『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(2)2022/08/03

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/30/9513291 の続きです。

 「外国から帰ってくると再入国許可を受けなければならず」。 在日は外国人ですから、海外に出る際には再入国許可が必要なのは当たり前です。 もしこの許可なしに海外に行くと、日本での在留資格を失います。 こんな当たり前のことを、わざわざ言うことが理解できません。

 「就職でも差別を受ける」。 1970年代までは、その通りでした。 ある大学では成績優秀者に就職の際に推薦書を出すのですが、一人の在日がこの推薦書をもって有名企業を受けました。 しかし朝鮮人であるという理由で断られました。 しかも面前ではっきりとその理由を言われたのでした。 そのため悲観した当人は自殺したという悲しい出来事が本当にあったのが、1960年代後半でした。

 しかしいわゆる日立裁判によって、朝鮮人という理由でもって就職を断ることは不法であると判決されたことが契機になって、露骨な就職差別はなくなりました。 それ以降、在日の就職状況はよくなっていきした。 1990年代以降には私の周辺でも、あそこの在日の子供さんがあの有名大企業に就職したというような話がしょっちゅう聞こえるようになりました。 在日の就職状況は格段によくなりました。 在日の就職差別は過去の話であって、現在の話ではないと考えます。

 「最近は右翼団体の攻撃に苦しんでいる」。 右翼団体のみならず、ネットウヨなども露骨に嫌韓発言をしますねえ。 ちょっと頭の構造がおかしいと思えるようなレイシストたちがヤフコメなどに投稿したり、時には電車内や道路上で周囲に聞こえるような差別発言をします。 こんな悪質レイシストの中から、有本匠吾のような犯罪者が出てくるのでしょう。 「日本には人種差別はない」とか言う能天気な人がいるようですが、馬鹿なことは言わないでほしいと思います。 ここは公安当局の強力な取り締まりを求めたいところですね。 

 なお韓国でも、こちらが日本人で韓国語を知らないと思っているのか、「チョッパリ」とかの差別発言する韓国人がいますねえ。 路地裏の飲み屋なんかでは、それがさらに激しくなります。 私は経験ありませんが、割り箸や時には焼酎の空瓶が飛んでくることがあるようです。 これにも言及してほしいですね。

70年代初め、在日2世の朴鍾碩(パク・チョンソク)さんは、入社志願書に日本名だけを記載して韓国人であることを隠したという理由で就職を拒否されたが、訴訟で勝利し、差別を勝ち抜いた。

 これは前述した日立闘争のことです。 この中村さんの説明に、大きな間違いがあります。 日立が就職を拒否した理由として前面に掲げたのは、本籍欄に父母の住所地(愛知県)を書いたからです。 本来は「韓国」と書かねばなりません。 つまり志願書に虚偽記載があったというのが最大理由でした。

 ただしこの理由は表向きのことで、本当の理由は朝鮮人だからでした。 このことが裁判では明らかとなったので、就職拒否は不当と判決されたのでした。 (続く)

【拙稿参照】

『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/30/9513291

電車での嫌な出来事      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/06/9323886

在日韓国人と華僑―成美子  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/09/25/8964788

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573

『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(3)2022/08/06

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/03/9514505 の続きです。

 前回は、記事の中で中村さんの発言(カッコ書きされている)部分から、私の抱いた違和感というか疑問を提示しました。 次に記事の地の文から、彼に対する私の感想を書きます。 まずは彼の生い立ちです。

在日2世の韓国人の母親と、日本人の父親の間に生まれた彼は

 生い立ちは、このようにごく簡単に紹介されています。 彼は1969年生まれですから、両親の結婚は1960年代と推定されます。 この時代に、日本人男性と朝鮮人女性の結婚は大変だったろうと想像できます。 なぜなら、どちらも家族・親族から猛反対を受けたでしょうから。

