4・3事件に隠されている真実 ― 2026/04/03
今からちょうど78年前の1948年4月3日に、韓国済州島で起きた事件です。 詳しい内容は「4・3事件」で検索してお調べください。 日本では毎年のように、この事件犠牲者の追悼集会が開かれています。 また今日から事件を扱った映画が公開されるとのことです。 https://hallan-movie.com https://www.asahi.com/articles/ASV3T4CPPV3TPTIL007M.html
ところでいま世に出ている4・3事件の説明は、権力側(軍・警・右翼)による白色テロばかりがクローズアップされています。 しかし実際は、残虐非道な殺害は権力側の白色テロだけでなく、反権力側(南朝鮮労働党)の赤色テロにもありました。 何万人もの島民が犠牲となった責任は権力側にあるのはもちろんですが、島民を巻き込んで闘った反権力側にもあります。 しかし権力側の白色テロの残忍さばかりが強調されていて、反権力側の赤色テロの残酷さにはほとんど触れられていないのです。
犠牲者数や件数などにおいて、量的には白色テロが赤色テロよりはるかに多かったのは事実です。 最近の毎日新聞の記事 https://mainichi.jp/articles/20260401/k00/00m/030/230000c によれば、次のように記されています。
軍の「討伐隊」による殺害が86・1%、蜂起した「武装隊」による殺害が13・9%
つまり86.1%が白色テロ、13.9%が赤色テロですね。 白色テロは赤色テロの六倍以上となります。 しかし多数だからと言って一方だけを表に出して、少数を無視するのはいかがなものかと考えます。 権力側も反権力側も互いに憎しみ合って悪魔と化し、相手側本人だけでなくその家族や島民をも殺戮していきました。 しかし韓国の歴代保守政権は「アカの暴動」として一方の白色テロを正当化しました。 そしてその反動でしょうか、金大中政権以降の2・30年間は白色テロの残虐性ばかりが取り上げられて、その不当性が叫ばれてきたのでした。
そこで拙ブログでは下記のように反権力側による赤色テロを取り上げました。 4・3事件だけでなく何事もそうですが、歴史的な事件を語る時は〝当事者でない者は対立する双方のバランスを取りながらそれぞれが主張する「事実」を調べた上で論じるべきである”というのが私の考えだからです。 しかも4・3事件は日本ではなく外国で起きたものであり、また日本人は事件に全く関係していなかったのだからこそ、感情移入せずに公平かつ客観的に見なければならないと考えます。
事件を検索すれば白色テロばかりが出てきますが、皆さまには同時に赤色テロも知ってほしいと思います。
【南労党の4・3赤色テロ】
済州島4・3事件の赤色テロ(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890
済州島4・3事件の赤色テロ(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/18/8896622
済州島4・3事件の赤色テロ(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/23/8900976
済州島4・3事件の赤色テロ(4)-警官家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/30/8906338
済州島4・3事件の赤色テロ(5)―右翼家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/05/8909472
済州島4・3事件の赤色テロ(6)―評価は公平に http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/10/8912907
世に出ている4・3事件の説明では、武装蜂起を計画し主導した「南朝鮮労働党(南労党)」の名がなかなか出てきません。 「島民の蜂起」のように、まるで一般人が武器を持って立ち上がったかのような説明が多いです。 しかし実際の事件は南労党が計画・準備して蜂起したもので、その実行部隊は「武装隊」「山部隊」「遊撃隊」などと呼ばれていました。 そしてそれまでの権力側の過酷な弾圧に反感を覚えていた多くの島民がこの部隊に協力したのでした。 事件は南労党が島民を巻き込んだ武装蜂起と言うことが可能でしょう。 南労党は武装蜂起と同時に赤色テロを実行していったのでした。 ところが南労党は事件の一方の主役であったにもかかわらず、事件の説明にはこの南労党が隠蔽されているのです。 皆さまには「島民の蜂起」というような言葉に惑わされないようにお願いします。
