水野・文『在日朝鮮人』(11)―尹東柱2016/06/26

朝鮮語や朝鮮文化を守るべきだと唱えるだけで、独立を図ったとして検挙される者が続出した。 ‥‥特に留学生がその標的とされた。京都で学んでいた尹東柱(1917年生まれ。45年獄死した後、詩人として有名になった)の事件がよく知られる(77頁)

 果たして当時の日本で朝鮮語を守ると唱えただけで検挙されたのかどうか。 韓国の詩人として有名な徐廷柱(号は未堂 1915~2000)は、尹東柱が獄中にあった1944年に朝鮮語の詩を『毎日申報』という当時の新聞に発表しています。 とすると尹東柱が朝鮮語の詩を書いたこと、しかも発表もされていない詩が果たして逮捕の理由になったのか、疑問になります。

 また当時の朝鮮のラジオ第二放送では、朝鮮語の歌謡や伝統のパンソリなどが放送されていました。 果たして「朝鮮語や朝鮮文化を守るべきだと唱えるだけで、独立を図ったとして検挙される」なんてことが本当にあったのか、やはり疑問になります。

 戦争遂行政策に協力するものなら、朝鮮語も朝鮮文化も容認されたと思うのですが‥‥。

【拙稿参照】

 尹東柱については以前に拙論で論じたことがありますので、ご参考下さい。

尹東柱記事の間違い(産経新聞)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/09/7568265

尹東柱記事の間違い(毎日新聞)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/02/15/7572811

『言葉のなかの日韓関係』(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/09/6772455

『言葉のなかの日韓関係』(3)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/11/6774088

『言葉のなかの日韓関係』(4)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/13/6775685

尹東柱は中国朝鮮族か韓国人か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/21/8075000

水野・文『在日朝鮮人』(10)―来日した朝鮮人子弟の教育2016/06/22

38年に下関の学校が作成した資料は、全校児童の約20%を占める朝鮮人児童の性格を「無気力、不熱心、勉学心乏し、積極的気風を欠く」「剛情強い所があるかと思うと軽率、雷同的」「不道徳的行為を平気でやる」「虚言を何とも思わず、羞恥心に乏しい」など、あらゆる否定的な言辞で貶めた上で、それを矯正するには「日本人意識日本精神」を持たせ、「日本人の真の力を敬仰景慕せしめ日本児童たることを至高とし感謝する情念を養う」ことが必要であるとしている。(63~64頁)

 人権思想が普及した現在の目で見れば、確かにひどい言い方です。 しかし当時はこういう言い方で通用する時代だったということですね。 当時の朝鮮人の子供たちの状況が想像できます。 親に連れられて日本にやって来たが、日本語が分からないから学校の授業についていけず、学校は面白くなく、日本人の仲間はできず、言葉が通じる朝鮮人の子供同士が集まって悪さをする、そして親は仕事に忙しくて放ったらかし、という状況です。

 これは現在の日本の外国人子弟の教育問題と共通するものがあります。 同様の問題が80年前にも現出していたということになります。 そして学校や教師は当時の教育のやり方で対処するしかなかったということですね。

 なお植民地下朝鮮での朝鮮人の子供たちの就学率は段々と上昇しますが、それでも昭和10年代では男子40%、女子10%でした。日本人の100%近い就学率と大きな違いがあった時代です。

日本統治下朝鮮における教育論の矛盾   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/01/1156247

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/25/8077594

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/29/8080041

水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/09/8086320

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

水野・文『在日朝鮮人』(8)―戦前の強制送還者数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/19/8092119

水野・文『在日朝鮮人』(9)―ハングル投票  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/19/8115076

水野・文『在日朝鮮人』(9)―ハングル投票2016/06/19

「ハングルの投票を認めよ」という要求も掲げられ、内務省も30年にはハングル投票を認めることとしたが、候補者名の日本語読みをハングルで表記した票のみを有効とするものであった。 当時の朝鮮人がよくしていたように名前の漢字を朝鮮語音で読むというやり方で、投票用紙に候補者名をハングルで書いた場合は無効票となったのである。(58頁)

