在日の葬法-土葬と火葬 ― 2026/04/17
在日韓国・朝鮮人を含む朝鮮民族の葬法に関心があり、下記のように拙ブログで論じてきました。
古代から続く伝統的葬法「草墳」(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684
古代から続く伝統的葬法「草墳」(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659
古代から続く伝統的葬法「草墳」(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734
古代から続く伝統的葬法「草墳」(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035
古代から続く伝統的葬法「草墳」(5) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/11/9841411
在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164
在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/29/9833521
土葬と火葬 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074
京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102
在日は今やすっかり同化していますので、日本人同様にほとんど大部分が火葬です。 また在日はお寺の檀家に入っていない場合がほとんどですので、お墓は霊園などで墓地を購入して建てますね。 その墓石を見ていくと、「金家の墓」のように本名(朝鮮名)を刻んだり、通名(日本名)のまま「○○家の墓」と刻まれたりします。 日本名の場合、裏側面に本貫と姓を刻んでルーツを残すことも多いですね。 在日の墓石は日本化しており、その銘文はやはり日本人と同様に各家や宗教・思想によって多様です。
ところで1960~70年代の在日は一世がまだ元気で、韓国の故郷に自分が入る墓地を購入している人が結構おられました。 いざ亡くなると息子が火葬した遺骨を韓国に運んでいって埋葬することになります。 あるいは頑固な親は故郷での土葬を遺言に残すような場合もありました。 この時は遺体を空輸あるいは船便で運ぶことになり、手続きが複雑で費用もかなり必要となりますので、果たして遺言通りにしたのかどうか、疑問ですね。
いずれにしても無事に自分のお墓に葬られますが、果たして息子が墓参りをずっとしてくれるのかどうか‥‥。 親孝行の息子ならば毎年チュソク(秋夕ー日本のお盆に該当)に墓参りしてボルチョ(伐草―草取り)するかも知れませんが、言葉ができないので韓国に行くこと自体が億劫になっていき、体が動かなくなるともう行くことがなくなりますね。 孫・曾孫の代になると一二回は墓参りすることがあっても、あまり馴染みのない祖父・曾祖父ですから全くと言っていいほどに行かなくなります。 お墓の普段の管理は故郷の親戚にやってもらうのですが、日本から息子らが墓参りに行かなくなると一体どうなるか心配、なんていう話を聞いたことがあります。
朝鮮総連の幹部の場合、北朝鮮に息子らを帰国させている場合が多く、その子らのために北朝鮮にお墓をつくる方がおられるようです。 愛国烈士陵とかいう墓地で、かなりのお金をかけて準備せねばならないと聞きます。 おそらく日本に残った子が火葬して、分骨した遺骨を北朝鮮に運んでいるのではないかと推測されます。
私はこんな風に在日の葬礼について関心を持ってきました。 とすると、高齢の在日一世であり拙ブログでたびたび取り上げている金時鐘さんの場合はどうなるのだろうかと、大変無礼ながら気になりました。 実は金時鐘さんは、自分が亡くなれば骨をご両親の眠る墓に入れるようにすでに準備をしておられるとのことです。
https://www.youtube.com/watch?v=t4d_65I7Lk0 https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=2057 https://gendainoriron.jp/vol.05/serial/se01.php
今のご両親の墓は、元々の墓地が整備工事のために移葬(お墓の位置を変える)せざるを得なくなって新たに造られたようです。 それは民族伝統の儒教式土饅頭である土葬墓の形ですから、ご両親の遺骸は改葬(火葬)せずにそのまま移したと思われます。 金時鐘さんはこのご両親の墓に入ると言っておられるので、日本で火葬したご自分の遺骨をここに埋葬することになるようです。
親の土葬墓に後から子の火葬骨を埋葬するというのは、朝鮮民族あるいは済州島人の風習に合うのかどうか、ここはちょっと分からないところです。 もともと土葬がほとんどだった韓国で火葬が普及し始めたのは近年の3・40年ほど前からで、今は韓流ドラマに出てくるように火葬遺骨をロッカー式の納骨堂に収めることが多いといいます。 自治体が土葬墓地霊園を造成したら火葬の普及が進んでしまって売れず、広大な空き地となったというニュースがありました。 https://www.youtube.com/watch?v=xyNN0a1NPvw ですから金さんが予定しているような一つの墓に土葬と火葬が並存するというは珍しいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
まだ生きておられるのにこんなことを言うのは不謹慎で礼を失するものであることは重々に分かっているのですが、朝鮮民族の葬法に関心がある私としてはどうも気になって仕方ないのです。
【関連投稿】
金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818
【追記】
『ポッタリひとつで海を越えて』という本の中に、次のような記述があります。
(2)在日の葬礼 土葬を重んじる儒教にならい、植民地時代初期には、船で遺体を運んで故国に埋葬する人が多かった。 しかしそれには大変な費用と日数がかかることから、日本で火葬後、遺骨を郷里に運ぶようになり、さらには労務動員による渡日が増える1941年以降では、埋葬も日本で行なわれるようになっていく。 (小泉和子編『ポッタリひとつで海を越えて』合同出版 2024年9月 226頁)
在日朝鮮人は「植民地時代初期には遺体を船で運んで故国で埋葬する」なんて、私には初めて聞く話です。 根拠となった資料が提示されていないのが残念です。
植民地化されてしばらく経ってからの話ですが、済州―大阪間の航路が開設された時、その船で遺体を運ぶことができたので、済州人は日本で亡くなると故郷の済州島で土葬する人がいたようです。 その場合、腐敗の進行する遺体をどのように運んだのか、遺体を納めた棺の密封ができていたのだろうか、おそらく大量の氷を詰めたのだろうが重くなった棺を運べたのだろうか、などと想像するのですが、どうも分からないですね。
なお関釜連絡船は遺体の運搬ができないので、慶尚道や全羅道などの朝鮮本土出身者は亡くなると遺体を運べず、故郷で土葬できませんでした。 ですから火葬して遺骨を持って帰ったようです。
在日が亡くなると、当たり前ですが遺族に連絡することになります。 一応建前上、来日した朝鮮人は協和会手帳を持たされて警察から把握・管理されていましたから、身元はすぐに判明するものでした。
ところでこの本では「1941年以降では埋葬も日本で行なわれるようになった」とあります。 しかし日本内地では、埋葬は地籍図で土葬地とされた土地以外ではできません。 そんな土葬地は農村地帯に多いのですが、地区(かつて部落と呼ばれていた)の共有地であり、その地区構成員だけが埋葬できます。 よそ者である在日は土葬できないのでした。 ですから在日が「埋葬するようになった」というのは一体どういう場所での埋葬だったのかが想像できず、ちょっと理解できないところです。
なお労務動員による死亡の場合は労災事故ですからその会社の費用で火葬するのが普通でしたが、辺鄙な現場での死亡の場合では事情で火葬できずに現地での土葬もあったようです。 ただしこれはそういう話があったという伝聞情報ですので、確実な話ではありません。 在日は戦時中に亡くなれば日本で埋葬していたのが事実なら、ひょっとして土葬ができる公営墓地や霊園なんかがあったのでしょうかねえ。
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