特別永住者数の推移2019/07/16

 在日の特別永住者の数が30万人を切ったと言う人がいて、へー!! もうそんなに減っているのかと思って、久しぶりに調べてみました。

 出入国在留管理庁の統計によりますと、2017年末の韓国籍の特別永住者は29万5826人、朝鮮籍の特別永住者は3万243人で、計32万6069人です。 だから30万人を切ったというのは、韓国籍に限っての数字でした。 ついでに、ここ10年間の特別永住者の数を調べました。 

  特別永住者数(韓国・朝鮮籍)の推移

   2008年   416,309

   2009年   405,571 (10,703減)

   2010年   395,234 (10,337減)

   2011年   385,232 (10,002減)

   2012年   377,351 (7,881減)

   2013年   369,249 (8,102減)

   2014年   354,503 (14,746減)

   2015年   344,744 (9,759減)

   2016年   335,163 (9,581減)

   2017年   326,069 (9,094減)

 昨年(2018年)末の数字は、まだ出ていないようです。 見ての通り、特別永住者数は毎年9,000~1万人程が減っています。 この調子では、33年後の2050年には0になります。 特別永住制度ができたのは平成3年(1991年)でしたが、それまでに法務省の坂中英徳さんでしたか、2050年までに在日は消滅するだろうと見通しを立てていました。 その見通しが、ずばり大当たりしているということになります。

 減少の原因ははっきりしています。 帰化により日本国籍取得者が増えていること、および日本人との婚姻が90%で、その子供のほとんどは日本国籍となって特別永住資格を受け継がないことです。

 在日韓国・朝鮮人のなかに、「自分は日本人でも韓国人でもない、在日だ」なんて言う人がいます。 自分のアイデンティティを主観的にどう考えるかは自由ですが、「在日」を客観的に証明するものは特別永住資格しかありません。 その資格者が消滅しつつあるのです。 そのうちに、自分は日本人だが気持ちは在日だ、とか言う人が出てくるのですかねえ。 

【拙稿参照】

特別永住の経過             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381

特別永住制度の変更は非現実的      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857

在日の法的問題は解決済み        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500

米国籍などの特別永住者         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285

在日の特別永住制度           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

トルコ国籍の特別永住者?!―毎日新聞 ― http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/10/27/7870629

『現代韓国を学ぶ』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/08/6472916

これまでの在日とその将来について(仮説) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/01/348943

児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」は日韓共通だが‥2019/07/09

 まだ小学校にも行っていない幼い子に対し、親が「お前は橋の下で拾ってきた子だ」と言うのは風習と言っていいのか分かりませんが、よく聞く話です。武内徹『お前はうちの子ではない 橋の下から拾って来た子だ』(星和書店 1999年11月)によれば、昔から最近に至るまで全国的に広く分布し、男性の35%、女性の60%が親から言われた経験があります。 そんなことを言わなかった親も多数いますが、言ってしまった親も多く、内容は共通して「橋の下」が大半だということです。 また男性よりも女性にその経験が多いのですが、その理由がどうも分からないようです。

 言われた子供は大きな衝撃を受けるので、多くの場合忘れることができず、何十年経っても思い出します。 幼児の記憶は断片的であやふやな場合がほとんどですが、親からのこの言葉だけは鮮明に残っているものです。 親たちは何故こんな酷いことを言うのか、いろいろ説明(言い訳)があります。 一つは「躾け」であり、もう一つは「冗談・からかい」です。

 親からこれを言われると、子供は衝撃のあまりシュンとなってしばらくおとなしくなります。 親からしたら、子供をおとなしくさせるための効果的な言葉ですし、子供は親の言うことを聞くものだと教えようとしたかも知れません。 だから「躾けだ!」と言い張ることになります。

 冗談で言ったとしても、幼い子供には冗談というものが理解できませんし、一番に愛してくれているはずの親から発言ですから、衝撃のあまり号泣してしまいます。 それが面白いのか、近くの橋の名前を出して「あそこの橋の下の河原で見つけたんだぞ」と更にからかって追い打ちをかける親もいます。 親にとっては何かのストレス解消なのでしょうか。

 これは言葉の暴力であって、児童虐待と言ってもいいと思うのですが、問題化しませんねえ。 ところでこれは日本だけのことだと思っていたら、韓国でも全く同じ言い方があることを最近知りました。

