韓国では日本の存在感はない2018/02/17

 韓国の中央日報2018年2月13日付けに、韓国の対日外交姿勢を示す興味深い記事がありました。  http://japanese.joins.com/article/556/238556.html?servcode=A00&sectcode=A10

与正氏には食事接待4回、ペンス氏には1回、安倍氏は0回

北朝鮮代表団に対する食事接待は9日のレセプションを除いても4回だった。10日、青瓦台(チョンワデ、大統領府)の昼食会に続いて夕食会は趙明均(チョ・ミョンギュン)統一部長官がもてなしたほか、11日の昼食会と夕食会はそれぞれ李洛淵(イ・ナギョン)首相と任鍾皙(イム・ジョンソク)大統領秘書室長が主宰した。

 金与正さんは北朝鮮の最高指導者である兄金正恩の名代でした。韓国では二泊三日の滞在で、韓国政府の要人から四回も食事接待を受けました。 次はアメリカです。

文氏はペンス氏も2泊3日(8~10日)の間に4回会ったが、その内容には違いがある。会談および夕食会(8日午後6時30分~9時14分)、レセプション(9日午後6時39分~44分)、開会式出席(9日)、女子ショートトラック競技観覧(10日午後7時43分~8時20分)などだった。

 ペンスさんはアメリカ副大統領で、二泊三日の滞在中に韓国政府から食事接待されたのが8日の夕食会の一回だけでした。 それでは次に日本です。

4強(日米中露)首脳のうち、唯一開会式に参加した安倍氏とも円滑ではなかった。開会式とレセプションを除けば、文氏と安倍氏は9日に1時間会談したのがすべてだ。安倍氏に対する韓国政府の高位要人の食事接待もなかった。特に、会談後の青瓦台の発表で公開的な行き違いも明らかになった。

 安倍さんは一泊二日で、食事接待はありませんでした。 安倍さんは日本の最高権力者で、米中露等の主要国や北朝鮮が二番手、三番手を派遣したのとは格が違います。 それでも韓国政府の要人は一人も、安倍さんと食事を共にしようとしなかったのです。

 以上の食事接待の回数からして、文在寅政権の外交の重点がどこにあるかを如実に示しています。 要するに韓国は、日本をあまり重要とは認識していないのです。    ここから文政権はこれまで慰安婦問題や天皇訪韓希望など、対日外交に一貫性がないというか、行き当たりばったりであることが理解できます。 だから反日に徹底することもないのです。 つまりそれ程に文政権には日本は軽い存在というわけです。

 日本では嫌韓雑誌等で、韓国はどれほど反日であるかを繰り返し論じられていますが、実は韓国は日本をそれほど気に掛ける存在とは考えていないことを示しています。 逆に安倍さんなどは韓国を「重要なパートナー」とか「日米韓の強固な連携」とか言ってラブコールを送っていますが、韓国側は日本について優先順位を高くせねばならない国ではないのです。

 韓国が日本を重要視していないことは、この中央日報の記事の続きに次のように記されていることからも判明します。

青瓦台高位関係者は10日、記者団と会い、「首脳会談で安倍氏が『韓米合同軍事訓練を予定通りに進めるのが重要だ』と延べ、文氏は『内政に関する問題を安倍氏があれこれ言ってもらっては困る』と答えた」と明らかにした。記者が質問したわけでもないのに、「首脳会談に対して追加で申し上げることがある」としてこのように紹介したのだ。

反面、日本政府当局者は首脳会談ブリーフィングの際、「韓米合同軍事訓練関連の言及はあったか」という質問に「両国が北朝鮮に対する圧力を最大限まで高めようということで意見が一致した。これ以上の対話は公開できない」とだけ述べた。首脳間の対話を行った片側が、一方的に内容を公開するのは、外交慣例上あまりないことだ。外交消息筋は「マスコミの報道が先に出てきたわけでもなく、青瓦台が該当内容を自ら公開したため、日本側では安倍氏を恥さらしにしようとしたと受け止められる素地がある」と懸念した。

 安倍首相・文大統領の会談の中で出た意見の対立について、日本側は黙っていましたが、韓国側は公開したのです。 首脳会談内での対立は、普通は双方の了解なしに外部に明らかにしないものなのですが、韓国側は一方的に暴露しました。 ここからも韓国が日本をどれほど軽く見ているかを知ることが出来ます。

