帰化者を調べるのは簡単なのだが―北村晴男 ― 2023/02/01
昨年、帰化した政治家の新井将敬について拙ブログで取り上げました。
ヘイトにさらされた帰化者―新井将敬 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/22/9527735
最近、北村晴男さんという弁護士の方が「帰化を隠す国会議員について」と題するYouTubeを発表しているのを見つけました。 https://www.youtube.com/watch?v=kIrmP24gQo0&t=118s
帰化国会議員に関して、字幕にあった彼の発言を再録します。
日本の国会議員の中に元々韓国籍・北朝鮮籍だった人が日本に帰化して、その後国会議員になった人がたくさんいる。
そのこと自体は何の問題もないが、私が一番問題と思っているのは、その履歴、元は韓国籍だった、元は北朝鮮籍だった、その後いつ日本に帰化して、そして日本人になったという履歴を選挙に出る時に出さない、これがとんでもない間違いだと思う。 どういうことか言うと、「出さないのは出すと差別されるから」と言うかも知れないが、冗談じゃないと。
国会議員というのは権力者、国の行方を左右する人。 あらゆる情報をオープンにした上で、例えば国会議員になるのならば「日本の国益のためにこう頑張る」ということを説明して支持を集めるべき。 帰化した履歴を隠したまま選挙に出て、「なるべくなら知られないでほしい」そんな姿勢はとんでもない卑怯者の発想。 私が元々韓国籍で、そして日本に帰化して、そして政治家になろうとする人間だとすれば必ず履歴を言う。
例えば小さい頃は差別にあって、その後努力してこうなった、その後日本という国を愛するから、元々生まれ育った国だから愛していると正々堂々と言う。 それが政治家の姿だと思う。 みなさんはどう思いますか。
まるである国会議員が元々在日韓国人の方で、あるいは在日台湾人の方で、そして帰化したということを報道しただけで「それは差別に繋がる」「それは差別だ」。 「あなたは元の国籍は何ですか?」と質問しただけで「そんなことを聞くのはおかしい」みたいな事を言うとすれば、それはとんでもない間違い、心得違いだと思う。
なので一刻も早く「国籍の履歴」、帰化をした場合は帰化したという事を常にオープンにする社会であってほしいと思う。 それを理由に批判する人がいたとすれば、それは批判させておけばいい。 政治家は批判されるのが仕事みたいなもの。 どんなに批判されても自分の信念を貫いていく、これが政治家のやるべき事だと思う。
まず最初に、かつての在日韓国・朝鮮人が帰化して国会議員になった人が「たくさんいる」という発言にビックリ。 私の知るところでは、こんな人は新井将敬と白真勲だけです。 それ以外にツルネン・マルティという元フィンランド人が国会議員になっていました。 つまりこれまでの国会議員のうち外国籍からの帰化者は3人、さらにこのうち元韓国・朝鮮籍は2人。 これで何故「たくさん」なのか。 とすれば、これ以外に帰化者で国会議員になった人がいるということになります。
帰化者かどうかを確実に調べる方法は、実は簡単です。 外国人は帰化が認められると、すべて官報に掲載されるからです。 官報はこれまでの分が全てインターネットで見ることができますから、この官報に出てくる帰化者の名簿を調べていけばいいです。 ただし数が膨大ですからちょっと時間がかかりますが、それを厭わずにやればできます。 つまりこれまでの国会議員・候補者が帰化者か否かを調べるのは難しくなく、素人でもできるのです。 ましてや弁護士のような専門家なら、もっと素早くできるでしょう。
帰化を隠している国会議員・候補者が本当にいるとしたら、すぐさま判明するものです。 つまり帰化者であることは既に公開されていてプライバシー情報ではないのですから、本人が秘密にしようしても秘密にできるものではないです。 しかし北村さんは、帰化を隠して選挙に出て国会議員になった人が「たくさん」いると言い切りましたから、ただビックリ。
選挙公報には立候補者が届け出た履歴をそのまま載せるだけでしょう。 数ある履歴のうち、何を載せるかは候補者本人の自由のはずです。 虚偽はペナルティが課せられますが、履歴はすべて必ず出さねばならないというものではありません。 ですから本人の判断で国籍履歴を書いてもいいし、書かなくてもいいのです。 ただし帰化の履歴は書かなくても上述のようにすでに官報で公開されていますので、隠すつもりがあったとしてもそれは無駄なことです。