 「넌, 다리 밑에서 주워온 아이야!」。 訳すと「お前は橋の下で拾ってきた子だ!」ですから、全く同じです。 親や祖父母が言うようで、子供はショックで泣きます。 そして本当の母親を探して家出をしたりしますが、幼子の家出ですから橋や近所を回って結局は家に帰ることになるようです。 このあたりまでは日韓共通と言えます。

 ところで韓国語では「橋」を「다리(タリ)」というのですが、これにはもう一つ「足」という意味もあります。 もう少し詳しく言いますと、「다리」は腰から下の足の意で、足首から先は「발」です。 漢字では「脚」と「足」の違いですね。 従って「다리 밑에서」は、「橋の下で」という意味と「足(脚)の下で」という二つの意味があります。 「股下・股ぐら」の意味にもなりますね。

 だから「다리는 다린데, 엄마 다리 밑에서 주웠단 말이야!」、つまり「タリはタリでも、お母ちゃんのタリ(足・股)の下で拾ったということだ!」と言い換えられて、「だからお母ちゃんの本当の子という意味なんだよ」と、フォローが可能なのです。 だからなのでしょうか、韓国では日本の場合のような衝撃は小さいように感じられます。

 この言い方が日本と韓国にあることは分かりましたが、世界中にあるのかどうか? インドではガンジス川から拾ってきた、或いはアフリカではサハラ砂漠で拾ってきたというのがあるようです。 ただしこれは‘桃太郎’伝説や‘かぐや姫’伝説のように、「子供は授かりもの」という考え方であるかも知れません。 ヨーロッパでの‘コウノトリが運んできた’伝説も同じでしょう。 こうならば「お前はうちの本当の子ではない」と言われても、衝撃は少ないと考えられます。

 やはり「橋の下で拾ってきた」は「橋の下」に薄汚いイメージがあって真実味もあるせいか、衝撃は非常に大きいと言えます。 韓国では上述のように言い換えて衝撃を和らげることが出来ますが、日本ではそれがありません。 そういう意味で、日本独特の残酷な児童虐待の暴言と言えるのではないかと思います。

 この言葉がその後の成長過程でどのような影響を与えるのかは、よく分かっていないようです。 しかし大人になって、うちの親は昔そんな馬鹿な冗談を言っていたと笑って振り返るような人でも、その時に親が喋った一字一句やその表情まで鮮明に記憶しているものなので、トラウマになっているのは確実でしょう。 ただしトラウマの度合いが個々人で違いがあるように思われます。

 なお本稿は日本では「橋の下」という暴言の衝撃が大きく、韓国では衝撃が小さいということだけです。

 ところで「橋の下」ではありませんが、自分の子供に対する暴言は韓国でも負けず劣らず激しいものがあります。 男尊女卑の厳しいお国柄ですから、特に女の子に対する暴言は甚だしいと思えます。 一例を挙げますと ‘너가 배 속에 있었을 때 딸인 줄 알았으면 지웠을텐데’(お前がお腹にいる時に娘だと分かっていたら堕ろしていたのに)というのがあります。 韓国では出生前診断で「女」と判定されると中絶する場合がよくあります。 特に1980~90年代、今でも第三子でかなり多いようです。 ですから親からのこの暴言は実に真実味があります。

経済制裁は有効でない2019/07/05

 昨日から発動した「韓国 輸出規制」について、経済制裁と誤解する人いるようです。 日韓のマスコミなどが徴用工問題等に対する報復だなんて書いていますから、そう考えても無理はないのかも知れません。 韓国はきっと困ってしまって、すぐにでも日本にひれ伏すだろうなんて言う人もいましたねえ。 韓国に対してザマー見ろと溜飲を下げているだけで、韓国の反日とレベルが変わらないと思います。 

   ところで経済制裁であったとしても、今の世界では有効なものではありません。 思い起こせば、冷戦時代はアメリカを始めとして西側諸国は対共産圏に経済制裁を課しましたが、果たして有効だったと言えるかどうか。 キューバや北朝鮮には今も厳しい経済制裁を課していますが、変化はありません。 また中国はTHAAD問題で韓国対して不買運動を展開しましたが、韓国はアメリカを慮って結局は中国の思いのままになりませんでした。 

 世界史を紐解けば、経済制裁によって実際に政策と体制が平和的に覆ったのは、南アフリカぐらいです。 南アフリカのアパルヘイト(人種差別)政策は国際社会からの経済制裁に耐えかねて放棄され、ついには黒人政権が誕生するまでになりました。 これは経済制裁が有効になった極めて珍しい例です。