 当時は朝鮮人への差別はすさまじいものでした。 日本人男性がこの人と結婚しますと家族に紹介したら猛烈に反対され、それでも結婚しますと意思を貫いたら、親戚連中に知らせることなく式も挙げなかった、というような話をよく聞いたものです。

 朝鮮人女性の方も、日本人と結婚しますと言えば、これまた猛烈に反対されました。 当時の朝鮮人たちの考えでは、男子が日本の女と結婚するのはまだ許せるが、女子が日本の男と結婚するのは絶対にダメ、というものでした。 1960年代後半頃でしたか、余りの反対に絶望した朝鮮人女性が自殺するという事件が起きました。 このためにこの地域の在日朝鮮人社会では、娘と日本人男性との結婚は最初は一応反対するが、結局は仕方ないと諦めるようになったという実話を聞きました。

 中村さんのご両親はどうだったのか分かりませんが、おそらくは親族・親戚からの祝福を受けずに結婚されたのかなあと想像します。

在日コリアン3世として波風のない人生を送ることができなかった。‥‥彼は幼い頃から母親に向けた父親の差別的な言葉を聞きながら育った

 父母が日本人男性と朝鮮人二世女性で、その間に激しい葛藤があったのですねえ。 父親の母親に対する差別言動、これが彼のアイデンティティに大きな影響を与えたようです。

一時は「朴一成(パク・イルソン)」という韓国名だけを使ったりもしたが、就職する時期には「中村一成(かずなり)」という日本名を使った。毎日新聞記者として働いていた時、多くの在日朝鮮人に会って考えが変わり、自分のアイデンティティを隠さないために両方の言葉の名前を使っている

 中村さんは、アイデンティティに重要な名前をこれほどに変えてきたということです。 当時の戸籍・国籍法からすると、彼は父親の戸籍に入りますから、国籍は日本の単一国籍で名前は父親の「中村」となります。 この父系主義は韓国でも同様で、彼は韓国の法律からしても韓国籍ではあり得ず、名前も母の「朴」ではあり得ません。 北朝鮮も同様です。

 つまり彼のアイデンティティの裏付けとなる国籍と本名(法律名)は、日本でも本国でも、日本国籍の「中村一成」です。 ということは「朴一成」は通名です。 ですから彼は本名と通名の二つにアイデンティティを置いていることになります。

 自分のアイデンティティをどう考え、本名と通名をどう使うかは、本人の自由な選択に任せるべきことです。 ただ在日の中には、本名や国籍を隠そうとする性向が見られるのは残念ですね。 その点、中村さんはそれを隠さずに「両方の言葉の名前を使っている」とありますので、ここは好感を持ちます。

中村さんは、在日朝鮮人は植民地出身という認識がいまも日本国内に広がっていると話した。強制徴用被害者に賠償せよという韓国最高裁(大法院)の判決を日本企業が無視する状況も、同じ理由だと説明した。

 日本側が有している「在日朝鮮人は植民地出身という認識」は「今広がっている」のではなく、1945年の敗戦以降から続いて現在に至っているものです。 これは前記したように、在日には「特別永住」という、他の外国人から比べると特段に恵まれた在留資格を与えていることから、はっきり指摘できます。 在日は植民地出身だからこそ、外国国籍を維持しながら限りなく日本人に近い恵まれた権利を有しているのです。

 「強制徴用被害者に賠償せよという韓国最高裁(大法院)の判決を日本企業が無視する状況も、同じ理由」というのは、いかがなものですかねえ。 文面をそのまま読めば、中村さんは、日本企業は「在日が植民地出身という認識」をすれば韓国の最高判決を受け入れると思っているようです。 あまりに理解し難い内容です。 彼は韓国の反日民族主義に迎合しようとして、ハンギョレ新聞記者にこのように言ったのでしょうかねえ。

 考えてみれば、在日は今や三・四・五世の時代です。 もはや韓国語ができないので、祖国の人とのコミュニケーションがかなり難しいです。 それでも在日が祖国の人と何か共通する感情を持とうとするならば、日本はわが祖国を植民地化して搾取・収奪した、そして今も在日を差別抑圧している‥‥という被害者意識を掲げて日本を糾弾することくらいでしょう。 そしてそれが在日と祖国の人たちが共感を得る、ほとんど唯一の方法になっているのではないかと思います。

