女性解放が賃金低下をもたらした(再録)2020/08/09

 前回の拙ブログで、

男は外で働いて稼ぎ、女は家をしっかり守る、妻が働くのは夫に甲斐性がないからだ、なんて堂々と言われていた時代があったのです。 子供も大きくなったし、家計の足しにパートで働きたいという妻を殴ったという男がいましたねえ。

と書きました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/24/9271182    これに関連して12年ほど前に拙ブログで「女性解放が賃金低下をもたらした」と題する論考を発表していたことを思い出しました。 今読みかえしてみて、それなりに当たっているのではないかと思い、再録します。

1970年代の記憶として、当時の労働運動における賃上げ闘争の理由は、「こんな給料でヨメさん子供を食わせられるか?! ヨメさんが働かなくてもやっていける給料を出せ!!」 というものでした。 つまり共働きは給料が安いために仕方なくやるものであって、豊かな生活とは主人が働き、妻は専業主婦として一家を切り盛りする、というものでした。

これは労働者だけでなく、資本家(=雇用者側)も同じ認識でした。だからこそ、賃上げ闘争がかなり成功してきた、というのが当時のことだったと思います。

ところがこの同時期に知り合いが勤めていた某生活協同組合(理事長が革新系の議員さんで、各理事・管理職もゴリゴリの党員・支持者が多かった)でその内実を聞いた時、驚きでした。 左翼系でいわゆる「搾取」というものはないのだから、そこで働く労働者はそれなりに豊かであろうと思い込んでいたのですが、かなりの低給料でした。

そしてその生協の専務理事自身が、「うちの職員には、20万円の給料しか出せないのなら20万円分の生活をしてもらう、15万円の給料しか出せないなら15万円分の生活をしてもらう。 共働きは当たり前だ」という話を公の席で堂々と発言したのを聞きました。

利益を目的とする企業(資本主義そのもの)では、社員が共働きしなくても生活できるような給料を出そうと、会社も労働組合も頑張っていたのですが、 他方利益を求めない革新系の事業所(資本主義を否定して社会主義をめざす)では、低給料・共働きは当たり前のところでした。

このような30年前の状況を知るものにとって、女性解放運動(あるいは男女共同参画とも言うらしい)は、賃下げの理由にはなっても、賃上げには繋がらないのではないかと思えます。 女性解放とは自立を意味するのですから、女性も働く(=共働き)が当然の考え方になるからです。

もし私が会社側の人間であれば、賃上げ要求する労働組合に対しては、それで生活できないならヨメさん働かせなさい、自分の給料では苦しくても共働きすれば生活できますよ、と同情することなく突き放すことでしょう。

女性解放(=自立)は労働者の賃金低下をもたらした、と私には思えてなりません。

 これは12年前の論考ですから、上記の状況は40年以上の前の話です。 「女性解放が賃金低下をもたらした」は取りたてて根拠のないのもので、私の印象論でしかありません。 それでも女性の地位向上と賃金の関係については私なりに言い当てていたと感じているのですが、そういった方面での研究はなされていないようですねえ。 

 ところでヨメさんが働くという風習は、地域差があるように感じられます。 これも私の狭い範囲の体験談ですが、ヨメさんが働くことに強い抵抗感を持っていたのは九州男児でしたねえ。 子供が大きくなったし私も働きに出たいという奥さんに、俺に恥をかかせるのか!と怒って殴ったという話を聞き、どうやら九州ではそういう考え方をする男が多いようでした。 今は昔の話、今ではそんな男はいないでしょうが‥‥。

【拙稿参照】

女性解放が賃金低下をもたらした  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/16/2632230

木村幹さんの論考を読む-毎日新聞「論点」2020/08/02

 2020年7月31日付け毎日新聞に、「論点 戦後75年『負の歴史』と向き合う」と題する特集記事が出ました。  https://mainichi.jp/articles/20200731/ddm/004/070/004000c

 三人の論者が出てきますが、そのうちの木村幹さん。 この方の授業を受けたことがありますので、特に注目して読みました。 しかしその内容に違和感がありましたので、それをちょっと書いてみます。

関係築けぬ75年こそ 木村幹・神戸大大学院教授

日本と韓国の間では、元徴用工の強制労働や従軍慰安婦といった戦時中の歴史を巡り確執が続いている。1910年の韓国併合から終戦までの35年にわたる植民地支配は負の歴史だが、それ以上に結局良好な関係を築けなかった戦後の75年間こそ、私たちが向き合うべき負の歴史だと強調したい。

 「35年にわたる植民地支配は負の歴史」とありますが、 植民地支配を受けた側からすれば「負の歴史」となるでしょう。 しかし支配した側からすればどうなるのでしょうか。 「負の歴史」なんて主観的なものですから、それぞれの立場で或いはそれぞれの個人の考え方によって違ってくるのではないでしょうか。

 なお「良好な関係を築けなかった戦後の75年間こそ、私たちが向き合うべき負の歴史」という点は、私も賛成します。 ただし「私たち」だけが一方的に向き合うべきものではなくて、双方が向き合うべきものだと考えています。