 今回の「韓国 輸出規制」は、徴用工・慰安婦などの問題とは関係なく、また経済制裁でもなく、軍事に関係することがあり得る物資の輸出について韓国への特別措置を取り消して一般の貿易関係に戻すだけだ、という本来の主張を繰り返すしかありません。 

 しかしおそらく韓国は報復による経済制裁ととらえて、日本は貿易の自由の原則に反していると世界に訴えるでしょう。 世界が日本に味方するか、韓国に味方するか分かりませんが、日本の政府高官や政治家などが徴用工問題などを口にすれば、韓国側に有利となる可能性が高くなると考えます。

 日本では日韓関係は重要な問題ですが、世界では日韓関係なんて悪くなろうがどうなろうが、あまり関心がありません。 日韓関係が悪くなって困るのは米軍ぐらいですから、そこが注目するぐらいでしょう。 世界は日本に味方してくれるはず、なんて思わない方がいいです。

 ちょっとまとまらない文章になりましたね。

【拙稿参照】

韓国では日本の存在感はない    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

日韓関係はどうなる?       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/02/25/9040406

李洛淵首相のツイッター発言―天皇は指導者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/01/9066727

韓国が天皇訪韓を望む!?-朝日インタビュー http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/23/8681910

慰安婦合意の検証         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

韓国の反日外交の定番       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか?2019/07/02

 金時鐘さんは在日問題等でかなり鋭い指摘をしてこられた方で、私もこれまで大いに参考にさせてもらってきました。 しかし彼の本名が「金時鐘」なのか「林大造」なのか、彼自身が曖昧にしてきたことに違和感を抱き、彼の主張が色褪せて見えてきました。

 彼は「金時鐘」という名前を親からもらい、その名前で1949年まで朝鮮で生活し、学校に通われました。 そして済州島4・3事件によって官憲から逃れるために日本に密航し、その際に不法に入手した外国人登録証の名義である「林大造」を得て、そのまま日本に現在まで生きてこられました。     2003年に韓国の戸籍に登録(今は家族関係登録簿)した際、親から得た「金時鐘」名ではなく、日本で不法に得た「林大造」名で韓国籍を取得されました。 従って彼の法律上の正式の名前は日本でも韓国でも「林大造」であり、「金時鐘」は仮の名前あるいはペンネームということになります。

 彼ほどの有名人で、しかも在日や朝鮮問題で各界からしょっちゅう意見を乞われるような方が、このことについて何も言及しないことは果たしていかがなものか、と疑問を抱きます。

 毎日新聞によると、彼の業績を称賛するシンポジウムが最近あったようですが、やはりご自分の本名について何も言っていません。  https://mainichi.jp/articles/20190701/dde/014/040/007000c

 韓国の文在寅大統領がG20で来日した際に開いた在日同胞との集いに、金時鐘さんは出席されたそうです。 その時に「金時鐘」という名前だったのか、「林大造」の名前だったのか、大いに気になるところです。

 私が金時鐘さんに期待していたのは、名前なんてどうでもいいことだ、外国人登録や戸籍といった法律なんかに束縛されないぞ、という法治主義に挑戦する言葉でした。 そんな信念もなく、ただ惰性というか行きがかりで得た名前を続けてこられたことに、大きな違和感を抱いています。

【拙稿参照】

毎日の余録に出た金時鐘さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717

本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

済州島4・3事件の赤色テロ(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890

済州島4・3事件の赤色テロ(5)―右翼家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/05/8909472

済州島4・3事件の赤色テロ(6)―評価は公平に http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/10/8912907

毎日のハンセン病記事2019/06/27

 6月24日付け毎日新聞のコラム『憂楽帳』に、「原告の母親」と題する一文が載りました。 https://mainichi.jp/articles/20190624/ddf/041/070/008000c

 その中の次の部分に、ひょっとしたら、と思いました。

その取材で原告側の弁護士からこんな話を聞いた。       原告のある男性は、母親が元患者だった。訴訟に参加する際、妻にそのことを初めて伝えると、妻の実家は男性に離婚を求め、妻と子供を実家に帰した。   「男性は母親と妻の実家に行って、隠していたことを2人で土下座して謝罪し、戻って来てほしいとお願いをしたが、聞いてもらえなかったそうです」       

ハンセン病への偏見をなくしたいと始めた裁判で、逆に浮き彫りになった差別意識。母親の胸中はいかばかりだっただろうか。弁護士の顔も悲痛だった。

 私には2・30年ほど前まで付き合っていた在日男性がいて、今はもうお付き合いしていないのですが、3年ほど前に彼の親戚筋の方と偶然に知り合い、彼のその後の状況を知ったのです。 この毎日の記事がその状況とよく似ていてので、ひょっとして彼のことかと思った次第。

