HP開設20周年、ブログ開設13周年2019/08/02

 「歴史と国家」というタイトルでHPを開設したのが1999年8月でしたから、もう20年が経ちました。 また本ブログを開設したのが2006年6月でしたから、こちらは13年です。 15・16・17周年の時は、下記のように報告しております。

HP開設17周年・ブログ開設10周年 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/10/8149051

HP開設16周年         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/06/7779581

HP開設15周年         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/08/7408861

 もうそろそろ終わりかなあと思いながらも、さらに3年も続いて、20周年を迎えました。

 体力の衰えを感じており、新たな情報を得ようとする気力も落ちてきています。 これから更新のペースが落ちていくでしょう。 どこまで続くか分かりませんが、ぼちぼちと休みながら行こうか、と考えています。

 日韓関係が悪化一路です。 韓国はこれから徴用工賠償のための三菱重工・日本製鉄等の所有財産の現金化・没収を進めていきます。 また対馬の仏像問題もどうなるのか分からない状態が続きます。 日韓関係は解決の目途がない状態です。 安倍政権は2021年、文在寅政権は2022年まで続くでしょうから、少なくとも日韓関係の悪化はその時まで継続し、その後も未解決で悪化した状態のままになるだろうと予想します。

 これからは本当に日本のことが好きな韓国人、そして本当に韓国のことが好きな日本人だけの交流が残るでしょう。 考えてみれば、これこそが真の意味の国際交流かも知れません。

【ホームページ「『歴史と国家』雑考」】  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/

    HP論考集一覧       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/ronkoushuu

【ブログ tsujimoto】          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/

    ブログ論考一覧       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/burogu

【拙稿参照】

経済制裁は有効でない       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/05/9111486

日韓関係はどうなる?       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/02/25/9040406

李洛淵首相のツイッター発言―天皇は指導者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/01/9066727

韓国が天皇訪韓を望む!?-朝日インタビュー http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/23/8681910

韓国では日本の存在感はない    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

慰安婦合意の検証         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

韓国の反日外交の定番       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

文大統領の発言2019/08/06

 文在寅大統領が昨日(5日)大統領府で開かれた首席補佐官会議で行なった発言は、自分が今何を考えているかを分かりやすく説明してくれています。 ただ全文を載せているのが今のところ見当たらず、各新聞では大統領発言を部分的にカッコ書きで紹介し、解説しています。 カッコ書きですから、実際の発言と思われます。 ただし上述のように全文がありませんから、どういう文脈での発言なのかが不分明で、ちょっともどかしいですね。

南北経済協力(平和経済)こそが日本に対抗できる

南北間の経済協力で平和経済が実現されると、我々は一気に日本経済の優位に追いつくことができる。 今度のことを経験して、我々は平和経済の切実さをもう一度確認することができた。

平和経済こそが、世界のどの国も持つことができない、我々だけの未来だ。 南と北がともに努力していく時、非核化とともに朝鮮半島の平和とその土台のために共同繁栄を成し遂げることができる。

 南北の経済協力を「平和経済」と言うのですね。 この平和経済のバラ色の未来を語り、それによって日本に追いつくと豪語しています。 北との経済協力なんてほとんど進展していないのに、このような夢物語が大統領という国家最高指導者の口から出てくるのか、不思議ですねえ。 それに北朝鮮は主体思想とか先軍とかのイデオロギーを捨てない限り、経済発展はあり得ないでしょう。 中国では毛沢東思想を捨て去ったから改革開放が成功しました。 これと同じです。

日本に負けないぞ

(日本の経済報復は)経済強国に向かうための我々の意思をさらに大きくしてくれる刺激剤になるのだ。 日本は決して、我が国の経済跳躍を妨げることはできない。 むしろ経済強国に向かうための我々の意思をさらに大きくしてくれる刺激剤になるのだ。 今度のことを冷静に我々自身を振り返ってみて、大韓民国を新しく跳躍させる契機としなければならない。

 今度の日本の輸出管理=ホワイト国除外に対して、韓国は「経済報復」ととらえて、決して日本に負けないぞと決意表明しています。 そのためには次のようにやろうと提起しています。

日本の貿易報復を克服することだけに止まらず、日本経済を乗り越えるもっと大きな視野と非常な覚悟が必要だ。 部品素材産業の競争力を画期的に高めるとともに、経済全般の活力を取り戻す幅広い経済政策を並行していかねばならない。 今度の補正予算に続いて、来年度予算編成から、政府の政策の意思を十分に反映してくれることを望みたい。

