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    <title>辻本武　tsujimoto blog</title>
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    <language>ja</language>
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    <pubDate>Sat, 25 Apr 2026 00:04:16 +0900</pubDate>
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      <title>指紋押捺拒否運動 ―違法行為は許されるか</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/25/9850661</link>
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      <pubDate>Sat, 25 Apr 2026 00:00:39 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-25T00:04:16+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-25T00:03:10+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　最近は在日外国人＝移住者の問題が大きな話題になっています。　その一つが不法滞在者など法に違反する外国人をどう処置するか、すなわち強制送還するのかどうかということです。　これについて、法に反している外国人の早急な強制送還を主張する意見がある一方、これに対して移住者を支援する市民団体などはたとえ違法があったとしても強制送還は人権の点から反対だと主張しています。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　この議論を見ていて、40年前の1980年代に社会を大きく揺るがせた指紋押捺拒否運動を思い出します。　マスコミ等がこの指紋拒否運動を応援したこともあって日本社会にも広がりを見せ、大きな問題となりました。　この拒否運動については25年前に拙ＨＰで論じたことがありますので、お読みいただければ幸甚。　下記【拙稿参照】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　この指紋押捺拒否運動について、一部の人は〝指紋押捺は法で定められていることであり、法に違反する運動をしてはならない”と反対しました。　これに対して運動側は〝指紋押捺を定める法そのものが人権上問題なのだから、法に反する行動も構わない”という反論だったと記憶しています。　対立点は、一方は〝どんな理由であれ違法は許してはならない”であり、他方は〝人権問題だから許される”ということになります。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ところでこの指紋押捺拒否運動というのはどういうものであったか、今はもう知らない方が多いと思われます。　この運動の直後に出版された『在日朝鮮人』（明石書店）に概要が次のように説明されていましたので、紹介します。　ただしこの本は拒否運動側（違法は許される）の立場ですので、その点を考慮してお読みください。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;近年来、この指紋押捺を含めた、外国人登録証の常時携帯、官憲への呈示義務等を規定した外国人登録法そのものの抜本的改正を日本政府に要望、要請し、かつ抗議してきた在日朝鮮人団体の運動が続き、また日本政府による国際人権規約の批准もあって、在日朝鮮人の２・３世を中心に、指紋押捺を法的に強制するのは内外人平等をうたった国際人権規約の趣旨に反するものであり、同時に在日朝鮮人形成についての歴史的省察を欠くものである、との声が高まり、1985年９月末現在、7409名が外国人登録証の切替時に、指紋押捺を拒否した（1985年10月1日　朝日新聞）。　指紋押捺を拒否すれば、「１年以下の懲役若しくは禁錮又は20万円以下の罰金」に処せられることも覚悟の上である。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;こういった動きに対して様々な日本人の反応があったが、その中でも大阪府警富田五郎外事課長の朝日放送系列のテレビニュースでの発言は重大な問題があると言える。　いわく、「日本の法治体制に対して外国人になめられている、　‥‥やはり日本に居住したいと思えば、法律が現存する以上、守ってもらわねばならない。　そういう法体制がいやであれば、自分のお国にお帰りになればいいわけですね。　また、日本で生まれて、日本人と同じように育っているという方は、日本に帰化すればいいんです。　そういう方法もあるわけですからね。　‥‥」（1985年5月11日　朝日新聞）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「外国人になめられている」といった発言は論外としても、「自分の国に帰ればよい」というのは、全く近代の朝・日関係の歴史に無知であるか、さもなければ、知っていても知らないふりをしているか、あるいはその歴史を誇りに思っているのであろう。　
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「帰化すればいいんです」という言葉は、富田氏の言もさることながら、「善意ある」日本人からもよく聞かされる。　それが善意であればあるほど胸が痛む。　「善意」を盾に、自分の無知を覆いかくし、そして人間の尊厳性を踏みにじって何もきづかず、人間を殺す、その心をずたずたにする。　（以上、山田照美・朴鐘鳴編『新版　在日朝鮮人　歴史と現状』明石書店　1991年４月　224～225頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　1980年代の指紋押捺拒否運動の焦点の一つは、法を守るのか否か、というところでした。　指紋拒否運動では〝人権に関わることだから法に反することも許される”という主張があり、それを支持する人が多かったのです。　また警察が「日本に居住したいと思えば、法律が現存する以上守ってもらわねばならない」と言ったことに対し、この本では「歴史に無知な者の発言」との批判を浴びせています。　〝在日の歴史を知れば法に反しても構わない”となりますが、当時はこの運動側の主張に賛成する意見が多かったものです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　指紋押捺拒否は当時の法律に反するものでしたが、生活する上でやむを得ず法を犯したのではなく、差別を告発するために起こしたイデオロギー的闘争と言うことができます。　ですから反体制・反権力の考え方を有する人たちの共鳴を得て、マスコミも大いに味方したのでした。　結果は在日（永住資格者）の指紋押捺義務は撤廃されて、拒否運動側の勝利に終わりました。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ところで今でも外国人の不法滞在（非正規滞在とも言います）者問題において、〝法か人権か”で議論が激しいようです。　一方は法に反しているのだから強制送還は当然、もう一方は人権問題なのだから強制送還は不当、となるようです。　中身は違いますが、今も昔も変わらない議論だなあと感じます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　「今も昔も変わらない議論」と書いたのは、人権問題＝民族差別問題の歴史をひもとくと、この議論が常に出てくるからです。　私の記憶では、60年前の金嬉老事件が嚆矢だったと思います。　借金トラブルから暴力団二人を殺害した金嬉老は人質を取って立てこもり、その際に日本社会の民族差別を訴えました。　そしてこの金嬉老に、日本人や在日の知識人たちが共感し支援したのでした。　その一人である鈴木道彦は次のように「無罪」を主張しました。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;朝鮮侵略なくして「在日朝鮮人」60万の存在はあり得たか。‥‥　金嬉老はこのような日本人が作り出した「怪物」である。‥‥　日本人は金嬉老を裁く一切の資格を喪失していると言わなければならない。　金嬉老の「犯罪」は日本人の大罪のささやかな反映にすぎない。‥‥　この裁判が日本において、日本人の検事の告発によって、日本人判事によって行われる限り、私は金嬉老の無罪を主張するものである。　（鈴木道彦「なぜ金嬉老を弁護するか」　『金嬉老公判対策委員会ニュース』1号）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　在日問題で〝差別に反対するためなら法を犯してもよい”のか、〝差別に反対しようとも法は守らねばならない”のかの議論は、おそらくこの金嬉老事件が始まりだったのではないかと考えているのですが、どうでしょうか。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ところで週刊誌などは金嬉老を擁護した人たちを「金嬉老に騙された文化人たち」などと揶揄していましたね。　また在日の代表団体である総連や民団は犯罪者を擁護しない姿勢で一貫していて、〝あんな奴に肩入れしたら自分たちも同じように見られる”とい言っていたと記憶しています。
&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【指紋押捺に関する拙稿】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第47題　指紋押捺拒否運動への疑問　　　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuunanadai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuunanadai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;朴一さん『在日という病』を読む（２）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/21/9797365"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/21/9797365&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;朴一さん『在日という病』を読む（３）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/27/9798735"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/27/9798735&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【金嬉老に関する拙稿】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;小松川事件―民族問題を絡めてはならない(3)　 &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/13/9731138"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/13/9731138&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【入管問題に関する拙稿】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1960年代の入管問題―金東希と任錫均（１）　　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/02/9751631"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/02/9751631&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;1960年代の入管問題―金東希と任錫均（２）　　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/07/9752842"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/07/9752842&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;入管闘争―善人だから闘うのか、善人でなくても闘うのか　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/25/9588921"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/25/9588921&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;不法滞在・犯罪者の退去・送還－1970年代の思い出　　　 &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇 　　　　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;かつての入管法の思い出　　　　　　　　　　　　　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;不法残留外国人について　　　　　　　　　　　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;不法残留外国人について（２）　　　　　　　　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;在日が入管問題に冷たい理由―『抗路』を読む　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/20/9587549"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/20/9587549&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;密告するのは同じ在日同胞―『抗路9』座談会　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/03/9468948"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/03/9468948&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>以前の拙ブログへの追記</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/19/9849593</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/19/9849593</guid>
      <pubDate>Sun, 19 Apr 2026 18:12:58 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-19T18:19:11+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-19T18:19:11+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　2025年7月17日付けの「金時鐘氏への疑問(17)―豊田先生 」　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/07/17/9789454"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/07/17/9789454&lt;/a&gt;　に追記しましたので、お読みいただければ幸い。
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>在日の葬法－土葬と火葬</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/17/9848993</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/17/9848993</guid>
      <pubDate>Fri, 17 Apr 2026 00:01:20 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-20T05:57:36+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-17T00:03:26+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　在日韓国・朝鮮人を含む朝鮮民族の葬法に関心があり、下記のように拙ブログで論じてきました。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（１）　　 &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（２）　　 &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（３）　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（４）　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（５）　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/11/9841411"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/11/9841411&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ（１）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ（２）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/29/9833521"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/29/9833521&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;土葬と火葬　　　　　　　　　　　　　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　在日は今やすっかり同化していますので、日本人同様にほとんど大部分が火葬です。　また在日はお寺の檀家に入っていない場合がほとんどですので、お墓は霊園などで墓地を購入して建てますね。　その墓石を見ていくと、「金家の墓」のように本名（朝鮮名）を刻んだり、通名（日本名）のまま「○○家の墓」と刻まれたりします。　日本名の場合、裏側面に本貫と姓を刻んでルーツを残すことも多いですね。　在日の墓石は日本化しており、その銘文はやはり日本人と同様に各家や宗教・思想によって多様です。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ところで1960～70年代の在日は一世がまだ元気で、韓国の故郷に自分が入る墓地を購入している人が結構おられました。　