 しかし肝心なところで違いがあるので、やはり別人だろうと思われました。 それはともかく、この記事の内容が真実であるとしたら、次のような場面が展開したと想像できます。

男性の母親が元患者であることは家族のみが知る秘密であって、勤め先や近所等々の周囲は全く分からなかった。 だからそれを知らない今の奥さんと結婚し、子供もできた。 しかし男性はハンセン病訴訟の原告に立つことを決意した。 裁判を提起する側だから名前、住所、年齢、顔写真に至るまで、世間に晒すことになる。

男性は妻に、自分の母親がハンセン病の元患者であり、裁判を起こすことを話した。 妻はビックリして、実家にこれを知らせた。 実家もビックリして男性に対し、よくも騙してくれたな、娘を返せ、離婚しろと迫った。 男性と母親は土下座して隠していたことを詫びた。 

 こんな経過だったろうと想像されます。 ここで疑問が湧きます。 男性家族は施設から都会に引っ越ししてからは、母親が元患者であったことを隠し通すことができる状況でした。 しかし男性は裁判を提起することによって、母親が元患者であることを公表しました。 そして、そのことによって離婚の危機に陥ったのでした。 

 家族だけで隠し通してきた、そして結婚した相手にも知らせてこなかった家族の秘密、平穏無事に生きていけばそのまま隠し通せることが可能だった秘密‥‥。 それを敢えて公開する‥‥

 何が正解か? もし自分だったらこうしただろうとかは言えます。 しかしそれは当事者でない者の気楽さから出るものです。 そんなことを考えさせられた毎日のコラムでした。 島崎藤村の『破戒』を思い出させますね。

李朝時代の文化衰退(2)2019/06/24

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/06/18/9088742 の続きです。

 前回の最後の部分で「小宮は朝鮮の美術工芸の歴史について以上のように非常に否定的ですが、実は将来のことについては肯定的です。 これは次に紹介します。」としました。 小宮の小論は表題が「朝鮮芸術衰亡の原因およびその将来」とあるように、将来の展望も論じているものです。 過去の否定的な姿を描いた次に、朝鮮の芸術・美術の将来を論じています。  なおこれが発表されたのは100年以上前の大正4年(1915年)ですので、その点を念頭に入れて下さい。

今日の朝鮮でなお芸術もしくは美術と称し得べきは朝鮮人の冠っておる帽子、靴などで、意外に精巧なのは裁縫である。 例えば朝鮮人の着る夏季用の薄物の縫い方などは、一種の芸術を言い得る。全く美術的で巧みに曲線に縫っていくところは、日本の足袋、股引きの裁縫に似ているが、あの難しい裁縫を鮮人は平気でやっている。 これは朝鮮芸術の一つの名残りと言ってよい。

朝鮮人は元来芸術を解せない国民ではないのは勿論、特に手指は精巧な働きを為し得るのであるから、芸術品、美術品を拵え出すことについては、むしろ適当な国民である。 ただ今日は芸術についても美術についてもその思想が枯渇しているから、かくの如き現状にあるに過ぎない。

 小宮は、朝鮮人は手先が器用で裁縫などでは芸術と言っていい、またかつて青磁や螺鈿、漆器、建築の優れた作品を製作していたのであるから、李朝時代に廃れたとしてもこれから再興が容易であろうと展望します。 そして絵画については更に詳しく論じます。

朝鮮の絵画も同様な運命に陥った ‥‥ 絵を描くことは士大夫の潔しとしない所であったから一向に振るわなかった。 もっとも近世に至りては阬堂とか大院君とかいう高貴の人々が画筆を弄したが、これはむしろ例外にて、一般はこれを為すことを恥じた傾向がある。‥‥ 今日若干の画家あれど、内地の有り様に比較せば、ほとんど言うに足らぬ。 絵画もまた他の美術品と同じく単独に発達することは出来ないものであって、一般社会の進歩と運命を同じうするもの故、朝鮮の社会が進んでくるに従って絵の再興することは決して絶望ではない。

李朝に至りて絵画の衰えたことは前述の通りであるが、ひとり肖像画は意外なる発達を遂げている。 李朝の肖像画は西洋の油絵に比しても遜色なき程にて、いわんや支那の肖像画とは比較にならぬ位に優秀であって、狩野や土佐や文晁、応挙、崋山等の肖像画にも比するも上であるから、具眼の士はこれを見て驚嘆するが、その理由は王侯貴人は必ず肖像を用いて祖先の祭をなす習慣があるから、王侯の肖像画は画工が食禄をもらって描いた。 ゆえに極く真摯で丁寧に写生・著色してある。 これは李朝の芸術品として特色をもっている。

