『故郷忘じがたく候』の元となった逸話(1) ― 2024/01/02
1592年に始まった秀吉の朝鮮出兵(文禄慶長の役―壬辰丁酉倭乱)の際に、島津軍によって連れてこられた陶工たちが鹿児島の苗代川等の地に定着し、ここで窯を開き陶磁器を焼きます。 「薩摩焼」と呼ばれるもので、その中の沈壽官窯はとくに有名です。 司馬遼太郎の小説『故郷忘じがたく候』は、この朝鮮人陶工の悲哀を描いたものです。
この小説について、司馬遼太郎が窯元の沈壽官を直接取材し、沈が「朝鮮の故郷を忘れられない」と語ったことに感激して『故郷忘じがたく候』という小説を書いたと説明する人がいました。 実は薩摩焼の陶工が「故郷を忘れられない」と語ったのは、18世紀末の江戸時代の旅行記に出てくる話です。 司馬はこれを読んで、小説の題名を『故郷忘じがたく候』にしたものと思われます。 あるいは14代沈壽官がそれを読んで司馬に語ったのかも知れません。 それはともかくとして、その旅行記を紹介します。
旅行記は京都の橘南谿という医師が書いた『東西遊記』(1795年刊行)で、現在では平凡社東洋文庫『東西遊記2』(1974年3月)の170~173頁に、薩摩焼陶工の話が出てきます。 せっかくなので、当該部分を引用・紹介します。 いわゆる「候文」で読みづらいでしょうが、高校時代の古典授業を思い出しながら読めば、理解できると思います。
76 高麗の子孫(鹿児島)
薩州鹿児島城下より七里西の方、ノシロコという所は、一郷みな高麗人なり。 むかし、太閤秀吉、朝鮮国ご征伐の時、この国の先君、かの国の一郷の男女老若を虜となして帰り給い、薩州にてかの朝鮮の者どもに一郷の土地を賜い、永くこの国に住せしめ給う。 今に至り、その子孫、打ち続き、朝鮮の風俗のままにして、衣服、言語もみな朝鮮人にて、日を追うて繁茂し、数百家となれり。 初め捕われ来たりし姓氏17氏、いわゆる、伸、李、朴、卞、林、鄭、車、姜、陳、崔、盧、沈、金、白、丁、何、朱なり。
ノシロコは前後の文脈から「苗代川」と推測できます。 薩摩での言い方なのでしょうか。
‥‥賓客なれば、ノシロコの庄屋、礼儀を正して出迎えたり。すなわち、庄屋の家に入り、酒販等のもてなしを受けて、初めて対面して名を問えば、シンポウチュンと答う。 その文字を問えば、伸侔屯と書くという。 「さても珍しきお名前なり。 ことに伸というは唐土にも承り及ばず。 朝鮮元来の姓にや。」と言えば、「そのことにて候。 これは日本に渡りて後に改め候なり。 元来は申と申し候を、先祖の者、この国に渡り上りし頃、太守へお目見えの時、披露の役人衆、猿(さる)とそれがしを披露申されぬ。 その場にて争うべきにあらざれば、そのままに拝礼して終わりぬ。 これは申という字、十二支の猿と読む字なれば、帳面の名をかく読み誤りて披露あられしなり。 その明年の年始拝礼の時も、披露の役人また猿なにがしと披露あり。 後にて、それがしが姓は申(しん)と読み申すなりと断り置きしかど、その役人替わればまた明年も猿と披露あり。 とかく人の声も悪しければ、申(さる)と読まざるように、人偏を付けて伸の字に改めぬるなり」と答う。 その由来も珍しき、手を打ちて笑う。
苗代川村の庄屋さんは「朴平意」と思っていたのですが、ここでは「伸侔屯」となっています。 庄屋さんも時代によって替わっていったのですかねえ。 なお「伸侔屯」は現在の韓国語では「신모둔(シンモドゥン)」となりますが、橘南谿は「シンポウチュン」と聞こえたようです。 中世朝鮮語の発音かも知れないし、ひょっとして鹿児島弁での読み方かも知れないし、何とも言えません。
本来は「申」なのに、日本では「サル」と読まれるので人偏をつけて「伸」としたというのは面白いエピソードですねえ。 だからなのでしょうか、文禄慶長の役の際に連行された朝鮮人陶工の話の時に、時々出てきます。 (姜在彦『ソウル』文芸春秋 1992年7月 31~32頁など)
「さて日本に渡り給いてより、何代になり給うにや」と問えば、「既に五代になれり。 この村の中にも、長寿にて続きたりしは四代なるもあり。 また早く替われる家は八代にも及べるあり」という。 「然らば、朝鮮は故郷ながらにも数代を経たまえば、彼の地のことは思い出し給うまじ」と言えば、「故郷忘じがたしとは、誰人の言い置けることにや。 只今にてはもはや200年にも近く、この国の厚恩をこうむり、言葉までいつしか習いて、この国の人に異ならず、衣類と髪のみ朝鮮の風俗にて、他には彼の地の風儀も残り申さず、絶えて消息も承らざることに候えば、打ち忘るべきことにも候えども、只今何となく折節につけては故郷ゆかしきように思い出で候いて、今にても帰国のこと許したまうほどならば、厚恩を忘れたるには非ず候えども、帰国致したき心地候」と言えるにぞ、余も哀れとぞ思いし。
