入管闘争―善人だから闘うのか、善人でなくても闘うのか2023/05/25

 日本に在住する外国人は、入管法(出入国管理および難民認定法)に基いて管理されています。 今政府がこの入管法の改正を目指し、それに対して市民運動団体やマスコミなどから反対運動が起きるなど、大きな議論となっていますね。 ところで入管法に関しては、50年ほど前にも反対運動があり、大きな議論になっていたことを知る人は少ないようです。

 1970年代までの外国人出入国管理は「出入国管理令」(以下「入管令」)という法律に基づいていました。 しかしこれは実はいわゆる「ポツダム政令」で、国会が議決して施行された法律でありません。 それでもやはり法律であるのが「入管令」でした。 政府は1969年にこれを改正して、新たに「出入国管理法」としてちゃんとした法律にしようとしました。

 当時は外国人といえば大半が韓国・朝鮮人で、新たな「出入国管理法案」は彼ら在日の管理を強化するもので許されないとして、反対運動が激しくなりました。 その反対運動を中心となって進めた一人が日本朝鮮研究所(後の現代コリア研究所。今は閉鎖)の佐藤勝巳でした。 そして反対運動が功を奏したのか出入国管理法案は廃案になりましたが、彼はその後も在日の入管問題に関わり続けました。 後に『在日韓国・朝鮮人に問う』(亜紀書房 1991年4月)という本を出版し、その中で当時の出入国管理法案反対運動と入管問題を振り返っています。

1970年代前半にもう一つ深くかかわったものに出入国管理法案反対運動があった。 この法案は1969年と71年、72年、73年の計四回、国会に上程され、廃案となった。 筆者(佐藤)は、当時、日本朝鮮研究所の事務局長として、この法案反対のために動いたが、正直にいって動けば動くほど空しさを感じていった。

それは法案に反対だ反対だと言っている人たちのほとんどが、当時の出入国管理令もそして法案も読まずに、ただ騒いでいるというのが分かったことであった。 (12~13頁)

 革新・左翼団体が反対を唱えたのですが、実は彼らは「出入国管理令もそして法案も読まずにただ騒いでいる」というのが実態だったと彼は言います。 これはその通りだったと言わざるを得ませんねえ。 そして彼は日本朝鮮研究所から入管法を解説する本『在日朝鮮人 その差別と処遇の実態』(同成社 1974年)を出しました。

入管に関する本を出すと、在日韓国・朝鮮人からいろんな問い合わせや相談がくるようになってきた。 そのほとんどは、刑罰法令に違反して退去強制令書が発布されて大村収容所に送られたが何とかならないか、また肉親を頼って密入国してきて10年以上経つが特別在留をもらえないだろうか、などなど実に様々な相談が寄せられた。

1974年から7年間、入管法のお世話になる人間とはどういう人間なのか、その人間に法律がどのように作用していくのか、その法律運用によって国家とはどのように維持されていくのか、ということを垣間見ることができた。

入管問題の諸ケースに出合うことによって、多くの在日韓国・朝鮮人が持つ価値観の一つに、法律とは破るもので守るものではないという考えがあると、かなりの確信をもって思うようになった。 (以上 15~16頁)

 彼は入管法の解説本を出したことによって多くの在日韓国・朝鮮人から相談を寄せられ、さらに犯罪や密入国等々で入管法(当時は入管令)違反に問われたような在日からも切羽詰まった相談がくるようになりました。 しかし彼は、そんな相談を寄こしてくる在日が「法律とは破るもので守るものではないという考えがある」ことに気付いたのでした。 そしてそんな在日からこれまた信じられないような話を聞かされます。

筆者(佐藤)が入管局通いを止めた(入管問題に関わらなくなった)理由の一つは、相談にくる在日韓国・朝鮮人から信じられないような話を何度も聞かされたことだ。 「自分は」という場合と、「知人の誰々は」という場合と様々だが、「大阪選出の○○党の○○代議士に500万円を渡したが何もしてくれなかった」とか、「ある地方の民族団体の幹部は、当時の金で1000万円払うと密入国者に特別在留を取ってくれるというが、本当なら頼んでみたい」という話もあった。 ウンザリするほどカネにまつわる話を聞かされた。

公然と法律に反する使い方、つまり賄賂として使うことに後ろめたさを感じるのかどうか、合法か違法かについての通念があるのかどうか‥‥ この種のことで接した在日韓国・朝鮮人で、賄賂を使うことの後ろめたさを感じている人は皆無に近かった。 (17~18頁)

 このあたりの在日の具体的な様相は、ちょっと説明が必要と思います。 日本人が最初に在日問題に関わる時、相手してくれる在日というのは大抵がインテリで紳士的であり、法やルールは守らなければならないものだということを知っている人がほとんどです。 ところが入管法違反で検挙され収容されるような在日は、それとは正反対がほとんどなのでした。

 このことは、「ピン」から「キリ」までの在日を実際に知る人にはすぐさま理解できると思います。 ちょっと極端な話をしますと、「ピン」の在日しか知らない日本人は〝在日を差別するなんて不当だ!″と思うでしょうし、一方「キリ」の在日を知ってしまった日本人は〝これでは在日が差別されても仕方ない″と思うでしょう。 要するに在日は日本人と同様に「ピンからキリまで」多様なので、入管問題は一筋縄でいくものではなかったのでした。

 だから、かつての在日の強制送還に反対する入管闘争では〝善人だから闘うのか、善人でなくても闘うのか″が議論になったと言います。 つまり日本社会にも有用な人材である在日の強制送還に反対するのなら日本人の共感を得て正当性を主張できる、しかし無用な(犯罪性向を持っているなどの)在日の強制送還にも反対して日本に押し留めることを要求することが正当なのかどうか、という問題でした。 

 そして佐藤勝巳は、入管問題から離れることを決断します。

筆者(佐藤)のような素人が、たとえボランティアであったとしても、この種の入管問題には関与すべきでない。‥‥そう思うようになって、個別の相談は受けないことにした。 それが1981年のことである。 (19頁)

 以上、かつて入管問題に関わった佐藤勝巳でした。 ところでそれから40年以上経った今の日本で、入管問題が再び大きく取り上げられて議論となっています。 また難民申請が認められず、入管施設に収容されたり仮放免されたりした外国人の救援活動も盛んですね。 そんな時、40年前に入管問題に取り組んだ佐藤勝巳の軌跡を振り返ってみるのは意味があると思うのですが、どうでしょうか。

 昔の入管闘争で〝善人だから闘うのか、善人でなくても闘うのか″という議論があったことは、今の入管法改正反対運動に対して一考する価値のある問い掛けになると考えます。 

【拙稿参照】

在日が入管問題に冷たい理由―『抗路』を読む http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/20/9587549

不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672

不法残留外国人について     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331

不法残留外国人について(2)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363

かつての入管法の思い出     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

自宅を外国人シェルターにした女性―時事通信 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/01/12/9554644

保険未加入外国人の治療費―東京新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/01/07/9553457

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

移民の犯罪率は高いのか    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/23/9390661

密告するのは同じ在日同胞―『抗路9』座談会 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/03/9468948

アルメニア人の興味深い話―在日に置き換えると http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/26/7812267