児童虐待2020/11/20

 児童虐待は非常に深刻な問題として、多くの国民の関心が寄せられています。 韓国でも児童虐待は深刻です。 11月18日付の『朝鮮日報』に児童虐待事件の裁判記事がありましたので、ちょっと訳してみました。  https://www.chosun.com/national/national_general/2020/11/18/EQED54YYRND6RBFGJMTHESNGIA/

1歳にもならない子女二人を窒息させ殺害した20代夫婦の控訴審で、「弟が泣くたびに、お父さんが首を絞めた」という陳述が公開された。

この夫婦は一審で明らかな証拠がないという理由で、殺人容疑について無罪を宣告された。

18日、ソウル高等裁判所チュンチョン裁判部刑事1部(裁判長パク・ジェウ)の審理で開かれたファン某(26)とカク某(24)氏の控訴審の第二回公判で裁判部は、証拠して採用した、長男(5)の陳述の様子が録画された映像を公開した。

映像で、長男は「末っ子の弟が泣くたびに首を絞められ、咳をして手足をばたばたさせていた」と陳述した。

検察は「満4歳の児童であることを考えると、昔の妹弟のことを記憶しているのかという疑問が多少残るが、ファン氏は子供が泣くたびに首を絞めて、その子が手足をばたばたさせていた状況は正確に記憶している」 「この点に照らしてみると、ファン氏の行為を推論できることはもちろん、その行為を先に陳述したカク氏もまた子女が泣くたびに夫が首を絞めて泣くのを止めさせていたことを知っていた」と言った。

裁判部はこの日、児童虐待致死の容疑を公訴事実として追加した公訴状変更申請も受け入れた。

ファン氏とカク氏は2016年9月13日に長男A君と長女B嬢の二人の子供と、原州のモーテルに投宿していた時に、B嬢が泣いてむずかると「うるさい」と言ってB嬢を布団で覆いかぶせて殺害した。 二人はB嬢が亡くなってもこれを届け出ず、3年余りの間に710万ウォンの養育手当を不当に受け取っていた。 遺体も遺棄した。 また昨年6月には生後10ヶ月の三番目の子供C君がむずかって泣くや、喉を締めてC君を殺害し遺棄した。 この過程で、カク氏はファン氏の子供たちに対する物理的行使を見守るだけだった。

これと関連して、検察はファン氏に殺人と死体隠匿などの容疑を、カク氏に児童虐待致死と死体隠匿などの容疑を適用して起訴したが、一審裁判部はファン氏の殺人容疑とカク氏の児童虐待致死を「故意性がない」として無罪と判断した。

ただし、夫婦の死体隠匿と児童虐待、児童遺棄・放任、養育手当の不当受給容疑は有罪と判断して、ファン氏に懲役1年6ヶ月を、カク氏に懲役1年に執行猶予2年を宣告した。

 殺人に関しては無罪とした一審判決に対して、控訴審で出て来たのが冒頭の長男の陳述「弟が泣くたびに、お父さんが首を絞めた」という記事です。

 亡くなった妹や弟はまだ1歳にもなっていないというのですから、ぐずって泣くのはよくあることでしょう。 だからといって父親が布団を被せて窒息させたり首を絞めるとは!! 父親に殺されたのというのは事実でしょう。 あまりにも胸が痛みますね。

 韓国での児童虐待の数は、虐待と認知された件数では2016年2万9674件、2017年3万4169件、2018年3万6417件、2019年4万4169件と毎年急増しています。

 一方、日本では児童相談所での虐待相談件数になりますが、2016年12万2578件、2017年13万3778件、2018年15万9850件、2019年19万3780件と、こちらも毎年激増しています。

 児童虐待は日本でも韓国でも深刻な問題といえます。 なお児童虐待件数が近年に増えたのは、昔はなかったのに近年の社会・家庭状況の変化によって増えたのか、それとも昔からあったのだが近年になって問題化したから数字だけ増えたように見えるのか、ちょっと分からないですねえ。

 また同じ虐待でも日本と韓国では共通点と相違点があると思うのですが、そのあたりも気になるところです。

【拙稿参照】

児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」は日韓共通だが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/09/9125209

オーラルヒストリー(口述歴史)の危険性2020/11/16

 オーラルヒストリーというのは関係者から直接話を聞いて記録する歴史のことです。 人間というのは、本人が実際に体験したりして印象に残ったことだけを記憶する場合が多いものです。

 しかしその体験部分だけは事実でも、前後の脈絡が変であったり、時代に合わなかったりすることがしょっちゅう出てきます。 また誇張・錯誤も多いし、後付けの知識で語ったり、時には何かを隠そうとして虚偽を言う場合もあります。

 従ってオーラルヒストリーをしようと思えば、当時の社会状況や歴史をかなり細かく知った上でやらないと、間違った記録が残ってしまうことになります。 私の経験から、二つお話しします。

ある在日女性が子供時代の思い出話で、戦争中に民族差別にあったと話した。 曰く、学校で朝鮮人だけ集められて、それまで仲良くしていた日本人の友達と別れることになり、悲しくて泣いた、というものだった。

