韓国のドイツ風住宅 ― 2024/10/27
今から10数年ほど前、韓国の新聞に「ドイツ風住宅」の広告が載ったことがあります。 都会からちょっと離れた田園風景の土地で、第一期として何軒かの建売住宅を販売するものでした。 ですから最終的には十数軒か何十軒かの団地になるようでした。
ところで、なぜドイツ風なのか? 韓国では何かドイツ文化が流行しているのかとも思いましたが、そんなことはありませんでした。 ですからその時は、一風変わった住宅をアピールする宣伝戦略なのだろうと思いました。
それから何年かして、『国際市場で逢いましょう』という韓国映画がヒットしました。 家族を守り支えるためにベトナム戦争などの戦乱を体験し、ドイツに出稼ぎに行ったりした男の物語でした。 ここにドイツが出てきます。
軍事政権時代だった1960年代後半~70年代前半、貧しかった韓国ではドイツ(当時は西ドイツ)への出稼ぎ労働者が募集されていました。 男なら炭鉱夫、女なら看護助手です。 映画の主人公は男でしたからドイツの炭鉱に行ったのですが、同時に募集された女性は看護助手としてドイツの病院・療養所等に行きました。 そして彼らは何年か働いて稼ぎ、契約が終わると韓国に帰ってきました。
映画では韓国に帰ってその後の物語に続くのですが、実は一部の韓国女性がドイツに残ったのです。 看護助手は看護師の補助作業で、患者の身の回りの世話をします。 一番大変なのが沐浴や排せつの世話ですが、韓国から来た看護助手らは小さい身体で大柄なドイツ人患者らを嫌がらずに誠心誠意で世話をしました。 そうすると患者の息子たちがその姿を見て感動し、惚れ込んで求婚したそうです。
詳しい数は分かりませんが、看護助手の韓国女性がドイツ男性と結婚した例がかなりあったと聞きました。 その結婚式には韓国の家族が参加できず、男性側は家族・親戚等大勢だったが女性側はごくわずかの友人のみ、という式だったそうです。 その時、花嫁は韓国の母親から送られてきた韓服を着たそうです。
また韓国の家族のためにまだまだ儲けねばならないと新たな在留資格を取ってドイツに残ったり、同じく派遣された男性炭鉱夫と結婚してドイツにそのまま定着した女性もいました。
それから数十年が経ち、彼女らは老境とともに望郷の念が募り、韓国へ帰ろうとする動きが出てきたのです。 冒頭の「ドイツ風住宅」というのは、そういった彼女たちのための家だったのです。 更にそれがこれまでの韓国にはないモダンでシャレた住宅ということで、ドイツとは関係のない韓国人にも需要が出てきたようです。
韓国の新聞の載った建売住宅の広告なんて本来はどうでもいいことなのですが、その背景をちょっと調べると、韓国現代史の新しい知識を得ることができました。 雑学でも知識が広がれば、興味がさらに深くなりますね。