いざ亡くなると息子が火葬した遺骨を韓国に運んでいって埋葬することになります。　あるいは頑固な親は故郷での土葬を遺言に残すような場合もありました。　この時は遺体を空輸あるいは船便で運ぶことになり、手続きが複雑で費用もかなり必要となりますので、果たして遺言通りにしたのかどうか、疑問ですね。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　いずれにしても無事に自分のお墓に葬られますが、果たして息子が墓参りをずっとしてくれるのかどうか‥‥。　親孝行の息子ならば毎年チュソク（秋夕ー日本のお盆に該当）に墓参りしてボルチョ（伐草―草取り）するかも知れませんが、言葉ができないので韓国に行くこと自体が億劫になっていき、体が動かなくなるともう行くことがなくなりますね。　孫・曾孫の代になると一二回は墓参りすることがあっても、あまり馴染みのない祖父・曾祖父ですから全くと言っていいほどに行かなくなります。　お墓の普段の管理は故郷の親戚にやってもらうのですが、日本から息子らが墓参りに行かなくなると一体どうなるか心配、なんていう話を聞いたことがあります。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　朝鮮総連の幹部の場合、北朝鮮に息子らを帰国させている場合が多く、その子らのために北朝鮮にお墓をつくる方がおられるようです。　愛国烈士陵とかいう墓地で、かなりのお金をかけて準備せねばならないと聞きます。　おそらく日本に残った子が火葬して、分骨した遺骨を北朝鮮に運んでいるのではないかと推測されます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　私はこんな風に在日の葬礼について関心を持ってきました。　とすると、高齢の在日一世であり拙ブログでたびたび取り上げている金時鐘さんの場合はどうなるのだろうかと、大変無礼ながら気になりました。　実は金時鐘さんは、自分が亡くなれば骨をご両親の眠る墓に入れるようにすでに準備をしておられるとのことです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href="https://www.youtube.com/watch?v=t4d_65I7Lk0"&gt;https://www.youtube.com/watch?v=t4d_65I7Lk0&lt;/a&gt;　　&lt;a href="https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=2057"&gt;https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=2057&lt;/a&gt;　　&lt;a href="https://gendainoriron.jp/vol.05/serial/se01.php"&gt;https://gendainoriron.jp/vol.05/serial/se01.php&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　今のご両親の墓は、元々の墓地が整備工事のために移葬（お墓の位置を変える）せざるを得なくなって新たに造られたようです。　それは民族伝統の儒教式土饅頭である土葬墓の形ですから、ご両親の遺骸は改葬(火葬)せずにそのまま移したと思われます。　金時鐘さんはこのご両親の墓に入ると言っておられるので、日本で火葬したご自分の遺骨をここに埋葬することになるようです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　親の土葬墓に後から子の火葬骨を埋葬するというのは、朝鮮民族あるいは済州島人の風習に合うのかどうか、ここはちょっと分からないところです。　もともと土葬がほとんどだった韓国で火葬が普及し始めたのは近年の3・40年ほど前からで、今は韓流ドラマに出てくるように火葬遺骨をロッカー式の納骨堂に収めることが多いといいます。　自治体が土葬墓地霊園を造成したら火葬の普及が進んでしまって売れず、広大な空き地となったというニュースがありました。　&lt;a href="https://www.youtube.com/watch?v=xyNN0a1NPvw"&gt;https://www.youtube.com/watch?v=xyNN0a1NPvw&lt;/a&gt;　ですから金さんが予定しているような一つの墓に土葬と火葬が並存するというは珍しいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　まだ生きておられるのにこんなことを言うのは不謹慎で礼を失するものであることは重々に分かっているのですが、朝鮮民族の葬法に関心がある私としてはどうも気になって仕方ないのです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【関連投稿】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818&lt;/a&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【追記】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　『ポッタリひとつで海を越えて』という本の中に、次のような記述があります。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;（２）在日の葬礼　　土葬を重んじる儒教にならい、植民地時代初期には、船で遺体を運んで故国に埋葬する人が多かった。　しかしそれには大変な費用と日数がかかることから、日本で火葬後、遺骨を郷里に運ぶようになり、さらには労務動員による渡日が増える1941年以降では、埋葬も日本で行なわれるようになっていく。　（小泉和子編『ポッタリひとつで海を越えて』合同出版　2024年9月　226頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　在日朝鮮人は「植民地時代初期には遺体を船で運んで故国で埋葬する」なんて、私には初めて聞く話です。　根拠となった資料が提示されていないのが残念です。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　植民地化されてしばらく経ってからの話ですが、済州―大阪間の航路が開設された時、その船で遺体を運ぶことができたので、済州人は日本で亡くなると故郷の済州島で土葬する人がいたようです。　その場合、腐敗の進行する遺体をどのように運んだのか、遺体を納めた棺の密封ができていたのだろうか、おそらく大量の氷を詰めたのだろうが重くなった棺を運べたのだろうか、などと想像するのですが、どうも分からないですね。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　なお関釜連絡船は遺体の運搬ができないので、慶尚道や全羅道などの朝鮮本土出身者は亡くなると遺体を運べず、故郷で土葬できませんでした。　ですから火葬して遺骨を持って帰ったようです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　在日が亡くなると、当たり前ですが遺族に連絡することになります。　一応建前上、来日した朝鮮人は協和会手帳を持たされて警察から把握・管理されていましたから、身元はすぐに判明するものでした。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ところでこの本では「1941年以降では埋葬も日本で行なわれるようになった」とあります。　しかし日本内地では、埋葬は地籍図で土葬地とされた土地以外ではできません。　そんな土葬地は農村地帯に多いのですが、地区（かつて部落と呼ばれていた）の共有地であり、その地区構成員だけが埋葬できます。　よそ者である在日は土葬できないのでした。　ですから在日が「埋葬するようになった」というのは一体どういう場所での埋葬だったのかが想像できず、ちょっと理解できないところです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　なお労務動員による死亡の場合は労災事故ですからその会社の費用で火葬するのが普通でしたが、辺鄙な現場での死亡の場合では事情で火葬できずに現地での土葬もあったようです。　ただしこれはそういう話があったという伝聞情報ですので、確実な話ではありません。　在日は戦時中に亡くなれば日本で埋葬していたのが事実なら、ひょっとして土葬ができる公営墓地や霊園なんかがあったのでしょうかねえ。
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>長生炭鉱、韓国側支援者インタビュー『週刊朝鮮』</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/10/9847433</link>
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      <pubDate>Fri, 10 Apr 2026 00:09:19 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-10T08:46:09+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-10T00:11:24+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　韓国の有力週刊誌『週刊朝鮮』に長生炭鉱の遺骨発掘事業について市民団体代表のインタビュー記事が掲載され、それを拙ブログで翻訳し紹介しました。　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』（1）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』（2）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』（3）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/27/9844436"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/27/9844436&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
『週刊朝鮮』は続けて同2898号（2026年3月2日）で、韓国側の支援者である韓国観音宗僧正ホンパ（洪波？）氏のインタビューをしています。　いわゆる徴用工問題にも関わってきた方で、その話も出てきます。　それを翻訳して紹介します。　韓国ではどのような考え方でどのような主張をしているか、直接読むのが一番いいのではないかと思うからです。　急いで訳しましたので、日本語としてちょっと不自然なところがあります。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『週刊朝鮮2898号』　2026年3月2日　40～41頁
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;1942年２月３日、日本の山口県宇部市沖合の海底炭鉱が崩壊、強制徴用された朝鮮人労働者136人を含め183人が亡くなった。　この「長生炭鉱水没事故」の真相を明らかにしてきたのは日本の市民団体「刻む会」である。　帝国主義時期の日本の恥ずかしい歴史を反省し、遺族を探し、毎年追悼行事を開いてきた。　巨額をクラウドファンディングすることに成功し、遺骸発掘という驚くべき成果まで上げた。　加害の当事者である日本政府が無関心な間、会員が数十人に過ぎない民間団体が闘ってきたというわけである。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;被害者国家の立場である韓国の市民社会も、「刻む会」の奮闘を見守るだけでなかった。　特に仏教界の役割が少なくなかったのだが、大韓仏教観音宗は2016年から毎年現地で慰霊祭を行ない、募金活動を支援してきた。　宗正（日本の僧正に当たる）として観音宗を率いているホンパ和尚の意思があったからだ。　彼は1990年から、日帝強占期の強制徴用者たちの遺骨返還問題を直接世間に知らしめた。　最近でも日本に散らばっている遺骸を集めて韓国に奉還しようとすることに努力を傾けている。　2009年、麗水の神勒寺で韓日仏教界が一緒になって建てた「人類和合共生祈願碑」設立当時、「（日本が韓国に）反省と懺悔の念を深くしている」という文案を入れるのに一役買った人物である。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;長生炭鉱に埋もれた遺骸は、去る２月初めに「最後の捜索」によってほとんど陸に上がる予定だったが、潜水夫が死亡する事故が発生し、すべての手順が暫定的に中断された。　捜索が中断した直後の２月11日、ソウル鐘路区の駱山妙覚寺で会ったホンパ和尚は「長生炭鉱に対しては韓日首脳が合意までしたので期待している」と言いながらも、「名簿まで受け取ったが、国内に戻って来れないまた別の遺骸が日本にある」と言った。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―長生炭鉱真相究明を支援すると知られているが、以前から徴用被害者問題を扱ってきた。　無縁故者の遺骨を探し出すこともしたという。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「1999年代の初めの話です。　韓日仏教交流をしてみたら、徴用で引っ張られていって亡くなり、今も故郷の地に帰って来れない遺骨が多いということを知りました。　徴用で引っ張られた人のうちで、姻戚がある人の遺骨が朝鮮に戻ってきたのですが、無縁故者たちはそうではありませんでした。　当時は日本仏教界も『国家がすべきことで、宗教人がすべきことではない』と言っていましたねえ。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―日本としてはそのように反応するだけだ。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「東京の『祐天寺』という寺に遺骸が多かったです。　当時の日韓仏教交流協会長に、朝鮮人の遺骸を直接見て参拝したいと言いました。　そうしたら意外にも難色を示すのですが、遺骨を収めている倉庫の鍵が二つあるというのです。　下の鍵は祐天寺の住持が、下の鍵は厚生労働省が持っていて、二つを同時に開けなければならないというのです。　後に知りましたが８月15日に敗戦記念日行事を行なうときに、厚生労働省からも局長級が出て参拝していきます。　厚生労働省が訪問した後に、祐天寺の倉庫の扉が開けられました。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―どうだったか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「遺骨が壺にあるのではなく、封筒のようなものにぎっしり詰まっていました。　お膳のようなものを持ってきて、布きれで覆われていて、遺骨封筒を切って開けました。　骨の粉が出てきましたが、多くはありません。　一人の遺骨の分量が指の一節くらいになるかどうかでした。　なかには小さな骨もあるし。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―何故そんなに少なかったのか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「多くの遺体を100柱、200柱ずつ一緒に火葬を行なったのです。　それを全部粉砕してまとめたのでした。　朴さんであれ金さんであれ‥‥。　名簿があるので名前はすべて書かれており、骨をまとめて入れたのです。　遺骨の封筒には『朝鮮人、慶尚北道安東出身』という風になっていました。　その次の年からは隔年で慰霊祭を執り行ないました。　このようにして、東京都と北海道まで訪ねて遺骸と位牌を探し出しました。　直接確認しただけでも、東京の祐天寺に遺骨が1130余、北海道の薬王寺に860余があります。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―このような無縁故遺骨の存在は初めて聞く話だ。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「日本の宗団協議会である全日本仏教会でこれを公式に議論しました。　韓日仏教文化交流協議会とともに日本全国に散在している朝鮮人遺骨を調査しました。　そうして1189人の名簿を確保しました。　この名簿を受け、韓日が共同で韓国（韓国への奉還）事業を行おうと決めました。　ところで名簿だけあって、遺骨がどこにあるのかと聞くと、ある寺に五柱、ある寺に十柱という風だったのです。　東京にお寺を決めて遺骨を集め、韓国に戻そうという合意を頂きました。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―遺骨が集まったのか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「長谷寺というお寺に集めたというんですよ。　確認してみると100柱をまず集めたのですが‥‥遺骨を包装している様子はそれぞれだったというんですよ。　日本側に『日本に来て死んだのも悔しいのに、この死者を韓国人が持っていくということは受け入れられない』と言いました。　金浦空港まで日本が奉還するところまで合意を引き出しました。　準備をほとんどすべて終えて、それぞれの宗教界の追悼委員会まで構想した状態だったのですが‥‥　コロナ禍が起きました。　韓日両国の合議体の指導部を替えるところから進めねばならないのですが、まだ遅遅としている状態です。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―長生炭鉱の問題は最初にどのように知るようになったのか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「2015年、広島原爆投下70周年に犠牲者を追悼する韓中日の仏教友好交流大会に宗団協の事務総長として出席した時です。　行事を終えて休んでいたのですが、ソ・ジャンウン広島総領事が私を訪ねてきました。　お会いしてお話を聞いてみると、『朝鮮人136人、日本人47人が水葬されている長生炭鉱という所がある。　だれも追悼行事だとかに関心がないので、仏教界にお願いする』というのですよ。　直ぐに他の和尚たちを集めて再度説明してもらうようにしました。　その席で直ぐに、その次の年から長生炭鉱追悼行事をすることに決議しました。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―毎年の追悼行事を観音宗が代表して勤めている。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「2016年に慰霊祭を行ない、その次の年から観音宗が追悼行事をすべて任せられることになりました。　慰霊祭を最初に行なってみて、１年間は（事件の真相究明の）気配が出てきませんでした。　日本の仏教界に長生炭鉱事故を知らせるビラを送ったら、東京に来て説明をしてくれと言うんですよ。　それで追悼行事に日本の仏教界も参加するようになったのです。　『刻む会』が潜水夫を投入して遺骸を発掘する時、激励金を渡したり、募金も援助しました。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―長生炭鉱問題が韓日関係にどんな意味を持つことができるか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「国家次元ではとっくに解決されていなければならなかった問題です。　最近、李在明大統領が高市日本首相とＤＮＡ鑑定について合意までしましたが、思い切って一度（日本政府が）発掘したらいいのです。　発掘もしないで遺伝子調査するというのは正しいことではありません。　発掘から進めねばなりません。　うまくいけば韓日の歴史清算をすることができる起爆剤になるでしょう。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　最後に「歴史清算」という言葉が出てきました。　韓国側の考え方も、日韓の市民同士が一緒になって、植民地支配の歴史を清算しない日本政府を追及することに目標があるようです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　なお事故犠牲者と直接関係のない日本の市民団体（刻む会）が最初から運動の主導権を握っており、韓国側はこの日本からの呼びかけに応じて動き始めたというところに特徴があると言えます。　出発点は、自分たち日本人は加害者であるという歴史認識ですね。　この認識から日本側が最初に歴史問題を提起し、韓国で被害者や遺族を探し出して韓国側を掘り起し、そうして日韓の市民が連帯して日本政府を糾弾していくというある種パターン化された行動と言えるかも知れません。
