在日朝鮮人には徴兵されたのか2020/09/11

 朝鮮人に徴兵義務が課せられたのは1944年4月以降のことです。 実際に徴兵検査の実施はもっと後のことになります。 徴兵検査は、戸籍のある本籍地の役場(面事務所)があなたは徴兵の年齢に達したから徴兵検査を受けなさいという通知を出します。 徴兵検査は日本では普通は本籍地で徴兵検査が行なわれます。 朝鮮人の場合も、おそらく故郷の本籍地で徴兵検査がなされたものと思われます。 なお事情によって、居住地等で徴兵検査ができたかも知れません。

 朝鮮では徴兵検査が実施され、一部が召集されて軍事訓練を受けました。 しかしすぐに終戦となって、実際に戦地に行ったのはほとんどいなかったようです。 朝鮮人が2万人戦死しましたが、これは志願兵と考えられます。 志願兵には当然ながら徴兵検査はありません。

 ところで在日朝鮮人も1944年に徴兵義務が生じたのですが、徴兵検査が実施されたのかどうかが分からないところです。 なぜなら44年ともなれば、米軍の空襲で関釜連絡船の運航に支障をきたし始め、翌45年4月以降には大半が途絶したからです。 徴兵検査の案内通知が本人に届いたのかどうか、不確定になります。 そしてまた在日朝鮮人の体験談の中に徴兵検査が出てくることは、私のこれまでの見聞きした範囲では皆無でした。

 しかし拙ブログで、ある在日の投稿者から自分の父親は徴兵検査を受けたとされましたので、まさかそれはないだろう、本当なら本籍地の故郷に行って徴兵検査を受けたはず、と思いました。 しかし当時の状況(関釜連絡船の途絶等)から、日本国内でも徴兵検査があったのかも知れないと思い直しました。 そこで幾つかの本に当たってみたところ、水野・文『在日朝鮮人 歴史と現在』(岩波新書)の80頁に次のような記述があるのを見つけました。

四五年前半には徴兵された朝鮮人が「農耕勤務隊」の名称で愛知県など各地で軍用食糧の農作業や、航空燃料の原料にする松根に動員されていたことが、近年の研究で明らかになった。  (水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』岩波新書2015 80頁)

 徴兵されると、まずは銃や手榴弾を持たされ、完全武装して厳しい軍事訓練を何ヶ月も受けます。 従って「軍用食糧の農作業や、航空燃料の原料にする松根に動員」とあるのはちょっと疑問になります。 これは軍人の仕事ではないでしょう。 徴兵ではなく単に戦時動員された人なら理解できるのですが。 ともかくこの本では、在日朝鮮人で徴兵されて日本国内に配置された人がいたとされていますので、徴兵検査も日本国内でなされた可能性があります。

 ところで徴兵検査について、私は日本人の方ですが何人かにお話を伺ったことがあります。 それは次のような話でした。 (私のメモ)

徴兵検査をするのは本籍地だから都会に出た者も帰ってくる。 故郷で久しぶりの再会で、それだけで話は盛り上がる。

検査では素っ裸にされて、肛門に指を突っ込まれた、おちんちんをぎゅっと握られた、というのが定番の話。 痔と性病の検査。 こんなことは生まれて初めての経験。

そして検査を終えたら、みんなで女郎屋(当時は淫売屋とも言う)に繰り出す。 徴兵検査で性病に引っかかれば恥と思っていたから、それまでは大抵の者が童貞。 だから徴兵検査を終えて、みんなで童貞を捨てに行く。

 徴兵検査はこんな感じでしたから、本人には印象深く、よく記憶しておられます。 ですから在日朝鮮人で徴兵検査を受けたことがある人がおられれば、その方たちもこんな経験をしたはずです。 特に隠すようなことではありませんから、本当に徴兵検査を受けていれば、こんな話が出てくるものだと思うのですが。 

 ところで先の投稿者の父親は徴兵を逃れようと醤油を2合飲み、その結果「丙種不合格」となったとされました。 徴兵逃れには様々な方法があるのですが、醤油の大量飲みもその一つでした。 当然軍当局も知っていますので、そんなことをさせないように厳しく取り締まり、たとえやっても直ぐに見つかるものなのです。 しかしそんな話が出てきません。 そこに疑問点が出てきます。

 また「丙種不合格」もおそらくあり得ません。 不合格は「丁種」以下で、身長が余りに低いとか身体障害者であるとかの場合です。 「丙種」は軍隊の現役には適さないが、それ以外の兵役には就けるというもので 「不合格」はあり得ないと思うのですが。 なお1944年ともなると戦局がかなり悪化していましたから、丙種でも召集され始めます。 ですから尚更「丙種不合格」はあり得ないのではないかと思うところです。

 今回の記事作成には、曺様のご投稿が契機となりました。 おかげさまで私も勉強になりました。 こういう議論が出来るのは、うれしいですね。