在日の「国籍剥奪論」はあり得ない2024/11/19

 在日韓国・朝鮮人は1952年のサンフランシスコ講和条約発効とともに日本国籍を正式に離脱したのですが、これを「国籍剥奪」といって被害者性を主張する論者が多いですね。 その論理は、“本人の同意も得ずに日本国籍を剥奪した” あるいは “国籍の選択権を与えずに一方的に奪った”というものです。 それまではそんな主張をする人はいなかったのですが、1960年代後半から徐々に出てきました。

 それでは在日韓国・朝鮮人たちは自分らの国籍をどう考えてきたのか、また本国の韓国や北朝鮮政府は在日の国籍をどう考えていたのか、ちょっと詳しく見ていきます。 引用する資料は水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』(岩波新書 2015年1月)からのものです。 この本は私とは考えが違いますが、事実関係の記述はおおむね信頼できるものです。

 まず1945年の終戦直後です。 日本から解放された在日たちは、故国への帰国と生活権を守るために10月に「在日朝鮮人連盟(朝連)」を結成しました。 しかしこれには左翼色が強かったために、民族主義者らがここから抜け出て「朝鮮建国促進青年同盟(建青)」を結成しました。 「朝連」は後に朝鮮総連に、「建青」は後に民団につながります。 それでは解放直後の在日の代表団体であった「朝連」と「建青」は、自分たちの国籍をどう考え主張したのかです。

朝連や建青が求めていたのは、敗北した日本国民とは区別される『解放国民』、つまり外国人としての処遇であった。‥‥ 連合国民をはじめとする外国人に与えられていた特別配給(日本人の主食配給が一日2.7合に対して4合が支給された)も朝連や建青・民団は、外国人としての立場から一貫してその適用を要求した。 (岩波新書『在日朝鮮人 歴史と現在』 108~109頁)

 朝連も建青も、自分たち在日は日本人ではなく外国人であると主張したのでした。 つまり植民地から解放されたのであるから日本国籍がなくなるのは当然だという考えでした。 朝連と建青は当時の在日を代表する団体でしたから、在日全体の意見と見ていいでしょう。 従って在日は日本国籍からの離脱を自ら望んで選択したと言えます。 

 一方で、GHQ占領下の日本は独立国家ではありませんでした。 ですから日本政府は在日を明確に外国人とすることができず、“外国籍の朝鮮人とするが日本に居住する限り日本人として扱う”という曖昧な法的地位とし、当初は本人次第で国籍を選択できるだろうという「見通し」を持っていました。 しかし結局はそんな選択を認めず、一律に日本国籍を離脱させることにしました。

日本政府は1949年12月の衆議院外務委員会の答弁では、在日朝鮮人の国籍問題について「大体において本人の希望次第」となろうとの見通しを語っていた。 この頃、日本政府は、講和条約の締結(1951年)にあたっては、国籍問題は避けて通ることのできない重要問題の一つとなろう、と予想していた。‥‥ 在朝日本人の引き揚げがほぼ完了したうえ、アメリカ側の平和条約構想の中に国籍規定がないことを知って、在日朝鮮人の日本国籍を一律に奪う方向に転じたのである。 (同上 126頁)

1952年、一片の通達を通じて在日朝鮮人を一律に「外国人」としたが、在日朝鮮人側も自らを「外国人」として律していたわけである。(同上 143頁)

 1952年の講和条約で日本が独立国家となると同時に、在日を正式に日本国籍を離脱させることになりました。 この本では「一律に奪う」とありますが、在日は誰も国籍離脱に反対せず、自分たちは「外国人」だと主張したのですから、「奪う」という表現は不適切です。

 ところで国籍というのは国家の構成員という意味であり、国籍を証明するのはその国の政府だけが有する権限です。 従って在日の国籍は何かを考えるには、本国政府の見解が重要になります。

在日朝鮮人の国籍問題は講和条約の発効を控えて開かれた日韓予備会談でも議論されたが、韓国側は、国籍の選択権よりも在日朝鮮人を一律に韓国国民として認定することを日本政府に迫った。(同上 126頁)

 講和条約に向けた日韓会談で、在日の国籍をどうするのかを日本と韓国が議論した際、韓国側は「一律に韓国国民として認定することを日本政府に迫った」のでした。 つまり在日はすべて我が韓国の国籍を有すると主張したのでした。

 それでは朝鮮民主主義人共和国(北朝鮮)はどう考えていたのでしょうか。

(1954年)8月30日、在日朝鮮人を「共和国公民」とする北朝鮮南日外相の声明(「日本に居住する朝鮮人にたいする日本政府の不法な迫害に抗議して」)が発せられた。 声明は在日朝鮮人が朝鮮民主主義人民共和国という主権国家の一員であるとの論理から、共和国政府として在日朝鮮人の自由と権利の擁護を日本政府に求めるものであった。  (同上 131頁)

