木村幹『全斗煥』(3)―反共主義で時代に取り残される2025/01/19

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/01/11/9746259 の続きです。

 木村幹『全斗煥』(ミネルヴァ書房 2024年9月)を読んで、それまで知らなかった韓国現代史の知識を多く得ることができました。 そのうち私が思い込んでいたものを訂正したことを、前回と前々回の拙ブログで紹介しました。 今回は全斗煥が有していた「反共主義」という思想について、この本で論じられていることに成程と思われたので紹介してみたいと思います。

 先ずは子供時代の「共産主義」経験です。

全斗煥が(少年時に)暮らした大邱において重要だったのは、この街が「朝鮮のモスクワ」との異名を取った、左派勢力の極めて強い地域だったことである。 ‥‥ 全斗煥が中学校に入った頃の大邱では、左翼勢力の活動が依然続いていた。 多くの学校もその枠外ではなく、生徒たちをも巻き込んだ混乱が続いていた。 とりわけ全斗煥が入学した大邱工業中学校は将来の工場労働者を育成する機関であり、左翼勢力の影響力が相対的に強かった。 全斗煥は次のように回想している。 (22・25頁)

一中学校に過ぎない我が学校でも左翼分子たちによる扇動と暴力が頻発した。 理念や政治体制に敏感ではない学生たちはその様な学校の雰囲気に失望と憤怒を憶えざるを得なかった。 それは私自身も同じだった。 一部教師と上級生の中から飛び出す、授業ボイコットや反動教師の追放といった過激な言葉に、学生たちは混乱した。

ある日、左翼系列の責任者が化学の授業に乱入し、授業ボイコットを呼びかけた。 教室の外には左翼系列の上級生幹部10余名がゲバ棒を持って立っており、険悪な雰囲気が流れていた。 一部の学生はいち早く教室の外に逃げ出し、残る学生も恐怖心で息を殺していた。 私はこの状況に怒り、机を叩いて立ち上がり、左翼系列の上級生幹部に顔を向けて声を挙げた。 「俺たちの両親は苦労して学費を準備し、勉強をさせてくれている。 そうやって俺たちを学校に行かせてくれているのに、勉強しないなんて言うことがあっていいものか。 俺が責任を取るから、お前たちは安心して勉強しろ!」 (以上25頁)

 このエピソードは、後に「テロの脅威の前に、あるいは命取りになるかも知れない恐怖の瞬間に、斗煥が見せた反共意識と胆力、そして筋の通った説得力はその後も長い間、校内の話題となった」と伝えられるほどのものでした。 従って全斗煥の「反共主義」の原点は、幼い時からの大邱での地域社会および学校生活での体験にあると言えます。

 全斗煥は大人になって「反共主義」をさらに強化していきます。

彼の生涯において一貫しているのは、共産主義に対する敵意であり、‥‥ 陸軍士官学校に入学し、その「反共主義」を更に強化する。‥‥ そして士官学校卒業後、陸軍士官に任官した全斗煥は、この「反共主義」を自ら実践する機会を獲得した。 いち早くアメリカ式の特殊戦訓練を受けた彼は、その経験を生かして、北朝鮮からのゲリラを撃退し、ベトナム戦争で功績を挙げ、更には北朝鮮が掘った韓国内への進入用トンネルを発見して、朴正煕の寵愛を得ることに成功する。 事実、冷戦期においても、全斗煥ほどにこの時期の「共産主義」に関わる事件に、数多くの現場で遭遇した人物は稀である。その意味で、全斗煥は反共主義に影響され、反共主義の下で多くの機会を与えられ、そしてその結果、台頭してきた人物だということができる。 (334~335頁)

 このように全斗煥は「反共主義」を強固にし、またそれによって世に認められた人物となったのです。 ところでこの「反共主義」の中身ですが、この本では次のように「現実的なものではなく、イデオロギー的なもの」と論じます。

全斗煥にとっての「共産主義の脅威」とは、現実のものというより、イデオロギー的なもの、そして休戦ラインを越えた「向こう側」にある、非日常的なものに過ぎなかった。 (336頁)

全斗煥にとってベトナム戦争への参戦は、憎き共産主義を最前線で葬るためのものというよりも、自らがアメリカで学んだ最新の戦術を実行し、現実の戦争を経験し、自らの軍人としての能力を向上させる為の場として理解されている。 (336頁)

同様のことは、これまた全斗煥が遭遇した1・21事件(1968年)、つまり北朝鮮ゲリラの大統領官邸襲撃未遂事件についても言うことができる。 この事件における彼の回想において顕著なのは、北朝鮮ゲリラの身体的能力に対する驚嘆であり、畏敬にも近い感情である。 そこには彼らを共産主義者として憎むのではなく、同じ軍人として優れた彼らと競い合い勝利したい、という思いに溢れている。 それはあたかも彼らを戦場での相手としてよりむしろ、スポーツ競技の相手として見るのに近い視点になっている。 (336頁)

