ある在日の生活保護 ― 2012/05/19 04:18
昔、たまたま知り合った在日朝鮮人のハルモニ(おばあさん)。身世打令(身の上話)を聞きました。
> ハルモニは五人の子供が生まれたちょうどその時に、主人が事故で亡くなった。事故は、酒に酔って自転車に乗り、水路に突っ込んで死んだということだった。
> 子供ができたというのに、主人が産室になかなかやって来ず、警察が来て、主人のことをいろいろ聞いてきた。この時、警察も周囲の人たちも、あまりに可哀そう過ぎて、主人が亡くなったことを言わなかった。三日ほどして、主人が亡くなったことを知って、驚いて乳が止まった。ショックで一か月近く入院した。
> 退院したら、四人の子供は近くの人が食事は出してくれていたが、 それだけで、風呂も入らず、服の着替えもせず、暮らしていたという。
> ハルモニは字の読み書きもできず、子供たちのためにがむしゃらに働いた。朝早く起きて屑ひろいをし、昼は失業対策事業で働いた。
> 子供が病気しても医者に連れて行く余裕がなかった。子供がひどい病気をして、これでは本当に死んでしまうと、思い余って近くの医者に連れて行った。医者は事情を察して、無料で診てくれて、さらに役所の手続きもしてくれて、生活保護を受けることになった。
> そして9年後、一番上の子供が中学を卒業して就職した。そこで貰う給料と、自分が何とか働いて貰う給料を足せば、生活保護で貰うお金と変わらない。そこでハルモニは生活保護を自分から打ち切った。周囲からは、せっかく貰えるのに、と反対されたそうだ。しかしハルモニは、「みじめだから」と反対を押し切った。
> 子供たちは順調に育って、みんなちゃんとした社会人になった。ハルモニは「余りに貧乏したんで、子供がヤクザになるんじゃないかと心配していたが、そんなこともせず、立派になってくれて喜んでいる」と振り返った。
このような身世打令でした。周りの在日の方に聞いても、「うちらも苦労したが、あの人の苦労は特別やった。」と、その身世打令がウソでないと言っておられました。
ここで一番感銘深かったのが、自ら生活保護を打ち切ったということ、その理由が「みじめだから」ということです。働かずにお金を貰うことを「みじめ」とする感覚、たとえ字の読み書きができなくても、人間としての誇りを失わないというハルモニの信念に、感動したものでした。
今日本では、生活保護を安易に貰おうとする風潮が蔓延しているようです。そのニュースを聞くたびに、あのハルモニを思い出します。
在日朝鮮語 ― 2012/05/13 08:24
「在日朝鮮語」とは、朝鮮総連系の朝鮮学校で話される言葉のことです。
私がこのことを知ったのは最近のことで、韓国語の通訳・翻訳者の方の経歴で、小・中・高校の12年間朝鮮学校に通い、その後通訳を志して韓国に留学して語学を勉強し直した、ということが書かれていたことでした。
朝鮮学校で12年間も勉強してきて、しかも学校生活は日本語禁止という環境でありながら、祖国の人には通用しない言葉を教えられてきたということです。その言葉を「在日朝鮮語」と呼ぶようです。 http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/zainitigo/index.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E8%AA%9E
朝鮮学校では、北朝鮮から教師を派遣してもらうことはできないだろうし、ましてや韓国からはあり得ないでしょう。とすると、朝鮮学校で使われる「朝鮮語」というのは、日本語に大きく影響された独自の「朝鮮語」にならざるを得ません。 朝鮮学校でこのような言葉を習得する場合、我々は日本人ではないんだ、という自覚には役立つでしょうが、卒業後の社会生活でどのような意味があるのか、疑問になります。
かなり以前ですが、朝鮮学校卒業生の方から、卒業して10年もしないうちに朝鮮語全部忘れてしまった、という話を聞いたことがありました。
朝鮮で活躍した宮城道雄 ― 2012/05/05 08:17
宮城道雄は「春の海」や「水の変態」などの名曲で有名な作曲家です。その経歴を簡単に記しますと、