 講和条約の2年後ですが、北朝鮮の外相は「在日朝鮮人は朝鮮民主主義人民共和国という主権国家の一員である」と声明したのでした。 

 以上をまとめますと、 ①「在日朝鮮人」は終戦当初から自分たちが日本人ではなく外国人であると主張し、 ②「日本政府」は1945年の終戦によって在日がもはや日本人でなくなったと主張し、 ③「韓国政府」は在日はすべて自国民であると主張し、 ④「北朝鮮政府」もまた在日は自国の公民の一員であることを主張しました。

 つまり在日の国籍について、関係する「在日」「日本政府」「韓国政府」「北朝鮮政府」の四者がすべて日本国籍喪失を主張したのです。 ですから在日の国籍問題は、“日本国籍がない”ことで決着したのでした。

 ただし日本は “日韓併合条約は合法正当であり、朝鮮人は当然に日本国籍を有していた” という考えであったのに対し、韓国・北朝鮮は “併合条約は不法不当であるから、朝鮮人は日本国籍を強制されたのであって本当は日本国籍を有していなかった” という考えになります。

 ですから日本は “在日は日本国籍を喪失して韓国・朝鮮籍になった” となるのに対して、韓国・北朝鮮は “国籍は強制されていたのが元の正しいものに戻っただけ” となります。 つまり、それまでの経過にはこのような意見の違いがあったのです。 ただし前述したように、“今の在日には日本国籍がない”という点で一致したのでした。

 それから数十年経って、“在日は日本国籍を有していたのに奪われた” という「国籍剥奪論」が出てきたのです。 これは本国の “奪われる日本国籍なんて元からなかった” とする考え方を否定するものです。 さらに日本も在日も本国も全員が一致して、“もはや日本国籍はない” ということで決着したのに、今になって引っくり返すものです。 「国籍剥奪論」は、“日韓併合は合法正当だから在日は日本国籍を有していた” とする日本側の考えにつながるのものであって、本国の不法不当論に反するものであることに注意が必要です。

 「国籍剥奪論」は日本を加害者、在日を被害者とするために、近年に作り出された用語と言えます。 そしてそれは在日の先輩たちや本国の考え方を否定するものなのです。 「国籍剥奪論」は日本を糾弾するために編み出された主張であり、“言葉の遊び”のようなものと言っていいと考えます。

 

【追記】

・「国籍剥奪論は1960年代後半から徐々に出てきた」と記しましたが、それは宋斗会です。 彼は、“自分は日本人として生まれてきた、日本国籍を捨てた覚えはない”として日本国籍確認訴訟を起こし、自分の外国人登録証を法務省の建物前で焼き捨てました。 彼は民族団体から無視されましたが、国籍剥奪論の最初の人と言っていいでしょう。 一部の知識人と市民団体が応援していました。

・「国籍を剥奪された」という主張は、私の記憶では1970年代後半頃から「在日には国籍選択権を与えるべきだった」とか「在日は権利として日本国籍を与えられるべきである」という主張とともに広まっていきました。 昔に、“日本が私に土下座して‘どうか日本国籍をもらってください’とお願いに来れば考えてやってもいい” と言った在日活動家がいましたねえ。 当時の活動家たちは、「帰化」は日本に頭を下げて申し込むものだから絶対に嫌だという執念を有していました。

・2003年頃でしたか、与党内で「特別永住者等国籍取得特例法案」がまとめられているという報道がありました。 特別永住資格を有する在日韓国・朝鮮人は、所定の要件があれば届け出だけで日本国籍を取得できるというものでした。 ですから「権利として日本国籍を与えられる」という考え方です。 しかし結局は国会に上程されず、廃案となりました。

 在日は自ら望み、そして本国政府の方針もあって日本国籍を離脱することで決着したという過去を思い起こすならば、日本国籍の取得は権利ではなく、これまで通りに申請し審査を受けて許可される「帰化」が筋であると考えます。

 なお『在日朝鮮人 歴史と現在』は「特別永住者等国籍取得特例法案」に反対する一方で、「オールドカマーの在日朝鮮人が日本国籍を取得することは当然の権利」であると主張しています(228~229頁)。 その論理が理解できないところです。

 

【拙稿参照】

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

国籍剥奪論           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/15/445780

水野・文『在日朝鮮人』(15)―外国人の地位を求めた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/25/8138588

水野・文『在日朝鮮人』(16)―国籍剥奪論の矛盾 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/30/8142349

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/01/7263575

在日朝鮮人は外国人である     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai

(続)在日朝鮮人は外国人である  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai

合理的な外国人差別は正当である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuukyuudai

青木理・金時鐘の対談―帰化(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343

青木理・金時鐘の対談―帰化(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/15/9526042

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/17/9518301

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(2)https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/23/9519952

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/29/9521733

帰化にまつわるデマ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/31/387157

在日の帰化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/18/489465

帰化と戸籍 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/26/499625

国籍選択と強制退去           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/15/405667