済州島4・3事件の赤色テロ(3)2018/06/23

 (前回) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/18/8896622      この日誌には遺漏が多いですが、事件のあらましを読み取ることができます。 4・3事件発生から翌年3月までの約10ヶ月間に、かなりの赤色テロが発生しています。 赤色テロの対象は早い時期から家族にまで及んでいますから、今の我々には想像出来ないほどに非常に激しいものでした。

 この時期は武装隊(山部隊あるいは人民遊撃隊)の勢いが強く、特に最初の2か月は武装隊の方が主導権を握っていました。 同年7月以降は警察や軍の反撃(白色テロ)が効を奏して互角となり、 やがて武装隊の力が衰えます。

 追い詰められた武装隊は、軍・警・右翼・地元有力者だけでなく敵と見なした村の住民も何十人単位で無差別に殺す事件を幾度か引き起こします。 文京洙『済州島4・3事件』(平凡社 2008年4月)には、次のような赤色テロを記していて、上記の日誌の赤色テロを裏付けてくれています。

12月以降の段階では、武装隊に非協力的で討伐隊側についていると見なされた一部の村に無差別攻撃をくわえ多くの犠牲者を出した。南元面南元里・為美里では11月28日に約50人、旧左面細花里では12月3日に約50人、表善面城邑里では1月13日に38人が、それぞれ武装隊の無差別攻撃で一夜にして犠牲になったが、そのほとんどは民間人であった。(138頁)

 『済州4・3事件 真相調査報告書』(2003年12月)では、次のような赤色テロ状況を報告しています。 なおこれは上記の日誌に載っておらず、遺漏のものです。

1948年12月15日夜12時を過ぎた頃、翰林面トゥモ2区(現在の翰京面ハンウォン里)で武装隊が攻め入った。 ‥‥ 武装隊は村の動向を調べるためなのか、村の入り口にある一軒の家に火を付けて「みんな出てきて火を消せ」と叫んだ。 その時に出てきたキム・ギョンソク爺さんが殺害された。 パク・ジョンセンお婆さんは火を消せという叫びに、尿瓶を持って出た。 昔から尿を振り掛けると火が広がらないという俗説があったためだ。 武装隊はパクお婆さんも日本刀で無惨に殺害した。

武装隊は村をすぐさま占領して食料を略奪し、一部の家屋に火を付け、気勢を挙げた。 しかしトゥモ1区にあるトゥモ支署の警察とコサン里駐屯応援警察隊が出動するや、武装隊はラッパの音を合図にあわてて退却した。襲撃から退却まで1時間もない時間だったが、 何日か後に怪我の後遺症で死んだ人まで含めると、この日の事件で住民13人が犠牲となった。(440~441頁)

 火事を消すのに尿を撒くというのは迷信ですが、こんな迷信を信じているような素朴で愚直な人ですから「選挙」とか「統一」とか全く無知なお年寄りでしょう。 しかし赤色テロはこのような人も対象としました。 武装隊は1時間足らずの間に、無抵抗の村人13人を殺害したわけです。

 4・3事件発生2年後の1950年6月25日の朝鮮戦争勃発時には、かなり抑え込まれて赤色テロは辛うじて継続する程度になり、さらに組織を維持するだけで精一杯となっていきます。 最終的に武装隊が壊滅して治安が回復するのは、1954年9月です。 

 赤色テロに対する反革命側の反撃ですが、これは警察・軍隊という国家権力による白色テロですから規模が大きくなります。 ましてや彼らは済州島民のほとんどを赤(革命側)と思い込んでいました。 一旦赤色テロ事件が発生すると、反撃のために周辺の村を焼き払って村人を何十人、何百人単位で殺害するというような白色テロを起こしたことも度々ありました。 また武装隊協力の疑いで逮捕・拘束していた村民らを公開銃殺したり、武装隊の家族を殺害することもありました。

 お互いが憎しみ合い、平気で殺し合いました。 住民は第三者の立場に立つことが出来ず敵か味方かを迫られて、双方の殺し合いに巻き込まれました。 互いの報復のために、周辺の村の住民が老人や女・子供も見境なく殺され、多数の犠牲者を出したのでした。 また隣村に行くのにも警察や右翼、そして武装隊という双方から検問を受け、怪しいと疑われたらすぐさま殺される状況でした。

 4・3事件はそういう事件です。 当事者遺族の相手方に対する憎しみは消えることはないでしょう。 しかし当事者たちのこういう感情を尊重しつつも、今は一方を正義、他方を悪者とするのではなく、両者全ての犠牲者を平等に鎮魂と慰霊が重要だと思うのですが‥‥。

済州島4・3事件の赤色テロ(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890

済州島4・3事件の赤色テロ(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/18/8896622

済州島4・3事件の赤色テロ(2)2018/06/18

 1948年4月3日までは、反革命側(警察や右翼)による激しい弾圧=白色テロが横行します。 しかしこの日の済州島「4・3事件」を期して革命側(南朝鮮労働党)の武装隊(遊撃隊あるいは山部隊とも言われました)が大々的に反撃に出て、赤色テロを過激に繰り広げます。