 当初これは戦中の民族差別事象だと思ったのですが、どうもおかしい。 戦前・戦中の日本本土の学校で、朝鮮人だけを集めるということはなかったはずで、当時の歴史には全く出てきません。 出てくるのは戦後で、在日朝鮮人連盟が中心になって朝鮮人学校を設立し、そこにそれまで日本の学校に通っていた朝鮮人生徒を集めて朝鮮語を教えたというのが出てきます。 

 これしか考えられなくて、改めてその女性の年齢を見ると、戦中から戦後にかけて学齢期であることが分かりました。 つまりこの女性は、朝鮮人の子供ばかりが集められて差別されたという記憶があって、それを戦争中のことと思い込んでいたことが判明しました。 ですからこれは「民族差別」ではなく、「民族回復」だったのです。

 このようなオーラルヒストリーは検証しなければ、戦中の厳しい「民族差別」事例として間違って記録しただろうと思います。 次にもう一つ、挙げます。

「朝鮮人強制連行」があったかどうか世間で議論になっていた時期に、あるキリスト教会の韓国人牧師が、戦中に強制連行は確かにあった、自分が子供の時に目の前で畑から兵隊が人を無理やり連れ出すのを見た、この目で確かに見た、と言った。

 牧師さんからこの話を聞いたとき、当初はやはり強制連行は本当だと思ったのですが、どうも変なのです。 牧師さんの年齢からすると太平洋戦争中ならごく幼い時期ですから、そんなに鮮明に記憶しているものなのか、という疑問です。 それに当時の歴史では、朝鮮は植民地化されていたとはいえ治安は比較的よかったとあります。 もし民間人を軍隊が強制連行することはあり得るとしたら一体どういう状況だったのか、という疑問が湧きました。 

 韓国の歴史を調べると、朝鮮戦争中に朝鮮人民軍が攻め込んだ際、その占領地では地主・資本家・反動などと目された者を連れ出し、人民裁判にかけたとあります。 改めて牧師さんのことを調べると、この方の住所は朝鮮戦争では朝鮮人民軍の占領地に当たる地域で、年齢からすると小学生であり、そしてその方はこの戦争後に来日したことが分かってきました。

 とすると彼が見たという「強制連行の記憶」は日本の戦時中ではなく、その数年後の朝鮮戦争中の出来事ではないか、だから強制連行したのは朝鮮人民軍ではないか、という推定ができます。 目の前で強制連行されたのはおそらく事実でしょうが、それが日本の強制連行の歴史の資料と断定するには躊躇せねばならず、北朝鮮による強制連行の可能性があるとすべきところです。

 オーラルヒストリーは、本当の真実を語っていれば矛盾や疑問は出てきません。 むしろ、へー!そんなことがあったのかと感心し、新たな知識を得ることが多いものです。 しかしそこに何か不自然なことがあると、そしてその不自然さが消えないとなると、果たしてこの人の言っていることは本当なのか、何か勘違いしているのではないかと疑わざるを得なくなります。 だから歴史資料としての価値が減じることになります。

徴兵検査後の買春エピソード2020/11/09

 9月11日付の拙稿「在日朝鮮人には徴兵されたのか」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/11/9294268 では在日ではなく日本人の徴兵検査の話で、次のような体験談があったことを書きました。

そして徴兵検査を終えたら、みんなで女郎屋(当時は淫売屋とも言う)に繰り出す。 徴兵検査で性病に引っかかれば恥と思っていたから、それまでは大抵の者が童貞。 だから徴兵検査を終えて、みんなで童貞を捨てに行く。

 これは徴兵検査を受けた日本人のエピソードです。 故郷で仲間と一緒に徴兵検査を受けた後、みんなで女郎屋(淫売屋、遊女屋、娼家、売春宿ともいう)に行くのですから、十数人とか数十人とかが一斉に行くことになります。 大都市ならば規模の大きい売春の場がありましたから対応できます。 しかし田舎では大都市まで遠く、車が普及していない時代でしたからそこまで行くことは不可能でした。

 ですから当時の言葉で「淫売屋」業者は田舎で徴兵検査が行われるという情報を聞けば、その近くで臨時に女郎屋を開業するのです。 ところが何かの手違いか、娼婦を十分に調達できないことが間々起きます。 こうなると数少ない娼婦が、何十人も相手に商売せざるを得なくなります。 一人の娼婦が何人もの若者たちを10分か15分間隔で、はい次、はい次と処理していきます。 娼婦は疲れてしまってサービスなんてする余裕がなく、股を広げて寝ているだけです。 それでも若者のほとんどが童貞で直ぐに終わるので、何とかやっていけたということでした。

 売春が合法であった時代の、徴兵検査のエピソードでした。 なお徴兵検査を受ける若者が本当に童貞だったかどうか、本人以外は分からないので何とも言えないところです。 また当時は地域によって夜這い風習が残っていましたから、地域差もあるのではないかと思います。 ただ徴兵検査で性病が見つかることを恥と考えていたのは、おそらく全国的に共通だろうと思います。

