やはり上野千鶴子さんは闘う活動家2024/02/29

 文春オンラインに、フェミニズムの上野千鶴子さんの記事が出ました。 見出しは「『言葉を失いました』10代女性を相手に講義をしたところ…東京大学名誉教授・上野千鶴子がかけられた“衝撃の言葉”」です。 https://bunshun.jp/articles/-/69164   https://bunshun.jp/articles/-/69164?page=2

 このなかで彼女は次のように語っておられます。

さらに、衝撃的な体験を語ってくれた。

「このあいだ、10代の女の子たちを相手に講義をする機会があって、いつものように日本女性を取り巻くデータを淡々と見せて話したら、そのうちの1人から『上野さんの講義を聞いて、私たちが出ていく世の中が、まっくらなんだってよくわかりました』と言われて。言葉を失いました」

苛立ちや怒りも隠さない。

「当然、書名(上野著『こんな世の中に誰がした?』)そのままの言葉で詰め寄りたい気持ちはありますよ。社会や会社の上のほうにいる、既得権益にまみれたおじさんたちに」

ただ、もはや彼らにばかり問題を押し付ければ済む段階ではないともいう。

「今の社会をつくってきた大人の“あなた”の責任を果たしてください、と言いたいんです。傍観してきたあなたにも責任があります。だって、10代の女子に、自分が出ていく社会はまっくらだ、なんて言わせていいと思いますか? 彼らの未来が明るくなるように、あなたが果たすべき責任は何か。考えて行動してほしいですね」

 上野さんの本はかつてちょっと読んだことがあって、その時は活動家だという印象を持ちました。 そしてこの一文を読んで、やはり彼女は差別と闘う活動家だと改めて感じました。 

 上野さんは社会における女性差別の現状を講義したところ、10代の女性から「私たちが出ていく世の中が真っ暗なんだってよく分かりました」と答えられて、「言葉を失う」ほどの衝撃を受けたそうです。 そして上野さんは、10代の女の子がこんなことを言うのは「既得権益にまみれたおじさんたち」 「今の社会をつくってきた大人のあなた(すべての男ども)」 「傍観してきたあなた」の責任だと言って、世の男性たち、特に政治経済を牛耳るエリートたちを追及しているようです。

 自分の講義を聞いた人が自分の意に反する反応をしたら、普通は“講義の内容に何か誤解を招くようなことあったのだろうか”とか、“どのような発言をすればこちらの意を理解してもらえるのだろうか”とかいうような自省から始めるものだと思うのですが、上野さんはそうではありません。 社会は女性差別に満ちていると講義で訴えたのに、肝心の若い女性から“私たちはそんな恐ろしい社会に出ないといけないのか”と反応したことに驚き、女性にそんなことを言わせるような差別社会が一番悪いのだ、という風に話を展開するのでした。

 これは民族差別や部落差別と闘う活動家の言い方によく似ていると感じました。 活動家は、日本が差別社会だから差別問題が起きると言います。 そして差別と闘う活動家は自分たちに正当性があることを主張するために、社会の差別がどれほど厳しいかを主張します。 差別が厳しく過酷であればあるほど、それと闘う自分たちに存在意義があると考えるのですから、日本は人権侵害と非人間性に満ちあふれる過酷な差別社会だ、そんな社会を動かしている行政や会社が悪い、というような言い方になっていきます。 社会のことをまだ何も知らない若者がこれを聞くと、“世の中はなんて怖いんだ、真っ暗なんだ”という反応になります。

 在日問題においても、活動家たちは日本の民族差別がどれほど厳しくて過酷なのかを主張します。 関東大震災などを引き合いに出して、“私たち在日はいつ殺されるか分からない恐怖の中で生きている”とか言う活動家がいましたねえ。 そんなことを聞くと私なんかは、“そんな恐ろしい場所になぜ住んでいるのか、自分は覚悟して住むことができても家族をどうするのか”と思ってしまいます。

 昔のことですが、ある活動家の家でこれと同じような会話を交わしていたのを思い出します。 それは地域社会で民族差別と闘う運動をしている活動家と、他地域から来た一般女性とが結婚した家庭でした。 妻はその地域に厳しい民族差別があるという夫からの話に驚き、“そんな場所になぜ家族を住まわせるのか”と疑問を抱きました、しかし活動家の夫は妻に差別問題を理解させようと更に闘う運動にのめり込んでいったのです、それでも妻はますます疑問が大きくなっていったという話です。 これは私が当事者の方から直接聞いたもので、以前に拙ブログで書いたことがありますのでご笑読いただければ幸い。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/06/01/9252979 

 上野千鶴子さんも、おそらくは日本社会が厳しい女性差別であることを強調して、だからこそ皆さんはこれに負けずに闘いましょうと訴えたものと思われます。 しかし一般人は平穏に暮らしたいと考える人が多数ですから、社会では女性差別が厳しいなんて言われると、自分もそんな厳しい差別を受けるのかと思って社会に出ることを躊躇したくなるものです。 上野さんの講義を聞いた10代の女性が「世の中が真っ暗だ」と発言したのは、私には理解できます。

 差別と闘うことは、一般人が活動家の主張に共感しているうちはその闘いに意味があり、盛り上がります。 しかし個別の差別問題が解決して差別解消が前進しても、活動家は自分たちの存在を誇示するために厳しい差別がまだまだ残っているというアピールをして活動を続けようとします。 過酷な差別であればあるほど自分たちの闘いは正しいのだとして、ますます闘志を燃やします。

 一方、一般人は日々の生活に満足して幸せで平穏な生活ができればいいものですから、日常に戻って平穏な生活をすることになります。 差別があるから闘おうなんて、普通の一般人は思わないものです。 そこから、活動家と一般人との間に乖離が始まるのです。 

 上野さんの記事を読んで、彼女はやはり差別と闘う活動家であって、女性差別問題でも活動家と一般人と間に乖離が出てきているのだなあ、というのが私の感想です。

【参考】

梁泰昊さんの思い出― 活動家と一般人との結婚 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/06/01/9252979

差別がまかり通る            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/03/3444103

「十五円五十銭」の練習―こんな在日がいるとは!? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/15/9347314

「同じ」と「違い」―差別と闘う論理の矛盾― http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuhachidai

武田砂鉄の被差別正義論―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810463

社会的低位者の差別発言      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

コメント

_ (未記入) ― 2024/03/01 08:48

フェミニズムに対して一定の理解があるつもりで、上野さんの主張にも概ね賛同する者ですが、彼女には何か説明できない、もやっとしたものを感じていました。その好戦的な姿勢が性格的に合わないのかなと思ったりもしたのですが、なるほど活動家と定義すれば何となく理解できたような気がします。常に戦う相手を探しているイメージですね。彼女にとって「性差」とは、改善こそすれ決して解消されない問題だから、きっと死ぬまで戦うんでしょうね。
頭はいいしロジックも明快だから、世の中の性差別改善には役立っているとは思います。でも「妥協」とか「話のつけどころ」などの言葉を最も嫌いそうだから、仰る通り一緒にいたら疲れそう。友人にはしたくないタイプですね。

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