砧を頂いた在日女性の思い出(5)―宮城道雄(2)2020/11/02

 前回 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/22/9308333 で、「宮城道雄が朝鮮滞在中に作曲した『唐砧』は、朝鮮女性が砧を打つ音を聞いて、それを音楽に取り入れた曲」「宮城が朝鮮の砧の音をメロディー化した最初の人」と論じました。 これについて宮城自身が「朝鮮にて」という回想文のなかで次のように記しています。 

朝鮮に来て誰しも感じるのは砧の音であろう。 殊に秋の夕方にあの音を聴くと何ともいえぬ感じがする。 どこからともなく砧を打つ音がし始めると、そのうちに、あちらからも、こちらからも、聞こえて来る。 あるいは早くあるいは緩やかに、流れるように、走るように、聴く人の心をもまた、その調子に引き込まれる。

私が仁川から京城に移った頃である。夜になるとよくこの砧の音を聴いて、面白いと思っていた。 それからちょっと思いついて作曲する気になったのである。 これが「唐砧(からきぬた)」である。 それは西洋音楽風に、箏と三味線の合奏曲で、四重奏にした。

曲の初めは静かな朝鮮の夜、ことに秋の感じを持たせ、漢江のゆるやかな流れを思わせるような、気持ちを取り入れて合奏曲にしたのである。 これが箏と三味線の合奏の始めであった。そんな動機から作曲を続けるようになった。 (以上は宮城道雄「朝鮮にて」 『新編 春の海 宮城道雄随筆集』千葉潤之介編 岩波文庫2002年11月所収 223~224頁)

 このように、宮城は朝鮮女性から発せられる砧打ちの音を聞いて、名曲「唐砧」を作曲したと自ら記しています。 

 また宮城は朝鮮の家屋に降る雨の音や、朝鮮の厳しい冬の合間の温かい日(三寒四温)に雪解け水が滴り落ちる音を聞いて、「水の変態」という名曲を作曲します。 これについての宮城自身は次のように回想します。

まず春先になると、色々の鳥が来て囀(さえず)ったり、秋になると様々な虫が鳴いたりした。 その上、雨でも降る時は、家が古かったので、軒の雫(しずく)が落ちるのが聞こえたりした。 一体その頃、朝鮮ではバラック建の家が多くて、屋根はトタンが張ってあるので、雨の時にはそのリズムもはっきりと聞こえる。

内地では五風十雨という言葉があるが、朝鮮では冬三寒四温というのがあって、雪などが降ると、その四温の時に、降り積もった雪が解けてシトシト落ちる雫の音が面白い。 まだ年はいかなかったが、それらのことを実感していたので、弟の歌の言葉(『小学読本』所収の七首の短歌)を聞いて作曲する気になったのである。 (『宮城道雄随筆集』222頁)

 宮城の「水の変態」は、私は学校の音楽の時間に聞かされたことがありました。 今もそうなのですかねえ。 おそらく日本のほとんどの方はこの曲名を知らなくても、また邦楽なんか大嫌いだと言う人も、メロディーを聞くと「ああ!あの曲か!」と思い出されるでしょう。 それほどに耳に馴染んでいる曲ですね。 この曲には朝鮮の雨音や雪解け水の雫音が込められているとは、私は近年になって知ったもので、驚いたものでした。

 宮城は朝鮮で暮らしながら作曲した当時を、次のように振り返ります。

私は少年の頃朝鮮に育ったせいか、朝鮮の自然の感じを教えられたような気がする。 今でも暇があったら、朝鮮にいって暢(の)んびりと作曲をしたいと思うけれども、朝鮮も今日ではその頃より開けているから、そんな自然の感じがないかも知れぬ。 (『宮城道雄随筆集』224頁)

 そして宮城は朝鮮人の音楽的素質について、次のように論じます。 

朝鮮人は割合音楽の素質を持っている。 どんな労働者のような者でも、どこかで音楽をしていると立ち止まったり、腰をおろしたりして聴いている。 それが、面白いという感じばかりでなく、真面目に聴いているのである。 また物売りにしても、その呼び声がよいのがいた。 殊に今でも感じているのは、毎日塩を売り歩いていた老人であるが、私の家では、その塩売りの老人を東郷大将と呼んでいた。 その老人の声が品がよくて、私はよく聴いていたことがあった。薪売りが「ナフサリョ」といって売り歩く声も暢んびりと聞こえる。  (『宮城道雄随筆集』224~225頁)