 従って韓国政府は対日外交の明確な方針を打ち出すこともなく、国内の反日意見が強くなればそちらになびき、日本が弱気と見ればつけ込み、日本が強気になればそれに合わせ、国際的圧力を受ければ関係改善に乗り出す‥‥と、一貫性のない外交を展開するものと、私は予想しています。 反日一辺倒にすらならないでしょう。

【拙稿参照】

韓国が天皇訪韓を望む!?-朝日インタビュー http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/23/8681910

慰安婦合意の検証 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

新大統領は「反日」を緩めるかも http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/15/8406228

『韓国はどれほど日本が嫌いか』  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/02/6931411

『韓国はどれほど日本が嫌いか』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/04/6934273

韓国の反日外交の定番      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/22/7546410

慰安婦問題―韓国政府には当事者能力がない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/09/7586932

やはり韓国政府には当事者能力がない―慰安婦問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/13/7906094

慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

全斗煥の功績2018/02/13

 1980年代の韓国の4分の3は、全斗煥大統領の時代でした。 彼は韓国では独裁者、虐殺者等々で呼ばれ、評判がかなり悪いです。 しかし彼が大統領の時代にソウル・オリンピックを誘致し、開催成功に導いた功績があるのですか、なかなか評価されませんね。 

 彼のもう一つの功績は外交です。全大統領の外交の功績について、意外にも『朝日ジャーナル』誌上で、朝日新聞の記者が論じていました。 朝日といえば、韓国の民主化勢力という進歩的・左翼的性向の人の側に立っていて、当然全斗煥大統領を批判しているものと思っていたのですが、そうではなく全大統領をかなり評価していたのですねえ。 朝日も1980年代は韓国に対して比較的冷静な目で見ていたんだなあ、と参考になりました。

『朝日ジャーナル 1986年3月14日号』 「第10回 新韓国地図 コスモスと鉄条網と」 朝日新聞ソウル支局長 小林慶二

1983年5月の中国民航機ハイジャック事件、同年9月1日の大韓航空機撃墜事件、同年10月9日ラングーン爆弾テロ事件と世界の注目を集める事件が続いた。 いずれも国交のない共産主義諸国との間で生じたものである。 この危機に、韓国政府が示した冷静な対応は、見事と評してもほめすぎにはならないだろう。大韓航空機事件では、怒り狂う国民をなだめて対ソ友好関係の方向を変えず、ラングーン事件では、「報復」を叫ぶ軍部の若手を抑え、結局は「南北対話」復活へとつなげている。 南北対決という厳しい環境のなかで、国益のあり方を冷静に分析した対応は、韓国の国際的地位を高めたといえよう。

対中関係改善の糸口は、ハイジャック事件というハプニングで生まれた。 1983年5月5日‥‥事件発生を知った時、私がまず感じたのは「韓国政府は厄介な荷物を抱え込んだな」ということだった。中国は義勇軍という形であれ、朝鮮戦争の参戦国で、韓中間には国交はなく、直接のパイプもない。 犯人の取り扱い、機体の返還交渉がこじれれば、韓国が望む対中関係改善の道はさらに遠のく。 台湾との関係もあり、この交渉は難航が十分予想された。

しかし、私の予想に反し、韓国政府の対応は手際の良いものだった。 この機会を対中関係改善に役立てる、との方針が決まると、まず犯人を隔離、三人の日本人乗客を解放。 中国人乗客と乗務員はソウル郊外の特急ホテル、シェラトン・ウォーカーヒルに収容し、歓待した。 中国民航の沈回総局長がソウル入りし、交渉している間も、乗客たちは観光をし、焼き肉に舌つづみを打った。 この間の費用は数千万円に達したといわれるが、ソウル観光のフィルムはその後、中国でテレビ放送をされ、韓国に対する中国国民の認識を改めるのに役立ったといわれるから、安い宣伝費だったといえる。 中国側は、この交渉ではじめて「大韓民国」という正式名称を使い、韓中関係改善の方向を示唆した。

対ソ関係は‥大韓航空機撃墜事件で、一時、最悪の状況となり、国会では与野党双方の議員から「大韓海峡(対馬海峡西水道)封鎖、ソ連船攻撃」などの強硬策が提案された。 しかし、李範錫外相(当時)は「我々の力だけで報復措置を取ることは考えていない。 我々の力量には限界がある」として強硬策を否定。‥‥韓国政府は、数日後行なわれた撃墜事件の犠牲者合同葬儀を最後に、国内の対ソ集会をいっさい、禁止し、国民の対ソ非難ムードを押さえた。

