金時鐘氏への疑問(3)―教員免許・公務員就職2025/04/05

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818 の続きです。

④	教員免許がないのに「正規教員」

 金時鐘さんは日本植民地時代に光州師範学校に通っておられましたが、在学中に日本の敗戦=朝鮮の解放を迎えてそのまま退学(あるいは除籍)してしまいました。 ですから教員免許はありません。 日本への密航後も学校に通ったことはなく、従って教員免許を取得しませんでした。 

 ところが彼は1973年に兵庫県立湊川高校の「正規教員」として就職し、定年まで「教師」として勤めたとしておられます。 教員免許のない人がこのような経歴を持つことができたのは何故か? 疑問が湧きます。

 実際は「実習助手」という形だったようですが、「教師」の仕事をしてこられました。 教師ならば生徒に〝ウソをつくな! 本当のこと言え!”と指導すると思うのですが、教員免許がないのに「教師」だとしていることをどう説明しておられるのでしょうか。 また本当の本名である「金時鐘」ではなく、「林大造」という不正入手した名前を使っていることをどう説明しておられるのでしょうか。 あるいはまた教師ならば、悪事を犯した生徒がおれば警察に出頭して正直に話すように指導するものと思うのですが、不法滞在状態であるご自分についてどのように説明しておられるのでしょうか?      (続く)

金時鐘氏が正規教員?―教員免許はないはずだが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/16/9651219  

 

⑤	自分が公務員でありながら、朝鮮人は公務員になるな

 金時鐘さんは1973年に日本の公立高校の教育公務員(実習助手)に就職されました。 ところがしばらくして、この県の教育界では在日朝鮮人生徒の就職先として公務員を選ぶことへの疑問の声が上がり、議論となりました。 彼はこの議論のなかで、朝鮮人が日本の公務員になってはいけないと主張されたのです。

在日朝鮮人が日本の公務員になることは、日帝時代の夢を彷彿させる。 1945年8月15日まで、朝鮮人の青少年たちの夢は、町村の吏員になることがすべてだった。 いま、日本人化する風潮がつよく、帰化運動を推し進める動きが阪神間で起こっていることを合わせて考えるなら、官吏になることは同化の道行きだ。 言うまでもなく、在日朝鮮人の鉄則は、日本の内政に干渉しないことである。

公務員というなら、朝鮮語を教えることで公務員になっている私の場合のような、知識労働者としての面が開発されるべきだ。 公務員への就職を食えるからとか、金になるからというだけの、市民的権利の拡大だけに短絡させてはいけない。 そのような職場開拓は問題がある。 (以上、兵庫県高校進路指導研究会「在日朝鮮人諸団体の評価」にある金時鐘さんの一文 ―金宣吉「歴史をふまえた『異者』との共生」52~53頁より再引)

https://miccskyoto.jp/miccskyoto_cms/wp-content/uploads/2023/07/intersection_01_04_interview.pdf 

 “自分は「知識労働者」だから日本の公務員になっていいが、朝鮮人は公務員になってはいけない”という主張です。 さらに地方公務員に就職していた在日朝鮮人の子たちに対して、次のようにおっしゃいます。

(朝鮮人が)下っ端というか、木っ端役人ですが、ともあれ行政権力から給料をもらえるということが一番の夢だったのです。 少年の夢として、青少年の描く夢として何と、わびしい限りではありませんか。 そのようなことが、在日朝鮮人の労働権の開発という正当な運動の闘い取る遺産の中で、在日世代のさもしい夢として育てられるのでしたら、これは何ともやりきれない話です。 (「民族教育への私見」 『金時鐘コレクション10』藤原書店 2020年6月 204頁)

 金時鐘さんは自分が公務員となっているのに、在日の子供たちが公務員を目指すのは「わびしい限り」「さもしい夢」で、「何ともやりきれない」気持ちになったそうです。 しかし、ご自身はそんな公務員を定年まで16年間も勤め上げられました。 彼の論理を理解できる人は果たしてどれほどいるのでしょうかねえ。 私には疑問ばかりが出てきてきます。       (続く)