 戦前のこんな話、私は体験者から聞くことができましたが、今はもう誰も聞けないでしょう。 また話の性格上、旧日本軍を描く映画にもこんなエピソードは出てこないでしょうから、間もなくこの世から忘れられる話になるでしょうねえ。

 ところで韓国は今でも徴兵制で、19歳に徴兵検査を受けます。 かつての日本のように、徴兵検査で性病が見つかれば恥とする考え方があるのかどうか、ちょっと分かりません。 韓国の男性は徴兵検査前に包茎手術をするという話がありますから、性病よりも包茎を恥と考えているかも知れませんねえ。

砧を頂いた在日女性の思い出(5)―宮城道雄(2)2020/11/02

 前回 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/22/9308333 で、「宮城道雄が朝鮮滞在中に作曲した『唐砧』は、朝鮮女性が砧を打つ音を聞いて、それを音楽に取り入れた曲」「宮城が朝鮮の砧の音をメロディー化した最初の人」と論じました。 これについて宮城自身が「朝鮮にて」という回想文のなかで次のように記しています。 

朝鮮に来て誰しも感じるのは砧の音であろう。 殊に秋の夕方にあの音を聴くと何ともいえぬ感じがする。 どこからともなく砧を打つ音がし始めると、そのうちに、あちらからも、こちらからも、聞こえて来る。 あるいは早くあるいは緩やかに、流れるように、走るように、聴く人の心をもまた、その調子に引き込まれる。

私が仁川から京城に移った頃である。夜になるとよくこの砧の音を聴いて、面白いと思っていた。 それからちょっと思いついて作曲する気になったのである。 これが「唐砧(からきぬた)」である。 それは西洋音楽風に、箏と三味線の合奏曲で、四重奏にした。

曲の初めは静かな朝鮮の夜、ことに秋の感じを持たせ、漢江のゆるやかな流れを思わせるような、気持ちを取り入れて合奏曲にしたのである。 これが箏と三味線の合奏の始めであった。そんな動機から作曲を続けるようになった。 (以上は宮城道雄「朝鮮にて」 『新編 春の海 宮城道雄随筆集』千葉潤之介編 岩波文庫2002年11月所収 223~224頁)

 このように、宮城は朝鮮女性から発せられる砧打ちの音を聞いて、名曲「唐砧」を作曲したと自ら記しています。 

 また宮城は朝鮮の家屋に降る雨の音や、朝鮮の厳しい冬の合間の温かい日(三寒四温)に雪解け水が滴り落ちる音を聞いて、「水の変態」という名曲を作曲します。 これについての宮城自身は次のように回想します。

まず春先になると、色々の鳥が来て囀(さえず)ったり、秋になると様々な虫が鳴いたりした。 その上、雨でも降る時は、家が古かったので、軒の雫(しずく)が落ちるのが聞こえたりした。 一体その頃、朝鮮ではバラック建の家が多くて、屋根はトタンが張ってあるので、雨の時にはそのリズムもはっきりと聞こえる。

内地では五風十雨という言葉があるが、朝鮮では冬三寒四温というのがあって、雪などが降ると、その四温の時に、降り積もった雪が解けてシトシト落ちる雫の音が面白い。 まだ年はいかなかったが、それらのことを実感していたので、弟の歌の言葉(『小学読本』所収の七首の短歌)を聞いて作曲する気になったのである。 (『宮城道雄随筆集』222頁)

 宮城の「水の変態」は、私は学校の音楽の時間に聞かされたことがありました。 今もそうなのですかねえ。 おそらく日本のほとんどの方はこの曲名を知らなくても、また邦楽なんか大嫌いだと言う人も、メロディーを聞くと「ああ!あの曲か!」と思い出されるでしょう。 それほどに耳に馴染んでいる曲ですね。 この曲には朝鮮の雨音や雪解け水の雫音が込められているとは、私は近年になって知ったもので、驚いたものでした。

 宮城は朝鮮で暮らしながら作曲した当時を、次のように振り返ります。

私は少年の頃朝鮮に育ったせいか、朝鮮の自然の感じを教えられたような気がする。 今でも暇があったら、朝鮮にいって暢(の)んびりと作曲をしたいと思うけれども、朝鮮も今日ではその頃より開けているから、そんな自然の感じがないかも知れぬ。 (『宮城道雄随筆集』224頁)

 そして宮城は朝鮮人の音楽的素質について、次のように論じます。 

朝鮮人は割合音楽の素質を持っている。 どんな労働者のような者でも、どこかで音楽をしていると立ち止まったり、腰をおろしたりして聴いている。 それが、面白いという感じばかりでなく、真面目に聴いているのである。 また物売りにしても、その呼び声がよいのがいた。 殊に今でも感じているのは、毎日塩を売り歩いていた老人であるが、私の家では、その塩売りの老人を東郷大将と呼んでいた。 その老人の声が品がよくて、私はよく聴いていたことがあった。薪売りが「ナフサリョ」といって売り歩く声も暢んびりと聞こえる。  (『宮城道雄随筆集』224~225頁)

 

