大阪の民族学級―本名とは何か2021/07/31

 7月19日付けの産経新聞に「児童に勝手な朝鮮名 東大阪市立小の民族学級、保護者の明確な同意得ず」という記事がありました。  https://news.yahoo.co.jp/articles/f6c772b81210af17760d0b2c76020c22a12b8a33

大阪府東大阪市の市立布施小学校の課外活動「民族学級」で、在籍する児童について日本国籍で日本人名を使って生活しているのに学校側が勝手に朝鮮名を付けて呼んでいたケースがあったことが19日、学校などへの取材で分かった。日本名の文字を朝鮮語の読み方をして呼んでいたという。これについて保護者側の明確な同意を得ておらず、学校側は抗議を受けて対応を改めた。学校側は「保護者に説明したつもりだったが、了承を得る取り組みが不十分だった」としている。

 「民族学級」というのは、戦後に日本各地でできた「朝鮮人学校」が強制閉鎖された代償として、いくつかの公立学校に設置された課外クラスです。 朝鮮人の子どもたちに「民族主体性」「民族の自覚」(昔はこんな言い方がよく使われました)を持たせようと、朝鮮の言葉や文化・歴史なんかを教えるもので、正規授業ではなく放課後にする授業です。

 1970年代以降は在日といえば本名(民族名)を隠しながら通名(日本名)で生きるというイメージで、本当は本名を名乗って堂々と生きていきたいのに、日本社会の民族差別のためにそれができないと思われていました。 だから在日は本名を名乗ってこの差別と闘おう(本名を呼び名乗る)なんて主張する運動団体が幅を利かせていましたね。 その運動団体の強い影響の下、一部の先進的な学校や教師たちは在日生徒たちに通名ではなく本名、しかもハングル読みを使わせていました。

 確かに当時は朝鮮人であることにコンプレックスを抱く子供たちが多かったですから、本名を名乗って民族の誇りを取り戻そうとする民族学級の取り組みは、それなりに意義があったと言えます。 しかし今は在日の状況が大きく変わり、その意義が揺らいでいるようです。

母親によると、親族に朝鮮半島にルーツがある人がいることから民族学級に在籍しているが、子供は日本国籍で、日本名で生活している。そもそも朝鮮語読みする名前はない。それなのに民族学級では学校側に勝手に付けられた朝鮮名で呼ばれていた。母親は子供に「嫌ではないか」と尋ねると、「嫌だけど(民族学級の児童は)みんなそう呼ばれているから」と答えたという。

母親がルーツを子供に伝えていなかったにもかかわらず、学校で子供は朝鮮語の名前で呼ばれていた。「朝鮮語読み」をやめるよう学校側に訴えたが、今まで改まることはなかったという。

 この民族学級は元々は在日韓国・朝鮮人子弟が参加するものだったのが、今では親族に朝鮮半島ルーツの人がいるというだけで在日扱いして参加させているようです。 この場合、例えば日本戸籍に登載されている本名が「花子」とすると、「ファジャ」と勝手にハングル読みをさせて、それを学校内で通用させていたというから驚きですね。 「本名を呼び名乗る」運動の理念からすると本名の「花子(はなこ)」と呼ぶべきであって、「ファジャ」は通名になりますから使ってはならないと思うのですが。

 更にもう一つ疑問が湧きます。 「本名」とは何かという疑問です。

 「本名を呼び名乗る」運動時代から提起されていたのですが、例えば外国人登録の名前が「一二三」の在日がいたが、「ひふみ」と読めばいいのか朝鮮語読みして「イリサム」と言えばいいのか。 「イリサム」は韓国・北朝鮮ではおよそあり得ない名前で、こんな呼び方をして「民族の自覚」なんて言えるのか?という疑問です。 

 こういう例が一つ出ると、疑問が次から次へ出てきます。 ある教師がうちの在日生徒の名前は「みどり」で、このひらがな名で外国人登録されている、「本名を呼び名乗る」運動ではこの場合どうすればいいのか? 「みどり」という余りにも日本風の名前をハングルで書いて、それで「民族の自覚」なんて言えるのか?という疑問を提起していました。

 さらには「早智」という在日の子どもにハングル読みして「チョジ」としたら、それは韓国では“おちんちん”という意味になって絶対に付けることのない名前だそうだ、それでも本名のハングル読みをせねばならないのか?という疑問‥‥。

 「好美」という在日の方をハングル読みして「ホミ」としたところ、「ホミ」は日本の某地方の卑猥語で、その地方でそれを口に出せば若い女性は声を震わせ顔を赤らめるだろうということだ、そんな名前をハングル読みする必要があるのか?という疑問‥‥。

 従軍慰安婦問題が出始めた1990年代に、これに取り組んだ活動家の一人の下のお名前は「伊佐子」さん。 彼女は自分の名前を「イサジャ」と名乗っていた。 しかし「伊佐子」のハングル読みは「イチャジャ」であって、「イサジャ」は朝鮮語と日本語のチャンポン読みになる。 つまり「伊佐子」というあまりに日本人風の名前をチャンポン読みしていたのである。 しかし「本名を呼び名乗る」運動側からは何の疑問もなかったですねえ。 

 次々と疑問が出てきたのですが、「本名を呼び名乗る」運動団体では無視されていました。 差別と闘う(=民族主体性=民族自覚)の活動こそが大事だとされていた時代でしたから、朝鮮語風に名乗りさえすればいい、あるいは日本人でないことさえ分かればいい、そんな考え方でしたね。

 今回の民族学級でも、何はともあれハングル読みだ、それは「在日」みんなが望んでいるはずだ、などと考えていたようです。 そこを産経新聞が突いたということでしょう。

【追伸】

 産経新聞7月21日・24日付で、続報が出ています。 ただし21日付けは消去されています。 内容は19日付けの記事の要約みたいですね。  https://news.yahoo.co.jp/articles/840d6e2a973242a16e260d8835228a97a0c40233

【拙稿参照】

二つの名前を持つこと          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/27/6493072

在日の本名とは?            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/01/6497383

通名を本名と自称する在日        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499

日本名を本名とする在日朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663657

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

在日の通名使用の歴史は古い       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526

ある在日の通名騒動記          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/16/6904707

通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152

外国人が通名で銀行口座を設ける場合   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/13/6945717

外国人の名前              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/16/6948002

在日の通名は特権ではない        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/23/7019964

通名登録制度を悪用した事件       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/02/7031887

本名強要は人格権侵害ー判決       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/24/7618561

