17世紀の「三韓」の用例(李朝実録と石碑)2021/09/16

 朝鮮王朝実録(日本名は李朝実録)に「三韓礼儀之邦」という言葉を見つけました。 はて、何?

 壬辰丁酉倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)が終わって17世紀に入ると、満州女直を統一したヌルハチが後金(のちの清)を打ち立てて中国の明を攻撃します。 明は朝鮮に援軍の派遣を要請するのですが、時の朝鮮国王である光海君は勢力優勢な後金を見て、この要請に応じませんでした。

 しかし朝鮮国内では国王反対派が形成されました。 彼らは壬辰丁酉倭乱の国家滅亡の危機の際に明からの援軍によって国を守ってもらったにも拘わらず、その明の危機に援軍を派遣しないのは「礼儀」に反すると主張しました。 そしてクーデターを起こし、光海君を追放します。 彼らが代わりに担ぎ出した国王が仁祖です。 そして王大妃の名前で光海君の非を次のように難じました。

皇勑屢降, 無意濟師, 使我三韓禮義之邦, 不免夷狄禽獸之歸 (仁祖元年(1623)3月14日)

 現代文に訳しますと、

(援軍を出すよう明帝の)皇勅がしばしば降ったにもかかわらず、兵を出す気がなく、わが三韓礼儀の邦を夷狄禽獣の域におとしめた。(田中明の訳)

 仁祖はわが朝鮮が「三韓礼儀の国」だからとして滅亡寸前の明国に義理立てし、明の味方をしました。 その時に自分たちの国を「三韓」と表現したのです。 朝鮮は礼儀を尊ぶ国であるという意味で「三韓礼儀之邦」と言ったのでした。

 朝鮮は「礼儀」を守ったがために、夷狄である清と対立します。 清は二回にわたって朝鮮に攻め入りました。 朝鮮は完敗し、仁祖は清に惨めな降伏をします。 朝鮮は清の属国となりました。 その証として、清は三田渡(今のソウル松坡区)に「大清皇帝功徳碑」を建てます(1639)。 その石碑の碑文の最後の方に、次のような文言があります。

大江之頭、萬載三韓、皇帝之休

 訳しますと、

そびえ立つ石碑を大きな川辺に建てたから、三韓で万歳にわたって皇帝の徳が輝くだろう (ウィキペディアによる)

 これは、朝鮮はこれから1万年にもわたって中国に隷従すると宣言したという意味です。 ですから、石碑は1987年の大韓帝国成立までの約350年間にわたる中国―朝鮮間の主従関係を内外に示したものとなります。 その碑文のなかで、朝鮮を「三韓」と表現していることが分かります。

 中国の明が滅び、清が勃興する17世紀に、李朝実録という公式資料と中国との外交資料とも言える石碑の二つの史料に「三韓」が出てきていることを紹介しました。

 李朝実録の方は朝鮮自身が自国を「三韓」としており、石碑の方は中国が朝鮮全体を指し「三韓」としています。 つまり「三韓」は朝鮮の別称として、朝鮮本国だけでなく中国でも用いられていたことを示しています。

 そして「三韓」は、朝鮮・中国だけでなく日本や沖縄でも古くから半島南部ではなく半島全体を指し示すものでした。 拙ブログではそのことを多数の資料を提示して証明しました(下記拙稿参照)。 今回はこれに、17世紀李朝時代の公的資料を追加するものです。

 これらの資料からはっきり言えることは、「大韓民国」の国名である「韓」の淵源となったのはこの「三韓」であるということです。 ところが今の韓国の歴史界では、「三韓」は前1世紀~2世紀に朝鮮半島南部で割拠していた「馬韓・弁韓・辰韓」を指しており、この時期を「三韓時代」と時代設定しています。 つまり「三韓」は半島南部であって、半島全体ではないというのが、今の韓国の歴史の考え方です。 この考え方は、「三韓」が朝鮮(高麗・新羅も含む)の別称として千数百年にわたって東アジア全体で使われてきたという歴史事実を無視している、と言わざるを得ません。

 朝鮮の異称としては「青丘」「鶏林」「槿域」「三千里」「海東」などがあるのですが、もう一つ「三韓」を加える必要があります。 そしてこれが韓国の「韓」の淵源になるのです。

【拙稿参照】

「三韓」の用例(1)―中国古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/08/7664404

「三韓」の用例(2)―朝鮮古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/13/7667715

「三韓」の用例(3)―日本古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/18/7671200

「三韓」の用例(4)―朝鮮古代金石文  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/22/7678138

「三韓」の用例(5)―中国古代金石文  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/26/7680561

「三韓」の用例(6)―沖縄金石文    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/30/7690495

「三韓」の用例(7)―朝鮮王朝実録   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/04/7697561

「三韓」の用例(8)―近代日本     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/10/7704555

「三韓」の用例(9)―「三韓」で一つの言葉  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/14/7707210

「三韓」の用例(10)―まとめ     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/18/7709750

「韓」という国号について(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/09/7630067

「韓」という国号について(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/14/7633517

「韓」という国号について(3)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/19/7636889

「韓」という国号について(4)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/24/7645246

「韓」という国号について(5)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/29/7657652

「韓」という国号について(6)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/03/7661140