ここで伸侔屯は「故郷忘じがたし」「帰国致したき心地」と言いました。 これが司馬遼太郎の『故郷忘じがたく候』という題名の元と考えられます。
薩摩藩は苗代川住民に対し、移動の自由を認めず、朝鮮風俗習慣の維持を命じ、この村を異域として扱いました。 つまり同化政策とは反対の〝異化政策″を行なったのです。 しかし200年も経つと使う言葉は日本語となり「衣類と髪のみ朝鮮の風俗」となったようです。 (続く)
【参考】
最近、韓国のハンギョレ新聞に沈壽官の記事が出ました。 2023年12月11日付けと12月18日付けで、内容は沈壽官に関する通説・俗説をかなり冷静に批判するもので、一読の価値があると思います。 ただし日本語版は出ていないようです。 関心ある方は韓国語辞典を引きながら読んでください。 新聞記事ですから、そう難しくはありません。
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1119840.html
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1120764.html
『故郷忘じがたく候』の元となった逸話(2) ― 2024/01/09
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/02/9647749 の続きです。
さてまた、「庄屋を務め給えば、村の人別帳あるべければ、その名前ども見せたまえ」と望みければすなわち帳面を取り出し見す。 庄屋、五人組をはじめ、一郷中みな、金慶山、白孝基などいえる名あり。 いと珍しく繰り返し見る。 その中に解しがたき名も多し。 土民のことなれば文盲なるゆえなるべし。 とかくして、黄昏にも及びければ、案内の者来たりて、客屋というところに導き行く。客屋の主は朴養真という。 その子を朴養安という。 妻をロレンという、文字はなしとなり。 まことに土民にて人品質朴なり。 その余、五人組などと言いて伸守吟という者、挨拶のために旅宿に来たる。 しばらく留めて物語りす。 珍しきことども数々あり。
やはり日本ですねえ。 自分たちの村の住民の人別帳があります。 中世の朝鮮の村は血縁共同体の集まりであって、日本のような地縁共同体でなかったですから、村の構成員を示す人別帳のようなものはありませんでした。 あるのは国家が人民を把握するための戸籍大帳か、宗族の血縁関係を示す族譜でした。 苗代川は朝鮮人の村とされましたが、その村のあり方は地縁共同体であって、日本と同じになっていたようです。
女性の名前が一人でてきて、「ロレン」。 朝鮮女性の名前で「レン」といえば、直ぐに思い浮ぶのが「蓮」。 だから「ロレン」は「呂蓮」でしょうか。 しかし中世の朝鮮では、女性は基本的に個々人につけられる名前がありません。(女性に名前があるのは賤民階級―下記参照) おそらくロレンは日本で生まれたから人別帳に載った名前で、漢字を使わずにカタカナ名だったようです。
翌日、案内の者来たりて、高麗焼の細工場、並びに竈を見物す。 仰山なることどもなり。 この村の半分はみな焼物師なり。 朝鮮より伝え来たりし法をもって焼くにゆえに、白焼などは実に高麗渡りのごとくにて、まことに見事なり。 日本にて焼いたるものとは見えず。 それゆえに、上品の焼物は大守よりの御用のものばかりにて、売買を厳しく禁ぜられる。 これによりて平人の手に入ることなく、他国にても持て囃せることを見ず。 余も案内者に頼みて求めけれど、白焼は得ることはあたわず。 ようよう黒焼の中の上品の小猪口を得たり。 これも余が遠国の者ゆえに、内密にて得させたり。 携え帰りて、今に秘蔵す。 その他は下品にて質厚く、色も薄黒く、烈火にかけても破ることなし。 ゆえに下品は土瓶などに多く造りだす。 これはおびただしく売買して、薩(薩摩)、隅(大隅)、日(日向)の三州はおおかた民間にもこの土瓶を用ゆ。 なお、大阪までもうり来たりて、薩摩焼と称して重宝とす。 薩摩にてはノシコロ焼のチョカという。 チョカとは茶家の心にて土瓶のことなり。 薩摩の方言なり。 土瓶と言いては知る者なし。 さて、それより一郷中、所々見物し終わりて、帰路に赴く。