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>４・３事件に隠されている真実</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/03/9845845</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/03/9845845</guid>
      <pubDate>Fri, 03 Apr 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-04-24T01:12:46+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-04-03T00:03:22+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　今からちょうど78年前の1948年４月３日に、韓国済州島で起きた事件です。　詳しい内容は「4・3事件」で検索してお調べください。　日本では毎年のように、この事件犠牲者の追悼集会が開かれています。　また今日から事件を扱った映画が公開されるとのことです。　&lt;a href="https://hallan-movie.com"&gt;https://hallan-movie.com&lt;/a&gt;　&lt;a href="https://www.asahi.com/articles/ASV3T4CPPV3TPTIL007M.html"&gt;https://www.asahi.com/articles/ASV3T4CPPV3TPTIL007M.html&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ところでいま世に出ている4・3事件の説明は、権力側（軍・警・右翼）による白色テロばかりがクローズアップされています。　しかし実際は、残虐非道な殺害は権力側の白色テロだけでなく、反権力側（南朝鮮労働党）の赤色テロにもありました。　何万人もの島民が犠牲となった責任は権力側にあるのはもちろんですが、島民を巻き込んで闘った反権力側にもあります。　しかし権力側の白色テロの残忍さばかりが強調されていて、反権力側の赤色テロの残酷さにはほとんど触れられていないのです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;犠牲者数や件数などにおいて、量的には白色テロが赤色テロよりはるかに多かったのは事実です。　最近の毎日新聞の記事　&lt;a href="https://mainichi.jp/articles/20260401/k00/00m/030/230000c"&gt;https://mainichi.jp/articles/20260401/k00/00m/030/230000c&lt;/a&gt;　によれば、次のように記されています。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;軍の「討伐隊」による殺害が86・1％、蜂起した「武装隊」による殺害が13・9％
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　つまり86.1％が白色テロ、13.9％が赤色テロですね。　白色テロは赤色テロの六倍以上となります。　しかし多数だからと言って一方だけを表に出して、少数を無視するのはいかがなものかと考えます。　権力側も反権力側も互いに憎しみ合って悪魔と化し、相手側本人だけでなくその家族や島民をも殺戮していきました。　しかし韓国の歴代保守政権は「アカの暴動」として一方の白色テロを正当化しました。　そしてその反動でしょうか、金大中政権以降の2・30年間は白色テロの残虐性ばかりが取り上げられて、その不当性が叫ばれてきたのでした。　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　そこで拙ブログでは下記のように反権力側による赤色テロを取り上げました。　4・3事件だけでなく何事もそうですが、歴史的な事件を語る時は〝当事者でない者は対立する双方のバランスを取りながらそれぞれが主張する「事実」を調べた上で論じるべきである”というのが私の考えだからです。　しかも4・3事件は日本ではなく外国で起きたものであり、また日本人は事件に全く関係していなかったのだからこそ、感情移入せずに公平かつ客観的に見なければならないと考えます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　事件を検索すれば白色テロばかりが出てきますが、皆さまには同時に赤色テロも知ってほしいと思います。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【南労党の4・3赤色テロ】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;済州島4・3事件の赤色テロ（１）　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;済州島4・3事件の赤色テロ（２）　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/18/8896622"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/18/8896622&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;済州島4・3事件の赤色テロ（３）　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/23/8900976"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/23/8900976&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;済州島4・3事件の赤色テロ(4)－警官家族へのテロ　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/30/8906338"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/30/8906338&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;済州島4・3事件の赤色テロ(5)―右翼家族へのテロ　 &lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/05/8909472"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/05/8909472&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;済州島4・3事件の赤色テロ(6)―評価は公平に　　　 &lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/10/8912907"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/10/8912907&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　世に出ている4・3事件の説明では、武装蜂起を計画し主導した「南朝鮮労働党（南労党）」の名がなかなか出てきません。　「島民の蜂起」のように、まるで一般人が武器を持って立ち上がったかのような説明が多いです。　しかし実際の事件は南労党が計画・準備して蜂起したもので、その実行部隊は「武装隊」「山部隊」「遊撃隊」などと呼ばれていました。　そしてそれまでの権力側の過酷な弾圧に反感を覚えていた多くの島民がこの部隊に協力したのでした。　事件は南労党が島民を巻き込んだ武装蜂起と言うことが可能でしょう。　南労党は武装蜂起と同時に赤色テロを実行していったのでした。　ところが南労党は事件の一方の主役であったにもかかわらず、事件の説明にはこの南労党が隠蔽されているのです。　皆さまには「島民の蜂起」というような言葉に惑わされないようにお願いします。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【南労党を隠蔽する】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;4･3事件－南労党を隠ぺいする読売解説　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/19/9000560"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/19/9000560&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;4・3事件 南労党を隠ぺいする毎日新聞　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/02/29/9218957"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/02/29/9218957&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;南労党を隠ぺいする韓国マスコミ　　　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/04/9055271"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/04/9055271&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;4・3事件―ハンギョレ新聞も南労党を隠ぺい　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/03/9537878"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/03/9537878&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;韓国映画『チスル』　　　　　　　　　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　武装蜂起の目的は〝南朝鮮単独選挙に反対して”と記されているのが多いのですが、実は朝鮮民主主義人民共和国（北朝鮮）建国のための選挙（いわゆる「地下選挙」）が済州島で実施されたという事実がほとんど全く記されていません。　4・3武装蜂起は一ヶ月後に行なわれる予定の韓国建国のための5・10制憲議会選挙（いわゆる「単独選挙」）を阻止し、そして代わりに北朝鮮建国のための「地下選挙」の実施を企図するものであったのです。　実際に地下選挙によって済州島では６人の南労党幹部が代表者として選出され、北朝鮮に派遣されて朝鮮民主主義人民共和国の建国に参画したのでした。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　つまり今の世に出ている事件の説明では「祖国を分断する選挙」だとして〝単独選挙に反対した”としているのですが、同じく「祖国を分断する選挙」であったもう一つの〝地下選挙に賛成した”という事実が隠蔽されているのです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【北朝鮮建国の選挙―いわゆる「地下選挙」】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;朝鮮民主主義人民共和国の正統性は何か？　　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/21/9636056&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の建国日は本当か？　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/10/9723031"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/10/9723031&lt;/a&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　南労党は済州島中山間部の村で、5・10制憲議会選挙（単独選挙）の投票日に村人が投票に行かないように山奥に集団で移動させました。　ですからその日の村は人が誰もいないガランとした状態になり、選挙管理人が投票を呼び掛けようと村に入っても無駄だったようです。　そのために済州島選挙区での選挙は投票率未達のために無効になりました。　（ただし翌年再選挙を実施し、選挙を成立させた）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　ところがそういった村では、二ヶ月後の７月の「地下選挙」で村人は投票したのです。　つまり単独選挙の投票を拒否しながら、地下選挙の投票には参加したのでした。　権力側（軍・警）は、単独選挙を拒否し地下選挙に協力した村を「パルゲンイ（赤）の村」と定めて白色テロへと進んでいったのでした。　それは村を焼き払い、村人を老人・女・子供も関係なく無差別に皆殺しにするほどの苛烈なものでした。　残忍な殺戮にはこのような経緯や背景があったことも知っておくべきでしょう。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　皆さまには本やネットを検索して得られる情報だけでなく、武装蜂起を計画し実行した「南朝鮮労働党（南労党）」、その南労党による「赤色テロ」、北朝鮮建国のために実施された「地下選挙」、そして「白色テロの経緯と背景」、そして何よりも大韓民国を否定するための事件だったことなども知った上で、4・3事件の全容を理解されるようにお願いします。　またわれわれは事件の当事者ではありませんから、白色テロの犠牲者も赤色テロの犠牲者も、ともに等しく追悼してほしいと思います。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【4・3事件を語る金時鐘氏への疑問】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;金時鐘氏への疑問(5)―政党加入・4・3事件　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/18/9769221"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/18/9769221&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;金時鐘氏への疑問(6)―4・3事件（その２）　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770375"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770375&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;金時鐘氏への疑問(7)―4・3事件（その３）　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/28/9771478"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/28/9771478&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;金時鐘氏への疑問(8)―西北青年団　　　　　　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;金時鐘氏への疑問(9)―韓国否定と北朝鮮容認　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774295"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774295&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』（3）</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/27/9844436</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/27/9844436</guid>