「本名を呼び名乗る運動」考  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai

(続)「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai

「本名の朝鮮語読み」考    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuichidai

「通名と本名」考       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai

「左」が担った「通名禁止」運動(3)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710

外国と日本の文化の違い―卑猥語(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358120

人に卑猥語を言わせるトンデモ俗悪人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/28/9351491

熱海土石流―「同和」の体質と恐怖2021/07/26

 去る7月3日に起きた熱海土石流災害で、その原因となった盛り土を不正造成した業者が同和企業であることが、ネット上で話題になっていますね。 しかし、マスコミにとってはやはり「同和」はタブーなのでしょうか、追及が鈍いですね。

 一方でネットでもマスコミでも、行政が悪事を知っていながら見逃していたのではないかと、市や県の責任を問う意見が強いようです。 それは当然といえば当然なのですが、しかしこれは「同和」をよく知らない人が言っているように思われます。

 1970年代以降の、いわゆる「同和団体」傘下の同和業者の違法行為や行政指導無視、そしてこれを是正させようとした行政担当職員が受ける恐怖。 これは体験したことのない人には理解が難しいのではないかと思います。 ですから、これに言及しないで行政責任を問うのはいかがなものかと考えます。

 ところで私は40年以上前ですが、同和企業でアルバイトをした経験があります。 その体験から見た同和企業とはどういうものだったか、拙ブログ7月11日付でその思い出話を書きました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/11/9396847

 要点を再録しますと、

私はこれを知って、40数年前に同和企業でアルバイトしていたこと思い出しました。 そこはH県I市のHという同和地区にあったN組という土建会社でした。 私は土建の知識なんて全くなかったのですが、驚きの連続でした。 一例を挙げますと、

会社は農業用水路改修工事を請け負った際に、近くの空き地を残土の仮置き場として借用した。 そうしたら会社はどうしたか。 空き地内に運び込まれた残土を周りに高く盛り上げて、周囲から見えないようにした。 そうすると残土の山の内側は平らな地面として残る。 次にこの平坦地を深く掘り下げて、その土を売り飛ばす。 台地の地山の土だったから埋め立てに使うのにちょうどいいので、そこそこに売れたそうだ。 そして借地の真ん中に空いた穴に、今度は産業廃棄物を含んだ泥土を埋めていった。 産業廃棄物はいつの時代でも同じだが、廃棄には苦労するもので、多額の費用が掛かる。 会社はこれを引き受けて、実際はこの穴に放り込んだのであった。 最後は穴をきれいに埋めて整地し、所有者に返還して終わった。

当時の私は土建の知識がありませんでしたから、会社の人から、土建屋はどこでもこれと同じことをしている、お金を出して他人の土地を借りてもお金を儲ける、これが知恵というものだと言われて、土建業界ってすごいところなんだと思ったものでした。

そして行政から何か言われたら、こっちは同和だと言い返せばいいと教わりました。 ただ当時は、同和は社会から差別された存在と学校で習っていましたから、それが特段悪いこととは思っていませんでした。

 このうちの「行政から何か言われたら、こっちは同和だと言い返せばいいと教わりました」というところです。 何だ、そんなことか、と思われるでしょうが、「同和」に直接関わったことのない人には分からないでしょうねえ。

 私のアルバイト経験では、ある工事でこんなことをしたら近所から苦情が来ますよと言ったら、「それやったら俺が出て行ってやる、この顔を見せたらビックリして引っ込むから」と言っていましたねえ。 つまり見ただけで恐ろしくなるような雰囲気を持った人間―そんな人が実際にいたのです。 一般人が見たら怖くて喋れなくなります。 だから行政に苦情を入れることになります。 そして行政担当者は毎日のようにかかってくる苦情の電話に応対して、現場に行政指導に行っても業者からは全く無視されるし、そしてあの怖い顔を目の当たりに見なければならず、ついには「僕は同和に殺される」と嘆いておられましたねえ。

 ここまで書くと、さらにその行政担当者になりかわって言ってあげたくなります。

 行政担当者の嘆きのもう一つは、それを訴える場がないということです。 マスコミは「同和」と聞いてしり込みして追及しようとしないし、警察は犯罪でない以上こちらは関係ないという態度です。 そして市当局は市民に向かって「同和問題の解決は全国民の課題!」なんて呼びかけていますから、同和業者の社長は市長なんかとしょっちゅう会っていて、知人関係になっています。 ですから市長はじめ市幹部連中は自分のところの職員からの、同和業者がどれほどエゲツないのかという情報を最初から聞く耳を持ちません。 結局担当者は上司からも守ってくれずに一人で孤立し、同和業者の違法行為を見逃すような事態になります。 すると同和業者は行政なんか怖くないと公言し、またそれを自慢し、更なる違法・迷惑行為を平然と繰り返します。

 この「違法・迷惑行為」に、私もアルバイトとして関わっていたのですから、私も同罪ですね。 このようなことは忘れねばならないと思ったので、今まであまり言わないようにしてきました。 しかし熱海土石流災害を見て、少しずつ思い出してきます。 やはり言っておかなくてはならないと考え直しました。

 ところで拙ブログで、私は同和企業の共通する特徴として、次のように論じました。

その後、他地域でも悪い評判の立つ土建屋には必ずと言っていいほどに同和企業が含まれていることを知りました。 こういう経験をして、私はようやく同和企業に共通する体質というものがあるのではないかと思うようになりました。

「共通する体質」とは、前述したように法令違反と行政指導無視を平然と行なうこと、同和であることを公然と示すこと、特に立場が悪くなりそうな時には効果が大きい、そしてその場さえ切り抜けたら、後はどうなっても知らぬ顔をする‥‥といったところです。

ここが、熱海土石流の原因をつくった同和企業と、私がアルバイトで働いたことのある同和企業の共通点だと感じましたね。

 今回の熱海災害は、例えば『デイーリー新潮』などがその業者を追及しています。https://news.yahoo.co.jp/articles/c5b953a672f27ce3889a2fd1de2b9cd5c27f9519  しかしその悪徳業者が「同和企業」であり、上述したような典型的な「同和」体質を身に着けて周囲に「同和」の恐怖を与えていた、という点まで追及してほしかったですね。 

 こういう類の話はかつては西日本で解放同盟関連が多かったのですが、今回は東日本で自由同和会ですね。 「同和」の体質は変わらずに、場所が西から東へ、そして組織が解同から自由同和へと変えていっているのかなあ、という印象ですね。

 「同和」に対しては、マスコミは今なおタブー扱いです。 今度の事件を機会に「同和の体質と恐怖」が明るみに出ることを願っています。

【拙稿参照】

同和企業の思い出 ―熱海土石流災害を見て http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/07/11/9396847