彼は明治27年(1894)神戸で出生、その直後に眼病を患い、明治35年(1902)9歳の時に失明宣告を受けた。二代目中島検校に入門して筝曲を習い、頭角を現す。明治40年(1907)14歳の時に朝鮮に渡り、邦楽で活躍し、有名となる。大正6年(1917)に日本に戻り、東京で邦楽活動を続ける。
宮城が朝鮮で活躍したのは、韓国や朝鮮人には意外と知られていないようです。 宮城は、朝鮮李太王妃の御前演奏を行なって好評を得るなど、かなりの有名人となっており、また朝鮮の女性が打つ砧の音を聞いて、名曲「唐砧」を作曲しました。 拙論 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakukyuudai 参照
ところで、何でも韓国起源にしたがる韓国人がこれには全く関心がないというのが、不思議ですねえ。
その点について、演歌の古賀政雄と比べるとその不思議さが増します。古賀は朝鮮で育ちましたが、音楽で活躍を始めたのは朝鮮ではなく東京でした。
また古賀の音楽には、朝鮮を匂わすものは何もありません。その点でも、宮城が「唐砧」を作曲したように朝鮮への関心があったのと違っています。
古賀だけが取り上げられて、なかには彼が韓国人であったという馬鹿馬鹿しい噂まで飛び交うのに、 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/10/6285379 宮城への関心が行かないのは、何故なんでしょうねえ。
和田春樹『北朝鮮現代史』 ― 2012/04/29 06:17
最近出た『北朝鮮現代史』(和田春樹著、岩波新書)を購読。
著者の基本的考えは、
(この)本を書き上げようとしていたとき、金正日委員長が亡くなった。日朝国交正常化を願ってきた日本人の一人として、私は、この10年間(小泉首相の北朝鮮訪問以降のこと)その実現を切実にのぞんでいたであろう隣国の指導者の死に対して悲痛な感情を抱かずにはおれなかった。〉(237頁)
とあるように、極めて北朝鮮寄りです。内容は客観的に書こうとしたみたいですが、やはり奇妙というか、理解できないところが出てきます。これを少し紹介してみます。
(朝鮮戦争は)朝鮮を統一民族国家として再建した、という民族主義者の願望を実現しようとはじめられた戦争〉(69頁)
この本では、一方で「金日成と朴憲永は(1949年)八月、シトゥイコフ大使(ソ連)との懇談において武力統一への意思を明確に表明した」(51頁)とあるように、朝鮮戦争は共産主義者が一貫して準備を行ない、始めたものと記述していますから、矛盾したものとなっています。
1970年代の韓国の民主化運動については、次のように記述しています。
韓国の民主化運動は北朝鮮と無関係ではじまり、無関係で進んでいた。北朝鮮はこの運動に影響力を行使することをめざし、工作員を送り込もうとした〉(141頁)
北朝鮮が国家を挙げて韓国の民主化運動に「影響力を行使しよう」としたのですから、北朝鮮と全く「無関係で進む」わけがありません。 韓国の民主化運動は、その理念からすると韓国だけでなく北朝鮮の民主化にも取り組むべきものでしたが、その気配が全くありませんでした。民主化運動に北朝鮮の影響があったと考えるには、十分と思います。
次に、これまた矛盾した記述。
結局、金正日は自分がもっていた国防委員会委員長、党総秘書、党軍事委員会委員長、最高軍司令官という四つのポストのどれ一つも金正恩に譲らずに死んだ。それは明らかに金正日がそうすべきでないと考えたからにほかならない。‥‥一二月三〇日、労働党中央委員会政治局は会議を開き、金正恩を人民軍最高司令官として「高く奉ったことを宣布した」と発表した。〉(234頁~235頁)
金正日は12月17日に亡くなり、28日に国葬されたのですが、そのわずか二日後の30日に金正恩は「最高軍司令官」になっています。金正日は「そうすべきでないと考えた」はずのポストの一つです。この本では、偉大な金正日将軍様のお考えを党政治局が簡単にひっくり返した、ということになります。うっかりミスなのでしょうが、ちょっとお粗末ですねえ。
これ以外では、拉致問題にしろ、韓国の天安艦事件にしろ、北朝鮮の代弁人のような記述が目立ちます。