植民地支配はどう転んでも褒められるものではない。経済成長に貢献した等、韓国側に対するメリットを挙げる人もいる。だが参政権も与えられず、自分たちの運命を自分たちで決められなかった体制に不満を持つのは当たり前で、理屈をつけて相手に感謝されようとするのはかなり虫がいい。

 私も以前はこういう考え方をしていましたが、今は少し違っています。 日本では相手方と過去の話をする時に、「色々とご迷惑をかけたかも知れませんが、大変お世話になりました」「いえいえ、こちらこそお宅にお世話になりました」というような感謝のやり取りは自然なものです。 これは対等な立場であることを互いに確認するという意味もあります。

 日本が韓国と歴史の話をする時にこういうやり取りを想定して、相手側から「植民地化されて苦労しましたが、その時に日本からも色々学びました。そのおかげで今の韓国があります」というような返事を期待したと思われます。 これによって日韓が対等であることを確認しようとしたということになりましょうか。 しかし実際には韓国からは「日本が一方的に全て悪い、謝罪しろ」と強く批判されたという経過になりました。

 つまり韓国は自分たちが善=正義であり日本は悪=不正義だ、だから日本と対等でないと考えているのではないか、と日本人には感じられたと思われます。 木村さんは「理屈をつけて相手に感謝されようとするのはかなり虫がいい」と言っておられますが、日本を極悪人扱いして謝罪を求めることもまた「虫がいい」と書き加えてほしかったですね。

植民地支配に関する批判的な韓国の教科書の記述が、日本側の期待に沿うことは永遠にないだろう。そもそも異なる国や国民に関する歴史記述は、その主題や目的が違うのだから同じになるわけがない。

 これは当然のことだと思いますが、逆に「日本の教科書の記述が韓国側の期待に添うこともない」ということも書いてほしかったです。 どの国であれ、自分の国の教科書を他国からの圧力で変えることは、いいことではありません。

元徴用工や従軍慰安婦に対する補償について、日本政府は65年の日韓基本条約に伴う請求権協定で協力金を支払い、既に解決済みだという立場をとっている。だが韓国では、人権問題であること等を理由として、謝罪や補償を求める運動が依然続いている。日本企業に支払いを命じた韓国最高裁の判決に日本の政府や世論は反発し、両国関係は悪化している。ここまでこじれた背景には、我々が歴史認識の異なる現実に真面目に向き合ってこなかったことがある。

 これも当然ですね。 韓国は日本を対等ではなく上下関係とする歴史認識であり、日本側は対等な歴史認識を目指している、しかし現実には木村さんの言うように「我々が歴史認識の異なる現実に真面目に向き合ってこなかった」ということですね。

 なお日本人の中には、わが日本は加害者、韓国は被害者という上下関係の歴史認識を有している人もいますね。 対等を否定しようとするのは、いかがなものかと思います。

例えばこれまで両国では、問題の和解を若者世代に託したり、グローバル化に伴う国際交流を過度に評価したり、あるいは圧力をかけて他国の歴史認識を強制的に変えようとしたりしてきた。確かに若者は植民地支配の当事者ではなくしがらみがないかもしれないが、だからといって彼らによって自動的に解決されはしない。また、歴史認識の相違が市民の交流で溶解するというのも楽観的に過ぎる。

 ここは以前に「日韓交流は相互理解に役立ってきたか?」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/13/8747383 で論じたことがありますので、ご笑覧いただければ幸い。

日本の一部には、日清、日露戦争を経て「アジア唯一の列強」になっていく明治以降の日本史を自分のアイデンティティーにし、そこから韓国に対する優越感を維持しようとする人たちがいる。そういう人たちは、既に日本が多くの分野で韓国に肩を並べられている現実を受け入れようとしない。

 こういう上下関係の歴史認識を持つ右寄りの日本人もいますねえ。 韓国とは正反対の認識ですが、上下関係で見ようとする点で共通性があります。 私には、同じ穴のムジナに見えます。

日韓関係の悪化が続けば、貿易や観光にも当然影響が及ぶ。だからこそ、両国ともこの「分かり合えなかった戦後」を歴史として冷静に受け止め、真面目に向き合うべきだ。歴史認識の相違を認めたうえで、民族主義的な感情を排し、経済や安全保障など自国が目指す目的を実現すべく合理的な判断ができなければ、「失うもの」ばかりが増えることになるだろう。

   最後の結論です。 当然と言えば当然ですが、よく整理してまとめられた結論だと思います。

【拙稿参照】

木村さん、「嫌韓」は1990年代にはありましたよ  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/25/9250442

韓国民主化世代の性犯罪2020/07/30

 韓国では朴元淳ソウル市長や呉巨敦プサン市長ら、民主化運動を担ってきた人たちによる性犯罪が目立ちますね。 毎日新聞の堀山明子記者が7月29日付で次のようにまとめてくれています。    https://mainichi.jp/articles/20200729/ddm/007/030/069000c?pid=14509

