1950~60年代の大阪紡績王―徐甲虎(阪本栄一) ― 2025/03/19
ちょっと前になりますが、韓国の有力紙『朝鮮日報』2024年7月22日付けに、「〝도쿄의 巨商”서갑호(「東京の豪商」徐甲虎)」と題するコラムがありました。 https://www.chosun.com/opinion/correspondent_column/2024/07/20/2VBILSSERVA4JD7Z3NCK2GUC24/ 日本語版は7月27日付けにあります。 https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/07/23/2024072380141.html
ここに出てくる「徐甲虎」、この名前より日本名の「阪本栄一」の方が懐かしいですね。 思わず読み込んでしまいました。 記事では、彼について次のように書かれています。
公邸は「東明斎」と命名された。邦林紡績の創業者である故・徐甲虎(ソ・ガプホ)氏(日本名・阪本栄一)の雅号だ。日本による植民地支配下の1915年、慶尚南道蔚州郡に生まれ、14歳で日本に来た当時は飴を売り古紙を集めて資金を貯めた。1948年に設立した紡織会社が急成長し、1950年代に「最も収入を上げる在日韓国人」になった。徐氏が1951年に銀行の資金を借りて敷地を買い入れ、5年間に元利を返済した後、1962年に韓国政府に寄付した。
残念なことに、徐氏が日本に設立した阪本紡績は1974年のオイルショックで経営が揺らいだ。日本の金融機関が融資を回収すると、不渡りを出した。急な資金が必要で韓国政府に支援を求めたが、そっぽを向かれた。徐氏は2年後、ソウルで61歳で死去した。 ‥‥ 徐氏を覚えている韓国人はほとんどいないはずだ。
生前の徐氏は「祖国が恥ずかしい思いをしてはならない」と話していたという。国をようやく取り戻した時代、悲しみを共に耐え抜こうと在日韓国人を励ます一言だったのだろう。「豪商」徐甲虎を記憶する作業に韓国政府はもっと積極的でなければならない。
徐甲虎は在日韓国・朝鮮人社会だけでなく、祖国の韓国にも大きな功績を残した人でした。 しかし彼が創立した阪本紡績グループは1974年に当時戦後最大といわれる倒産となって、それ以降ほとんど顧みられることがなくなりました。 今は在日でも日本人でも「徐甲虎」「阪本栄一」という名前を聞いて、お年寄りを除いてほとんど知らないでしょう。
在日の歴史は〝日本社会で差別と貧困にあえいでいる”とか〝民族受難とそれに対する闘い”に重点が置かれるので、徐甲虎のように日本で成功してお金持ちなったという話はなかなか出てきません。 出てくるとしてもわずかに触れるだけです。 私は特筆すべき人物だと思うのですが‥‥。
徐甲虎について、何かまとまった解説はないかと探してみたら、朴一さんの著書『<在日>という生き方』に次のようなものがありました。 主なところを一部引用します。
戦後紡績王として名を馳せた徐甲虎は、そうした状況のなかで果敢に本国投資チャレンジした在日コリアンの先駆者である。
1928年、14歳の時、日本にわたった徐甲虎は大阪の商家に丁稚として入り、機織り技術を習得。 その後、アメ売り、廃品回収、タオル工場の油さしなど職業を転々とした後、戦後、軍需物資の売買で一儲けした資金で廃棄同然の紡績機を買い集めて、1948年阪本紡績を設立する。
その後、彼は朝鮮戦争の特需景気にのって企業規模を拡大し、阪本紡績に加えて大阪紡績と常陸紡績を相次いで設立し、徐甲虎は年商300億円を稼ぎ出す西日本最大規模の紡績王として君臨する。 やがて彼は自らの事業を不動産やホテル部門へと拡大。 阪本グループは戦後日本経済の復興を支えた繊維産業における十大紡績の一つに数えられるまでに成長する。
短期間で急成長を遂げた徐の手腕はたちまち財界の評判となった。 1950年度納税額1億3000万円、35歳の若さで大阪府内長者番付トップにのぼりつめ、52年には納税額3億6000万で、全国長者番付第五位を記録するなど、彼の在日コリアンとしての日本でのめざましい活躍は本国でも話題となった。