   小宮は小論を次のようにまとめています。

要するに今日の朝鮮人は工芸美術に対する趣味・観念が枯渇しているから、にわかに復興を期待するは無理ではあるが、漸次これが再興を待望することは可能であって、また新たなる芸術が興起してくることも今日より想像し希望することができる (以上 朝鮮総督府『朝鮮彙報 大正4年8月1日』17~19頁)

 これを現代にまで敷衍して考えると、植民地時代では芸術・美術を目指す朝鮮人の多くの若者が東京に留学するなどして、その分野の知識や創造力を磨き、力を発揮しました。 解放後は南の韓国では1960年代以降の産業化・高度経済成長によって国か豊かになるのに伴い、芸術・美術はさらに発達しました。

 一方、北朝鮮では首領様を強調するものばかりで、主体思想によって芸術・美術の観念が枯渇してしまった状態と言えるでしょう。 つまり李朝時代に先祖返りしたのが今の北朝鮮と考えればいいですね。 朝鮮総連なんかでは北朝鮮の芸術・美術を称賛する人がいますが、本当に心の底から感心しているのでしょうかねえ。

李朝時代の文化衰退(1)2019/06/18

 以前から思っていたのですが、李朝時代の文化が日本のそれよりもみすぼらしく感じることでした。 絵画や彫刻、陶磁器、文学等々で、これは素晴らしいなあと感心するものが全くないことはないのですが、かなり少ないという印象です。

 こんな印象を口外すれば民族差別を煽るものという批判されそうで、今はあまり聞くことはありませんが、日韓併合直後にはこれを開陳する朝鮮総督府高官がいました。 李王職次官の小宮三保松という人物で、大正4年(1915年)に「朝鮮芸術衰亡の原因およびその将来」と題する小論を発表しています。

 彼は、新羅や高麗時代に隆盛した美術工芸が李朝時代になって衰退したと論じます。 なお引用に当たっては現代文に書き直しました。

新羅から高麗朝に至るまで隆盛を極めた朝鮮の工芸が李朝に及びて漸衰し、今日ほとんど衰亡に瀕し、わずかにその名残を留め、ある種の工芸に至りては全くその跡を絶ったのは、その原因は奈辺に存するのであろうか、自分の観るところでは、それはおよそ三原因に帰する

 三つの原因とは、①仏教の排斥、②儒教の輸入、③制度の弊です。 先ずは①仏教の排斥です。

李朝では前朝の高麗が滅亡したのは仏に佞した(媚び諂うの意)為だと確信し、李朝の士君子大官連中にはこの考えが余程深く染み込んでおったと見えて、仏はあくまでも排斥してその滅亡を図らねばならぬとの思想が瀰漫(びまん)しておった。 

李朝が仏排斥を企てるに至ったのであるが、そこで寺院も新たに興らず、仏像も新たに鋳造せらるること無く、仏教美術はほとんど絶滅の姿に陥った。 ‥‥ 李朝では仏教排斥を企てし為、信仰は衰え、従って仏教美術が萎靡不振(いびふしん)の状を呈し、一般美術もまた衰えてしまった。

 李朝時代は仏教が弾圧され、それまで大切に信仰されてきた仏像・仏画などは廃棄されるか、日本などに輸出されたのでした。 次に②儒教の輸入です。

李朝は大いに儒教のうち朱子学を尊重したが、惜しいことにこれを誤り読んだのである。 その結果は王侯、士大夫には娯楽や趣味は有り得べきものではないと信じた。 例えば書画や古器物を弄ぶ如きは一種の罪悪‥‥と言っては少し語弊があれど、潔しとしなかったのは事実であって、王侯士大夫は物を弄ぶことが出来ぬものと確信し、これを敢えてする者は排斥された。

衣食住に絶対必要なものは、芸術品とも美術品とも言わない。 そこで李朝の儒者は不必要品を賞翫することを避けたから、芸術品や美術品は自ら排斥されたのである。それで士大夫の家に行ってみると、書画とか古器物とか花瓶とかいう美術工芸品は一点もなく、無趣味極まるものである。 ‥‥ 根本において、これに対する趣味の欠如しておるのが最大原因である