政治的には進歩的でも男尊女卑的な意識や慣習を脱皮できない「民主化運動世代」

 朴ソウル市長の活動履歴はこの記事によると、

朴氏は1970年代の学生運動を経て、94年に財閥や政治腐敗を監視する市民団体「参与連帯」設立を主導したカリスマ的な市民活動家だった。人権弁護士出身で、韓国でセクハラ訴訟第1号とされる93年の「ソウル大助手セクハラ事件」を勝訴に導いた実績がある。死の直前まで務めたソウル市長時代には、2014年にセクハラ被害者保護に消極的な管理者を懲戒する制度を作るなど、先進的な女性への配慮を看板施策にしていた。

 まさに女性の味方として素晴らしい業績を上げていたのですが、この四年間は女性秘書にセクハラを繰り返してきました。 本人が自殺したので分かりませんが、ひょっとしてもっと以前からもやっていた常習犯の可能性があります。

 ところで韓国の民主化運動世代は、日本では全共闘世代に相当すると私は考えています。 全共闘世代の活動家たちの多くは、大学を卒業・中退・除籍してからも活動を続けていました。  活動の場を部落解放運動や民族差別と闘う運動など、人権運動に転身した人も多かったです。 そしてそこでは、性犯罪がしばしば発生していたと言わざるを得ない所でもありました。 下記の拙稿をご参照ください。

活動家によるレイプ事件考      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/07/2708813

それは泣き寝入りではなく自殺だった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/19/5296007

解放運動の「強姦神話」        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192

暴力にみる民族的違和感   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai

相次ぐ有名人の性暴行事件      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/12/29/9194983

人権派ジャーナリストの性暴力事件  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/02/01/9031087

 このうち「それは泣き寝入りではなく自殺だった」のコメント欄で、私は次のように投稿しました。

高史明という在日の作家がおられます。 私はお会いしたことがないのですが、会った方から話を聞くことがありました。

高さんは、かつて日本共産党員として過激な闘争に参加し、その後もその立場での作家活動をされていました。しかし、息子さんの自殺を契機に親鸞に帰依され、宗教的な立場に立つようになった方です。  その経歴のためか、彼のもとに左翼活動家たち(元も含む)が、悩みの相談に訪れることが多いということでした。

その悩みの相談で多かったのが、左翼活動内におけるレイプだということでした。

高さんにこのような相談に行ったのは女性活動家でしょうが、彼女たちはどのような気持ちであったのか‥。  連合赤軍事件の死刑囚永田洋子も、活動初期に先輩活動家からレイプされた体験を有していたそうです。

こういう話は、陰でよく聞く割には表にはなかなか出て来ないし、出て来ても無視されるものです。  左翼諸君は、従軍慰安婦問題のような数十年前の旧日本軍のレイプ事件には敏感ですが、現在の身近に起きているレイプには鈍感だ、ということでしょう。

これは10年前の投稿でしたが、読み返してみて訂正する必要はないと思います。

 韓国の民主化運動世代が「性」に対してどのような感覚を有しているのか、日本の全共闘世代のそれと共通するものがあるのではないか。 その共通性というのは、表では人権問題に取り組んでいるように見せながら実は性犯罪を繰り返している、しかし反権力闘争を実践してきた経緯から被害者は表沙汰にしてこなかった、というものです。 

 そして今は、韓国では表沙汰にして社会に問い掛ける動きが現れており、一方日本では相変わらずその動きが鈍いと言うほかない、ということと思います。 この点、日本は韓国を見習ってもいいのではないでしょうか。

【拙稿参照】

韓国Me too運動の記事     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/05/9231706

Me Too:韓国を揺るがす著名文化人のセクハラ暴露 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/28/8795521

韓国の性犯罪              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/31/6560292

『SAPIO』の間違い記事 「韓国の強姦は日本の40倍」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/09/6628993

韓国における強姦と強制わいせつ件数   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/17/6748307

韓国の盗撮事件             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/02/6884663

韓国の盗撮事件(2)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/09/6895271

韓国の盗撮事件(3)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/29/6964341

韓国性犯罪は半減―KBSニュース    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/01/17/7195563

韓国の性犯罪は半減(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/13/7221436

露出狂はやり過ごせ―韓国の専門家    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/10/7787065

朝鮮戦争時の性事情の一風景(1)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/16/7010068

朝鮮戦争時の性事情の一風景(2)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/19/7014046

在韓米軍の慰安婦の話(1)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/25/7473061

在韓米軍の慰安婦の話(2)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/30/7477690

在韓米軍の慰安婦の話(3)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/03/7482041

在韓米軍の慰安婦の話(4)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/07/7485014

終戦時、朝鮮での強姦事件     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/22/8416092

戦争での強姦事件被害資料     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/18/8408881

最初の韓流ブーム         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/06/8934724

ありふれて当然だったことは忘れられる(女が働く)2020/07/24

 いつだったか、男は働き、女は家を守る、それが日本の昔からの良き伝統だという人がいました。 こんなイメージを持つ人は意外に多いようです。 

 実はかつての日本では、女性も貴重な労働力であり、働くのが当たり前でした。 農家では女性は田んぼや畑に出て働き、都会の商店では女性も働き、また工場や炭鉱労働者の妻たちは内職をしたり、今でいうパート労働をしたりして、働くのが当然でした。

