50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(2)2023/03/01

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/25/9565241 の続きです。

 田中明さんは、朝鮮問題に関わる日本人が「朝鮮に対する偏見に満ちている」自分に気づき、「罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉」「偏見を打破しようとする正義の言葉」「驚くほどの朝鮮讃仰の言葉」を発する、そんな姿があったことを明かしました。 これは当時を知る私には、全くその通りと言うほかありません。 こんな言葉を聞かされた在日は、

「それは日本人のどうしようもない体質だ。 それが気になるのなら、お前たちで改めろ。 われわれに言ったところで仕方があるまい」とおっしゃるかも知れません。 だが在日朝鮮人の側に、そうした日本人の性急ないい子ぶりと、なじみ合っているのではないでしょうか。

 これもその通りだったと言うほかありません。 在日は自分たちが日本から差別されていると告発し、日本人はただ頭をうなだれ恐縮してそれを拝聴する、これこそが日本人と在日との連帯だと言われていたものでした。 「日本人の性急ないい子ぶり」という表現は、言い得て妙ですね。

日本人の他のアジア民族に対する反省というものは、他のアジア人から「よく思われたい」という少女趣味的道義論のレベルをでていない、と小生には思われます。‥‥ 誰も他のアジア人が100パーセント聖なるものとは思っていないのに、相手からよく思われたいために「彼は完全善、我は完全悪」という〝反省″一辺倒の言葉が乱舞しています。 そこには、彼の是非と我の是非とを対置させて論ずるときの、対等の相手との間に醸し出される緊張がありません。

 当時は日本の革新・左翼人士たちは「アジア人民との連帯」を叫んでいました。 彼らが「アジア人から〝よく思われたい″という少女趣味的道義論」であるとする田中さんの表現は、成程と思います。 これも言い得て妙です。 なお「少女趣味」というのは、今では女性差別だと批判を受けるかも知れません。

 当時、被差別者とされる在日韓国・朝鮮人の活動家は日本人を差別者と糾弾し、反省と謝罪を要求していました。 それに対して一部の日本人からは「『彼は完全善、我は完全悪』という〝反省″一辺倒の言葉が乱舞」していたという実情は、確かに存在していました。 差別者である日本人は被差別者である在日に対し、〝私たちが間違っていました″と謝罪して限りのない反省を約束する、こういう人間関係を目標としていたなあと思い出されます。

 このような「被差別者を善人、差別者を悪者」とする人間関係は、在日韓国・朝鮮人だけでなく部落やアイヌ、障害者等の問題においても要求されていました。 私はこれを「被差別正義」と呼びましたが、これは今でも日本社会の一部に強固に残っていますね。 (続く)

【拙稿参照】

50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/25/9565241

被差別正義         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/06/5270853

パク・チョンスで見る韓国人の考え方―『中央日報』 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/10/06/9531169

50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(3)2023/03/05

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/01/9566196 の続きです。  

朝鮮についていうならば、日本人向けの朝鮮人の言葉(それはほとんど批判になりますが)が多くなればなるほど、日本人の〝応援団″が増えるということになります。‥‥

このことは、われわれ日本人の倫理的脆弱さと表裏をなしています。 前述のカッコ付き反省にもとづく偽善的かつ感情的な「完全悪」のタテマエから発する非主体的態度です。 朝鮮のことは朝鮮人のお墨付きがなければ何も言えない――逆にお墨付きを得れば「連帯」などという言葉をかかげて、居丈高に他を攻撃するといった姿勢です。(以上 144~145頁)

 朝鮮問題で、日本人側は「朝鮮人のお墨付きがなければ何も言えない」という風潮は強固にありましたねえ。 〝朝鮮人は上位、日本人は下位″という立場は絶対的でした。 そして日本人は「朝鮮人からお墨付きを得れば『連帯』などという言葉をかかげて、居丈高に他を攻撃する」。 俺にはバックに在日様がおられるのだぞ、という心理状態ですね。 

日本人の反朴運動の集会などで、よく「私は今まで朝鮮について何も知りませんでした。 それを恥ずかしく思い、これからは皆さんとともに学び、皆さんとともに闘いの列に加わっていきます」といったことが語られ、それに万雷の拍手が沸いたりします。 何も知らなかったことの告白が、これほど昂然となされ、それが良心の証しとなるようなことは、朝鮮問題についてだけではないか‥‥(147頁)