差別問題の解決とは?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

同和出自を明かすことは‥‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/13/9267584

解放運動の闇専従-森山栄治  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/12/18/9190648

深沢潮さん―毎日記事への違和感2021/07/22

 7月15日付の毎日新聞に、深沢潮さんを取材した記事である「差別が許されないのは恥だから? 在日作家・深沢潮さんの違和感」を読む。 (有料記事なので、関心のある方は図書館にでも行ってください) https://mainichi.jp/articles/20210714/k00/00m/040/333000c

 こんな在日像(被差別・被害者)を公言する人が今でもいるんだなあという感想ですね。 深沢さんは1966年生まれとありますから、この世代までもがこういう感覚を持ち続けているのだろうか、と思いました。 在日をどう考えるかは人それぞれですから、それはそれでいいのですが、昔を知る私にとっては、これはちょっと一言しておかねばならないと思うところがありました。 それを紹介します。

普段は日本の通称名を使っている女子大生の「金田知英」はパスポート取得を機に自分の国籍を改めて意識し、「日本人ではない」事実に戸惑いを覚える。

 これはご自分が書いた小説での話ですが、おそらくご自身の体験談だと思われます。 「パスポート取得を機に自分の国籍を改めて意識し、『日本人ではない』事実に戸惑う」とありますが、パスポートを見て初めて「国籍を意識」するなんて、ちょっとビックリ。

 在日は16歳の時に外国人登録をするのですが、普通はこの時に「国籍を意識=日本人でない」ことを自覚するものです。 深沢さんは1966年生まれですから、1982年頃に指紋押捺をしたはずです。 その時に黒く塗られた左手人差し指を見ながら、自分は日本人ではないと意識するものですがねえ。 

 またそうでなくても、自分が外国人であることはどこかで判明するものです。 例えば住民票の提出を求められたら、代わりに外国人登録済証を出したとか(2012年までは外国人には住民票がなかった)、そんな経験をしたはずです。

 ですから大学生時代にパスポートを取得して初めて「国籍を意識」するなんて、あり得るのだろうかという疑問が湧きます。

小学6年生の時に初めて韓国にある父の田舎に行ったんです。確か冬休みで、日本に帰ってきた後に自分のことをみんなに言いたくなったんですよね。学校で朝、スピーチする時間があって『実は韓国人です』と話した

 小学6年生の時に、学校でみんなに「韓国人」だと明らかにしたということです。 小学生時代に親の故郷である韓国に連れられて行って、そこで親戚から歓迎されたという話ですね。 これは日本人の子でも親の故郷に行ったという話はよく聞くもので、それと変わらないと思います。 ところが中学校になると、次のような事件が起きます。

中学3年生のときには別の意味でショックを受けた。通称名を使っていたのに、なぜか友達に在日であることが知られ、突然距離を置かれるようになった。

 つまり小学校の時に自分は日本人ではなく韓国人だと名乗ったのですが、中学校の時は周囲の級友たちは誰もそれを知らず、3年になってようやく知られて差別されるようになった、ということです。 果たしてこんなことがあり得るのだろうか? という疑問が湧きます。 中学校は遠く離れていて、小学校時代の彼女を誰も知らなかったということなのでしょうか。

大学時代にはケーキ屋でアルバイトをしようとして、日本国籍ではないことを理由に断られたことも。在日に対する構造的な差別が社会に組み込まれ、就職活動では多くの一般企業に応募すらできなかった。採用されたのは、国籍を問わない外資系の証券会社。やりたい仕事ではなく、「入れる会社に入った」結果だった。結局仕事が合わず、半年で退職した。

 ここが一番ビックリしたというか、あり得ない話だろうと思ったところです。 彼女は1966年生まれですから、大学時代は1985~1989年頃と判断されます。 この時期の日本はいわゆるバブルに差し掛かる時期で、人手不足が深刻化し始めた頃です。 その時にアルバイトを申し込んだら「日本国籍ではないことを理由に断られた」とは、ビックリ。絶対にないとは言えませんが、当時を知る私には信じられない気持ちです。

 さらに大学卒業時は1989年前後ですから、正にバブルの真っ最中です。 人手不足が最高潮でしたねえ。 また1970年代半ばのいわゆる日立闘争で在日の就職差別が違法とされて、それ以降一般企業は採用時に国籍を問わないようになりました。 日立闘争以後とバブル最盛期という時期に、一般企業が外国人からの応募を最初から断るなんて、およそあり得なかったと思うのですが‥‥。 

 ただし在日の中には、どうせ日本企業に入れないだろうし、入っても在日だからと差別されるだろうからといって、最初から就職活動しなかった人も少なくなかったです。 当時、在日の就職活動を支援し就職情報誌を発行していた人は、在日は日本企業、とりわけ大企業へは就職活動する前から躊躇する傾向があると嘆いておられましたねえ。 深沢さんもこういう類の人だったのだろうかと想像しました。

「韓国人の血は入れられない」「韓国人なんてガッカリだ」。付き合っていた日本人男性は相手が在日だと分かった途端、こんな言葉を平然と言い放った。

 彼女はこの男性と付き合っている間、自分が韓国人だということを知らせていなかったのですねえ。 前後の文脈から、これは彼女が25歳前後と推定されます。 とすると1991年前後。 この時代に「韓国人の血は入れられない」「韓国人なんてガッカリだ」という男がいたことに、ビックリ。 こんな男と知って、早く別れてよかったですね、と言うしかないです。

 なお「韓国人の血は入れられない」というのは、1980年代までは「部落と朝鮮はダメだ」と強く主張するお年寄りがよく言っていました。 理由は「そんなのと結婚したら、血が濁る」というものでした。 お年寄りの差別発言はエゲツないものでしたね。 しかし1990年代にはそんなことを言う年寄りはいなくなりました。 しかし深沢さんは若い男性から言われたといいますから、ビックリです。

深沢さんは27歳のとき、お見合いで知り合った同じ在日韓国人の男性と結婚した。

深沢さん自身は妊娠を機に、30歳で日本国籍を取得した。

 昔は、在日は結婚相手も在日でなければならないと、在日専門の結婚仲介所があちこちにありました。 しかし在日の若者も日本の若者と同様に、親の言う通りにお見合いして結婚するなんて嫌がる傾向が強くなり、1990年代に衰退していきましたね。 しかし彼女はそんな時代に在日同士で見合い結婚したというのですから、何と親孝行な娘さんなのかと感心します。