 抽象的言辞が並んでいますが、日本に頼っている部品素材を国産に切り替えるために国が予算をつけよう、ということぐらいにちょっと具体性がありますね。 いわゆる輸入代替経済政策です。 1960~70年代にインド・中国等々の非同盟諸国がこの政策を採用し、先進国から輸入品をできる限り国産化して民族経済を確立しようとしたことがありました。 結局は失敗に終わったのですが、これを彷彿させますね。

過去を記憶しない日本

日本政府は痛い過去を踏みしめ、互恵協力の韓日関係を発展させてきた両国の国民に大きな傷を負わせている。 過去を記憶しない国の日本という批判も日本政府が自らつくっている。 自由貿易秩序を毀損することに対する国際社会の批判も非常に大きい。 経済力だけで世界の指導的位置に立つことが出来ない点を悟らなければならない。

 過去を反省しない日本を批判する、これは定番ですねえ。 我々には何べん同じことを言っているのかと思うでしょうが、韓国民族主義の根本といえるものです。 経典か呪文みたいなもので、当人らは何度唱えても、イヤにならないようです。

道徳的優位とは?

われわれは経済強国に向かうための誓いを新たにするとともに、民主、人権の価値を最も大切にし、自由で公正な経済、平和、協力の秩序を一貫して追求していく。 朝鮮半島平和の秩序を主導的に開拓し、国際舞台で共存共栄や互恵協力の精神を正しく実践していく。 国際社会の責任ある一員として人類の不変の価値や国際規範を守っていく。 道徳的な優位を基に成熟した民主主義の上で、平和国家や文化強国としての地位を高め、経済強国として新しい未来を切り開いていく。

 最後は韓国のこれからの方向について、抽象的な決意表明です。 このなかで韓国独特の言い方があるのに注目してください。 「道徳的な優位を基に」というところです。 公的会議で「道徳的な優位」と発言する国家指導者は、おそらく他にいないでしょう。 韓国独特の言い方だからこそ、韓国・韓国人を分析する時に重要な言葉になると考えます。

 韓国のいう「道徳」とは朱子学の理念における「道徳」であって、一般的な意味の「道徳」ではないことに注意が必要です。 そして「道徳的優位」とは、日本を道徳的劣位に置き、自分たちを優位に置くという意味になります。

 約束を守らないのに、なぜ「道徳」というのか?という疑問は、日本人には通用します。 しかし韓国では、道徳的優位に立つ者は劣位の者との約束を守らなくてもいい、という考え方になります。 つまり道徳の優劣関係は、約束を守るか否かの基準になるのです。 これを説明するのが難しいですねえ。

金時鐘さんは結局語らず2019/08/13

  朝日新聞で「語る 人生の贈り物」と題して、金時鐘さんの聞き書きがこの7月17日から8月9日まで連載され、8月11日付けでまとめが出ていました。     https://digital.asahi.com/articles/ASM6T6VF2M6TUSPT00F.html?iref=comtop_8_01

 金さんについては、彼の著作を読んで彼の本名や在留資格について疑問があり、また日本密航のきっかけとなった4・3事件の語りにおいても疑問があることを、これまで拙ブログで記してきました。 (下記【拙稿参照】をご覧下さい。)

 これらの疑問について金さんがどのように語っているのか、あるいはその疑問を解いてくれているのかに関心があり、連載を読み続けました。 しかしこれについては次のようにあるだけでした。

墓参りを年に一度はしたいと、私は2003年、韓国の国籍を取得しました。この年に就任した革新系の盧武鉉(ノムヒョン)大統領は、4・3事件を「国家権力の過ち」と認めて被害者に公式謝罪しました。

解放後の済州島では、米軍政下の警察が極右勢力と組んで横暴を極めていました。「3・1独立運動」の記念日を祝う集会のデモ隊に発砲して死傷者を出し、抗議のゼネストでも多くの若者が残忍な拷問を受けて惨殺されました。目にあまる弾圧への怒りが、蜂起の導火線になったのです。   蜂起側に加わった私は追われる身となり、身を潜めました。

南単独の選挙で作りあげられた韓国の李承晩(イスンマン)政権は「反共(パンゴン)・滅共(ミョルコン)」を大義名分にして済州島での虐殺をほしいままにしました。米軍はむしろ後支えをしました。    漢拏山(ハルラサン)にこもった蜂起勢力に対し、韓国の軍隊や警察は「焦土化作戦」で中山間部の集落を無差別に焼き払い、大勢の農民が巻き添えになりました。「赤狩り」と称した民間人虐殺は、朝鮮戦争(50~53年)まで続きます。

