「朝鮮漬け」の思い出2020/12/17

 今は日本人で「朝鮮漬け」と言う人はいませんねえ。 「キムチ」のことなのですが、私の記憶では1970年代までは「朝鮮漬け」と言っていました。 日本人は朝鮮漬けは「辛い」「ニンニク臭い」と言って、見ただけで嫌う人が多かったものです。 しかし中には本格的な朝鮮漬けを食べて、「おおー!結構おいしい!」と好きになるというか、はまる人もいましたが、極めて珍しかったです。

 そんな時代に、私がある地方で仕事していた時です。 作業員として働きに来ていた中高年の女性が、「監督さん、『朝鮮漬け』食べるか?」と聞いてきました。 昼食時には監督、作業員、業者等々いろんな人が一緒に弁当を広げていましたから、こんな会話は自然なものです。

 「はい、食べますよ」と答えると、その「朝鮮漬け」を出してくれました。 最初は日本人が作る朝鮮漬けなんて浅漬けみたいなものだろうと思っていたのですが、見ると何と!本格キムチ、本物のキムチです。 色は真っ赤でしたが、食べてもそんなに辛くなく、実においしいキムチでした。

 ビックリして聞いてみると、子供の頃に朝鮮に住んでいて、隣の朝鮮人の家の子と仲良くなった、しょっちゅう遊びに行っていて「朝鮮漬け」も一緒に漬けた、日本に帰ってからも漬けてきたのだが、家族はなかなか食べてくれない、という話でした。

 あー、なるほど、周囲に朝鮮人がほとんどいないような田舎で、日本人女性が一人で昔を懐かしみながら「朝鮮漬け」を作っている事情が分かりました。 だから本格キムチだったのです。

 これと同じ話を、そこから数百キロ離れた地方でも聞きました。 知り合いの家のおばあさんから「朝鮮漬け」をもらったら本格キムチでビックリした、聞いたら昔朝鮮にいた時に仲良くしていた朝鮮人の家で「朝鮮漬け」を教えてもらった、日本に帰っても作ってきた、という話でした。

 離れた場所で同じような話を聞くということは、体験を同じくする女性が非常に多かったと考えられます。 そして日本に帰国して数十年が経つというのに、彼女たちは一人「朝鮮漬け」を作り続けてきたということなのです。

 植民地時代は日本人と朝鮮人とは緊張関係ではなく、このようなほのぼのとした文化交流があったことはもっと強調されていいと思います。 しかしその成果が孤立した日本人女性によってほそぼそと続けられただけで、周囲に広まらなかった事実に残念な気持ちになります。

 戦後在日朝鮮人は日本社会の中で暮らしてきており、女性たちは家の中でキムチを工夫しながら漬けてきました。 しかし在日朝鮮人と隣近所の日本人は交流があったはずなのに、日本人が在日朝鮮人の家からキムチの作り方を教わったという話は全くと言っていいほどにありません。 また在日朝鮮人側も、どうせ日本人はキムチが嫌いで食べないからと教えることはなかったようです。

 古く植民地時代は朝鮮人と日本人との交流があってキムチの作り方を教え学ぶ関係があったのに、戦後の在日と日本人との間にはそれがなかったというのは、これまた残念ですねえ。

 そして日本人が本格キムチを食べるようになった最近の2・30年間に、今度は在日女性がキムチの漬け方を知らず、キムチは母か祖母から貰うだけ、あるいは日本人と同じようにスーパーで買うだけとなりました。 在日社会ではキムジャン(キムチを漬けること)文化が絶えつつあると言えるでしょう。

 ところが今、韓流ファンの日本人女性たちが韓国料理の講座を受けてキムチの漬け方を習っている話を聞くようになりました。 私には隔世の感があります。 いい時代になりましたね。