彼(全斗煥)は二度のアメリカ留学を経験した。 このような全斗煥の経験は、朴正煕に代表されるような先立つ世代の将校の多くが、日本軍やその統制下にあった満州国軍の出身であったのとは明瞭な対照をなしている。 全斗煥が受けた陸軍士官学校第十一期生以降の教育も徹頭徹尾ウェストポイント(アメリカ陸軍士官学校)式に行なわれたものであり、彼らはそのことに強い誇りを持っていた。 (337頁)

 当時は東西冷戦の真っ最中で、アメリカとソ連は激しく対立していました。 その対立は自由資本主義か社会主義(最終目標が共産主義)かのイデオロギー的なものであり、イデオロギー=観念であるからこそ、その対立は厳しく鋭いものでした。 全斗煥は共産主義の現実(経済的な行き詰まりなど)を見てではなく、当時のアメリカに学んでイデオロギーの「反共主義」を強めたのでした。 そしてそのアメリカは世界で、時には黒幕として反共謀略工作を行ない、時にはベトナム戦争のように公然と反共行動をしました。 前者の反共謀略工作として、この本では次を挙げています。

1953年のイランのモサデク政権崩壊や、1972年のチリのクーデター等、冷戦下の世界では自らの政敵に「共産主義者」のレッテルを貼りつけるシナリオの下、アメリカの支援を受けて行なわれた政変が数多く存在した。 (339頁)

 1980年に全斗煥は、「反共主義」のためなら謀略も辞さないという、それまでのアメリカのやり方をまねて5・18光州事件を起こし、韓国を掌握したのではないか、と考えられます。 さらに全が大統領になって国内の民主化運動を弾圧したのも、この強固な「反共主義」の信念から来るものでしょう。

 しかし1970・80年代になってデタント(東西緊張の緩和)が進み、アメリカは共産主義であってもその存在を容認する方向に変わっていきました。 すなわち、頭から相手を否定するようなイデオロギーではなく、現実をそのまま見て受け入れるようになり始めていたのです。 ところが全斗煥は反共イデオロギーに凝り固まっていたのか、そういう世界の変化についていけませんでした。

重要なのはそのような彼らが触れた「アメリカ」が、冷戦期における超大国の多様な社会における限られた部分でしかなかったことである。 だからこそ、1970年代に入り東西両陣営の融和が進み、アメリカ自身が「反共主義」的な外交政策を放棄する時代になると、全斗煥らの考え方や方針はアメリカと大きな齟齬を見せるようになってくる。 (337頁)

時代は既に1980年代に入り、「冷戦後」の時代へ向かっていたことである。 つまり世界は既に、かつてのような「反共主義」の名のもとに行なわれる露骨で剥き出しの政治工作を許容しない時代に突入していた。 (339頁)

 全斗煥は政権が獲得した最大の成果であり勲章でもあった1988年ソウル五輪を守らねばならないために、「『反共主義』の名のもとに行なわれる露骨で剥き出しの政治工作を許容しない時代」のもと、国際社会の歓心を買うために、国内の民主化を認めねばならないというジレンマに陥ります。

全斗煥が憧れ学んだアメリカは、最後には彼の敵対勢力(金泳三や金大中などの民主化運動人士)を支える最大の脅威の一つとなったのである。 (338頁)

 東西冷戦のなか、「反共」のためなら謀略も辞さないという昔のアメリカに学んだ全斗煥は、そのアメリカを含めて世界が変わっていっているのに、「反共主義」に固執したと言えるでしょう。 この本の最後では、次のように結論付けています。

冷戦体制が生み出した「反共主義の子」全斗煥は、時代が「冷戦後」に向かう状況の中、政権を獲得し、時代から取り残されていくことになる。 世界が冷戦に本格的に覆われたのは、長く見ても1945年から1990年までのわずか45年間。 その期間は、90年に及ぶ全斗煥の人生の半分に過ぎなかった。 「反共主義の子」がその人生を全うするには、冷戦は余りに短かった、のかも知れない。 (339~340頁)

 全斗煥の前の大統領だった朴正煕は、日米欧から資本と技術を導入して産業を興す経済政策が大成功を収めて高度経済成長を実現し、それが今度は中国等の発展途上国の経済発展モデルになったという点で〝時代を先取り”しました。 しかしその次に大統領となった全斗煥は反共主義に固執して、「時代から取り残された」のでした。 全斗煥大統領の執政は大きな成果があったにもかかわらず、それをぶち壊すような過ちを犯した原因はここにありそうです。    (終わり)

木村幹『全斗煥』を読む(1)―捏造の北朝鮮軍事情報 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/01/06/9745027

木村幹『全斗煥』(2)―歴史問題は中曽根訪韓から https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/01/11/9746259

 

【全斗煥に関する拙稿】

全斗煥 元大統領 死去    https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/11/23/9442532

全斗煥政権がオリンピックを誘致し成功に導いた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/08/8784411

全斗煥の功績         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/13/8787078

オリンピック誘致で全斗煥政権を応援した日本の市民団体 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/30/8778939

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