だと見ている。 植民地時代に朝鮮半島全体が苦痛を受けてきただけに、北朝鮮政権はこれに絡めて「わが民族同士」を掲げながら、韓国での反日情緒を煽っていると見ることができる。

 なるほど、갓(帽子)の紐の一本を切れば、もう一本は繋がっていても役に立たずに帽子は飛んでいってしまいます。 これを日米韓の関係に比喩するとは、表現が上手いですね。 

 北朝鮮は日韓の離間を狙って韓国に反日を煽っています。 もし日韓関係が崩れれば米韓関係も崩れ、結局は韓国の存在自体も吹っ飛ぶのです。 ですから韓国における反日運動の背景には、赤化統一を目指す北朝鮮があると見た方がいいでしょう。

 そしてその北朝鮮が日本に対して狙っているのは、日本国内で韓国との関係断絶の声を上げさせることでしょう。 今インターネットのコメントなどで、何かにつけて韓国との「国交断絶」を執拗に書き込む人がいます。 こういった人は単に嫌韓感情からかも知れませんが、実際には北朝鮮の手先の役割を果たしています。

 北朝鮮は日韓関係にくさびを打ち込もうとして今に至っているのです。 韓国との「国交断絶」を主張する人は「右翼」「ネットウヨ」と呼ばれているようですが、おそらくは知らず知らずのうちに北朝鮮の意向に沿った活動家となっているのが実情でしょう。 そういう疑いの目で見なければならないということですね。

 北朝鮮は韓国と日本のナショナリズムを煽り立てて両国の対立・離間を図っているのですから、「国交断絶」主張は北朝鮮の思う壺です。 北朝鮮にとっては「갓끈 전술(帽子の紐 戦術)」が今、目の前で成功・成就しつつあるという評価になるでしょう。

 私には、「国交断絶」を言い立てる右翼やネットウヨの諸君が北朝鮮の手のひらの上で踊っている、というイメージですね。

【拙稿参照】

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

南朝鮮解放路線はまだ第一段階      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019

北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

北朝鮮を後押しする中国          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/08/8011036

「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799658

金正恩の発言は既定の北朝鮮の路線  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/12/8801876

北朝鮮の内部情報は?       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/28/8834853

産経のコラム考2019/01/13

 2019年1月12日付けの産経新聞のコラム「産経抄」は、韓国から“極右”と名指しされる新聞にふさわしい記事ですねえ。 全文を引用しますと、

ふと「盗人(ぬすっと)猛々(たけだけ)しい」という言葉は、韓国にもあるのだろうかと気になった。調べると「賊反荷杖(チョクバンハジャン)」がそれに当たるという。泥棒が逆ギレし、あべこべに鞭(むち)を振り上げる様子を表す。文在寅大統領が10日の記者会見で、いわゆる徴用工問題をめぐり日本を批判するのを見て連想した。 

「韓国側の責任を日本側に転嫁しようというものだ」。菅義偉官房長官は11日の記者会見で、文氏の発言に強く反論した。文氏は自ら問題を起こしておきながら、反発する日本政府を「賢明でない」と決め付け、「謙虚になる」ことを求めてきたのだから当然である。

哲学者、ニーチェは指摘している。「癇癪(かんしゃく)を起こし、他の人々に侮辱を加えておきながら、自分のことを悪く取らないでもらいたいと要求する人々がいる」。一般論で言えば、友人にも隣人にもしたくないタイプである。 

海上自衛隊哨戒機への火器管制レーダー照射の件でも、韓国は非を認めようとせず、逆に日本に謝罪を求めてきた。韓国メディアには「支持率が落ちている安倍晋三首相が国内世論のためにあおっている」との論調が目立つ。とにかく、被害者の立場に身を置かないと気が済まないのだろう。

民主党政権時代の平成24年8月、当時の韓国大統領、李明博氏は日本政府の制止を無視して竹島(島根県隠岐の島町)に上陸した。そして数日後、こう言い放ったことが忘れられない。「国際社会における日本の影響力は以前ほどではない」。 

めざましく経済発展し、世界に注目された頃ならばともかく、落ち目の日本に気を使う必要はないという本音だろう。強い者に弱く、弱い者にはとことん強い。そんな国が相手であれば、力を見せつけると同時に、さらに強くなるしかない。

https://special.sankei.com/f/sankeisyo/article/20190112/0001.html

 今の日本では、この論調に対して共感する人の方が多いように思われます。 日韓の対立は国民感情にも深まってきているようですね。 日本における韓流ブームや韓国への観光客数が今後どう変化するのか、注目するところです。