薩摩焼には白薩摩と黒薩摩の二種類があり、ここでは「白焼」「黒焼」としています。 白焼はお殿様に納入し、黒焼は庶民の日常雑器として供給していると書いているのは正確です。 今でも薩摩焼の説明に使えますね。
すべてこのノシロコの風俗、みな総髪にて、額の上に集めて結いたり。 京の女の櫛巻きなどという髪のごとし。 礼儀の時は頭にまんきんというものを戴く。 馬の尾にて網のごとく組みて、底なく、耳の上に錫あるいは真鍮にて木の葉の形の金物を左右に付け、巾は額より後ろの方に回し当たるものなり。 高き巾あり、低き巾あり。 高きは高網巾という、上官なり。 衣服は茶色の絹にて袖広く、法衣のごとく、上裾分かれたり。 まず裳を着て、また衣を着す。 上には桃色の細き丸き帯を結ぶ。 下着は日本流の服なり。 身幅袖幅ともに広く、帯は前結びなり。 女の髪は礼儀の時は髻を三つに分けて、平生は櫛巻きのごとくなり。 かくのごとくの風俗にて、馬を追い耕すを見るに、実にこの身、唐土にある心地して、さらに日本の地とは思わず。
かく無年貢の地を与えてこの風俗を立ち置かるること、薩摩の広きを知るべし。 薩摩の朝鮮通詞はこの村の人、務む。 当村にては平生はおおかた和語に慣れたりと言えども、またよく朝鮮の言葉を用ゆるものありて、通事役を務むるなり。 すべて薩摩は異国の船、毎度漂着するゆえ、諸異国の通詞役人あり。 この村の朝鮮通詞を務むるは、もっとものことなり。
「まんきん」は漢字で「網巾」と書き、今の韓国語では「망건(マンゴン)」と言います。 男性が使うヘアバンドで、韓国ドラマの時代劇によく出てきますから、ご存知の方も多いでしょう。 「まんきん」は中世朝鮮語かも知れません。
苗代川村は年貢が免除されていて、代わりに朝鮮風俗を維持するように命じられていたということです。 また朝鮮語の通訳の仕事もしていました。 要するに薩摩藩から保護を受ける代わりに、朝鮮語と朝鮮風俗維持という規制を受けていたのでした。 同化政策とは全く反対の〝異化政策″です。
苗代川の朝鮮人陶工について、『東西遊記』の記述は以上でした。 ところで「苗代川村」は今は日置市東市来町美山となっていて、この地名のWikipediaに朝鮮人陶工の歴史が詳しく説明されています。 おそらくそれなりの専門家が書いたものと思われます。
ところがこのWikipediaには脚注、出典、参考文献にこの『東西遊記』がありません。 ということは、この旅行記は歴史資料としてさほどの価値がないと判断されたようです。 私は書かれている内容にウソがあるとは思えなかったので、来日以来200年経った18世紀末の朝鮮人陶工子孫たちの様子を見るのに貴重な歴史資料と思っていました。 しかしどうやら歴史学界では評価が低いようです。 内容に間違いが多いということなのでしょうかねえ。 (終わり)
【拙稿参照】―女性の名前「ロレン」に関連して
李朝時代に女性は名前がなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782
李朝時代に女性は名前がなかったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612
李朝時代に女性は名前がなかったのか(3)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/01/8061795
李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/04/8083000
かつて朝鮮人女性には名前がなかった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/13/9011386
李朝時代の婢には名前がある http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165
許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665
名前を忌避する韓国の女性 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916
名前を呼び合わない韓国人女性たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/14/9072220