今でも「赤色暴動」などと非難する保守系の政治家らがいます。いまもって名乗りでない遺族が多いのも、独裁政権の圧政の記憶が消えないからです。南北関係が保守政権下で融和から対立に転じたように、いつ揺り戻しがあるか分からない。韓国社会の分断の傷はそれだけ深いのです。

 私の疑問を要約しますと二点あります。

① 2003年の韓国戸籍取得の時に、彼は親からもらった「金時鐘」という名前ではなく、1949年に日本に密航した際に不正に得た外国人登録証にある「林大造」名で戸籍を作成したこと。 両親の墓参りのために戸籍を取得したというのなら、その戸籍名を「金時鐘」でなく別人の「林大造」にしたこととは整合しないのではないか、という疑問です。

② 4・3事件でご自分が所属した南朝鮮労働党(南労党=蜂起勢力)による赤色テロについて語らないこと。 赤色テロについては、彼自身の著作中にわずかですが触れられているので、知っておられます。 しかしこれを語らずに「焦土化作戦」や「赤狩り」といった白色テロのみを取り上げて権力批判に集中していることに対する疑問です。 白色テロが凄惨だったのはその通りですが、赤色テロもまた凄惨だったのです。

【拙稿参照】

金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448

毎日の余録に出た金時鐘さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717

本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

済州島4・3事件の赤色テロ(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890

済州島4・3事件の赤色テロ(5)―右翼家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/05/8909472

済州島4・3事件の赤色テロ(6)―評価は公平に http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/10/8912907

ある大学での在日コリアンゼミー毎日新聞2019/08/15

 毎日新聞2019年8月14日付けで 「在日コリアン『差別生んだのは、私たちの社会』 京都女子大ゼミ生学ぶ 座学や学校訪問、一から理解深め」 と題する長文の記事が出ています。 https://mainichi.jp/articles/20190814/ddl/k39/040/384000c

朝鮮半島にルーツを持つ在日コリアンについて、ほとんど知識がなかった京都女子大法学部の市川ゼミの3年生8人(20~21歳)がその歴史を学び、民族教育を行う朝鮮学校を訪れた。若い感性は何を受け止めたのか。

 記事の冒頭がこれで、次にゼミでどのような発表をしたかを紹介しています。

和泉茉那さんらが「在日朝鮮人ってどんなひと?」(徐京植(ソキョンシク)さん著、平凡社)などを元に報告した。

日本が植民地支配をした1910年以降、朝鮮半島の人は日本臣民とされ、朝鮮語使用を禁じられ、戦争にも出兵▽終戦時、既に生活基盤が出身地になかったり、財産持ち帰りが1人1000円に制限されたり、帰りたくても帰れない人がいた▽敗戦後は一方的に外国人とされ、長い間、指紋押捺(おうなつ)が義務付けられた。公務員就任や弁護士資格の国籍条項、国民健康保険加入など数々の差別と直面し、一部は認められたものの、制限はまだ残る--ことなどを知った。

 この中に間違いがいくつかあります。 「朝鮮語使用を禁じられ」とありますが、日常生活で朝鮮語を禁じられたことはありません。 家庭内や近所、友人同士で朝鮮語を使うことは自由でした。

 また「敗戦後は一方的に外国人とされ」とありますが、敗戦直後に在日たちはもうこれで日本人でなくなったと解放を喜び、万歳を叫んだ歴史事実を知らないのでしょうか。 在日朝鮮人が外国人であることは彼ら自身の主張であり、また本国の韓国・北朝鮮政府の主張でもあったのです。

 あるいはまた「数々の差別と直面し、一部は認められたものの、制限はまだ残る」とありますが、外国籍である限り日本国籍とは違う処遇になるのは当たり前のことです。 大学の授業での発表なら、批判する文献も含めて関連資料を出来るだけ読み込まなければならないのですが、教授はそんな指導をしていないのでしょうか。

「思っていた以上に多くの差別があった。日本は生きにくい土地なんだな」(塩田雅(みや)さん)、「韓国と北朝鮮を下に見る人がいる。歴史を勉強しないと、親から子へそういう意識が伝わるのでは」(井上真帆さん)などと感想を漏らした。市川教授が「知らへんことで、差別意識が強化される」と指摘した。

 学生さんは「日本は生きにくい土地なんだな」と感想を述べていますが、これは間違いの認識です。 在日は日本が生きやすかったから日本に残ったのであり、北朝鮮や韓国という祖国では生きにくいから帰らなかったのです。 こんなことは在日一世のお年寄りから聞き取りを実際にやっていれば、すぐ分かることなんですがねえ。