      <pubDate>Fri, 27 Mar 2026 00:02:14 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-03-27T07:25:35+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-03-27T00:05:45+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303&lt;/a&gt;　の続きです。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―韓国では、過去の歴史問題は大変敏感だ。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「もちろん1965年の日韓条約で日本は〝最終的に解決した”という立場を取ってきました。　しかしあの時は、長生炭鉱はもちろん徴用工問題も出てくるより以前です。　それ以降に明らかになった日本の間違いの一つ一つが未解決として残っているというのが、私の認識です。　慰安婦や徴用工など、生きて韓国に戻った人たちが自らの尊厳を守る闘いを続けてきました。　彼らが謝罪を求め補償を求めるのは、当然なことです。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―日本政府の謝罪と賠償を要求する声が大きいのだが。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「今までの日本の政治情勢を見れば、補償を前面に掲げて闘うことは非常に困難な状況です。　私は〝遺骨”に焦点を合わせました。　遺骨さえ元に返さない日本は変ではないか、遺骨を誠意もってお返ししようと言っているのです。　取りあえずはこれを中心に闘いを進めねばなりません。　そうでなければ、今の日本政府に補償のことを言えば、話をしてくれません。　そこで終わってしまうのです。　遺骨という人道的問題を掲げて〝何もしないとは言えない状況”をつくりたい。　その次に日本の加害責任とか謝罪があるのであって、まずは日本が遺骨を返還する道理がなければ、謝罪のようなものを受け入れることはできません。　ですから日韓両国に遺骨返還を優先してくれと呼びかけているのです。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　彼女の主張をまとめると、〝日本に加害責任があるのだから日本政府が補償や謝罪するのが当然なことだが今すぐは無理だ、我々が遺骨の発掘と返還を進めることによって政府が補償や謝罪へと動かざるを得ない状況を作るのだ”ということですね。　「人道的問題を掲げて」「加害責任」「謝罪」「補償」という言葉が、この運動の方向性を示しているようです。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―人道的次元のことからやろうという意味なのか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「在日朝鮮人たちは80年経っても堂々と生きることができずに差別されています。　その原因は何でしょうか。　日本人が加害の歴史を十分に勉強しなかったためです。　長生炭鉱の事故を通して、日本がどれほど悪いことをしてきたのか分かります。　これを知った人は「朝鮮に帰れ」のような言葉を絶対に言わない市民、国民として育ちます。　日本社会の不合理性を遺骨の力を借りて変えようというのが私の考えです。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　〝日本人は自分たちが犯した加害の歴史を勉強していないために在日朝鮮人差別がある、遺骨の発掘を通してこの差別という不合理性を打破しよう”ということですね。　1970年代ごろから民族差別問題を訴える韓国・朝鮮人活動家は、〝日本人は歴史の勉強をしていない、日本がどれほど悪辣非道であったかを勉強しろ”とよく主張していました。　私もよく聞かされたものです。　長生炭鉱では日本人の井上さんからこの言葉が出てきました。　〝昔の私もそのように考えていたなあ”と感慨にふけりました。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―日本人として韓国人のために尽力しているわけだ。　韓国人に伝えたいことは。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「韓国人たちの要求（謝罪と賠償）は当然なことだと私も考えます。　日本がきちんと加害責任に直面し、その方向で行ってもらいたいです。　しかし日本の右傾化した政権では正面でぶつかってもビクともしません。　自己満足で終えることはできません。　確実に一歩前に出たいのです。　そのために遺骨の力を信じてくれと言いたいのです。　遺骨が出てくるたびに、その遺骨が誰なのか、なぜここで亡くなったのか、どんな遺族がいるのか、どんな歴史的背景があったのか、明らかにするのです。　それを積み上げていって日本の世論を盛り上げ、政府を圧迫するのが今の私ができる最善のことです。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　日本人が韓国人のために働くということですね。　遺骨の発掘によって世論を喚起し「日本政府を圧迫する」と主張しておられます。　政府に謝罪や補償などをストレートに要求するのではなく、遺骨発掘という地道な作業から先ずは始めようとするところに「刻む会」の特徴があるようです。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―これからの目標は？
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「とりあえず遺族一人にでも、もっと遺骨を返してあげることが一番大きな目標です。　韓国におられる方たちも、この目的を理解して協力していただけたら、と思います。　遺骨の返還のためにみんなが力を合わせることが重要です。　日本政府が何も関与しないというなら、アジアから信頼を得ることのできない政府になるでしょう。　私たちは本当に一生懸命にやりますので、あきらめずに見守ってほしいです。　日韓の市民の力で日本政府を変える状況をつくりたいです。　支援をお願いします。」　（以上、『週刊朝鮮』2897号2026年２月16日　30～32頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　このままでは自国政府が「アジアから信頼を得ることのできない政府になる」という言い方は、1970年代に〝アジア人民と連帯して侵略を目論む自民党政府を倒そう、そうしてこそ日本はアジアから信頼される”と叫んだ左翼運動と共通するものでしょう。　また「日韓の市民の力で日本政府を変える」は、左翼・リベラルが〝韓国の民主化勢力と連帯して韓国軍事独裁政権を支える日本軍国主義を打倒しよう”と唱えた1970～80年代を想起しますね。　長生炭鉱の「刻む会」市民運動は炭鉱事故犠牲者の遺族を探し出して遺骨発掘事業を行なってきたのですが、そんな純粋な人道問題の裏に〝反政府・反権力の左翼運動があるんだなあ”という感想を持ちました。　それはかつて左翼側に立っていた私には郷愁を感じさせるものです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　遺骨の発掘は２月７日に捜索に参加していた台湾出身のボランティア潜水夫が事故死するというアクシデントが発生したために、中断しました。　遺骨発掘はやはり大きな危険が伴うようです。　歴史を振り返ってみれば1942年の水没事故の際、危険だからという理由で遺体収容をあきらめたといいます。　それから80年以上が経ちました。　複雑な坑道は崩壊し水没したままですから、今はその時以上に危険であることは明らかでしょう。　「刻む会」はこれからどのように安全を確保しながら遺骨発掘事業を続けるのか、注目しています。　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　それから気になるのは、これまで発掘してきた遺骨、そして将来も発掘発見されるであろう遺骨を最終的にどうするのかという点です。　どこかの専門機関にＤＮＡ鑑定を依頼して身元を調査し、それが判明した遺骨は遺族に引き取ってもらって終わりますが、それは少数であろうと考えられます。　遺骨は事故で亡くなった183人のうちの誰かであることはほぼ確実と思われますが、80年以上も経っていて遺族のほとんどは孫や曾孫世代でしょうから判明率が落ちます。　またこれまで集めた遺族のＤＮＡは80人分といいますから、半分以上がまだ収集できていないことになります。　ですから発掘された遺骨の多くは、遺族の確定が困難と思われます。　また朝鮮人か日本人かの区別もできませんから、韓国側に引き取ってもらう訳にもいかないでしょう。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　今のところ遺骨は警察が預かっているようですが、事件性がない限り警察にいつまでも保管する義務はありません。　最終的な保管責任は遺骨発掘作業の主体者であり遺骨発見者でもある「刻む会」にあると考えられます。　ですからＤＮＡ鑑定しても身元不明となった遺骨、あるいは遺族が引き取りを拒否したような遺骨は「刻む会」に戻されることになるでしょう。　そして「刻む会」は日本政府の関与を要求しています。　しかし身元不明などの遺骨について政府がどのように関与できるのか、ちょっと疑問に感じます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　80年以上前に起きた長生炭鉱事故の犠牲者の遺体は、その時にそのまま埋没させることで終わったとされています。　もともと海底の炭鉱現場にあった遺骨を取り出してきて結局は所有者・帰属先不明となったのだから元の現場に戻せばいいと考えることは可能ですが、今さらそういう訳にはいかないでしょう。　また遺跡からの出土文化財と同様の取り扱いをすればいいのではないかとも考えられますが、わずか80年ほどの昔の話ですからそういう訳にもいきません。　政府が関わることができるとすれば地元自治体に引き渡し、最終的には無縁仏として処理してすべてが終わることになるでしょう。　しかし日本政府への圧力を企図する「刻む会」は、歴史を反省しない政府を追及するために身元不明等の遺骨をいつまでも保管し続けていくのかも知れません。　　　　　　　　　　　　（終わり）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』（1）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』（2）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;


&lt;p&gt;【日韓の歴史に関する拙稿】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第16題　「歴史」を学ぶことの疑問　　　　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuurokudai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuurokudai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第48題　「強制連行」考　　　　　　　　　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuhachidai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuhachidai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第91題　実証なき歴史研究　　　　　　　　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuichidai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuichidai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第94題　『在日コリアンの歴史』の間違い　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuyondai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuyondai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第95題　(続)『在日コリアンの歴史』の間違い　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuugodai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuugodai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第80題　在日の歴史認識　　　　　　　　　　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuudai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuudai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日韓市民運動の悲観的記事－ハンギョレ新聞　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/04/9721593"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/04/9721593&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;李青若『在日韓国人三世の胸のうち』(1)―強制連行　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/30/9544668"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/30/9544668&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;日韓歴史共同研究委員会の回想―北岡伸一　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/05/11/9683297"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/05/11/9683297&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;韓国・朝鮮の歴史批判に向かわない日本歴史研究者　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/13/8850175"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/13/8850175&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;学術集会に荒唐な現代政治を持ち込む　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/18/8828880"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/18/8828880&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』（2）</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303</link>
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      <pubDate>Sat, 21 Mar 2026 00:02:43 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-03-21T00:04:01+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-03-21T00:04:01+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328&lt;/a&gt;　の続きです。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―「刻む会」を設立した当時、目標は何だったのか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「最初に、海の墓地と呼ばれるあの『ピヤ（排気孔　Pier）』を保存すること。　二番目は日本人としての反省の意と犠牲者全員の名前が書かれた追悼碑を建てること。　三番目は歴史を十分に発掘し、証言資料を収集して本を出版することでした。　ところで犠牲者たちの名前を刻もうとすると、創氏改名された名前しか把握できませんでした。　大変無礼なことでした。　結局、韓国で使われていた住所に手紙を送りました。　17通の返事が来て、その手紙を通して初めて日本で父が亡くなったという事実を知ったという方もおられましたよ。　1992年から遺族会ができて、追悼集会を毎年開くことができました。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―事故現場の近所に追悼碑と追悼広場をつくるのに22年かかった。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「土地を確保するのに大変な困難がありました。　やっと探したのが2009年でした。　二階建て住宅が売りに出されました。　これを壊して2013年、今のような形につくったのです。　私たち関係者が100万円ずつ出したりして、1600万円を集めました。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―遺骨の発掘が元々の目標ではなかったと知った。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「韓国の遺族たちが1993年から日本でチェサ（法事のこと）をするようになりました。　この時、遺族たちが県庁に、政府に対する要求書を提出しました。　一番重要な項目が〝水没したまま放置された遺骨を故郷の地に奉還しろ”ということでした。　私たちも討論しました。　遺骨を収容（発掘）しようと言ったのは私だけでした。　27人だけの小さな市民団体がこれをやるのは無理だし、目標に掲げたら遺族たちを失望させることになるという意見が強かったです。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―追悼碑を建てた後、活動が終わるところだったと聞いた。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「私たちとしては、もうすべてやったという気持ちでした。　ところがその後、集会（追悼式）の時に、遺族の方々から〝日本人はこれで運動を止めようというのか、我々は遺骨を収容して故郷に持って帰る時まで闘う”と言っていることを聞きました。 非常に大きな衝撃でした。　追悼式を建てて感謝の言葉を聞くと思っていたからです。　10年以上かけた仕事が大変でなかったというのか‥‥。　その時、山口先生がこのようにおっしゃいました。　『みなさん、これが自分の両親ならばどうしますか？　時間もかかり、お金もかかりますが、この事業を完遂してこそ、この仕事が終わるのではないですか』」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　顔を見たこともない赤の他人でしかも民族も違う朝鮮人犠牲者を「自分の両親」のように思うべきだという考え方は、一般の人にはちょっと理解が難しいでしょう。　しかし差別問題に取り組む活動をしている人には、こういう考え方が受け入れられます。　自分は差別者であると規定して、被差別者に寄り添う人間であろうとすればするほどこの傾向が強くなりますね。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　日韓の歴史問題でも〝私たちは韓国に加害責任を負わねばならない”〝踏んだ側は忘れるが、踏まれた側は忘れない”〝われわれ日本人はただ日本人というだけで韓国に対して原罪を有している”といって韓国側に寄り添おうとする日本人が存在し、韓国から〝良心的”と高い評価を受けています。　そして“自分は他の日本人と違って韓国人の痛みが分かる良心を持っているのだ”という意識になっていきます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　こういう日本人が〝朝鮮人犠牲者を自分の両親のごとく考えよ！”と言われると、それを受け入れるようになります。　「刻む会」もそういう人たちの集まりのように思われます。　ただ〝両親のごとく考える”というのは〝無限の責任を負う”という意味になりますから、「この事業を完遂してこそ、この仕事が終わる」というのは最後の最後まで責任を持つということでしょう。　私なんかは感心すると同時に、そこまで言って大丈夫なのかな？と思います。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―遺骨を発掘するようになって、大いに注目された。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「長生炭鉱の事故について、日本人たちは何も知らなかったです。　私たちが運動を始めたのも事故から50年後だったのです。　しかし、この運動がここまで来た原動力というか、日本人たちの支えも大きかったです。　遺骸発掘のために四回のクラウドファンディングを実施して7000万円（約６億5000万ウォン）近くのお金を日本の市民たちが出してくれました。　年金生活をしているお年寄りがお金を送ってくれるなど、〝日本人もまだまだ捨てたものではない”という気持ちになりました。　そんな力が一つになったと、すごく感じています。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　マスコミにも報道されたからでしょうか、寄付を7000万円も集めることができました。　これはすごいと感心します。　ただし３月15日付の毎日新聞記事「長生炭鉱遺骨収容」では「４回のＣＦで集まった約3700万円を資金として調査を続けてきました」とあり、金額に違いを見せています。&lt;a href="https://mainichi.jp/articles/20260315/ddm/005/070/092000c"&gt;https://mainichi.jp/articles/20260315/ddm/005/070/092000c&lt;/a&gt;　（有料記事です）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　いずれにしても、すごいお金ですね。　拙ブログでは１年半ほど前に、〝歴史問題における日韓市民運動の将来は暗い”と論じたことがあります。　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/04/9721593"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/04/9721593&lt;/a&gt;　　しかし長生炭鉱を見れば、〝まだまだ元気なんだなあ”と感じました。　ここは私の見通しに誤りがあったと言わざるを得ませんね。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―運動を引っ張ってきて、一番しんどかった点は？