【南労党を隠蔽する】
4・3事件-南労党を隠ぺいする読売解説 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/19/9000560
4・3事件 南労党を隠ぺいする毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/02/29/9218957
南労党を隠ぺいする韓国マスコミ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/04/9055271
4・3事件―ハンギョレ新聞も南労党を隠ぺい https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/03/9537878
韓国映画『チスル』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806
武装蜂起の目的は〝南朝鮮単独選挙に反対して”と記されているのが多いのですが、実は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)建国のための選挙(いわゆる「地下選挙」)が済州島で実施されたという事実がほとんど全く記されていません。 4・3武装蜂起は一ヶ月後に行なわれる予定の韓国建国のための5・10制憲議会選挙(いわゆる「単独選挙」)を阻止し、そして代わりに北朝鮮建国のための「地下選挙」の実施を企図するものであったのです。 実際に地下選挙によって済州島では6人の南労党幹部が代表者として選出され、北朝鮮に派遣されて朝鮮民主主義人民共和国の建国に参画したのでした。
つまり今の世に出ている事件の説明では「祖国を分断する選挙」だとして〝単独選挙に反対した”としているのですが、同じく「祖国を分断する選挙」であったもう一つの〝地下選挙に賛成した”という事実が隠蔽されているのです。
【北朝鮮建国の選挙―いわゆる「地下選挙」】
朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国日は本当か? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/10/9723031
南労党は済州島中山間部の村で、5・10制憲議会選挙(単独選挙)の投票日に村人が投票に行かないように山奥に集団で移動させました。 ですからその日の村は人が誰もいないガランとした状態になり、選挙管理人が投票を呼び掛けようと村に入っても無駄だったようです。 そのために済州島選挙区での選挙は投票率未達のために無効になりました。 (ただし翌年再選挙を実施し、選挙を成立させた)
ところがそういった村では、二ヶ月後の7月の「地下選挙」で村人は投票したのです。 つまり単独選挙の投票を拒否しながら、地下選挙の投票には参加したのでした。 権力側(軍・警)は、単独選挙を拒否し地下選挙に協力した村を「ハルゲンイ(赤)の村」と定めて白色テロへと進んでいったのでした。 それは村を焼き払い、村人を老人・女・子供も関係なく無差別に皆殺しにするほどの苛烈なものでした。 残忍な殺戮にはこのような経緯や背景があったことも知っておくべきでしょう。
皆さまには本やネットを検索して得られる情報だけでなく、武装蜂起を計画し実行した「南朝鮮労働党(南労党)」、その南労党による「赤色テロ」、北朝鮮建国のために実施された「地下選挙」、そして「白色テロの経緯と背景」、そして何よりも大韓民国を否定するための事件だったことなども知った上で、4・3事件の全容を理解されるようにお願いします。 またわれわれは事件の当事者ではありませんから、白色テロの犠牲者も赤色テロの犠牲者も、ともに等しく追悼してほしいと思います。
【4・3事件を語る金時鐘氏への疑問】
金時鐘氏への疑問(5)―政党加入・4・3事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/18/9769221
金時鐘氏への疑問(6)―4・3事件(その2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770375