徐は資金援助を通じて(1961年軍事クーデターによって誕生した)朴政権に接近し、財閥の一つである泰昌紡績を買収して1963年ソウルに邦林紡績(資本金115億円)を設立する。 ついで171億円を投じて、大邱に潤成紡績を新設。 彼の工場で働く韓国の社員は一時4000名に達し、阪本(邦林)グル―プは三星やラッキーとならぶ、六大財閥の一つに数えられるまでになる。 こうして徐は韓国でも文字どおり最大規模の紡績会社のオーナーとなる。 (朴一『<在日>という生き方』講談社選書メチエ 1999年11月 152~153頁)
このように徐甲虎は、戦後の日本社会の中で大成功を収めたのでした。 何しろ高額納税者トップだったのですから、真っ当に仕事をして儲けたようです。
ところで戦後の日本では〝在日は差別と貧困にあえいでいる”というイメージが強く、確かに多くの在日はそんな逆境にありました。 しかし一方では、今回取り上げた徐甲虎のような富豪もいたのです。 彼だけでなく、ロッテの辛格浩(重光武雄)も戦後に大成功を収めて富豪になりました。 また後になりますが、ソフトバンクの孫正義も富豪ですね。 こういう事例は在日も能力と努力でもってチャンスをつかめば成功できたということだし、今もそうだということです。
ところがそんな大富豪の徐甲虎は1970年代に入って、突如暗転します。
しかしそれも束の間、操業直前の潤成紡績工場を火事で焼失。 資金繰りに失敗し、操業再開の目途が立たず、祖国に280億円も投資しながら徐甲虎は韓国からの撤退を余儀なくされる。
この事件をきっかけに阪本紡績の日本での経営状況も悪化、おりからのオイル・ショックも影響して、1974年、関連会社を含めて640億円の負債を出して阪本グループは倒産する。 この事件は戦後初の大型倒産と騒がれ、日本の紡績会社まで手放さざるを得なくなった徐甲虎は、二度と返り咲くことなく、悲劇の主人のまま他界する。 (同上 153~154頁)
ちょっと過ぎた言葉を使うことが許されるなら、〝徐甲虎は日本で富豪となって祖国の韓国に貢献しようと大変な努力をしたのだが、逆にむしり取られてしゃぶり尽くされて、最後は捨てられた”ということになりましょうか。 またそこがロッテとの違いということになりますね。 またソフトバンクは、祖国や民団などとは関係なしに独自に成長してきた点で民族企業とは言えないところに特徴があるようです。
ところで阪本紡績・ロッテ・ソフトバンクの三者の共通点は先に述べたことを繰り返しますが、在日も才能と努力をもってチャンスをつかめば成功するということです。 日本は昔も今も在日が成功することのできる社会だったのです。
【追記】
産経新聞の黒田勝弘さんは、「韓国は在日韓国人をいじめながら『金づる』として利用」と題する記事のなかで徐甲虎に触れています。 https://www.news-postseven.com/archives/20161028_455942.html?DETAIL
この記事の中で昔はそういう話をよく聞いたなあと思い出されたのは、当時の韓国・北朝鮮は国家レベルでも個人レベルでも在日からたくさんのお金を出させていた(たかっていた)というところです。 在日は日本から差別されて苦しい生活を送っていたというイメージがありますが、一方では多くの在日は苦しみながらも祖国に多額のお金を差し出していたという事実があったのです。
在日が韓国の親戚らにたかられたという話は拙ブログでも取り上げたことがありますので、お読みくだされば幸甚。
玄善允ブログ(2)―在日の錦衣還鄕がトラブルに https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/04/04/9673005
コメント
_ 海苔訓六 ― 2025/11/30 11:14
_ 辻本 ― 2025/12/01 02:24
「明」と「鳴」は、韓国語では同じ「명」ですから、漢字変換の間違いでしょう。
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韓国に莫大な投資をした功績が書いてありましたが、晩年苦しい立場になった時に本国からはそっぽを向かれて助けてもらえなかったことは書いてありませんでした。
そこまで書いて欲しかったですが。