金時鐘氏への疑問(16)―猪飼野詩集 ― 2025/07/12
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/23/9784276 の続きです。
㉓ 『猪飼野詩集』は猪飼野で詩作されたものではない
私は金時鐘さんの代表作『猪飼野詩集』を読んで、彼は1949年来日して以来ずっと大阪市の猪飼野で暮らしておられたと思っていました。 ある金時鐘研究者も、次のように論じています。
1949 年6月に済州島から渡日し、最初に生活を始めたのが「猪飼野」であり、「猪飼野」は、その後も長年の間、彼の生活の拠点となった地である。 金時鐘は、これまでに何度も「猪飼野」の町を作品のテーマや背景として描いてきた。 1978 年には、「猪飼野」で生活する当時の在日朝鮮人の様子を描いた第4詩集『猪飼野詩集』を発表した。
file:///C:/Users/Takeshi/Downloads/lcs_34_2_okazaki.pdf
しかし金さんは、『猪飼野詩集』を書き公開した時は猪飼野ではなく、吹田市に住んでおられました。 彼は次のように回想します。
私はこの夏の始めまで30年近く、大阪府吹田市の、東海道本線(JR)の電車や列車が地鳴りを立ててひっきりなしに行き交う、線路の間際に住んでいました。 (「善意の素顔―より良い理解のために」 藤原書店『金時鐘コレクション11』2023年8月 所収 55頁)
この「善意の素顔」は1997年11月の講演です。 ですから「30年近く」前は1968年頃になりましょうか。 ある方が1970年代に金時鐘さんの吹田の家を訪問したら、「林」という表札が掲げられていたという思い出話をどこかで書いておられたのを覚えています。 従って金さんは、1968年頃から1997年まで吹田市に住んでおられたことは確かと思われます。
とすれば1968年以前は猪飼野に住んでおられたのだろうと考えて、金さんの書いてきたものを探してみました。 すると2019年の『朝日新聞』文化・文芸欄に金さんの回想エッセイがあり、その中で次のように語っておられるのを見つけました。
猪飼野かいわいで10年余り暮らしましたが、 (金時鐘⑦「語る―人生の贈り物―『猪飼野』なくてもある町」 2019年7月26日付『朝日新聞』)
http://shiminhafiles2.cocolog-nifty.com/blog/files/342e98791e69982e99098e38080e8aa9ee3828b.pdf
ですから、金さんは1949年に来日してから1960年代前半までの「10年余り」を大阪市猪飼野に住んでおられたことになります。 それから1968年頃までの数年間はどこに住んでおられたのか、探してみましたが不明ですね。 そして1968年頃に吹田市に引っ越して、そこで「30年近く」生活されたことになります。 さらにその後は、おそらく今の住所である奈良県生駒市に引っ越されたのでしょう。
まとめますと彼の日本での住所は、猪飼野に1949~1960年代前半、しばらく不詳の後、吹田市に1968年頃~1997年頃、生駒市に1997年頃~現在になると考えられます。
吹田に住んでおられた時、つぎのような事があったそうです。
選挙のたびに繰り返される笑えない喜劇だが、ぜひ一票をと、朝鮮人の私の家まで尋ねてくれる熱心な運動員たちがいる。 (「足元からの国際化」『金時鐘コレクション8』2018年4月 135頁)
この散文は1993年8月に発表されたものですから、「私の家」は吹田市にありました。 金さんの家は選挙権を有さない外国人宅ですから、公職選挙法違反(戸別訪問禁止)には問われなかったのでしょう。
ところで、彼の代表作『猪飼野詩集』は1970年代に『季刊三千里』で連載された詩などを集めたものです。 その年代を測るに、それは朝鮮人集住地区である猪飼野で詩作されたものではなく、日本人ばかりがいる吹田市内の一角で詩作されたものだったのでした。 そしてそこでは彼と周辺の善意な日本人たちと間にどのような軋轢があったのか、上述の「善意の素顔」でそのエピソードが語られていて、興味深いものですので一読をお勧めします。
彼が『猪飼野詩集』を書いたきっかけは、1973年2月の地名変更で「猪飼野」という町名が消えたことでした。 彼にとって猪飼野は、1960年代前半までのわずか10年余りの生活だったのですが、
在日朝鮮人の生活史が地のまま保たれている ‥‥苦難の故郷を見棄ててきた者のうしろめたさから在日民族団体の常任活動家となって、いっぱしの組織活動家になっていったのもまた、在日朝鮮人運動の拠点地域だった猪飼野でありました (『金時鐘コレクション4』366頁)
とあるように、思い入れ深い場所でした。 彼はこのような「猪飼野」の地名が消えることが、「日本の保守政権はたゆみなく、戦前の軍国日本の痕跡を消し去ることに注力してきました」(同上、367頁)と同列に考えておられますから、「猪飼野」の地名変更に反対する意味で『猪飼野詩集』を書かれたと思われます。
しかし実際にその猪飼野に住んでいる人は
『イカイノ』と聞くだけで地所が、家屋が、高騰一方の時節に廉く買いたたかれるといい、ひいては縁談まで支障をきたしている(同上、366頁)
のでした。 地名が消えたのはその住人には理由があったようですが、金さんは〝そこの住人でなくなったから反対した”と言えるようです。
『猪飼野詩集』は、金さんが同胞のいない吹田で生活していた時に同胞集住地区である猪飼野に通いながら過去のノスタルジーに浸りつつ書いたものと言えるのではないかと思われます。 つまり『猪飼野詩集』は〝もはや住民でなくなった金時鐘が書いた詩集”ということです。 研究者が『猪飼野詩集』を論じる際に、吹田に言及しないのが不思議ですね。 (続く)
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