 ところで戦前の在日朝鮮人も同様でした。 私自身、日本で働く男性のもとに嫁に来たという在日一世女性の話を聞くことが何度かありました。 当初は日本でも朝鮮と同じように家事だけをしていればいいと思って嫁に来たと言います。 しかしそれでは生活が出来ず、自分も働かざるを得なくなったという苦労話でした。 男は日本で成功して一軒家を構えていると言っていたのに、来てみると河原にぽつんと建っている掘立小屋だった、しかも壁の隙間で外から丸見えだったという貧乏話でしたから、女も働くしかなかったのです。

 当時の朝鮮女性のほとんどは日本語が不自由でしたから、働くといってもかなり限られます。 日本農家の手伝いをしたという一世は、貰うお金は少なかったがクズ野菜(市場に出せない野菜)をたくさん貰ったので助かったと言っておられましたねえ。

 かつての日本では、女が働くというのはごく普通に見られた日常風景でした。 だから男は外で働き、女は家で専業主婦をするという風景が一般化するのは、かなり後のことと思われます。 おそらくは1960年代以降のことと私は考えています。

 当時の労働運動のスローガンに、ヨメさんを働かさないで生活できる給料をくれ!という賃上げ要求があったと記憶しています。 またテレビがようやく普及した時代で、アメリカの家庭ドラマが放映されていました。 そこには専業主婦の華麗な生活が描かれていました。 これを見た日本女性たちが専業主婦志向になったと勝手ながら思っているのですが、どうしょうか。

 男は外で働いて稼ぎ、女は家をしっかり守る、妻が働くのは夫に甲斐性がないからだ、なんて堂々と言われていた時代があったのです。 子供も大きくなったし、家計の足しにパートで働きたいという妻を殴ったという男がいましたねえ。

 専業主婦はかなり新しい風景です。 かつて日本では女も働いていたし、それが当然な時代があったということが忘れられているように思われます。

【追記】   

 本文で朝鮮女性について「日本で働く男性のもとに嫁に来たという在日一世女性の話‥‥当初は日本でも朝鮮と同じように家事だけをしていればいいと思って嫁に来た」と書きましたが、この方は「陸地」の人です。 「陸地(육지)」は済州島の人が使う言葉で、朝鮮本土のことです。 済州島の女性は結婚しても働くという慣習があります。

【拙稿参照】

ありふれて当然だったことは忘れられる(嘗糞) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/01/20/9026936

ありふれて当然だったことは忘れられる(男がおむつを洗う) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/02/08/9033687

ありふれて当然だったことは忘れられる(カニバリズム) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/04/9043159

韓国映画「マルモイ」に見る時代考証不足2020/07/19

 久しぶりに韓国映画を見ました。 「マルモイ(言葉集め)」です。 コロナの影響で座席は一つ置きしか座れませんでしたが、ほとんど埋まっていました。 この映画はまあ評判になっているのでしょうねえ。 

 映画では歴史事実(朝鮮語学会事件)に基づくフィクションとされていました。 しかし時代考証の杜撰さが目に付きました。

 まず創氏改名の誤解です。 親日派の父親が息子に、創氏を早くしろと創氏届の用紙を突きつける場面がありました。 これはあり得ないことです。 創氏の届け出は戸主だけができる権限ですから、子供が創氏を届け出ることはありません。 父親は有力人士という設定ですから、そんなことを知らないわけがないでしょう。 

 京城中学校の生徒が学校から日本名を名乗れと迫られ、そして次に学校はその生徒を「カネムラ」と呼ぶようになったとする場面がありました。 これがあり得るとしたら、戸主である父親(あるいは祖父)が役所に「カネムラ」と創氏を届け出て受理された後に、学校に改名届を出したという場合だけです。 昔も今も同じで、学校は生徒の名前を勝手に変えることは出来ません。 なお映画では父親は一貫して「金(キム)」でしたから、「カネムラ」と創氏したとはちょっと考えられません。

 警察による弾圧の場面では、警察官たちが小銃をもって家宅に押し入り、逃げる主人公らを撃っていました。 警察官は拳銃を持つことはありますが、小銃は持ちません。 ましてや逃げている人を背後から撃つなんて、あり得ないことです。

 主人公が街で出会った朝鮮人の子供たちが朝鮮語を知らず、ショックを受ける場面がありました。 これもあり得ないことです。 当時は公用語が日本語でしたから、公的会議、学校、裁判等々では日本語が使用されていましたが、そこから一歩外に出ると朝鮮語を使うことは自由でした。 朝鮮の子供たちは学校では日本語を強制されましたが、校門から出て友人同士、あるいは家族や親戚、近所同士で話す日常会話は朝鮮語でした。 朝鮮の子供たちが朝鮮語を知らないと言うのは、あり得ないのです。 

