1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(1)2023/03/21

 かなり古いことになりますが、1980年代の在日韓国・朝鮮人の活動家はどのような考え方をしていたのか、ちょっと気になって資料を探していたところ、『朝日ジャーナル』1985年1月25日号に韓国学生同盟(韓学同)の委員長だった曺功鉉(読み方は「チョ・ゴンヒェオン」とされている)さんのインタビュー記事を見つけました。

 曺さんの経歴等は、次のように紹介されています。

1962年名古屋生まれ。中央大4年。 韓学同は、在日韓国人の権益擁護と韓国の民主化、統一を目指して活動している純粋学生組織。曺氏は1月初めまで委員長だった。

 『朝日ジャーナル』記者は、インタビュー記事の冒頭に次のような解説を書いています。

在日三、四世の地道な政治、文化活動が、このところ盛り上がりをみせている。 突出したところでは、各地のお役所での大量指紋押捺拒否。 〝おとなしい″とされる二世に代わって、これら運動の主役になり始めたのである。 その特徴は運動だけにあき足らず、「在日」を生んだ日韓の文化の歴史的特性を改めて問うこと。 その一翼を担う韓国学生同盟の前委員長・曺功鉉氏に、「在日」の痛みについて聞いた。

 二世は「おとなしい」が、三・四世が運動の「盛り上がりをみせている」という世代論には、へー!そうだったのか?とビックリ。 私は、在日社会は本国と切っても切れない一世が高齢化して1970年代には現役を退き始め、80年代に代わりに二世が活動の主役となって本国志向から日本志向へと変わっていった、指紋押捺反対運動もこの延長線上にあった、と思っていました。 しかし『朝日ジャーナル』はこの時期において、二世は「おとなしく」、三・四世が運動の主役を元気に担って「盛り上がっている」としています。 私の体験・認識とは違っているので、ちょっとビックリしたわけです。

 次にインタビューの内容です。

あなた方若い在日韓国人は、祖国の文化を継承すべく、どう活動していますか。

曺― 理念的にはふたつ。ひとつは日帝支配で奪われ、失ったものを奪い返し、克服して、精神的に自分たちが解放されるような運動です。 具体的には母国語習得のほか、祖国の芸能に触れ、踊りを踊るとか‥‥。 もうひとつは、日本にいるものも本国にいるものも、日本人に韓国が理解される状況をつくるよう努力することです。

― 例えば、信楽焼、薩摩焼、有田焼などは、朝鮮の陶工が日本に伝えたものですね。 こんな初歩的な歴史でさえ、日本人は知っている人はごく少数です。

― 私たちは、自分たちの存在証明に、韓国語の習得を挙げていますが、NHKの韓国語講座に疑問を持つ、と先程いったのは、もう一つ引っ掛かりがあるからです。 それは、民族教育が弾圧されているからです。

 活動の理念は二つ。 ひとつは「日帝支配で奪われ、失ったものを奪い返し、克服して、精神的に自分たちが解放されるような運動」。 当時の言葉で、〝民族を取りもどす″ですね。 具体的には韓国語を勉強して、民族の伝統的芸能を学ぶこと、と言っておられます。

 私の周りの在日では、特に若者にとって韓国語はいくら民族を取り戻すとはいえ生活に役に立たない外国語と同じで、中途半端に終わる人が多かったですねえ。 なかにはハングルを見ただけで拒否反応する在日もいました。 伝統芸能も、こんなものは一度見れば十分、自分からやろうと思わないと、これまた拒否反応する若い在日が多かったです。 

 もうひとつは、日本人の韓国理解を挙げています。 具体的には「信楽焼、薩摩焼、有田焼」は朝鮮人陶工が伝えたことを日本人は知らないから、知ってほしいということです。 このうち薩摩焼と有田焼はその通りですが、信楽焼は朝鮮人陶工が伝えたものではありません。 信楽焼は元祖が鎌倉時代ころに常滑焼から入ってきたものであって、朝鮮は何も関係ありません。

 信楽焼が中世から続く日本の伝統窯であるということは、陶磁器にちょっと詳しければごく当たり前の知識です。 しかし曺さんは信楽焼が朝鮮陶工の伝えたものであることが「初歩の歴史」でほとんどの日本人は知らないと言い切っていますから、唖然とするところです。 (続く)