金時鐘氏が正規教員?―教員免許はないはずだが‥ ― 2024/01/16
金時鐘さんの著作の読んでいると、次のような話が出てきて、驚きました。
兵庫県で始まっていた「解放教育」運動のあと押しも受けて、正規教員としては在日外国人初の公立高校教員となり、人権教育実践校の兵庫県立湊川高校(定時制)に社会科の教員として赴任しました。 1973年夏、43歳のときでした。 (金時鐘『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 2015年2月 286頁)
何度見ても「正規教員」とあります。
金時鐘氏は、戦前は朝鮮全羅南道の光州師範学校に通っていて、夏休みに故郷の済州島に帰省していた際に8月15日の「日本の終戦」=「朝鮮の解放」を迎えました。 そしてそのまま学校の授業を受けず、卒業しませんでした。 ですから彼は教員免許を取得していません。 その後、彼は済州島で南朝鮮労働党に加わり、1948年の4・3事件に関わって弾圧を受けたため、翌1949年に日本へ密航してきました。 そして日本でも学校に通ったことはなく、従って教員免許がないままでした。
つまり彼は教員免許がないのに、日本の公立高校の「正規教員」として就職したというのです。 そのあたりの事情について、彼は『「在日」を生きる』という本の対談で次のように語っています。
兵庫県高等学校教職員組合のある先生から、あなたが教員になってはどうかという話がきました。‥‥金時鐘をぜひ、在日朝鮮人初の正規の公立学校教員として県教育委員会に推挙したい、との趣旨でした。
40を過ぎた者が今さら学力認定の資格試験を受けるということは、かなり以上の精神的重圧でしたが、意を決して応じることにしました。 当時は教員組織も強い時期で、解放教育運動を支援する気運も県全体に広まっていましたので、差別を許さない教育を目指すなら、在日朝鮮人の教員が現れてもいいじゃないかということがアピールにもなったんです。 一人で特別計らいの資格試験を受けて、短期大学卒業同等の学力認定にぎりぎり受かりました。 国籍条項の制約から教諭に準ずる社会科の教員となって、44歳の時、県立湊川高校(定時制)に赴任しました。 (以上 金時鐘・佐高信 『「在日」を生きる』 集英社新書 2018年1月 122~123頁)
「学力認定の資格試験‥‥ 一人で特別計らいの資格試験を受けて、短期大学卒業同等の学力認定にぎりぎり受かりました」ということは、大学等で授業を受けず、教育実習もしていないにも拘わらず、教員になる資格を取ったことになります。 こんなことは今ではあり得ませんが、1970年代にあり得たのでしょうか。 どんな「資格試験」だったのか、気になって身近の本を探してみました。
金時鐘は自分の湊川高校への就職の経緯について次のように語っている。 ‥‥ 植民地下の朝鮮で師範学校中退だったので、現代日本の法律では、中等教育の教員にふさわしい学歴とはみなされず、採用されるにあたって苦労した。 例えば、受験者は自分一人なのに、七科目それぞれに一名の担当教師が試験の監督と採点を行なうといった大そうなことになった。 そして試験結果は、日本語以外は散々だったにもかかわらず、社会科教員として採用された。 (玄善允『金時鐘は「在日」をどう語ったか』 同時代社 2021年4月 115頁)
資格など何一つ持ち合わせていない自分一人のために、たいへん大掛かりな特別の試験まで設定され、試験の成績は散々だったのに採用された。 (同上 117頁)
どうやら学校では金さんを採用するために、彼一人だけをアリバイ的に試験を受けさせたものと思われます。 「試験の成績は散々だった」とありますから、結果は本来の合格点には程遠かったと思われます。 おそらくは、採用権限を有している教育委員会に〝試験を実施した、教員としての資格がある″と報告して採用させたものと思われます。
金時鐘(林大造が外国人登録名であり、公的にはそれが正式名)は実習助手として任用された。 教員免許がなければ教諭になれないからである。 (同上 116頁)
教員免許がないので教諭ではなく「実習助手」という形で採用し、教員の仕事をさせたということになりましょうか。 しかし、なぜこれが「正規教員」なのでしょうかねえ。 「正規」とは〝任期付や臨時でない正規の雇用″という意味なのでしょうが、「正規教員」と言われると違和感が大きくなります。
