尹美香さんのフェースブック(2)2020/05/15

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/12/9245806 の続きです。 ユンさんの5月8日付フェースブックの後半部です。 イ・ヨンスの発言に戸惑った様子が書かれています。

今日の記事を見て、多くの記者たちから電話を受け‥‥。 全身から力が抜けて、立ち上がれなくなりました。 国会の庭の芝生で、真っ暗になるまで座っていました。 そして血圧が高いおばあさんを思い出し、あの状況の中でおばあさんに電話をかけました。 ちゃんと寝ておられるのか? 私ならば、おそらく今晩寝れないでしょう‥‥。 おばあさん、私は大丈夫です。 そう言いたかったです。 三回も電話をかけましたが、電話をお取りにならなかったので、あきらめました。

ところで‥‥     家に帰ってきて、自分の私的空間に入った瞬間‥‥     30年余りの間の活動の中でも、たくさんの攻撃の中でも、私の心臓は固くなったと言うよりは返ってふかふかと柔らかくなったと思います。 心臓が締め付けられ、全身にしびれが来て‥‥ 痛み‥‥ 涙が出て‥‥ しかし力を出さねばならないと再度誓います。

正義連の活動と会計などは、正義連から説明するだろうと思いますが、本当に徹底して管理し、監査を受け、報告する過程を経ています。 募金の目的に合わせて事業も執行しいて‥‥。

正義連は1992年から、おばあさんに差し上げた支援金などの領収証をおばあさんたちの拇印を捺したまま保管しています。 保管する当時はおばあさんたちの記憶に確認用として保管していましたが、いつからか、その記録が史料になっています。

2015年12月28日、韓日合意で朴槿恵政府が受けた10億円に対して‥‥、今日午前に我がイ・ヨンスおばあさんと通話するなかで、おばあさんの記憶が違っていることを知りました。 私と他のおばあさんは、朴槿恵政府が10億円を受け取ることを既に知っていたのだが、あなただけが知らなかったと、1月28日、ユン・ビョンセ長官の手紙に書かれているのを見て知ったと‥‥。

ですからまた記憶を引き寄せてご説明申し上げます。 「2015年12月28日、韓日合意発表の当日、おばあさんはいち早く事務室来られて、私、研究者、弁護士さんと一緒にテレビをつけて、ユン・ビョンセ長官の発表を見て、発表が終わるやおばあさんと一緒に記者会見をして、おばあさんがおっしゃったことがその日の晩のニュースにみんな出ました」と‥‥。 しかし我がおばあさん‥‥ ではないとおっしゃって、もうこれ以上対話を続けることが出来ませんでした。 被害者とともにした、この間の私たちの経験では、そういう時はその状態で止まるしかないのです。

水曜集会については、他のことを言わなくても、その重要性についてご存知だと思います。  世代と性別、民族を超越して全ての人がともに作り上げる平和、人権教育の体験現場になっています。

そして‥‥        わがイ・ヨンスおばあさんは、その間誰にも利用されない、本当に誰よりも主体的で勇気があって、凛々しい英雄として、人権運動をしてこられました。 だから水曜集会に出てくる若い青少年たちと青年たちは、イ・ヨンスおばあさんを尊敬すると告白することもありました。

そして‥‥私は、です。        イ・ヨンスおばあさんの30年余り、わがキム・ボクトンおばあさんの30年余り、わがキム・ハクスンおばあさんの心残りの17年間の運動‥‥ わがカン・ドクキョンおばあさんの16年間の運動‥‥ 多くのおばあさんの切ない時間、あの歳月の分まで私の人生に込めて、第21回国会で、「死んだ人の分まで一緒にやり抜く運動」を作っていこうと思います。

 以上で終わりです。 ところで、これを読んでイ・ヨンスさんが反日から脱したとか、日韓関係を憂えているとか、考えない方がいいです。 むしろ、同じ運動内の内ゲバと見る方がいいのではないか、というのが私の考えです。 「内ゲバ」なんて、今の若い人は知らない言葉でしょうねえ。