 当時の朝鮮では、朝鮮半島内の電報はハングルでも打つことができたし、ラジオ放送では時間数は少ないですが朝鮮語の番組がありました。 こんな歴史事実が忘れられているようです。

 それに当時の朝鮮半島には朝鮮人2500万人、対して日本人は80万人。 この日本人80万人のうち半分以上はソウルや釜山等の大都市の日本人街に住み、地方でも日本人同士で集まって暮らすのが普通でしたから、一般の朝鮮人が日常生活で日本人と話を交わすことは珍しい時代でした。 朝鮮人が日本語のみで生活することは、およそあり得なかったのです。

 映画ではそれ以外にも、あれ?この時代にこんなことがあったのかな?と疑問に感じるところが少なくありませんでした。 フィクション映画ですから、こんなことは気にしないのがいいのかも知れませんが、私には時代考証の不十分さが気になって仕方なかったですね。

【拙稿参照】

尹東柱の創氏改名―ウィキペディアの間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110

尹東柱の創氏改名記事への疑問  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/16/8917954

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676

宮田節子の創氏改名       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

民族名で応召した朝鮮人     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817

朝鮮人戦死者の表彰記事ー1944年  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160

朝鮮人志願兵初の戦死者      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/02/8719450

創氏改名の誤解―「世界史の窓」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515

創氏改名とは何か (00年4月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

創氏改名の残滓 (01年6月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

創氏改名の手続き(04年10月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

日本統治下朝鮮における朝鮮語放送 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782

同和出自を明かすことは‥‥2020/07/13

 毎日新聞の7月12日付け地域版に「『リバティおおさか』休館に思う 差別は誰もが当事者 毎日新聞記者、自分のルーツ触れた場所 /大阪」と題する記事があります。 https://mainichi.jp/articles/20200712/ddl/k27/040/176000c

 興味深く読んでいるうちに次のような一文があって、ちょっと違和感を覚えました。

前田さんは豊中市で半世紀以上、部落解放運動に携わった。 同博物館のガイド歴も25年になる。 それでも「今でも出身はなかなか明かせない」という。 出自を明かした途端、相手の態度が変わる経験を数多くしてきたからだ。

 この中の「出自を明かした途端、相手の態度が変わる」という部分です。 多くの人はこれを読んで、部落差別は何とえげつないのか、差別者は何と冷酷なのか、自分だったら態度を変えるようなことはしないと思うでしょう。

 しかし考えてほしいのは、彼らは一体どういう場面で「自分は同和の出自だ」と明かすのか、そして出自を明かすことがどういう意味を持つのか、ということです。

 ここで私は30年ほど前のことを思い出します。 職場の同僚が仕事を終えて車で帰ってきた時、前の車の奴とケンカになったと言います。 何事かと聞けば

赤信号で二台目のところで待っていたら、青信号に変わったのに前の車が発車しない、そこでクラクションを鳴らしたところ、その車から人が下りてきて、何を鳴らしとんじゃ!と怒ってきた。 こっちも腹が立って、青になったのにそっちが発車せんからだ!と言い返したら、俺は〇〇の人間やぞ!と怒鳴る。 それでますます腹が立って、それが一体何だというのか!と言い合いになった。 騒ぎが大きくなりかけてきたので、あっちの方がぶつぶつ言いながら車に戻り車が動いたので、騒ぎはおさまった。

 そして「ところで〇〇って、何のことだ?」と聞いてきたので、私は「有名な同和地区ですよ。 解放運動も盛んで‥‥」と答えました。 そうすると周囲の同僚たちから「やっぱり、そうか」という声が漏れ聞こえました。 つまり自分が同和であることを明かすというのはこれによって相手を脅すという意味なのであり、これが多くの人にかなり広く共有されているのはこの類の体験を有する人がかなりいるからであり、だからリアリティをもって受け入れられているのです。

 ある銀行員から間接的ですが、体験談を聞きました。 

窓口にいると、あるお客さんの対応にちょっと手間取ってしまって時間がかかってしまった、するとそのお客さんがいきなり「うちを同和やと思ってバカにしてるのやろ!」と声をあらげた、そのお客さんの姿格好は普通の人と同じで、同和と分かるものはない、何であんなことを怒鳴るのだろう、気分が悪くなった。

 次は、ある工事現場の監督さんの話です。

工事をしていたら、同和とかややこしい人がよく来るんです。 そういう人たちは現場で線の入ったヘルメットを被った人を探して、それをみんなで取り囲んで脅すんですよ。 だから私はいつも線のないヘルメットを被っているんです。 それにそんな人が来たと思ったら監督の作業服を脱ぎ捨てて、そこら辺のスコップを持ってタダの作業員のように掘るんです。

 多くの人が同和の人(自ら同和を名乗る人)と具体的に接触するというのは、多かれ少なかれ以上のような場面に限られると言っていいでしょう。 それ以外では、総務係といった職場に就いていた人が解放運動と接触せざるを得ない時ぐらいでしょうか。 いずれにしても同和の人と出会ってよかったなんていう感想を抱く人は、おそらくいないと思います。 もしいたとしたら、自分は同和に顔が利くんだという歪んだ自慢話でしょうねえ。