 当時は日本本土内での選挙でハングル投票が認められていたのですが、それが名前の漢字を日本語読みしたものをハングルに直したものが認められたということです。 これは考えてみればその通りでしょう。 ハングル(諺文字)表は各選挙管理者に配られましたから、ハングルをカナに変えることはその当時でも出来ました。 つまり日本語読みのハングル投票なら、その票は有効になるわけです。 例えば「朴春琴」の場合、日本語読みの「ボク シュンキン」をハングルで書いた「보구 슌긴」が有効です。 しかしその漢字の朝鮮語読みとなると、「朴春琴」の場合は「박춘금」となりますが、これは日本の選挙管理者が朝鮮語を知るなんてあり得ない時代でしたから無理だったでしょう。 投票は日本語読みに対応するハングルの場合にのみに有効だったということです。

 ところでその当時、朝鮮本土では地方選挙が実施されていました。 これも当然ハングル投票が認められていました。 ならば立候補者名の朝鮮語読みのハングルは無効だったのか有効だったのか。 これについて直接的史料はないですが、おそらく有効だったと思われます。 何故なら当時の朝鮮での選挙運動では、立候補者名に朝鮮語読みのハングルのルビを振ったものが堂々と掲げられているからです。 これについては以前に拙ブログで記したことがあります。

植民地下の朝鮮で実施された選挙  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/03/7530641

 この写真資料では朝鮮人立候補者の「任興淳」「尹宇植」はそれぞれ「임흥순」「 윤우식」という朝鮮語読みのルビを振った選挙看板を掲げています。 つまり朝鮮語読みのハングル投票は有効であったことを示すものと推定出来ます。

 ハングル投票は認められていましたが、日本本土では日本語読みのハングル投票、朝鮮では朝鮮語読みのハングル投票と、状況が違っていたものと思われます。

【拙稿参考】

戦前の在日の参政権  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuichidai

参政権を潜在的に有していること     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/17/368460

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/25/8077594

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/29/8080041

水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/09/8086320

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

水野・文『在日朝鮮人』(8)―戦前の強制送還者数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/19/8092119

韓国の小説の翻訳に挑戦(8)―クォン・ヨソン2016/05/24

 個人的な韓国語勉強のための翻訳挑戦です。 

 今回は、日本ではおそらく知られていない作家の作品です。 簡単な作家紹介によれば、1996年に文壇デビューした方です。

クォン・ヨソン「伯母」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/imo.pdf

【これまでの小説の翻訳】

申京淑「ある女」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/aruonna.pdf

申京淑 「伝説」  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dennsetsu.pdf

申京叔「今私たちの横に誰がいるのでしょうか」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/imawatashitachinoyokoni.pdf

孔枝泳 「真剣な男」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/shinnkennnaotoko.pdf

孔枝泳「存在は涙を流す」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/sonnzaihanamidawonagasu.pdf

殷熙耕 「私が暮していた家」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/watashigakurashiteitaie.pdf

殷熙耕「他の雪片と非常によく似たたった一つの雪片」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/tanosubete.pdf

水野・文『在日朝鮮人』(8)―戦前の強制送還者数2016/05/19

 水野・文『在日朝鮮人』では、戦前にたとえ不法で摘発されようが、それでも日本に行きたいと思っていた朝鮮人がどれほど多かったかを記しています。 これについては先に紹介しました。

連絡船乗船の際の(渡航)証明書のチェックが厳格になされ、朝鮮南部や西日本の海岸地方では「密航船」の摘発が強化された。「密航」を摘発されたものは、内地側だけで38年(昭和13)に約4,300名、39年には約7,400名に上った。摘発されたもののほとんどは朝鮮に送還された。(50頁)

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

 戦前・戦中に日本に不正渡航して摘発され、強制送還された朝鮮人の人数について、もう少し詳しい資料がありましたので紹介します。 ここでは1933年からの10年間の数字を挙げます。なお1943年以降の数字はありません。