 しかし彼女は結婚3年後に妊娠を機に帰化したとあります。 ふつう在日同士の結婚の場合、国籍や民族で悩むことがありませんので、直ぐに帰化することはあまりないものです。 子供が小学校に上がる頃か、あるいは子供が成人になる前に帰化を考える人が多いです。 結婚わずか3年後に子供が生まれる前に帰化を決めたのは、ちょっと珍しいですね。

 なお在日同士で結婚した場合、その子は韓国籍となります。 注意しなければならないのは、韓国籍の男子には兵役の義務があり、在日は単に免除されているだけだということです。 韓国人男子は韓国領事館に行って兵役免除の証明をしてもらわねばならず、これを怠ると、韓国に入国する時に徴兵されるかも知れないということです。

 そうでなくても韓国では、徴兵年齢期間中の男子は徴兵に応じない限り国籍離脱を認めてはならないとする主張が強くなっています。 そうなれば、20~29歳に軍隊に行かない在日男性は韓国の国籍離脱が出来ませんので、日本への帰化が困難になることでしょう。 あるいは日韓の二重国籍でしたら一方の韓国国籍離脱ができませんから、国籍がややこしくなります。

 以上は将来の話で実際のことではありませんが、私は在日男子のいる家庭には、19歳の徴兵検査年齢に達する前に帰化した方がいいですよと勧めています。 (韓国では19歳に徴兵検査、20歳以上が実際の兵役となります)

 毎日新聞の記事を読みながら、感想を書いてみました。

尹東柱と孫基禎の国籍について2021/07/18

 7月8日付けの『中央日報』で、「ウィキペディア日本語版に尹東柱詩人の国籍を『日本』に表記…修正を要求」と題する記事が出ました。 ↑は、それに掲載された「ウィキペディア」の部分です。 問題になったところには赤線が引かれています。

https://news.joins.com/article/24100893   https://japanese.joins.com/JArticle/280543?servcode=A00&sectcode=A10

 記事の内容は、尹東柱に関するところは次の通りです。

中国のポータルサイト「百度(バイドゥ)」で尹東柱詩人の国籍を中国と表記したことに続き、今度は日本語版ウィキペディアが尹東柱詩人の国籍を日本と表記した。

誠信(ソンシン)女子大学の徐ギョン徳(ソ・ギョンドク)教授は8日、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に投稿してこのように知らせた。

徐教授は「情報提供を受けたが、日本語版ウィキペディアでは尹東柱の国籍を日本と紹介している」と指摘した。ウィキペディア日本語版のホームページ(ja.wikipedia.org)で「尹東柱」を検索すれば、日本国籍の詩人という説明が記されている。

徐教授は「抗議のメールを送って強く修正を要求した」とし「尹東柱詩人が日帝強占期に活動したのは歴史的なファクトだが、彼は日本人でなく韓国人という事実を全世界にきちんと発信すべきだ」と強調した。

 今ウィキペディアを開いてみますと、「日本国籍の詩人」は、「中華民国時代の満州・間島出身の朝鮮民族の詩人」と書き換えられています。 おそらく徐教授の抗議があったためでしょうね。

 尹東柱の国籍については以前に拙ブログで論じたことがありますので、お読みいただければ幸甚。  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/13/9356544   要は、尹東柱は日本国籍を有した朝鮮人だったのであり、その生涯において韓国国籍や中国国籍を有したことはない、ということです。

 さらに記事では、ベルリンオリンピックのマラソン優勝者である孫基禎の国籍についても言及しています。

最近、日本は日本オリンピック委員会(JOC)のサイトでマラソン選手の孫基禎(ソン・ギジョン)氏を日本人のように紹介して論議を呼んだことがある。サイト内の「オリンピック日本代表選手団 記録検索」によると、1936年ベルリン五輪で金メダルを獲得した孫基禎選手を背景説明なしにまるで日本人のように紹介している。

徐教授は「孫基禎選手に対する紹介を歴史的背景の説明なしに『日本人』としか広報していないなど、歪曲がさらに深刻になっている状況」と指摘した。

一方、2月中国ポータルサイトの百度は尹東柱詩人の国籍を中国に表記し、民族を「朝鮮族」と表記して論議を呼んだ。徐教授は「百度側に持続的に抗議しているが、まだ変わっていない」と強調した。

 ここで孫基禎と尹東柱の二人の国籍をまとめて論じますと、 孫基禎は1912年、尹東柱は1917年の生まれです。 ところで1910年日韓併合によって大韓帝国という国家が消滅しました。 そして亡命政権とされる大韓民国臨時政府の樹立は1919年ですから、1910年から1919年までの10年間は、朝鮮人たちが属していた国家は大日本帝国です。 従ってこの時期の出生である孫基禎や尹東柱は日本国籍を持って生まれました。 

 1919年に上海に韓国臨時政府ができるのですが、世界でこれを承認する国は一つもなく、また「政府」を名乗りましたが、構成員である国民がいない状態でした。 つまり臨時政府は国籍事務をする意図も能力もありませんでした。 従って1919年以降も朝鮮人たちの国籍を証明することのできた国家機関は、引き続き大日本帝国だけでした。

 そして尹東柱は1945年2月に亡くなりました。 敗戦の6ヶ月前ですから、朝鮮は日本統治下でした。 ですから彼は生まれてから死ぬまでの間、大日本帝国の臣民でした。 彼は他の国籍を有したことがなく、日本国籍で一貫していたと言うことができます。

 ところで1945年に朝鮮は日本の植民地から解放され、南朝鮮には米軍が、北朝鮮にはソ連軍が占領して軍政を敷きます。 1948年に南に大韓民国(韓国)、北に朝鮮民主主義人民共和国(共和国)が樹立されましたから、その時になってやっと、南の朝鮮人は「韓国」、北の朝鮮人は「共和国」の国籍を有することになります。 それまでの1945~48年の3年間は国家というものがなく、国籍がなかったのでした。

 ですから孫基禎は1948年から韓国の国籍者となり、2002年に韓国国籍者として亡くなりました。

 まとめますと、孫の国籍の経歴は日本国籍(1912~45) →無国籍(1945~48) →韓国籍(1948~2002)という変遷を経たことになります。

【拙稿参照】

尹東柱の国籍は? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/13/9356544

尹東柱は中国朝鮮族か韓国人か   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/04/21/8075000

『言葉のなかの日韓関係』(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/09/6772455

孫基禎が学徒兵志願を訴える―親日行跡 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/09/9355293

孫基禎は植民地支配に抗議したのか?  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/03/9352492