ところで拙論で、金日成が国民に「白い米と肉のスープ」が食べられるようになると約束したのは1962年としたのですが、 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/14/5680393 この本によると、それはもっと古く1957年12月20日に金日成が行った演説 「朝鮮人民は遠からず、白米のご飯に肉のスープをとり、絹の服を着て、かわら屋根の家に住めるようになるでしょう。これは空想ではなく、明日の現実です」 であることが分かりました。(95頁) これだけが、この本を読んだ成果でした。
自主的、民主的、平和的統一 ― 2012/04/22 07:36
1970、80年代、北朝鮮は「自主的、民主的、平和的統一」を説いていました。
この言葉だけを見ると、誰も反対する人はいないでしょう。
しかし北の言う「自主的」とは、韓国からアメリカを追い出すことを意味します。 そして「民主的」とは、韓国に人民革命政権樹立することを意味します。 さらに「平和的」とは、韓国がこのような国になってこそ北と統一の話し合いができる、という意味です。
つまり北の「自主的、民主的、平和的統一」は、南朝鮮解放路線をソフトに言い換えただけです。
しかし日本では「自主的、民主的、平和的」という言葉だけをみて、北を支持する無邪気な人が多かったものでした。
北の南朝鮮解放路線は今も継続しています。 核とミサイルを持つ軍事大国としてアメリカと対等に話をして、朝鮮半島に口出しさせない(自主的) 南に親北民主政権を樹立する(民主的) この政権とのみ統一協議する(平和的)
金正恩政権はこの路線を受け継ぎ、更なる軍事大国化を目指すと思われます。
古代文化の記事に「独島(竹島)」が出てくる韓国の新聞 ― 2012/04/15 16:28
韓国の『朝鮮日報』のなかに、「新聞は先生」という子供向けの記事が連載されています。4月12日付けでは、古代の百済文化の記事です。その冒頭文を訳してみました。
独島が自分の土地だと教科書で主張した日本が、政府の報告書でも同じ主張を繰り返して問題を引き起こしています。我が祖先が彼らに、より進んだ文物を伝えてあげたのだが、彼らは意地を張るので、もどかしく腹が立つほどです。今日は日本に先進文化を教えてあげた百済時代をたずねて、公州に行ってみましょうか?〉
1500年も前の百済を説明するのに、いきなり現在の問題である「独島(竹島)」が出てきます。「独島(竹島)」は日本海にあって、百済とは反対側ですから、何の関係もないはずなのに何事か?と思って読んでみたら、 百済は日本に先進文化を教えてあげた恩人であるのに、「独島(竹島)」を自分の土地だと主張するとは‥‥!。この恩知らずめ! という趣旨のようです。
子供向けの記事に、こんなことを書くとはねえ。おそらく韓国では、このようなことが子供の時から刷り込まれているのでしょうねえ。 困ったものです。
民族差別と闘う運動への疑問を持ったきっかけ ― 2012/04/07 14:10
あれは何時のことだったろうか、1970年代後半頃だったかと思う。
民族差別と闘う活動家のK君の運転する車に乗っていた時、警察の検問にかかった。警官が免許証の提示を求めながら「お名前は?」と問われて、K君は「Fです」と日本名を答えた。 私は、このK君が在日の子供たちに「本名を名乗れ」と強く迫っていたのを見ていたので、これにはビックリした。
そしてこの事実を、同じく民族差別と闘う活動家のR君に話すと、「相手が警察ならそれでいいんだ」と言った。 私はこれにもビックリして、「だったら、相手によって本名を名乗ってもいいし、日本名も名乗ってもいい、ということか? 何が何でも本名を名乗らなければならない、という運動の考えは間違いなのか?」と疑問を呈した。
この経験が、民族差別と闘う運動に対する疑問を持つきっかけとなった。
次に、この運動団体は「天皇制こそが民族差別の根源だ」と、反天皇を主張し始めた。これにもビックリした。
これを強くアピールした活動家Yさんは、天皇の名の下で朝鮮は併合され、朝鮮人は苦難の嘗め、日本人から差別された、民族差別を正当化するものが天皇制だ、というような論理を展開した。
私は彼に「天皇制がなくなって共和制になると、民族差別がなくなるということか? 世界には君主制の国と共和制の国があるが、君主制には差別がすべからく存在し、共和制には差別が存在しないということか?」などと疑問を呈した。
