金時鐘氏への疑問(5)―政党加入・4・3事件2025/04/18

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588 の続きです。

⑧	密入国後わずか7ヶ月で日本共産党入党

 金時鐘さんは1949年6月に密航で来日しました。 彼は著作でその時の様相を思い出話として記しています。 それによれば、日本には知り合いが一人もいませんでした。

私が日本に来たての頃は‥‥一人の縁故者もないところへ来たものですから (『わが生と詩』岩波書店 2004年10月 76頁)

 ですから当初は行き当たりばったりだったようです。 彼は自分の故郷である済州島の出身者が多い大阪の猪飼野で暮らし始めます。 

 ところが彼は、それからわずか7ヶ月後の1950年1月に日本共産党に入党しました。 そしてすぐさま共産党傘下の民戦(在日朝鮮民主主義統一戦線の略称)で働き始めます。

(1950年)一月末、自己を奮い立たせるように日本共産党の党員のひとりになりました。 ‥‥中川本通り(生野区)近くにあった民族学校跡の、民戦大阪本部臨時事務所に非常勤で詰めるようになりました。 (『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 2015年2月 248頁)

そちら(生野区の南生野町にあった鶏小屋)に辿り着いて早ばやと日本共産党に、自分の心の責めもあって集団入党の一員として入党しました。 入党するとなると、ビラ貼りから『アカハタ』配りを経ないと正党員にはならしてもらえないんですが、私は国での何がしかの党活動、南労党、南朝鮮労働党の組織活動に加わっておったという実績を買われて、すぐさま、一種のオルグ格の仕事を受け持ちました.(『金時鐘コレクション11』藤原書店 2023年8月 264頁)

 当時の共産党が国際共産主義を掲げていたとしても、また党員資格に国籍条項がなかったとしても、海外での党活動実績を自称する外国人、しかも日本に縁故のいない人間の入党を許し専従職員にしたということです。 わずか7カ月前に来日したばかりの人が海外でどんな実績を残しているのか、またそれをどうやって確認したのか? 拙ブログでは、彼は日本語も朝鮮語もきれいな標準語を使っていたためにマルクス主義に詳しい知識人として通用し、信頼を勝ち得たからではないかと、想像を交えながら論じてみました。 ご参考くだされば幸い。

金時鐘氏はどういう言葉を使ってきたのか?(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/08/09/9707790

  

⑨	4・3事件で韓国を否定しながら「晴れて」韓国の国民に

 1948年の済州島4・3事件は、南労党(南朝鮮労働党)済州道委員会が人民を盾にして起こした暴力闘争で、パルチザン方式とかいわれるものでした。 〝南北分断反対”を呼号し、具体的には5月10日に南朝鮮だけで実施される単独選挙を阻止して「大韓民国」の建国を許さないことが目的でした。 暴力闘争を担った南労党の組織は、「人民遊撃隊」「武装隊」「山部隊」「パルチザン」などと呼ばれていました。 ここでは主に「遊撃隊」を使います。

 つまり「大韓民国」建国を否定するために南労党遊撃隊は武装蜂起して暴力闘争を敢行し、これに多数の島民たちが同調し協力したのに対し、南朝鮮(同年8月から「大韓民国」)の軍・警が過酷で大規模な弾圧を加えて南労党のみならず多くの島民も犠牲になったのが4・3事件です。 近頃は「島民の蜂起」などのように、南労党を隠蔽するような言い方が多いですね。 中には「南労党」という言葉を全く使わないで4・3事件を解説するものがあって、驚かされます。

 金時鐘さんは南労党の党員として、大韓民国建国に反対する4・3事件に参加しました。 金さん自身が「〝共産暴徒”のはしくれの私」(『朝鮮と日本に生きる』岩波新書 290頁)と言っておられます。 事件は〝大韓民国は存在してはならない”と否定するもので、金さんはその考えを日本へ密航した後も変えず、日本の外国人登録は〝統一された祖国”を意味する「朝鮮」籍を続け、「韓国」籍は分断を意味するものとして否定してきました。

 ところがそんな彼が55年後の2003年に韓国の戸籍(今は家族関係登録簿)を取得し、韓国国籍になられたのです。 つまり彼は「朝鮮」籍を捨てて「韓国」籍に切り替えて、「晴れて」大韓民国の国民の一員になられたわけです。 「晴れて」と強調したのは、彼の著書『朝鮮と日本を生きる』の287頁に「新たな戸籍と大韓民国国籍を晴れて取得しました」とあったからです。 ですから彼は〝韓国の否定”から〝韓国の肯定”へと、「晴れて」立場を変えられたのです。 

 とすれば、韓国を建国してはならないと否定した4・3事件は一体何だったのでしょうか? 今は晴れて大韓民国の国民となられたからには、〝あの時に韓国が樹立されて良かった”というように評価を肯定的に変えねばならないと思うのですが‥‥。 しかし彼は韓国を否定するために蜂起した暴力闘争の事件について、次のように闘争の正当性を訴え続けておられるのです。

4・3事件は無惨な敗北だった。 しかし民族の解放後歴史をたぐるとき、「無惨さ」として記録されるのではなく、誇りとして記録されると思う。 韓国だけで単独選挙をするということは、永遠に国が分割されるということだ。 選挙を成り立たさないための武力闘争だった。 酸鼻を極めた無惨な敗退を喫したけれど、「目の前で歴然と民族が分断される」ことに力を傾けて反対を唱えた人たちがいたことを誇りとして記録されるべきだ。 (『在日一世の記憶』集英社新書 2008年10月 568頁)

 金時鐘さんは晴れて韓国の国民になられたのに、その韓国を否定する4・3事件を今なお「誇りとして記録されるべきだ」と言っておられます。 しかし結局は「無惨な敗北」に終わりました。 これを「誇り」とするところに大きな違和感があります。       (続く)

金時鐘氏への疑問(1)―在留資格       https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626

金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818 

金時鐘氏への疑問(3)―教員免許・公務員就職 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006

金時鐘氏への疑問(4)―日本語・創氏改名   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767588

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