金時鐘氏への疑問(1)―在留資格  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626

金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818

金時鐘氏への疑問(4)―日本語・創氏改名2025/04/11

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006 の続きです。

 ⑥	「流麗な日本語がしゃべれる」のに「いびつな日本語」

 金時鐘さんが講演等でしゃべっておられる日本語は、私の知る在日一世の朝鮮訛りの日本語と違っているし、1970~80年代に韓国旅行中に出会った韓国人のお年寄りたちが話すきれいな日本語とも違っていて、私には違和感がありました。

 彼は植民地時代、小学校(当初は普通学校、後に国民学校)で朝鮮語が禁止されるなかで日本語を徹底して教え込まれ、「皇国少年」としての日々を過ごし、さらに光州師範学校で日本語普及の教師になるための教育を受けました。(『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 67頁) ですから読み書きはもちろんのこと、会話でも完璧な日本標準語を駆使できたはずです。  

ところがそれから数十年経って、彼がしゃべる日本語を実際に聞いてみると、 そんな日本語ではありませんでした。 これについて以前に拙ブログで論じたものがあって、これを改変・追加して改めて論じます。

 2019年6月8日付けの『ハンギョレ新聞』に、「在日70年は〝4・3への痛恨” 胸に秘めて生きてきた抵抗の歳月だった」と題する金時鐘氏取材記事があります。 https://japan.hani.co.kr/arti/politics/33623.html  この記事の冒頭で、金さんは次のように発言しておられます。

「私の日本での〝在日”暮らしは、流麗で巧みな日本語に背を向けることから始まりました。情感過多な日本語から抜け出ることを、自分を育て上げた日本語への私の報復に据えたのです」

 ここに「流麗で巧みな日本語に背を向ける」とあるように、きれいな日本語が使えるのに使わない、それが「日本語への私の報復」なのだそうです。

 次に、2024年7月27日付の『毎日新聞』に、「詩人 金時鐘さん/下 祖国、民族、在日 日本語で書く」と題する連載記事があります。  https://mainichi.jp/articles/20240728/ddm/014/040/005000c (ただし有料記事です)    このなかで金時鐘さんは、自分のしゃべる日本語について次のようにおっしゃっています。

「植え付けられた抒情は日帝(大日本帝国)の後遺症だ。 小野さんの作品と出合い『流されない言葉』への執着が生まれ、自分は何者か、民族、祖国とは何か、問い直しました」。 詩こそ人間の生き方そのものと気づき、「問い直し」は自分の内に巣くう抒情的な日本語を洗い流すことでかなうと考えた。 「流ちょうでない私のいびつな日本語は、日本語への報復です」

 ちょっと以前のものでは、次のような発言もあります。

あくせく身につけたせちがらい日本語の我執をどうすれば削ぎ落とせるか。 訥々しい日本語にあくまで徹し、練達な日本語に狎れ合わない自分であること。 それが私の抱える私の日本語への、私の報復です。 (『わが生と詩』岩波書店 2004年10月 29・30頁)

 以上の三つの記事から言えることは、彼は元々「流麗で巧みな日本語」「練達な日本語」がしゃべれるのに「流ちょうでない私のいびつな日本語」「訥々しい日本語」をあえて使っており、それは「日本語への報復」だということです。 彼の口から出る日本語にかなりの違和感があるのは、彼が意図的に「いびつな日本語」「訥弁の日本語」を使っているからなのですねえ。 しかもそれが「日本語への報復」だというのは、どういうことなのでしょうか。

 また彼は、「日本の支配から解放するために、日本語に報復する」とも言っておられます。 https://book.asahi.com/article/11576563  

日本に渡ったことで日本語を使って生きざるをえなくなった私は、個人としての私を日本の支配から解放するために自らの日本語に報復する必要がありました。

 「日本に渡って日本語を使って生きる」ことは即ち〝日本の支配を受け入れて日本語を使う”ことに他ならず、またそれを自ら選択したことになります。 そうであるのに何故「日本の支配から解放のために日本語に報復」となるのか? これも疑問となるところです。