孫基禎の写真   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/05/9353642

同和企業の思い出 ―熱海土石流災害を見て2021/07/11

 今月3日に起きた熱海の土石流災害。多数の方が犠牲になっており、ご冥福をお祈りします。

 ところでこの土石流の原因が、裏山の伊豆山に施行されていた盛り土が崩壊したことによるものとされています。 その経過は、7月10日付け毎日新聞によると次の通りで、関連部分を引用します。(有料記事ですので、詳しくは図書館にでも行ってご確認ください) https://mainichi.jp/articles/20210710/ddm/003/040/066000c

盛り土があった場所は海岸から約2キロの逢初(あいぞめ)川最上流部だ。神奈川県小田原市の不動産管理会社(清算)が2006年にこの地点を含む上流一帯の土地を取得し、盛り土を造成した。同社が静岡県土採取等規制条例に基づき、07年3月に熱海市に出した届け出によると、0・94ヘクタールの土地に3・6万立方メートルの盛り土をする計画だった。

ところが、土石流発生後に静岡県が10年1月の国交省のデータなどを基に推計すると、盛り土の総量は届け出の1・5倍の5・4万立方メートルに上っていた。崩落災害を防ぐ観点から、県の技術基準は盛り土の高さを原則15メートル以内と制限しているにもかかわらず、問題の盛り土の高さは最大50メートルに達していた可能性がある。

流れた土砂の総量は5万5500立方メートル。大半は盛り土とみられ、起点以外では土砂の流出は限定的だったとされる。起点が盛り土の部分なのか、山の地肌部分かは明確ではないものの、県は盛り土が被害を大きくした要因とみている。

盛り土を造成した不動産管理会社を巡っては、法令違反の発覚と行政指導が繰り返された。07年4月、盛り土の造成面積が条例で規制する1ヘクタールを超えることが判明し、県は翌月に文書で指導した。この違反は是正されたが、10年8月には産業廃棄物の混入が確認されたため、県が撤去を求めた上、熱海市は翌月に工事の中止を指導した。しかし同社は行政の指導に従わず、是正されないまま土地は11年2月、東京の企業グループ前会長に売却された。

住民の間には「11年以降も土砂を積んだトラックが上流へ向かうのを見た」との証言が複数ある。盛り土については「量と期間からみて、前の所有者(小田原市の不動産管理会社)だけが搬入したのではない」との見方もあり、県は経緯を詳しく調べる考えだ。

 土石流の原因となった盛り土の造成工事をしたのは、法令違反と行政指導不服従を繰り返した「小田原市の不動産管理会社」です。 この会社の社長が天野さんという方で、自由同和会神奈川県本部の会長です。 自由同和会なんて知らない人が多いでしょうが、部落解放同盟などとともに、いわゆる同和団体の一つです。 つまり無茶な盛り土工事をしたのは、同和企業ということですね。

 私はこれを知って、40数年前に同和企業でアルバイトしていたこと思い出しました。 そこはH県I市のHという同和地区にあったN組という土建会社でした。 私は土建の知識なんて全くなかったのですが、驚きの連続でした。 一例を挙げますと、

会社は農業用水路改修工事を請け負った際に、近くの空き地を残土の仮置き場として借用した。 そうしたら会社はどうしたか。 空き地内に運び込まれた残土を周りに高く盛り上げて、周囲から見えないようにした。 そうすると残土の山の内側は平らな地面として残る。 次にこの平坦地を深く掘り下げて、その土を売り飛ばす。 台地の地山の土だったから埋め立てに使うのにちょうどいいので、そこそこに売れたそうだ。 そして借地の真ん中に空いた穴に、今度は産業廃棄物を含んだ泥土を埋めていった。 産業廃棄物はいつの時代でも同じだが、廃棄には苦労するもので、多額の費用が掛かる。 会社はこれを引き受けて、実際はこの穴に放り込んだのであった。 最後は穴をきれいに埋めて整地し、所有者に返還して終わった。

 当時の私は土建の知識がありませんでしたから、会社の人から、土建屋はどこでもこれと同じことをしている、お金を出して他人の土地を借りてもお金を儲ける、これが知恵というものだと言われて、土建業界ってすごいところなんだと思ったものでした。

 そして行政から何か言われたら、こっちは同和だと言い返せばいいと教わりました。 ただ当時は、同和は社会から差別された存在と学校で習っていましたから、それが特段悪いこととは思っていませんでした。

 しかし結局はこの会社の評判の悪さを知るようになって辞めたのです。 同和だから悪いのではなく、会社のやり方が悪いからと思っていました。

 しかしその後、他地域でも悪い評判の立つ土建屋には必ずと言っていいほどに同和企業が含まれていることを知りました。 こういう経験をして、私はようやく同和企業に共通する体質というものがあるのではないかと思うようになりました。

 「共通する体質」とは、前述したように法令違反と行政指導無視を平然と行なうこと、同和であることを公然と示すこと、特に立場が悪くなりそうな時には効果が大きい、そしてその場さえ切り抜けたら、後はどうなっても知らぬ顔をする‥‥といったところです。 

 ここが、熱海土石流の原因をつくった同和企業と、私がアルバイトで働いたことのある同和企業の共通点だと感じましたね。

【拙稿参照】

差別問題の解決とは?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

同和出自を明かすことは‥‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/13/9267584

社会的低位者の差別発言     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/05/09/9244588

児童虐待暴言「橋の下で拾った子」は朝鮮由来か?2021/07/07

 2年程前に、「お前は橋の下で拾ってきた子だ」という児童虐待暴言は日韓で共通すると論じました。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/09/9125209

 この暴言に関して、尹学準さんが著書の中で次のように触れているのを見つけました。

(紹修)書院を出てからちょっと走ったところで運転手が突然車を停めた。小さな橋のたもとだった。

「これがあのチョンダリ(チョン橋)ですよ」と言った。

なるほどこれがかの有名な『チョンダリ』か――。私は何の変哲もない小さな橋をしげしげと眺めながら、はるか遠い幼児期に想いを馳せた。

朝鮮では子供をからかうときによく、「実はお前はどこそこの橋の下で拾ってきた子なんだよ」とか、言うことを聞かない子供に対して、「そんな聞き分けのない子供はチョンダリの下へ捨てっちまうぞ」と脅かしたものである。

私に八親等の弟がいた。今はすでに五〇を過ぎた中老の域に達していて社会的にもかなりの地位にいるのだが、その弟が本家のアンバン(居間)で大人たちからからかわれていた。「実はチョンダリの下で拾ってきた子なんだ。だからお前は本当は尹家の子ではなく、どこか苗字さえも分からない子なんだ」といってからかったのである。しかし、とびっきり利発な彼は、「また始まった」と言わんばかりの涼しい顔でニヤニヤしていた。そのとき、傍で黙って聞いていた彼の父親が突然、