 今回のハンギョレ新聞の記事を読みながら、中村さんの発言をハンギョレが記事にしたのは、こういう被害者意識を共有化しようとする意図だろう、という感想を抱きました。 (終り)

【拙稿参照】

『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/30/9513291

『ハンギョレ』中村一成氏への違和感(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/03/9514505

在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589790

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/13/8593507

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/16/8598422

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/22/8601961

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/25/8603941

神戸の「朝鮮部落」―毎日新聞2022/08/11

 拙ブログ7月12日・19日の二回にわたって、昔に私が見た「朝鮮部落」について思い出を書いてみました。  

「朝鮮部落」の思い出(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/12/9508262

「朝鮮部落」の思い出(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/19/9510331

 それから10日ほどして、毎日新聞に「源平町かいわい(神戸市長田区) 知られざる共生の歴史」と題する、朝鮮部落(記事では「在日コリアン集落」)の記事が出ました。(2022年7月29日付け)   https://mainichi.jp/articles/20220729/ddf/012/040/001000c  有料記事なので、関心ある方は図書館にでも行って頂ければ幸い。

 記事はこの朝鮮部落の成り立ちと、そこには日本人との「共生の歴史」があったことを報告するものです。 このうちの日本人との「共生」に目が行きました。 その部分を抜き書きします。

在日2世の女性(79)から話を聞いた。 「集落は隔絶されていたわけではなく、日本人コミュニティーとも活発な往来があり、助け合って暮らしていましたよ。 子どもたちが『朝鮮村や』と興味本位で言っていたのも覚えていますが、偏見はごく一部で、仲良うやってましたよ」。 45年3月17日の神戸大空襲後、沿岸部で焼け出された被災者が多く避難してきた所でもあったという。

「喫茶・赤倉」‥店長の小竹雅子さん(84)は、かつての在日コリアンのコミュニティーや丸山地区のにぎわいを知る一人だった。‥‥「通学時に、リヤカーに乗せていた豚たちが逃げ出して、こちらに走ってきてね。今となってはいい思い出やね」と懐かしそうに語った。

以前に集落で暮らしていた女性は繰り返した。「未来を担う韓国と日本の若者たちにお願いがありますよ。源平町のように仲良く暮らしてほしい」。時代の中で消えていった在日コリアン集落は、共生社会を体現してきた集落であった

 この記事中でまず驚いたのは、子供たちが言っていたという「朝鮮村」です。 私の経験では「朝鮮部落」であって、「朝鮮村」なんて聞いたことがありません。 「朝鮮部落」は周囲の日本人だけでなく、そこに住んでいる朝鮮人も自分たちの住所を「朝鮮部落」と呼んでいました。 また関西から遠く離れた地域でも「朝鮮部落」という言い方が普通でした。

 としたら「朝鮮村」は、神戸の独特な呼称なのでしょうか。 神戸では湊川等々で不法占拠の朝鮮部落が点々と存在していましたが、やはり「朝鮮部落」であって「朝鮮村」ではなかったと記憶しているのですが。

 日本語では「村」と「部落」とでは昔から意味が違っているのであって、互いに言い換えることのできない言葉です。 ですから「朝鮮村」という言葉には、私には違和感が非常に大きいのです。

私の考えでは、1970年代以降の解放運動の活発化とともに「部落」が差別語とされてきたために、記事では「朝鮮部落」と書くことに躊躇いが生じて「朝鮮村」に言い換えたのではないかと思います。 とすれば歴史用語の捏造だと考えるのですが、どうなのでしょうか。

 次に「集落は隔絶されていたわけではなく、日本人コミュニティーとも活発な往来があり、助け合って暮らしていました」とあります。 つまりここの「在日コリアン集落」には「日本人コミュニティー」が存在しており、朝鮮人と日本人は「助け合って暮らしていた」というのです。