ただ1970年代前半は解放運動による同和教育介入が激しかった時代で、同推校(同和教育推進校)では運動側の推薦で簡単に採用が決まることが多々ありました。 こういう学校に、当時盛んだった学生運動の活動家が就職できたのでした。 いわゆる底辺校でも教職員組合の力が強い学校では、活動家が教員採用試験を受けずに就職した場合が少なくありませんでした。 金時鐘さん採用も、当時のこの流れのなかにあって実現したのではないかと思ったのですが、どうなんでしょうか。
ところで湊川高校では朝鮮語授業担当者の後任に、方正雄さんという方が任用されました。 彼はその時の思い出を次のように語っています。
私が神戸市にある兵庫県立湊川高校の教師になったのは34歳、1985年4月からである。 ‥‥ 見知らぬ二人が‥「湊川高校の朝鮮語の先生になってくれ」というキツネにつままれたような話に「ええっ」と目を見開いた。 まずは朝鮮人で、高校の教員免許があり、朝鮮語が分かる人、その検索に私がひっかかり、「白羽の矢」が舞い込んできたらしい。
「卒業証明書だけでもいただけませんか」と言う。 教員免許は未申請だと告げたので、卒業証明書だけでも、ということらしい。 後から分かることだが、2週間もすれば新学年度の授業が始まり、次の教師が見つからないと「朝鮮語」が先細りとなり、いずれ閉鎖されていく、そういう危機感があった。 校長には私がすでに承諾していると伝え、綱渡りの心境で来ていたそうである。
当時湊川高校の朝鮮語教師は金時鐘先生と劉精淑先生の2名だったが、劉先生が急遽退職されるという事情だった。 (以上 方正雄「湊川高校・朝鮮語教師の物語」 抗路舎『抗路8』 2021年3月 172~173頁)
湊川高校が教員免許を持った在日朝鮮人を必死になって探していた、という話はリアルですねえ。 1973年の金時鐘さん採用の時は教員免許なんてどうでもいいという感じでしたが、1985年になるとやはり教員免許が絶対に必要となったようです。
【追論】
拙ブログでは金時鐘氏を批判ばかりしているように思われるでしょうが、実は彼の「差別」に対する考え方には共感しています。 数年前のものですが、下記の拙稿をご参照ください。
武田砂鉄の被差別正義論―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810463
社会的低位者の差別発言 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588
【追記】
昔は教員採用試験には国籍条項があり、日本国籍でないと受験できませんでした。 これは民族差別だとして、国籍条項撤廃を掲げる運動がありました。
こういうことで活動しておられた田中宏さんは1970年代終わり頃に、教員免許を持っている在日を募集して、教員採用試験の受験の申請をさせようとしていました。 当然受理されないのですが、すぐさま裁判に持ち込んで、闘争していこうという戦術です。
この時に田中さんに呼びかけられた在日を知っています。 大学では勉強の一環として教員免許を取っただけで、実際に教員になるつもりはなくて民間企業に就職していた、それなのに教員採用試験を受けろと言われて困った、と言っていましたねえ。
核問題は北朝鮮に理がある―金時鐘氏 ― 2024/01/23
このところ金時鐘さんの著作を読んでいるのですが、彼は北朝鮮の核兵器保有を容認しているんですねえ。 金さんは日本の左派リベラルと親しいので核兵器廃絶の考えをしていると思っていたのですが、自国である北朝鮮の核兵器については理解を示しているのです。 その部分を紹介します。 出典は、集英社新書『「在日」を生きる ある詩人の闘争史』(金時鐘・佐高信 2018年1月)です
今、核保有を誇示している北朝鮮とどう向き合うかが、同じ民族ならなおのこと深く考えねばならない焦眉の問題として、目の前にぶら下がっています。 (159頁)
北朝鮮は金さんの祖国の一つですから、「同じ民族」として「深く考えねばならない焦眉の問題」であるのは、その通りです。 それでは北の核兵器をどう考えるか、金さんは次のように言います。
核の問題だけは北朝鮮に理がある。 (160頁)