日本の人は朝鮮の音楽を、亡国の徴があるというけれども、私は決してそんなことはないと思っている。朝鮮で聴くとなかなか暢んびりとしていてよいものである。

私は官伎(キーセン)の練習所に朝鮮の音楽を聴きに行ったことも、交換演奏をやったこともある。 拍子なども、朝鮮の方が、三拍子、四拍子など取りまぜてあって、変化が複雑である。

先年、朝鮮から正楽団というのが来たことがあった。それは朝鮮の雅楽を研究している楽団で、私が、故近衛直麿さんに紹介して、日本の雅楽を聴かせたことがあった。 その時正楽団の人々がいうには、曲はよいが拍子が朝鮮のから見ると、単調であるように思うが、もっと複雑なものをとったらどうかといったことがある。

朝鮮の音楽は、一の笛で長く引っ張る節をやって、打楽器で三拍子とか、六拍子とかに変化させるのが多い、従って、民謡にしても面白いのがある。 思い出したが、今でも不思議でならないのは、朝鮮人には、調子外れの人というのがほとんどないことである。 語学なども早く覚えるのも、これらに関係があるのではないかと思う。 (以上は『宮城道雄随筆集』226~227頁)

 この中にある「ナフサリョ」はおそらく、「ナフ」→「나무(ナム―木や薪)」、 「サリョ」→「살래(サルレ―買ってくれるか)」でしょうねえ。

 宮城は盲人の音楽家でしたから、朝鮮人の音楽や歌に鋭い関心を寄せており、その音楽的素質を見抜いていたと言えるのではないかと思います。 盲人だからでしょうか、同時代の他の日本人のように「汚い」といったような差別的言葉が出てきません。 そういう意味で、宮城は朝鮮人には純粋な気持ちで接していたんだなあと感じられます。

 宮城道雄の曲には朝鮮の文化や自然からの影響があったことは、もっと知られていいと思います。 それなのに韓国・朝鮮人は在日でも本国でも、宮城に関心がないというのが残念ですねえ。 彼らは宮城の筝曲を身近に感じることができず、逆に朝鮮からの影響なんて全くと言っていいほどにない古賀政雄の演歌の方に馴染んでしまい、“日本の演歌の源流はわが韓国だ”と声高に主張するようになったということです。

 しかしこれはこれで、트로트(トロット―韓国演歌)が今でも韓国で大きな人気を得ている理由や、引いては彼らの民族性を考察するのにいい材料になるのかなあ、とも思います。 (끝 ‐終わり)

【拙稿参照】

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008

砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894

砧を頂いた在日女性の思い出(4)―宮城道雄 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/22/9308333

朝鮮で活躍した宮城道雄      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/05/6435151

「演歌の源流は韓国」論の復活   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/10/6285379

第66題 砧(きぬた) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

第90題 朝鮮の砧  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuudai

第106題 砧 講演  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai

第107題 砧 講(続)  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai

第108題 「砧」に触れた論文批評  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuhachidai

第109題 ネットに見る「砧」の間違い  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai

第114題 韓国における砧の解説  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku14dai

第115題 다듬이  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku15dai.htm

第118題 砧―日本の砧・朝鮮の砧 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf

北朝鮮の砧               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/22/2523671

砧という道具              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/05/2545952

韓国ロッテワールドの砧          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/11/5080220

韓国ロッテワールドの砧のキャプション  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/12/5082741

「砧」の新資料(1)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/09/6655266

砧ー日本の砧・朝鮮の砧         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/05/6888511

角川『平安時代史事典』にある盗用事例  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485

「砧」と渡来人とは無関係        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192

「砧」の新資料(2)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/10/6656721

「砧」の新資料(3)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/11/6657527

「砧」の新資料(4)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/13/6659222

「砧」の新資料(5)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/14/6659970

「砧」の新資料(6)          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/16/6661166

佐藤春夫の「砧」            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/05/8008944

土葬と火葬2020/10/27

 10月25日付の毎日新聞によれば、日本に在住するイスラム教徒が墓地に困っているそうです。 イスラム教は土葬文化であり、火葬を嫌います。 彼らは日本で亡くなると教義に従い土葬を望むのですが、土葬する墓地がないという悩みです。 https://mainichi.jp/articles/20201025/ddp/001/040/001000c

国内の信者数が今や23万人に上るイスラム教徒。 「ハラル」などの文化や慣習が少しずつ浸透する一方で、イスラム教徒が困り果てている問題がある。 家族を埋葬する墓がないのだ。 日本で結婚、出産し、定住する人も増えているのに信者用の墓地は東日本を中心に約10カ所あるのみで、神戸市より西にはない。 大分県では墓地の建設計画が住民からの思わぬ反発で頓挫している。 仏教徒は火葬して埋葬するが、イスラム教徒は土葬。 現代の日本ではなじみの薄い土葬への抵抗感や異なる宗教への不安が反発の背景にあるようだ。

イスラム教徒の聖典、コーランでは死者の復活が信じられており、信者の間では生き返るための肉体が必要だとして土葬が選ばれている。 このため、火葬後に納骨する一般的な墓地には埋葬できない。