 実際にどのような「助け合い」だったのかに関心があるのですが、記事では書かれていません。 私の経験では、朝鮮部落に日本人が混在する例は、河川敷の部落でした。 戦後の混乱の中、住居に困り果てた日本人も多く、さまよった末に河川敷に住むようになり、朝鮮人と混住状態になったというものです。

 そこではどんな「助け合い」があったのかと言いますと、私自身の知識の範囲内で答えます。 そこには行政の末端としての住民自治会というものがありませんでした。 多くの場合朝鮮人は朝鮮総連の分会に集まり、そこが朝鮮人同士の助け合い組織として機能します。 当然ながら日本人は全く関わりがありません。

 つまり朝鮮人と日本人とは隣人同士でありながら、その地域の問題を両者で話し合う場所がなく、ですから共同して行政に何かを要求することもありませんでした。 つまり朝鮮人と日本人が「助け合う」ということは難しかったと言わざるを得ません。

 また火事が起きた場合、市役所からは毛布等々の支援物資が自治会を通して被災者に支給されるのですが、自治会に加入していない朝鮮人には総連分会を通して支給されるということでした。 日本人にはどうなるのかについては、朝鮮部落に住む日本人が火事に遭ったという例が私の経験では寡聞にして知りません。 しかし、それぞれが市役所に行って支援物資を受け取るという話を聞いたことがあります。

 ところで河川敷の朝鮮部落に住んだことがあるという日本人から話を聞いたことがあります。 朝鮮人の家では夫婦ケンカが激しく、時に刃物を振り回すような大立ち回りもあった、そんな時にケンカの仲裁によく行ったものだったという思い出話でした。 その方は中学時代に柔道をやっていて、身体も大柄だったので、そんな激しいケンカでも仲裁できたと言います。 しかし朝鮮人との付き合いというのはそれだけで、あとはせいぜい道端で出会えば会釈するくらいで、仲良く過ごしたなんてことは全くなかったそうです。 しばらくして公営住宅に当選したのでそっちに引っ越しし、その後その朝鮮人たちがどう暮らしているかなんて全く関心がない、ただあの激しい夫婦ケンカだけはよく覚えている、ということでした。

 なお当時の公営住宅の入居資格には国籍条項があり、朝鮮人には応募資格がありませんでした。 日本人は応募して当選すれば、さっさと引っ越したといいます。 ですから朝鮮部落の日本人は生活していた年月は短く、逆に朝鮮人たちはますます取り残されていったと言えるかも知れません。

 朝鮮部落をいくら思い出してみても、「朝鮮人と日本人との共生」というような〝ほのぼのした関係″があったとは私には考えられません。 単に住む場所がたまたま同じであったことに過ぎず、何か生活上で助け合うこともなかったし、ましてや例えばキムチの漬け方とか洗濯の仕方とかを教え学ぶような文化交流は全くなかったのでした。 (キムチ漬けと洗濯は女性の家事労働において、朝鮮人と日本人の違いがはっきりと見えるものでした ―下記【拙稿参照】)

 しかし毎日新聞の記事では、神戸の源平町という朝鮮部落では「朝鮮人と日本人共生社会」を「体現」していたというのですから、私には大きな驚きでした。 本当にそんなことがあったのか?という疑問ですね。 おそらくは、単にケンカやもめ事を起こしていないだけの関係を「共生」と表現したのではないかと思うのですが、どうでしょうか。

【拙稿参照】

「朝鮮漬け」の思い出(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/17/9327581

「朝鮮漬け」の思い出(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/22/9329211

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008

砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894

砧を頂いた在日女性の思い出(4)―宮城道雄 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/22/9308333

砧を頂いた在日女性の思い出(5)―宮城道雄(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/11/02/9312276

マッコリ(タッペギ)とシッケ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/28/9331179

「原子力ムラ」は差別語では‥  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/22/6580751