戦前の朝鮮部落の状況 ― 2025/10/01
朝鮮人は日韓併合(1910年)前後から日本(当時は内地)に出稼ぎに来るようになります。 だんだん来日人数が増えてくると、各地で民族コミュニティがつくられ、いわゆる朝鮮部落(朝鮮人集住地区)となっていきます。 この朝鮮部落の状況について、近年発行された岩波新書『在日朝鮮人』では、次のように書かれています。
(1920年代以降に形成された)集住地区は、朝鮮人が衣食住の暮らしとその文化を守ることのできる空間でもあった。 朝鮮語で話をし、チマチョゴリを着、民族料理を食べるなど、生活様式と文化を維持する機能を果たしていた。 規模の大きい集住地区には米屋、八百屋、雑貨屋、菓子屋などのほか朝鮮料理の食材を売る店、朝鮮服を扱う店、ドブロクを売る店、漢方薬店なども生まれた。 女性の祈祷師(ムーダン)や漢文を教える老人がいる集住地区もあり、朝鮮の村がそのまま移ってきたかのようであった。 そこでは、親睦会や契(けい)と呼ばれる頼母子講(たのもしこう)のような互助組織がつくられ、さらに文化活動や教育活動なども展開されるようになった。(水野直樹・文京洙『在日朝鮮人―歴史と現在』岩波新書 2015年1月 33頁)
100年前に半島から来日した朝鮮人たちは自分たち同士でかたまるようになり、民族文化をそのまま持ち込んできたことが分かります。 これを現在の日本に引きつけて考えると、今アジアや南米などの各国から多数の人が来日して働いていますが、彼らはそれぞれの国同士で集住するようになって民族コミュニティを作っていく過程と重なりますね。 では当時の朝鮮部落は周囲の日本人からどう見られていたか‥‥。
このような朝鮮人集住地区は、日本人の眼には「猥雑」「不潔」としか映らず、理解不能な異文化が日本社会の中に移植されたかのように見えた。 取り締まり当局は、朝鮮人集住地区を犯罪の温床、さらには民族運動の拠点として警戒・監視の対象とした。 1928年秋、京都で行なわれた昭和天皇の即位式の際に、朝鮮人集住地区は一斉取り締まりの対象となるなど、しばしば警察の取り締まりを受けた。 (同上 33頁)
昔の朝鮮部落と今の外国人たちが形成する民族コミュニティは、周囲の日本人から「理解不能な異文化」と見られ、摩擦を起こすようになる点が共通していますね。
とすれば今日の外国人問題を考える際には、〝100年前の朝鮮人問題がどういう経過をたどって現在に至ったのか”を知ることが大きな参考になるのではないかと考えます。 そこで朝鮮部落(朝鮮人集住地区)の歴史と状況について、調べてみました。 (続く)
【拙稿参照】
「朝鮮部落」を探訪したユーチューブ動画 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/04/9773065
「朝鮮部落」の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/12/9508262
「朝鮮部落」の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/07/19/9510331
神戸の「朝鮮部落」―毎日新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/11/9516772
小松川事件(3)―李珍宇が育った環境 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/12/9576502