 日本という土地で、日本語ばかりの環境の中で、日本人(在日を含む)を相手に繰り広げる日本語作品の数々、そしてその作品を売って得る収入と生活。 それらの作品が毎日出版文化賞や大仏次郎賞などの日本の文学賞をいくつも受賞し、彼は今の名声と地位を築いたのでした。 ですから書き言葉の日本語は完璧です。 そうであるなら先ずは日本語への愛情と感謝から始まるべきだと思うのですが、そうではなく「日本語への報復」だとして、しゃべる言葉は「いびつな日本語」「訥弁の日本語」を敢えて使う‥‥。 なぜそうなるのか? 疑問ばかり出てきます。

 近年、金時鐘さんを研究する論文がいくつか出ており、この「日本語への報復」が彼の思想の核心のように論じられています。 彼らは理解できるようなのですが、私には「日本語への報復」が〝ウケを狙った決まり文句“ように感じられて、違和感ばかりが残ります。

【拙稿参照】

金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/07/30/9705285

金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/08/04/9706635

金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(3)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/08/09/9707790

 

⑦	創氏改名の日本名は「光原」なのか「金山」なのか

 金時鐘さんは、著作で記される思い出話では植民地時代の自分の日本名は「光原」だったとしています。 しかし玄善允さんという方が金さんの母校と思われる済州島の小学校を訪ねた時、1943年卒業者名簿に「金山時鐘」という名前を発見しました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/03/31/9671877 とすれば彼は「金山」と創氏改名したことになります。 彼の思い出話に出てくる「光原」とは違います。

 これが指摘されて数年ほどが経ちます。 しかし金時鐘さんはこれにコメントすることはなく、また彼に関する記事を多く書いてきた各種マスコミもこれには言及していないようです。 果たして彼の創氏改名は「金山」なのでしょうか、「光原」なのでしょうか。

 この文を書いている途中、金時鐘さんの創氏改名について、2018年5月28日付の5chで神戸新聞記事が取り上げられているのを見つけました。 卑猥な広告があって不快になるでしょうから、開く時はご注意ください。 https://itest.5ch.net/lavender/test/read.cgi/news4plus/1527492394/

 私の近在の図書館にはローカル新聞のバックナンバーや縮刷版を置いておらず、確かめていないところです。 しかしここで出てきている金時鐘さんの発言は当時の彼の発言内容と一致しており、おそらく神戸新聞に掲載された記事は間違いないだろうと思います。

 この中で彼はご自分の創氏改名について、次のように言っておられます。

創氏改名で名前も金谷光原(かなやみつはら)に。

 「金谷(かなや)」は「金山(かなやま)」の言い間違い(あるいは聞き間違い)と考えることが可能です。 一方の「光原」は姓ではなく名であり、しかも訓読みで「みつはら」となっています。 姓で「みつはら」ならまだ分かりますが、名が「みつはら」となると違和感が残ります。 これが創氏改名した日本名だというのなら、本当かな?という疑問を抱きます。        (続く)

金時鐘氏への疑問(1)―在留資格  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626

金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818 

金時鐘氏への疑問(3)―教員免許・公務員就職 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006

 

【創氏改名に関する拙稿】

第12題 創氏改名とは何か  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

第30題 創氏改名の残滓   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

第70題 創氏改名の手続き  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

朝鮮名での設定創氏が可能な場合  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

宮田節子の創氏改名論       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

民族名で応召した朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817

民族名での人探し三行広告     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/24/7807103

辺見庸さんの創氏改名論      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/06/1838919

朝日の創氏改名論         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/15/2753298

夫婦別姓―毎日新聞の読者投稿2025/04/13

 4月12日付の毎日新聞の「みんなの広場」欄に、「選択的夫婦別姓に異議なし」と題する投稿がありました。 https://mainichi.jp/articles/20250412/ddm/005/070/064000c 