 私はこれを読んで、50年ほど前に関西のある農村地域を定めて、そこでの葬送方法を調査しようとしたことを思い出しました。 というのはその地域では、何十かある「地区」のほとんどが土葬の風習でしたが、一部に火葬の風習のあるところがあったのです。

 「地区」というのは、当時は「部落」と言われていました。 いわゆる「部落」は、地縁共同体という意味で当時一般的に使われていた用語です。 昔は日本各地の地域運動会で、「部落対抗リレー」なんてものがありましたねえ。 ですから「部落」はもともと差別用語ではなかったのですが、解放運動の進展によって差別用語化されてしまったと言えます。

 調べて直ぐに分かったことは、土葬地区は禅宗や法華宗などの宗派で、火葬地区は浄土真宗でした。 つまり浄土真宗だけが火葬の風習を行ない、その他はどの宗派も土葬だったのでした。 そしてその火葬地区というのは、実は被差別部落(「同和地区」―その昔は差別用語で「エタ部落」とか言われていた)だったのです。 

 ということは数十の「地区」を有するその地域では、あなたの家は家族が亡くなると土葬ですか、それとも火葬ですかと尋ねることは、あなたは被差別部落の人ですかと聞くことと同じ意味を持つことになるのです。 またあなたの家の宗派は何ですかと尋ねることもまたその地域では、あなたは被差別部落ですかと聞くことと同じになります。 

 これが判明して、私はすぐさま調査を止めました。 それ以来、土葬や火葬を詳しく調べることはありませんでしたが、関心は持ち続けました。

 その頃に、狭山事件の裁判が大きな問題となっていました。 これは埼玉の狭山で起きた強姦殺人事件で、容疑者として逮捕起訴された人が被差別部落出身者でした。 この裁判の過程で弁護側は、被害女性はその地域で一般的な土葬のやり方で埋められた、しかし容疑者は火葬風習の同和地区出身で土葬のことは知らなかったのだから、そんなやり方で埋められる訳がないと主張しました。

 詳しいことは別途調べていただきたいですが、私はその話を聞いた時、農村地域では一般的に土葬だが被差別部落だけが火葬であるという風習の違いは、関西のある限られた地域だけでなく、関東でも共通することを知りました。 ということは、これは全国共通するのではなかろうかと思いました。 これはこれで興味深い研究テーマになると思うのですが、上記のようにこれは部落差別問題に直接関わるもので、ひょっとして厳しい糾弾を受ける可能性があります。 だからこそ私は関心だけに留めて、調べることはしなかったのです。

 冒頭の、イスラム教徒が墓地に困っているという毎日の記事を読んで、ちょっと昔を思い出した次第。

 なおこの記事で、ムスリム教会のカーン・タヒル代表が

昔は日本でも土葬が一般的だった

と言いましたが、私の上記の知識により関西と関東ではその通りだったと言えます。 おそらく九州・大分でも昔は土葬が一般的で、一部被差別部落だけが火葬だったのではないかと思います。

 なお以上はかつての農村地域での話です。 京都・大阪などの都会では、火葬・土葬はまた違った様相を示します。 土葬・火葬という葬法の研究は極めて面白いと思うのですが、当時の私はそれをやる勇気がありませんでしたねえ。 部落問題のタブーが薄れてきている今なら、研究する価値があると思います。 若い研究者に期待したいところですね。

 最後になりましたが、イスラム教徒の墓地問題が早く解決して、彼らが安心してお墓参りできるようになることを祈ります。

砧を頂いた在日女性の思い出(4)―宮城道雄2020/10/22

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894 の続きです。

 前述したように、私は在日一世の女性から砧道具を頂いて、朝鮮と日本の砧に関する資料を集め、論稿を発表しました。

 ところで「朝鮮の砧」といえば、忘れてはならないのが宮城道雄です。 宮城道雄は明治40年(1907)9月から大正6年(1917)2月までの10年間朝鮮に居住し、その間に邦楽を極め、日本伝統音楽家として数多くの作曲をし、名声を得ました。 そのなかに「唐砧(からきぬた)」という砧打ちをテーマにした曲があります。 そして宮城は日本帰国後も「砧」「遠砧」を作曲します。 これらは今でも筝曲の演奏会などでよく聞く曲です。 お琴を習う人によると、練習曲にもよく使われているそうです。

 砧は日本では明治時代に廃れてしまい、砧を打つ音が聞こえなくなりました。 ですから明治27年(1894)生まれの宮城は、日本の砧打ちの音を聞いたことがおそらくありません。 しかし朝鮮では砧を打つ風習が盛んでした。 従って宮城が朝鮮滞在中に作曲した「唐砧」は、朝鮮女性が砧を打つ音を聞いて、それを音楽に取り入れた曲だということが分かります。 その後の「砧」「遠砧」も、宮城が朝鮮で聞いた砧の音をメロディー化したものなのです。

 これらの曲を聞いてみますと、砧を打つ場面でテンポが速くなります。 これを解説しますと、朝鮮の砧は二人の女性が砧の道具を間におき、それぞれが両手に砧槌を持って二人同時に交互に打ちます。 だから朝鮮の砧の音は元々テンポが速いのです。 一方日本の砧は、絵画資料しかありませんが、砧槌を片手に持って打ちます。 二人で打つこともありますが、一人で打つ資料も多いです。 従って砧の音のテンポは朝鮮のそれよりゆっくりとなります。 この点からも、宮城の「砧」等の曲のテンポの速さは、朝鮮女性の砧打ちをメロディー化したからだと言うことができます。

 ところで朝鮮の女性たちは砧打ちの際に、歌を歌ったりすることはなかったようです。在日一世のおばあさん何人かに砧の話を聞きましたが、歌なんか歌う余裕はなかったという話ばかりでした。 実際に朝鮮の民謡・俗謡などに、砧は出てきませんねえ。 従って宮城が朝鮮の砧の音をメロディー化した最初の人と言えるのではないか、と思います。

 しかし韓国・朝鮮人は在日でも本国でも、宮城にほとんどと言っていいほど関心がありませんねえ。 対象的なのは演歌の古賀政男です。 古賀の曲には朝鮮に関係するものは全くと言っていいほどにありません。 しかし何故か、古賀政男は朝鮮に住んでいたことがあるから演歌の源流は韓国だ、などと声高に言う韓国・朝鮮人が目立ちますね。

【拙稿参照(宮城道雄)】

朝鮮で活躍した宮城道雄      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/05/6435151

ネットに見る「砧」の間違い   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai

「演歌の源流は韓国」論の復活      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/10/6285379

【これまでの拙稿】

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008

砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304894

かつての入管法の思い出2020/10/17

 10月17日付の毎日新聞の「今週の本棚」欄に、中島京子さんが『使い捨て外国人-人権なき移民国家、日本-』という本の書評を書いておられます。  https://mainichi.jp/articles/20201017/ddm/015/070/019000c

在留資格のない外国人を入管施設に長期収容することなども、昨今、批判を浴びているが、本書を読むと、入管の劣悪な医療環境や、家族を引き裂く収容そのものにも、疑問を持たざるを得ない。いずれも「人権と人道」を軽視する姿勢が生み出してきたものだと著者は指摘する。移民を受け入れ、人権を尊重する国にならないと日本に未来はないことを、考えさせられる。

 これを読んで、30年以上前ですが、出入国管理制度に詳しい方から聞いた話を思い出しました。 この方は市役所の外国人登録を担当したことをきっかけに出入国管理や難民に関する法律などをかなり勉強したということで、その担当を外れても外国人からの相談に応じておられました。

 最初は自分も勉強になるからと気軽に相談にのっていたのですが、無料で動いてくれるという噂が広まったのか、不法・犯罪者までが連絡することもあるなど、段々と深刻な問題にも関わるようになったと言います。 もうやっていられないからと、こんな相談はすべて断ることにしたそうです。

 私はそんな方の話を聞いたことがありますから、今度の中島さんの書評を読んでちょっと疑問に感じました。

 「在留資格のない外国人を入管施設に長期収容する」とありますが、在留資格がないというのは本来この日本で居住する資格がないということです。 しかし当の外国人が日本にいつまでも住み続けたい、あるいは日本を出たくないと考え行動するというのなら、日本国家の立場からして強制退去か、そうでなければ入管施設に留め置くしかありません。 当人はなぜ正規の在留資格を得ようと努力をしないのか、おそらくは最初から資格を得る見込みがないからではないのか、それは不法行為者であるとか反社会組織に関係していたとかではないのか、という疑問です。

 「家族を引き裂く収容」とありますが、家族が有効な在留資格を有し、正業についていて税金もちゃんと納めているなどであれば、家族が保証人となることができますから当人は収容所から出ることが難しくありません。 それが出来ないということは、家族とは既に縁が切れているとか、家族そのものに問題があるとかの事情があるはずです。 そこに疑問点が出てきます。

 何年か前に、収容所に長く入っている外国人が、元妻がいて子供もいる、子供には長い間会っていない、収容所を出て子供に会いたいと訴える記事がありました。 元妻も子供も面会に来たことがないのですから、この外国人は家族と完全に縁が切れていると判断できます。 子供に会いたいから出してくれというのは口実でしかないように思われ、私には同情できるものではありませんでした。

 ところで30年以上前の当時は、外国人と言えば韓国・朝鮮人が過半数以上を占める時代でした。 在日韓国・朝鮮人は126―2-6や4-1-16-2、協定永住等で法的には永住する権利を有し、日本人と変わらぬ生活を送っていました(今もそうです)。 しかし彼らも外国人ですから、国外に出る時は出入国管理局で再入国許可をもらわねばなりません。 期間は1年です(今は5年)。

 ところが国外に出た在日韓国人がこの期間をうっかり忘れることが間々ありました。 特に一世のお年寄りが韓国の故郷に帰ると、居心地がいいのか1年の期間なんて忘れてしまって、ずっと居てしまうのです。 このお年寄りが日本に帰国する段になると、有効期限が過ぎて日本の永住資格を喪失しており、慌てることになります。

 日本の空港に着いたら永住資格がなくて入国できず、家族がビックリしてあちこち問い合わせて交渉し、何とか入国できたという実話がありました。 この時の一番有効なことが、家族はみんな正業につき、税金を払い、犯罪者は一人もいない、その自分たちが保証人になるからということでした。

 毎日新聞の書評欄を読んで、ちょっと昔を思い出した次第。 評者の中島さんはご自分がこういった外国人の身元引き受け人になって、収容所から出られるように努力をすればいいのに、と思います。

 取りとめのない話になりました。

【拙稿参照】

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

砧を頂いた在日女性の思い出(3)―先行研究2020/10/12

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008 の続きです。

 私が砧について論稿を最初に発表した時(1996・97年)は、朝鮮の「砧」の先行研究は渡辺誠「ヨコヅチの考古・民具学的研究」(『考古学雑誌第70巻3号』)がありました。 しかしこれは「ヨコヅチ」という考古・民具学的遺物を広く集めて比較検討するなかに朝鮮の「砧」の槌があるということだけで、「砧」そのものへの考察ではありません。

 先行研究の本格的な論文としては、李哲権「衣を打つ音―『砧』の比較文学的研究」(『比較文学研究64』東大比較文学会)がありました。 しかしこれは文学の面から日本・朝鮮・中国では「砧」にどのような心情が込められていたのかを比較し考察したもので、私の関心のある、形=道具としての「砧」について論じたものではありません。

 当時は朝鮮の「砧」の先行研究は以上の二点ぐらいで、他には何かのついでに「砧」にちょっと触れる程度で、「砧で布を柔らかくした」などの誤解したものが多かったですねえ。 「砧」には日本も朝鮮も二種類があって布地によって使い分けるということ、そしてその形がどのように変化したのかを論じたのは私が最初だと思います。

 ところで以上の先行研究のうち李論文は朝鮮の砧について、次のように論じています。

こうした細々した仕事(砧打ち)はもちろん母と娘の夜業となるが、これには非常な労力と忍耐が必要であった。 いってみれば、砧は母や娘たちに苦痛をもたらす苦役以外のなにものでもなかった。

朝鮮の民謡に「嫁暮らし」という題で砧が悲しみと苦しみの対象としてしか詠まれていないのも、実はこのような生活の実態と深い関係がある。 したがって、昔の朝鮮の女性たちにとって、砧はある意味で宿命的なもので、短い一生は砧をうつ音の中に消えてしまうといっても過言ではなかった。

それ故、朝鮮文学における砧の詩のコノテーションは、中国や日本文学における砧の詩の場合のように男女の思慕の念や恋慕の情を表わすものに決してなりえなかったのである。

 李論文は文学の面から見て「砧」について朝鮮・中国・日本を比較しながら論じているのですが、なるほど、そういう見方もあるのかと勉強になったものでした。 私はモノ・カタチとしての「砧」を追求していたので、このような感想を持つことはほとんどありませんでした。 ですから新鮮に感じたものでした。

 ところで私は「砧」の研究について地元郷土誌に発表したと言いましたが、その97年8月号で次のような文で論稿を締めくくりました。

いま日本では朝鮮問題に関心を寄せる人が多いが、それは民族受難とそれに対する闘いの歴史というイデオロギーに重点があるようで、普段の具体的な日常生活に目を向ける人は少ないという印象を持つ。

砧はかつての在日朝鮮人の生活ではごく普通に見られた光景であった。今それが捨て去られ、記憶からも消えつつある。 イデオロギー的な観点からすれば、砧なんて些末で枝葉末節、何と下らなく、つまらないことを研究するのかとお叱りの声が聞こえそうである。 

しかし生活という具体性からかけ離れた在日朝鮮人像を描くイデオロギーには、私は大きな違和感を抱く。

 20年以上前の論稿ですが、このようにまとめに書いた気持ちは今も変わりありません。 

【拙稿参照】

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

砧を頂いた在日女性の思い出(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/07/9303008

第118題 砧―日本の砧・朝鮮の砧  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf

砧を頂いた在日女性の思い出(2)2020/10/07

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618 の続きです。

 砧をもらった在日一世のおばあさんの話をもう少しします。 1995年の阪神大震災の3ヶ月ほど前に知り合いの在日から、“広い家に一人住まいしている私のおばあさんがいる、もうかなりの年齢で心配だから大阪の私の家に引き取ることになった、その引っ越しを手伝ってほしい”と言われて行きました。

 荷物は既にかなり片付いていて、古いミシンなどは古道具屋に売ってしまったとのことでした。 残った荷物を車に載せていると、砧の道具がありました。 コンクリート製の台と二本の砧棒です。 古道具屋はこれの価値を知らなかったらしく、持っていかなかったということでした。 そこで私が頂いたものです。 当時は「洗濯の叩き石と叩き棒」と言っていましたねえ。

 それから「砧」に関して資料を集めていたところ、例の阪神大震災が起きました。 地元の郷土研究誌はしばらく休刊となっていましたが、やがて復刊したという話を聞いて、この砧に関する論考をこの郷土誌『歴史と神戸』に発表したという次第です。 その後も「砧」について更に資料を集めて、幾つか論考を発表しています。 拙HP・ブログにも上げましたので、参考いただければ幸い。(下記参照)

 ところで先の知り合いの方から、このおばあさんの話を幾つか聞きました。 印象に残っているものを思い出すままに書きます。

おばあさんは洗濯が好きでねえ、一日に二回は洗濯物を打っていたんよ。 嫁に来た時からあったらしく、私の小さい時からずうっと打っていた。 これで打つと、洗濯物に艶が出るんよ。

私が大学に入って、同じ在日の子と友達になって、家に連れてきたことがある。 そうしたら、おばあさんが家の奥に入ったまま出て来ない。 友達が来たんだから挨拶ぐらいしてよ、同じ朝鮮人なんだから、と言うと、ああそうか、だったら安心だ、と言うんよ。 おばあさんは見るからに朝鮮人だし、言葉も朝鮮訛り。 自分が出ていくと、この家が朝鮮の家だと思われるのではないかと心配して、遠慮していたんよ。 

そういえば高校の時も友達を連れて来たら、おばあさん、決して出て来ようとしなかったことを思い出した。 朝鮮人と分かったら孫がいじめられると思って、遠慮していたことがその時に初めて分かったんよ。

 子供が友達を家に連れてきても、おばあさんは顔を出そうとしなかった、その理由が朝鮮人であることがバレるからとは、ちょっと胸が締め付けられますね。

 ところで、このおばあさんの家、元々は神戸港の沖仲士の寄宿舎(いわゆるタコ部屋)でした。 自宅兼寄宿舎ですから、家は部屋数が多く、広々としていました。 寄宿舎はおじいさんが経営していて、おばあさんは飯炊き等の仕事をしていたといいます。

 そしてこの家の一角に「在日本大韓民国民団○○支部○○分会」という看板のかかった部屋がありました。 ですから、かつては多くの人がこの家を出入りして、非常ににぎやかだったそうです。 この看板、その時に貰っていたらよかったのに、或いはせめて写真でも撮っていたらよかったのにと反省するところです。 支部名・分会名がもう分かりません。 大震災で家もろとも焼けてしまいました。

 民団の分会ですから、どこかに資料が残っているだろうし、ここに出入りした在日韓国人はまだご存命かも知れませんねえ。 この分会の部屋には「権逸」(1960年代に民団団長、そのあと韓国国会議員)の名前の入った感謝状みたいなものが額に飾ってあったそうですが、これは後で聞いた話です。 これなんかも貴重な資料なのですが、もらい損ねました。

 ところで「沖仲士」なんて1960年代に消滅しましたから、今は知っている人はほとんど年寄りでしょう。 もう間もなく読み方も含めて歴史用語になるでしょうね。

【追記】  「砧」は日本では明治以降にほとんど廃棄されたため、今では実物を見ることがほとんど出来ませんが、絵巻物や浮世絵、読本の挿図等の絵画資料で様子を知ることができます。 そして韓国でも1970年代以降に廃棄が進み、今は身近に見ることはなくなりました。 以前に日本と韓国の砧の写真や絵画を集めたレジュメがありますので、砧とはどういうものなのかを知りたい方はご参照ください。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf 

【拙稿参照】

砧を頂いた在日女性の思い出(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/21/9297618

第66題 砧(きぬた)   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuurokudai

第106題 砧 講演    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakurokudai

第107題 砧 講演(続)  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakunanadai

第108題 「砧」に触れた論文批評   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakuhachidai

第109題 ネットに見る「砧」の間違い  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai

第114題 韓国における砧の解説  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/hyaku14dai

第115題 다듬이    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku15dai.htm

第118題 砧―日本の砧・朝鮮の砧  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyaku18dai.pdf

角川『平安時代史事典』にある盗用事例  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/07/1377485

「砧」と渡来人とは無関係  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/14/1403192

北朝鮮の砧         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/12/22/2523671

砧という道具        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/05/2545952

韓国ロッテワールドの砧    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/11/5080220

韓国ロッテワールドの砧のキャプション  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/12/5082741

「砧」の新資料(1)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/09/6655266

「砧」の新資料(2)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/10/6656721

「砧」の新資料(3)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/11/6657527

「砧」の新資料(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/13/6659222

「砧」の新資料(5)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/14/6659970

「砧」の新資料(6)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/16/6661166

砧―日本の砧・朝鮮の砧   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/05/6888511

佐藤春夫の「砧」      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/05/8008944

韓国の砧石         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/05/23/8572603 

権逸の『回顧録』      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587

学術会議任命を拒否された加藤陽子さん2020/10/02

 日本学術会議が新会員候補として推薦したうちの6人が任命を拒否されたとして、話題になっています。 この6人のなかに日本近代史の加藤陽子さんがおられます。  https://news.yahoo.co.jp/articles/b3ea44d6975191c4cd76487f198c1d5c37923e5b

 拙ブログでは7年前ですが、この方について書いたことがありますので、笑覧いただければ幸甚。

加藤陽子「九条放棄されればカナダ国籍を取る」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/04/6971199