ありていに言って、こと核の問題に関する限り、北朝鮮に道理があります。 金日成主席の生存時から、北朝鮮はアメリカに対して、朝鮮戦争の休戦協定を平和協定に締結し直そうと、ずっと提起してきました。 そうなれば北朝鮮が核を持つ理由がなくなる、とも言い続けています。 金日成から金正日に代わったときも同じことを言ってきたし、今の金正恩も、話し合いをするなら私たちも核の問題を考える、それはお祖父様の遺言だとも言っています。 (162~163頁)
金さんは、北朝鮮の核開発と保有を「道理がある」として正当化しています。 その理由が金日成や金正日、金正恩の発言であるとしていますから、へー! 金さんが北の三代世襲の金一族の言うことを信じているとはビックリ! 一方で日本の首相だった安倍さんのことを「さも民主主義の守護神のように振る舞っています、こっけいというしかありません」(159頁)と酷評しているのを考えると、北の金一族への信頼が深いのは「同じ民族」だからなのでしょうねえ。
まかり間違えば、水爆きのこ雲が極東の空の一角をおおうかも知れない。そのただ中に日本も存在していることを自覚して、好き嫌いを先立てずに北朝鮮との対話の場を作り出す責務が、お互いにあるのです。 戦後補償、拉致問題等、日本には話し合いの糸口をつける有効なカードが手元にあるのではありませんか。 (162頁)
もしも日本やアメリカが、北朝鮮の体制を物理的な方法で潰そうとしたら、北朝鮮を壊滅させるのはたやすいことかもしれない。 しかし北朝鮮はひとりでは死にませんよ。 必ず日本を道連れにする。 岩国あたり、日本海寄りの原子力発電所、横須賀の米軍基地は当然狙われる。 北朝鮮が水爆を保持しているのは、冷厳なる事実ですから。 (165頁)
これは脅しですね。 北朝鮮を怒らせたら酷い目に遭うぞ、だから日本からまず手を差し伸べよ、ということです。 つまり日本は北朝鮮の脅威に対して恐れおののき、話し合いの糸口を探れ、と言っておられるのです。 金さんは北の代弁人になったのでしょうかねえ。 金さんはこのように北朝鮮の核兵器保有に理解する一方、日本の核保有には反対しているのです。
吉本隆明は反核運動を批判し、核抑止力という観点から核保有を是認していましたね。 僕などからすると、彼の紡いだ膨大な言葉は、壮大な空転に見える。 まったく親近感はありません。‥‥ どこの大学の図書館に行っても、推薦図書で吉本隆明が飾られているんですよね。‥吉本は本当に読まれているんでしょうか? (68頁)
吉本隆明の反核運動への批判は原発などの原子力開発を否定する運動に対する批判なのですが、金さんは吉本が核兵器保有を是認したと思ったようです。 それゆえに吉本の作品を否定し、彼との対談を拒否したとのことです。
それはともかくとして、同じ核抑止力であっても日本の核兵器はダメで、北の核兵器はOKとするのが金さんの考えなのです。 これに佐高信さんが異を唱えていないので、彼も同じ考えを持っているようです。
ということで、金時鐘さんと佐高信さんは北朝鮮の核兵器保有を容認している、というお話でした。 お二人は左派リベラル側の人間であるということなので、違和感が大きいです。
【追記】
金時鐘さんを批判ばかりしているようですが、実は私は金さんの差別に対する考え方に大いに賛成しているものです。 金さんは部落差別や民族差別などの差別問題で「両側から越える」ことを提起しました。 これは差別問題の解決のためには、差別する側も差別される側も両方から歩み寄って解決の努力をせねばならない、被差別側が差別側を一方的にやり込め、差別側が被差別側に一方的に拝跪し謝罪するようなことでは解決しないと主張するものでした。 私はこれに全くその通りと思い、蒙を啓かれた気持ちでした。
武田砂鉄の被差別正義論―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810463
社会的低位者の差別発言 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588
しかし差別問題から離れて今回のような問題になると、とたんに疑問だらけとなります。 一度疑問を抱くと、すべてが疑問の対象となってしまいます。 金さんは北であれ南であれ祖国の人との交流があるはずだし、在日同士の交際も多いので、私よりはるかに具体的な事実を知っていると思っていたのですが、これが疑問となってきました。 ここ数年の金さんに関する拙稿は、こういった疑問から出発した批判ですね。
【金時鐘氏に関する拙稿】
金時鐘氏が正規教員?―教員免許はないはずだが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/16/9651219