選択的夫婦別姓制度の導入に異議ありません。反対する根拠に説得力を感じません。 結婚で姓を変えることで不利益を被る人がいるのであれば救済すべきでしょう。 子供の姓は二人で相談して決めればよいこと。子供の名前を決めるのと同じではないでしょうか。 別姓が嫌な夫婦は同姓にすればよいだけです。

中国でも韓国でも夫婦別姓が普通ですが、家族のきずなが弱いとは思えません。 私は韓国に駐在していた経験がありますが、韓国の家族や親族のきずなは大変強いものがありました。 お母さんは、何々ちゃんのお母さんで通っていました。 日本でもそもそも家庭内で姓を呼び合うことは、まずないでしょう。 ‥‥

 韓国の夫婦別姓について触れていますので、ちょっと一言します。 「韓国の家族や親族のきずなは大変強い」というのは事実ですが、この場合の「家族」「親族」は父系を中心とするものであることに注意が必要です。 韓国の伝統的家族観では、女性は結婚(嫁入り)しても夫側の家族の一員になるわけでなく、男子を生んで初めてその子の母として夫家族で存在を認められるというもので、徹底した父系重視です。 だから女性は結婚しても姓を変えないのです。 韓国の夫婦別姓は、元々は女性差別の結果だということを踏まえてほしいものです。

 韓国の夫婦別姓については、拙ブログでは5年ほど前に少し詳しく論じたことがありますので、ご参照ください。  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/02/17/9214762

 なお韓国では2007年に戸籍制度が廃止されて、父系家族制度ではなくなりました。 ですから今は法的には男女対等の夫婦別姓制度ですが、父系重視の伝統的家族観は強固に残っています。 ですから生まれる子供の名は、父から受け継ぐのがほとんどです。

 ところが近年の韓国の若者たちは、結婚・出産そのものを忌避する傾向が強くなってきています。 つまり「家族」を否定する考え方ですね。 今までは父系重視の「韓国の家族や親族のきずなは大変強い」のですが、将来はそんな伝統的家族観はもちろん、男女平等の近代的家族観すらも離れて、「家族」そのものの存在が薄れていく社会になっていくのではないかと思われます。

金時鐘氏への疑問(5)―政党加入・4・3事件2025/04/18

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588 の続きです。

⑧	密入国後わずか7ヶ月で日本共産党入党

 金時鐘さんは1949年6月に密航で来日しました。 彼は著作でその時の様相を思い出話として記しています。 それによれば、日本には知り合いが一人もいませんでした。

私が日本に来たての頃は‥‥一人の縁故者もないところへ来たものですから (『わが生と詩』岩波書店 2004年10月 76頁)

 ですから当初は行き当たりばったりだったようです。 彼は自分の故郷である済州島の出身者が多い大阪の猪飼野で暮らし始めます。 

 ところが彼は、それからわずか7ヶ月後の1950年1月に日本共産党に入党しました。 そしてすぐさま共産党傘下の民戦(在日朝鮮民主主義統一戦線の略称)で働き始めます。

(1950年)一月末、自己を奮い立たせるように日本共産党の党員のひとりになりました。 ‥‥中川本通り(生野区)近くにあった民族学校跡の、民戦大阪本部臨時事務所に非常勤で詰めるようになりました。 (『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 2015年2月 248頁)

そちら(生野区の南生野町にあった鶏小屋)に辿り着いて早ばやと日本共産党に、自分の心の責めもあって集団入党の一員として入党しました。 入党するとなると、ビラ貼りから『アカハタ』配りを経ないと正党員にはならしてもらえないんですが、私は国での何がしかの党活動、南労党、南朝鮮労働党の組織活動に加わっておったという実績を買われて、すぐさま、一種のオルグ格の仕事を受け持ちました.(『金時鐘コレクション11』藤原書店 2023年8月 264頁)