北村さんは「帰化を隠す国会議員がたくさんいる」と言っているのですから、具体的にどの議員さんが隠しているのかを調べて発表すればいいのに、と思います。 何度も言うように、帰化は公表されていて誰でも簡単に調べられますから、それをしたからといって事実であれば咎められることはないでしょう。 そんな基本的な作業をせずに「帰化を隠している」なんて言うのは、いかがなものかと思います。
【追記】
ネットでちょっと調べてみると、土井たか子、福島瑞穂、小沢一郎、管直人などが帰化者だというデマが流れているのですねえ。 このうち土井たか子さんは雑誌『WILL』に「朝鮮半島出身」と書かれて裁判に訴えたところ、「明らかな虚偽」と判決されたそうです。 こんなデマを流す方も悪質ですし、これを信じ込んで広めるのも悪質ですね。
悪質デマは「右」も「左」も同レベル、同じ穴のムジナというのが私の考えです。
【追記 2023年2月5日】
「あなたは元の国籍は何ですか?」と質問しただけで「そんなことを聞くのはおかしい」みたいな事を言うとすれば、それはとんでもない間違い、心得違いだと思う。
北村さんはこんなことを言っておられますが、帰化しているどうか分からない人に向かって「元の国籍は何か?」と聞くのは、失礼でしょう。
例えば、高卒か大卒かも分からない人に向かって「どこの大学を卒業なさいましたか?」なんて聞くのと同じぐらいに失礼なものです。
ここは北村さんの間違い、心得違いですね。
【拙稿参照】
国籍を考える―新井将敬 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/07/27/8628332
韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人 ― 2023/02/14
今度は在日韓国・朝鮮人について昔に書いて、未公表だった原稿です。 内容は具体的に在日と接したことのない日本人には抽象的すぎて、理解できないかも知れません。 具体例はこれまでの拙HP・拙ブログに書いてきましたから、それをご参照くだされば幸いです。 なお今回発表するに当たり「ですます」調に直しました。
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民族差別と闘う運動を担っていた在日活動家が、「私は韓国人でもなく日本人でもなく、在日です」と自称するようになったのは1970年代からだったと思います。 それは、総連・民団という在日を代表する公的組織が本国との繋がりを重視して本国の在外国民(公民)としての自覚を求める本国志向だったのに対し、日本での生活を重視して日本国内の差別を告発する日本志向でした。 つまり本国志向から日本志向への転換を宣言したものでした。
これは、一世が若くして来日し必死に働いてきたがいつかは懐かしの本国に帰りたいと思う一方、二世以降は生まれ育った日本から離れたくないという世代間の意識の違いであり、従って世代交代とともに必然的に起きる現象だったとも言えます。
このように二世以降は日本志向となったのですが、だからといって日本人ではありません。 自分は日本人ではなく韓国・朝鮮人だという意識は当然ながら持ちつつも、実際に本国韓国人と出会って受ける大きな衝撃と違和感(例えば、下手な韓国語をバカにされる)によって自分は韓国人ではないという意識も生じます。
1990年6月1日付け『朝日ジャーナル』の「<民族>と<帰化>の狭間に揺れる―日本人に〝見えない″青春」という記事の中で、金明美さんという二世(21歳)が次のように発言しています。
姉に誘われて(民団)青年会に行き始めた。 高卒後、韓国に留学して韓国語を勉強。最大の収穫は、在日同胞の友だちがたくさんできたことだ。 本国の人からは、韓国語をしゃべれないからと、日本人扱いをされた。 〝私たちは日本人でもないし、韓国人でもない。 在日韓国人なんだ″という思いが強まった。(94頁)
一世と二世以降の世代論で言うと、一世は外国人意識が濃厚であるのに対し、二世以降は外国人意識が希薄だということです。 そしてこれは、いつまでも本国志向にとらわれている在日一世に対する二世以降の批判であり、逆に一世からは二世以降が日本に同化して嘆かわしいという批判となります。