「いやはや、あの日は本当に寒かったなあ」と表情一つ変えずに言ったものだから、彼ははじめてわっと泣き出したのである。

むかし、この周辺の女どもが、書院で勉強していた儒生たちと浮気して生んだ赤ちゃんを、処置に困ってこの橋の下に捨てて逃げたということから、こういう戯れなあそびが広まったのである。  (以上は尹学準『歴史まみれの韓国―現代両班紀行』亜紀書房 1993年1月 232~233頁)

 「書院」というのは李朝時代の在郷私立儒学教育施設で、朝廷から扁額や書籍、田土などが下賜されました。 その最初の賜額書院が、ここに出てくる「紹修書院」です。 その後の朝鮮ではこの「賜額書院」が全国にいっぱい作られ、書院らは時に国政を揺るがすほどの激しい是非(シビ―闘争・党争・ケンカのこと)を繰り広げました。 朝廷はたびたび禁令を発しましたが収まらず、1871年に大院君が47書院以外を強制的に撤去しました。 これは朝鮮史の概説にも出てきますから、みなさんもご存知と思います。

 その最初の紹修書院の近くに「チョンダリ」という橋があり、その橋が児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」の舞台だったというのが、著者の幼児期の思い出話です。 

 著者の尹学準は1932年生まれですから、この思い出話は1930年代後半と推定できます。 ですから、その頃には「橋の下で拾ってきた子」の暴言は朝鮮ではすでに広まっていたと考えられます。

 ところでこの暴言は、日本では少なくとも戦後に全国に広まっていました。 しかしその起源について、つまり何時どこから始まったかについては定かではありません。 今言えるのは、日本でも朝鮮でもこの暴言がかなり以前から広く分布するということだけです。

 私は日本が起源で近年に韓国で広まったと思っていたのですが、そうではなく朝鮮でも昔から広がっていたということですね。 とすると暴言の起源は、日本と朝鮮で偶然に同時に生じたものなのか、或いは最初は朝鮮で生じていて植民地時代に日本に広がった、となるのかも知れません。 

【拙稿参照】

児童虐待の暴言「橋の下で拾ってきた子」は日韓共通だが‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/09/9125209

金九―「妻の体を売ってでも美味しいものを」2021/06/30

 韓国の『中央日報』2021年6月29日付けの「【中央時評】コンプレックス民族主義と歴史清算=韓国」と題する記事を読む。  https://news.joins.com/article/24093297     https://japanese.joins.com/JArticle/280208    この記事の冒頭は、次の通りです。

金九(キム・グ)は韓国人が最も尊敬する人物のひとりだ。私はそうでない軸に属するが、かなり以前『白凡日誌』を初めて読んで受けた衝撃のためかもしれない。監獄生活の苦痛をありったけぶちまけた後、彼はこう続ける。「妻が若いので体を売ってでも美味いものを持ってきてくれたらとさえ思う」。

今日の政治家が金九のような言葉を残したとすればどうなるだろうか。社会も変わり、人々の意識も変わった。しかし今日、私たちが金九の話をどう思おうが、彼の言葉が当時の社会と人々の意識を反映しているのは事実だ。それを認めることは歴史に対する基本的態度に続く。今日の社会と意識を歴史的状況にかぶせることは、歴史解釈ではなく脚色あるいは創作だ。

 金九は李朝末期から植民地時代・大韓民国時代にかけての反日民族主義者として超有名人で、現在でも「韓国人が最も尊敬する人物のひとり」です。 ソウルには彼を顕彰する「白凡・金九記念館」があります。 彼の経歴や業績、評価についてはネット上でもかなり知ることができますので、関心のある方はお調べ下さい。

 ところで、この記事の中で私の目を引いたのは、金九が獄中で「妻が若いので体を売ってでも美味いものを持ってきてくれたらとさえ思う」とした部分です。 本当かな?と思って、平凡社東洋文庫『白凡逸志―金九自叙伝』(昭和48年6月 梶村秀樹訳注)を取り出して探してみました。 すると確かにありました。

いっそう耐えがたいのは、飢えさせる拷問だった。飯の量をぐっと減らしてかろうじて死なない程度だけ食べさせるのだが、こうして腹がすきにすいているときに、(ひとが)差し入れを受け取って食べている肉汁やキムチのにおいをかいだときなどは、食べたくて気が狂いそうになった。「妻が、年若いその身を売ってでも、おいしい食べ物を毎日いれてくれればよいのに」というような、あらぬ考えさえ浮かぶのだった。 (186頁)

わたしは、「女房を売ってでもおいしいものを思うぞんぶん食べてみたい」などと考えていたころに、警務総監明石元二郎(いわゆる憲兵警察の総元締め)の部屋に呼び入れられて、たいへんな優遇をされた。これ以下はないというような下の下の待遇にげんなりしていたわたしにとって、この優遇が嬉しくないわけがない。 (187頁)

 以上の二ヶ所です。 妻の体を売ってでも美味しいものを食べたい。 当時の朝鮮社会で実際にあったことかどうかは分かりませんが、金九がそうしたいと考えたのは事実でしょう。

 人間は追い詰められると、こんなことまで考えるようになるということでしょうか。 あるいは、妻の体を売ることにそれほど抵抗感がなかった時代だったということでしょうか。

 当時の女性の地位が極めて低く、男性は축첩(蓄妾)することが珍しくなかったですから、妻に売春させて金銭を得ることにハードルが低かったのではないかと私は思うのですが、どうなんでしょうかねえ。  そういう発言に違和感がなかった時代ということなのでしょう。

 今の韓国人が歴史上人物でもっとも尊敬するとされる金九が、実は「女房を売ってでもおいしいものを思うぞんぶん食べてみたい」と恥ずかしげもなく言っていたという事実を知ることができました。 こんな言い方は今の価値観で過去を裁断するものなのですが。

【拙稿参照】

伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/29/9146768

移民の犯罪率は高いのか2021/06/23

 6月21日付け毎日新聞に「データから読み解く『移民と日本』 失業・貧困、社会問題に直結 実態と将来、気鋭の社会学者が新書」という、ちょっと長ったらしい標題の記事がありました。 インターネット版は有料記事なので、勿体ないと思う方は図書館にでも行ってみてください。 https://mainichi.jp/articles/20210621/dde/014/040/004000c

 日本は移民が増え続けており、それに対する不安感も大きくなっています。 そのうちの一つが移民は犯罪が多いのではないか、というものです。 それについて記事では、『移民と日本社会』(中公新書)の著者である永吉希久子さんから取材して、次のように論じています。