 当時の共産党が国際共産主義を掲げていたとしても、また党員資格に国籍条項がなかったとしても、海外での党活動実績を自称する外国人、しかも日本に縁故のいない人間の入党を許し専従職員にしたということです。 わずか7カ月前に来日したばかりの人が海外でどんな実績を残しているのか、またそれをどうやって確認したのか? 拙ブログでは、彼は日本語も朝鮮語もきれいな標準語を使っていたためにマルクス主義に詳しい知識人として通用し、信頼を勝ち得たからではないかと、想像を交えながら論じてみました。 ご参考くだされば幸い。

金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/08/09/9707790

  

⑨	4・3事件で韓国を否定しながら「晴れて」韓国の国民に

 1948年の済州島4・3事件は、南労党(南朝鮮労働党)済州道委員会が人民を盾にして起こした暴力闘争で、パルチザン方式とかいわれるものでした。 〝南北分断反対”を呼号し、具体的には5月10日に南朝鮮だけで実施される単独選挙を阻止して「大韓民国」の建国を許さないことが目的でした。 暴力闘争を担った南労党の組織は、「人民遊撃隊」「武装隊」「山部隊」「パルチザン」などと呼ばれていました。 ここでは主に「遊撃隊」を使います。

 つまり「大韓民国」建国を否定するために南労党遊撃隊は武装蜂起して暴力闘争を敢行し、これに多数の島民たちが同調し協力したのに対し、南朝鮮(同年8月から「大韓民国」)の軍・警が過酷で大規模な弾圧を加えて南労党のみならず多くの島民も犠牲になったのが4・3事件です。 近頃は「島民の蜂起」などのように、南労党を隠蔽するような言い方が多いですね。 中には「南労党」という言葉を全く使わないで4・3事件を解説するものがあって、驚かされます。

 金時鐘さんは南労党の党員として、大韓民国建国に反対する4・3事件に参加しました。 金さん自身が「〝共産暴徒”のはしくれの私」(『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 290頁)と言っておられます。 事件は〝大韓民国は存在してはならない”と否定するもので、金さんはその考えを日本へ密航した後も変えず、日本の外国人登録は〝統一された祖国”を意味する「朝鮮」籍を続け、「韓国」籍は分断を意味するものとして否定してきました。

 ところがそんな彼が55年後の2003年に韓国の戸籍(今は家族関係登録簿)を取得し、韓国国籍になられたのです。 つまり彼は「朝鮮」籍を捨てて「韓国」籍に切り替えて、「晴れて」大韓民国の国民の一員になられたわけです。 「晴れて」と強調したのは、彼の著書『朝鮮と日本を生きる』の287頁に「新たな戸籍と大韓民国国籍を晴れて取得しました」とあったからです。 ですから彼は〝韓国の否定”から〝韓国の肯定”へと、「晴れて」立場を変えられたのです。 

 とすれば、韓国を建国してはならないと否定した4・3事件は一体何だったのでしょうか? 今は晴れて大韓民国の国民となられたからには、〝あの時に韓国が樹立されて良かった”というように評価を肯定的に変えねばならないと思うのですが‥‥。 しかし彼は韓国を否定するために蜂起した暴力闘争の事件について、次のように闘争の正当性を訴え続けておられるのです。

4・3事件は無惨な敗北だった。 しかし民族の解放後歴史をたぐるとき、「無惨さ」として記録されるのではなく、誇りとして記録されると思う。 韓国だけで単独選挙をするということは、永遠に国が分割されるということだ。 選挙を成り立たさないための武力闘争だった。 酸鼻を極めた無惨な敗退を喫したけれど、「目の前で歴然と民族が分断される」ことに力を傾けて反対を唱えた人たちがいたことを誇りとして記録されるべきだ。 (『在日一世の記憶』集英社新書 2008年10月 568頁)

 金時鐘さんは晴れて韓国の国民になられたのに、その韓国を否定する4・3事件を今なお「誇りとして記録されるべきだ」と言っておられます。 しかし結局は「無惨な敗北」に終わりました。 これを「誇り」とするところに大きな違和感があります。       (続く)

金時鐘氏への疑問(1)―在留資格       https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626

金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818 

金時鐘氏への疑問(3)―教員免許・公務員就職 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006

金時鐘氏への疑問(4)―日本語・創氏改名   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588