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「刻む会内部で意見を集約することでした。　ちゃんとした法律をつくろうという人がいたり、私のように運動で変えていこうという人もいたりして、その差の調整が大変でした。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―日本の当局者が去る１月30日、初めて現場を訪ねた。　日本政府が遺骸の収拾に協力することに期待しているのか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「今は考えられません。　今やっとＤＮＡ共同鑑定を始めようとする段階まで来ました。　私たちが遺骨を収容して鑑定していけば、韓国にお返しすることができます。　そうなれば、日本政府が関与しないわけにはいかないのです。　遺骨が一体、また一体と返していけば、日本社会に訴える場が広がるでしょう。　今から遺骨がたくさん出てくるのですから、その過程で〝本当に市民だけに任せてもいいのか”〝日本政府は何もしないのか”という世論をつくって、政府を追いつめていきたいのです。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　〝遺骨を発掘することによって世論を喚起し、政府が関与せざるを得なくなるくらいにまで追い込むのだ”ということですね。　意地悪な言い方で申し訳ないですが、遺骨発掘を反政府闘争の材料にしようとしているのではないかと思ってしまいます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　何故こんなことを言うのかというと、1970・80年代の私的な思い出ですが、民族差別と闘う運動や部落解放運動などでは自分たちの運動を反政府・反権力闘争に繋げねばならないとして対政府・対行政要求するのを見てきたからです。　彼らの考え方と今度の「刻む会」の主張とが重なって見えます。　これを思い出してしまうのです。　　　　　　　　（続く）
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』（1）</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328</guid>
      <pubDate>Mon, 16 Mar 2026 00:13:22 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-03-16T05:06:40+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-03-16T00:14:46+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　太平洋戦争中の1942年、山口県宇部市沖の海底下で操業していた長生炭鉱で水没事件が起こり、183人（うち136人が朝鮮人）が犠牲となりました。　この事件の歴史を記録し追悼しようと「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」（以下「刻む会」）という市民団体が1991年に発足し、2024年より犠牲者の遺骨の発掘作業をしてきました。　これはマスコミに報道されて、広く知られるようになりました。　そして今年の２月７日にこの作業をしていた台湾人潜水夫が事故死するという事件が発生しました。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　この痛ましい事件が起きた二日前の２月５日に韓国の『週刊朝鮮』記者が「刻む会」の代表者にインタビューしていて、そのインタビュー記事が『週刊朝鮮2897号』（2026年２月16日）に掲載されましたので訳してみました。　市民団体の活動の理念や意図が何であり、どのような活動をしてきたのかが分かります。　翻訳文の途中で、私の感想を挟みます。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「刻む会」井上洋子　代表理事　「遺骨から探さねば謝罪も補償も要求できない」 イ・ヨンギュ記者
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;長生炭鉱の遺骨発掘を主導する人物は、井上洋子「刻む会」代表理事だ。　今年76歳の井上代表は子どもの時から朝鮮人強制労働に関心を有してきた人物として、日本で差別を受けていた在日同胞を助ける市民団体にも関係した。　彼女は自分が暮らす所で起きた惨劇に目を背けることが到底できなかったと打ち明けた。　40年余りの活動の末、遺骸の発掘と奉還を目の前にした井上代表は、韓日間の過去の歴史問題について「すぐにでも謝罪と賠償を受けたいとする人がいるのは分かるが、一歩ずつ進んでいきたいという気持ちを理解してほしい」と語った。　彼女とは去る２月５日、日本の山口県宇部市の現地で会った。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―故郷が山口県ではないと聞いた。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「そうです。　終戦の５年後である1950年生まれで、長野県下伊那郡天龍村という大変貧しい村で生まれました。　近くの天竜川という大きな川に平岡ダムがありましたが、朝鮮人2300人、中国人400人、戦争捕虜400人など、3000人余りの強制労働者で作られたダムでした。　子どもの時、クラスに日本名を使った朝鮮人の子どもたちが何人かいましたが、私は彼らが朝鮮の人であることを知らずに卒業しました。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　井上さんは1950年生まれですから、小学校時代は1950年代後半～60年代前半です。　とすると、その時その村にいた朝鮮人の生業は何だったのかが気になるところです。　戦争中にダム建設工事に従事していた朝鮮人がそのまま村に残ったのでしょうか。　ダム建設は戦後の1951年まで続いたとされるので、その可能性はあります。　しかし工事が終われば仕事を求めて都会へ流れるものなのに、朝鮮人はその後10年もその村に残っていたことになります。　また元々の村の主たる産業は農業と思われるのですが、工事に従事していたよそ者が農業することは普通は考えられません。　農業以外の仕事に従事していたのでしょうか、それとも何か特別な事情があったのでしょうか。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―当時は自分の故郷が強制動員の現場であったという事実を知らなかった。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「東京での大学時代、友達が『朝鮮人強制連行の記録』という本を貸してくれました。　自分の故郷の名前がそこに出てきました。　私が自慢のように思っていた天龍村が数多くの人々を強制労働させた村だったことを初めて知るようになりました。　山に遺骨がずっと捨てられたままであるという文が書かれていました。　あまりにも大きな衝撃でした。　高校の先生に「なぜ教えてくれなかったのか」という手紙を送ったくらいでした。　後に山口県に引っ越してきて、海に捨てられた遺骨があるって。　私の心の中に抱いていた〝山に捨てられた遺骨”と〝海に捨てられた遺骨”が私の中で一つに繋がったのでした。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　井上さんは1950年生まれですから、大学時代は1960年代末～1970年代と思われます。　ちょうど全共闘運動が盛んな時期でしたから、多くの学生が左翼へ流れていっていました。　朝鮮問題にも関心が高まっていて、〝朝鮮人は強制連行・強制労働の犠牲者である”というような本がよく読まれていたものです。　彼女もその一人だったようです。　
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―若い頃に、在日僑胞の「指紋押捺拒否運動」も応援した。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「犯罪者のような扱いをするのだから、若者たちが集まって指紋を拒否する抵抗運動を始めたのです。　私たち日本人もこれを通じて、言ってみれば〝目を覚ませ、日本人”のような勉強をするようになったのです。　この闘争が政治的に解決した頃、長生炭鉱の悲劇を知るようになりました。　（事実上在日僑胞を狙った政策だった外国人指紋押捺義務制度は1993年に廃止された）　在日朝鮮人の歴史を勉強した際に、近場でこんな悲劇があったことを知るようになり、これを歴史に刻もうという気持ちで始めたのです。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;―日本の代表的な労働組合連盟である「連合（日本労働運動組合総連合会）」の常勤者として長年勤めてきたことが運動のきっかけだったのか。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「30年以上、書記として勤めました。　ところで日本の労働運動は政治・社会の議論には目を向けません。　在日朝鮮人に視線を向ける組合ももちろんありませんでした。　私はそんな組合の風土に疑問を抱いていました。　職場の中ではこんな活動をしていることは一切言わなかったし、言ってもムダな組織でした。　だから60歳で定年を迎えた時、さらに５年働くチャンスもあったのですが、解放されたかったのです。　直ぐにこの運動に専念しました。　そして10年の間、広島から山口を行き来しながら運動しました。」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　井上さんは労働組合の専従書記をしながら、在日朝鮮人問題に関わって指紋押捺問題などに取り組んだというのですから、左翼活動家の典型ですね。　ただ労働組合は社会党系の総評でも1980年代以降に体制内化し左翼運動ではなくなっていったので、彼女のような活動家には「組合の風土に疑問を抱く」ことになったと考えられます。　だからこそ、組合活動と関係ない在日問題に首を突っ込んだということでしょうか。　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　彼女は労働組合の専従をしながら長生炭鉱の問題に関わってこられたのですが、退職してからはこの長生炭鉱問題に専念することになりました。　私もかつて左翼がかっていたので、彼女の経歴は理解できます。　しかし55年以上経った76歳になっても左翼を続けておられるところに、驚きとともに執念を感じますね。　私なんかは1989年の東欧、続けて1991年のソ連の共産主義崩壊で、左翼を離れました。　だからこそ、彼女の経歴に驚嘆するのです。　　　　　　　　　　　　　（続く）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【追記】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　2026年３月15日付けの毎日新聞に、「なるほドリ・ワイド　山口・長生炭鉱遺骨収容」というタイトルの記事が出ています。　ただし有料記事です。&lt;a href="https://mainichi.jp/articles/20260315/ddm/005/070/092000c"&gt;https://mainichi.jp/articles/20260315/ddm/005/070/092000c&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【関連論稿】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第47題　指紋押捺拒否運動への疑問　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuunanadai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuunanadai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>古代から続く伝統的葬法「草墳」（５）</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/11/9841411</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/11/9841411</guid>
      <pubDate>Wed, 11 Mar 2026 00:03:50 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-03-11T00:07:50+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-03-11T00:07:50+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035&lt;/a&gt;　の続きです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　古田博司さんの『朝鮮民族を読み解く』という本の中で、「草墳」が触れられているのを見つけました。　李朝時代の「草墳」がどういう状況であったかが書かれています。　参考までに紹介・引用します。　↑はその93頁にあった挿図で、「草墳に仮庵を設け喪に服す孝子『東国新続三綱行実図』1618年」というキャプションが付けられています。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;死ぬと遺体を薦にくるんで、野辺にはこび、あるいは虎や狼の餌食になるのを避けて樹上に放置した。　これを草墳という。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;なぜかといえば、そのまま土に埋めると骨が黒く腐ってしまい、霊力が落ちて、子孫に繁栄をもたらさないと信じられていたからである。　乾いてあめ色になった骨が取りたくて放置乾燥したのであった。　この葬法は今日でも、韓国は全羅道の西南海岸部や島嶼などの限られた地域に残っているが、李朝時代は全国的な風習であった。‥‥
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;さて、人死して、遺体を厳重に薦でくるみ野辺に安置すると、子孫たちは死者を悼んで数日の宴会をした。　これは飲酒肉食の饗宴であった模様である。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;約３年後、肉や皮が落ちて遺体が骨だけになると、これを棺桶に入れて初めて埋葬する。　これは今日の韓国では洗骨葬と言っている。　現在の全羅南道西南島嶼部では、入棺のとき、実際に骨を洗い、これをきれいに並べて包むからである。　李朝初期には、このときシャーマンを呼んできて紙銭（これは中国のものと形が異なり、日本神道の御幣のようなものであった）を使って、招魂する。　そして埋葬後、子孫たちはまた大宴会をした。　（以上、古田博司『朝鮮民族を読み解く』ちくま新書　1995年１月　94～95頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　「そのまま土に埋めると骨が黒く腐ってしまい、霊力が落ちて、子孫に繁栄をもたらさないと信じられていたからである。　乾いてあめ色になった骨が取りたくて放置乾燥したのであった」というのは、どういう資料に基づいているのか分かりません。　ムーダン（巫堂　무당　朝鮮のシャーマンのこと）からそんな話を聞いたのでしょうか。　或いはひょっとして古田さん独自の考え方かも。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;飢饉のひどかった1671年、ソウルの藁葬（薦でくくって野辺に曝した遺体。つまり草墳）は6,969体と報告された。　王朝はこれを役夫と僧軍を派遣して全部埋めさせた。　怨磋の声が巷に満ち、民衆は役夫の袖にすがって哭いたと『実録』にある。　翌年にはソウルにあった藁葬を10里の外に出して、埋め込んだ。　その数3,060体。　このたびは役夫に賄賂をやり、埋葬を遅らせるものも出て来たとある。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;民衆はついに、年月をかけてよい埋葬地を選べないと悟ると、王陵に隠れて埋め込むようになった。　権勢のある王様の墓は縁起のよい吉地に決まっているからである。　これを偸葬という。　（以上、同上　99～100頁）　
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　『李朝実録』という出典が明記されているので、年代や遺体数といった数字は確かでしょう。　李朝時代半ばですが、草墳がどのような実態だったのか、想像するとちょっと怖いですね。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　最後に出てくる「偸葬（투장）」の「偸」は、「盗」と同じ意味です。　王陵だけでなく、領議政（日本の太政大臣に相当）などの権勢家のお墓でも勝手にこっそり埋葬します。　〝李朝時代の庶民のたくましさ”と言えるかも知れませんね。　これは〝父母は「吉地」に葬ってあげてこそ子孫は繁栄する”という儒教の親孝行思想に基づくそうで、それに加えて土地の排他的私権が確立していなかった時代のために〝墓地は自由に定めることができたから”と考えられます。　〝先祖のお墓は子孫が常時管理しておくべきもので、それを怠れば他人に偸（盗）まれる”ということでしょうが、王様や時の権勢家のお墓に自分の親の墓をつくるとは、ちょっと想像を絶する世界ですね。　　　　　　　　　　　　　(終わり)
