「通常‐両班社会」と「例外‐軍亊政権」―田中明2022/06/07

 これまで韓国の進歩勢力(586運動圏等)は李朝時代の両班の再来であり、韓国は両班社会の道を歩んでいるとするキム・ウンヒ博士の所論を紹介しました。

「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/17/9491298

李朝の「両班」理念が復活した韓国(2)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/24/9493453

李朝の「両班」理念が復活した韓国(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/31/9495653

 これによく似た主張をしたのが、かなり古くなりますが、田中明さんです。 田中氏は1970年~2000年代初に韓国に関する論考や本を多数書いていました。 そのうちの一つが『韓国政治を透視する』(亜紀書房 1992年11月)で、1961年の軍亊クーデター以前の韓国社会を「通常」、クーデター以後を「例外」として論じ、前者の「通常」が両班社会だとしています。

 まずはこの「通常」から、紹介します。 これは解放(1945年)以後、軍事クーデター(1961年)までのことです。

韓国の「通常」とはどういうものだろう。‥‥ ある社会において「通常」とは、その社会がムリなくおのずと醸し出した、それゆえにその社会の土壌にぴったりと合った、人間の存在様式と言っていいだろう。 韓国政治における「通常」とは、保守有産層の人々が離合集散しつつ繰り広げてきた権力争奪戦だった。(5頁)

解放直後から延々と命脈をたもってきた韓国の政党は、共産勢力の進出に危機感を抱いた地主・事業家・官僚らによって作られた韓国民主党の流れで、金泳三氏や金大中氏(民主化勢力である)もそのなかで政治家になる腕を磨いてきた。‥‥ この人たちは、おおむね王朝時代の支配層・両班の家門に属する人びとであり、おのずから伝統的性格を色濃く有していた。(5頁)

この両班というのは‥‥自分が民を教化し支配する有資格者であると信じて疑わない人びとだった。彼らは‥大義名分(イデオロギー)を論じることには長じていたが、概して実用の学には弱く、肉体を使う武事や労働を卑しんだ。‥‥富国強兵という課題を担わざるを得なかった近代国家の経営者の資質としては、望ましいものではなかった。 ‥‥解放韓国の政治を担った人たちは、伝統社会から両班の作風とその政治感覚を濃厚に受け継いでいた。(5~6頁)

 1945~61年の間、両班の遺風を受け継いで韓国政治を担っていた「保守有産層」が、この「通常」の時代の主人公でした。

 その次は「例外」です。 1961年軍事クーデター以降の時代となります。

1961年、朴正熙将軍らによって起こされた軍事クーデターと、それによって生まれた軍人政権は、朝鮮半島の政治・文化史上、まことに稀有なものであった。 あの国の歴史のなかに軍人政権の前例を求めようとすれば、700年前の高麗時代後期まで遡らなければならない。 以来、李朝500年を間において、文民優位・武人蔑視の風潮で貫かれてきたのが韓国社会だった。 従って、あのクーデターでは軍人という‶人種″が執権するなど考えられないところだった。(3~4頁)

クーデターの実行者たちは、そうした(両班の遺風を残す)旧い政治家、旧い政治風土への異質な挑戦者だった。 開発途上国の多くがそうであったように、当時の韓国でも、軍人は最先端のテクノラート集団だった。 大規模な組織管理や、政策の企画策定にかんする訓練を体系的に積んだ集団は他になかった。 そして何よりも彼らは、体を使うことを厭わぬ実践家だった。(7頁)

朴政権はそうした従来の「国」(両班社会)を、農民たちも我がものと思えるような「近代国民国家」に組み替えようとした。 朴氏は軍人だが、軍事についてはほとんど語らず、ひたすら経済建設に心血を注いだ。 国を富ませ、国民に安定した社会を与えること。 そうすれば、そこで得られた安定感が、こんどは国を守ろうとする国民相互間の紐帯を育て上げ、国際社会を生き抜くことを可能にする――と彼は考えたのである。 そのために彼は危険な道を行くことを厭わなかった。(8~9頁)

朴将軍らのやったこと(軍人が政権を担うこと)は「例外」中の例外事だった‥‥ そうしたことに日本人は長く気付かなかった。 一つには戦後の日本が付き合い始めたのが朴政権の韓国だったからであろう。 韓国事情にうとく、歴史的には武人政権には慣れている日本人には、それが例外であることに気付かず「通常」の韓国だと錯覚したのである。 それが「漢江の奇跡」といわれるような目覚ましい経済建設を成し遂げたことによって、日本人の錯覚を一層強めた。それほどの成果を上げた政権なのだから、それは韓国の体質に合ったものであり、例外的な存在だとは思えなかったのである。(4頁)

 「例外」の時代は、軍人政権が韓国を近代化し、国を経済的に豊かにした時代だと論じています。

 一方両班の後裔であり「通常」社会時代の主人公であった保守有産層は、この軍人政権下では野党となって政権を「非民主的独裁政治」と糾弾しました。 ですからこの時代の韓国政治は、「強権支配」の軍事政権与党と「民主抵抗」の野党勢力の対立という構図になります。 

 これが世界に喧伝されて、野党は軍事独裁政権から弾圧されている民主主義者として世界中から同情を集めます。 そして日本でもこの当時、韓国の民主化闘争に連帯する活動が盛んでしたね。

 なお今では信じられないでしょうが、当時の韓国では大学生は富裕家庭の子弟が行くところでした。 その彼らが学生運動として、民主化闘争に参加したのです。 ですから学生たちが軍事独裁政権に抗して反体制運動したというのは、当時の野党勢力が「保守有産層」であったことの延長にあると考えれば、特に違和感のあるものではありません。 

 ちょっと極端に模式化すると、両班から支配を受けてきた下層階級が右派となって近代化を推進する軍人政権を支持し、前近代の両班を受け継ぐ上層階級が左派となって軍人政権に対抗した、ということになります。 そして朝鮮史を概観すると、後者が「通常」の姿であり、前者が「例外」の姿だったというのが田中明さんの考え方です。(続く)

コメント

_ 大森 ― 2022/06/09 02:31

田中明懐かしいですね。
植民地下の韓国育ちで戦後朝日新聞を経て翻訳家として独立。韓国に対しては割と辛口な論評だったが韓国をわが故郷と考える数少ない日本人だった。
この本はリアルタイムの韓国政治を伝統的な政治文化を背景に論じた本で、最初に軍事政権時代を例外の時代と断じたところがキャッチーで目からウロコ。
今読んでも十分価値ある本。
やっぱり韓国育ちなので皮膚感覚で韓国を理解できる人ではなかったかと。

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