支那は儒教の国ではあるが芸術はよく発達した。 これに反し李朝はこれを誤り読んだ結果、全然その趣を異にしている。 ある鮮人がその祖先の作りたる書幅を所蔵しながら、己の祖先に書筆を弄したる者あるを恥辱として、落款を削除したという奇談がある次第である。

 李朝末期の開港期に西洋人が多く朝鮮を訪れるのですが、彼らの旅行記などでも朝鮮では見るべき美術品がないことが盛んに書かれていますねえ。 韓国ドラマの時代劇では、李朝時代の家の中で飾り棚に花瓶などが置かれている場面がよく出てきますが、あれはウソですね。

 最後に③制度の弊です。 小宮は「制度の弊もまた工芸美術の発達を阻止した」として、「制度の弊」の具体例を挙げます。

ここに一人の画工があるとする。 大官や勢力を有する者が数十・百枚の絵を描くことを命ずるが、何らの報酬なくすべて無代でその需に応ぜねばならなかった。 或いはまた、何か珍奇な品物を所持していることを観察使や大臣らが聞知すると、その提供を迫るのであるが、これも無論タダで取り上げる。 もし応じなければ直に獄に投ぜられる始末であった。

ある地方のある百姓が大層よく実を結ぶ果樹を植え込んでいたが、間もなくそのことが郡主に知れたので、郡主は果実を持参すべく命じた。 よってやむなく一籠献上したが、後に更に残りをみな持って来いと厳命され、全部取り上げられてしまった。 郡主は諸所にそれを送ったものと見えて、その翌年にあちこちから無数に要求され、百姓に持ってくるよう命じた。 百姓は見るも気の毒なほど弁解に苦しみ、またもや全部取り上げられた。 そこで彼はかかる苦しき目に遭うのは畢竟この樹がある為だといって伐ってしまった

ある宣教師が朝鮮の一陶工と懇意になったが、腕も利くようだし、陶土もいいのが出るので、宣教師は本国から若干の釉薬を取り寄せて陶工に与えて言うには、「私にこの薬を使ってコーヒー茶碗を作ってくれ」と注文した。 その後しばらくして陶工のもとを訪れると、立派なコーヒー茶碗が出来ている。 宣教師も驚いて「これほど巧みに出来ようとは思わなかった、この腕前がある以上はえらい金儲けになる。 自分も更に注文するが、広く販売するのがよい。 釉薬はいくらでも取り寄せよう」と喜んで別れた。 

それから数ヶ月を経過して陶工を訪ね「どうだ、何か立派な物が出来たか、一つ見せてくれ」と言ったところが、陶工はすこぶる妙な顔をして「貴下はあの薬をくれて、続けて拵えるよう言ってくれたが、実は釉薬はみな捨ててしまった。 貴下にあげたような器物を多く作れば私の家はたちまち滅び、かつ自分の命がなくなる。 珍奇な物を作り出せば精力家らは数十・百個の無代提供を迫るので、もしそれが出来ぬとなれば牢に入れられる。 牢に入れられると私の家もしくは親類の者が金をもって命乞いをすればよいけれども、金無きゆえにそれはダメだから結局牢死せねばならないことは、火を見るより明らかであるから、貴下の親切に下さった釉薬はみな捨ててしまった」と告げた

制度の弊もここに至れば、工芸美術も亡びざるを得ないであろう。 (以上 朝鮮総督府『朝鮮彙報 大正4年8月1日』12~17頁)

 ここに描かれているエピソードは、おそらく事実だろうと思われます。 李朝末期に朝鮮を訪れたイギリス人女性旅行家のイザベラ・バードの旅行記には、これに類する話がたくさん書かれています。 

 小宮は朝鮮の美術工芸の歴史について以上のように非常に否定的ですが、実は将来のことについては肯定的です。 これは次に紹介します。

国民健康保険と国民年金は1961年から2019/06/12

 毎日新聞の2019年6月11日付に「漆黒を照らす79 北朝鮮帰国事業から60年 苦難の記憶 風化させぬ」と題する記事がありました。 https://mainichi.jp/articles/20190611/ddl/k27/040/333000c

 筆者はアジアプレスの石丸次郎さんです。 60年前の北朝鮮帰国事業の悲惨な実態について書かれたものですが、その中で次のような記述があり、あれ?これは間違いではないのか?と思われる部分がありました。

50年代、「在日」の境遇は厳しかった。 国民健康保険にも国民年金にも加入できず、就職差別で働き口も少なかった。

 帰国事業の背景には、当時(1950年代)の在日朝鮮人たちの境遇が厳しかったことがあるのは事実ですが、そこに「国民健康保険」と「国民年金」に加入できなかったことが挙げられていることにビックリしたのです。