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（１） &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（２） &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（３）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（４）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【拙稿参照】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ（１）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ（２）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/29/9833521"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/29/9833521&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;土葬と火葬　　　　　　　　　　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地　　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;</description>
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    </item>
    <item>
      <title>古代から続く伝統的葬法「草墳」（４）</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035</guid>
      <pubDate>Thu, 05 Mar 2026 00:04:02 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-03-06T05:06:38+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-03-05T00:06:40+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734&lt;/a&gt;　の続きです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　民俗学者の村山智順は朝鮮総督府の嘱託職員となって朝鮮の民俗を調査し、報告書を執筆します。　総督府から発行された『朝鮮の風水』がそれで、そのなかに「草墳」を報告しています。　↑はその報告書に掲載された草墳のスケッチ図です（368頁）。　なお村山は報告書本文では草墳とは書かず、「トク葬」「風葬」としています。　
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;トク葬（덕창）　
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;朝鮮語の허덕が草屋、仮小屋の意味であるから、このトク葬は小屋葬とでも云うべきものであろう。　これは多くの場合、下賤の人とかまたは遠く故郷から離れておる者が、死者を埋葬する土地もなく、またこれあるも吉地のない場合、或いはやがてその骨になる時を待って、その骨だけを納めて故郷に持参せむとする者が行なう葬法であって、山野の一部に木、竹、萩などを組み立て、または編み合せて小屋をつくり、草をもってその上を葺き、その中に死体を入れた棺を安置し、その骨だけになる時を待って土中に埋めるとか、あるいは故郷に持ち運ぶとか適当の処置をするのである。　（村山智順『朝鮮の風水』朝鮮総督府　昭和６年２月刊　1972年５月復刻　国書刊行会　366頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　小屋掛けの草墳は、『朝鮮の風水』の↑の図の最下段に描かれていますね。　またその写真も367頁に「トク葬の一種」というキャプションを付けて掲載されています。　その写真が近年の韓国の論文の中に再掲されていましたので、URLを張り付けておきます。　&lt;a href="https://m.blog.naver.com/PostView.naver?isHttpsRedirect=true&amp;amp;blogId=telience92&amp;amp;logNo=221370961497"&gt;https://m.blog.naver.com/PostView.naver?isHttpsRedirect=true&amp;amp;blogId=telience92&amp;amp;logNo=221370961497&lt;/a&gt;　なお、ここでは草墳の別名である「草殯（초빈）」としています。　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　なお「トク葬（덕창）」という言葉は今の韓国語辞典に採録されておらず、また「葬」は「장」です。　この「トク葬」は現在の全羅南道島嶼部に残っている「草墳」に繋がるものと考えられます。　近年まで残っていた「草墳」はYAHOOで「초분」の画像を検索すれば多く見ることができます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　村山智順の説明を続けます。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;風葬
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;これは死体を菰包として樹上に置き、樹に縛りつけ、吊るしまたは木架を組みてその上に載せ、木架に横木を渡して水平に吊り、或いはそのまま地上に起きて、その上に草をかけ、人通りなき山野の中に放置するのであるが、これは永久にこうして置くのではなく、その脱肉解骨（骨だけになる）を待って、その骨を他の土中に埋葬するのである。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;この風葬をなすものには二つの種類がある。　一つは下賤の身分の者で、死体をそのまま埋葬すべき山を持たない場合、骨になるのを待ってその骨だけを北邱山（死捨山とも見なすべき、誰の墓地とも決まっていない墓地で、貧賤にして私有墓地を定め得ない者または幼少の死人を埋めるところである）に移して埋めるが為であり、
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;一つは痘瘡とはチフスとかの悪疫で死亡した者の場合である。　この場合には、死体はこれを直ちに埋葬すると疫神の怒りに触れて一層その悪疫が猖獗を極めるので、この死体を供物として疫神に供し、もってその容恕を乞い、他に患者の出でざる為に犠牲に供する意味からのものと、疫病で死亡した者は疫神の祟りで死亡したのだから、疫神の許しを得て、その祟りが解ければ再び甦ることもあるのであろうから、しばらく風葬となし（直ちに埋めないで）一方疫神の祟りを解く祝祷をするものとの二つの動機から致されるのである。　（同上　366～370頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　↑図の上段と中段に、木架に載せたものと樹木に縛り付けたもの、および木に吊るしたものの「風葬」が描かれています。　このうち吊るしたものは前回ブログで紹介した本間九介の『朝鮮雑記』にも出てきますが、本間は子供が亡くなった場合にする葬法としています。　しかし今ここで紹介する村山は、身分の低い者の場合と痘瘡（天然痘）などで病死した場合にこの葬法（樹上に置いたり縛り付けたり吊るしたり）をするとしています。　いずれにしても、今の韓国民俗学では「草墳」の一種とされています。　&lt;a href="https://www.hiks.or.kr/HonamHeritage/8/read/1778"&gt;https://www.hiks.or.kr/HonamHeritage/8/read/1778&lt;/a&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　風葬は植民地時代に総督府が禁止したとされていますが、1931年発行の『朝鮮の風水』で報告されているところを見ると、まだ残っていたようです。　1945年の解放後の韓国では途絶したようで、全く聞きませんね。　　　　　　（続く）　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（１） &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（２） &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（３）　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;</description>
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    </item>
    <item>
      <title>古代から続く伝統的葬法「草墳」（３）</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734</guid>
      <pubDate>Fri, 27 Feb 2026 00:01:55 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-02-28T06:07:23+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-02-27T00:04:22+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659&lt;/a&gt;　の続きです。
　
　本間九介なる日本人が明治時代中期の1890年代前半に朝鮮半島を旅行して、その旅行記を1894年に『朝鮮雑記』として出版しました。　その本の中に、朝鮮人の葬礼が報告されており、それに添付されている挿図が↑です。　　なおその現代語訳が10年前の2016年に祥伝社より出ており、容易に入手できます。　その「葬礼」の部分を紹介します。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;葬礼
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;葬礼は、すべて儒教の方式にそって行なわれるため、僧侶が厳めしく死者に引導を渡すようなこともないし、葬式に参列することもない。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;棺槨（ひつぎ）の制度は、儒礼に基づいている。　親戚や知人がこれをかつぎ、棺のうしろを、麁服（質素な衣服）に身を包んだ喪主が随って、棺の前後を、三・四の灯籠で囲み、「アイゴー、アイゴー」とむせび泣く声をあげ、はかない野辺送りをする。　（以上、本間九介『朝鮮雑記―日本人が見た1894年の李氏朝鮮』祥伝社　平成28年２月　56頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　「はかない野辺送り」は土葬ですね。　儒教式ですから、葬式の後で出棺して埋葬地に向かいます。　韓国の葬式は、地方では近年まで基本的にこの儒教式を踏襲していました。　一方現在、ソウル等の都会では韓国ドラマに出てくるように火葬が普及して、遺骨はロッカー式の納骨堂に収められるなど、葬礼はかなり変わってきています。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　「麁服」というのは麻で作られた素朴な喪服と帽子で、薄い黄色をしています。　儒教の教えにより、息子は親の死を悲しむあまり粗末な喪服を着なければならないと言われています。　近年までの韓国の葬式でも、喪主がこの喪服を着ていたようです。　ただし最近韓国から来日した方によると、〝田舎の葬式ならあるだろうが自分は見たことがない”と言っておられました。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;幼い子どもが疱瘡で死んだ場合は、その屍を埋めることもなく、俵に盛って、縄で縦横に縛り、これを野外の木の枝にかける。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;そのため、三伏（盛夏）の炎天ともなれば、屍は腐乱して、その臭液が地上にしたたり、日中は烏（からす）や鵲（かささぎ）がさわぎ、夕暮れには鴟（とび）や梟（ふくろう）が叫ぶのである。　死者の霊は、寂として知るよしもないであろうが、はなはだ無情といわねばならない。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;私はかつて、慶尚道の密陽の市外の栗林で、三個の屍を吊るしてあるのを見たことがある。　　（『朝鮮雑記』　57頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　遺体を蓆や俵に入れて吊るすという、今ではちょっと信じられないような葬法です。　↑の図では上段に、カラスがたかっているところまで描かれています。　植民地時代の民俗研究者である村山智順はこの葬法を「風葬」としています。（後述）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　なお今の韓国の民俗学者はこのような遺体を吊るす場合を報告せず、樹木に縛り付ける場合を報告しており、これを「樹葬」と名付けて「草墳」の一種としています。　&lt;a href="https://www.hiks.or.kr/HonamHeritage/8/read/1778"&gt;https://www.hiks.or.kr/HonamHeritage/8/read/1778&lt;/a&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;黄海・平安の両道では、屍をすぐに埋葬するという。　しかし、三南（忠清道、全羅道、慶尚道）や京畿道においては、屍を山麓や野外に担いでいき、あえてすぐに埋葬せず、丸木で造った十字架を二・三個並べ、その上に棺を横たえる。　そして藁でこれを覆い、周囲を葦で包み、雨露にさらし、その肉が腐食し、白骨となるのを待ってから、方位を選んで改葬するのである。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;そういえば、内地（朝鮮半島内陸部）の村はずれ、山麓や野外で、数個の屍が並んで雨露にさらされているのを見なかったことはなかった。　これこそ、奇俗というものだろう。　（『朝鮮雑記』　57頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　「あえてすぐに埋葬せず、丸木で造った十字架を二・三個並べ、その上に棺を横たえる。　そして藁でこれを覆い、周囲を葦で包み」とは、上述の韓国の民俗学論文の中では「木乗葬」「平台葬」と名付けているもので、草墳の一種としています。　『朝鮮雑記』では、藁や葦は腐敗・消滅して、中の遺体が露出していたようです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　なおこの本では、↑図の下段にあるような小屋掛けの草墳を図示していますが、本文では記していませんね。　上述の韓国の民俗学論文では「築台葬」「樹附葬」としています。　植民地時代の民俗学者村山智順は「トク葬」として報告しています（後述）。　　この「築台葬」「樹附葬」が前回紹介した青山島の草墳ですね。　　　　　　　（続く）
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（１） &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;古代から続く伝統的葬法「草墳」（２） &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;</description>
      <enclosure url="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/img/2026/02/27/72b4bd.jpg" length="48347" type="image/jpeg"/>
    </item>
    <item>
      <title>古代から続く伝統的葬法「草墳」（２）</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659</guid>
      <pubDate>Sat, 21 Feb 2026 00:29:51 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-02-21T00:40:49+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-02-21T00:30:47+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684&lt;/a&gt;　の続きです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　20年ほど前にヒットした韓国ドラマ『春のワルツ』をご存知でしょうか。　その第二話の最初の方に、主人公の男の子が父親と一緒にお祖父さんの墓参りをする場面があります。　そのお墓が「草墳」でした。　舞台は全羅南道の青山島です。　熱心な韓流ファンが『春のワルツ』のロケ地を訪ねたそうですから、ご存知の方はおられるでしょうね。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　この青山島で最近まで残っていた「草墳」の築造過程を記録したユーチューブ映像があります。　&lt;a href="https://www.youtube.com/watch?v=SwluibolgFQ"&gt;https://www.youtube.com/watch?v=SwluibolgFQ&lt;/a&gt;　この映像のハングルを訳しましたので、「草墳」とはどういうものか、ご理解できるものと思います。　