 玄吉彦『島の反乱 1948年4月3日』(同時代社 2016年4月)の132~163頁にある日誌から4・3事件以降の赤色テロを拾ってみました。 なおこの日誌には遺漏がかなりあることにご留意ください。

1948年

・4月3日 武装隊が深夜2時より島内の警察支署と右翼を襲撃し、4・3事件が始まる。警察官4名、民間人8名、武装隊2名が死亡。

・4月10日 涯月新厳里で警察支署を襲撃し、右翼人士と警察官を殺害。

・4月18日 済州邑寧坪里、梨湖里、翰林面楮旨里、朝天面善屹里、新村等を襲撃し、右翼青年団員とその家族を殺害。

・4月19日 朝天面新村里の投票所を襲撃・放火。朝天面大同青年団員を殺害。

・4月26日 警察三陽支署を襲撃。道南里で大同青年団員の母親を殺害、家屋放火。

・4月29日 新厳里を襲撃。

・5月1日 済州邑都坪里で選挙管理委員長を殺害。

・5月5日 禾北里選挙管理委員長と内道里区長を殺害。

・5月10日 中文面上猊里を襲撃、大同青年団長夫婦と国民会上猊里責任者を拉致・殺害。

・5月11日~19日 済州邑頭豆里選挙管理委員長、大同青年団長とその家族を拉致・殺害。 警察咸徳支署の警察官を拉致・殺害。

・5月13日 警察為美支署を襲撃し、警察官殺害。漢東里を襲撃し、家屋放火、警察官殺害。

・5月14日 警察細花支署、新厳支署、翰林里ソンミョン村を襲撃。

・5月15日 梨湖里、翰林里を襲撃。

・5月17日 大静里で大同青年団長をテロ・殺害。

・5月28日 下道里、金寧里、咸徳里を襲撃し、警察支署を放火、警察官と右翼団体幹部をテロ・殺害。

・6月2日 朝天、咸徳、金陵を襲撃。

・6月10日 台風ために北村里の港に退避していた警察官3名を発見し、殺害。

・9月26日 済州道庁を襲撃、放火。

・10月1日 鎮圧軍の指揮所がおかれた禾北初等学校を襲撃し、校舎を放火。 中文面道順里、済州邑梧登里など襲撃。

・10月23日 済州邑の警察三陽支署、朝天面管内の朝天支署、咸徳支署を襲撃。

・10月26日 涯月面高内里で鎮圧軍を攻撃し、50余名を射殺。武器多数を鹵獲。

・11月7日 西帰里を急襲し、民家に放火。

・11月28日 南元面南元里を襲撃し、住民50余名を殺害。官公署と家屋300余棟を全焼させる。

・12月3日 旧左面細花里を襲撃し、警察官署と住民家屋1500余棟を焼却、住民50余名を殺害。

1949年

・1月1日 済州邑梧登里第二連隊三大隊駐屯地を攻撃し、第二連隊将兵7名を殺害。武装隊側も10余名死亡。

・1月3日 済州邑三陽里、南元面下札里、翰林面挟才里を奇襲し、住民多数を殺害。

・1月12日 南元面衣貴里駐屯の第二連隊二中隊を奇襲するも失敗。

・1月13日 表善面城邑里を襲撃し、住民38名を殺害、住民の家屋に放火。

・1月17日 北村里周辺で鎮圧軍を奇襲して数名を殺害。「北村事件」発生。

・2月4日 第二連隊を旧左面金寧里で奇襲し、小銃150丁を奪取、兵士15名と警察官1名を射殺。

・2月21日 安徳面和順里で鎮圧軍の移動トラック二台を攻撃し、警察官数十名を殺害。

・3月9日 武装隊がノルオルム付近で鎮圧軍と交戦、鎮圧軍30余名を射殺、武器多数を鹵獲。

・6月5日 「ムンチャンオリ戦闘」で鎮圧軍を撃退するも、奉蓋里作戦で大敗。

・6月7日 警察和順支署付近で反共宣伝隊員を奇襲。

1950年

・7月25日 中文面河源里を襲撃し、民家に放火。

1951年

・1月28日 警察蓮洞支署を襲撃し、支署長と区長を射殺。牛と食料を奪取。

1952年

・9月16日 済州放送局に侵入し、宿直中の放送課長など3名を拉致。

・10月31日 西帰浦発電所を襲撃し、放火。

 以上ですが、ここには金時鐘さんが記した赤色テロ事件が二つとも抜けています。http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890 従って遺漏がかなりあります。 しかし赤色テロが相当な頻度で発生していたことはお分かりになるでしょう。

済州島4・3事件後の赤色テロ(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890

韓国映画『チスル』        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806

米朝首脳会談ー北の完勝では2018/06/13

 先の米朝首脳会談で、北は「朝鮮半島の完全な非核化に向け取り組む」と約束しました。 「取り組む」ですから、いわば努力規定です。 “いつまでに”とか、“どう検証するか”といった肝心なところがありません。

