伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位2019/08/29

 植民地時代の朝鮮で、教育に携わった内鮮(日本人と朝鮮人)の女性たちが集まって、前近代的で不合理な古い風習や考え方を否定して、新しく近代的で合理的な生活をめざそうとする活動がありました。 津田節子「半島生活の昭和一新」(『緑旗12』第7巻9号 昭和17年9月)に、その活動が報告されています。 そこに朝鮮人女性たちが克服しようとした伝統的朝鮮社会の一端が記されており、ちょっと興味深いものです。

 朝鮮人女性は次の二つの提案をします。

1.蓄妾反対、妾を持つ男子より公職を剥奪せよ。

2.妻の消費権を確立せよ。

 これについて津田節子は解説します。

(1について)男の子を生まないことを理由に平然と妾をもち、婦人を悲しませる例は稀ではない。 それがお金のある人ばかりではなく、貧しい生活の人でさえ、そういう不合理な生活をする。 洗濯の時間を節約せよとか、白衣を色服に改めよ(当時の朝鮮総督府がこのような生活改善の音頭をとっていた)とかいったところで、こんな事実があるようでは何もならない。

(2について)消費権の確立というのは、従来の朝鮮では夫または舅姑がお金を持っていて、お豆腐一つ買うのにも一々お金を貰わねばならない。 俸給等の収入を夫が妻に知らせない。 これでは不安であるから、これを妻にはっきり知らせ、且つお金を使う権利を持たせてくれというのです。 こういう案は、いくら提出した所で具体案がないと何の価値もないから、今後官公吏教員等の俸給生活者の俸給支払いは、妻が出頭して受け取る、妻の認印がなければ絶対に支払いはないことにしてほしいと、アメリカで勉強した婦人教育者がまじめに要求なさいました。

 原文は旧仮名遣いでちょっと読み難いと思われましたので、新仮名遣いに改めました。 「蓄妾」なんて、今は死語ですね。 この熟語を読める人は、今では少ないでしょう。

 伝統的な朝鮮社会における女性の地位がどうであったのか、その一端が生々しいですね。

【拙稿参照】

李朝時代に女性は名前がなかったのか   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782

李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612

李朝時代に女性は名前がなかったのか(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/01/8061795

李朝時代の婢には名前がある       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165

許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは?   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665

李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/04/8083000

名前を忌避する韓国の女性        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916

かつて朝鮮人女性には名前がなかった  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/13/9011386