 何かの場でちょっと知り合った人が「自分は同和です」と明かされたら、多くは、この人はいったい何を要求するのか? こっちが何か差別的なことを言ってしまったのだろうか? ひょっとして糾弾するつもりなのか? などと身構えることになります。

 これらは20年以上前の1970~90年代の話です。 現在のことではありませんので、誤解なきようお願いします。

 上記の毎日新聞で「出自を明かした途端、相手の態度が変わる経験」というのはその通りだと思いますが、一般人(=差別者側と指目される)にとって出自を聞かされることがどういう意味を持つのか、これを記してほしかったですね。

【拙稿参照】

差別問題の解決とは?    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

社会的低位者の差別発言  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

柳田邦男のビックリ部落認識       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/25/8290405

解放運動の力が落ちたこと        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/08/7533867

解放運動                http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/02/7299711

郵便ポストを設置させた解放運動     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

同和地区の貧困化            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525302

かつての解放運動との交渉風景      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

同和教育が差別意識をもたらす      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/29/5614412

差別の現実から学ぶとは?        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/19/5589789

部落(同和)問題は西日本特有の問題   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/14/1652936

水平社宣言               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/07/1631798

解放運動に入り込むヤクザ        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

差別問題の重苦しさ     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuunanadai

(続)差別問題の重苦しさ  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuhachidai

差別問題の解決とは?2020/07/09

 アメリカで黒人が白人警官に殺される「ジョージ・フロイド」事件を契機に、アメリカにおける人種差別の深刻さを論ずる人がたくさんいます。 それはそれでいいのですが、私にはちょっと疑問を感じます。 それは白人=差別者=悪、黒人=被差別者=善と単純化して論じるものが余りに多いからです。 差別をしてはいけませんと訴える時、どうしてもそういう構図になるのでしょうが、私には何故被差別者側の問題を取り上げないのかという疑問を抱くのです。

 30年以上前ですが、いわゆる同和研修を受けた時、講師の方が「同和の人たちはみんな立派な方です」と発言されたのを聞いてビックリというか、この人、同和のことを何も知らないのだなあと思いました。 「同和問題の解決」「差別はダメ」ということを分かりやすくするために「立派な同和の人を差別するのは間違いです」と言おうとしたのでしょうが、私には後味の悪いものでした。

 実はその10年ほど前(1970年代)に、私は同和地区にあるいわゆる同和企業でアルバイトを何ヶ月かしたことがあります。 その時に同和地区の人々が実際にどのような生活を送り、どのような考え方をしているのかを実見しました。 その体験からすると、「同和の人たちはみんな立派な方です」とは決して言えるものでありませんでした。 むしろ、これでは差別されても仕方ないなあ、という感想を抱くばかりでした。

 まずはその同和地区にはヤクザ、もしくはその関係者が多いという事実です。 家族・親戚に本物のヤクザがいるという話はしょっちゅう出てくるし、それを誰も恥ずかしいと思わない風潮が確かにありました。 いつだったかあるヤクザが、一般地区に住んでいたら一歩外に出ると周囲の人が自分を警戒するような目で見るので嫌だった、しかしこの地区ではそんな目で見る人がいないので暮らしやすいと発言していたのを思い出します。 また解放同盟飛鳥支部長の小西の言葉だったと思いますが、ヤクザをやるより解放運動の方が儲かるというのがありました。

 十数年前に解放同盟の不祥事が明らかになった時、同盟幹部に暴力団が入り込み、ヤクザにもなれないようなチンピラまでが解同幹部を務めていることが世間を騒がせました。 私はこの時、これは昔からあったことで、今やっと世間に周知されるようになったのかという感慨を持ちました。

 それから同和地区の人々の口の悪さ。 「品」というものから余りにもかけ離れたものの言い方に、初めて接した時はビックリしたものです。 それは漫才言葉よりももっとはるかに悪い言い方です。 これは経験した人でないと、ちょっと理解してもらえないでしょうねえ。 文章化しても、そのニュアンスが伝わらないものです。 

 口の悪さだけでなく、「みがち」という同和地区独特の言葉があるのも知りました。 漢字でおそらく「身勝ち」じゃないかと思うのですが、自分たち同和地区の人間ばかりを優先するという意味です。 例えば公園で子供たちが遊んでいる時に、お菓子あげるからおいで!と言えばそこの子供がみんな来るのですが、そのうちの同和地区の自分の身内の子供だけを選んでその子だけにお菓子をやるのです。 それが余りに露骨すぎて、今度は子供たち同士で仲が悪くなり、同和地区の子供が浮いた存在となるのですが、それが何故悪いのかが分からないというのが「みがち」です。 ところで「みがち」は「ムラ(同和地区の自称)」と同じく、今では死語でしょうねえ。

 さらに中学・高校生のワルぶり。 いかにも不良少年少女という姿の生徒が闊歩していました。 こういった子供たちが黄色いゼッケンを胸につけて狭山差別裁判糾弾闘争に参加していましたねえ。

