北朝鮮スパイ「辛光洙」の解説―『週刊朝鮮』(2) ― 2024/04/29
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/24/9678436 の続きです。
3年間、工作を成功的に終えた辛光洙は、日本の海岸から北の工作船と接線(連絡を取る)して、1976年9月12日に元山に復帰した。 辛光洙は平壌近郊のスパイ教育訓練所であるヨンソン(龍城)招待所とスナン(順安)招待所で3年7カ月間の再教育の後、第二回浸透に乗り出す。当時、金正日が直接辛光洙に「日本人を拉致して北朝鮮に連れてきて、その身分事項を熟知し、日本人に変身し、工作任務を遂行せよ」と指示した。
「成功的に終える」は日本語としてはちょっと変ですが、韓国語では時々出てきます。 ところで「接線」も馴染みにくい言葉ですねえ。 「再教育」というのは、日本など資本主義国で生活した北朝鮮スパイが自由主義に染まって亡命などしないように、北朝鮮に戻ってきた時に再度洗脳教育をすることです。 昔は「洗濯する」なんて言っていたように思います。
1980年4月、北朝鮮の南浦港から出発して日本の宮崎県日向市海岸に浸透した辛光洙は、一回目の浸透時に包摂したウン・ジョンウン(55)の斡旋で、東京で工作対象者であるイ・キルドン(73 朝鮮総連大阪商工会長)に接近し、北に帰国した彼の長男と次男の写真と自筆の手紙などを提示して、同じ手法で脅迫し、包摂した。
金正日「日本人を拉致した後、身分を盗め!」
辛光洙は、一回目の浸透の時に構築した在日スパイである金吉旭に、未婚で家族がいない者、旅券を一度も取らず人物写真を出したことがなく、前科もなくて指紋で捺印したこともない者、個人の金銭取引や銀行取引がない者、長期間行方不明となってもバレる心配がなく、日本で安全に活動できる45~50歳くらいの日本人を物色して報告するよう指示した。 その結果、朝鮮総連大阪商工会理事長が運営している中華料理屋の調理師である「原敕晁」が適格だとした。 1980年6月、原敕晁を青島海岸まで誘い出して待機していた北朝鮮工作船に乗せ、自分もそれに乗って拉致に成功する。 金正日の指示の通りに日本人を拉致し、身分の盗用を通して対日・対南工作に活用しようというのであった。
日本人の「原敕晁」さんを拉致した時の様子です。 実行犯として、「辛光洙」とともに「金吉旭」の名前が出てきます。
辛光洙は原敕晁と平壌近郊の東北里招待所で5ヵ月間いっしょに宿泊しながら、彼の身体的特徴や性格、人的事項、学力・経歴、親族関係、居住事項、中華料理法などを熟知して、自ら原敕晁に変身した。 このような手法は、本誌第2799号(2024年3月10日付)で紹介した「伝説の女スパイ 李善実」の身分盗用の手法をそのまま使ったものだ。
辛光洙は原敕晁さんの身分を背乗り(はいのり)しました。 これ以降、原さんに成りすましてスパイ活動をします。
「李善実」も同時期に暗躍した有名なスパイです。 昔『北朝鮮の女スパイ』という本が出版され、詳しく解説されていました。 講談社でしたかねえ。
1980年11月26日、辛光洙は北朝鮮の南浦港を出発し、日本の青島海岸に三回目の浸透をする。 彼は一・二回目の浸透工作の時に構築した在日スパイ網を動員して、追加として北朝鮮帰国者家族の包摂工作に乗り出す。 清津に暮らしている北朝鮮帰国者のイ・スンギュの甥であるイ・ドンチョル(李東哲 45)が当時民団幹部にいたが、同じ手法で接近し、包摂する。 特に李東哲が法政大学在学時に北朝鮮の奨学金を受けていた事実を取り上げて、3000万円を工作資金として自分に支援するよう脅迫した。
また在日スパイ網のイ・ギルビョンの照会で、パン・ウォンジョン(方元正 50)に会い、北朝鮮にいる義弟の話をして、同じ手法で包摂する。 辛光洙はこの方元正を利用して、北朝鮮に拉致した原敕晁名義の旅券、運転免許証、印鑑証明証、国民健康保険証などを取り、日本人に成りすました。 1982年2月、北朝鮮の貿易代表団の一員に偽装して、工作の検閲をして渡日して日本のホテルに投宿中であった調査部副部長のカン・ヘリョンに対して、方元正に挨拶させた。カン副部長は方元正に民団に偽装転向して、韓国旅券を作ることと韓国にいる親戚・同窓のうち、影響力のある者を包摂することなどを指示した。
辛光洙は原敕晁さん背乗りのためにパスポートや運転免許等々を取得するのですが、その時に「方元正」という在日が協力したのですねえ。 日本の実情に詳しくない外国人スパイが日本人に背乗りしようとすると、こういう人が必要になるのでしょう。
1982年3月23日、辛光洙は日本人原敕晁名義で作った旅券を利用し、スイス-パリ-モスクワを経由して北朝鮮に堂々と復帰した。 以降、平壌東北里の招待所に収容されて、再教育を受けた。 1982年4月15日、金日成の誕生日に一級国旗勲章を授与された。 辛光洙は金日成の挨拶を受ける接見席上で、日本人の身分を利用して東南アジアに拠点を早く確保することと、日本人拉致の事実がバレると国際問題に飛び火するだろうから、徹底して秘密を維持し、在日スパイ網を活用して対南浸透工作を積極的に展開するなどの業務命令を受けた。
辛光洙は日本人パスポートを手に入れたので、国際的に活動の場を広げることができました。 (続く)
北朝鮮スパイ「辛光洙」の解説―『週刊朝鮮』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/24/9678436
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