北朝鮮の主体(チュチェ)思想とキリスト教(1)2026/06/23

 毎日新聞の「ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 5月号」(2026年5月16日 №56)に、北朝鮮の金日成思想はキリスト教に影響されているのではないかという興味深い記事が載りました。 筆者のジョナサン・チェンは、ウォール・ストリート・ジャーナルの中国支局長です。 ここでは一部を抜粋して引用紹介しますので、ご興味ある方は図書館に行って全文をお読みくださるようお願いします。

北朝鮮 揺るがぬ世襲体制の起源 ― 個人崇拝を通じて築かれた「金王朝」米キリスト教の痕跡

1991年秋、米国のキリスト教福音派の伝道師ビリー・グラハム氏に、平壌から予期せぬ招待が届いた。 「われわれの教会にあなたをお迎えするのは大きな喜びとなるだろう」。 北朝鮮の国家公認のプロテスタント教会とカトリック教会の指導者が送ってきた手紙にこう書かれていた。

平壌はグラハム一家にとって馴染み深い場所だった。 1930年代、妻のルース・ベル・グラハムさんは平壌西部の広大な長老派教会の伝道施設にある高校に通っていた。‥‥当時、ほかにも教会はあったが、平壌の「中央長老派教会」に勝る規模のものはなかった。 この教会には毎週、あふれんばかりの会衆が集まり、宣教師は「壁が外に膨れ始めるのではないか」と恐れるほどであった。‥‥平壌市内はキリスト教信者の大きな存在感を見せ、「東洋のエルサレム」の呼び名もついた。

(1992年に)グラハム氏は平壌に到着後間もなく、1912年4月15日に金日成氏が生まれたとされる平壌郊外の質素な茅葺の小屋に足を運んだ。 グラハム氏とその一行は、かつてこの地を支配していたキリスト教信仰とのあまりの類似性‥‥「飼い葉桶と3人の賢者さえいれば完璧だ」。 グラハム氏は皮肉っぽくこう言った。

 歴史をひもとけば、朝鮮でのキリスト教は19世紀後半以降に本格的に布教が始まり、学校教育や医療活動を行なうなどで広まって行きました。 植民地時代は、平壌がその中心地と言えるほどだったと言います。 招待されたグラハム氏は妻がその時に平壌にあったキリスト教の学校に通っていたのですから、その点が招待の理由だったのかも知れません。 グラハム氏は、その平壌にある金日成の生家でキリスト教の痕跡を見つけたのでした。

グラハム氏が訪朝した頃(1992年)、世界では社会主義国家の崩壊がいくつか目撃されており、平壌に残る時代遅れの状況が、歴史のゴミ箱に捨てられるのは時間の問題だと、多くの関係者は思っていた。 だが同時代の指導者と異なり、金日成氏は先の世代まで引き継げる強固な個人崇拝を築き上げていた。

 金日成は息子の金正日に党・国家を任せていて、順調に進んでいるという報告を受けて満足し、悠々自適の生活を送っていたそうです。 それが1990年ごろに息子の悪行(喜び組などの乱痴気騒ぎなど)を知り、そして国内が無茶滅茶な状態になり、国際的にも孤立していることを知りました。 そこで息子には軍事のみに専念させることにして、自分は国政のうち政治・外交を直接指揮することにしました。 それまで自国を援助してくれていた東欧やソ連などの社会主義国が崩壊し、南朝鮮(韓国)がロシアや中国と国交を結んだ時期でしたから、危機感は相当なものだったようです。 そして世界を見渡して味方になってくれそうな人士を北朝鮮に招請したと思われます。 ここで取り上げられているグラハム氏がその一人でしょう。 それ以外にこの時期には統一教会の文鮮明やジミー・カーター元米大統領も平壌で金日成と会見しています。

北朝鮮は建国時こそ、マルクス・レーニン主義をたたえていたかもしれないが、後に平壌中心部の金日成広場からマルクスとレーニンの肖像画を撤去した。 金日成氏はその代わりにマルクス・レーニン主義を「主体(チュチェ)思想」で補完し、最終的には完全に置き換えた。 「偉大な指導者」と呼ばれる金日成氏が、14歳で革命家となり、考え始めたとされる哲学だ。 チュチェは通常は「自主・自立・自衛」のイデオロギーと説明されるが、ある学者が「チュチェの福音」と呼んでいるほど、疑似宗教的な意味合いに満ちたものだった。

‥‥ かつてないほど壮大な賛辞が寄せられるようになった。 「彼は考え得る限りのあらゆる名誉ある称号で呼ばれていたようだ。 国を代表する小説家、哲学者、教育者、デザイナー、農業実験者、建築家、産業管理の専門家、将軍、卓球指導者というように」。 ある伝記作家はこう述べた。