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;青山島の草墳　試演（0：00）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;草墳はお墓の一種で、青山島を含めた島地域で行なわれてきた葬礼の風習である。　遺体を土に埋めないで、藁などで編んだ藁束で覆って、２～３年後に墓を立てる。　このような葬法は一般的な儒教儀式である葬礼がたった一度の単葬制であるのに対し、二度の埋葬をする複葬制である。(0：04)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;・正月や２月に土を触って墓を立てれば、村に憂患（悪い事）が起きる。　・村に伝染病が流行ったとき、草墳をする。　・肉がまだ無くなっていない遺体を先祖の墓地に埋めれば、腐った臭いが祖先に漂い、憂患がやって来る。　・墓は先祖に対する孝を象徴するもので、父母が亡くなって直ぐに埋葬すること不孝だと考えられていた。　・草墳は真心を込めてつくるので、親の生前にしてくれたことを親孝行としてお返しする道でもあった。（0：11）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　なぜ草墳をつくるのかについて、「肉がまだ無くなっていない遺体を先祖の墓地に埋めれば、腐った臭いが祖先に漂い、憂患がやって来る」　「墓は先祖に対する孝を象徴するもので、父母が亡くなって直ぐに埋葬すること不孝だと考えられていた」ということです。　前者は複葬制＝洗骨の説明であり、後者は儒教の影響を受けた説明ですね。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;草墳をつくるために、幅50㎝、長さ200㎝ほどの石の土台をつくる。　周辺の土地をよく均してから、石を水平になるように地面に並べる。(0：21)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;石の台の上に松の枝をぎっしり敷いて、その上に縄を横に五本、Ｘ字に二本を置く。(0：28)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;棺を固定するための蓆（むしろ）を敷く。(0：41)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;敷いた蓆の上に棺を置く。　この時、棺は足が海の方に、頭が山の方に向かうようにするのが原則だ。(0：45)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;蓆を棺の角が斜線になるように切ってやり、左右から畳んで上下に畳む。　下に置いておいた縄を結んで固定させる。(0：53)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;雨や風から棺を保護するために、藁束を奇数にして、藁の根の部分が地面に付くように右側に回して編む。(1：09)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;藁束の上にヨンマルム（藁束を組んで作った覆い）を置いて、編んでおいた藁束の重心を取って、草墳を固定させるようにする。(1：17)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;縄の端を石で結んで、風で飛ばないようにして、ヨンマルムの両側に縄を回して縛り付けて、格子模様に固定させる。(1：25)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;家族が別れの挨拶をする。(1：43)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;松の枝を地面に向けて編んだ縄の間に挿す。　これは病虫害の予防の役割をし、また家族が墓を参ったことを表示するものである。(1：51)
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　このように、「草墳」は棺を藁で覆って小屋掛け状にして遺体を保管するものです。　そして遺体の肉を2～3年かけて削ぎ落として（肉は自然と腐乱してなくなる）骨だけにし、その後にその遺骨をきれいにまとめて棺に入れて埋葬します。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　日本では古代の『古事記』『日本書紀』や中国歴史書の倭国伝などに、人が死ねば「殯（もがり）」をしてから墓に埋葬することが記録されています。　詳しくは「殯（もがり）」を検索してお調べください。　「殯」は死の直後から埋葬までの間に遺体を保管しておくことですから、肉は腐敗して消滅し骨だけが残ることになります。　ですから「殯」が草墳に相当する可能性があります。　また沖縄では「洗骨」した骨を墓に収める慣習があり、この洗骨が草墳に相当するとも考えられます。　とすると「草墳」は遺体から肉を削ぎ落として白骨化させてから埋葬する「複葬」の一種で、「殯」や「洗骨」と同様のものと言えるでしょう。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　以上から考察するに、「草墳」は東アジアに非常に古くから存在した葬法である「複葬」に由来するのではないか、そして日本古代では「殯」だったのではないかという推測が成り立ちます。　それがその後の儒教や仏教の普及によりそれぞれの民族によって葬法が変化していくのですが、韓国や日本の一部の地方に「草墳」「洗骨葬」として残存したことになるでしょう。　ただし、これはあくまで仮説であり、そう考えることもできるということにご留意ください。　　　　　　　　（続く）
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>古代から続く伝統的葬法「草墳」（１）</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684</guid>
      <pubDate>Sun, 15 Feb 2026 00:28:02 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-02-15T00:29:25+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-02-15T00:29:25+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　以前のブログ　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164&lt;/a&gt;　で、「草墳については後日に紹介します」と予告しました。　今回はこの「草墳」について、お話します。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　今の韓国では火葬が増えてきて土葬を上回るほどになっていますが、植民地時代にはほとんどが儒教式の土葬であり、火葬は仏教僧侶ぐらいとされていました。　ところがそれ以外に「草墳(초분)」という古代から続く伝統的な葬法があり、李朝時代ではその伝統が全国的に残っていたことはあまり知られていないようです。　植民地時代に抑制されたために「草墳」は減り、全羅南道の島嶼部に残るだけとなりました。　それでは「草墳」とはどういうものなのか、先ずは10年ほど前に刊行された『新版　韓国・朝鮮を知る事典』にある説明を見ていきしょう。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;초분（草墳）―　韓国南西部・全羅南道の多島海地方で広く行われていた葬制。　草殯（초빈）などともよばれ、複葬制・洗骨葬の一種と考えられる。　遺体を納めた棺はすぐに埋葬せずに、山林や海岸、耕地の隅などに移し、地面や石、床几などの上に安置する。　上を藁や樹皮などで覆い、１～３年間置いてから、肉の落ちた遺骨を取り出して浄め、正式の墳墓に埋葬する。　類似の葬法は《三国志》魏書東夷伝や《隋書》高句麗伝などにも散見され、朝鮮時代までは全国的に行なわれていたとされるが、全羅南道の南西海岸・島嶼地域では、この地方独特の巫俗とも結びついて遅くまで残り、2000年代に入ってからも、実例が記録・報告されている。　起源については、南方文化の伝播など、いくつかの説がある。　（平凡社『新版　韓国・朝鮮を知る事典』2014年３月　377頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　「草墳」は、遺体に藁や草で覆っておいて２・３年ほどかけて肉を削ぎ落として骨だけにし、その遺骨をきれいにして土葬するというものです。　これは日本で刊行された辞典での説明ですので、韓国ではどのように説明されているのか、『韓国民俗大百科事典』　&lt;a href="https://folkency.nfm.go.kr/kr/topic/detail/461"&gt;https://folkency.nfm.go.kr/kr/topic/detail/461&lt;/a&gt;　を訳してみました。　なおこれには草墳の写真が掲載されていますので、是非URLを開いてご参考ください。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;草墳
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;【定義】  遺体をすぐに土に埋めるのではなく、石や木の上に棺を置いて、藁で作った小屋のような形態の臨時的な墓。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;【歴史】  遺体を埋葬する前に臨時に安置する殯葬の一つの形態として、古代社会の時から行なわれたものと推定される。　一部の文献記録に草墳についての記録が見えるが、具体的な事例と痕跡を見つけることは難しい。　朝鮮時代末期と日帝強占期の初期までは全国的によく作られていた。　しかし日帝強占期以降、衛生法の制定と火葬の奨励、および草墳の禁止で徐々に消えていった。　1970年代、セマウル運動の影響でほとんどが消えた。　しかし2000年代の初めまで、西南海地方の一部の島嶼で草墳が作られ続けた。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;【内容】  草墳は村の近くの山の麓や畑で作られる。　人が死ねば、遺体を正式に土に埋めるのではなく、入棺した後に石や木の台の上に棺を置いておいて、藁などで覆って作る。　藁などで棺を覆った上に、ヨンマルム（藁束を組んで作った覆い）を覆って草ぶき家の屋根をあげるように縄で組んで縛り、四方の端に石を結んで風で飛ばないようにして仕上げる。　そして松の枝を組んだ囲いを周囲に回して、獣が接近しないようにした。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;草墳は毎年藁を交換して補修した。　草墳を作ってから２～３年あるいはそれより長い歳月の後、肉が腐ってなくなっていたら、骨だけ取り上げてきれいに洗ってから、また棺に入れて土に埋める。　すなわち草墳は遺骨を処理する前に身の肉を処理する方法で、洗骨葬の一種である。　また本格的な葬礼を執り行なう前にする殯葬の一種であり、複葬制の遺習である。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;草墳を作る理由は、祖先崇拝と関連が深い。　草墳は祖先に対する礼儀を果たすことで、生きている親のように誠意をもって面倒見なければならないと信じ、名節や忌日などの特別な日には草墳に来て祭事を行なう。　このような風習は朝鮮時代末期まで全国的に行なわれた。　しかし1970年代のセマウル運動の一環として草墳が行政的に禁止されると、主に西南海の島嶼地方で維持された。　特に全羅南道の莞島、青山島、麗水の金鰲島・安島・蓋島、高興の羅老島、新安の曾島・都草島・飛禽島、霊光の松耳島、群山の巫女島、扶安の界火島などの全羅道の南海岸と西海岸の島嶼地方に草墳が残っていた。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;草墳は、本葬を執り行なう前に長い期間管理せねばならないので厄介であり、経済的に余裕がない人は作るのが難しかった。　草墳の様子は風葬に似ていて混同される場合があるが、違うものだ。　風葬は、それ自体で遺体を処理する完結した儀礼であるが、草墳は本葬を行なう前にやる一次葬の性格を持っていて、根本的に違う。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;【特徴および意義】   遺体を土に埋める前に、身の肉を腐らせて骨をきれいにするために、藁などを編んでつくる草ぶきの家の形態の一時的な墓だ。　本葬を執り行なう前に行なう殯葬であり、複葬制の一次葬である。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　　　　　　　（続く）
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>岩波『世界』の論稿に抜け落ちた資料</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/08/9835414</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/08/9835414</guid>
      <pubDate>Sun, 08 Feb 2026 00:29:25 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-02-08T00:47:12+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-02-08T00:31:28+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　岩波書店の『世界』2026年３月号に、「外国籍職員の採用を廃止？―三重県知事発言を問う」と題する柏尾安希子さんの論稿があります。　このなかで次のような一文がありました。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;1972年には大阪市が中国人職員の採用に踏み切り、翌1973年には尼崎市、西宮市など兵庫県の六市一町で国籍条項が撤廃された。　その後、全国でも国籍条項の撤廃を目指す地域がでてきた。　（『世界』1003号　2026年3月　119～120頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　これに付け加えますと、実際に翌1974年、在日朝鮮人卒業生が教師たちの推挙で尼崎や川西市などに地方公務員として採用されました。　ところがその翌75年度末、その教師たちが一転して「在日朝鮮人生徒の公務員就職を凍結する」と言い出したのでした。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;兵庫県進路指導研究会ニュース1976年３月『新しい出立のために』第18号に、「朝鮮人生徒の進路保障　在日朝鮮人生徒の公務員への就職―当面凍結する意味を進指研で討議―」が発表された。　そこには次のように記されている。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「在日朝鮮人生徒の公務員への就職については、私たちは今後これを凍結する。　在日朝鮮人生徒を公務員として送り込んだ阪神間の高校では、いま、彼らをすみやかに引き取り、積極的に転職をすすめていく方向で、当該生徒たちとの話し合いが続けられている。　在日外国人の門戸を開放し、地方公務員として受け入れてきた側の自治体の、民族問題に対する理解がまったくないことがその後明らかになってきており、このままでは在日朝鮮人法的地位に抵触する危険も生じる恐れがある。　また、このことで、私たち日本人が同化に手をかすことがあるとすれば、なおのこと見過ごすわけにはいかない」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「自治体当局ばかりではなく、労働組合もまた（在日に関する知識や認識）に乏しい‥‥公務員のストが禁じられているいま、（外国人公務員が）労働運動をすれば、生命に危険があることすら分かっておらず、在日朝鮮人を日本人の責任で守り切れる保障がない限り、彼らを労働組合に加入させるべきではない」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「（在日朝鮮人生徒の公務員就職は）凍結するが、＜国籍条項＞撤廃の要請は続ける。　そのわけは私企業が在日朝鮮人、中国人生徒を採用しない口実として、＜公務員＞も外国籍生徒を採用しないといったようにして就職差別を正当化しようとする風潮が現に存在するからである」　　（以上、玄善允『金時鐘は「在日」をどう語ったか』同時代社2021年４月　157～158頁より再引）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　もう少し詳しく言うと、進路指導研究会（進指研）とは公立高校の教師たちの集まりで、生徒らの就職について情報を交換し、時には企業等に働きかける組織でした。　外国人の公務員採用について昔から〝公権力の行使”の点から採用しないことが〝当然の法理”とされてきたのに対し、それは民族差別を正当化するものとして批判し、1973年に阪神間の地方公務員就職について採用条件にある「国籍条項」を撤廃させて、実際に在日朝鮮人子弟を公務員として採用させるという成果を挙げたのでした。　ところがそれが間違いだったとして、在日の公務員就職活動を凍結させるだけでなく、前年度に公務員採用された在日の子を「すみやかに引き取り、積極的に転職をすすめていく方向で、当該生徒たちとの話し合い」をしているのだというのです。　まさに〝手のひら返し”です。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　この〝手のひら返し”をさせた人物が金時鐘さんのようです。　彼が兵庫県進指研を動かしたと思われます。　彼は1973年に兵庫県立湊川高校に教師（ただし教員免許がないので、実際は実習助手）として就職しており、当時の日本社会において民族差別問題ですでに大きな影響力を有する人物でした。　その彼の発言を拾いますと、
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;在日朝鮮人が日本の公務員になることは、日帝時代の夢を彷彿させる。　1945年8月15日まで、朝鮮人の青少年たちの夢は、町村の吏員になることがすべてだった。　いま、日本人化する風潮がつよく、帰化運動を推し進める動きが阪神間で起こっていることを合わせて考えるなら、官吏になることは同化の道行きだ。　言うまでもなく、在日朝鮮人の鉄則は、日本の内政に干渉しないことである。 
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;公務員というなら、朝鮮語を教えることで公務員になっている私の場合のような、知識労働者としての面が開発されるべきだ。　公務員への就職を食えるからとか、金になるからというだけの、市民的権利の拡大だけに短絡させてはいけない。　そのような職場開拓は問題がある。　（以上、兵庫県高校進路指導研究会「在日朝鮮人諸団体の評価」にある金時鐘さんの一文。　金宣吉「歴史をふまえた『異者』との共生」52～53頁より再引）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;(植民地時代に朝鮮人が)下っ端というか、木っ端役人ですが、ともあれ行政権力から給料をもらえるということが一番の夢だったのです。　少年の夢として、青少年の描く夢として何と、わびしい限りではありませんか。　（現在の日本で）そのようなことが、在日朝鮮人の労働権の開発という正当な運動の闘い取る遺産の中で、在日世代のさもしい夢として育てられるのでしたら、これは何ともやりきれない話です。　（「民族教育への私見」　『金時鐘コレクション10』藤原書店　2020年6月　204頁）
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;‥‥そのこと（在日朝鮮人の公務員就職）を凍結するといったことの裏には、初めて兵庫で地方公務員に入ったのは県立尼崎工業高校の卒業生たちでありましたが、その生徒たちの一部に、勤めていっても続かなかった子供がいたという実情があったのです。　‥‥又は姫路の西播磨地区でも女生徒が一人、やはり地方行政に入っていますが、聞くところによりますと、その生徒は、入ったとたんに日本人らしく振舞っているといいます。　親まで加担したそうだといいます。　朝鮮人の痕跡をなくす側に立っていく。　そういうことがあって、行政側に推挙することを凍結するというふうに兵庫の解放研ではいったのです‥‥　（「民族教育への私見（下）」『朝鮮研究』172号　1977年　－玄善允『金時鐘は「在日」をどう語ったか』同時代社2021年４月　176頁より再引
