戦後の朝鮮人の振る舞い―事実を語るべきか2020/08/23

 NHKが『1945ひろしまタイムライン』という番組で、当時の実在の日記をもとに「もし75年前にSNSがあったら」という設定で“実況”する、というのがありました。 このなかで、戦後の朝鮮人たちの振る舞いを取り上げた部分があり、これが朝鮮人差別を扇動しているという批判があったようです。 毎日新聞が昨日の8月22日付けで報道しています。

 https://mainichi.jp/articles/20200821/k00/00m/040/280000c

どういう“実況”があったのかというと、記事ではその一部が紹介されています。

<朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!>

<「俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!」 圧倒的な威力と迫力。 怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩(たた)き割っていく そして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!>

<あまりのやるせなさに、涙が止まらない。 負けた復員兵は同じ日本人を突き飛ばし、戦勝国民の一団は乗客を窓から放り投げた 誰も抵抗出来ない。悔しい…!>

 これに対して、ツイッター上では次のような批判があったそうです。

その出来事があり、それを日記に書いた人がいるのは事実かもしれないが、今の世の中に発信することは無色透明な事実ではない

(漫画の)『はだしのゲン』にも同様の場面はあるが、全編を通して朝鮮人への差別や弾圧、それに対する怒りを描写している

 一つは、今ここで発信することは不適切だというものであり、もう一つは漫画『はだしのゲン』のような扱い方をすべきだというものです。 いずれも、たとえ「事実」でもそれをそのまま書くことは朝鮮人差別を扇動するものだという批判です。

 「多民族共生人権教育センター」事務局長の文公輝さんも次のように批判しています。

横暴な振る舞いをした人がいたことは事実かもしれないが、一部の言動のみをクローズアップして『朝鮮人』と属性で語ることは人種差別につながる。公共放送であるNHKのアカウントがそうした投稿をすることで、以前から差別的言動を繰り返している人に『餌』を投げてしまっている

なぜそのような振る舞いがあったのか、日本による植民地支配で朝鮮人が抑圧されていた歴史的背景などの注釈を入れる必要があるが、(短文の)ツイッターでは無理」と、企画自体の限界も指摘し「投稿に関わった未成年者に批判の矛先が向く2次被害が起こるかもしれず、局が当事者として責任をもって前面に立って向き合う姿勢を見せてほしい

 この文さんの発言は「横暴な振る舞いをした人がいたことは事実かもしれないが」と事実について曖昧にしながら、直後に「なぜそのような振る舞いがあったのか」と事実を肯定しており、「ぶれ」があることに注目されます。 事実か否かの検証などはするのではなく、「事実」なるものをそのまま語ってはいけない、という主張ですね。 

 フリーライターの大橋由香子さんも同様の批判をしています。

若い人に関心を持ってほしい、身近に感じてほしいという意図はわかるが、戦争や差別に加担していく当時の人に同化させてしまう演出は危険だ。共感するあまり、侵略して人を殺すのも、非国民を差別排除するのも仕方なかった……と思わせてしまうのではないか

 文さんも大橋さんも、終戦直後に朝鮮人たちがどう振る舞い、日本人たちがそれをどう感じたかという歴史的「事実」はそのまま書くな、ということです。 

 番組を作成したNHK側の説明は、次のようです。

若い世代の方々にも当時の混乱した状況を実感をもって受け止めてもらいたいと、手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって掲載しました

 毎日新聞の記事は、このNHKの説明に対し批判する人だけを登場させて解説したことになります。 従って、毎日は「事実」はそのまま書くな、という立場ですね。

 戦後の朝鮮人たちの「振る舞い」について、私はこれまで下記のように書いたものがありますので、笑覧いただければ幸い。

【拙稿参照】

終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/14/7054495

張赫宙「在日朝鮮人批判」(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714

張赫宙「在日朝鮮人批判」(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446

権逸の『回顧録』          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587

在日朝鮮人の「無職者」数      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/05/7971706

水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135824

闇市における「第三国人」神話    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai

 ところで、文光輝さんは「なぜそのような振る舞いがあったのか、日本による植民地支配で朝鮮人が抑圧されていた歴史的背景などの注釈を入れる必要がある」と話しました。 その「歴史的背景」ですが、15年以上前に作家の金賛汀さんは自著の『在日 激動の百年』のなかで次のように書いておられます。 

在日朝鮮人の間には植民地支配を通して、法律は朝鮮人を苦しめるために存在しているという意識から、順法精神は極めて薄く、統制物資の密売密造に犯罪意識はほとんどなかった。 その上日本の敗戦で自分たちは「解放国民」になったから日本の法律に従わなくてもよいという思い込みもあった。 ‥‥戦前抑圧され、おとなしかった朝鮮人が「解放民族」という立場を利用して、日本人の命令に従わず、勝手な振る舞いをするので日本人は苛立ったのである。」(金賛汀『在日 激動の百年』朝日選書 2004年4月 100~102頁)

 「歴史的背景」はこの金さんの記述が適切だと私は考えています。