       「不正渡航」発見     うち朝鮮へ送還

 1933年     1,560人         1,339人

 1934年     2,297人         1,801人

 1935年     1,781人         1,652人

 1936年     1,887人         1,691人

 1937年     2,322人         2,050人

 1938年     4,357人         4,090人

 1939年     7,400人         6,895人

 1940年     5,885人         4,870人

 1941年     4,705人         3,784人

 1942年     4,810人         3,701人

    森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の数字』(明石書店 1996年6月)75頁

 正規の手続きを取らずに日本に渡航して摘発された朝鮮人は、1938年から急増しています。 当時日本に行きたいと思っていた朝鮮人が、この1938年から非常に多くなったことが分かります。 ところがこの本では一方において日本に無理やり連れて行く「強制連行」がこの翌年の1939年から始まったとしています。 これを見れば、「強制連行」という歴史には整合性がないと言えます。

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/25/8077594

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/29/8080041

水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/09/8086320

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増2016/05/14

韓国併合の頃の数千人から35年間で200万人に達する朝鮮人が日本に居住するようになった最大の原因は、日本による朝鮮植民地支配にあったといわねばならない。(81頁)

 ここはもう少し掘り下げて書けなかったのか、と思います。 朝鮮は植民地支配によって近代社会になり、それに伴って人口が急増した。 しかし朝鮮は農業社会であり、農業生産が人口の急増に対応できず、農民は疲弊するしかなかった。 だから人口過剰で疲弊した朝鮮から、産業化が進んで労働力需要の旺盛な日本本土に人口が移動する現象が起こった。 これが、朝鮮人が日本に居住するようになった最大の原因である。 こういう風に書いてほしかったと思います。

 近代社会になって人口が急増するのは、全世界史的な現象です。 朝鮮も日本の植民地支配を受けることによって近代社会に入り、人口が急増しました。 これが過剰人口の植民地から労働力需要の大きな宗主国への移動という現象につながるのです。

 ところで植民地近代化論を批判・反対する論者は韓国にも日本にも多数いますが、人口急増になかなか言及しませんねえ。 日本の植民地支配は世界に類を見ない過酷な収奪だったとする歴史像では、人口急増は説明が難しいのでしょう。

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/25/8077594

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/29/8080041

水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/09/8086320

水野・文『在日朝鮮人』(6)―渡航の要因2016/05/09

第一の要因は、いうまでもなく植民地化の朝鮮の経済的状況の変化である。10年代の土地調査事業によって土地所有権が明確化される中で、土地を失う農民が増加したことが原因であったが、それに加えて20年代の朝鮮産米増殖計画が生み出した経済的要因が大きく作用した。‥‥農業だけでは現金を手に入れられない農家は、都市に出て働き口を得ようとした(22~23頁)

第二の要因として、文化的・社会的変化をあげることができる。‥‥学校に通う朝鮮人(特に男子)は増える傾向を続けた。日本語を習得したものは、それ以前の世代とは違って日本に行って働くことに障害を感じることが少なかったといえる。また、日本の新聞・雑誌を通じて、あるいは親族や知人から聞く話を通じて日本についての情報や近代文明の息吹に接することによって、日本の渡航を希望する(24頁)

 在日朝鮮人の渡日の要因を説明した部分です。 要因は二つで、一つは経済的要因、もう一つは文化的・社会的要因を挙げています。 しかし最も重要な人口的要因が出ていないのは何故なのでしょうか。

 1910年の植民地化当初の朝鮮の人口は約1,300万人。 これが35年後の1945年に約3,000万人(朝鮮本土2,500万、日本200万余、満州200万余、その他50万)と2倍以上に増加します。 しかしこの人口の増加に対応できるだけの農業生産は困難でした。 農村では過剰人口に悩み、農村外に出ようとする勢いが大きくなります。 一方の日本では近代産業化が進み、鉱工業や土木建設などに労働者の需要が大きかった時代です。 当然、朝鮮から日本へという人の流れが現れます。 これが朝鮮人の渡日の一番大きな要因です。 これを挙げないのは、何か意図があるのでしょうか。

 なお「第一の要因」として「土地調査事業によって土地所有権が明確化される中で、土地を失う農民が増加した」となっています。 しかし土地所有権が明確化というのは、農民が耕作する田畑が自分のものとなって安定した農業が出来るようになったという点があります。 つまり生活が安定したのです。 在日朝鮮人の渡日要因に土地調査事業による「土地の喪失」を挙げるのはいかがなものかと思います。 むしろ土地調査事業によって農民が安定した生活が営めるようになったから人口が急増し、これによって農村が人口過剰状態となり、そのために日本へ渡航する動きが大きくなったと言えるでしょう。