 このコラムで「韓国メディアには『支持率が落ちている安倍晋三首相が国内世論のためにあおっている』との論調が目立つ」とあるのはその通りで、もし安倍政権が黙っていれば支持率はおそらく下がることでしょう。 一方、だんまりを決め込んでいる野党の支持率がどうなるか、見てみたいものです。 やはり野党は韓国に遠慮しているのですかねえ。 あるいは安倍政権を批判する韓国に期待しているのでしょうか。

 ところでこの産経抄、最後に「そんな国(韓国)が相手であれば、力を見せつけると同時に、さらに強くなるしかない」と、すごく勇ましい発言です。 「力を見せつける」「強くなるしかない」といっていますが、それは軍事力なのか経済力なのか。

 李明博大統領が「国際社会における日本の影響力は以前ほどではない」と言い放ったとありますが、これは根拠あることです。 日本は失われた20年の停滞の間に、アジア各国は急成長しました。 その分、日本の国際的地位は低下したのです。

 そしてこの地位低下はこれからも続きます。 なぜなら日本は安倍政権下の経済が好調だといっても年1%台の成長率。 しかし中国は経済が落ち目になってきたといっても6%台、韓国も文政権で雇用悪化など経済指標が悪いなどと言われながらも2%台の成長率です。

 また、日本の軍事力は1990年代までは世界3位、その後ソ連が崩壊して2位だなんて言われていましたが、今は順位をぐっと落として6位です。 そしてこれから更に順位が落ちていく見通しだそうです。 何しろアジア各国の経済の発展はすさまじく、それとともに軍事力も日本をはるかに上回る成長を遂げているからです。

 安倍政権は軍事国家を目指しているという批判がありますが、このような状況から考えてみると批判は的外れでしょう。 日本は軍事を拡大しているといっても、その増加率はアジア各国のそれには及ばないのです。

 日本は経済力でも軍事力でも20年以上前まではアジアで唯一の大国でしたが、今はいくつかある大国の一つに過ぎなくなったということですね。 とすれば、右側の「力を見せつけると同時に、さらに強くなるしかない」という主張も、左側の「日本軍国主義復活論」も、かつて唯一大国だった時代のノスタルジーにしか過ぎないように思えます。

(追記)

 韓国の軍事費についてはハンギョレ新聞が報道しています。 http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32539.html   今後5年間で27兆円、増加率が年7.5%ですから、日本の防衛費(年約5兆円)を上回る勢いです。 しかし日本の革新・左翼系の諸君は、安倍政権が軍事国家を目指していると批判しながら、韓国には全く目をつぶっているのが不思議ですねえ。

 また産経コラムのように日本が「力を見せつけると同時に、さらに強くなる」としても、韓国には及ばないことになります。 そして韓国が「落ち目の日本に気を使う必要はないという本音」は、これからも続くだろうと見通すことができます。

【拙稿参照】  予想が外れたのもあります。 お恥ずかしい限り。

韓国では日本の存在感はない    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

新大統領は「反日」を緩めるかも   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/15/8406228

文在寅さんの10大公約        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/05/09/8550375

ありふれて当然だったことは忘れられる(嘗糞)2019/01/20

 以前の拙ブログで、朝鮮人は嘗糞していたと揶揄する民族侮蔑的な言動に対して、日本人も昔は糞尿を嘗める習慣があったと論じたことがありました。 それに対して、その根拠となった資料を出せ、あるわけがないだろう、とか言う人がいました。

 その時に思ったのですが、かつて日常的にありふれていて誰もが知っている事実は返って資料として残り難く、だから時間が過ぎるとその事実は忘れられてしまって、今や想像すら出来なくなるということでした。

 日本人が糞尿を嘗めていたという話に戻します。 江戸時代~近代において日本農業の肥料は糞尿でした。糞尿は「金肥」と呼ばれるほどに貴重なものでした。だから大坂のような大都会で汲み取られた糞尿は近在の農村に運ばれて売買されたのです。 農民は運ばれてきた糞尿が確かなものか、水増しでもされていないかを確かめたうえで購入します。 農民はこれをどうやって確かめたのか。