しかしやがて一世は高齢化とともにその存在感を失っていき、在日社会は二・三・四世が主役となって日本志向へと変化したのでした。 1990年代以降、二世以降の在日で本国に帰りたいと考える人は皆無とは言えませんが、ほとんどいないでしょう。 あれほど本国志向だった総連系人士も、このまま日本で暮らして骨を埋める決意をし、お墓を日本国内に準備するようになりました。
在日の日本志向は止まることはなく、この日本が他人の土地ではなく自分の土地という意識になりました。 彼らは外国人(韓国・朝鮮籍)であっても外国人意識に欠け、中身は全くの日本人になっていきました。 こうなると日本国籍の取得=帰化への拒否感が薄れていきます。
日本の植民地支配に由来する在日(在留資格は特別永住等)は以上のような経過を歩みつつあるのですが、一方で近年に来日して定着した韓国人、いわゆるニューカマーが多くなりました。 彼らは本国で生まれ育ってからの来日ですから、本国の親族・親戚としょっちゅう交流しており、まさに一世です。
ですから今の在日社会では、昔から続いてきた在日の二世以降と、近年のニューカマー一世とが具体的に接触することになります。 そこでは同じ韓国人なのに全然違うという緊張感が漂うのを否定するわけにはいきません。 それは在日も韓国人だと考えるところから生じる緊張感です。
在日はニューカマーに会う時、自分は韓国語のできないパンチョッパリ(半日本人という意味の侮蔑語)だと名乗るか、あるいは在日であることを隠すかをするのがいいようです。 またニューカマーの方も、韓国人なのに韓国語ができない在日に対する苛立ちを見せることが多いのですが、それは在日が日本人なんだと思い込むことで解消するようです。
在日はもはや韓国人ではなく日本人であるとすることが実態に即しています。 従って在日は日本への完全同化の方向に向かっており、将来消滅する運命にあることは否定できないでしょう。
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以上は昔に書きためておいたものです。 ところで2023年2月10日付け『中央日報』に「【グローバルアイ】ある在日の遺言」と題する記事がありました。 在日作家の絵画を長年にわたって収集してきた河正雄(ハ・ジョンウン)さんの話です。 https://www.joongang.co.kr/article/25139606 (日本語版は https://japanese.joins.com/JArticle/300855) この記事の中で次のような記述があります。
日帝強占期と戦争、つらい屈曲の時間を韓国人でも日本人でもない在日として生きてきた彼は‥‥
この文は「中央日報」のキム・ヒョンイェ記者の地の文です。 本国韓国人である記者が在日同胞を「韓国人でも日本人でもない」と表現したところに目が行きました。
かつて本国韓国人は在日を見て、韓国語ができず、またあまりに日本的な雰囲気や身のこなしに不愉快さを露骨に見せていたものです。 そんな韓国人ばかりを知っている私には今回、韓国の新聞記者が在日を「韓国人でも日本人でもない」と言ったところにちょっとビックリ。 記者は取材対象の河正雄さんが言ったことを、違和感を持たずにそのまま書いたのでしょうかねえ。
【拙稿参照】
韓国人でもなく日本人でもない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/24/3539242
在日が自分の民族の言葉を身に付けようとしなかった言い訳 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193
在日コリアンと本国人との対立 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029
姜信子『棄郷ノート』を読む http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/19/8977899
「同化」は悪だとされた時代 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/15/8018723