 まず国民年金ですが、これが施行されたのは1961年からです。 つまり帰国事業が始まる1950年代末に国民年金制度はありませんでした。 従って記事にあるように、在日朝鮮人が「国民年金にも加入できず」は間違いです。 なお厚生年金は戦争中に始まっています。 これは当初は戦費調達という目的もあったようですが、戦後も制度は続きました。 従って在日朝鮮人でも勤め人は、厚生年金に加入していた場合があります。

 次に国民健康保険です。 それまでは自営業や農家などには今の国民健康保険の前身となる健康保険組合が各地域にありました。 しかしこれは任意加入で、掛け金も高かったといいます。 それ以外に勤め人の場合は職域健康保険があり、これは雇用主の一部負担がありました。 1954年調査で、国民のうちどちらかの健康保険に加入していた人の割合は三分の二で、残りの三分の一は健康保険に入っていなかったのです。

 すべての国民が健康保険に入る国民皆保険制度となったのは1961年からです。 従って記事にあるように、帰国事業が始まった1959年代末に在日朝鮮人が「国民健康保険に加入できず」は間違いです。

 以上のように、国民年金も国民健康保険も制度の開始は1961年です。 なおこれには国籍条項があって、在日朝鮮人は加入できませんでした。 加入できるようになったのは、国民健康保険は1965年の日韓条約締結から、国民年金は難民条約により1982年からです。

 1950年代の在日の境遇の厳しさの根拠として、1961年に始まった国民健康保険や国民年金を挙げることは間違いなのです。

朝鮮総督府は官吏に朝鮮語を奨励した2019/06/06

 日本帝国主義は植民地朝鮮で朝鮮語の使用を禁止した、という俗説を今なお信じている人がいます。 当時は公用語が日本語でしたから、公文書・契約などの記載はすべて日本語であり、公的会議・裁判等で話される言葉も日本語です。 学校でも授業は日本語で行なわれました。 しかしそれ以外の場所での日常生活では、朝鮮人たちは朝鮮語を使っていました。 そうであったのに、朝鮮人は親と朝鮮語で話したら警察に捕まったとか、ハングル詩を書いたら特高から拷問を受けたとか、虚偽の歴史を言う人が今なおいますねえ。

 ところで植民地政府である朝鮮総督府では、内地人(日本人)下級官吏に朝鮮語の習得を奨励していた事実があります。 下級官吏は行政を住民に直接的に施行する業務を担います。 住民たちには行政の趣旨を理解させて守らせ、時には処罰をもって臨む仕事です。 しかし住民の圧倒的多数は朝鮮人であり、その大半が日本語を十分に解していませんでした。 従って下級官吏たちは、朝鮮語を知らなくては仕事にならなかったのです。

 朝鮮総督府は当初より、下級官吏に朝鮮語を奨励しました。 初代総督である寺内正毅は、大正4年(1915)1月に各道の内務部長に次のように指示しています。

注意しておきたいのは、官吏特に下級官吏に朝鮮語を奨励することは、従来たびたび言ってきたことであるが、どうもよく行なわれていない。 いずれ何とか将来に於いて確かに実行が出来るような方法を設けたいと考えているが、各道に於いてもさらに一段の注意をしてもらいたい。

地方に職を奉じて5年にも6年にもなって、未だ一つも朝鮮語を話せぬ者が大分いる。 かかる有様では朝鮮人と内地人との間を融和していくことは難しいと思う。 下級の内地人官吏が朝鮮語に通じて、鮮人の状態がよく脳裏に映っていかなければ、本当の政治は出来ないと思う。 これは決して軽微なことではない。 十分の注意を望んでおきたい。 

或いは人が誤って、今日の朝鮮人がよく内地語を話すようになってきているから、我々は朝鮮語を学ぶ必要がないと、こう考える人がいるかも知れないが、そんな訳のものではない。 朝鮮人のある部分は内地語を話したところで、彼ら脳裏は直にその通りに変わるものではない。 適当に保護していくには、内地人たる者は役人をはじめ、よく朝鮮語が分かるようにありたいのは当然の希望である。 新進官吏、特に下級の新進官吏には努めてこれを奨励してもらいたい。 (以上 朝鮮総督府『朝鮮彙報 大正4年3月1日』 216頁。引用に当たっては現代文に書き直した)