金時鐘氏への疑問(7)―4・3事件(その3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/28/9771478
金時鐘氏への疑問(8)―西北青年団 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477
金時鐘氏への疑問(9)―韓国否定と北朝鮮容認 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774295
長生炭鉱、韓国側支援者インタビュー『週刊朝鮮』 ― 2026/04/10
韓国の有力週刊誌『週刊朝鮮』に長生炭鉱の遺骨発掘事業について市民団体代表のインタビュー記事が掲載され、それを拙ブログで翻訳し紹介しました。
長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328
長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303
長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/27/9844436
『週刊朝鮮』は続けて同2898号(2026年3月2日)で、韓国側の支援者である韓国観音宗僧正ホンパ(洪波?)氏のインタビューをしています。 いわゆる徴用工問題にも関わってきた方で、その話も出てきます。 それを翻訳して紹介します。 韓国ではどのような考え方でどのような主張をしているか、直接読むのが一番いいのではないかと思うからです。 急いで訳しましたので、日本語としてちょっと不自然なところがあります。
『週刊朝鮮2898号』 2026年3月2日 40~41頁
1942年2月3日、日本の山口県宇部市沖合の海底炭鉱が崩壊、強制徴用された朝鮮人労働者136人を含め183人が亡くなった。 この「長生炭鉱水没事故」の真相を明らかにしてきたのは日本の市民団体「刻む会」である。 帝国主義時期の日本の恥ずかしい歴史を反省し、遺族を探し、毎年追悼行事を開いてきた。 巨額をクラウドファンディングすることに成功し、遺骸発掘という驚くべき成果まで上げた。 加害の当事者である日本政府が無関心な間、会員が数十人に過ぎない民間団体が闘ってきたというわけである。
被害者国家の立場である韓国の市民社会も、「刻む会」の奮闘を見守るだけでなかった。 特に仏教界の役割が少なくなかったのだが、大韓仏教観音宗は2016年から毎年現地で慰霊祭を行ない、募金活動を支援してきた。 宗正(日本の僧正に当たる)として観音宗を率いているホンパ和尚の意思があったからだ。 彼は1990年から、日帝強占期の強制徴用者たちの遺骨返還問題を直接世間に知らしめた。 最近でも日本に散らばっている遺骸を集めて韓国に奉還しようとすることに努力を傾けている。 2009年、麗水の神勒寺で韓日仏教界が一緒になって建てた「人類和合共生祈願碑」設立当時、「(日本が韓国に)反省と懺悔の念を深くしている」という文案を入れるのに一役買った人物である。
長生炭鉱に埋もれた遺骸は、去る2月初めに「最後の捜索」によってほとんど陸に上がる予定だったが、潜水夫が死亡する事故が発生し、すべての手順が暫定的に中断された。 捜索が中断した直後の2月11日、ソウル鐘路区の駱山妙覚寺で会ったホンパ和尚は「長生炭鉱に対しては韓日首脳が合意までしたので期待している」と言いながらも、「名簿まで受け取ったが、国内に戻って来れないまた別の遺骸が日本にある」と言った。
―長生炭鉱真相究明を支援すると知られているが、以前から徴用被害者問題を扱ってきた。 無縁故者の遺骨を探し出すこともしたという。
「1999年代の初めの話です。 韓日仏教交流をしてみたら、徴用で引っ張られていって亡くなり、今も故郷の地に帰って来れない遺骨が多いということを知りました。 徴用で引っ張られた人のうちで、姻戚がある人の遺骨が朝鮮に戻ってきたのですが、無縁故者たちはそうではありませんでした。 当時は日本仏教界も『国家がすべきことで、宗教人がすべきことではない』と言っていましたねえ。」
―日本としてはそのように反応するだけだ。