ラングーン爆弾テロ事件は‥‥南北関係を最も緊張させるものであった。 市民の中には、南北戦争再発は必至とみて、避難支度をした人もいたといわれ、多くの人が「もし大統領が殺されていたら、武力衝突は避けられなかったろう」と語っていた。 朝鮮半島がアジアの危険な発火点であることを、実際として知らされた事件であった。

この時も、政府の対応は冷静だった。 急ぎ帰国した全大統領は、部分報復や平壌爆撃、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へのゲリラ派遣など若手将校の唱える強硬策を抑えたといわれる。 韓国軍は特別警戒態勢を取り、最前線は数ヶ月にわたり臨戦態勢を取ったといわれるが、武力衝突は避けられた。 そして、ビルマ政府から「犯人」ときめつけられ、国際的に孤立した北朝鮮は、南北対話を推進せざるを得ない立場に追い込まれたといえよう。

この4年間(1981~1985)の韓国の外交、とりわけ、「北方外交」は、次第に実を結びつつある。 大国に追随せず、国際情勢に目を配り、感情を殺して国益を追求する「自主外交」‥‥

 全大統領は1988年のソウル オリンピック開催直前に、憲法の定めにある‘7年一期、再任なし’の通りに退任しました。 韓国はこのオリンピックの成功により国威を高め、次の慮泰愚政権時代にソ連や中国といった共産圏の大国と国交を結びました。 国際的な認知を大いに高めたのですが、その一番の功績は全大統領にあったと言っていいと思います。

 全大統領は退任後、不正蓄財等を追及され、またクーデターや光州事件の責任を問われる等々で、死刑判決を受けました。 また民主化運動への弾圧などで評判が極めて悪いですが、外交面においてはもっと高く評価されてもいいのではないかと思います。

全斗煥政権がオリンピックを誘致し成功に導いた2018/02/08

 あの血塗られた光州事件(光州民主化運動)の翌年(1981)に、韓国はオリンピック誘致に成功しました。 この時の韓国民の喜びは、ちょっとやそっとではなかったです。 この様子を、『朝日ジャーナル1981年10月16日号』 「分断国家・韓国の期待と不安」が報告しています。

52対27という大差で、ソウルが名古屋を破って、88年夏季オリンピック開催地に決まった ‥‥開催地決定のニュースは、韓国民を喜びの渦にまき込んだ。10月1日付の『東亜日報』には「韓国外交の勝利」「単一チームのための対話可能性」「奇跡を勝ちとった韓国の国力」といった喜びの見出しが並び、「世界の大合唱ソウルで会いましょう」(『ソウル新聞』)、「発展途上国の勝利」(『朝鮮日報』)、「檀君(開国の祖)以来の最大行事」(『韓国日報』)といった見出しがそれぞれの紙面を飾った。

(開催地決定前に)「せめて日本の新聞の一つだけでも、名古屋はソウルに譲れ、と書いて欲しかった」とは、韓国人記者の述懐だった

喜びの絶頂に立ったのは、全斗煥政権であろう。 全政権は、去る二月の米韓首脳会談と共同声明によって米国から公式に認知され、いままたオリンピック開催地決定によって国際的認知を得た。 しかも表決では、経済大国に倍する快勝であった。それは何にも代え難い国威発揚であり、民族意識の高揚となった。

79年12月の粛軍クーデター、80年5月の光州事件と、暗い足どりを描いた全政権にとって、ソウル五輪は、国威発揚とともに政権の足固めともなった。 7年後の五輪開催を目標に、韓国民総参加運動が展開されるであろうし、国民もまたこれに呼応するだろう。‥‥全政権はまさに順風満帆の道程に立った。

(開催地決定で)期待にあふれるソウル五輪であるが‥‥これから7年間、内外の情勢がどう動くか、予期できない事件を含めて、それは予断は許されない。 例えば、全政権の任期7年が終わるのは、五輪開催直前の88年3月である。新憲法は大統領の任期を7年1期とし、全大統領自らも、再任はせず平和的政権交代の実施を明言している。 しかし、これから足固めした全政権が続き、次第に五輪ブームが高まりをみせたとき、大統領任期直前に迫った雰囲気の中で、側近たちの動きから、五輪開催を全政権の手で、という欲望が露わになりはしないか。 ‥‥過去に重任だけを認めた朴政権が、側近の権力集団に押されて憲法を改定して三選を貫き、さらに長期政権に走った実例があった。