 「反朴」の「朴」とは、当時の韓国大統領であった「朴正煕」のこと。 日本各地では、軍事ファッショの朴政権に反対する集会がたくさん開かれていたものでした。 そういう集会に日本人がマイクを持って「私は朝鮮について何も知りませんでした」と言って、それが「良心の証し」だと歓迎される、そんな時代でした。

(在日朝鮮人の)若者たちは、おのれが誇りをもって生きる道を模索しているにもかかわらず、提供されるのは、日本―朝鮮の「関係」ばかり‥‥なぜこうも日本人が、朝鮮人にとってエッセンシャル(必要不可欠)な存在のように立ち現われなければならないのか――というのが小生の疑問です。(149頁)

 上述したように、〝朝鮮人が上位、日本人は下位″という立場の中でのみ、朝鮮問題や在日問題が語られたのでした。 つまり朝鮮人は日本人との関係のなかに自らの民族的アイデンティティがあるということです。 別に言えば、韓国・朝鮮人は日本人がいてこそ、初めて自分の優位さを誇ることができるということになります。

 在日や朝鮮問題の集会・講演会などで、在日活動家がマイクを持って「日本は昔こんな悪いことをした」と延々と喋るという場面がよくあったものでしたが、これを思い出しますね。 そういう過去の歴史を持ち出すことによって日本人たちをひれ伏させ、自分たちの優位さを確認して満足するという姿でした。 また在日活動家が自分に寄り添ってくる日本人に向かって、「差別者であるあなたは‥‥」「あなたたち日本人は昔悪いことをしたのだから‥‥」と言うのもしょっちゅうだったのです。 こういう在日にとっては一時的な優越感で、刹那的な快感だったろうと思われます。

 このような韓国・朝鮮人と日本人との間の上下関係は、現在までも引きずっていると言えます。 田中明さんは在日問題に関わる運動の状況を正確に見通していたと考えます。 (終わり)

【田中明に関する拙稿】

「通常‐両班社会」と「例外‐軍亊政権」―田中明  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/07/9497623

「例外」が終わり「通常」に戻る―田中明(2)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/14/9499717

50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/25/9565241

50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/01/9566196

左翼人士の性犯罪に思う2023/03/11

 日本共産党の地方幹部が女子トイレで盗撮してこの1月に逮捕された事件があり、さらにこの人が女子大生の自転車に体液を付けたこと等で8日に再逮捕されたというニュースがありました。 https://news.yahoo.co.jp/articles/b33d6cf43dbd81ee8a3eaf53cd6c082de6e0aada

 常習犯のようですから、余罪がかなりあるでしょうねえ。 本来人権に非常に敏感であるはずの左翼・革新系に性犯罪が意外と多いというのは、拙ブログ・HPでもかつて何回か取り上げました。 

 ですから私には、またか、右も左も同じ穴のムジナ、左の方は「人権」を呼号するだけに罪が重いと言えるだろう、という感想です。

 そういえば韓国でも、人権派弁護士としてセクハラ問題等に取り組み、ソウル市長にまで登りつめた人が、実は女性秘書に悪質なセクハラを続け、告発されたとたんに自殺したという事件がありましたねえ。 また民主化闘士として有名な詩人なんかも、トンデモないセクハラをしていたことが明らかにされています。

 ここで思い出すのは「任錫均」です。 1960年代後半に韓国の朴正煕軍事政権から弾圧を受けたとして日本に密入国し、大村入管収容所に収容され、特在だったかで釈放されていたように記憶しています。 その時に彼は韓国の軍事政権と癒着する日本の自民党政権を糾弾する闘士として登場し、日本各地で講演を繰り返し、彼を守る運動が繰り広げられ、彼はまるで英雄みたいな扱い受けていました。 実はこの任錫均が大の女たらしで、支援団体に参加する若い女性をそれこそ次から次へと犯していくのでした。 しかし反体制組織内のことでしたから、警察沙汰になることはなく、つまりは女性側が泣き寝入りするしかなかったのでした。 もう50年以上も昔の話ですが、これを思い出します。