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/25/8077594

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/29/8080041

土地調査事業  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/23/3273840

李朝時代に女性は名前がなかったのか(4)2016/05/04

 現代は人に名前があるのが当たり前ですから、中世の朝鮮では「朝鮮の李朝時代の女性に名前がなかった」と言うと、まさかそんなことはあり得ないだろうという反応が返ってくる場合が多いです。 犬猫でも名前をつけるのに、一体名前なしでどうやってその人を呼び、あるいは特定していたというのか、名前のない人間なんて想像すら出来ない―そういう反応が出てきますので、理解してもらうのがなかなか難しいようです。

 李朝時代の女性に名前がないというのは、個人に付けられる名前でもって本人を特定したのではなく、別の形で本人を特定したということなのです。 こういったことを、もう少し分かりやすく書いたものはないかと探してみました。 文化人類学の崔吉城さんが自分の母親の例を報告しています。 なお崔さんは1940年生まれですから、母親は李朝時代末期あるいは植民地時代初期の生まれに当たります。

崔吉城「韓国人の名前に関する人類学的研究」(上野和男ほか編『名前と社会』 2006年6月 早稲田大学出版部 所収)

私がこのことに関心を持つようになったのは、私事であるが、私の母親に名前がなかったことを知ったからである。 母が亡くなって、死亡届けのために初めて戸籍謄本をじっくり見た。 そこには姓名欄に「黄姓女」とのみ書いてあったのである。 普通は本貫(始祖の本籍地)というものがあるはずなのにそれもないので、位牌に書くべき黄氏の本貫の一つである「平海」を借りて「顕妣孺人平海黄氏之神位」と書いた。 その前にも戸籍謄本を見ているはずだが、生存中一度も母親の名前で呼ぶことはなく、また名前がなくとも違和感を持たなかったのである。 私は母の死後に位牌を書く時になって初めて名前がなかったこと、女性の名前に関する因習に気が付き、認識を新たにしたのである。 それまでの日常生活では名前がなくても不便ではなかったということは、名前を呼ぶ必要性がなかったことを意味する。 つまり私の母のように女性は名前を持っていなくとも、私の親の世代では珍しくはない。 女性は名前を持ったとしても呼称として使われることは少なかった。 このような女性に名前に関する慣習は父系性の強い韓国社会の特徴を表すものであろう。 そしてまた日本における女性の名前と呼称とは対照的であることもわかった。(146~147頁)

私の母親は名前がなかったが不便でなかったように、女性は名前を持たなくてもよかったし、名前があってもほとんど使われていない。 今村鞆(植民地時代の民俗学者)は、“(女性の名前は)民籍法施行の際、土民下流の輩にして、中には全く無く”、“女は出嫁の後、代名呼称を以て呼ばれ、名を呼ばれることなき”と記している。 一昔前までは女性は生まれてから死後まで名はなくともよいといっていいほど使われなかった。 女性に個人名をつけることは20世紀初頭まで待たねばならなかったのである。   このように女性には個人名があったりなかったりしたが、呼称としてはほとんど使われなかった。 これは女性のアイデンティティを認めないことを意味することかもしれない。(161~162頁)

 李朝時代の女性に名前がないというのは、このような状況でした。 そして李朝時代の人にとっては、女性に名前がないのが余りに当たり前だったのです。 お国が違えば、ましてや時代が違えば、想像すら出来ないくらいに社会が違うことがあるのです。

【拙稿参照】

李朝時代に女性は名前がなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/29/8033782

李朝時代に女性は名前がなかったのか(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/23/8055612

李朝時代に女性は名前がなかったのか(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/01/8061795

名前を忌避する韓国の女性   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/10/8043916

李朝時代の婢には名前がある  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/19/8053165

許蘭雪軒・申師任堂の「本名」とは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/03/31/8060665