水野・文『在日朝鮮人』(21)―同化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/23/8197450
第40題 在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai
第41題(続)在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai
第49題 合理的な外国人差別は正当である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuukyuudai
第54題 「差別・同化政策」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuyondai
第19題 消える「在日韓国・朝鮮人」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuukyuudai
京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地 ― 2023/02/20
昨日(2023年2月19日)のYahoo Newsに、「『死んだら国籍も民族も関係ない』 99.99%が火葬される日本で、京都の寺が土葬を受け入れる理由とは」と題するドキュメンタリーが公開されているのを見つけました。 https://creators.yahoo.co.jp/shimadatakuya/0200398765
場所は京都府相楽郡南山城村にある高麗寺(こうらいじ)です。 高麗寺は「こまでら」と読めば飛鳥時代の有名な寺跡ですが、「こうらいじ」と読めば1978年に創建された韓国系の寺院を指します。 宗派は曹渓宗です。
「曹渓宗」は日本では馴染みがないですが、韓国では最大の仏教宗派で、ソウル中心部に本山があります。 皆さまには韓国旅行に行ってソウル市内を歩きまわった際に、曹渓宗本山を見た方は多いでしょう。 高麗寺の姉妹寺に当たる普賢寺(大阪市)が韓国から来日する曹渓宗僧侶たちの拠点になっているという関係ですが、韓国曹渓宗の末寺ではないようです。 高麗寺は宗教法人化されていて、「曹渓宗総本山高麗寺」となっています。
この高麗寺は、土葬ができる霊園を経営しています。 国籍・民族・宗教・信仰に関わらず、すべての土葬を受け入れています。 https://www.dosoukyoto.com/
イスラム教徒はその宗教的信仰から土葬を切に望んでいるのですが、日本には土葬できる墓地が余りに少ないので、かなり苦労していますね。 ですからイスラムを含めすべての宗教に関わりなく土葬を受け入れる高麗寺の事業は、たいへん貴重なものです。
高麗寺の代表役員の崔柄潤さん(82)は、自分の子供の時のことを次のように振り返っておられます。
在日韓国人2世の崔さんは、子どものころは母親が持たせてくれた弁当箱を隠していた。 弁当箱を包んでいた新聞紙のハングルを見られるのが恥ずかしかったからだという。 就職活動では、学科試験を優秀な成績で通っても韓国人であることを理由に採用されなかったことがある。 担任の教師には「韓国籍のままではお前の能力が正当に評価されずもったいない。 早く帰化しろ」と熱心に勧められたが、それはできなかった。 「帰化してしまうと、自分自身に敗れたような気がして、どうもプライドが許しませんでした」と崔さんは振り返る。
82歳、この年代の在日は全員と言っていいほどに同じような体験をしていますねえ。 そしてこの被差別体験が
過去に差別を受けた人間が、今度は誰かを差別しようなんて考えたらダメなんです。 だからこそ今、差別を受けている人の助けになれればと思った
として、土葬地に困っているイスラム教徒に手を差し伸べる‥‥、私なんかは胸が熱くなりますね。
日本ではほんの数十年前までは、土葬が普通に見られました。 私の体験では30年ほど前に、家から車で20分くらいの地区で土葬行列を見たことあります。 僧侶が先導し、桶棺をロープで縛り丸太棒を差して二人が担ぎ、家族が棺を囲み、親戚や地区住民たちが行列をつくって土葬地に向かうところでした。 亡くなったおばあさんが〝死んだら土に返る、火葬は返れないから絶対に嫌だ″という遺言で土葬となった、これがこの地区の最後の土葬だろう、という話でしたねえ。