 こういう類の事件は昔から内々の出来事として処理されてきたのですが、最近になって報道されるようになったという印象を持ちます。 しかし日本でも韓国でも報道されるのはごく一部でしょうから、表面化しなかった事件は今でもかなり多いだろうと推測できます。 下記をご笑読いただければ幸い。

【拙稿参照】

活動家によるレイプ事件考     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/07/2708813

それは泣き寝入りではなく自殺だった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/19/5296007

解放運動の「強姦神話」      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192

人権派ジャーナリストの性暴力事件  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/02/01/9031087

暴力にみる民族的違和感  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai

相次ぐ有名人の性暴行事件    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/12/29/9194983

韓国Me too運動の記事     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/05/9231706

Me Too:韓国を揺るがす著名文化人のセクハラ暴露 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/28/8795521

韓国民主化世代の性犯罪  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/30/9273345

金達寿の思い出―祖母の反日話2023/03/15

 在日朝鮮人小説家であり古代史研究家であった金達寿。 彼は日本において韓国や朝鮮に関心が非常に薄かった1958年に岩波新書から『朝鮮―民族・歴史・文化―』を刊行しました。 これが1970年代初めまでの日本における韓国・朝鮮の唯一と言っていい入門書でした。 また1970年代から『日本の中の朝鮮文化』というシリーズものの古代史本も出していました。 在日朝鮮人として超有名人だったのですが、25年前に亡くなっておられます。 今の若い人では知らない方が多いでしょうねえ。 関心のある方は検索してください。 

 彼には自叙伝として中公新書『わがアリランの歌』(昭和52年6月)があります。 ところで、そこには載っていない思い出話を見つけましたので紹介します。 『朝鮮研究 月報 第7・8月合併号』(1962年8月 日本朝鮮研究所)にあったものです。

私自身のことをお話しますと、私は1930年に満10才で日本に来たのですが、その数年前に両親や兄弟は日本に来ていて、僕とおばあさんと2人だけ故郷に残って日本からの仕送りで暮らしていた。 その間7~8才の頃ですが、色々聞かされたおばあさんの話に忘れられないものが多いんです。 その中で日本人についての話は、甚だ面白くないでしょうが、日本人は「夷狄」であるという考え方です。 無知なおばあさんですが、小中華意識から「倭人」を見ているんです。 日本人のことをみな「ワエノム」(倭奴)と呼んでいました。 その「ワエノム」に国を盗まれて‥‥というわけです。

日本人は飯を皿に盛って箸で食う野蛮な連中だという話がありました。 これは、数時間もっておいても暖かい鍮器の器で、匙を使うのが原則、箸はおかずをつまむものと考えている朝鮮人の感覚からいうと、まずいことです。 それには、昔、日本人が朝鮮人に「我々もあなた方のように白い飯を食おうと思うが、どんな器を使いましょう」とお伺いをたててきたので、お前らのようなつまらん奴は皿ででも食ったらよかろうと言ってやった、それでそうなったのだというような説明がありました。 もっとも皿というので私は小皿を想像していたのですが、日本に来てみると茶碗のことだったが。

それからまた、何か被りたいがとも聞いてきたので、ポスム(靴下)でも被れと教えてやったら喜んで被っているというのもあった。 烏帽子のことですが、なるほど形が似ています。 このような話は壬辰の役(秀吉の朝鮮出兵)などの時に愛国心を高揚するためにもできたのでしょうが、とにかく庶民の意識の中にそういうものがあって、その話を子供に語りきかせるので、自然にそういうイメージができていく。

そして近所の子供同士でも日本人は人食い人種だぞと言い合うわけです。 僕の村のそばの中里という駅の前に日本人のお菓子屋さんが一軒だけありましたが、「あそこの日本人は生首を塩漬けにして部屋の中においている。日本人はそういうことを平気な野蛮な人間だ」ということで、朝鮮人の村の子がそのお菓子屋に入って食べることはありませんでした。(以上 2~3頁)

 朝鮮人が日本人に対して有する侮蔑的意識は、へき地農村といえるような所でも口伝で代々受け継がれてきたようです。 紹介した話は100年も昔の1920年代植民地時代に金達寿がお年寄りから聞かされたものですが、そのなかにある日本への侮蔑的意識が現在の韓国・北朝鮮での反日に繋がっていると言えるのかも知れません。 ですから朝鮮半島の現在の反日は古来から受け継がれてきたものであり、解放後はそれぞれの政府で増幅されたと考えられるでしょう。