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　民族差別に反対する側である金時鐘さんが、〝在日朝鮮人の子を公務員に就職させてはならない”という主張をしていたのでした。　植民地時代の朝鮮の若者は総督府の吏員となることに憧れて親日派＝日帝の手先となり皇民化を推進したという歴史を振り返るならば、現代に在日朝鮮人が日本で公務員になることも同じことだとする考え方です。　朝鮮人は日本人に同化して権力の走狗になっていいのか、ということのようです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　このたびの三重県の公務員採用に外国人を除外しようとする動きに対し、岩波の『世界』が反対の意見を載せました。　しかしそこには上記の金時鐘さんや兵庫県進指研の主張が全く取り上げられていないことに疑問を感じ、本ブログでこの時の資料を呈示するものです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　外国人の公務員就職問題は〝当然の法理”で反対する意見もあれば、民族差別と闘う者からの反対意見もあったことは、記憶に留めてほしいものです。
&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【拙稿参照】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;金時鐘氏への疑問(3)―教員免許・公務員就職　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/05/9766006&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;第100題「国籍条項撤廃運動」考　　　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakudai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakudai&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    <item>
      <title>毎日新聞の創氏改名記事の間違い</title>
      <link>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/03/9834434</link>
      <guid>https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/03/9834434</guid>
      <pubDate>Tue, 03 Feb 2026 00:02:09 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2026-02-05T19:31:53+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2026-02-03T00:03:41+09:00</dcterms:created>
      <description>&lt;p&gt;　2月１日付けの毎日新聞の「サンデーコラム」に、ソウル支局長の福岡静哉さんが創氏改名の記事を出しています。　&lt;a href="https://mainichi.jp/articles/20260201/ddm/007/030/033000c"&gt;https://mainichi.jp/articles/20260201/ddm/007/030/033000c&lt;/a&gt;　内容にはかなりの間違いが見られるもので、これはちょっと困ったものと思いました。　そこでここに批判していきたいと思います。　なお有料記事ですので、関心ある方は図書館にでも行ってみてください。　またここで論じるのは、記事の前半部分だけです。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「創氏改名」を拒否して死んだ男
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;日本は韓国を植民地統治した時代、日本式の名前に変えるよう朝鮮人に強いる「創氏改名」を1940年２月から行った。　先祖伝来の姓を重視する朝鮮半島の人々はどんな思いだったのか、以前から気になっていた。　知人から「創氏改名を拒否し命を絶った人がいた」との話を聞き、一族が住む集落を訪ねた。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;韓国南西部・光州からバスで約１時間。　田園が広がる淳昌（スンチャン）郡は「薛（ソル）」姓の人が多い。　この地域の名士として知られた薛鎮永（ジンヨン）は40年５月、創氏改名を拒否し、石を抱えて井戸に身を投げ、70年の生涯を終えた。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「ここが井戸があった場所です」。　一族の取りまとめ役である薛明煥（ミョンファン）さん(81)が案内してくれた。　今は水田の一部で、井戸は残っていない。　
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;鎮永は若いころ、反日闘争に参加。　晩年は私塾で若者らに漢文を教えた。　井戸の跡地近くには私塾の建物が残る。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;鎮永を題材に作家の梶山季之は小説を書いた。　これを原作に韓国で映画が作られ、日本でもジェームス三木が舞台作品をてがけた。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;明煥さんは次に自宅を案内してくれて、書庫から古びた書物を取り出した。　「これは1848年に作られた薛氏の『族譜』です」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　「薛鎮永」という人物について付け加えますと、この名前は一族の家系図である『族譜』にある名で、戸籍では「薛鎮昌」です。　号は「南坡」で、上記に出てくる「私塾」は「南坡書室」といいます。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;姓、家系図　命懸け
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;族譜とは、始祖から現在に至る一族の家系図だ。　韓国では多くの一族が所有する。　同じ姓でも、一族の発祥地「本貫」が異なると別の一族になる。　例えば金（キム）氏でも、南東部・慶州をルーツとする「慶州金氏」や、釜山近郊・金海（キメ）が本貫の「金海金氏」などがある。　金海金氏は韓国最大の一族で400万人以上いるとされる。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;鎮永の一族は、慶州と淳昌にゆかりがある「慶州・淳昌薛氏」。慶州に首都を置いた新羅（紀元前57～935年）の建国に功のあった豪族を始祖とする、伝統のある家系だという。　一族でつくる「慶州・淳昌薛氏中央大宗会」の名誉会長も務める明煥が力説する。　「韓国人にとって先祖から伝わる姓やそれを証明する族譜は、死ぬほど大切なもの。　鎮永先生はそうした伝統を守るため、命懸けで創氏改名を拒否したのです」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　薛氏の門中（一族のこと）は1940年５月10日に長老たちが集まり、「玉川」と創氏することを決議しました。　しかし鎮永は先祖から受け継ぐ姓や族譜を否定するものだと反対して拒否を貫き、同月19日に井戸に身を投じて自殺しました。　だから記事のタイトルが「『創氏改名』を拒否して死んだ男」となっています。　しかしそもそも創氏改名は姓を否定するものではなく氏を新たに定めることで、姓には変更はありません。　また族譜は私的文書ですから、これも変えることはありません。　ですから姓も族譜も守られるものでした。　鎮永はそれを誤解して自死に至ったのでした。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　その後この薛家の創氏改名はどうなったかですが、亡くなった鎮永の後を継いで戸主となった息子の泰洙が三ヶ月後の８月８日に「玉川」と創氏を届け出て、受理されました。　父の鎮永は文字どおり「命懸け」で創氏改名を拒否したのですが、結局は鎮永の家族は門中の決議に基づいて日本名を届け出たのでした。　創氏改名の届け出は戸主のみの権限で、鎮永は亡くなって代わりに息子が戸主となっていましたから、法的に問題がありません。　息子の「薛泰洙」さんは「玉川泰洙」さんとなり、「薛」という姓は本貫欄に移すという形で戸籍に残ったのでした。　ですから先祖から伝わる「薛」という姓は、戸籍でもって証明することができたのです。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;「天皇中心を徹底」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;日本が創氏改名を行った背景にあったのが、こうした大規模な氏族集団の強固な結びつきだ。　朝鮮総督の南次郎は当時、創氏改名の目的をこう語っている。　「（朝鮮人を）血族中心主義から脱却させ、国家中心の観念を培養し、天皇を中心とする国体の本義に徹せしめる」
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　南次郎朝鮮総督がこのような話を本当にしたのか、調べてみましたが見つかりませんでした。　朝鮮総督府は1940年２月に創氏改名を解説する『氏制度の解説―氏とは何か　氏は如何にして定めるか』という冊子を発行するのですが、そのなかに南次郎総督の談話が出てきます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;（注）「国家中心の観念」「天皇を中心とする国体」は、南総督の言葉にあるとの指摘がありました。　出典はコメント欄をご参照ください。　この部分を削除します。　2026年2月5日　記
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;氏族集団を解体し、天皇に属する「皇国臣民」を作る意図がうかがえる。　法施行日の2月11日は「日本書記」などで神武天皇が即位したとされる「紀元節」だった。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　ここに「氏族集団を解体し」とあります。　私は30年前に発表し25年前に拙HPに掲載した「創氏改名とは何か」　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai&lt;/a&gt;　で、「創氏改名は男系の血のつながり重視する朝鮮の家族制度を否定し、血のつながりよりも『家』の存続を重視する日本の家族制度を導入しようというものであった。これが分かってくると、血のつながりを示す不変の『姓』ではなく、自分の所属する家を示す『氏』を創れとする創氏改名も、同じ意図からの政策であることが容易に理解できるだろう」と論じました。　私のこの考え方が今度の記事では受け継がれているようです。　しかし創氏改名は上記の薛氏がそうであったように氏族集団である門中で決めることが大半であり、総督府もそれを認めていました。　ですから「氏族集団の解体」の意図があったのかどうか、今は疑問に思います。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　そしてまた記事では「天皇に属する『皇国臣民』を作る意図がうかがえる」ありますが、そこまで言えるのか疑問です。　そもそも1910年の日韓併合により全ての朝鮮人は、法的には「皇国臣民」になったのですがねえ。　また「皇国臣民」という言葉自体に「天皇に属する」という意味が含まれているので、二重表現となっています。
&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;だが日本式の名字に変えた人は３月末までで1.5％にとどまった。　京都大の水野直樹名誉教授の調査によると、公務員や教師、経営者らの割合が高かった。　日本当局との関係から「率先垂範」を求められたとみられる。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;blockquote&gt;&lt;p&gt;そこで総督府が主導し、各地方の役所などを通じて創氏改名を迫る運動を展開する。　制度を強く批判する人を治安維持法違反で逮捕するなど、強制的なものとなっていく。　薛氏の族譜などによると、創氏改名に抵抗した鎮永は「伝統が私の代で絶たれれば、天下の罪人だ」との遺書を残し、命を絶った。
&lt;/p&gt;&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;　記事を書いた福岡さんは、創氏改名には「設定創氏」と「法定創氏」の二種類があることを知らないのではないかと思われます。　「設定創氏」は日本名を届け出て氏を新たに設定するもので、もう一方の「法定創氏」はそんな届け出をせずに先祖から受け継いできた姓をそのまま氏とするものです。　前者は日本名となりますが、後者は民族名が残ります。　どっちの創氏を選ぶかは自由でした。　しかし「設定創氏」だけを取り出して、創氏改名は朝鮮人に日本名を強制するものとする俗説が広まっています。　福岡さんもこの俗説を信じておられるようです。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　総督府は当時〝創氏改名は内地人式の名前（日本名）を強制するものではない”と宣伝していましたが、末端の行政機関では設定創氏の届け出率の低さを問題と思ったのでしょうか、住民らに創氏の届け出をかなり強引に勧めたようです。　これが日本名を強制されたように受け取られて、創氏改名の誤解につながったと考えられます。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　薛鎮永がもし自殺せずに生き残りさらに役場に創氏の届け出もせずに放置していたら、戸籍の事項欄に「氏の届出を為さざるに因り、昭和十五年八月十一日、薛を氏とする」という旨が記載され、戸主の「薛鎮昌」と息子の「薛泰洙」という民族名は変更されずにそのまま残ったはずなのですがねえ。　なお上述したように「薛鎮永」は族譜上の名前で、戸籍上の名前は「薛鎮昌」でした。
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;【創氏改名に関する拙稿】
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2) 　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3)　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4) 　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5) 　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) &lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) &lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) &lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9)　 &lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;朝鮮人戦死者の表彰記事―1944年　 &lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (11)　 &lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012&lt;/a&gt;
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名とは何か （00年４月１日）　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の残滓　（01年６月１日）　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の手続き（04年10月１日）　&lt;a href="http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai"&gt;http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;創氏改名の誤解―「世界史の窓」 　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;朝鮮名での設定創氏が可能な場合　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;宮田節子の創氏改名論　　　　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;石破茂さんのデタラメ創氏改名論 　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/06/9161642"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/06/9161642&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;朝鮮名での設定創氏が可能な場合　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;金時鐘さんの創氏改名は「金谷光原」―神戸新聞　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/03/9779836"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/03/9779836&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;尹東柱の創氏改名―ウィキペディアの間違い　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;尹東柱の創氏改名記事への疑問　　　&lt;a href="http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/16/8917954"&gt;http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/16/8917954&lt;/a&gt; 
&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;「尹東柱」記事の間違い―中央日報　&lt;a href="https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/17/9464967"&gt;https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/17/9464967&lt;/a&gt;
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