 一方トランプ大統領は、記者会見で米韓軍事演習中止の検討を言い出しました。 軍事演習の中止は在韓米軍の存在価値の低下を意味します。

 つまり北朝鮮は、非核化の努力の対価として在韓米軍の減退を獲得したことになります。 これは北が従来から進めてきた南朝鮮解放路線の第一段階の実現に大きく前進したものと言えます。

 南朝鮮解放路線とは、北の主導によって朝鮮半島統一を成し遂げることで、その第一段階が「自主的」です。 これは外勢(アメリカ)を排するということです。 下記の拙稿を参照いただければ幸甚。

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

 この第一段階の「自主的」のために、北は核を開発してきました。 非核化実現の対価として、在韓米軍の撤退そして米韓軍事同盟の解消に至れば、北は第一段階を達成したことになります。 ここに至る大きな一歩が、今回の首脳会談でした。

 つまり米朝首脳会談は北朝鮮の完勝だったと言えます。 

【拙稿参照】

「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは?  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799658

南朝鮮解放路線はまだ第一段階      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019

北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

韓中共同声明―北の核をめぐるすれ違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/04/7379560

北朝鮮を後押しする中国  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/08/8011036

済州島4・3事件の赤色テロ(1)2018/06/10

 今から70年前の1948年済州島4・3事件。 事件の簡単なあらましを『韓国・朝鮮を知る事典』(平凡社 2014年3月)から引用しますと、

1948年4月3日、南朝鮮の単独選挙に反対した済州島島民の武装蜂起。 単独選挙に反対した島民がデモをしたり、竹槍、斧、鎌、手榴弾、旧式銃などをもって、島内の警察署を襲撃するなどの闘争が続いていた。 4月3日、南朝鮮労働党は武装蜂起を決定し、党の下に人民遊撃隊を組織した。 その規模は300人余り。警察から奪取した武器、弾薬で武装した遊撃隊は、政治犯を釈放し、西北青年会など右翼テロの粛清を行なうなど、一時はほとんど全島を掌握し、5月10日の単独選挙実施を阻止した。

蜂起の鎮圧のために本土から国防警備隊やテロ団が大量に送り込まれた。 国防警備隊やテロ団はパルチザンの家族や島民を虐殺し、部落を焼き払うなどの〈焦土化〉作戦を行なった。 130あまりの村々が焼かれ、討伐隊による住民の集団虐殺が各地で起こった。 遊撃隊は漢拏山を根拠地としてパルチザン闘争を展開した。 (以上、325~326頁)

 この事典では4・3事件を直接説明した記述は以上だけです。 

 ところで世に出回っている4・3事件の概説には反革命権力(警察・軍や右翼。 「討伐隊」「鎮圧軍」「西北青年会」などと呼ばれた)による白色テロが列挙されるのがほとんどで、これに対する革命勢力(南朝鮮労働党の武装組織。 「遊撃隊」「山部隊」「武装隊」などと呼ばれた)による赤色テロはごくわずかに触れるだけのようです。 上記の『事典』でも「遊撃隊は、政治犯を釈放し、西北青年会など右翼テロの粛清を行なうなど」と記している程度です。

 実際には、赤色テロが少なかったということではありません。 4・3事件後の約1年間は革命側が強力な勢力を維持していましたから、かなりの数の赤色テロを引き起こしていました。 そしてそれは白色テロに負けず劣らず熾烈で過酷なものでした。 だから今の世に出回っている4・3事件の概説は、上記の『事典』も含めてバランスを失っているのではないか、というのが私の意見です。 

 そこで赤色テロがどういうものだったかを取り上げたいと思います。 まずは4・3事件の武装蜂起に参加した金時鐘さんは白色テロの実際を記述するなかで、赤色テロに触れているところを紹介します。

(5月)20日の昼すぎ、荒磯の近くで小舟を浮かべて烏賊釣りをしていた父(金時鐘の従姉の夫である高南杓)ら総勢10名の漁師を、(討伐隊が)道頭峰山頂まで引っ立てていって虐殺し、万歳を唱えて討伐特攻隊の警官らは引き揚げていったそうです。 南杓の遺体は目も当てられないほどの傷みようで、眼の片方は刳り抜かれており、右腕は肘の上からもがれてひときれの皮でようやくつながっていたと、こらえきれない憤りを虚ろににじませながら泣きじゃくっていました。 お金もお米もなくて葬式を出せないと訴えてきたのです。

この虐殺はその二日前の18日、この地区の砂水洞で右翼の家族ら6人を武装隊が拉致して殺害したことへの、見境のない仕返しの血祭りでした。 (以上 岩波新書『朝鮮と日本に生きる』2015年2月 220~221頁)