これ(日本に対する侮蔑)は、日本を小中華意識のメガネでみていたということですが、日本は(朝鮮人の)封建的儒教意識・慣習を支配の手段として温存しなければならなかったため、同時に皮肉にも夷狄意識も温存されたわけです。

 日本は朝鮮を植民地支配した時、統治をスムーズにするために朝鮮人の旧来の「封建的儒教意識・慣習」を支配の手段として利用した、だから日本人を侮蔑する「夷狄意識」が温存されたというが金達寿の考え方ですね。

 ここは何とも言えないところです。 日本は「封建的儒教意識・慣習」を利用したのではなく放置した、と私は考えるのですが、どうでしょうか。

私はその後日本で学校を出て、1940年代になってから京城に就職していったわけですが(小・中学校教育から日本で受けて卒業してから京城へ行くというのは、普通とは逆のコースでした)、驚いたのは京城の町では、農村と違って瓦屋根と高い厳重な塀で内部をうかがい知れない建築構造になっていることです。 これを、一緒に下宿していた金鐘漢という詩人は徹頭徹尾「ドロボウ」を防ぐためと主張していましたが、ともかく、外へ出て役所に行く時などは日本人とも話をするが、塀の中では他者をよせつけず、李朝時代のまま生活を続けていました。

 「瓦屋根と高い厳重な塀で内部をうかがい知れない建築」というのは朝鮮人のお金持ちの家のことで、おそらく京城に住む不在地主でしょう。 その金満家では、古くからの伝統をそのまま受け継いだ家庭が営まれていたのでした。 戦後(韓国では光復後)、韓国でも日本同様に農地解放が施行されましたので、不在地主は消滅しました。 「不在地主」なんて、今はもう死語ですね。

ところで、みなさんは朝鮮人というと在日朝鮮人によってイメージをもたれると思いますが、在日朝鮮人について考えねばならないことは、玄界灘を裸一貫で渡ってきた連中は、多くは農民だが、故郷を出るとき、恥や外聞というか小中華意識・東方礼儀の国の国民という意識を故郷にあずけて日本に来たということです。 

日本で働いてもうけたら早く故郷に帰り、取られた田畑を買い戻すという考え方が殆どでした。 2世、3世などの場合はともかく、少なくとも1世の我々世代の親達の世代の場合は。 だから意識も非常にプライドがあり、閉鎖されたものがあって、朝鮮の農民の意識とそう変わりがないと言えます。

 金達寿によれば、朝鮮人農民は植民地時代に日本に出稼ぎに来て「小中華意識・東方礼儀の国の国民という意識」から一旦は離れるのですが、やはりいつかは故郷に帰ると考えていたので、その意識は変わらなかったということです。

基本的な朝鮮人の意識は統治期間を通じて変わらなかったと言えます。 逆説的に言えば、日本がもっと近代的な仕方で統治したら民族意識を減殺されたのではなかろうかとも言えます。(以上 3頁)

 日本は植民地統治のなかで朝鮮の古くから牢固としてある民族意識を変えられなかった、しかし近代的な統治をしていたらそういう民族意識は減殺されただろう、というのは金達寿の見解ですが、どうなんでしょうねえ。 私は近代的な統治をしても、民族意識というものはなかなか変わるものではないと考えているのですが。

【拙稿参照】

金達寿さんの父が渡日した理由      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/12/24/1044999

金達寿の「族譜」       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/10/08/5392903

伝統的朝鮮社会の様相(2)―両班階級 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/09/05/9149522

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136

「韓」という国号について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/14/7633517

1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(1)2023/03/21

 かなり古いことになりますが、1980年代の在日韓国・朝鮮人の活動家はどのような考え方をしていたのか、ちょっと気になって資料を探していたところ、『朝日ジャーナル』1985年1月25日号に韓国学生同盟(韓学同)の委員長だった曺功鉉(読み方は「チョ・ゴンヒェオン」とされている)さんのインタビュー記事を見つけました。

