植民地朝鮮における日本人の差別・乱暴2021/08/21

 日本が朝鮮を植民地として統治していた時代、日本人が朝鮮人に対してどのような振る舞いをしていたか。 やはり乱暴な日本人が多かったようです。 朝鮮人は日本人の差別発言や乱暴狼藉を見聞きし、また時には自分もその被害者になりましたから、日本人に対して悪感情を持つようになります。

 このような状態が広まると植民地統治に影響を与えますから、朝鮮総督府は日本人に対し、朝鮮人も同じ天皇の赤子なのだから差別・乱暴を止めるように呼びかけます。 それでも言うことの聞かない日本人も少なくなかったようです。

 具体的にどのような差別・乱暴なのか。 2年前の拙ブログで、その一端を示すものを提示しました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083 これは朝鮮総督府の秘書官である守屋英夫が大正時代に行なった講演の一部です。

 彼は次のように日本人の差別・乱暴の例を挙げ、朝鮮人との和睦を訴えています。 拙ブログから再引用します。 出典は朝鮮総督府の定期刊行物である『朝鮮』(大正11年1月号)です。 なお当時は、日本人を「内地人」と称していました。

『民族及び歴史』という雑誌の満鮮研究号に喜田貞吉博士の談が載っていますが、博士が内地人の車夫の人力車に乗って行きますと、すぐ前に朝鮮の紳士を乗せた朝鮮人の車夫が駆けて行ったそうです。 すると内地人の車夫が全速力で追いついたかと思うと、幌を捉えて車を引き止め、驚いて見返る朝鮮の紳士と車夫に向かって「バカ野郎、気をつけろ」と言い放った。 そこで博士が「いくら何でも、前に行く車を引き止めてバカ野郎呼ばわりをするのは酷いじゃないか」とたしなめてやりましたところ、「なに、あなた、ああでもしなけりゃ、つけ上がりますから」と言ったそうであります。 これなども実に乱暴な次第であって、実に内地人として恥じ入らねばならぬと思うのであります。(44頁)

ある日内地人の宅へ朝鮮の婦人が大根を売りに行きますと、そこのお内儀(かみ)さんが「お前さん等はよくウソを言うから調べてみなけりゃいけない。 中が空洞になっているであろう」と言って一本の大根を切った。 「これはいいが、後のはたぶん悪いに違いない」と言いつつ、残っている十本ばかりをみんな切ってしまい、その中からたった一本だけ買った。 そう切られては困るから、どうぞ全部買って下さいと懇願したけれど、その内儀さんは肯かない、果ては大声でわめき立てるので、やむを得ず切られた大根を集めて隣の家に行って、泣いて事情を訴えた。 幸いその人は分かった人であったので、全部の大根を買った上で慰めて帰したというような話も聞くのであります。(44~45頁)

いま総督府の勅任官(本省の次局長級、あるいは府県の知事級)になっておられる某氏(朝鮮人)が帝大専科の学生であった際、休暇に朝鮮に帰ってきて本町通り(京城の繁華街)を散歩しながらガラス張りの店に飾った品物を見ようと立ち寄っていると、店から番頭が出てきて「お買いなされ、お買いなされ」とうるさく言う。 何も買うつもりで立ち寄っているのではないから、適当な値を言ってやると「バカ野郎」と言いさま、横面を殴り飛ばされたということです。 それがとにかく朝鮮の俊秀として帝国大学に学んでいる人である。 将来の、経世の理想を行なおうとする有為の青年が、理不尽に丁稚小僧のために大通りで殴られるというようなことは、感情の問題として実に耐えられないことです。(44頁)

朝鮮に来ている内地人が悪いだけでなく、大体において日本人全体が訓練されていないため‥‥内地人が明瞭にその欠点をさらけ出し、恥を内外に晒しているのであります。(46頁)

慶尚南道の面長(村長に該当)等からなる内地視察団が大阪を通ります時に、二等車に細君を連れた内地の紳士が入ってきて、朝鮮の人を見るや、顔をしかめながら「ああ汚いこんな所に乗れるものか」と言った。 面長の中には、内地語を解する者があったので、この言葉を聞いて腹に据えかねたように見えたのでありますが、たまたまその向こう側に腰掛けておった内地の紳士が「ああいうバカ野郎がいるから、いけない」と言って取りなしてくれたので、同伴の内地属官なども大変気持ちが良かったということであります。(46頁)

奈良の駅では、中学生の生徒らしい者が「朝鮮人のくせに二等に乗るとは生意気だ」と聞えよがしに二度も三度も列車の前を通りながら言い放ったので、皆が憤慨しておったということも聞き及んでおります。(46頁)

だいたい内地人には共通の欠点があります。 それは欧米人が来ると乞食が来ても敬意を払わんばかりでありますが、朝鮮人、支那人その他になりますと高官大官でもややもすると軽蔑し、劣等視するのであります。 この欠点は速やかに除去しなければなりませぬ。 何も朝鮮人、支那人、印度人と申しても軽蔑すべきではないのであります。 また欧米人であるからと言って、一から十まで偉い者ばかりではないのであります。 等しく人格者として敬愛する上に差等を設けるべきものではない。 このことは将来日本の教育上、是非改善しなければならぬ事項と思うのであります。(45頁)

内地の朝鮮人留学生もその通りでありまして、その大半が排日学生になって帰ってくるというのは、内地の人々から軽蔑もしくは冷遇される結果、内地人を信頼するという感情を持ちかね、むしろ疎んじ反抗するようになって帰ってくるのであると思うのであります。 朝鮮内地においては不逞鮮人を捕らえたとか逃したとかいって警務局が大騒ぎをしているのでありますが、現にわれわれ内地人の浅慮短識により、もしくは不用意な言動により、自ら京城なりまたは東京の真ん中において何百人という不逞鮮人の卵を孵化しているのであります。 先ず内地人自らなぜ朝鮮人の信望がなく、かつ人格的感化が認められないかについて深く省み、速やかにその態度を改めるようにならなければならぬと思うのであります。(46~47頁)

 最後のところで、守屋は「われわれ内地人の浅慮短識により、もしくは不用意な言動により、自ら京城なりまたは東京の真ん中において何百人という不逞鮮人の卵を孵化している」と書いているように、日本人の朝鮮人に対する差別・乱暴が朝鮮人を「不逞鮮人」にしているのだと、日本人側の責任の大きさを訴えています。 

 そして「内地人自らなぜ朝鮮人の信望がなく、かつ人格的感化が認められないかについて深く省み、速やかにその態度を改めるようにならなければならぬ」と、日本人側の反省を求めています。 

 総督府のお役人さんが講演でこう訴えねばならないほど、当時は日本人の差別発言や乱暴な振る舞いが頻発していたということですね。 こういう差別・乱暴は、加害者側は直ぐに忘れますが、被害者側はいつまでも記憶しているものです。 被害者側の心のわだかまりはなかなか消えないということを、加害者側は理解しておくべきでしょう。

 日本統治時代に日本人と朝鮮人がどんな関係にあったか。 植民地であったことからくる制度的差別だけでなく、自分たちの優越感をそのまま朝鮮人にぶつけるような心無い日本人が多かったという事実は、忘れてはならないものです。 以上は戦前の植民地時代での話です。

 なお戦後日本人の朝鮮人差別感情および近年の在日・韓国へのヘイトクライムは、上述の植民地時代のそれとは違ったレベルにあります。 ですから同じ次元で扱ってはいけないと考えます。 これについては、また後日に論じます。

【拙稿参照】

朝鮮総督府における給与の民族差別 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/17/9411320

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660

朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045

植民地時代のエピソード(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083