 『朝日ジャーナル』が心配したのは、時の全斗煥大統領が憲法通りに7年で辞めるかどうかでした。 全大領は前年の光州事件で血なまぐさい弾圧を主導した人物ですが、そんなことには関心が行かなかったことが分かります。 これはその当時の韓国民の心情もまた、そうであったからです。

 在日韓国人でも多くの人がオリンピックに引かれていました。 韓国の民主化運動に連帯する活動をしていた在日が、軍事独裁政権の元でするオリンピックはナンセンスだといくら言ってもアボジ(父親)は全く聞いてくれなかったと、こぼしていたことを思い出します。

 そして韓国の全斗煥は7年後の1988年ソウルオリンピックを、国民の熱狂的な雰囲気の中で、見事に成功させたのでした。

【拙稿参照】

オリンピック誘致で全斗煥政権を応援した日本の市民団体 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/30/8778939

毎日新聞のコラムー韓国はゴールポストを動かす特性がある2018/02/03

毎日新聞 2108年2月2日付の「布施広の地球儀 韓国は嫌いですか(3)」というコラムを読んで、ちょっと感想を書きます。 https://mainichi.jp/articles/20180202/ddm/005/070/014000c

以下は個人的な感想である。     昨年の大みそか、NHKの紅白歌合戦で人気グループの「TWICE」が歌って踊るのを見てうれしくなる。愛らしい容姿もさることながら、韓国5人、日本3人、台湾1人の混成が「東アジアの協調」を思わせる。

年明け早々の1月10日、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領が日韓の慰安婦合意(2015年)を「誤った結び目」と言うのを聞いてげんなりする。“ゴールポスト”を動かして問題を解決させない戦術の最たるものと思えてくる。

お断りしたように個人の感想だが、多分こんなふうに日本人は韓国が苦手になる。韓流のドラマも映画もK-POPも韓国料理も好きなのに、韓国人はどうも付き合いにくい、と。

 ここまでは納得できるというか常識的な内容と思います。 ただし、わざわざ「個人の感想」という文言を二回も入れているので、毎日新聞全体の意見ではない、あるいはこれに反対する同僚記者がいるということなのでしょう。

 次に筆者の知人である韓国紙記者の意見が出てきます。

だが、そこで終わっては進歩がない。メールで韓国紙「国民日報」の編集担当取締役、趙容来(チョヨンネ)さん(60)の意見を聞くと「韓日両国は互いに見たいことだけを見てきている。相手を理解しようとしない」旨の長い返信をいただいた。     慶応大の修士、博士課程で学び完璧な日本語を話す趙さんとは昨秋、ソウルでのセミナーで知り合った。韓国における知日派の代表格だろう。

日本側が韓国批判に多用する“ゴールポスト”論について、趙さんは光州事件(1980年)を例に挙げる。民主化運動を軍が弾圧し多数の犠牲者が出たこの事件で、韓国では昨年、真相究明委員会が組織された。      同種の委員会の結成は4回目。調査が足りなければ何度でも調べ直す。 “ゴールポスト”を勝手に動かすのではない。 そんな韓国人の「特性」「積極的な姿勢」が日本には納得できぬものに映るのか、と趙さんは考える。

他方、韓国人は戦後の日本が「一度も戦争に参加せず平和憲法を守り抜いてきたこと」、あるいは慰安婦問題や戦争責任について「河野談話」や「村山談話」を出したことをほめたり感心したりはしていないと言う。

 韓国がなぜ「ゴールポスト」を動かすのかの理由が述べられています。曰く、「韓国人の“特性”“積極的な姿勢”」だそうです。双方が納得して決まったことでも、自分の都合だけでひっくり返すことができる、という考え方なのですねえ。

 「同種の委員会の結成は4回目。調査が足りなければ何度でも調べ直す」とあります。歴史家が「調べ直す」というのなら分かるし当然なのですが、今の政治課題として何度も「調べ直す」というのは理解できるものではないです。

 次に筆者の考えです。

「見たいこと」ではないのだろうが、日韓の政治家たちは「そのような国民感情を適当に利用してきた」という趙さんの指摘は重要だ。代表的な例は「李明博元大統領の独島(竹島)訪問」と安倍晋三政権の改憲論議を含めた「保守化への拍車」だと彼は言う。      一口に「嫌韓」だ「反日」だと言っても、長い年月をかけて醸された日韓の愛憎の構図はそう簡単には見えてこない。趙さんの分析に基づいて、その辺をもう少し掘り下げてみよう。