 この最後にある「右翼の家族ら6人を武装隊が拉致して殺害した」が赤色テロです。 本人だけではなく家族までも殺すところが当時の赤色テロでした。 また金時鐘さんは親戚が赤色テロに遭う実際を目の当たりにしたことを記します。 彼は4・3事件で武装蜂起に参加して警察から追われることになり、叔父の家に潜伏します。 叔父は地元の区長で有力者です。

4・3事件の当時、僕は身を潜める場所がなくて一時母方の叔父貴の家の裏に潜んだんですよ。 区長の家ですから、軍人や警察の上役あたりがしょっちゅう出入りする。 叔父貴は警官の上役が来たりすると、甥ごを匿っている負い目も働いてのことでしょうが、ちょっとした酒食でもてなすわけです。 区長の家ですから家捜ししません。‥‥警官や軍人をもてなしている区長の叔父貴を、山部隊は討伐隊に加担している者と見て誅殺します。

明け方、襲ってきた山部隊に竹槍で刺される。二ヶ所、腹を刺されました。 腸がはみ出たまま、母屋の真ん中は板間になりますが、そこを突き抜けて裏の石垣を越えて向こう側の小道に落ちました。 それでもすぐには死なないで、三日間くらい、それこそ断末魔のうめき声をあげて、家族たちは昼も夜も泣き叫んでいる状態でした。 医者も手当てができるわけじゃない。 僕のために殺されたという思いも、僕はずっとかかえてきました。 (以上 集英社新書『「在日」を生きる』2018年1月 106~107頁)

 叔父は区長という立場上、警察等とは付き合わねばなりません。 しかし警察から追われている甥を匿っているのですから、気付かれないように来訪する警察を接待します。 しかし武装隊は自分たちの仲間を匿ってくれている叔父を残酷に殺しました。

 金時鐘さんの記述から赤色テロに関係する部分を引用しました。 ただし金さんは革命勢力側であることを今も維持していますので、白色テロは詳しく記していながら赤色テロの方は簡単に触れるだけです。

【関連拙稿】

韓国映画『チスル』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806

「植民地分裂症」とは?2018/06/05

 韓国人が反日と親日という相反する感情を同時に有していることについて、韓国人自身がどう分析しているのか、なかなか見当たらないとしました。 ところが尹海東『植民地がつくった近代』(三元社 2017年4月)が次のような二つの例を記述しているのを見つけました。先ずは自分の母親です。

私の母親は1927年生まれで、植民地期に高等普通女学校(通称「高女」)を卒業した。成人する前に植民地統治は終わったものの、帝国日本のもとで中等教育を受けたため、今でも日本語を母国語のように駆使できるし、日本式の生活様式にもかなり慣れている。 幼いころからの日本の植民地統治期に関する話を聞かされたが、いぶかしく思ったことがひとつあった。 それは、かなり矛盾しているように思えるいくつかの事実が、ごく自然に語られることであった。

日本人の植民地統治や教育のあり方は朝鮮人にとってきわめて悪辣で差別的なものだった、とかさねがさね語りながらも、ほとんどの日本人はたいへん正直で、勤勉・誠実な生活を営んでいたと、きまって言い足すのである。 植民地統治の差別と過酷さについては非難を浴びせながら、かれらの合理性には敬意を表するこうした態度を、どう理解したらいいのだろうか。 日本人は植民地を運営する資格と能力を備えていたとでもいうべきか。学校教育を通して形成された植民地像をもっていた私には、じつに理解しがたいことだった。(33~34頁)

 次に韓国のある知識人のエピソードです。

大学に入ってからは、植民地期に高等教育を受けた上層部の人たちが、公式の場で日本人と会うと日本語を使ったり、晩餐後の酒の席では日本の軍歌を歌ったりした、という話を幾度も耳にするようになった。

学界の権威として知られているある教授が、公的には非常に反日的な態度をとり、学生たちが日本語書籍を読むことを禁じながら、自分は大量の日本語書籍を購入して読むどころか、かれの知識の源泉そのものがじつは日本にある、という噂を又聞して、私はさらに複雑な気持ちになった。 知識層のこのような二律背反の態度は、いったい何を物語っているのだろうか。(34頁)

 この二つを例示しながら、論者は次のように分析します。

植民地を回想する私の母親の態度が、二律背反でありながら無意識的なものであったとすれば、公的な地位についている知識層の態度は意識的なものであり、きわめて偽善的だといわなければならない。 しかしながら、双方に共通しているのは、植民地について非常に分裂的な認識をもっていることである。 これこそが植民地分裂症なのである。 植民地期を専門にして勉強するなかで、私はかれらの態度について以下のような結論をくだすことになった。 韓国人の内面は、無意識において植民地化されているのだ、と。 私は、それが植民地近代を構成する特性であるとみるようになった。(34~35頁)

 「植民地分裂症」というのは、言葉は過激ですが成程そうだろうなあと思いました。 「韓国人の内面は無意識において植民地化されている」とは、植民地化(=日本人化)が自らの血肉となっていることを意味しているものと思われます。