 

日本の人は朝鮮の音楽を、亡国の徴があるというけれども、私は決してそんなことはないと思っている。朝鮮で聴くとなかなか暢んびりとしていてよいものである。

私は官伎(キーセン)の練習所に朝鮮の音楽を聴きに行ったことも、交換演奏をやったこともある。 拍子なども、朝鮮の方が、三拍子、四拍子など取りまぜてあって、変化が複雑である。

先年、朝鮮から正楽団というのが来たことがあった。それは朝鮮の雅楽を研究している楽団で、私が、故近衛直麿さんに紹介して、日本の雅楽を聴かせたことがあった。 その時正楽団の人々がいうには、曲はよいが拍子が朝鮮のから見ると、単調であるように思うが、もっと複雑なものをとったらどうかといったことがある。

朝鮮の音楽は、一の笛で長く引っ張る節をやって、打楽器で三拍子とか、六拍子とかに変化させるのが多い、従って、民謡にしても面白いのがある。 思い出したが、今でも不思議でならないのは、朝鮮人には、調子外れの人というのがほとんどないことである。 語学なども早く覚えるのも、これらに関係があるのではないかと思う。 (以上は『宮城道雄随筆集』226~227頁)

 この中にある「ナフサリョ」はおそらく、「ナフ」→「나무(ナム―木や薪)」、 「サリョ」→「살래(サルレ―買ってくれるか)」でしょうねえ。

 宮城は盲人の音楽家でしたから、朝鮮人の音楽や歌に鋭い関心を寄せており、その音楽的素質を見抜いていたと言えるのではないかと思います。 盲人だからでしょうか、同時代の他の日本人のように「汚い」といったような差別的言葉が出てきません。 そういう意味で、宮城は朝鮮人には純粋な気持ちで接していたんだなあと感じられます。

 宮城道雄の曲には朝鮮の文化や自然からの影響があったことは、もっと知られていいと思います。 それなのに韓国・朝鮮人は在日でも本国でも、宮城に関心がないというのが残念ですねえ。 彼らは宮城の筝曲を身近に感じることができず、逆に朝鮮からの影響なんて全くと言っていいほどにない古賀政雄の演歌の方に馴染んでしまい、“日本の演歌の源流はわが韓国だ”と声高に主張するようになったということです。

 しかしこれはこれで、트로트(トロット―韓国演歌)が今でも韓国で大きな人気を得ている理由や、引いては彼らの民族性を考察するのにいい材料になるのかなあ、とも思います。 (끝 ‐終わり)

【拙稿参照】

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008

砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894

砧を頂いた在日女性の思い出(4)―宮城道雄 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/22/9308333

朝鮮で活躍した宮城道雄      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/05/6435151

「演歌の源流は韓国」論の復活   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/10/6285379

第66題 砧(きぬた) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

第90題 朝鮮の砧  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai

第106題 砧 講演  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai

第107題 砧 講(続)  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai

第108題 「砧」に触れた論文批評  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuhachidai

第109題 ネットに見る「砧」の間違い  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai

第114題 韓国における砧の解説  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku14dai

第115題 다듬이  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku15dai.htm

第118題 砧―日本の砧・朝鮮の砧 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf

北朝鮮の砧               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/22/2523671

砧という道具              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/05/2545952

韓国ロッテワールドの砧          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/11/5080220

韓国ロッテワールドの砧のキャプション  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/12/5082741

「砧」の新資料(1)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/09/6655266

砧ー日本の砧・朝鮮の砧         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/05/6888511

角川『平安時代史事典』にある盗用事例  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485

「砧」と渡来人とは無関係        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192

「砧」の新資料(2)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/10/6656721

「砧」の新資料(3)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/11/6657527

「砧」の新資料(4)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/13/6659222

「砧」の新資料(5)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/14/6659970

「砧」の新資料(6)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/16/6661166

佐藤春夫の「砧」            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/05/8008944

コメント

_ しんのすけ ― 2020/11/12 21:21

韓国の友人にに、 YouTubeの「春の海」を辻本さんの宮城道雄についての説明を付けて送りました。ありがとうございました。

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