「東京の『祐天寺』という寺に遺骸が多かったです。 当時の日韓仏教交流協会長に、朝鮮人の遺骸を直接見て参拝したいと言いました。 そうしたら意外にも難色を示すのですが、遺骨を収めている倉庫の鍵が二つあるというのです。 下の鍵は祐天寺の住持が、下の鍵は厚生労働省が持っていて、二つを同時に開けなければならないというのです。 後に知りましたが8月15日に敗戦記念日行事を行なうときに、厚生労働省からも局長級が出て参拝していきます。 厚生労働省が訪問した後に、祐天寺の倉庫の扉が開けられました。」
―どうだったか。
「遺骨が壺にあるのではなく、封筒のようなものにぎっしり詰まっていました。 お膳のようなものを持ってきて、布きれで覆われていて、遺骨封筒を切って開けました。 骨の粉が出てきましたが、多くはありません。 一人の遺骨の分量が指の一節くらいになるかどうかでした。 なかには小さな骨もあるし。」
―何故そんなに少なかったのか。
「多くの遺体を100柱、200柱ずつ一緒に火葬を行なったのです。 それを全部粉砕してまとめたのでした。 朴さんであれ金さんであれ‥‥。 名簿があるので名前はすべて書かれており、骨をまとめて入れたのです。 遺骨の封筒には『朝鮮人、慶尚北道安東出身』という風になっていました。 その次の年からは隔年で慰霊祭を執り行ないました。 このようにして、東京都と北海道まで訪ねて遺骸と位牌を探し出しました。 直接確認しただけでも、東京の祐天寺に遺骨が1130余、北海道の薬王寺に860余があります。」
―このような無縁故遺骨の存在は初めて聞く話だ。
「日本の宗団協議会である全日本仏教会でこれを公式に議論しました。 韓日仏教文化交流協議会とともに日本全国に散在している朝鮮人遺骨を調査しました。 そうして1189人の名簿を確保しました。 この名簿を受け、韓日が共同で韓国(韓国への奉還)事業を行おうと決めました。 ところで名簿だけあって、遺骨がどこにあるのかと聞くと、ある寺に五柱、ある寺に十柱という風だったのです。 東京にお寺を決めて遺骨を集め、韓国に戻そうという合意を頂きました。」
―遺骨が集まったのか。
「長谷寺というお寺に集めたというんですよ。 確認してみると100柱をまず集めたのですが‥‥遺骨を包装している様子はそれぞれだったというんですよ。 日本側に『日本に来て死んだのも悔しいのに、この死者を韓国人が持っていくということは受け入れられない』と言いました。 金浦空港まで日本が奉還するところまで合意を引き出しました。 準備をほとんどすべて終えて、それぞれの宗教界の追悼委員会まで構想した状態だったのですが‥‥ コロナ禍が起きました。 韓日両国の合議体の指導部を替えるところから進めねばならないのですが、まだ遅遅としている状態です。」
―長生炭鉱の問題は最初にどのように知るようになったのか。
「2015年、広島原爆投下70周年に犠牲者を追悼する韓中日の仏教友好交流大会に宗団協の事務総長として出席した時です。 行事を終えて休んでいたのですが、ソ・ジャンウン広島総領事が私を訪ねてきました。 お会いしてお話を聞いてみると、『朝鮮人136人、日本人47人が水葬されている長生炭鉱という所がある。 だれも追悼行事だとかに関心がないので、仏教界にお願いする』というのですよ。 直ぐに他の和尚たちを集めて再度説明してもらうようにしました。 その席で直ぐに、その次の年から長生炭鉱追悼行事をすることに決議しました。」
―毎年の追悼行事を観音宗が代表して勤めている。
「2016年に慰霊祭を行ない、その次の年から観音宗が追悼行事をすべて任せられることになりました。 慰霊祭を最初に行なってみて、1年間は(事件の真相究明の)気配が出てきませんでした。 日本の仏教界に長生炭鉱事故を知らせるビラを送ったら、東京に来て説明をしてくれと言うんですよ。 それで追悼行事に日本の仏教界も参加するようになったのです。 『刻む会』が潜水夫を投入して遺骸を発掘する時、激励金を渡したり、募金も援助しました。」
―長生炭鉱問題が韓日関係にどんな意味を持つことができるか。
「国家次元ではとっくに解決されていなければならなかった問題です。 最近、李在明大統領が高市日本首相とDNA鑑定について合意までしましたが、思い切って一度(日本政府が)発掘したらいいのです。 発掘もしないで遺伝子調査するというのは正しいことではありません。 発掘から進めねばなりません。 うまくいけば韓日の歴史清算をすることができる起爆剤になるでしょう。」
最後に「歴史清算」という言葉が出てきました。 韓国側の考え方も、日韓の市民同士が一緒になって、植民地支配の歴史を清算しない日本政府を追及することに目標があるようです。