 曺さんの経歴等は、次のように紹介されています。

1962年名古屋生まれ。中央大4年。 韓学同は、在日韓国人の権益擁護と韓国の民主化、統一を目指して活動している純粋学生組織。曺氏は1月初めまで委員長だった。

 『朝日ジャーナル』記者は、インタビュー記事の冒頭に次のような解説を書いています。

在日三、四世の地道な政治、文化活動が、このところ盛り上がりをみせている。 突出したところでは、各地のお役所での大量指紋押捺拒否。 〝おとなしい″とされる二世に代わって、これら運動の主役になり始めたのである。 その特徴は運動だけにあき足らず、「在日」を生んだ日韓の文化の歴史的特性を改めて問うこと。 その一翼を担う韓国学生同盟の前委員長・曺功鉉氏に、「在日」の痛みについて聞いた。

 二世は「おとなしい」が、三・四世が運動の「盛り上がりをみせている」という世代論には、へー!そうだったのか?とビックリ。 私は、在日社会は本国と切っても切れない一世が高齢化して1970年代には現役を退き始め、80年代に代わりに二世が活動の主役となって本国志向から日本志向へと変わっていった、指紋押捺反対運動もこの延長線上にあった、と思っていました。 しかし『朝日ジャーナル』はこの時期において、二世は「おとなしく」、三・四世が運動の主役を元気に担って「盛り上がっている」としています。 私の体験・認識とは違っているので、ちょっとビックリしたわけです。

 次にインタビューの内容です。

あなた方若い在日韓国人は、祖国の文化を継承すべく、どう活動していますか。

曺― 理念的にはふたつ。ひとつは日帝支配で奪われ、失ったものを奪い返し、克服して、精神的に自分たちが解放されるような運動です。 具体的には母国語習得のほか、祖国の芸能に触れ、踊りを踊るとか‥‥。 もうひとつは、日本にいるものも本国にいるものも、日本人に韓国が理解される状況をつくるよう努力することです。

― 例えば、信楽焼、薩摩焼、有田焼などは、朝鮮の陶工が日本に伝えたものですね。 こんな初歩的な歴史でさえ、日本人は知っている人はごく少数です。

― 私たちは、自分たちの存在証明に、韓国語の習得を挙げていますが、NHKの韓国語講座に疑問を持つ、と先程いったのは、もう一つ引っ掛かりがあるからです。 それは、民族教育が弾圧されているからです。

 活動の理念は二つ。 ひとつは「日帝支配で奪われ、失ったものを奪い返し、克服して、精神的に自分たちが解放されるような運動」。 当時の言葉で、〝民族を取りもどす″ですね。 具体的には韓国語を勉強して、民族の伝統的芸能を学ぶこと、と言っておられます。

 私の周りの在日では、特に若者にとって韓国語はいくら民族を取り戻すとはいえ生活に役に立たない外国語と同じで、中途半端に終わる人が多かったですねえ。 なかにはハングルを見ただけで拒否反応する在日もいました。 伝統芸能も、こんなものは一度見れば十分、自分からやろうと思わないと、これまた拒否反応する若い在日が多かったです。 

 もうひとつは、日本人の韓国理解を挙げています。 具体的には「信楽焼、薩摩焼、有田焼」は朝鮮人陶工が伝えたことを日本人は知らないから、知ってほしいということです。 このうち薩摩焼と有田焼はその通りですが、信楽焼は朝鮮人陶工が伝えたものではありません。 信楽焼は元祖が鎌倉時代ころに常滑焼から入ってきたものであって、朝鮮は何も関係ありません。

 信楽焼が中世から続く日本の伝統窯であるということは、陶磁器にちょっと詳しければごく当たり前の知識です。 しかし曺さんは信楽焼が朝鮮陶工の伝えたものであることが「初歩の歴史」でほとんどの日本人は知らないと言い切っていますから、唖然とするところです。 (続く)

1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(2)2023/03/25

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/21/9570847 の続きです。

(民族教育の弾圧は)戦後もずっと?