 だから韓国人は自分の体からその血肉の切除を叫ぶことによってアイデンティティを確認しようとしているわけです。 実際には血肉は切除できるものではありませんから、大声で叫ぶのです。 これがすなわち冒頭にある「反日と親日という相反する感情を同時に有していること」であり、内面と外面の「二律背反」=「植民地分裂症」になりましょうか。

 これを分かりやすく言おうとすれば、どう言えばいいのかが難しいです。 私は「厄払い」「魔除け」と考えればどうだろうかと思います。 この「厄」や「魔」が自分たちの身を巣食っている日本であり、それらを払い除けるために唱える呪文が「日本は歴史を反省していない」「忘恩背徳の日本」なのです。 「植民地分裂症」とは、この呪文を唱えていることと考えればいいように思えます。

 ところで上述の引用部分だけを読むと、この論者は保守系と思われるかも知れません。 実はこの方は、次のような活動をしています。

2007年の秋、韓国で日本の平和憲法を守る会、「韓国九条会」が創立された。「韓国九条会創立準備大会」において、私は「日本の平和憲法を守ることの意味」という題で基調報告をおこなった。‥‥要するに、私にとって日本の平和憲法を守るということは、日本の戦争責任と植民地支配の責任を問うことであり、それをもって自国の平和や世界の平和を鼓吹することでもある。(326頁)

 「韓国九条会」なんてどんな会なのか調べてみましたが、今は活動していないようです。 他国の憲法を守ろうという主張が、私の理解できないところです。 自国の憲法に九条を作ろうというのなら理解できるのですが。

【拙稿参照】

矛盾               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/31/8862743

韓国の対日感情は理解が難しい   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/29/8813934

韓国人の対日感情         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/12/8317218

韓国人のアンビバレントな感情   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/01/8690297

韓国の反日感情はいつ形成された? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/08/8698008

反日意識はどのように継承されたか―植民地時代  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/03/8817737

世界で唯一日本を見下す韓国人   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

日本を見下す韓国(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/22/8285733

矛盾2018/05/31

 韓国人が反日と親日という矛盾した態度をとることについて、作家の関川夏央さんは『「世界」とはいやなものである』(NHK出版 2003年7月)で、次のように書いています。

(韓国の作家や文人が)非公式の席ではまことに心優しく、かつユーモアに富んだひとびとなのに、ひとたびかりそめにも公的なにおいのする席につくと、卒然攻撃的かつ演劇的な雄弁家になりかわる現象をうんざりするほど経験していたからである。 ただの人であった彼らが、にわかに民族や国家を代表するえらい人になる、それも文芸家の仕事なのだろうか、といぶかしむことさいさいだった。

知識人たる作家たちは‥‥相手が日本となれば、これは日本批判か日本との異質性の強調と相場は決まっている。 日本批判ならば国内に誰ひとり反対者はなく、日本では聞いていなくてもみな聞いたふりをしてくれるから、いかにも順当な話題である。 異質性の追究の方は、もともと両国文化は似ていると想定したうえで、部分的異質性を数えあげるという段取りが一般的である。 この傾向は日本にも根強いが韓国ではいっそう著しく、『「縮み」志向の日本』などの俗論から、最近は『万葉集の謎』といった愚論もしくはこじつけまで脈々と絶えない。 (以上、239頁)

 これに類する体験は、韓国人と実際に付き合った日本人ならば、しょっちゅうあることです。 日本人はこれを矛盾と感じるので、多くは当惑します。 だから韓国なんてコリゴリだと遠ざかる人がいれば、いつかは分かってくれるだろうとのんびり構える人もいます。 またこういった反日発言を喜んで受け入れて連帯しようとする日本人もいます。

 ただ韓国人自身がこれをどう考えているのか、あるいはどう自己分析しているのか、そこがなかなか分からないところです。 そんなことは当の韓国人に聞いたらいいじゃないかと言われるかも知れませんが、これはなかなか難しいです。 なぜならそれは相手の矛盾を指摘することになるのですが、“確かに矛盾ですね”と聞いてくれる韓国人はなかなか見当たりません。 逆に反撃されることが度々です。

 ところで日本人にはこんな人はいないと声高に言う人がいるようです。 しかしこれは間違いです。 日本人でも矛盾した主張をし、それを指摘されると逆ギレする人は結構います。 私の経験では、ちょっと昔ですが解放運動がそうでしたねえ。 

 一般人と同じように待遇しないのは差別だから同様に扱えと主張しながら、他方では自分たちは差別されているのだからと特別扱いを要求する。 しかし当人たちはこれを矛盾とは思っていませんでした。 もし「これは矛盾じゃないですか」などと口にしたら、お前は差別者だと糾弾される時代でしたから、じっと黙るしかなかったものです。 集団的・組織的な逆ギレには、個人の力では対応が難しいです。

【拙稿参照】

「同じ」と「違い」      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuhachidai

韓国の対日感情は理解が難しい   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/29/8813934

韓国人の対日感情         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/01/12/8317218

韓国人のアンビバレントな感情   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/01/8690297