 家庭をのぞかせてもらう機会がありました。 その時に気付いたのですが、文字というものがない家が多かったです。 つまり本はもちろんのこと、新聞雑誌がないのです。 あっても競馬新聞かスポーツ新聞くらい。 子供がいるなら児童書や絵本があるとおもうのですが、それも見当たらない。 

 こんな経験をしましたから「同和地区の方はみんな立派です」という発言にびっくりしたのです。 後日ですが、解放同盟の幹部の方が「差別者の方はいつ差別を止めてくれるのですか? 差別を止めてくれたら差別問題は解決するのです」と言っていたのを思い出します。 差別者=悪=不正義、被差別者=善=正義と単純化する考え方は、非常に分かりやすいし根強いものがあると思われます。

 私は、差別は差別者側だけの問題ではない、差別者が心を入れ替えても解決するものではない、被差別者側にも大きな問題があり、これを取り上げない限り解決はあり得ない、と常々思ってきました。 だから差別問題は、差別者と被差別者とが共同作業してこそ解決するものだということを確信しています。 ですから冒頭にあるアメリカの人種差別事件に関連して差別がどれほど過酷かを語る論者が、被差別者の黒人の問題に全く言及しないところに、私の大きな違和感があるのです。

【拙稿参照】

社会的低位者の差別発言  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

解放運動の闇専従-森山栄治 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/12/18/9190648

医大の不正入試             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/05/9043516

柳田邦男のビックリ部落認識       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/25/8290405

解放運動の力が落ちたこと        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/08/7533867

解放運動                http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/05/02/7299711

「原子力ムラ」は差別語では‥      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/09/22/6580751

郵便ポストを設置させた解放運動     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

同和地区の貧困化            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525302

かつての解放運動との交渉風景      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/08/27/6074508

同和教育が差別意識をもたらす      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/29/5614412

差別の現実から学ぶとは?        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/19/5589789

被差別正義  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/06/5270853

活動家の転落              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/17/3518593

松岡徹氏に関する拙稿が役立った     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/23/2653204

弱者の腐敗               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/29/2534690

差別と闘うことへの疑問         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/15/2513505

解放運動の「強姦神話」         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192

部落(同和)問題は西日本特有の問題   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/14/1652936

水平社宣言               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/07/1631798

同和地区の低学力            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/18/1515064

解放運動に入り込むヤクザ        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/04/1482616

飛鳥会事件―「心から謝罪」は本当か?  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/24/1206080

これが「真摯に反省」?         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/27/382079

松岡徹さん               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/26/381520

闇に消えた公金―芦原病院・同和行政   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/04/29/346418

差別問題の重苦しさ     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuunanadai

(続)差別問題の重苦しさ  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuhachidai

同和地区における不動産価格  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuukyuudai

巌谷一六(2)2020/07/01

松浦武四郎 双六

 松浦武四郎は、二十五の天満宮を巡拝する双六を作成しました。 ↑がそれです。 作成年代は明治17年(1884)と推定されます。 この双六の題字は「聖跡二十五霊社巡拝双六」ですが、これを書いたのが「古梅居士」。 クリックして拡大すれば見えます。    「古梅」は巌谷一六の号の一つです。 ですから、この双六の題は巌谷一六が書いたものと分かります。

 かつて調べたことのある松浦武四郎に関連して、巌谷一六・小波を懐かしく思い出した次第。

巌谷一六2020/07/01

松浦武四郎の建碑 京都菅原院天満宮

 巌谷一六なんて知っている人は、ほとんどいないでしょうねえ。 明治時代の書家で、貴族院議員。 詳しくはウィキペディアでも調べてくださいね。 ↑の石碑に巌谷一六が刻まれています。

 彼の息子が巌谷小波。 明治から昭和にかけて活躍した児童文学者です。 こちらの方が有名ですね。 この巌谷小波を研究している韓国人学者がいるという毎日新聞の報道がありました。6月30日付。 https://mainichi.jp/articles/20200629/k00/00m/040/201000c

韓国・釜山出身の金さんは18年前、九州大大学院の留学生として来日。 大学の図書館で日本の植民地時代を中心に発行された「京城日報」を読んでいた時、巌谷の記事を見つけ驚いた。 巌谷は、海を渡って当時の朝鮮(現韓国)も何度も訪れ、童話を広めていた。 ただ、驚いたのは、韓国にも「小波」を名乗った児童文学者、方定煥(パンジョンファン)(1899~1931年)がいたからだ。 金さんにとっての「小波」は方定煥で、日本の巌谷のことは知らなかった。

 本当かなと思って平凡社『新版 韓国・朝鮮を知る事典』で「方定煥」を調べてみると、

朝鮮児童文学運動の先駆者。 号は小波。 ソウル生まれ。日本の東洋大学に学び‥‥(463頁)

とあります。 なるほど、記事は本当でした。

 ところで私の関心は巌谷小波ではなく、父親の巌谷一六です。 一六は、蝦夷の地を「北海道」と名付けたことで有名な松浦武四郎と交友関係にあった人です。 松浦武四郎については、私はかつて彼が建てた石碑を調べたことがあります。