なお事故犠牲者と直接関係のない日本の市民団体(刻む会)が最初から運動の主導権を握っており、韓国側はこの日本からの呼びかけに応じて動き始めたというところに特徴があると言えます。 出発点は、自分たち日本人は加害者であるという歴史認識ですね。 この認識から日本側が最初に歴史問題を提起し、韓国で被害者や遺族を探し出して韓国側を掘り起し、そうして日韓の市民が連帯して日本政府を糾弾していくというある種パターン化された行動と言えるかも知れません。
在日の葬法-土葬と火葬 ― 2026/04/17
在日韓国・朝鮮人を含む朝鮮民族の葬法に関心があり、下記のように拙ブログで論じてきました。
古代から続く伝統的葬法「草墳」(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684
古代から続く伝統的葬法「草墳」(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659
古代から続く伝統的葬法「草墳」(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734
古代から続く伝統的葬法「草墳」(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035
古代から続く伝統的葬法「草墳」(5) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/11/9841411
在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164
在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/29/9833521
土葬と火葬 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074
京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/956410
在日は今やすっかり同化していますので、日本人同様にほとんど大部分が火葬です。 また在日はお寺の檀家に入っていない場合がほとんどですので、お墓は霊園などで墓地を購入して建てますね。 その墓石を見ていくと、「金家の墓」のように本名(朝鮮名)を刻んだり、通名(日本名)のまま「○○家の墓」と刻まれたりします。 日本名の場合、裏側面に本貫と姓を刻んでルーツを残すことも多いですね。 在日の墓石は日本化しており、その銘文はやはり日本人と同様に各家や宗教・思想によって多様です。
ところで1960~70年代の在日は一世がまだ元気で、韓国の故郷に自分が入る墓地を購入している人が結構おられました。 いざ亡くなると息子が火葬した遺骨を韓国に運んでいって埋葬することになります。 あるいは頑固な親は故郷での土葬を遺言に残すような場合もありました。 この時は遺体を空輸あるいは船便で運ぶことになり、手続きが複雑で費用もかなり必要となりますので、果たして遺言通りにしたのかどうか、疑問ですね。
いずれにしても無事に自分のお墓に葬られますが、果たして息子が墓参りをずっとしてくれるのかどうか‥‥。 親孝行の息子ならば毎年秋夕(日本のお盆に該当)に墓参りしてボルチョ(伐草―草取り)するかも知れませんが、言葉ができないので韓国に行くこと自体が億劫になっていき、体が動かなくなるともう行くことがなくなりますね。 孫・曾孫の代になると一二回は墓参りすることがあっても、あまり馴染みのない祖父・曾祖父ですから全くと言っていいほどに行かなくなります。 お墓の普段の管理は故郷の親戚にやってもらうのですが、日本から息子らが墓参りに行かなくなると一体どうなるか心配、なんていう話を聞いたことがあります。
朝鮮総連の幹部の場合、北朝鮮に息子らを帰国させている場合が多く、その子らのために北朝鮮にお墓をつくる方がおられるようです。 愛国烈士陵とかいう墓地で、かなりのお金をかけて準備せねばならないと聞きます。 おそらく日本に残った子が火葬して、分骨した遺骨を北朝鮮に運んでいるのではないかと推測されます。
私はこんな風に在日の葬礼について関心を持ってきました。 とすると、高齢の在日一世であり拙ブログでたびたび取り上げている金時鐘さんの場合はどうなるのだろうかと、大変無礼ながら気になりました。 実は金時鐘さんは、自分が亡くなれば骨をご両親の眠る墓に入れるようにすでに準備をしておられるとのことです。