韓国の反日感情はいつ形成された? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/08/8698008

反日意識はどのように継承されたか―植民地時代 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/03/8817737

世界で唯一日本を見下す韓国人   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

日本を見下す韓国(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/22/8285733

光州事件は民主化運動として普遍化できるのか?2018/05/25

 1980年5月18日、全斗煥のクーデターと全羅道出身金大中氏の逮捕に抗議する学生デモが光州で発生し、これに韓国軍が激しい弾圧を加えたことに反発した市民が武器庫を襲撃して武装し、道庁を占拠して韓国軍と銃撃戦をした事件です。 結局は27日に軍によって鎮圧され、200人以上の死者が出るという事態でした。 私はこの事件を過酷な弾圧に対する抵抗運動と考えているのですが、韓国ではこれを「民主化運動」と位置付けることが定着しています。 

 「民主化運動」と位置付ける韓国人は、韓国に民主主義社会を建設するのに非常に大きな影響を与えたと主張します。 それまでの朴正熙政権は確かに民主主義とはとても言えるものではありませんでしたから、民主主義へ向かっての一歩となる事件だったというのは理解できます。 従って事件の真相究明に努力することも理解できます。

 しかし彼らの主張にどうしても理解できないところが一点あります。 それは北朝鮮を抜きにして民主化の普遍性を論じていることです。 光州事件の真相究明の先頭に立ちまた事件の記録を世界記憶遺産登録に努力したアン・ジョンチョルさんの次の言葉に典型的に現れます。

5・18民主化運動というのは、大韓民国の社会を民主主義としてつくり変える上で、相当に大きな影響を与えて、寄与した事件じゃないですか?‥‥ (事件を)正確に、真相も究明されなければならない‥‥(事件を)正しく位置付けられれば、この東南アジアの国家のまだ、軍部政権が統治している国々に、韓国のモデル、韓国のこのような事例がたくさん伝播して、それらの国の民主化に大きな影響を与えればいいなという思いがします。

特に最近、私が、ミャンマーを、ご存知ですよね。そのミャンマーで1988年8月8日、ミャンマー民主化運動が起きて、3000人ほどの市民や学生が死んだという話を聞いたんですよ。それでそちらの民主化運動の指導者たちが私のところに来て、ユネスコに登録する私なりのノウハウをちょっと教えてくれとこう言うので、ミャンマーのヤンゴンに2回行ってきました。それで、今年の2月末にもう一回行ってくる予定ですが。

それでこのように、この民主化運動だとか、この美しい歴史、これらの部分がアジア地域にも、ちょっと伝播したらいいなというそんな考えをたくさんしています。 (以上 『韓国語学習ジャーナル №24』 2018年3月 100~102頁)

 光州事件の体験が「民主化運動」としてアジアに広まることを展望しているのですが、そこに北朝鮮が全く出てきていません。 直ぐお隣りにあってしかも将来統一せねばならない同族である北朝鮮は、かつての朴・全政権時代とは全く質が異なり、極限まで発達した軍事独裁国家です。 またそこで繰り広げられている人権蹂躙は世界最悪といっても過言ではないでしょう。 従ってこの国こそ民主化が必要だと思うし、韓国の民主化勢力は同族として北朝鮮の民主化に真っ先に取り組まねばならない課題だと思うのですが、その気配が全く見えないのです。

 アン・ジョンチョルさんはアジア諸国に韓国の民主化運動のノウハウを伝えようとしています。 しかしなぜ北朝鮮の人民にそのノウハウを伝授しようとしないのか。 民主化されない北朝鮮と統一を展望できるのだろうか。 主体思想というオカルトに凝り固まった北朝鮮と民主化された韓国が共生できるのだろうか。 ここに私が彼らに対して不信感を抱く根拠があります。

光州事件の方がましだった―朝日ジャーナル(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/20/8772995

光州事件のほうがましだった―朝日ジャーナル http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/15/8769881

「5・18光州事件」小考  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/25/8712337

1970~80年代の韓国民主化連帯闘争  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/01/16/5639024

神のように祭り上げられた金芝河2018/05/19

 1970年代、ファッショ的軍事独裁と言われた朴正熙政権のもとで、鋭い政権批判の詩を書いて民主化運動を果敢に闘い、ついには逮捕され、死刑判決まで下った詩人・金芝河。 日本では彼の救援・救出活動が盛んでした。 彼は韓国の民主化運動の象徴的存在として、大いに祭り上げられていました。

 韓国に関心を持つ者は、彼の『五賊』や『良心宣言』などの作品を貪るように読み、時の朴政権への批判を強めたものでした。 そのために金芝河は、まるで神のように祭り上げられる存在となっていました。 当時彼がどのように称賛・賛美されていたか、その頃に発刊されていた『季刊 三千里』から紹介します。