 ところで教授は「知らへんことで、差別意識が強化される」と指摘したそうですが、知ることによって差別意識が強化される場合もあることを学生に教えてほしかったですねえ。 昔、朝鮮高校生と抗争を繰り返していた日本の高校生に、日本がどれほど酷いことをしたかの歴史を教えてやったら、ようやった、もっとやっつけたらよかったのに、という反応になったというエピソードがありました。 歴史を知った彼らは、パチンコ屋に行くことを「朝鮮征伐」と称したといいます。

そして有志6人が6月末に京都市左京区の京都朝鮮中高級学校を訪ねた。1人を除き、初めての朝鮮学校訪問だ。民族教育の大切さを訴える講演や、「祖国訪問」と題して約2週間、北朝鮮に修学旅行をした女子生徒からの報告を聞くなどした。

 ここまでやるのでしたら、学生たちは北朝鮮を是非訪問してもらいたいものです。 そこでは朝鮮学校の民族教育が目指すものがどういうものかを見せてくれます。 主体思想、先軍、苦難の行軍、喜び組、コッチェビ,公開処刑、強制収容所等々、しっかり勉強してほしいですね。 日本の学生なのですから、朝鮮学校の生徒とは違う勉強をしましょう。

拉致やミサイルに核実験……。北朝鮮は不気味で理解不能な国と思われがちだが、朝鮮半島が南北に分断される、つまり北朝鮮誕生につながる、そもそものきっかけを作ったのは誰だろう。知らないと見えてこないことがある。  

 これは毎日の大澤重人記者の言葉のようですが、大きな間違いがあります。 南北分断のきっかけを作ったのはアメリカとソ連であり、北朝鮮誕生のきっかけをつくったのは金日成とスターリンです。 北朝鮮を「不気味で理解不能な国」にしたのは三代世襲の金一族であって、いずれも日本は関係ありません。 日本は朝鮮を統一した状態で植民地支配してきたのです。 こういうことは、ちゃんと「知らないと見えてこない」ものですね。

 次に在日コリアンの定義です。 おそらく大澤記者の解説と思われますが、次のようになっています。

戦前から戦中に徴用や出稼ぎなどのため日本に渡り、戦後も残留した朝鮮半島出身者とその子孫。広義では日本国籍取得者も含む。敗戦時には約240万人いたが、1946年には多くが帰国し約64万人に。在日韓国・朝鮮人、在日朝鮮人とも呼び、うち韓国籍の人を在日韓国人と称する。

10年の韓国併合後は日本臣民とされたが、52年のサンフランシスコ講和条約発効を期に日本国籍を喪失。大半が47年の外国人登録令で使われ始めた「朝鮮籍」と分類された。これは国籍ではなく、出身や民族を示す外国人登録上の「記号」。その後、韓国籍や日本国籍を取得した人も多く、在留外国人統計(2018年12月末現在)によると、韓国籍約45万人、朝鮮籍約3万人の計48万人。朝鮮籍は北朝鮮籍ではないが、北朝鮮の国籍取得者もいる。同国と国交のない日本政府はそれを国籍と認めていない。

 新聞記者なら正確な数字を記すべきでしょう。 1946年の在日人口が「約64万人」とは、何を根拠にしているのでしょうか。 在日人口の正確な統計は、当初外国人登録の二重登録や不正登録が横行したので、1952年までは不明と言わざるを得ない状態でした。 「64万人」は1946年3月の引揚援護庁による数字と思われますが、実際に数えた数字ではありません。

 その後、指紋押捺義務や外国人登録と食糧購入通帳(いわゆる米穀通帳)との照合が行われて、1952年からようやく正確な人口が把握されました。 それによると535,065人です。 64万人とは全然違う数字です。

 また「在留外国人統計(2018年12月末現在)によると、韓国籍約45万人、朝鮮籍約3万人の計48万人」とありますが、この数字は戦後や近年に来日した韓国人(ニューカマー)が含まれています。 この記事では在日コリアンとは「戦前から戦中に徴用や出稼ぎなどのため日本に渡り、戦後も残留した朝鮮半島出身者とその子孫」と定義しているのですから、ニューカマーを除外せねばなりません。

 この定義の場合の在留資格は「特別永住」です。 そしてその数字は韓国籍「約28万9千人」、朝鮮籍「約2万9千人」、計「31万8千人」です。 「48万人」とは全く違う数字です。 大澤記者はプロの新聞記者なのですから、記事に出てくる数字はちゃんと根拠を持ったものを出してほしいと思います。

【拙稿参照】

ニューカマーが特別永住者?!―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/21/9131374

特別永住者数の推移       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/16/9129169

トルコ国籍の特別永住者?!―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/10/27/7870629