永吉さんも参加した研究グループによる2017年の意識調査では、「日本に住む外国人が増えるとどのような影響があると思うか」という問いの2項目「犯罪発生率が高くなる」「治安・秩序が乱れる」について、同意を示した人がいずれも6割を超えた。実際、17年の移民の犯罪率は、日本の総人口における一般刑法検挙人員数割合が0・2%だったのに対し、0・4%程度とされる。だが、これを基に「移民の犯罪率が高いとは断定できない」と本書はいう。どういうことか。

たとえば移民と自国民では年齢や性別などの人口構成が異なり、単純比較はできない。さらに犯罪に至る背景はさまざまで、「貧困などの経済状況やその人が置かれている社会状況も考慮にいれる必要があります」。諸外国の調査結果をみても、少なくとも「移民を受け入れれば犯罪率が必ず上がるとはいえません」と言う。

 記事では移民の犯罪率について書かれているのは、これだけです。 要するに日本人の6割以上が移民は犯罪率が高く、治安が悪くなるという不安を持っている。 確かに人口当たり犯罪率は日本人0.2%、移民0.4%という数字がある。 しかしだからと言って「犯罪率が高いとは断定できない」「犯罪率が必ず上がるとはいえない」と論ずるものです。 

 0.2%と0.4%、倍も違う数字です。 これで何故「犯罪率が高いとは断定できない」となるのか、そこが理解できないところです。 高いなら高いことを事実として受け止め、これを低めるにはどうすればいいのか等々、つまり移民政策をどう築くべきかを考えるべきだと思うのですが‥‥。 

 また犯罪の背景には「貧困などの経済状況や‥‥社会状況」とあります。 しかしこのような「背景」を考慮したとしても、犯罪外国人には同情できるものではなく、冷たい目を送るしかないでしょう。 どんなに貧しくても、歯を食いしばって犯罪に手を染めない外国人がたくさんいるのですから。

 私の付き合っている狭い範囲の話ですが、外国人労働者(=移民)はほとんどが法やルールを守ろうとしています。 彼らが一番恐れているのは在留資格を失い、本国に送還されることです。 ですからトラブルを出来る限り起こさないように、いつも気を使っていました。 免許を持っていても車を運転しません。 もし違反して捕まったら、在留資格を失うかも知れないと思うからです。 確かに違反が繰り返されると、その可能性は出てきます。 軽微な違反でも、永住資格申請に支障をきたします。 だったら最初から運転しない、となります。

 それほどまでに気を付けて生活している外国人を見てきましたから、私はむしろ日本で働く外国人(=移民)は当初は言葉や文化の違いでトラブルが多少あっても、犯罪は少ないと思っていました。 しかし今回の毎日の記事では、移民の犯罪率は日本人の倍となっていますから、ちょっと驚いた次第。

 これをどう考えたらいいのでしょうか。 一方では法とルールを守ろうと努力する多数の外国人がおり、他方では罪を犯す少数の外国人がいます。 大事にせねばならないのは当然前者の外国人です。 彼らが法とルールを守ろうとする動機が外国人管理の厳しさであることを考えるならば、その厳しさを緩める方向に行ってはならないと、私は考えます。

【拙稿参照】

来日外国人の犯罪は多いか少ないか    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/03/08/1243463

不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672

不法残留外国人について(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363

不法残留外国人について      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331

かつての入管法の思い出      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

在日の密航者の法的地位         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269

韓国密航者の手記―尹学準        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877

集英社新書『在日一世の記憶』(その3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/12/31/4035996

韓国語の雑学―東方礼儀の国2021/06/17

国語大辞典 省安堂 730頁

 韓国の『中央日報』6月14日付に「21세기 동방예의지국의 ‘도리’」というコラムがありました。  https://news.joins.com/article/24081254

 日本語版は、「21世紀の東方礼儀之国の『道理』」という標題です。   https://japanese.joins.com/JArticle/279632    この最後にある一節に「東方礼儀の国」が出てきます。

新型コロナ状況でも飛行機に乗ってきて道理を示し、怒る時さえも道理を心配しなければならない21世紀の東方礼儀之国の姿が苦々しい。

 この記事にある「東方礼儀の国」は、“わが韓国はアジアの東にあって人として行なうべき道である礼節や礼儀作法をよく守って実行している国”という意味で使われています。 しかし「東方礼儀の国」は、本来そんな意味ではありません。 それは屈辱的で不名誉な言葉なのです。

 それを説明しているのが、『국어대사전(国語大辞典)』(省安堂 1997年10月)にある「東方礼儀の国」の項目です。 スキャンして↑のように掲示しました。 訳しますと、次のようになります。

東方礼儀の国 {名詞} 「東方にある礼儀を知る国」という意味で、「我が国」を指し示す。<参考:我が国が昔から中国で「事大の礼」を非常によく守っているために、中国人たちから得るようになった不名誉な名前である。今日、むやみに使ってはならない言葉である。

 最近では、昨年11月に『朝鮮日報』が「『東方礼儀の国』は称賛ではなく侮辱の表現」と題する記事を出して注意を呼びかけました。https://www.chosun.com/politics/politics_general/2020/11/21/XTJGX6CCFNHALGZQWS6ZOBKPP4/

 『中央日報』は国語大辞典の↑や朝鮮日報の記事を知らなかったのでしょうか、それとも無視したのでしょうか、そこは分かりません。

 もし周囲の韓国人が自国を「東方礼儀の国」だと自慢するようなことがありましたら、本来の意味は次の通りですよと教えてあげてくださいね。

「東方礼儀の国」とは、中国人が朝鮮について、東に位置する朝鮮は小国でありながら我が中国皇帝によく仕え、またよく言うことを聞く国である、礼儀をわきまえており感心なことであるという上から目線で見た称賛であって、実は朝鮮を見下すものである。

【拙稿参照】

「東方礼儀の国」と「独立門」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/11/25/9320164

「東方礼儀の国」は屈辱的な言葉だった  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/22/7064872

韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466

韓国語の雑学―下剋上  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987

韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/10/9325273

韓国語の雑学―내로남불(ネロナムブル) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/04/9334079

在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次2021/06/12

 『抗路8』(2021年3月)に尹健次さんの「日本語と朝鮮 主体の揺らぎ」と題する論考があり、在日のアイデンティティ(主体性)について次のように書いておられます。

そもそも、「在日」を生きるとは、差別に抗して生きることであった。(141頁)

つまりは、「在日」の民族的アイデンティティは、被差別体験という触媒によって獲得され、それは「日本」「日本人」にあがらうことをひとつの本質としてきた。(142頁)

