韓国映画「マルモイ」に見る時代考証不足 ― 2020/07/19
久しぶりに韓国映画を見ました。 「マルモイ(言葉集め)」です。 コロナの影響で座席は一つ置きしか座れませんでしたが、ほとんど埋まっていました。 この映画はまあ評判になっているのでしょうねえ。
映画では歴史事実(朝鮮語学会事件)に基づくフィクションとされていました。 しかし時代考証の杜撰さが目に付きました。
まず創氏改名の誤解です。 親日派の父親が息子に、創氏を早くしろと創氏届の用紙を突きつける場面がありました。 これはあり得ないことです。 創氏の届け出は戸主だけができる権限ですから、子供が創氏を届け出ることはありません。 父親は有力人士という設定ですから、そんなことを知らないわけがないでしょう。
京城中学校の生徒が学校から日本名を名乗れと迫られ、そして次に学校はその生徒を「カネムラ」と呼ぶようになったとする場面がありました。 これがあり得るとしたら、戸主である父親(あるいは祖父)が役所に「カネムラ」と創氏を届け出て受理された後に、学校に改名届を出したという場合だけです。 昔も今も同じで、学校は生徒の名前を勝手に変えることは出来ません。 なお映画では父親は一貫して「金(キム)」でしたから、「カネムラ」と創氏したとはちょっと考えられません。
警察による弾圧の場面では、警察官たちが小銃をもって家宅に押し入り、逃げる主人公らを撃っていました。 警察官は拳銃を持つことはありますが、小銃は持ちません。 ましてや逃げている人を背後から撃つなんて、あり得ないことです。
主人公が街で出会った朝鮮人の子供たちが朝鮮語を知らず、ショックを受ける場面がありました。 これもあり得ないことです。 当時は公用語が日本語でしたから、公的会議、学校、裁判等々では日本語が使用されていましたが、そこから一歩外に出ると朝鮮語を使うことは自由でした。 朝鮮の子供たちは学校では日本語を強制されましたが、校門から出て友人同士、あるいは家族や親戚、近所同士で話す日常会話は朝鮮語でした。 朝鮮の子供たちが朝鮮語を知らないと言うのは、あり得ないのです。
当時の朝鮮では、朝鮮半島内の電報はハングルでも打つことができたし、ラジオ放送では時間数は少ないですが朝鮮語の番組がありました。 こんな歴史事実が忘れられているようです。
それに当時の朝鮮半島には朝鮮人2500万人、対して日本人は80万人。 この日本人80万人のうち半分以上はソウルや釜山等の大都市の日本人街に住み、地方でも日本人同士で集まって暮らすのが普通でしたから、一般の朝鮮人が日常生活で日本人と話を交わすことは珍しい時代でした。 朝鮮人が日本語のみで生活することは、およそあり得なかったのです。
映画ではそれ以外にも、あれ?この時代にこんなことがあったのかな?と疑問に感じるところが少なくありませんでした。 フィクション映画ですから、こんなことは気にしないのがいいのかも知れませんが、私には時代考証の不十分さが気になって仕方なかったですね。
【拙稿参照】
尹東柱の創氏改名―ウィキペディアの間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110
尹東柱の創氏改名記事への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/16/8917954
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676
宮田節子の創氏改名 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557
民族名で応召した朝鮮人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817
朝鮮人戦死者の表彰記事ー1944年 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160
朝鮮人志願兵初の戦死者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/02/8719450
創氏改名の誤解―「世界史の窓」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515
創氏改名とは何か (00年4月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai
創氏改名の残滓 (01年6月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai
創氏改名の手続き(04年10月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai
日本統治下朝鮮における朝鮮語放送 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782
コメント
_ 考証厨 ― 2020/09/13 17:58
_ 辻本 ― 2020/09/13 19:30
>1940年前後の子供であれば親も日本教育を受けた朝鮮人の親には将来のことを考えて子供を日本語だけで教育したケースもあったかもしれません
これはどうでしょうか。 家庭内でも日本語を使っていた家はあったかも知れませんが、親戚や近所の朝鮮人と話す場合も日本語で通していたのかどうか。
なお日本に在住する朝鮮人の場合、子供は日本語になります。親子間では日本語で会話するようになりますね。
戦後になると、夫婦間でも日本語、つまり家族の言葉自体が日本語になります。 朝鮮語は夫婦喧嘩の時くらいですね。
なお日本語を使おうとしない一世のおばあさんがいる家もありましたが、これは珍しいです。
_ 考証厨 ― 2020/09/14 11:54
日本時代を描いた韓国のフィクション、大抵インテリで恵まれた階層にばかり焦点が当たるのが不思議です 日帝の罪過を言うなら日本人の地主や雇用主の下で惨めな暮らしを強いられていた人を描けばいいのにのと思います
_ 辻本 ― 2020/09/14 15:04
昔読んだ資料で、今は手元にありませんが、朝鮮の小作人は朝鮮人地主より日本人地主を好んだようです。
日本人地主は2~3年の小作契約が普通で、小作料をきちんと払えば延長されたようです。 農地というのは何年も耕作することを考えて、地味(ちみ―土地が肥えていること)のある土を作っていかねばならないと考えますので、小作契約も長期になります。
朝鮮人地主の場合は1年以下、時には一作単位(種付けから収穫までの数ヶ月)の契約が多かったです。 もっと小作料払うという人間が現れれば、すぐにこの新しい人と小作契約を結ぶことになります。 だから小作人は後のことを考えずに自分の収穫さえ終わればいいだけで、農地の地味なんて考慮しません。 痩せた土地となって次の新しい小作人が耕作することになります。
当然、収穫はどんどん落ちます。 朝鮮総督府は地主に対して小作契約を長期にするよう何度も指導しますが、うまくいかなかったようです。
「日本人地主の下で惨めな暮らし」は、絶対ないとは言えませんが、ちょっと考えられないですねえ。
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京城一中は公立校なので理事長という役職はないはずです
1940年前後の子供であれば親も日本教育を受けた朝鮮人の親には将来のことを考えて子供を日本語だけで教育したケースもあったかもしれません 台湾だと敗戦時には日本語しかできない台湾人の子供は結構いたそうです