 朝鮮総督府は朝鮮人に朝鮮語を使うことを容認し、むしろ朝鮮人との意思疎通を図るために日本人官吏たちに朝鮮語の習得を勧めているのです。 植民地時代、朝鮮人に朝鮮語を禁止して日本語を強制したという俗説が間違いであることは明白でしょう。

【拙稿参照】

朝鮮語は容認されていた―愛国班 (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/14/8727138

 朝鮮語は容認されていた―愛国班  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/10/8724405

 日本統治下朝鮮における朝鮮語放送  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782

 『現代韓国を学ぶ』(6)       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/11/6476173

 『図録 植民地朝鮮に生きる』   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/02/6621470

 朝鮮語を勉強していた大正天皇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/09/24/6111974

 「朝鮮語は禁止された」というビックリ投稿  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/15/8324407

 学校で朝鮮語を禁止した理由  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/20/8327730

尹東柱のハングル詩作は容認されていた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/07/11/8618283

第三次教育令ー朝鮮語教育は廃止されたのか  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/12/8971509

徴兵を免除されている在日韓国人2019/05/31

 5年ほど前に、ある在日韓国人から

帰化したいと思っているのだが、今度日本では戦争法案ができて、徴兵制になると言われているでしょ。 そうしたら息子が徴兵されるのではないかと怖くて、やはり帰化しない方がいいのかなあとも思っている。

と相談を交えたような話を聞かされたことがあります。

 私はビックリして、

息子さんは韓国籍でしょ。 だったら徴兵の対象ですよ。 日本では将来徴兵制が敷かれるかどうか分かりませんが、息子さんは韓国籍である限り韓国の兵役の義務があるんですよ。 ただ在日韓国人は兵役を免除されているだけです。 単に免除ですから、いつ何時、免除を廃止して徴兵する、となるかも知れませんよ。 息子さんが韓国旅行に行ったら、そのまま徴兵されるなんてことが起きるかも知れません。

と答えました。     その方はちょっと黙りこくってしまいました。 その後帰化したのかどうかは聞いていません。

 今の韓国は日本以上の少子化で、合計特殊出生率1.0以下にまで落ち込んでいます。(ちなみに日本は1.43) 韓国女性は平均して一人以下の子供しか産まないのです。 出生した子供の数を調べてみますと、1990~95年の年平均出生数は70万2千人、その20年後の2010~15年の年平均出生数は45万5千人と減少し、そして昨年の2018年は1年間に32万7千人、今年の出生予測値は30万9千人と減少幅がさらに大きくなっています。

 この世代が20年後の成人になった時、徴兵対象の若者の数が非常に少なくなることは明らかです。 とすると、これで軍隊を維持できるのだろうか?と疑問に思われます。

 その兆候はもう既に現われているようで、昔なら徴兵検査で不合格にしていたような若者でも徴兵せねばならなくなってきて、韓国軍の質が低下しているそうです。 これは韓国のマスコミで時々報道されていますね。 厳しい訓練が難しくなってきているといいます。

 報道では、軍隊に行っている息子が心配で所属部隊に毎日のように電話する親たちがいて、部隊側もそんな親たちを安心させようと専用の電話を置いている事実に、軍隊は幼稚園か!?と嘆く新聞記事がありました。 また野外訓練や歩哨に立つ兵士、海軍艦艇に乗り組む水兵なんかが禁止されている携帯電話を持ち込み、こそっと家族や恋人らと通話していたことが相次いで発覚したという記事もありました。

 これからも徴兵対象の若者がどんどん減っていく韓国では、軍隊の質の低下がさらに進むかも知れません。 とすると、徴兵を維持しようと在日韓国人に目をつける時代が来る可能性は大いにあると思います。 例えば、徴兵年齢に達した在日韓国人の国籍離脱を認めない、つまり徴兵に応じた者だけが日本に帰化することができる、というような事態が考えられます。

 在日韓国人のなかに、我々は日本人ではない、韓国人なんだ!と声高に主張する方がおられます。 しかしその多くが自分の子弟に兵役義務があることは黙っています。 また、我々は日本人でもなく韓国人でもない、在日なんだ!と言う人もいます。 こういう人はたいていが海外旅行にはちゃっかりと韓国パスポートを持って行きます。 韓国政府から韓国人として認めてもらっていながら、韓国人の当然の義務である兵役には一言もありません。

 徴兵免除はいつまで続くか分からないと思うのですが‥‥。 日本人と同じように平和ボケしているのでしょうかねえ。

 ところで今ふと思ったのですが、韓国人の当然の義務である兵役が在日韓国人には免除されているというのは、在日特権ではないでしょうか。

もう一つの在日特権  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/13/8997080