妻の体を売る―『朝鮮雑記』2021/09/26

 去る6月30日付けの拙ブログ「金九―『妻の体を売ってでも美味しいものを』」で、今の韓国人が最も尊敬する歴史上人物の一人である金九が、日本植民地下で監獄生活を送るなかで「妻を売ってでも美味しいものを思うぞんぶん食べたい」と考えていたという歴史資料を紹介しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/30/9392997

 そうすると『朝鮮雑記』を読みなさいというコメント投稿がありました。 そこでこの『朝鮮雑記』について、少し書きます。

 1890年(明治23)から94年(同27)にかけて朝鮮に旅行・滞在した本間九介は、朝鮮で見聞あるいは体験した話を『朝鮮雑記』という本にして出版しました。 2016年(平成28)に祥伝社より現代語訳が出ています。 当時の朝鮮社会の様子をかなり赤裸々に書いています。

 その直後の1894~97年にイギリスの女性旅行家のイザベラ・バードが朝鮮を旅行して、旅行記を出版しました。 こちらは東洋文庫『朝鮮奥地紀行1・2』(1993・94年)、講談社学術文庫『朝鮮紀行』(1998年)として翻訳されています。

 ここで本間の『朝鮮雑記』をイザベラの『朝鮮紀行』と比べながら読んでみると、当時の朝鮮社会の描写に共通するところが多く、本間の言には真実性が感じられます。 ですから、この本は想像や空想で書いたものではないと断言できるでしょう。 李朝時代の朝鮮社会を知るのに貴重な資料であると言えます。

 その『朝鮮雑記』に、次のような記述があります。

娼妓   かの国(朝鮮)の娼妓は、すべて妻妾である。人の妻妾でなければ、娼妓になることはできない。というわけで、その夫の生活の資金は。娼妓である妻がかせぐ。  夫は、みずからの妻の客を引き、また、みずから馬(客の家に行って、未払いや不足金を取り立てる)となって、揚げ代の請求に来る。これはかの国の社会の通常である。夫は、まさに娼妓の夫であり、いわば、妓夫(客引き)の観がある。破廉恥、ここに極まれりというべきだろう。     妻は、その股間にある無尽蔵の田を耕して、夫を養う。(74頁)

妻を客人に勧める   朝鮮の内地(内陸部)では、金さえ出せば、どこの家の亭主も、その妻妾を客人の枕席に侍らせる(共寝をさせる)。 これは、亭主との和談の上のことである。一ヶ月で10円前後を支払うという。わが国(日本)の商人で、内地に長期滞在するものにも、この悪習にならうものがある。(78頁)

 これは、金九が監獄生活を送っていた時の思い出に「妻を売ってでも美味しいものを思うぞんぶん食べたい」と考えたというエピソードの裏付けとなるものです。 つまり金九だけが個人的にそう考えたのではなく、当時の朝鮮社会では妻を売るということに大した抵抗感がなかったということです。 

 なお「妻を売る」は当時の朝鮮社会の中・下流階級(常民や賤民)の話で、上流階級である両班の場合は全く違った様相を呈します。 これについては後日、話します。

【拙稿参照】

金九―「妻の体を売ってでも美味しいものを」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/30/9392997

伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/29/9146768