同和出自を明かすことは‥‥2020/07/13

 毎日新聞の7月12日付け地域版に「『リバティおおさか』休館に思う 差別は誰もが当事者 毎日新聞記者、自分のルーツ触れた場所 /大阪」と題する記事があります。 https://mainichi.jp/articles/20200712/ddl/k27/040/176000c

 興味深く読んでいるうちに次のような一文があって、ちょっと違和感を覚えました。

前田さんは豊中市で半世紀以上、部落解放運動に携わった。 同博物館のガイド歴も25年になる。 それでも「今でも出身はなかなか明かせない」という。 出自を明かした途端、相手の態度が変わる経験を数多くしてきたからだ。

 この中の「出自を明かした途端、相手の態度が変わる」という部分です。 多くの人はこれを読んで、部落差別は何とえげつないのか、差別者は何と冷酷なのか、自分だったら態度を変えるようなことはしないと思うでしょう。

 しかし考えてほしいのは、彼らは一体どういう場面で「自分は同和の出自だ」と明かすのか、そして出自を明かすことがどういう意味を持つのか、ということです。

 ここで私は30年ほど前のことを思い出します。 職場の同僚が仕事を終えて車で帰ってきた時、前の車の奴とケンカになったと言います。 何事かと聞けば

赤信号で二台目のところで待っていたら、青信号に変わったのに前の車が発車しない、そこでクラクションを鳴らしたところ、その車から人が下りてきて、何を鳴らしとんじゃ!と怒ってきた。 こっちも腹が立って、青になったのにそっちが発車せんからだ!と言い返したら、俺は〇〇の人間やぞ!と怒鳴る。 それでますます腹が立って、それが一体何だというのか!と言い合いになった。 騒ぎが大きくなりかけてきたので、あっちの方がぶつぶつ言いながら車に戻り車が動いたので、騒ぎはおさまった。

 そして「ところで〇〇って、何のことだ?」と聞いてきたので、私は「有名な同和地区ですよ。 解放運動も盛んで‥‥」と答えました。 そうすると周囲の同僚たちから「やっぱり、そうか」という声が漏れ聞こえました。 つまり自分が同和であることを明かすというのはこれによって相手を脅すという意味なのであり、これが多くの人にかなり広く共有されているのはこの類の体験を有する人がかなりいるからであり、だからリアリティをもって受け入れられているのです。

 ある銀行員から間接的ですが、体験談を聞きました。 

窓口にいると、あるお客さんの対応にちょっと手間取ってしまって時間がかかってしまった、するとそのお客さんがいきなり「うちを同和やと思ってバカにしてるのやろ!」と声をあらげた、そのお客さんの姿格好は普通の人と同じで、同和と分かるものはない、何であんなことを怒鳴るのだろう、気分が悪くなった。

 次は、ある工事現場の監督さんの話です。

工事をしていたら、同和とかややこしい人がよく来るんです。 そういう人たちは現場で線の入ったヘルメットを被った人を探して、それをみんなで取り囲んで脅すんですよ。 だから私はいつも線のないヘルメットを被っているんです。 それにそんな人が来たと思ったら監督の作業服を脱ぎ捨てて、そこら辺のスコップを持ってタダの作業員のように掘るんです。

 多くの人が同和の人(自ら同和を名乗る人)と具体的に接触するというのは、多かれ少なかれ以上のような場面に限られると言っていいでしょう。 それ以外では、総務係といった職場に就いていた人が解放運動と接触せざるを得ない時ぐらいでしょうか。 いずれにしても同和の人と出会ってよかったなんていう感想を抱く人は、おそらくいないと思います。 もしいたとしたら、自分は同和に顔が利くんだという歪んだ自慢話でしょうねえ。

 何かの場でちょっと知り合った人が「自分は同和です」と明かされたら、多くは、この人はいったい何を要求するのか? こっちが何か差別的なことを言ってしまったのだろうか? ひょっとして糾弾するつもりなのか? などと身構えることになります。

 これらは20年以上前の1970~90年代の話です。 現在のことではありませんので、誤解なきようお願いします。

 上記の毎日新聞で「出自を明かした途端、相手の態度が変わる経験」というのはその通りだと思いますが、一般人(=差別者側と指目される)にとって出自を聞かされることがどういう意味を持つのか、これを記してほしかったですね。

【拙稿参照】

差別問題の解決とは?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

社会的低位者の差別発言  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

柳田邦男のビックリ部落認識       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/25/8290405

解放運動の力が落ちたこと        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/08/7533867

解放運動                http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/02/7299711

郵便ポストを設置させた解放運動     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

同和地区の貧困化            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525302

かつての解放運動との交渉風景      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

同和教育が差別意識をもたらす      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/29/5614412

差別の現実から学ぶとは?        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/19/5589789

部落(同和)問題は西日本特有の問題   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/14/1652936

水平社宣言               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/07/1631798

解放運動に入り込むヤクザ        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

差別問題の重苦しさ     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuunanadai

(続)差別問題の重苦しさ  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuhachidai

コメント

_ とく名 ― 2020/07/18 11:32

>>多くの人が同和の人(自ら同和を名乗る人)と具体的に接触するというのは、多かれ少なかれ以上のような場面に限られると言っていいでしょう。

‐主様の周辺は黒い人ばかりだったようですね。

「親しい友人に打ち明けられた」ケースはどうでしょう?
20代の頃、酒を飲みながら各自内面を吐露している時に
実は…と切り出した友人がいました。
どのように返答すればよかったのか今もわかりません。

_ 辻本 ― 2020/07/18 20:47

親しい友人からの話ですねえ。
その方がどういうつもりで打ち明けたのか分かりませんが、聞かされるとやはりブログ本文にあるように緊張するでしょう。
少なくとも楽しい話には、ならないでしょうねえ。
返答に困ると思います。

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