https://www.youtube.com/watch?v=t4d_65I7Lk0 https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=2057 https://gendainoriron.jp/vol.05/serial/se01.php
今のご両親の墓は、元々の墓地が整備工事のために移葬(お墓の位置を変える)せざるを得なくなって新たに造られたようです。 それは民族伝統の儒教式土饅頭である土葬墓の形ですから、ご両親の遺骸は改葬(火葬)せずにそのまま移したと思われます。 金時鐘さんはこのご両親の墓に入ると言っておられるので、日本で火葬したご自分の遺骨をここに埋葬することになるようです。
親の土葬墓に後から子の火葬骨を埋葬するというのは、朝鮮民族あるいは済州島人の風習に合うのかどうか、ここはちょっと分からないところです。 もともと土葬がほとんどだった韓国で火葬が普及し始めたのは近年の3・40年ほど前からで、今は韓流ドラマに出てくるように火葬遺骨をロッカー式の納骨堂に収めることが多いといいます。 自治体が土葬墓地霊園を造成したら火葬の普及が進んでしまって売れず、広大な空き地となったというニュースがありました。 https://www.youtube.com/watch?v=xyNN0a1NPvw ですから金さんが予定しているような一つの墓に土葬と火葬が並存するというは珍しいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
まだ生きておられるのにこんなことを言うのは不謹慎で礼を失するものであることは重々に分かっているのですが、朝鮮民族の葬法に関心がある私としてはどうも気になって仕方ないのです。
【関連投稿】
金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818
【追記】
『ポッタリひとつで海を越えて』という本の中に、次のような記述があります。
(2)在日の葬礼 土葬を重んじる儒教にならい、植民地時代初期には、船で遺体を運んで故国に埋葬する人が多かった。 しかしそれには大変な費用と日数がかかることから、日本で火葬後、遺骨を郷里に運ぶようになり、さらには労務動員による渡日が増える1941年以降では、埋葬も日本で行なわれるようになっていく。 (小泉和子編『ポッタリひとつで海を越えて』合同出版 2024年9月 226頁)
在日朝鮮人は「植民地時代初期には遺体を船で運んで故国で埋葬する」なんて、私には初めて聞く話です。 根拠となった資料が提示されていないのが残念です。
植民地化されてしばらく経ってからの話ですが、済州―大阪間の航路が開設された時、その船で遺体を運ぶことができたので、済州人は日本で亡くなると故郷の済州島で土葬する人がいたようです。 その場合、腐敗の進行する遺体をどのように運んだのか、遺体を納めた棺の密封ができていたのだろうか、おそらく大量の氷を詰めたのだろうが重くなった棺を運べたのだろうか、などと想像するのですが、どうも分からないですね。
なお関釜連絡船は遺体の運搬ができないので、慶尚道や全羅道などの朝鮮本土出身者は亡くなると遺体を運べず、故郷で土葬できませんでした。 ですから火葬して遺骨を持って帰ったようです。
在日が亡くなると、当たり前ですが遺族に連絡することになります。 一応建前上、来日した朝鮮人は協和会手帳を持たされて警察から把握・管理されていましたから、身元はすぐに判明するものでした。
ところでこの本では「1941年以降では埋葬も日本で行なわれるようになった」とあります。 しかし日本内地では、埋葬は地籍図で土葬地とされた土地以外ではできません。 そんな土葬地は農村地帯に多いのですが、地区(かつて部落と呼ばれていた)の共有地であり、その地区構成員だけが埋葬できます。 よそ者である在日は土葬できないのでした。 ですから在日が「埋葬するようになった」というのは一体どういう場所での埋葬だったのかが想像できず、ちょっと理解できないところです。
なお労務動員による死亡の場合は労災事故ですからその会社の費用で火葬するのが普通でしたが、辺鄙な現場での死亡の場合では事情で火葬できずに現地での土葬もあったようです。 ただしこれはそういう話があったという伝聞情報ですので、確実な話ではありません。 在日は戦時中に亡くなれば日本で埋葬していたのが事実なら、ひょっとして土葬ができる公営墓地や霊園なんかがあったのでしょうかねえ。