朝日「天声人語―行く言葉が美しくてこそ」を読む2020/01/29

 朝日新聞2020年1月26日付の「天声人語」を読む。 尹東柱の詩を取り上げて、最近の日韓関係にまで触れています。  この文の最後にあってコラムの題名にもなっている「行く言葉が美しくてこそ返る言葉も美しい」という韓国の諺について、ちょっと誤解しているのではないかと思い、自分なりの考えを書いてみます。

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14341508.html?iref=comtop_gnavi

‥‥ 翌43年、尹は朝鮮独立運動にかかわったとして治安維持法違反で京都で捕まり、終戦の半年前の45年2月16日、27歳の若さで獄死した。日本で書かれた詩は押収され、この手紙に記された5編だけしか見つかっていない

「詩人尹東柱を記念する立教の会」の楊原(やなぎはら)泰子さん(74)たちは毎年、尹の命日のころに大学で朗読会を開いてきた。両国関係がいかに悪化しようと、ことしもまた尹の詩を愛する日韓の人々が集う。「尹東柱は私たちを温かくつないでくれています」と楊原さん

翻ってみて昨今のささくれだった日韓関係は何なのか。巷(ちまた)にあふれる韓国の人々への侮蔑にみちた表現。すさんだ非難の応酬。日本を訪れた韓国人は昨年、前年の4分の3に減ったという

「行く言葉が美しくてこそ返る言葉も美しい」。詩人の茨木のり子さんが『ハングルへの旅』で伝えた韓国のことわざを思い出す。尹の詩をよみ、こうつぶやいてみる。私たちの言葉よ、かの国にとどけ、美しく。

 最後に出てくる諺の原文は「가는 말이 고와야 오는 말이 곱다」で、直訳すれば天声人語にある通りです。 話しかける言葉が優しければ返ってくる言葉も優しくなるという意味ですから、確かにいい諺のように見えます。

 しかし韓国語辞典を調べてみれば、「売り言葉に買い言葉」と説明されていることに注意してください。 これは、相手の暴言に応じて同じような調子で言い返すという意味ですから、いい諺とは決して言えるものではありません。

 つまり韓国のこの諺は「話しかける言葉が優しければ返ってくる言葉も優しくなる」と「相手の暴言に応じて同じような調子で言い返す」との、全く相反する意味を持っているということです。

 これは同じ諺でも、相手との関係によって意味が違ってくるということです。 例えば、信頼関係のある相手にこの諺を使えば、そう言って頂きましたから私もこう言いますとなりますので、親しさが増すことでしょう。 何か悪口を言ってしまった人にこの諺を用いて、優しく言ってあげなさいよと注意することも可能です。

 しかし信頼関係のない相手に、しかも喧嘩している相手なら尚更この諺を使えば、それこそ「売り言葉に買い言葉」となります。 お前が無茶を言うから俺も言い返しているのだという意味ですから、喧嘩がさらに激しくなるでしょう。

 以上を今回の朝日新聞に引き寄せて考えてみますと、天声人語は日韓関係において前者のいい諺として扱い、だからヘイトスピーチなどせずに美しい言葉が韓国に届くようにしようと呼び掛けました。 これは日韓が対等で信頼関係にあることが前提であり、そういう関係であるならば意義のある呼びかけとなります。

 しかし現実の日韓関係は対等かつ信頼関係にあるとは決して言えません。 韓国側の考えは、日本は加害者で絶対的悪、自分たちは被害者で絶対的善であり、従ってそれは対等ではなく上下関係であり、互いに信頼がないということです。 被害者である韓国が加害者である日本に要求することは、自分たちのいう言葉にただひたすら聞き入り謝罪することです。 そのような関係のなかで、日本側が「行く言葉が美しくてこそ返る言葉も美しい」と言うことは、韓国側には「売り言葉に買い言葉」と居直っていると受け取られる可能性があるのです。

 昔、自民党の鴻池議員が韓国訪問時にこの諺を使って物議を醸したのは、こういう理由だからです。 日本が韓国に向かってこの諺を使うのは、ただでさえ信頼関係がないのに更に関係悪化することになりかねないということです。

 日本人にはなかなかいい言葉だと思っても、韓国人にはとんでもない言葉になるかも知れないという例です。 幸い韓国では、この天声人語が訳されて報道されていないからでしょうが、問題化していませんねえ。 

 言葉の行き違いと言ってしまえばそれまでですが、国や民族の違いで意思疎通がどれほど難しいかがお分かりいただけると思います。

【拙稿参照】

韓国の諺の誤解―毎日新聞     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/14/7414122