植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい2021/08/10

 2021年8月3日付けの拙コラムに、長文のコメントが付きました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045  その中に次のような一文がありました。

朝鮮人も京城帝国大学卒業し高等文官試験に合格すれば、日本人の部下をもつ朝鮮人高級官僚の誕生でした。 また東大卒、京大卒などの朝鮮人高級官僚もいました。 朝鮮人道知事の誕生は、日本が国家として、朝鮮人の上司と日本人の部下を認めた極めて画期的な政策です。 朝鮮人の下に日本人を置いてもいい政策を採ったのです。

 このコメントには外地手当のことが記されていません。 植民地朝鮮において、日本人には6割の外地手当が支給されたのに対し、朝鮮人にはその支給がありませんでした。 ですから同じ職場で同じ仕事をしていても日本人は朝鮮人より6割高い給与をもらっていたし、また「朝鮮人の上司と日本人の部下」の場合、部下の日本人が上司の朝鮮人より高い給与を貰うこともありました。 これは露骨な民族差別だと思うのですが、あまり知られていないようですね。

 また京城帝国大学についてですが、これについては東京大学の「京城帝国大学の基礎的研究 ― 日本統治下朝鮮における帝国大学の制度・組織とその展開 ―」という論文のなかで、次のように論じられています。 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2017/6268.html

ごく少数の学歴エリートである京城帝大卒業生は朝鮮統治に関わる政治エリートでもあったが、彼らは京城帝大卒業という同じ学歴を持ちながら、就職後は日本人と朝鮮人とで民族籍の違いにより異なる待遇を受けるという帝国日本統治下の差別構造を体現する存在でもあった。

 このように植民地下において、朝鮮人は京城帝国大学という最高学府を卒業しても差別されていました(差別の内容は後述します)。 これは日本と朝鮮が宗主国と植民地の関係にあり、日本人と朝鮮人とでは法的地位が違っていたという厳然たる事実によるもので、両者の同等はあり得なかったのでした。

 その京城帝国大学では、学生の定員は朝鮮人1に対し日本人2~3の割合に固定されていました(学部によって違う。1937年以降は0.8対1.0程度)。 そして朝鮮人は京城大の教授になることが出来ませんでした。 典型例が京城大一期生である兪鎮午です。 彼は日本人学生らを制して京城大をトップで合格し、当時の新聞にも報道されるほどでしたし、在学中の学業も優秀でした。 しかし彼は官僚の道をあきらめ、教授への道もあきらめざるを得ませんでした。

 ところで植民地下の朝鮮人の若者エリートの多くは日本(当時は内地)に留学していました。 これには以下のような事情がありました。 もともと朝鮮の若者エリートは、それ以前の李朝時代だったら科挙があって、それに合格すると官職に登用されて出世の道を歩むものでしたが、植民地時代にはその科挙は廃止されました。

 そのため若者の目標は、科挙の代わりに大学に行くことと観念されました。 京城大は朝鮮人の入学制限がありましたが、日本内地の大学にはそんな制限がありませんでしたので、朝鮮の若者の多くは東京等の大学を目指したのでした。

 しかし大学を出て朝鮮に帰国して就職してもせいぜい中間管理職止まりで、更に上層への出世が難しいことが分かってきました。 朝鮮人にとって「高級官僚」だったでしょうが、部局長クラスまで行くことはなかったのです。 朝鮮総督府の最高位の部署や地位は、日本人が独占していたのです。 一所懸命日本語を勉強して日本に留学までしても、出世には限界があるという現実を目の当たりにするのですね。

 植民地時代、支配者側の日本人と被支配者側の朝鮮人との間にあった差別は、目に見える差別でした。 同じ大日本帝国臣民でも、日本人と朝鮮人との間には明確な差別が設定されていたのです。 当然朝鮮人側から日本統治に対する疑問が生まれます。 彼らの多くが民族独立運動(=反日)に流れていった背景には、こういった事情があります。

 日本はこのような民族差別政策を植民地時代の最後まで継続する一方、朝鮮人を日本人と一体化させようとする、いわゆる「皇民化政策」「内鮮一体」を打ち出します。 これは今では韓国などから「民族抹殺政策」などと評価されているものですね。

 植民地時代末期になると、朝鮮人指導者たちの方からも自分たち朝鮮人の地位向上(=差別解消)のために「皇民化・内鮮一体」を推進し、朝鮮が日本に同化する「内地化」を目指すようになりました。 具体的に彼らは、朝鮮人にも徴兵適用を! 学校に行って日本語を学んで常用しよう! 日本風の名前を付けよう!と呼びかけたのでした。

 しかし敗戦=朝鮮の解放によって挫折したため、民族の地位向上(差別解消=内地化)に努力した指導者たちは「親日派」と指弾され、歴史の藻屑のごとく消え去りました。

 なお念のために言っておきますが、植民地の人間が宗主国の人間より地位が低いのは、世界的・普遍的に見られるものです。 その差別政策はそれぞれの植民地によってバリエーションがあるのであって、日本の植民地である朝鮮も特徴ある差別政策が施行されていた、ということです。 その「特徴」を過大評価して、日本は朝鮮を植民地にしたのではない、と主張する人が見受けられますが、間違いです。