金芝河のしぶとい、不抜の精神と魂はいったいどこからきているのだろう。考えてみるに、それはおそらく金芝河自身が民衆の力を信じているからに相違ない。  ‥‥  誰かのためにたたかっているのではなく、金芝河は自分が真に生きるためにたたかっているのである。従ってその文学はつよく自己解放をふくんだ文学であり、自由への欲求の劇(はげ)しい文学であることは言うまでもない。 (『季刊 三千里』創刊号 南坊義道「金芝河の抵抗―ファシズム下の文学精神」 1975年2月 32・33頁)

(金芝河のような)詩人としてこれだけの作品を書いて、その敵と云いましょうか、その対象をこれだけ震撼させることができたら、以て瞑すべきではないか、とね。その後も続々と、さらにそれに劣らないショッキングな詩が出てきたわけですが、まだ若い人ですけれども、こういう詩人はやはり激動、乱世が生み出すものかもしれませんね。 ともかく南朝鮮―韓国のそういう深刻な状況が生み出した詩人である、ということははっきりいえる。 (同上 金達寿・鶴見俊輔「特集 金芝河 対談 激動が動かすもの」1975年2月 24・25頁)

いまの時代の、民主主義の仮面をつけた狂信的独裁者の権力欲が、自由を葬り去ろうとする韓国にあって、民族的感受性が強く、民衆の心を表現する抒情詩人である金芝河の運命ほど、劇的で美しいものはない。(同上 7号 金慶植「マルトックとの出会い」1976年8月 18頁)

いうまでもなく金芝河は韓国民主化運動の旗手として、とりわけその不屈の魂のシンボルとしてある。‥‥獄中および法廷における鉄火の試練をつうじて、思想家として大きく成長したことに注目したい。いわば思想家としての金芝河の誕生である。‥‥かれは新しい思想を構築するために、たんに思索に沈潜している青白きインテリではない。われわれの眼前に聳え立つかれのまばゆいばかりの魅力は、そのような営みが底辺の民衆とともに生き、たたかい、そしてその民衆とともに救われるためのものであることである。(同上 10号 姜在彦「金芝河の思想を考える―それはどこに立っているか―」1977年5月 28・29頁)

いまや金芝河は韓国と日本をとび越え、世界的な存在として大きくクローズアップされてきている。 ‥‥ 金芝河はあくまで民族詩人である。詩人であると同時に思想家でもある。‥その意思はまた、時代とか民族とかにかかわりなく、人間に普遍的なものとしてしめされている。長い間の受難の歴史のなかで育まれてきた、民族のパトスでありロゴスであるところの民族精神が、詩人金芝河をつうじてわれわれの目の前に明示されているのだ。(同上 19号 金学鉉「光は獄中から・金芝河の思想」1979年8月 154・155頁)

 以上のように賞賛されていた金芝河が、実は1970年代前半には既に転向していたのですねえ。 

金芝河の告白 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/06/8798456

 朴正熙政権の人たちは、金芝河を賛美して救援活動をしていた人々をおそらく腹の底から笑っていたものと想像します。

 金芝河はちょっと長く生き過ぎたようで、1991年に転向を告白し、2012年の大統領選挙では保守の朴槿恵を支持しました。 ですから人間的には正直で憎めないと思うのですが、今はもう過去の人物で、評判が悪いですねえ。

 韓国民主化運動の象徴として輝いていた時期で終わっていたら英雄として祭り上げられて尊敬されただろうに、そしてその作品が教科書に載せられていただろうに、と思います。

韓国・朝鮮の歴史批判に向かわない日本歴史研究者2018/05/13

 ちょっと古い論考ですが、『朝鮮史研究会論文集 №39』(2001年10月)に、深津行徳「“古代朝鮮”という空間」に、次のような一文があります。 なお一部「○○」と伏字にしています。

より重要な問題は、その「○○の歴史」を語るさいに、恣意的な史料の選択が行なわれることである。彼らの一部は、そもそも歴史事実など存在せず、それゆえ歴史とは事実を解明することではなくて、自説をさまざまな材料から説明することであるとする。したがって、かれらの叙述のなかに見える明確な事実誤認を指摘することは、彼らの主張をただすための本質的で有効な手段とはなり得ない。彼らはそれを容易に受け入れ、あるいは別の「事実」を自らの叙述のために用意するであろう。(20頁)

 この一文は右派の「新しい歴史教科書をつくる会」に対する批判です。 従って「○○」は「日本」なのですが、これを「韓国」あるいは「北朝鮮」と入れ替えて読み直して下さい。 すると韓国や北朝鮮の歴史学に対する批判として、今でも十分に通用するものです。

 論者の深津さんは日本の右寄りの歴史の登場に危機感を抱いたようですが、私はこれを韓国・北朝鮮への批判と読み替えて、成程その通りだと思わず膝を打った次第です。

 日本の革新・左派系歴史研究者は、右寄りの歴史に対する批判の方法・観点でもって韓国や北朝鮮の歴史に対しても同じように批判したらいいのにと思うのですが、そういうことは昔も今もないですねえ。 