 学生らにクイズとして出してみると、誰も分からないと頭を傾げます。 ところが一人、あ!それは嘗めたのでしょ、と正解を言った学生がいました。 聞いてみると、かなりの田舎で育ってきて、近くの一軒家にいるおばあさんの家の便所がポッチャン式で、その汲み取り作業を子供の自分がさせられていたということでした。 そういう経験があったから、すぐさま正解が出たのでした。

 1970年代までの日本は農村では糞尿「金肥」が使われていて、それを熟成させた臭いが農村全体を漂わせていました。 「田舎の香水」なんて呼ばれていましたねえ。 そういう体験をした人(今なら60歳代以上の農家出身)ならば、畑に撒けるくらいに肥溜(肥タンコとも呼ばれていました)の糞尿が熟したかどうか嘗めて確かめていたと聞かされても、お年寄りならそういうこともあったでしょうねえとなるでしょう。 しかしそれ以下の人になると、もはや想像すらできない出来事となるようです。

 かつての日本農民は糞尿を嘗めることが日常化していてごく普通の光景となっていましたから返って資料として残っておらず、今度はそれを知らない若い世代が、そんなことは絶対にあり得ないという反応になるのですねえ。

 過去を知るということは難しいものなのです。

【拙稿参照】

日本にもあった嘗糞        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/15/7990753

朝鮮人の出生届の混乱2019/01/27

 1ヶ月ほど前の拙ブログ 「かつて在日の身分事項の混乱」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/25/9017006 で、

もともと朝鮮人は日帝機関である総督府が作成する戸籍を信用しない傾向が強かったです。 だから子供の出生届はかなりいい加減だったようです。 特に生年月日は都合のいい日付で届け出ることが多かったのです。

と論じましたが、そのことを少し詳しく書かれたものを 『韓国両班騒動記』(尹学準著 亜紀書房 2000年4月)で見つけましたので、紹介します。

必要があって故郷から私の戸籍謄本をとり寄せたが、そこには1933年3月6日、慶尚北道醴泉郡知保面新豊里で生まれたとなっている。もちろん、いま私が持っている外国人登録証明書にも同様の記載がなされている。いうならばこれは私の公的な「人的事項」で、社会生活を営む上では、これが私の「生年月日」であり、「出生地」なのだ。

だが、これは事実ではない。私は壬申年(1932年)旧暦2月6日、慶尚北道安東郡西後面金渓洞で生まれた。コムジェ(金渓)は母の実家、つまり私の外家(ウェカ)がある村である。我が故郷では初めてのお産は実家に帰ってするのが慣わしであるから、わが家もそれに従ったまでのことだが、出生届を1年も遅らした理由はとなると、どうにもわからない。

思うに、父の世代までは近代的な戸籍に対する認識が驚くほど希薄ではなかったかと思う。そのくせ後生大事と思っているわが家の族譜(家系譜)にはちゃんと正確な生年月日が記載されているのだ。おそらく父や祖父たちの頭には、面(村)の役場は日本のものだという観念があったから、子供の出生届も自然といいかげんに処理してしまうことになったのではなかったかと思う。(75~76頁)

 彼は自分の生年月日の混乱の原因を「父の世代までは近代的な戸籍に対する認識が驚くほど希薄」だったからということと、「父や祖父たちの頭には、面(村)の役場は日本のものだという観念があった」から、の二つの理由を挙げています。

 もし後者のように、日本統治下の役場は日本のものだからいい加減にしたのなら、解放(1945)後の韓国では出生届は正確になされるようになっているはずですが、どうもそうではなかったようです。 1980~90年代に活躍した小説家 梁貴子の小説「遠美洞の詩人」の主人公の少女は両親が2・3年遅れで出生届を出したので、おませな7歳の女の子という設定になっています。 これは小説ですが、実際に解放後の韓国ではそういう事例がかなりあったようです。

 とすると、やはり前者の「近代戸籍に対する認識の薄さ」が原因と思われます。 李朝時代の戸籍は3年ごとに編成されますから、その間に生まれた子供はその時に初めて戸籍に登載されます。 つまり生まれたからといって直ぐに出生届を出すものではありませんでした。 朝鮮人は近代になってもこの感覚からなかなか抜け出せなかったのではないか、というのが私の考えです。 

そして朝鮮に近代戸籍を導入したのは日本でした。 そこが混同されて、朝鮮人は役所が日本の機関だから出生届を出さなかった、それほど日本に対する恨みは強かったという説が生まれたように思われます。