(在日)三世・四世は日本社会のなかに溶け込み、日本語を確実に母語とする生活を営みながらも、被差別的な違和感に苛まれることが少なくなく(143頁)

(在日の若者は)朝鮮語を学ぶことによって差別社会・日本で人間としての自己を確認し、再生しうる道を切り拓いていった(145頁)

日本によって奪われ、屈従を強いられる主体性を奪還しようとするときも、多くは日本語で思考し、表現していかざるを得なくなる。(149頁)

出自・来歴を朝鮮半島だと意識し、日本の朝鮮侵略の真実を自覚する方向に向かうかぎり、「民族性」を帯びた在日文学は終焉を迎えることはなく、日本と朝鮮の不幸な関係を清算するためにも、「抗い」「ともに生きる」道を模索しつづけることになる。(151頁)

「在日」はもちろん、世界にあふれる移民・難民にとって、異郷・苦境・被差別の中で感得する出自や来歴の自覚ないし意味づけはアイデンティティのより重要な要素になっていく(163頁)

 尹さんは在日のアイデンティ(主体性)について、このように「被差別」「日本の朝鮮侵略」「植民地主義」という言葉で表されるように、過去の歴史とそれに続く差別という“被害者性”に求める発言を繰り返しておられます。

 日本の植民地から解放されたのが1945年ですから、それから76年。 36年間の日帝植民地支配の二倍以上の年月が過ぎており、今では植民地を体験した在日は超高齢者で、ごく少数となっています。 それでも「朝鮮侵略」「植民地主義」が在日の主たる課題としているところに、私の大きな違和感があります。

 また「被差別」とありますが、確かに日本社会では1970年代前半までは在日朝鮮人差別は激しかったし、そして日本人から差別されたことは当時の在日の共通体験でもありました。 民族差別反対闘争(いわゆる日立闘争)では、俺にも言わせてくれという在日が次々と現われ、真に迫った被差別の実体験談が多く語られたと言います。 それが1980年頃から、在日の若者に民族差別のことを言っても「一体どこの話?」と言わんばかりにポカンとしていると聞くようになりました。 

 1980年代になると、民間企業は日立闘争で在日側の勝利によって就職差別をしないようになり、また公務員就職差別は一部を除いて国籍条項がなくなってほぼ解決し、福祉等における差別も1982年の難民条約以降多くが解消しました。 それでも在日は差別されているのだと指紋押捺反対の運動などが盛んになりましたが、これも1991年の特別永住制度で解決しました。

 今や在日への差別は、在特会とか嫌韓偏執狂としか言いようのない一部の日本人の特異言動に限られていると、私は考えています。

 ところで尹さんは、今は在日の主体が揺らいでいると論じます。

(在日の)世代交代がすすんだ現時点において、また「帰化」その他で日本社会に溶け込み、民族とか祖国、母国語といった思考意識を持たない、持てない多くの「在日」出身者がいることも確かであろう。 「在日」の定義自体、植民地支配の所産、国民国家・日本の枠内にあるマイノリティということではすまなくなっている。「祖国」や「母国語」という言葉そのものが実体を欠いた「幻」になっているのかも知れない。(162頁)

 尹さんはこのような「主体の揺らぎ」を最近のこととしておられるようですが、実は1980年代以降から進行してきたものです。 在日は本国韓国人と言葉が通じる一世が引退するともに、韓国にいる親族との往来が途絶えるようになり、ついには「民族」「祖国」「母国語」とは切れていくのが大部分です。

 二世は一世の両親の夫婦喧嘩で飛び交う母国語(朝鮮語)を聞いたり、本国の親戚と時おり連絡する両親の母国語を傍で聞くことがありますが、三世以降になるとそんな母国語を聞くことすらなくなります。 つまり母国語は完全に外国語となっていっています。

 また本国の民主化運動家たちとイデオロギー的連帯をして、「民族」「祖国」のつながりを保っている方がおられます。 しかしそんなイデオロギーで日常生活を送るのは一部の活動家くらいですね。

 例えば4年前の韓国大統領選挙の時に「文在寅」に投票しようと呼び掛ける在日活動家がいましたが、投票するには領事館に二回行かねばならず(選挙人登録と投票)、実際に投票に行った在日はほんのごく少数です。 私の周辺では、活動家の方を除けば皆無でしたねえ。 いまや在日にとって「祖国」はそれほどに関心外なのです。

 尹さんはこのような在日の主体の希薄というか「揺らぎ」に対して、「脱植民地主義の課題」を提起します

(在日は)脱植民地主義の課題を自分の問題として意識するとき、出身地や母国語といったことにつながる言葉が、改めて自らの生き方を模索するキーワードにもなる(163頁)

 在日はいつまでも過去(植民地主義)からの脱出を課題として生きていかねばならないと、尹さんは主張しておられるようです。 つまり“「在日」が「在日」たる所以(ゆえん)”は75年以上昔の植民地主義を引きずる日本社会からの被差別である、というのが彼の考え方ということです。

 別の言い方をすれば、「在日」は差別問題が解決すれば「在日」としての存在はなくなる、だから植民地という過去にこだわって差別問題をいつまでも未解決のままにしておかねばならない、となるように思われます。

 もう一つ別の言い方をすれば、「在日」は日本という存在があるからこそ「主体」があるのであり、だから日本に依存することに「主体」の源泉がある、ということになりますね。

【拙稿参照】

在日企業が在日を採用しない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/01/9159811

在日三世女性の発言への違和感   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/09/08/9150680

同化されない外国人           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/01/8206320

アルメニア人の興味深い話―在日に置き換えると http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/26/7812267

姜信子『私の越境レッスン・韓国編』   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/20/7738016

「チョン」は差別語か?         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/04/7603685

マルセ太郎               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/19/6694884

在日の今後の見通し(犯罪率)について  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/25/6642370

在日朝鮮語               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/13/6444331

在日コリアンの「課題」         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/08/6282960

在日コリアンと本国人との対立      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029

在日の政治献金        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/03/06/5725110

在日の政治献金(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/03/11/5735616

在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193

在日は日韓の架け橋か          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/11/5212322

外国人参政権要求-最終目標は国政参政権 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/12/5342632

民族を明らかにするのに勇気がいる、という発言  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2009/05/10/4297782

在日韓国人政治犯        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/17/5092838

外国籍の先生          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/03/5197498

韓国人でもなく日本人でもない      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/24/3539242

これまでの在日とその将来について(仮説)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/01/348943

在日の範囲とルーツを隠すこと      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/04/472555

在日の慣習と族譜            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/12/481465