今では火葬が普及するにともなって土葬へのタブー視が強くなり、差別的な目で見るようになったそうです。 そのためにイスラム教徒たちが墓地に困っているのですねえ。 日本もかつて土葬が当たり前の時代があったことを思い出せば、そんな差別的にしなくてもいいのに、と思うのですが‥‥。 だからこそ高麗寺の取り組みは貴重と考えます。
土葬と火葬について、拙稿で取り上げたことがありますので、ご笑読くだされば幸甚。
50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1) ― 2023/02/25
今から50年近く前の1975年2月、韓国・朝鮮を論じる『季刊 三千里』という雑誌が発行されました。 その創刊号に田中明「『敬』と『偏見』と―『季刊三千里』の創刊によせて」と題する一文があります。 田中明さんは、1970年~2000年代初に韓国に関する論考や本を多数書いている朝鮮文学研究者として著名でした。 しかし今では忘れられた存在ですね。
このたび『三千里』創刊号にある彼の論考を読み返してみて、在日韓国・朝鮮人の問題がこの50年の間変わっておらず、田中さんの主張が今でも通じるというか、色褪せていないことに驚きを感じました。 一部を引用して紹介しながら 私のコメントを挟みたいと思います。
在日朝鮮人の文筆家‥‥今まで在日朝鮮人の書いてきたものは、あまりに日本人向け、日本人だけ(!)向けに過ぎなかったのではなかったか、という気がします。 こんなことをいえば「日本社会に朝鮮に対する偏見が偏在しているのを、お前はどう考えているのか。 それが改まらない現在、何をおいても日本人に反省を求め、真の朝鮮を知らしめる文字が必要である。 日本人の偏見が改まれば、われわれの子孫である二・三世も幸せになれるはずだ。‥‥」と言われるかも知れません
確かに日本人の間に朝鮮に対する偏見が満ち満ちていることは、いかにも日本人が強弁しようとも事実であり、日本人の最大の恥部です。 そこに朝鮮人がきびしい批判の矢を射込むことは当然であり、われわれ日本人は、それを避けてはならないでしょう。
現状はどうでしょうか。 マスコミなどで小生が目にすることのできる日本人の朝鮮論は、罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉や、偏見を打破しようとする目覚めたものの正義の言葉が溢れています。 ときには驚くべきほどの朝鮮讃仰の言葉がつらねられています。 これほど偏見に満ち満ちた社会に、これほどの朝鮮の〝味方″の文字が満載されているとは、どう考えても小生には異様です。‥‥(以上 144頁)
日本社会における在日韓国・朝鮮人への差別は、1970年代までは今では想像もできないほど厳しかったです。 ですから1975年の論稿に「日本人の間に朝鮮に対する偏見が満ち満ちている」とあるのは、そういう事実は確かにあったと言わざるを得ないところです。
一方、その当時は部落差別反対運動の影響で朝鮮差別に反対する運動が盛り上がり始めていて、「日立闘争」という在日朝鮮人の就職差別に反対する運動や、金達寿などの「日本のなかの朝鮮文化」の活動も活発になっていた時期でした。
そんな運動が活発化するなかで、この運動に参加する心ある日本人からは「罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉や、偏見を打破しようとする目覚めたものの正義の言葉」 「ときには驚くべきほどの朝鮮讃仰の言葉」が出てくるようになります。 そしてこのような日本人が「良心的」だと評価されていたものでした。
しかし田中さんはこれに対して、「これほど偏見に満ち満ちた社会に、これほどの朝鮮の〝味方″の文字が満載されているとは、どう考えても異様」だと言います。 この「異様」さというのは、「偏見に満ちている」日本社会に対して、「朝鮮の味方」の日本人が反対を唱えている有り様を言っています。 つまり朝鮮とは直接関係のない日本人が「朝鮮の味方」となって、「偏見に満ちた」日本社会を批判するという反体制運動が「異様」であると、冷静に論じていきます。
彼はこの冷静さゆえに朝鮮問題に関わる活動家(反体制側)からは無視され、時には反発の声が上がっていましたねえ。 「田中メイとかいう奴」なんて言われていました。 (続く)