ウトロ放火事件の有本匠吾 雑感2022/09/01

 去る8月30日に、ウトロ等の放火事件裁判で有本匠吾被告に対し、求刑通りの懲役4年の実刑判決が下されました。 彼は確信犯であり、事件を反省しておらず、再犯の恐れがありますから、ちょっと厳しい判決になったみたいです。 まあ、妥当なところでしょう。

 この裁判と判決について、各マスコミは大きく取り上げて記事化しています。 内容はほぼ同じで、ウトロ側の弁護士らコメントも大体同じようなものが出ていますね。

 これらを読みながら、私の知りたい情報がなくて、違和感と疑問を抱きました。 知りたい情報というのは、まずは被告有本の生い立ちです。

 どこで生まれ、どのように育てられたのか。 中学・高校はどこに通い、クラブ活動をしていたのか。 卒業後、何をしていたのか。 事件を起こす前まで勤めていた病院に就職と退職した経緯は何か。‥‥ 

 誰でも有名になれば、たとえば中学や高校の同級生だった者が卒業アルバムなどを持ち出してその人の思い出を語ることが多いのですが、有本の場合そんな者が全く見当たりません。 従ってどこの中学・高校にいたのかさえ分からないのです。 マスコミは有本本人から事件について聞いていますが、どれも彼の生い立ちについては記事に書いていません。 それは何か理由があるのでしょうか。

 次に違和感として、被告有本の弁護士が記事に出てこないことです。 有本は実刑判決を受けましたから、有本本人への取材は難しいでしょう。 ですから彼の主張は弁護士が代弁し擁護する、或いは控訴するかどうか被告と相談するとか言うものと思っていたら、どのマスコミにも出てきませんでした。 ということは、被告弁護士は判決が下されても、コメントを一切拒否したものと考えられます。

 それまでの裁判過程では、本人意見陳述で有本が「ウトロは不法占拠」と言ったところ、弁護士が慌てて、それは本人の法律認識だと否定したという話がありますね。 つまり被告と弁護士との間で、打ち合わせができていないことが判明していました。 

 以上から推測すると、被告と弁護士には信頼関係が崩れており、弁護士のモチベーションがかなり下がっていたのではないかと思われます。

 有本は、裁判というのは自分の考えを主張し、社会に宣伝する場だと考えていたようです。 これは昔、新左翼の活動家たちが暴れて逮捕され裁判にかけられた時、「裁判闘争」と称して、これも革命運動の一環だとして裁判に臨んでいたことを思い出しますね。 有本はかつての新左翼活動家の再現のような感じがします。 「裁判闘争」なんて、今どきの弁護士は知らないでしょうから、せっかく罪を軽くしてあげようと努力してやっているのに、全部ぶち壊しやがって‥‥と思ったのではないでしょうか。

 有本は懲役4年の実刑判決で、事件の反省がないですから仮釈放はなく、満期まで務めることでしょう。 4年からこれまでの約250日の拘留期間が除外されますから、3年4ヶ月後の2025年12月ごろに出所すると思われます。 その時、日本はどんな社会になっているでしょうか。 おそらく有本は、ネットウヨからも忘れられた存在になっているような気がします。

 マスコミ報道を読みながら、疑問というか感想を書いてみました。

【拙稿参照】

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573

共同通信記事もまた「在日コリアンへ無理解」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/01/9486385

在日の生活保護について     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/06/9487961