 歴史に限らず日本の革新・左派の諸君は日本を厳しく批判するのですが、その論理を使って韓国や北朝鮮を批判することはしないです。 批判の論理が日本だけに適用されて、韓国や北朝鮮に対してはその批判の論理が喪失するようです。 これが革新・左派の特徴と言えるのでしょうかねえ。

【関連拙稿】

 「南」に厳、「北」に寛だった日本のマスコミ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/24/8832065

金正恩は「改心」したのでは?2018/05/07

 北朝鮮は昨年の1月から9月までに弾道ミサイル20発を発射し、金正恩委員長はアメリカに対して「我々のプレゼントが気に入らないようだが、これから大なり小なりのプレゼントを何度も送ってやろう」とか「アメリカ本土と太平洋作戦地帯が我々の打撃圏内に入った」とか、トランプ米国大統領を「アメリカの老いぼれ狂人を必ず火で罰する」などと好戦的な発言を繰り返しました。

 ところが先月27日の南北首脳会談で、この金委員長が「完全な非核化の実現」を宣言し「これからしょっちゅう会ってアメリカと信頼を積んで終戦と不可侵を約束するならば、なぜ我々が核を持つことがあろうか」と発言するなど、これまでとは大きく違う、殊勝な態度を示しました。

 これについて、彼が「改心」したからという説と、「改心」なんかしていないという説に別れるようです。 前者を唱えているのは、首脳会談当事者である文在寅大統領および彼を80%支持した韓国国民です。 一方後者は、韓国では少数派に転落した保守系です。 日本では懐疑的な論調が多く、後者の立場ですね。

 4月の首脳会談であれ程の大きな花火を上げて、全世界から注目を浴びたのですから、核とミサイルを再開するということは、かなり難しいと考えられます。 ですからここは「改心」したと考えた方がいいのかも知れません。

 金委員長が「改心」したとしたら、昨年の秋頃になります。 この時期に彼に何があったのか? それがさっぱり分かりません。 つまり「改心」したとしても、そのきっかけや理由がなかなか見当たりません。 

 憶測は色々あるようです。 ある人は昨年の秋ごろから中国が本格的な制裁に乗り出したからだと言います。 またある人は、これまでの制裁で金一家の贅沢な生活資金が足りなくなったことに昨年秋に気が付いたからだと言います。 あるいはまたその頃に公表された斬首作戦に怯えたからだと言う人もいました。

 確かなことは、独裁国家ですから金委員長が決断したことです。 とすると一人で考えて決断したのかどうか。 その間外国の要人と会談していませんから、そこから説得されたことはあり得ないでしょう。 すると妹の金与正か妻の李雪主あたりが進言したのか、ということになります。

 しかし一方的に譲歩することはあり得ませんから、非核化の対価は何か?です。 それは在韓米軍の縮小あるいは撤退でしょう。 これが目的で「改心」を決意したのなら、それは北朝鮮の従来路線の延長です。 

 北朝鮮は南朝鮮解放路線=赤化統一という明確な方針を有しています。 それは三段階に分かれ、第一段階が「自主的」。 つまり統一は外勢(アメリカ)を排して民族同士で成し遂げるということです。 

 第二段階が「民主的」。 韓国に北朝鮮に迎合する民主政権を樹立することです。 

 第三段階が「平和的」。 南に成立した民主政権と戦争ではなく平和的に統一することです。

 今は第一段階の「自主的」が成就しようとしています。 これまでのように力づくでアメリカを排するのではなく、話し合ってアメリカに撤収をさせるのです。 つまり今回の金委員長の「改心」は「力ずく」ではなく、「話し合い」によって第一段階を推し進めるやり方に変えたものと評価できると思います。

 そして米朝会談で在韓米軍を撤収させて第一段階を終わらせ、次に第二段階の「民主化」へと進みます。 今の文政権は十分に民主政権ではないかと言われるかもしれませんが、そうではなく少数派となっている保守・右派勢力を、再起できないほどに縮小・壊滅させることです。 これは北朝鮮の仕事ではなく、北朝鮮の意を忖度した文政権の仕事になります。 北朝鮮が手を煩わせることはないでしょう。

 さらに第三段階の「平和的」統一に至ります。 めでたし、めでたしです。 こうなると韓国国民は、最高尊厳の金正恩将軍様を絶対に冒涜することなく、また金日成元帥様が対日戦争と祖国解放戦争に勝利した革命の歴史を学ぶことになるでしょう。

 段々と私の勝手な憶測小説になってきますねえ。 それでも従来路線を維持しながら力ずくから話し合いへの「改心」は、言い当てていると思っているのですが。

 なおまた難癖をつけて、元の「力ずく」へ再度「改心」する可能性はあります。

【拙稿参照】

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

南朝鮮解放路線はまだ第一段階      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019

北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

北朝鮮を後押しする中国          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/08/8011036

「朝鮮半島の非核化」は「北朝鮮の非核化」とは違うのでは? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/08/8799658

金正恩の発言は既定の北朝鮮の路線  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/12/8801876

北朝鮮の内部情報は?      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/04/28/8834853