金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/07/9623500
金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/12/9624809
金時鐘氏は不法滞在者(3)―なぜ自首しなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/17/9626078
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112
金時鐘さんの法的身分(続) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281
金時鐘さんの法的身分(続々) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143
金時鐘さんの法的身分(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951
毎日の余録に出た金時鐘さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717
本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031
金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448
金時鐘さんは結局語らず http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/13/9140433
金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120
金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038
金時鐘さんの出生地 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647
青木理・金時鐘の対談―帰化(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343
青木理・金時鐘の対談―帰化(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/15/9526042
金正恩2024年1月15日施政演説(1) ― 2024/01/30
金正恩が去る1月15日に最高人民会議(国会に当たる)で行なった施政演説が波紋を呼んでいます。 韓国に対する脅迫めいた言動は昔からやっていることなのですが、今回は韓国を「第一の敵対国」であり、韓国とはもはや「統一」「和解」「同族」の概念を消し去り、そのために北朝鮮憲法にある「自主、平和統一、民族大団結」を削除するなどと、これまでにない強い表現をしたことに多くの人が驚き、注目しているようです。
それではこの施政演説が一体どのようなものなのでしょうか。 労働新聞を購読している人によると、6ページくらいにわたって掲載されていたそうです。 労働新聞のインターネット版に公開されたものがあったので、読んでみました。 http://www.rodong.rep.kp/ko/index.php?MTVAMjAyNC0wMS0xNi1OMDAxQA==
このうち前の三分の二ほどは主に北朝鮮国内の問題(経済や農村格差など)であり、後の三分の一は国際関係や軍事などを論じており、ここに上記のような韓国を否定する文言が入っています。 今回はこの後の部分を翻訳してみました。 他人の解説を読んで分かった気分になるよりも直接読んで自分で理解する方がいいと思い、ここに公開します。
北朝鮮独特の言葉遣いが多く、そのままでは意味を取るのが難しい部分もあります。 しかし意訳すると私の解釈が入って誤解されることにもなるでしょうから、原文を尊重してできるだけ直訳としました。 分からない単語は「〇〇」としました。 なお原文は一文一文で改行されているのですが、今回は二文か三文でまとめて、それから改行しています。
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代議員同志たち!