曺― もちろん。 阪神教育事件をご存知ですか? 日本がサンフランシスコ条約の発効で独立した1952年当時、在日同胞は朝鮮人連盟を結成していた。 朝連は、権益擁護団体であるとともに、民族教育団体で、地方自治体に公立の民族学校さえつくっていたんです。

― ところが日本政府は独立後すぐ、朝連設立の民族学校を全廃するように団体等規制令で朝連に命令してきた。 この命令に対し、阪神地区在住の同胞が大阪府庁などにデモをかけたところ、数百人の死傷者をだしたうえ、やはり数百人が検挙される事件になった。 そして民族学校は私立校か各種学校として認可されることになったのです。

 ここで曺さんは戦後の在日の民族学校問題を取り上げていますが、もうビックリするほどのデタラメですねえ。 まずは朝鮮人連盟(朝連)の結成は1952年ではなく、1945年10月。 そして1949年9月に朝連は団体等規正令(「規制令」は間違い)で解散させられました。 1952年に朝連は存在していなかったのです。

 また「公立の民族学校さえつくっていた」とありますが、実際は日本の公立小中学校の校舎や運動場を使って朝連が朝鮮人学校をつくったもので、「公立の民族学校」ではありません。 そしてそこでは法律に基づかないで、教員免状も持たない俄か朝鮮人教師が教壇に立っていたのでした。 だからGHQは1947年に日本政府に朝鮮人学校の全廃を命令し、日本政府はこれによって翌48年4月に朝鮮人学校を全面閉鎖したのです。 

 「民族学校は私立校か各種学校として認可された」のは、それまでの朝鮮人学校が公立学校の校舎と敷地で設立され、教育基本法等の法律に基づかない教育が行われたために閉鎖されたので、私立学校か各種学校として生き残らざるを得なかったからです。 

一方で日本政府は、在日の人々の追放政策を進めた?

曺― ええ、在日同胞は、韓国が大韓民国になった48年まで、韓国と日本の国籍を持っていましたが、日本政府は多数の同胞を軽犯罪で引っ掛けて、韓国に強制退去させてきた。 独立後、日本は国際社会に仲間入りしたために、この政策は破綻しました。

 ここでもビックリ。 在日は1948年まで「韓国と日本の国籍を持っていた」!!?? 国籍法の専門家で、こんなことを言っている人がいたのでしょうか。 正確に言うと当時の在日は、日本が1945年のポツダム宣言を受け入れたことによって日本国籍を喪失したので外国人登録されたが、日本に留まる限り日本人と同様に扱うとされました。

 「多数の同胞を軽犯罪で引っ掛けて、韓国に強制退去させてきた」とありますが、間違いです。 軽犯罪で強制退去はあり得ません。 なお当時は韓国から密航による不法入国者が多かったものでした。 不法入国者は外国人登録証がありませんので、警察から登録証提示を求められた時に発覚して強制退去となります。 これを「多くの同胞を軽犯罪で引っ掛けて」としたのではないかと推察されます。 強制退去は軽犯罪ゆえではなく、不法入国ゆえであったことを忘れないでほしいですね。

 「独立後、日本は国際社会に仲間入りしたために、この政策は破綻しました」とあります。 これはおそらく日本独立(1952年)以後、韓国政府は日本から強制送還される韓国人の受け入れを拒否する例が多くなり、強制退去命令が出ても日本に滞在するしかない韓国人が発生したことを指しているものと思われます。 それ以前はGHQの時代でしたから、米軍の強力な影響下にあった韓国では日本からの強制送還を拒めなかったのでした。

 「強制退去政策は破綻した」というのは、韓国側の都合によって日本からの強制送還者を拒否したからであって、日本が「国際社会に仲間入りしたため」ではありません。

次が同化・帰化政策?

曺― そうです。65年の韓日条約で協定永住権が生まれ、同法は韓国籍か朝鮮籍(朝鮮民主主義人民共和国)に分かれたのは周知のことですが、日本政府の在日韓国人対策の基本は、日本人として生きる方が生きやすいという状況をつくる、つまり同化・帰化、あるいは抑圧・追放政策です。 外国人登録法や入国管理法で登録証に指紋を押させて、在日同胞に負の民族意識を植えつけ、差別を温存する。 これで覚醒するものも出てくるけれど、民族意識を持つものを弾圧し、負けた大多数を同化・帰化させる条件を整備していった。 それでもだめなら、追放する方針なんです。

 日本政府は在日に対して差別・同化政策を行なっているという主張です。 当時はこれが大手を振っていて、日本政府は在日の民族性を奪う政策を行なっているとされていました。 在日は民族を取り戻すために本名を名乗り、韓国語を学び、日本の差別と闘う、そうやって民族意識を持って日本政府に対し闘うことが自分たちの使命なのだとなっていきます。