同じくYさんは「日本の単一民族国家観こそが民族差別だ」とも主張した。 私は「韓国や北朝鮮も単一民族国家だ、あなたの祖国も民族差別が強いということか?」と問うた。Yさんは「朝鮮は単一民族国家ではない、オランケがいる」となどと言っていた。 その時は私には朝鮮史の知識がなかったので、それ以上は言わなかった。
それからしばらくして、オランケとは北方の女真族、満州族たちの蔑称あることを知った。その時にようやく、こちらに朝鮮に関する知識が乏しいことに乗じて、嘘八百言ったんだなあ、と分かった。
その後、朝鮮史を独学で勉強していくと、民族差別と闘う運動家たちが語る歴史に、かなりの歪曲・虚偽が含まれることを知ることができた。 強制連行、創氏改名で日本名を強制された、朝鮮語の使用を禁止された、「鮮」「京城」は差別語である等々、このような歪曲・虚偽の歴史観に基づく活動が展開することに大いなる疑問を感じたものであった。
「壬辰倭乱」(文禄慶長の役)の反省集会??!! ― 2012/03/20 17:55
こんな人たちがいるとは!! ビックリしました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120320-00000022-yonh-kr
日本の市民団体 「壬辰倭乱」反省集会を開催=統営 聯合ニュース 3月20日(火)17時42分配信 【昌原聯合ニュース】日本の市民団体が26日、李舜臣(イ・スンシン)将軍の位牌をまつる慶尚南道・統営の忠烈祠で、先祖が起こした朝鮮半島侵略戦争・壬辰倭乱(文禄・慶長の役)を反省する集会を開く。 統営忠烈祠財団は20日、日本市民団体で構成された壬辰倭乱反省集会の実行委員会が、26日午前11時半から忠烈祠で「NO MORE! 倭乱 in 統営」と題して反省集会を開くと明らかにした。 実行委員会は、日本近代史を研究する川本良明牧師や在日大韓基督教会小倉教会の朱文洪(チュ・ムンホン)牧師をはじめ、約30人で構成されている。 参加者らは1992年、人権活動家でもあった小倉教会の故・崔昌華(チェ・チャンファ)牧師の提唱で集会を開いて以来、歴史を反省し、日本政府の歴史わい曲などに抗議する集会を毎年開催している。2000年以降は釜山や晋州、蔚山、宜寧、麗水など、戦争の遺跡が残る韓国の各地を訪れ、集会を開いている。>
このような人達を、何と呼べばいいのでしょうかねえ。
自分は他の日本人と違って韓国に理解のある良心的な人間だとアピールしたい、あるいは日本人であること自体を罪と考えているのでしょうけれど‥‥。400年も前、世代的には十数代前の出来事を「反省」するとはねえ。 この調子では、千数百年前の神功皇后の「朝鮮侵略」も反省しそうですねえ。
「日帝支配36年」は長いか短いか ― 2012/03/13 03:53
1970年代、私が朝鮮問題に初めて関心を持った時、「日本帝国主義による36年もの長い支配に朝鮮人民は苦痛を嘗め‥‥」というような話をよく聞かされたものでした。その時は、解放(日本の敗戦)からまだ30年も経っていない時期だったし、20代の人間には、生まれて今までの人生の1.5倍か、確かに長い間苦しめられたのだなあ、と思ったものでした。
それから40年経った今、即ち36年を越える年月が過ぎました。解放(敗戦)からすると、半世紀をはるかに過ぎ、65年以上もの歳月です。あと数年で日帝支配の二倍の年月になります。
今感じるには、日帝が朝鮮を植民地支配した36年(実質は35年間)は短い、ということです。
日帝が民族性を奪ったという歴史が語られますが、たった36年で失う民族性とは一体何だろうか?という疑問を持つようになりました。それほど朝鮮人の民族性というのは軟弱なものだったのでしょうか。
自称5千年、新羅統一後1300年、李氏朝鮮時代は500年もの民族の歴史を有しながら、わずか36年の異民族支配で ‘民族性を奪われた!’という主張は、我が民族は他民族に支配されると簡単に転ぶ民族ですというのと同じで、自民族を侮辱しているように感じられます。
東日本大震災の犠牲者に黙祷を捧げます ― 2012/03/11 20:36
東日本大震災から1周年。2万もの尊い命が犠牲になりました。 今は静かに黙祷を捧げ、ご冥福を祈るのみです。
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