米国籍などの特別永住者         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285

特別永住の経過             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381

特別永住制度の変更は非現実的      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857

在日の法的問題は解決済み        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500

在日の特別永住制度           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

毎日のコラム「平和をたずねて」への疑問(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/06/8991794

30年前の在日韓国人論―四方田犬彦  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/05/8762608

「独島は我が土地」を歌って歓迎する日韓交流2019/08/22

 民間や自治体レベルの日韓交流は、昔から盛んです。 近ごろは日韓関係が最悪になったといわれており、だからこそ交流が大事という主張も大きく叫ばれています。 それは当然の主張なのですが、交流が深まれば日韓関係がよくなるはずだという意見があるのには、首をひねります。

 ちょっと昔に聞いた話ですが、日本人側が韓国を訪れ、韓国側がこれを歓迎する日韓交流行事の際のことです。 韓国側は「独島(竹島)は我が土地」という歌を歌って、日本人たちの訪問を歓迎したというのです。 日本人側は韓国語が分からないし、またその歌がどういう歌かも知らなかったので、そのまま交流行事を進めました。 しかし後になってその歌の意味を知って驚いたという話でした。

 最近に日本で韓国語を教える韓国人講師に、この話をしました。 私は、韓国も困ったものだという答を期待していました。 しかし彼はそうではなく、その歌は韓国では子供の時からよく歌われているもので、韓国人の普段の姿を見せただけでしょうと答えたのです。 つまり、それは悪いことではないというのでした。

 外国との交流の歓迎行事ではその国との友好を考慮して、政治的に対立するようなことには触れないのが常識と思うのですが、韓国ではそういう考え方にならないことにビックリした次第。 

 相手が日本で、しかも韓国語も知らないのだから構わないということなのでしょうか。 あるいは、自分たちは正しいのだから間違っている日本を教え諭してやっているのだということなのでしょうか。 あるいはまた、自分たちの意見に同調する「良心的日本人」ならば交流してもいいという意味なのでしょうか。

 韓国との交流には、手放しでは喜べないものがあります。

【拙稿参照】

日韓交流は相互理解に役立ってきたか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/13/8747383

伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位2019/08/29

 植民地時代の朝鮮で、教育に携わった内鮮(日本人と朝鮮人)の女性たちが集まって、前近代的で不合理な古い風習や考え方を否定して、新しく近代的で合理的な生活をめざそうとする活動がありました。 津田節子「半島生活の昭和一新」(『緑旗12』第7巻9号 昭和17年9月)に、その活動が報告されています。 そこに朝鮮人女性たちが克服しようとした伝統的朝鮮社会の一端が記されており、ちょっと興味深いものです。

 朝鮮人女性は次の二つの提案をします。

1.蓄妾反対、妾を持つ男子より公職を剥奪せよ。

2.妻の消費権を確立せよ。

 これについて津田節子は解説します。

(1について)男の子を生まないことを理由に平然と妾をもち、婦人を悲しませる例は稀ではない。 それがお金のある人ばかりではなく、貧しい生活の人でさえ、そういう不合理な生活をする。 洗濯の時間を節約せよとか、白衣を色服に改めよ(当時の朝鮮総督府がこのような生活改善の音頭をとっていた)とかいったところで、こんな事実があるようでは何もならない。

(2について)消費権の確立というのは、従来の朝鮮では夫または舅姑がお金を持っていて、お豆腐一つ買うのにも一々お金を貰わねばならない。 俸給等の収入を夫が妻に知らせない。 これでは不安であるから、これを妻にはっきり知らせ、且つお金を使う権利を持たせてくれというのです。 こういう案は、いくら提出した所で具体案がないと何の価値もないから、今後官公吏教員等の俸給生活者の俸給支払いは、妻が出頭して受け取る、妻の認印がなければ絶対に支払いはないことにしてほしいと、アメリカで勉強した婦人教育者がまじめに要求なさいました。

 原文は旧仮名遣いでちょっと読み難いと思われましたので、新仮名遣いに改めました。 「蓄妾」なんて、今は死語ですね。 この熟語を読める人は、今では少ないでしょう。

 伝統的な朝鮮社会における女性の地位がどうであったのか、その一端が生々しいですね。

【拙稿参照】

李朝時代に女性は名前がなかったのか   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782

李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612

李朝時代に女性は名前がなかったのか(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/01/8061795

李朝時代の婢には名前がある       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165

許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは?   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665

李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/04/8083000

名前を忌避する韓国の女性        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916

かつて朝鮮人女性には名前がなかった  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/13/9011386