 しかし当時の在日はすでに本国の韓国人との違和感が大きくなっており、また本国の韓国人たちも下手な韓国語をしゃべる在日を同胞扱いしませんでした。 日本政府は何も同化・帰化政策という努力をしなくても、在日の方から同化していたのです。 1980年代はそういうことが明らかになってきた時代だったなあと思い出されます。 曺さんの主張はそういう在日の現状に目をつぶり、日本政府を撃つことに重点を置いていたと評価できます。 (続く)

1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/21/9570847

1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(3)2023/03/29

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/25/9571842 の続きです。

で、大学に進んだあなたのような人は、全国100大学にある韓国文化研究会に入って、より一層民族意識を高める。 それが在日三世ですね。

曺― ええ。本当の韓国文化とは何か、祖国との接点は何か、を仲間と語り合い、文献を読むなかで、言葉など自国の民族文化のありようを知ったんです。 それから外国人登録法反対闘争を組みました。

外登法問題は両国の政権下で裏取引される気配がある。

曺― ええ、一回だけ登録原票に指紋を押すだけでいい、といった形で‥‥。 いまは、人権問題としての裁判闘争が主流ですが、なぜ「在日」が発生し、韓日条約もなぜスケープゴート(犠牲の山羊)扱いされているのか、われわれをそのように取り扱ってきた日本文化がはらむ負の要素を注視してゆきたい。

 民族文化とか民族意識とかいうものは、本来それぞれの家庭で自然と造成されるものだと思うのですがねえ。 家族とどんな言葉で会話しているのか、普段の料理は何か、チェサ(祭祀―法事のこと)はどのように行なっているのか、冠婚葬祭の際に集まる一族たちとどのような話を交わすのか、本国の親戚とはどのように交際しているのか等々の日常生活のなかで、基本となる民族文化や民族意識を先ずは身につけるべきものではないでしょうか。

 そういった自分たちの韓国・朝鮮の民族文化意識の基本・初歩を論じずに、自分たちには外国である「日本文化がはらむ負の要素」を論じるところに大きな違和感があります。

 もう一つ、「外登法問題」や「人権問題の裁判闘争」といった言葉から分かるように、日本の体制に対する闘いが民族文化等の重要な要素なっている点です。 つまり曺さんは、日本の政治・社会体制と在日の民族文化等とが対立するという考え方を打ち出し、在日が民族を取り戻し獲得することは日本の体制に反対することだと訴えているのです。 これは1970~1990年代における在日の活動家たちの特徴的な考え方でしたねえ。 

 在日活動家は日本左翼・革新の反体制思想と共鳴していました。 本名を名乗ってちょっと韓国語ができたくらいで民族文化を獲得したと考え、日本の体制に対峙することによって民族意識を確認すると思い込むようになります。 一言で言えば、在日のアイデンティティは反日・反体制思想にあるということになります。 曺さんのインタビュー記事を読みながら、そんな昔の時代を思い出します。

 日本の左翼・革新の人たちは、在日は自分たちの思想に賛成してくれるものと期待し、そして在日活動家もその期待に応じようと日本左翼・革新思想を受け入れることとなります。 現在ではこの考え方は在日や日本人の若者にほとんど継承されず、中高年齢層(主に1960年代末~1980年代に青年期だった人たち)の一部にまだ強く残っているものと考えます。

 今度三回にわたって40年も前の在日活動家の発言を取り上げたのは、“当時は将来を見通せずにこんなことを真剣に議論していたんだなあ” “何と無駄なことをしていたのだろうか”という反省を込めた私のノスタルジーですね。 (終り)

【拙稿参照】

1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/21/9570847

1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/25/9571842

李青若『在日韓国人三世の胸のうち』(1)―強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/06/9546013

李青若(2)―「あなたは同化しているね」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/06/9546013

李青若(3)―1990年代の在日問題 ― http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/12/11/9547102

在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

韓国の「道徳」は日本と違う―小倉紀蔵(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/28/9504029

「差別・同化政策」考     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuyondai

消える「在日韓国・朝鮮人」  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuukyuudai

在日朝鮮人は外国人である   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai

(続)在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai