道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(2)2021/10/10

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/03/9428968 の続きです。

―民主主義とポピュリズムという側面から、韓国の「外交」をどのように見られますか?

一般論として申し上げます。 外交というのは相手方があることで、自分の意のままにならないものではないですか。 大国、小国は言うに及ばず、まず相手方がなぜそのように主張するのか、その国内事情をよくリサーチせねばなりません。 また国際法、国際的慣例も当然把握せねばなりません。 そして色んなオプションの中で、国益上最善の政策を選ぶのですが、国内世論を説得するのも重要です。 国益に一番良い方針が国民に人気がないこともあるのですから。自由でないのが外交です。 相手国を十分研究してこそ外交は可能で、それは屈辱ではありません。 世論、雰囲気、コードで発想するならば、国家の羅針盤がよく機能せず、漂流する憂慮も出てきます。

 「一般論」としていますが、韓国が日本を十分に研究しないまま対日外交を繰り広げていることへの批判ですねえ。 

―外交官でいらっしゃいますから、韓国が日本に対して理解が足りない部分、または国際感覚において韓国が足りないと感じる部分があれば、おっしゃって下さい。

韓国には「私は寿司が好きだ、居酒屋に行く、日本旅行にたくさん行った、子供たちが日本語を勉強している、だから日本をよく知っている。私たちの世代は反日ではない」とおっしゃる方がいます。 しかし楽しんで消費することと、日本に対する外交は別個の問題です。 私が見るには、最近の韓国は対日関係を上手に構築しようと努力する姿が見えません。 国家の次元で相手方の国に対して緻密に研究し、神経を使うことが必要なのですが、対日関係をちゃんと管理し改善しようと作業が見えてこず、日本関連のニュースの一つ一つに即刻的に反応して反発するのが目立ちます。 日本は、韓国の外交・安保・経済の大きな構図の中で、鍵となる国の一つなのですよ。

そして昔に比べて、平均的な日本人の韓国に対する知識が大幅に増えました。 ソウルで暮らす日本のビジネスマンが「丙子胡乱」「三田渡の屈辱」を知っているのを見て、ちょっと驚きました。 目覚ましい経済発展で韓国の存在感が大きくなり、韓国の国内ニュースがすぐさま日本に伝わる時代です。 歴史の問題を内包する中国や東南アジアなど色んな国があり、日本ではそれぞれの国を比較するのでよく見えてくるのですよ。 そのうちの韓国は、日本に対する真剣で客観的な姿勢が一番に必要な国だと思います。

―朴槿恵政府と文在寅政府を経て、日本内で韓国に失望する人たちが多いと聞きますが、実際にそうなのですか?

はい。 実際にそうです。 私の親戚は政治の話に関心がありませんが、韓国を何度も訪問したり、韓流ドラマを字幕なしで楽しんで見る人たちなんです。 7~8年前に私に会った時、「お前は韓国の仕事をしている国家公務員だから言えないのだろうが、私らにとってあの国はもういい、友人になることが出来ない国だとよく分かった」と言うのですよ。平均的な日本人より韓国に親近感がある日本人がこうなのです。 韓国では日本の「嫌韓」を「保守勢力の政治活動」とする見方がありますが、実は違います。

もう一つ、日本の高校生たちが海外修学旅行にどこへ行くのかを集計した数字があります。2002年から2011年までは韓国がいつも1位か2位で、全体の20%を占めていました。 しかし2012年以降、急速に減少し、上位圏から消えました。 今は1%にもなりませんよ。 韓国に修学旅行に行く生徒数が、シンガポールの20分の1、オーストラリア、マレーシアの10分の1、ベトナムの4分の1です。 私が見ても衝撃的でした。 修学旅行は学校で生徒と保護者、先生が話し合って行き先を決めるのですが、これは政治とは関係のないことです。 平均的な日本人が韓国に対する気持ちが離れているということが分かります。

ところで20年前は、韓・日関係が良かったです。 1999年から2002年のワールドカップ共同開催前のころ、韓国の人たちがこんなことをよく言っていました。 「日本は誤解するな。私たちは成熟した社会だ。何でも韓国が正義、日本が悪だと規定するのではない。私たちは日本を客観的に見て、建設的な関係を結ぶことが出来る。」

その契機となったが1998年の金大中大統領の日本訪問でした。 日本の国会演説の中で「IMFの時、日本はどの国よりもたくさんの協力をしていただきました。 心から感謝します」とおっしゃいました。 その時、私を含めて日本国民が大変新鮮に感じ、感銘を受けました。待ちに待った指導者がやっと登場したんだなあ、日本を理性的・建設的に見て、感謝することは感謝して、国益上において日本の重要性を深く知っておられる方が登場したんだなあ、これから両国は信頼と協力関係を持つことができると期待しました。 ところで、このごろの韓国はどうですか? 大きく後退したように見えます。

 韓国人に読まれることが前提のですので言い方はソフトですが、韓国に対してなかなか言えなかったことを吐き出したという感じですね。 

―韓日関係がうまくいったならば、という気持ちが誰よりも切実でいらっしゃるのに大変残念です。

はい、一番最初に紹介しましたソウル大学教授の指摘のように、「日本はもうよく知っている。もう知ろうとする努力はしない」というのが今の韓国人の実態に近いです。 一時希望を見ただけに、余りにも残念です。 日本は過去40年の間に韓国を三回「発見」しました。 最初は1984~1988年です。 1984年に日本のNHKで韓国語講座を始めたのですよ。 88オリンピックは非常に影響が大きかったです。 それ以前は、韓国は学生デモや軍部独裁、拷問など暗い印象でしたが、この時期に漢江の奇跡、文化、スポーツなど多様な姿を知るようになりました。 二番目は1998~2002年です。金大中大統領の訪日と韓日ワールドカップ共同開催など、希望を持つようになった時期でした。 三番目は2012年以降現在までです。最初と二番目は肯定的な発見でしたが、三番目は韓国に対する失望と「距離を置く」状態です。 これは一時的な現象ではなく、構造変化と見なければならないものです。 韓国に対する偏見、優越感から生まれたものではないのですよ。 韓国をリスペクト(尊敬・敬意)していた人ほど失望が深いと言うこともできます。

 「三番目は2012年以降現在までです‥‥韓国に対する失望と『距離を置く』状態です」とありますが、これは事実ですね。 2012年の8月に、時の李明博大統領は竹島に上陸し、天皇へ謝罪要求発言をしました。 これがきっかけで、日本の対韓感情が険しいものになったのでした。

 それを具体的に示す数字は、道上さんは日本高校生の修学旅行先が2011年までは20%だったのに2012年以降急減し、今は1%以下だと指摘しておられました。 それ以外に日本から韓国への観光入国者数の急減も挙げておきます。 2012年9月まで毎月30万~35万人だった観光客は同年10月以降20万~24万人に激減し、回復することがありませんでした。

 今の日本の対韓感情の悪化は、李明博大統領から始まったと言えるでしょう。 日本では韓国の進歩の反日にうんざりしたのか、保守に期待する人が多いようです。 しかし保守の李大統領が自ら率先して反日行動し、それが日本の対韓感情悪化につながって今に至っているのですから、韓国の反日は進歩も保守も関係ないということに留意する必要があります。

 「韓国に対する偏見、優越感から生まれたものではないのですよ。 韓国をリスペクト(尊敬・敬意)していた人ほど失望が深いと言うこともできます」は、韓国人に是非知ってほしい日本人の本音ということなのでしょう。 しかし彼らが共感するのかどうか、たとえ共感できても、口になかなか出せないのが今の韓国ですからねえ。

道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/10/03/9428968

李大統領の発言        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/08/18/6546033

『朝鮮日報』記事に出てくる若宮啓文のコラムとは http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/18/6636750

道上尚史事務局長のインタビュー―『月刊中央』(1)2021/10/03

 韓国の雑誌『月刊中央』2021年9月17日号に、「[特別招待席] 道上尚史 前日中韓三国協力事務局長が見た韓・日関係」と題するインタビュー記事がありました。 http://jmagazine.joins.com/monthly/view/334605

 道上さんは日本の外交官で、韓国語でインタビューに応じるほどの語学の達者な方のようです。 韓国人が読むことを前提とするインタビューのためか、発言内容はソフトですね。 日本語話者が語る韓国語ですから、頭の中の意識は日本語、それを素早く韓国語に訳しながら口に出す作業となったようです。 ですから私には発言内容が分かりやすく、ほとんど辞書なしで読むことができました。

 ちょっと興味深く読みましたので、翻訳してみました。 合間に私の感想を挟みます。

―道上尚史(63)前日中韓三国協力事務局長は、日本外務省を代表する「韓国通」外交官だ。 1984年、韓国に初めて来た彼は外交官生活37年間のうち、韓国で五回、全部で12年間を勤務した。 東京大学法学部を卒業し、米国ハーバード大学で修士学位を取った。韓中の二カ国で公使を歴任した日本外交官第1号だ。 韓国の社会・文化の事情に明るく、韓国語を駆使する能力に秀でており、国内でも認知度が高い。事務局長の任期が満了し、日本に帰任する彼に会って、国と組織を離れて一個人として37年を見た率直な感想を聞いた。

―道上局長は1984年に韓国に始めて来て、延世大学語学堂、そしてソウル大学外交学科修士課程で勉強されたと聞きました。 その時の印象的な経験などを覚えておられるでしょうか?

学生デモが多く、催涙弾も飛んでいる激動の時期でしたが、教授や学校の友人たちみんなが大変親切で、毎日面白く過ごしました。 ある日講義で、ソウル大学のお年を召した教授が「我々は日本をすでによく知っている、勉強する必要はないと見ているが、それは大きな錯覚」だと言って、「韓国は実際に日本をよく分かっていない。 我々が知っているという日本は、本当の日本ではない。 学生諸君は日本を知らないと認めて、一生懸命に勉強しなさい」とおっしゃいました。 核心を突く勇気ある指摘に、私は感銘されました。韓日関係に困難が多いですが、これから明るい未来があり得るんだという光明を見た気分でした。

―外交官として長い間韓国を見守りながら、韓国社会が持っている長所・短所も多く見て感じられたことでしょう。 率直なお言葉を聞きたいと思います。

効率性が高い点、ビジネスや勉強において目標を達成する集中力は、韓国の方たちの長所ですね。 半面、目に見えない部分や中長期的な視野がちょっと弱いと感じることがないことはないです。 私の知り合いのご夫婦ですが、夫が韓国人、夫人が日本人です。 その子が勉強や集団生活があまりよく出来なかったといいます。 日本の小学校の先生は生徒一人一人ずつをよく面倒見てくれて、韓国ではそうではなかった、韓国は勉強がよくできる生徒のための学校だと感じたとおっしゃるのです。 また韓国社会に大きな衝撃を与えたセウォル号事件、そのために海警(日本の海上保安庁に相当)を解体するというニュースに驚きました。 日本の常識では海警を強化せねばならないのですが、なくすというのですから。 もう一つ、日本のノーベル賞受賞者が言ったことなのですが、「基礎研究は日本人の特性に合っている。 30年間してきた研究が成果を得られるのかどうか、成果を本人が生きている間に認められるのかどうか分からない。 お金や名誉を考えれば出来ないことだ」と言うのです。 韓国はある意味で効率性が高いですが、目の前の目標だけを追求するならば他の重要な要素が犠牲になるしかないでしょう。 これからもっと成熟した社会になって克服せねばならない課題でしょう。

 「韓国は勉強がよくできる生徒のための学校だ」という話は、時々聞きますね。 学校の先生が成績のいい子を露骨に称賛・優遇するということなのですが、本当なのですかねえ。

―日本の『文芸春秋』に発表された文を読みましたが、韓国の知人が「韓国は圧縮成長で短い期間にたくさんのことを成し遂げたが、抜けたところも多い。 民主主義に対する理解も足りない」と指摘したということでした。 成熟した民主主義とポピュリズム問題はアメリカやヨーロッパ、南米を含めてたくさんの国の課題ですが、韓国の民主主義と政治について、また保守と進歩の葛藤について、どのように感じておられますか?

大声でスローガンを叫んだり誰かを糾弾することが民主主義の核心ではない、ということではないでしょうか。色んな意見を収れんする過程、冷静で客観的な実務把握、緻密な専門知識、それが民主主義国家に必要な条件でしょう。 英語でPrudent(冷静でちゃんと組み立てられた)国家運営です。 韓国の保守・進歩に対して、あれやこれやと言えませんが、どの国であれ、理念やイデオロギーだけでは国家運営は不可能ですよ。 しばしば日本人は韓国の保守を好むと言われますが、過去40年間に日本で一番評価が高い韓国の指導者は金大中元大統領なのです。

 「過去40年間に日本で一番評価が高い韓国の指導者は金大中元大統領」というのは、40年間に限ればその通りでしょうね。 私はその以前の朴正煕大統領を一番高く評価しているのですが、それ以降となるとやはり金大中大統領ですね。

―最近韓国で労働運動やフェミニズムの議論が活発ですが、日本はどうですか? 日本でも学生運動をしていて政治家になった方たちがいるのではないのですか?

日本でははるか昔である1970年代初めに、急進的な女性運動が、そして私が生まれるより前に労働運動が猛威を振るっていました。 過度な運動に対する反省もありました。日本の学生運動は私より15~20年先輩たちが参加していました。 ところで韓国と日本の学生運動出身の政治家たちの間には大きな違いがあるようです。 日本では若い時にやった運動に対して徹底した反省がありました。 政治・社会・人間に対する理解が足りなかった、理念や主義の一つ二つで複雑な国政を担おうとするのは無理があったという深い反省から政治を始めたといいます。 韓国はちょっと違っていると思っています。

 日本では、学生運動・市民運動出身がそのイデオロギーを維持したまま政治家になった例は、韓国に比べたら確かに少ないですねえ。 韓国ではそういった運動が政治家になるためのステップとして機能している感があります。

妻の体を売る―『朝鮮雑記』2021/09/26

 去る6月30日付けの拙ブログ「金九―『妻の体を売ってでも美味しいものを』」で、今の韓国人が最も尊敬する歴史上人物の一人である金九が、日本植民地下で監獄生活を送るなかで「妻を売ってでも美味しいものを思うぞんぶん食べたい」と考えていたという歴史資料を紹介しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/30/9392997

 そうすると『朝鮮雑記』を読みなさいというコメント投稿がありました。 そこでこの『朝鮮雑記』について、少し書きます。

 1890年(明治23)から94年(同27)にかけて朝鮮に旅行・滞在した本間九介は、朝鮮で見聞あるいは体験した話を『朝鮮雑記』という本にして出版しました。 2016年(平成28)に祥伝社より現代語訳が出ています。 当時の朝鮮社会の様子をかなり赤裸々に書いています。

 その直後の1894~97年にイギリスの女性旅行家のイザベラ・バードが朝鮮を旅行して、旅行記を出版しました。 こちらは東洋文庫『朝鮮奥地紀行1・2』(1993・94年)、講談社学術文庫『朝鮮紀行』(1998年)として翻訳されています。

 ここで本間の『朝鮮雑記』をイザベラの『朝鮮紀行』と比べながら読んでみると、当時の朝鮮社会の描写に共通するところが多く、本間の言には真実性が感じられます。 ですから、この本は想像や空想で書いたものではないと断言できるでしょう。 李朝時代の朝鮮社会を知るのに貴重な資料であると言えます。

 その『朝鮮雑記』に、次のような記述があります。

娼妓   かの国(朝鮮)の娼妓は、すべて妻妾である。人の妻妾でなければ、娼妓になることはできない。というわけで、その夫の生活の資金は。娼妓である妻がかせぐ。  夫は、みずからの妻の客を引き、また、みずから馬(客の家に行って、未払いや不足金を取り立てる)となって、揚げ代の請求に来る。これはかの国の社会の通常である。夫は、まさに娼妓の夫であり、いわば、妓夫(客引き)の観がある。破廉恥、ここに極まれりというべきだろう。     妻は、その股間にある無尽蔵の田を耕して、夫を養う。(74頁)

妻を客人に勧める   朝鮮の内地(内陸部)では、金さえ出せば、どこの家の亭主も、その妻妾を客人の枕席に侍らせる(共寝をさせる)。 これは、亭主との和談の上のことである。一ヶ月で10円前後を支払うという。わが国(日本)の商人で、内地に長期滞在するものにも、この悪習にならうものがある。(78頁)

 これは、金九が監獄生活を送っていた時の思い出に「妻を売ってでも美味しいものを思うぞんぶん食べたい」と考えたというエピソードの裏付けとなるものです。 つまり金九だけが個人的にそう考えたのではなく、当時の朝鮮社会では妻を売るということに大した抵抗感がなかったということです。 

 なお「妻を売る」は当時の朝鮮社会の中・下流階級(常民や賤民)の話で、上流階級である両班の場合は全く違った様相を呈します。 これについては後日、話します。

【拙稿参照】

金九―「妻の体を売ってでも美味しいものを」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/30/9392997

伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/29/9146768

朝鮮人の名前- 一文字姓2021/09/19

 9月18日付け毎日新聞の読者投稿欄の一つ「男の気持ち」に、次のような在日男性の投稿がありました。 https://mainichi.jp/articles/20210918/ddn/013/070/006000c

一文字の姓

私には人名の一覧が掲載されていると、姓が1文字の名前を無意識で探す癖がある。それは、私が漫画雑誌の懸賞の応募はがきを書いているのを兄が見て、「朝鮮人の名前やったら当たらへんで」と言ったことがきっかけだった。

50年前、私の通っていた小学校では、高学年になると在日コリアンの生徒たちが週に1、2回、放課後の民族学級に通っていた。講師の金先生の口癖は「本名は民族の誇りだ」というものだった。学校では日本名で通し、家でも母を「お母ちゃん」と呼んでいたが、卒業証書は本名で書いてもらい、卒業後は本名で生きていくことを決めた。

懸賞はほとんど当たらなかった。しかし、たまにささやかなものが当選すると、当選したことより、私の名前が活字として掲載されていることがその何倍もうれしかった。それから私は姓が1文字で、たぶん自分と同じコリアンであろうと推測される方の名前を見ると、無意識に応援するようになった。

先日、本紙で第66回全国高校軟式野球選手権大会の選手名の中に、1人見つけた。姓の前には◎まで付いていた。主将の印だ。もちろん彼とは一面識もなく、国籍やルーツも知らない。でもなんだか私はうれしくなってしまう。そして、「ガンバレ! いろいろあるだろうけど、本名に誇りを持って生きていってください。心の中で応援しているよ」とエールを送った。

 この投稿者は62歳ということで、そういう世代の在日なら、在日の名前を探そうとする気持ちになる人が多いですねえ。 同じ在日だろうと思って応援したくなるという話は、時おり聞きます。 この方もそんな気持ちを投稿されたようです。

 ところで「一文字」姓、しかも音読みの名前が必ずしも韓国・朝鮮人とは言えません。 例えば「金」「張」「田」「高」という名前は一見韓国・朝鮮風ですが、実は日本人の名前にあります。 「金」は1970年代のロッキード事件裁判の裁判長さん、「張」はトヨタの社長さんでした。 「田」は昔の国会議員におられましたね。 「高」には有名人はいないようですが、かつて朝鮮総督府官吏のなかに「高」という名前の人がいて、朝鮮人なのに外地手当をもらっているとの噂が広まったので調べてみたら西日本の島出身で、先祖代々からの日本人ということが判明したことがありました。

 それ以外に韓国・朝鮮風ではないが、一文字の漢字姓で音読みする日本人がいます。 「団」「菅」「今」「宗」などが直ぐに思い浮かびます。 「団」はかつての財閥総帥で、暗殺された歴史上人物です。 「菅」は10年くらい前の総理大臣。 「今」は直木賞作家の僧侶で元国会議員、その息子さんは文化庁長官でした。 「宗」は昔マラソンで活躍した双子兄弟を思い出します。

 こうしてみると、冒頭の在日の方が「一文字」姓を探すというのは、果たして同胞なのか日本人なのか、確かめているのだろうかという疑問が湧きます。

 ところで韓国・朝鮮人の姓はたいていが漢字一文字ですが、複姓といって二文字の名前もあります。 「鮮于」「南宮」「皇甫」「司空」「独弧」などです。 非常に珍しいですが「岡田」という日本人と全く同じような複姓もあります。

 今では日韓の国際結婚も多くなってきました。 そして日本に帰化する韓国人、または韓国に帰化する日本人も増えていっています。 日本も韓国も、帰化する際に自国風の名前にするというような規定はありませんから、親から受け継いだ朝鮮民族名の日本人、逆に日本風の名前の韓国人が誕生しています。

 名前だけを見て日本人か韓国・朝鮮人かを判定することは、さらに難しい時代になりましたね。

【拙稿参照】

大阪の民族学級―本名とは何か   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/31/9403271

在日の本名とは?            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/01/6497383

通名を本名と自称する在日        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499

日本名を本名とする在日朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663657

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

在日の通名使用の歴史は古い       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526

通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152

「本名の朝鮮語読み」考    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuichidai

外国と日本の文化の違い―卑猥語(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358120

「左」が担った「通名禁止」運動(3)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710

17世紀の「三韓」の用例(李朝実録と石碑)2021/09/16

 朝鮮王朝実録(日本名は李朝実録)に「三韓礼儀之邦」という言葉を見つけました。 はて、何?

 壬辰丁酉倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)が終わって17世紀に入ると、満州女直を統一したヌルハチが後金(のちの清)を打ち立てて中国の明を攻撃します。 明は朝鮮に援軍の派遣を要請するのですが、時の朝鮮国王である光海君は勢力優勢な後金を見て、この要請に応じませんでした。

 しかし朝鮮国内では国王反対派が形成されました。 彼らは壬辰丁酉倭乱の国家滅亡の危機の際に明からの援軍によって国を守ってもらったにも拘わらず、その明の危機に援軍を派遣しないのは「礼儀」に反すると主張しました。 そしてクーデターを起こし、光海君を追放します。 彼らが代わりに担ぎ出した国王が仁祖です。 そして王大妃の名前で光海君の非を次のように難じました。

皇勑屢降, 無意濟師, 使我三韓禮義之邦, 不免夷狄禽獸之歸 (仁祖元年(1623)3月14日)

 現代文に訳しますと、

(援軍を出すよう明帝の)皇勅がしばしば降ったにもかかわらず、兵を出す気がなく、わが三韓礼儀の邦を夷狄禽獣の域におとしめた。(田中明の訳)

 仁祖はわが朝鮮が「三韓礼儀の国」だからとして滅亡寸前の明国に義理立てし、明の味方をしました。 その時に自分たちの国を「三韓」と表現したのです。 朝鮮は礼儀を尊ぶ国であるという意味で「三韓礼儀之邦」と言ったのでした。

 朝鮮は「礼儀」を守ったがために、夷狄である清と対立します。 清は二回にわたって朝鮮に攻め入りました。 朝鮮は完敗し、仁祖は清に惨めな降伏をします。 朝鮮は清の属国となりました。 その証として、清は三田渡(今のソウル松坡区)に「大清皇帝功徳碑」を建てます(1639)。 その石碑の碑文の最後の方に、次のような文言があります。

大江之頭、萬載三韓、皇帝之休

 訳しますと、

そびえ立つ石碑を大きな川辺に建てたから、三韓で万歳にわたって皇帝の徳が輝くだろう (ウィキペディアによる)

 これは、朝鮮はこれから1万年にもわたって中国に隷従すると宣言したという意味です。 ですから、石碑は1987年の大韓帝国成立までの約350年間にわたる中国―朝鮮間の主従関係を内外に示したものとなります。 その碑文のなかで、朝鮮を「三韓」と表現していることが分かります。

 中国の明が滅び、清が勃興する17世紀に、李朝実録という公式資料と中国との外交資料とも言える石碑の二つの史料に「三韓」が出てきていることを紹介しました。

 李朝実録の方は朝鮮自身が自国を「三韓」としており、石碑の方は中国が朝鮮全体を指し「三韓」としています。 つまり「三韓」は朝鮮の別称として、朝鮮本国だけでなく中国でも用いられていたことを示しています。

 そして「三韓」は、朝鮮・中国だけでなく日本や沖縄でも古くから半島南部ではなく半島全体を指し示すものでした。 拙ブログではそのことを多数の資料を提示して証明しました(下記拙稿参照)。 今回はこれに、17世紀李朝時代の公的資料を追加するものです。

 これらの資料からはっきり言えることは、「大韓民国」の国名である「韓」の淵源となったのはこの「三韓」であるということです。 ところが今の韓国の歴史界では、「三韓」は前1世紀~2世紀に朝鮮半島南部で割拠していた「馬韓・弁韓・辰韓」を指しており、この時期を「三韓時代」と時代設定しています。 つまり「三韓」は半島南部であって、半島全体ではないというのが、今の韓国の歴史の考え方です。 この考え方は、「三韓」が朝鮮(高麗・新羅も含む)の別称として千数百年にわたって東アジア全体で使われてきたという歴史事実を無視している、と言わざるを得ません。

 朝鮮の異称としては「青丘」「鶏林」「槿域」「三千里」「海東」などがあるのですが、もう一つ「三韓」を加える必要があります。 そしてこれが韓国の「韓」の淵源になるのです。

【拙稿参照】

「三韓」の用例(1)―中国古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/08/7664404

「三韓」の用例(2)―朝鮮古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/13/7667715

「三韓」の用例(3)―日本古代     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/18/7671200

「三韓」の用例(4)―朝鮮古代金石文  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/22/7678138

「三韓」の用例(5)―中国古代金石文  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/26/7680561

「三韓」の用例(6)―沖縄金石文    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/30/7690495

「三韓」の用例(7)―朝鮮王朝実録   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/04/7697561

「三韓」の用例(8)―近代日本     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/10/7704555

「三韓」の用例(9)―「三韓」で一つの言葉  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/14/7707210

「三韓」の用例(10)―まとめ     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/18/7709750

「韓」という国号について(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/09/7630067

「韓」という国号について(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/14/7633517

「韓」という国号について(3)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/19/7636889

「韓」という国号について(4)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/24/7645246

「韓」という国号について(5)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/29/7657652

「韓」という国号について(6)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/06/03/7661140

在日活動家 李さんの思い出2021/09/09

 1980年頃のことだったと思います。李さんという活動家がいました。大学時代は朝鮮文化研究会の部長をしていて、卒業後、民族差別と闘う団体に入って活動していました。 同胞のミニコミ誌に、身近で起きたことなどをエッセイにして書いていました。 人の表面ではなく裏というか本音の部分を書くことがありましたので、そこそこ面白いものでした。

 ある時彼は、在日一世で一人暮らしのおばあさんが交通事故にあって大怪我をしたと知って、このおばあさんの世話を焼くことにしました。 事故は単車を乗り回していた高校中退の若者におばあさんが轢かれたというものでした。 彼は病院の見舞いに行ったり、弁護士を紹介するなどの支援をしていました。 彼の意図は、一世のお年寄りを世話することによって、その方からこれまでの人生の話や今の気持ちなど(身世打令―身の上話)を聞き取り、日本の民族差別を告発するようなエッセイを書こうとするものでした。

 ところがこの一世のおばあさん、もう亡くなられたご主人というのが近所でも評判なほどに優しい人で、だから日本での生活にほとんど苦労なんかしたことがないと言うし、また日本人から何か酷いことを言われたとかいうような被差別体験もないとも言うのでした。

 さらに交通事故で、加害者側はこちらが朝鮮人だと知って酷い差別発言をするものと思っていたら、相手側の加害者もまた朝鮮人だったということでした。 事故は、高校中退の不良少年が友達の家の駐車場に置いてあった単車を盗んで乗り回していた時に起こしたものでした。 さらにその親は息子の不良ぶりに腹を立てて勘当しており、そんな事故なんか知らんと突き放していたのでした。

 李さんは、朝鮮で生まれて来日した在日一世の被差別体験、そして日本人が交通事故で偶然に朝鮮人に出会った時に飛び出す差別発言をエッセイに書こうとしたのですが、そんな話は全く出てくることはなかったのでした。 結局、彼は書くことを諦めました。

 日本は差別社会であり在日は差別の被害者であるという固定観念は、実際の在日の生活像とは大きく違うということです。

 これは40年ほど前にあったことです。 今思い出しながら書いてみました。

韓国語の雑学―동족방뇨(凍足放尿)2021/09/02

 韓国の新聞を読んでいたら、「동족방뇨」という言葉が出てきました。漢字で書けば「凍足放尿」となります。 はて、何? 今まで見たこともない熟語です。 小学館の『朝鮮語辞典』を調べると、

(凍った足に小便をたらして暖めるの意で)一時しのぎの効力しかない。

 この辞典に採録されているということは、古くから使われている言葉ということです。 しかしこの説明を読んでも、ちょっと意味がよく分かりません。 そこで韓国の国語研究院の解説を調べてみると、次のようにもう少し詳しい説明がありました。https://www.korean.go.kr/nkview/nknews/200108/37_1.html 

추운 겨울에 발이 꽁꽁 얼면 따뜻한 곳에 가서 녹여야 한다. 그런데 그럴 형편이 되지 못하면 어떻게 할까? 우선 급한 대로 언 발에 오줌을 눈다고 해 보자. 인간의 몸에서 나온 오줌은 따뜻해서 당장은 약간이나마 언 발을 녹이는 효과가 있을 것이다. 그렇지만 잠시 후 오줌이 차가워지면 발은 발대로 얼고 거기에 오줌의 찬 기운까지 합해져서 발은 더욱 꽁꽁 얼어 버릴 것이다. 여기서 유래한 속담이 ‘언 발에 오줌 누기’이다. 잠시의 효력이 있을 뿐이고 곧 그 효력은 없어지고 더 나쁘게 되는 것을 뜻하는 속담이다.

 訳しますと

寒い冬に足がかちかちに凍ると、暖かい所に行って温めねばならない。 ところでそんな所に行けないなら、どうするか? まず差し迫った状況なので、凍った足におしっこを垂れるとしよう。 人間の体から出てきたおしっこは温かく、当座は若干なりとも凍った足を温める効果がある。 しかし、しばらくしておしっこが冷たくなれば、足は足のまま凍り、そこにおしっこの冷たさが加わって、足はもっとかちかちに凍ってしまうのである。 ここから由来した諺が「凍った足におしっこを掛ける」だ。 ちょっとの間の効果があるだけで、すぐに効力を失い、もっと悪くなるという意味の諺である。

 四字熟語の「凍足放尿」、なるほど意味は分かりました。 「一時のがれ」「その場しのぎ」「間に合わせの方策」「弥縫策」ですね。

 この四字熟語、16世紀の李朝実録に出ているそうですから、朝鮮ではかなり昔から使われている言葉です。 しかし日本語にはこの言葉はありませんねえ。 中国にもあるのでしょうか。 ちょっと調べてみましたが、出てきません。 おそらく朝鮮だけに使われてきた言葉のようです。

 ところで韓国の諺に

언 발에 오줌 누기

というのがあります。 訳すと「凍った足におしっこを垂れる」となり、동족방뇨(凍足放尿)と全く同じです。 しかし諺の意味は「焼石に水」で、何の役にも立たないということです。 四字熟語の동족방뇨は「その場しのぎの方策で、結局は悪化する」ですから、内容は同じでも四字熟語と諺とでは意味に違いがあるのですね。

 こういう韓国語の知識を知ると、楽しくなります。

【関連拙稿】

韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466

韓国語の雑学―下剋上  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987

韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/10/9325273

韓国語の雑学―내로남불(ネロナムブル) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/04/9334079

韓国語の雑学―東方礼儀の国  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/17/9388692

日本進出の焼き肉店「白丁」2021/08/26

カン・ホドンの焼き肉店「白丁」が日本に進出していた

 朝鮮語の「白丁(ペクチョン)」というのは、日本では「穢多」に相当する言葉で、李朝時代から続く被差別身分の賤民を意味します。 平凡社『新版 韓国・朝鮮を知る事典』(2014年3月)では「白丁」は次のように説明されています。

朝鮮の被差別民。‥‥白丁は賤民の代表として厳しい迫害を受けた。 結婚は白丁間のみに限定され、奴婢などと異なって身分上昇の機会は閉ざされていた。 職業の制限は厳しく、農業以外に主として柳細工の製造販売や畜獣の屠殺などに従事し、それがまた差別観念を再生産した。 一般集落に居住することも許されず、町の郊外に彼らのみの集落を形成し、冠や衣服にいたるまで制限されて、一般民衆から賤視された。(456頁左欄)

1894年の甲午改革で身分解放が行なわれたが、5万~10数万といわれる白丁に対する差別はその後も厳存した。 1923年、日本の水平社に刺激されて彼らは衡平社を結成し、解放運動を開始した。 現在は南北朝鮮ともに身分としての白丁は消滅した。(456頁左~右欄)

 読めば分かりますように、朝鮮の「白丁」は日本の「穢多」と瓜二つと思えるほどに非常によく似ています。 そして現在では韓国でも北朝鮮でも、身分としての「白丁」は消えて一般的に見えなくなりましたが、侮蔑語・差別語としての「白丁」は残り、今でも使われています。

 それは個人間のこそこそ話の中だけでなく、大手新聞やドラマ、映画などにも出てきます。(下記参照) この状況は、「穢多」が差別語として絶対に使ってはならないとされている日本から見れば、驚くしかありません。

韓国ドラマに出てくる「白丁」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/31/3552264

韓国映画に出てくる「白丁」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/13/8070271

韓国の有力紙に出てくる「白丁」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/06/30/8121172

脱北者団体が使った「白丁」という言葉 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/08/9056977

「개백정」とは何か?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/12/29/9018451

「白丁」について       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/03/8841899

韓国の進歩系も使う「白丁」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/01/17/9202929

 この差別語を逆手に取ったのか、韓国の有名芸能人カン・ホドンは自分の経営する焼き肉店の名前を「白丁」とし、その名前でチェーン店を展開してきました。 これだけでもビックリですが、この焼肉チェーン店が日本にも進出していたのですねえ。 その名も「カンホドン白丁」。 

https://tabelog.com/tokyo/A1304/A130401/13241638/ https://www.tokyoheadline.com/485018/

 もう本当にビックリですねえ。 日本の「穢多」とほとんど同義の身分差別用語で、しかも今でも罵倒語として使われている「白丁」を、日本進出の店の名前にも使うとは‥‥!

 日本ではこのカン・ホドンの店について知らない人が多く(私も知りませんでした)、だからなのでしょうか、これは問題だと提起する人もおらず、議論されたことがないようです。 そしてこの事実は、日本の部落差別の今後を展望する上で、大いに参考になると思います。

 ところで、ヌルボさんが「白丁」に関して論じておられます。 カン・ホドンの焼き肉店についても詳しく言及されています。。

https://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/bce31979581276248c8116b4e9c6d1f3

https://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/004c7e65061117a64eed0d05bf2330de

植民地朝鮮における日本人の差別・乱暴2021/08/21

 日本が朝鮮を植民地として統治していた時代、日本人が朝鮮人に対してどのような振る舞いをしていたか。 やはり乱暴な日本人が多かったようです。 朝鮮人は日本人の差別発言や乱暴狼藉を見聞きし、また時には自分もその被害者になりましたから、日本人に対して悪感情を持つようになります。

 このような状態が広まると植民地統治に影響を与えますから、朝鮮総督府は日本人に対し、朝鮮人も同じ天皇の赤子なのだから差別・乱暴を止めるように呼びかけます。 それでも言うことの聞かない日本人も少なくなかったようです。

 具体的にどのような差別・乱暴なのか。 2年前の拙ブログで、その一端を示すものを提示しました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083 これは朝鮮総督府の秘書官である守屋英夫が大正時代に行なった講演の一部です。

 彼は次のように日本人の差別・乱暴の例を挙げ、朝鮮人との和睦を訴えています。 拙ブログから再引用します。 出典は朝鮮総督府の定期刊行物である『朝鮮』(大正11年1月号)です。 なお当時は、日本人を「内地人」と称していました。

『民族及び歴史』という雑誌の満鮮研究号に喜田貞吉博士の談が載っていますが、博士が内地人の車夫の人力車に乗って行きますと、すぐ前に朝鮮の紳士を乗せた朝鮮人の車夫が駆けて行ったそうです。 すると内地人の車夫が全速力で追いついたかと思うと、幌を捉えて車を引き止め、驚いて見返る朝鮮の紳士と車夫に向かって「バカ野郎、気をつけろ」と言い放った。 そこで博士が「いくら何でも、前に行く車を引き止めてバカ野郎呼ばわりをするのは酷いじゃないか」とたしなめてやりましたところ、「なに、あなた、ああでもしなけりゃ、つけ上がりますから」と言ったそうであります。 これなども実に乱暴な次第であって、実に内地人として恥じ入らねばならぬと思うのであります。(44頁)

ある日内地人の宅へ朝鮮の婦人が大根を売りに行きますと、そこのお内儀(かみ)さんが「お前さん等はよくウソを言うから調べてみなけりゃいけない。 中が空洞になっているであろう」と言って一本の大根を切った。 「これはいいが、後のはたぶん悪いに違いない」と言いつつ、残っている十本ばかりをみんな切ってしまい、その中からたった一本だけ買った。 そう切られては困るから、どうぞ全部買って下さいと懇願したけれど、その内儀さんは肯かない、果ては大声でわめき立てるので、やむを得ず切られた大根を集めて隣の家に行って、泣いて事情を訴えた。 幸いその人は分かった人であったので、全部の大根を買った上で慰めて帰したというような話も聞くのであります。(44~45頁)

いま総督府の勅任官(本省の次局長級、あるいは府県の知事級)になっておられる某氏(朝鮮人)が帝大専科の学生であった際、休暇に朝鮮に帰ってきて本町通り(京城の繁華街)を散歩しながらガラス張りの店に飾った品物を見ようと立ち寄っていると、店から番頭が出てきて「お買いなされ、お買いなされ」とうるさく言う。 何も買うつもりで立ち寄っているのではないから、適当な値を言ってやると「バカ野郎」と言いさま、横面を殴り飛ばされたということです。 それがとにかく朝鮮の俊秀として帝国大学に学んでいる人である。 将来の、経世の理想を行なおうとする有為の青年が、理不尽に丁稚小僧のために大通りで殴られるというようなことは、感情の問題として実に耐えられないことです。(44頁)

朝鮮に来ている内地人が悪いだけでなく、大体において日本人全体が訓練されていないため‥‥内地人が明瞭にその欠点をさらけ出し、恥を内外に晒しているのであります。(46頁)

慶尚南道の面長(村長に該当)等からなる内地視察団が大阪を通ります時に、二等車に細君を連れた内地の紳士が入ってきて、朝鮮の人を見るや、顔をしかめながら「ああ汚いこんな所に乗れるものか」と言った。 面長の中には、内地語を解する者があったので、この言葉を聞いて腹に据えかねたように見えたのでありますが、たまたまその向こう側に腰掛けておった内地の紳士が「ああいうバカ野郎がいるから、いけない」と言って取りなしてくれたので、同伴の内地属官なども大変気持ちが良かったということであります。(46頁)

奈良の駅では、中学生の生徒らしい者が「朝鮮人のくせに二等に乗るとは生意気だ」と聞えよがしに二度も三度も列車の前を通りながら言い放ったので、皆が憤慨しておったということも聞き及んでおります。(46頁)

だいたい内地人には共通の欠点があります。 それは欧米人が来ると乞食が来ても敬意を払わんばかりでありますが、朝鮮人、支那人その他になりますと高官大官でもややもすると軽蔑し、劣等視するのであります。 この欠点は速やかに除去しなければなりませぬ。 何も朝鮮人、支那人、印度人と申しても軽蔑すべきではないのであります。 また欧米人であるからと言って、一から十まで偉い者ばかりではないのであります。 等しく人格者として敬愛する上に差等を設けるべきものではない。 このことは将来日本の教育上、是非改善しなければならぬ事項と思うのであります。(45頁)

内地の朝鮮人留学生もその通りでありまして、その大半が排日学生になって帰ってくるというのは、内地の人々から軽蔑もしくは冷遇される結果、内地人を信頼するという感情を持ちかね、むしろ疎んじ反抗するようになって帰ってくるのであると思うのであります。 朝鮮内地においては不逞鮮人を捕らえたとか逃したとかいって警務局が大騒ぎをしているのでありますが、現にわれわれ内地人の浅慮短識により、もしくは不用意な言動により、自ら京城なりまたは東京の真ん中において何百人という不逞鮮人の卵を孵化しているのであります。 先ず内地人自らなぜ朝鮮人の信望がなく、かつ人格的感化が認められないかについて深く省み、速やかにその態度を改めるようにならなければならぬと思うのであります。(46~47頁)

 最後のところで、守屋は「われわれ内地人の浅慮短識により、もしくは不用意な言動により、自ら京城なりまたは東京の真ん中において何百人という不逞鮮人の卵を孵化している」と書いているように、日本人の朝鮮人に対する差別・乱暴が朝鮮人を「不逞鮮人」にしているのだと、日本人側の責任の大きさを訴えています。 

 そして「内地人自らなぜ朝鮮人の信望がなく、かつ人格的感化が認められないかについて深く省み、速やかにその態度を改めるようにならなければならぬ」と、日本人側の反省を求めています。 

 総督府のお役人さんが講演でこう訴えねばならないほど、当時は日本人の差別発言や乱暴な振る舞いが頻発していたということですね。 こういう差別・乱暴は、加害者側は直ぐに忘れますが、被害者側はいつまでも記憶しているものです。 被害者側の心のわだかまりはなかなか消えないということを、加害者側は理解しておくべきでしょう。

 日本統治時代に日本人と朝鮮人がどんな関係にあったか。 植民地であったことからくる制度的差別だけでなく、自分たちの優越感をそのまま朝鮮人にぶつけるような心無い日本人が多かったという事実は、忘れてはならないものです。 以上は戦前の植民地時代での話です。

 なお戦後日本人の朝鮮人差別感情および近年の在日・韓国へのヘイトクライムは、上述の植民地時代のそれとは違ったレベルにあります。 ですから同じ次元で扱ってはいけないと考えます。 これについては、また後日に論じます。

【拙稿参照】

朝鮮総督府における給与の民族差別 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/17/9411320

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660

朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045

植民地時代のエピソード(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083

朝鮮総督府における給与の民族差別2021/08/17

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660 の続きです。

 朝鮮総督府に勤める役人には、日本人と朝鮮人との間に民族差別と言うべき給与の格差がありました。 これについて、東京帝国大学法学部を卒業し、高等文官試験合格者であった任文桓の回顧録『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』(ちくま文庫 2015年2月)に次のように回想されています。

(親友の秋山)昌平がたまたまバウトク(任文桓本人のこと)と同じ高校(第六高等学校)、大学(東京帝国大学)を同時に卒え、同年に高文(高等文官試験)を通り、いっしょに朝鮮の役人になった ‥‥ 日本人と朝鮮人の役人間の差別を、一般読者に簡単明瞭に納得させるには、昌平とバウトクを比較してみるに限る。 (222頁)

東京から京城までの赴任旅費としてバウトクには70円が渡された。ところが昌平は60円も多い130円を貰った。(223頁)

バウトクの月給は75円であった。ところが昌平の方は、この金額の6割に当たる植民地勤務加俸なるものが上積みされ、その上に宅舎料なるものまで加給されるので、昌平の月給は130円を上回った。(223頁)

バウトクのように日本で勉強し京城に家一軒持たない者には、加俸も宅舎料もくれないくせに、朝鮮で生まれ、そこで学校を卒え、京城にある豪華な自宅から通勤する者でも、父母が日本人の原種でありさえすれば‥‥大手を振って加俸と宅舎料が貰えた。(224頁)

 日本人と朝鮮人との間には民族の違いというだけで、これだけの給与の差がありました。 当然ながら民族間に葛藤感情が生まれますが、葛藤が具体的に表面化することはなかったようです。 任は次のように記します。

官界というところは、何と言っても月収の嵩が人品を決める標準となる世界であった。 したがってバウトクの下で働いている属僚でも、原種日本人でありさえすれば、月収は彼(バウトク)よりはるかに多く、彼(バウトク)が日本の名門学校で学び、特待生として優遇され、朝鮮の役人中には例がないほどに優秀な成績で高文に合格したと自負してみたところで、彼(バウトク)の部下である原種日本人役人どもは、鼻でこれをせせら笑っていた。 ‥‥年功序列の厳しい官界の仕来りは、内鮮人(内地人と朝鮮人)間においては完全に乱れ‥‥(224頁)

 こういう民族差別は、これは酷いと見るべきか、それとも植民地なのだから当たり前だと見るべきなのか。 差別を受ける側(朝鮮人)は前者、差別をする側(日本人)は後者となるのでしょう。 

 朝鮮総督府の日本人官僚の回想録があって私もいくつか読んでみましたが、朝鮮人との給与格差に言及したものは記憶にありません。 朝鮮人とは同じ官僚としてわだかまりなく仕事をしていた、あるいは日常生活でも仲良く付き合っていた、というようなものばかりでした。 民族差別は余りにも当然で、言及する必要もないと考えられていたようです。

 なお6割増しの外地手当(加俸と呼ばれていた)は、終戦直前である1945年の4月から朝鮮人に支給されるようになったとあります。 ただしいきなり6割増しとなって日本人と同じになったのか、それとも段階的に増やして支給するものだったのか、その点は分かりませんでした。 いずれにしても、日本敗戦=朝鮮解放のわずか四ヶ月前のことでしたから、印象に残らなかったようです。

 また日本人の思い出話に、普段おとなしくまじめに仕事をして信頼していた朝鮮人が終戦後すぐに太極旗を振って「独立」「解放」を叫ぶのを見て驚いたというのがありました。 日本人にとって、「え! まさか? あいつが!?」と裏切られた気持ちになったのでしょうが、植民地下における民族差別の実際をみると、さもありなんと感じますね。

【拙稿参照】

朝鮮植民地史の誤解 ―毎日の読者投稿 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/03/9404045

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660