1994年に金日成氏が死去した後、息子の金正日氏は後継者となり、父親を北朝鮮の「永遠なる主席(首領)」と定めることで、建国者と事実上一体化したこの国を永遠に統治し続ける存在にした。 

こうして共産主義とは程遠く、むしろ宗教に近い体制に発展したことは、金日成氏を以前支持していた社会主義者たちを愕然とさせた。 特にかつて朝鮮半島北部を掌握していた宗教に似ていることは驚きであった。

 北朝鮮は当初こそマルクス・レーニン主義を唱えていましたが、チュチェ思想という疑似宗教的な考えに染まっていき、ついにはマルクスもレーニンもかなぐり捨てることになります。 1970年代の私の経験ですが、朝鮮総連の活動家が〝チュチェ思想はマルクス・レーニン主義を超えた唯一で最高の思想だ”と言ったので、それに対して〝歴史上これまでたくさんの思想があり、それらを全て読んで比較した上でチュチェ思想が最高だと言うのならいいのだが、そもそも金日成はマルクスやレーニンを朝鮮語で読んだのか? それとも日本語で読んだのか? その翻訳者は誰なのか?”などと疑問を呈して議論したことを思い出しましたね。

信仰の力 目の当たりに

金日成氏は後に、キリスト教が自身の思考に与えた影響を曖昧にし、歪曲するようになったが、今にして思えば、彼の人生には紛れもなくキリスト教の痕跡があった。

 金日成は熱心なクリスチャン家庭で生まれ育ち、また当時その地域ではキリスト教が盛んだったこともあって、彼の思想にはキリスト教の影響があるのではないかというのがこの記事の主張です。 金日成は子どもの時にキリスト教会でオルガンを弾いていたといいますから、その可能性は大いにあります。 つまり金日成の考え方は、子ども時代に家族や教会から教え込まれたキリスト教に影響されているということです。

米国において長老派教会が説いたのは、慈悲深い神の恵みによる罪からの救済である。 だが同時に、神の前で万人は平等であるというメッセージも教えた。 19世紀後半にこれが朝鮮半島に導入された当時は急進的な考え方だった。

こうした教義は、同国北西部の人々、特に平壌とその周辺では異例の熱意をもって受け入れられた。 未来の北朝鮮指導者は、キリスト教バブルが起きたこの地で育ち、成人を迎えた。 金日成氏は信仰の力を目の当たりにしながら育った。 つまり人々を動員し、畏敬の念や献身、恐れ、あるいは熱狂を呼び起こす力を、だ。 金銭や権力、名声よりも.信仰だけが人の永遠の運命に語りかけることができたのだ。

第二次世界大戦終結後、金日成氏は権力の座に上り詰める中で、意識的か無意識的かは別として、彼の家族が長老派宣教師から受け取ったイデオロギーの遺産を頼りに、国づくりを始めた。 自身の信奉者に対し、信仰のみならず崇拝も要求し、自身が共に育ったキリスト教の教えや実践を彷彿とさせる信念体系を作り上げた。

 金日成の家やその地域で興隆したキリスト教は、長老派だったようです。 記事はこの宗派の思想から、金日成は「自身の信奉者に対し、信仰のみならず崇拝も要求し、自身が共に育ったキリスト教の教えや実践を彷彿とさせる信念体系を作り上げた」と主張しています。 私はキリスト教に関してそれほど詳しくないのではっきりとは言えませんが、キリスト教でも極端な考え方をするカルト的な宗派が存在します。 幼い時にキリスト教から出発した金日成は、いつの間にかこのようなカルト宗教的な方向に行ったと言えるのかも知れません。 「自身が共に育ったキリスト教の教えや実践を彷彿とさせる信念体系を作り上げた」とある部分は金日成の分析として妥当だと思ったのですが、どうでしょうか。 これが凄まじいまでの個人崇拝のチュチェ思想につながったというわけです。    (続く)

 

【追記】

2026年6月3日付けの韓国『中央日報』に、このジョナサン・チョン氏のインタビューがありました。 合わせてお読みください。 なおこの筆者は毎日新聞では「チェン」、ローマ字で「Cheng」となっています。 おそらく「鄭」の中国語読みと思われます。

日本語記事 https://japanese.joins.com/JArticle/350003 https://japanese.joins.com/JArticle/350004 

原文韓国語記事 https://www.joongang.co.kr/article/25433286 https://www.joongang.co.kr/article/25433397

コメント

_ 菜々師 ― 2026/06/23 07:58

先日の辺野古沖転覆事故でもそうですが、日本でもキリスト教と左翼との親和性高い部分がありますから、さもありなんと言う感じです。

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