在日活動家 李さんの思い出2021/09/09

 1980年頃のことだったと思います。李さんという活動家がいました。大学時代は朝鮮文化研究会の部長をしていて、卒業後、民族差別と闘う団体に入って活動していました。 同胞のミニコミ誌に、身近で起きたことなどをエッセイにして書いていました。 人の表面ではなく裏というか本音の部分を書くことがありましたので、そこそこ面白いものでした。

 ある時彼は、在日一世で一人暮らしのおばあさんが交通事故にあって大怪我をしたと知って、このおばあさんの世話を焼くことにしました。 事故は単車を乗り回していた高校中退の若者におばあさんが轢かれたというものでした。 彼は病院の見舞いに行ったり、弁護士を紹介するなどの支援をしていました。 彼の意図は、一世のお年寄りを世話することによって、その方からこれまでの人生の話や今の気持ちなど(身世打令―身の上話)を聞き取り、日本の民族差別を告発するようなエッセイを書こうとするものでした。

 ところがこの一世のおばあさん、もう亡くなられたご主人というのが近所でも評判なほどに優しい人で、だから日本での生活にほとんど苦労なんかしたことがないと言うし、また日本人から何か酷いことを言われたとかいうような被差別体験もないとも言うのでした。

 さらに交通事故で、加害者側はこちらが朝鮮人だと知って酷い差別発言をするものと思っていたら、相手側の加害者もまた朝鮮人だったということでした。 事故は、高校中退の不良少年が友達の家の駐車場に置いてあった単車を盗んで乗り回していた時に起こしたものでした。 さらにその親は息子の不良ぶりに腹を立てて勘当しており、そんな事故なんか知らんと突き放していたのでした。

 李さんは、朝鮮で生まれて来日した在日一世の被差別体験、そして日本人が交通事故で偶然に朝鮮人に出会った時に飛び出す差別発言をエッセイに書こうとしたのですが、そんな話は全く出てくることはなかったのでした。 結局、彼は書くことを諦めました。

 日本は差別社会であり在日は差別の被害者であるという固定観念は、実際の在日の生活像とは大きく違うということです。

 これは40年ほど前にあったことです。 今思い出しながら書いてみました。