水野・文『在日朝鮮人』(5)―強制連行と逃走2016/04/29

4、強制連行・強制労働  労働者の逃亡  内地に動員された動員先に行く途中、あるいは就労現場から、逃走・逃亡するケースが相継いだ。集団移入開始から1年間の動員数6万5千名のうち、20%近い1万2千名が逃走していたとされる。 43年(昭和18年)末までの移入者数36万6千名のうち、11万9千名が逃走してしまった。 逃走率は32.5%に上る。 労務動員に応じながら最初から別の仕事に就くつもりで逃走した者もあったが、動員先の劣悪な労働条件に耐えられず逃走を図ったケースが多かったと ‥‥動員先から運よく逃走できた場合には、親戚・友人や集住地区を頼って新たな就労先を探し、人手不足の土建現場や軍需工場に職を得ることもある程度は可能であったが、逃亡者であることがわかると再び炭鉱などに引き戻されることになった。(72~73頁)

 在日韓国・朝鮮人の歴史を読むと、こういう文章が決まったように出てきます。 強制連行・強制労働(=戦時動員)からの逃走は、戦争遂行という至上の国策に反することです。 この逃走の成功率が20~32%ということですから、軍国主義最盛期の時代なのに驚くべき数字です。 この本によると、当時の国民統制はそれほど厳しくなく、かなりいい加減だったということになるでしょう。 泣く子も黙る大日本帝国の軍国主義は、意外とルーズだったと言えるのかも知れません。

 ところで更に疑問に思うのは、この逃走に成功した人たちは無理やり連れて来られたというのですから常識的に考えて元いた所の故郷に帰ろうとするはずなのに、そうではなく日本国内の別の所に働き口を見つけていることです。 としたらこれは単によりよい労働条件を求めてそれまでの職場を無断で辞めたということではないのか? あるいは戦時動員からの逃走という不法を犯した朝鮮人が次の職場では身元確認もせずに雇われたということなのだろうか? という疑問が浮かびます。

 またこの本だけでなく多くの在日朝鮮人の歴史書では、逃走した朝鮮人が「軍需工場」で職を得たと書かれる場合が多いです。 軍需工場は当然のことながら軍の秘密に接することになりますから、そこで働く労働者の身元はかなり厳しく調査されます。 果たして戦時動員から逃走してきた労働者を軍需工場が雇えるのだろうか? 身元を偽った逃亡者を見抜けなかったのか? いくらルーズとはいえ、大日本帝国軍はこんな間抜けなことをしていたのか? という疑問も湧きます。

 この本だけではありませんが、以上のような疑問に答えてくれる在日の歴史の本はなかなか見当たりませんねえ。

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/25/8077594

水野・文『在日朝鮮人』(4)―矛盾した施策2016/04/25

渡航証明書などによる渡日規制は、朝鮮人が自らの意志と希望にしたがって、あるいは縁故を頼って仕事先を見つけて渡航することを制限するものであったが、労務動員計画の目的は、労働条件の悪さから労働力が不足している炭鉱などで朝鮮人を働かせることにあった。 「自由に」就労先を選ぶ者が増えると、労務動員に支障をきたすことになる。むしろ渡航規制を続けることによって、炭鉱などに朝鮮人を誘導する必要があった。 そのため、労務動員と渡航規制は並行して実施されるものであった。(74頁)

 これが事実であるなら、当時の日本は矛盾した施策を行なったということになります。 つまり実際に渡航証明実務を担当して日本渡航を厳しく制限する部署と、本人の意思を無視して無理やり日本に行かせる労務動員の実務を担当した部署が同時に存在したことになります。 一方ではお前は渡航の要件を満たしていないから日本に行っては駄目だ、しかし他方では渡航要件を満たしていなくても日本の炭鉱には無理やり連れて行ってやるぞ―こんな矛盾した行政を担当させられた役人たちは混乱したと思うのですが、どうなんでしょうかねえ。

水野直樹・文京洙『在日朝鮮人』(1)―渡日した階層 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/06/8066021

水野・文『在日朝鮮人』(2)―渡航証明と強制連行 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/11/8069125

水野・文『在日朝鮮人』(3)―強制連行と強制送還  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/17/8072649