我が共和国は平和愛国的な社会主義国家であり、侵略と干渉のない平穏で安定した環境のなかで自主的発展の道を歩もうとする我々の志向は終始一貫し、そのために捧げた代価も莫大です。 しかし我が国家の安全環境は緩和するどころか、日に日に悪化一路を記録し、今日は世界で最も危ない戦争勃発危険地域になりました。
米国当局者たちは時を分かたず吐き出す、我々の《政権終末》妄言とともに、共和国周辺地域に常時駐屯しているように、膨大な核戦略資産、追従性力を糾合し、歴代最大規模で休みなく行なう戦争演習、米国の指図で強化される日本、大韓民国の軍事的結託などは、我が国家の安全を刻一刻さらに厳しく害しています。 年代と年代を繋いで持続的に敢行されている米国の激しい反共和国対決政策と、それに無条件に屈従する大韓民国のような奴僕国家らの自滅的妄動は我が共和国の敵対心を促進させる一方、軍事力強化の正当な名分と圧倒的な核戦争抑止力をより非常に高めねばならない当為性を十分に提供してくれています。 今米国とその走狗たちは戦争に浮かれています。
我々は祖国と人民、万代に至る後孫の平和を目的に、自衛的国防力強化の一路を変わりなく歩まなくてはいけません。 この席に参加した代議員たちは今日中東で起きている無差別的な戦争の惨禍を他人事だと考えてはならず、軍力であり国家と人民の安全であり尊厳であり位相という確固とした信念を大事にし、我々の自衛的国防力を百倍、千倍の最上最大に固めるために、あらゆることを果たさねばなりません。
もう一度強調しますが、我が軍隊は国家の安全と人民の平和を、命をかけて守らねばならない自らの崇高な使命を心に銘じて、敵たちの些少な軍事的動きも見逃さず鋭く注視ながら、そのどんな形の挑発行為も圧倒的な対応で徹底して無慈悲に制圧粉砕することができるように確信持って万般の備えの体制を持たなければなりません。 大事変の準備が切迫して現実化し、それを強力な軍事行動で執り行なわねばならない重大な使命を我が軍隊が負っていることに合わせて、全軍の各級が党中央委員会第8期全員会議と党中央軍事委員会精神を真摯に学習し実行し、実戦化した訓練を強化すると同時に、政治思想教養事業にいつものように大きく力を入れることによって政治思想的および軍事技術的優勢でもって、敵たちとの対決で必ず勝利することができるように準備していかねばなりません。
金正恩同志におかれては、人民軍隊の戦争準備は武装装備の現代化を切り離して考えることはできないと仰って、軍需工業部門で造成された情勢と革命発展の要求に合わせて、今年朝鮮民主主義人民共和国の核戦争抑止力強化と国家防衛力増大のための責任ある闘争で堅持し貫徹せねばならない戦略的課業を提示されて、次のように問題を続けて言及された。
この土地に暮らす公民といえば、だれでも祖国防衛を最大の愛国と考え、自覚的に力強く乗り出さねばなりません。 ○○(전민항전-全民抗戰?)で国を守り、革命的大事変も迎えようというのが我が党の戦略的構想です。 民防衛部分では、これまで戦争準備完成を慢性的にやってきて、形式的、見せかけ式に進めてきたところから深刻な教訓を見つけて新しく始めるという観点と立場で革命的に奮発せねばなりません。 国の防衛力、軍事力を強化するための事業は、名実ともに全国家的な事業として共和国領内のすべての機関、企業所、団体と公民は軍事に、対する正しい観点を持って、軍力強化に必要なすべてのことを最優先的に、最も高い質を保障することに違えることはできないという鉄則とせねばなりません。
各級人民政権機関は、一旦有事には即時に戦時体制へ移行できる徹底した対策を立てて、○○(전민항전-全民抗戦?)のための物質的準備も手抜かりなく備えるようにせねばなりません。 最高人民会議の代議員は国の防衛力強化に一役買うことを自分の応分の義務と考えて、自分の部門、自分の単位に任せられる軍事課業を手抜かりなく遂行せねばならず、軍事を粗忽にする現象は適宜に問題を立てて、徹底して克服するようにせねばなりません。 (続く)
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【北朝鮮に関する拙稿-2023年度度分】
核問題は北朝鮮に理がある―金時鐘氏 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/23/9653071
在日朝鮮人が話す北朝鮮 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/19/9643754
朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056
朝鮮総連幹部らには月3万円の教育費支給 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/24/9627897
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/27/9605137
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/31/9606151
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/04/9607167
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/08/9608146
『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/12/9609128
今日は「太陽節」-朝鮮総連に教育費2億7千万円 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/15/9577360