 松浦武四郎の石碑をたずねて http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuhachidai

 松浦武四郎がテレビドラマ化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/02/8930549

 武四郎が西日本の天満宮二十五社に建碑しました。 その第一番目が京都の菅原院天満宮にあります。↑ この石碑に「巌谷修」という名前が刻まれています。 この「巌谷修」が巌谷一六の本名です。

 一六の三男が巌谷小波で、日本の児童文学史上で超有名人なのです。 その小波が植民地下の朝鮮に行って児童文学を広めていたとは知りませんでした。 そして韓国でも児童文学者として有名な方定煥の号が「小波」であるのは巌谷小波からとったものであるとは、新鮮な驚きでした。

 新たな知識を得ました。 毎日新聞の記事はうれしいですね。

元在日商工人の思い出話―拷問体験2020/06/30

 6月29日付の『朝鮮日報』に、「在日僑胞スパイ事件、再審で43年ぶりに無罪=ソウル高裁」と題する記事が出ました。 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2020/06/29/2020062980043.html  1970年代に在日僑胞実業家が韓国でスパイ容疑に逮捕された事件です。 これを読みながら、以前にある在日のお年寄り体験談を思い出しました。

 その方はいわゆる在日韓国商工人で、私と出会った時はもう引退されていて、アパート経営と年金で悠々自適の生活をしておられました。 その方が「韓国で、スパイ容疑で捕まって拷問されたことがある」とおっしゃったので、ビックリしてもう少し詳しい話を聞かせてもらったのです。

 彼は1970年代当時かなり手広く商売をしていたそうで、韓国にも手を伸ばしていました。 韓国にはしょっちゅう仕事で行くようになったそうです。

ホテルでキーセン(妓生)と寝ていたら、夜中の二時頃にドアを叩く音がして、何かと思って出たら、黒ずくめの服でサングラスの男が二人ほど部屋に入ってきて、直ぐに荷物をまとめろと言う。一体何事かと聞いても、何も答えない。 余りに威圧的で、仕方なく荷物をまとめて、その男たちについて行って車に乗せられた。 どこかの建物に着くまで、男たちは何も言わない。 しかし見るからに怖くて、こちらもじっと黙って従うしかなかった。

建物に着いてある部屋に入ると、いきなり素っ裸にされて、膝に棒をかまして固定された。 そうすると中腰になるしかなく、立つことも座ることも出来なかった。 何が何やらさっぱり分からず、その姿勢で殴って蹴られるしかなかった。 その時、生まれて二・三ヶ月しかならない生まれたばかりの子供と、ヨメさんの顔が頭に浮かんだ。

その素っ裸で中腰の姿勢で、取調べが始まった。 最初は何を言っているのか、さっぱり分からなかった。 そのうちに聞いたことのある名前が出てきた。 民団の商工会にいた人の名前である。 向こうはその人との関係をしつこく聞いてきた。 その時にようやく、その人が北のスパイで、自分がその仲間でないかと疑っていることがようやく分かってきた。

その人は名前を知っているだけで、会えば挨拶ぐらいはしたかも知れないが、何か話をしたことはないと言った。 そして当時の民団の商工会の知り合いの名前を出来るだけ出して、その人らに確かめてくれと言った。 次に彼らはある在日の名前を出して、その人を知っているかと、これも何べんも聞いてきた。 何という名前だったかなあ。 有名なスパイらしい。

 私は「ソ・スンですか?キム・チョリョンですか?」と尋ねた。 「いや、そんな名前ではなかった」。 「当時の言い方からして、じょ・しょう(徐勝)ですか?それとも‥‥」 「あ、それそれ、じょ・しょう、その名前。 その人のことを聞いてきたんだ」。 「その方は今は立命館で教授をやっておられますよ。」 しかしそれには関心がないようで、すぐに話題が変わりました。

結局、三・四日して疑いが晴れたとして、釈放されたんですよ。そうしたら、ちょっとした料亭に連れていかれて、そこで会食しながら、これまでのことは外で喋ってはいけないと言われたのだけれど、もう何十年も昔のことだから、もう時効だね。 だから喋るんです。

それから直ぐに、あのキーセンのところに行ったのです。 深夜に連れて出されて、三・四日で戻ってきたというので、キーセンもママも驚いていたなあ。 キーセンは黒ずくめの男から、このことは外で絶対に言ってはならないと、きつく口止めされたと言っていましたねえ。

 大体こんな話でした。 印象的だったのは拷問の話もそうでしたが、結婚して子供が生まれたばっかりなのに韓国でキーセンと一緒に寝ていたという話を、恥ずかしげもなく言っておられたことでした。 おおらかと言うか何と言うか、昔の男はこんな感じの人が多いですねえ。

【拙稿参照】

徐勝さんは二回も北朝鮮に行った  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/23/8753413

水野・文『在日朝鮮人』(20)―南朝鮮革命に参加する在日 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/08/8173965

最初の韓流ブーム  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/06/8934724