 筆者は「日韓の政治家たちは『そのような国民感情を適当に利用してきた』という趙さんの指摘は重要だ」とあるように、この韓国人記者の見解に賛意を表しています。

 韓国の政治家が、国民が反対しているから自分も反対だと、「国民感情を利用」してきたのはその通りでしょう。

 しかし日本の政治家が「国民感情を利用」したと言えるかどうか。 これまでの経緯から考えて相手方と合意することに決めた、だから国民の皆様には理解願いたい、という姿勢であったように思います。 だから安倍首相は自分の支持層である保守の一部の反対を押し切って、合意をしたと思うのですがねえ。

【拙稿参照】

韓国政府の慰安婦合意に対する方針 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/10/8766575

慰安婦合意の検証  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

慰安婦問題の日韓合意は混乱を呼ぶか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/02/7968787

やはり韓国政府には当事者能力がない―慰安婦問題 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/13/7906094

慰安婦問題―韓国政府には当事者能力がない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/09/7586932

朝日の反「アジア女性基金」キャンペーン  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/12/28/7525901

オリンピック誘致で全斗煥政権を応援した日本の市民団体2018/01/30

 1988年のオリンピックの誘致は、日本の名古屋と韓国のソウルの対決となりました。 この時、日本の市民団体が自国でのオリンピックに反対し、韓国で開催するように活動しました。 その時の韓国の大統領は全斗煥であり、光州事件(光州民主化運動)で市民・学生らを弾圧して多数の死者を出すなど血なまぐさい政権で、とてもじゃないが民主主義とは程遠いものでした。 その光州事件のわずか1年後に、日本の市民団体が韓国へのオリンピック誘致に力を貸し、あの全斗煥政権を後押ししたのです。 その時の彼らの主張が『朝日ジャーナル 1981年10月16日号』に載っていました。 抜粋して紹介します。

「『悪霊』に取り憑かれたニッポンの終わり バーデン・バーデンで考えたこと」 池田芳一

IOCの総会において日本の名古屋が韓国のソウルにたいし、52票対27票という、予想もしない大差で敗北した ‥‥ 今回の「失敗」(五輪誘致に失敗したこと)の原因が特定の個人に由来するものではなく、「日本」という特殊な共同体の本質的な病理に由来するからであります。

私たちの反対運動の、「名古屋五輪は自然環境と生活環境を犠牲にしてまで経済繁栄を追求する日本の新大国主義の象徴である」という主張が、現地の新聞やラジオにも取り上げられ、思いがけない反響を呼んだ ‥‥ 日本が「悪霊」から解放され、アジアの盟主としてではなく、アジア共同体の一員として平和に貢献するためにも、ソウルのオリンピックは絶好の機会である

自分自身も分裂国家としての苦しみを味わい続けてきた(当時のドイツは東西に分裂していた)西ドイツの市民たちの間には、それでなくても同じ分裂国家としての朝鮮に対する幅広い同情もあって、その時点で、ソウルへの共感は決定的なものとなりました。

私は反対運動の中で顔見知りになった多くの外国人記者たちから、「君は名古屋のオリンピックを阻止できて満足だろう。 ところでソウルのオリンピックについては政治的な危険があるが、それについてはどう思うか」と聞かれました。 ‥‥この問題こそが、私たちの「踏み絵」にほかならないのです。‥‥ 

私はいま朝鮮民族の叡智を、アジアの未来を信じようと思います。もう一度、平和と諸民族の相互理解というオリンピックの理想を信じようと思います。 ‥‥ソウル・オリンピックが東西両陣営、南北朝鮮の政権によって政治的に利用される可能性はたしかに大きいでしょう。 しかし私は、なおあえてその平和への可能性を信じようと思うのです。

この機会を利用する以外に、今の国際政治の現実において、南北朝鮮の平和対話の可能性はありません。 現在の韓国の政権がそのかたくなな軍事路線を変更する可能性はないのです。 そして南北の対立が緩和されない限り、金大中氏の釈放も、韓国、北朝鮮内での民衆の政治的な自由もありえないでしょう。

韓国はオリンピックを成功させるためには、北朝鮮との緊張を緩め、内政を安定させ、国内の民主的諸権利を保障せざるを得なくなるでしょう。 ‥‥このことを信じ、ソウルのオリンピックを真に平和的で民主的なものにするために、隣邦の一市民として最大の努力を払うこと、それが私の論理の必然的にいきつく道であると思うのです。

 論者の池田芳一さんは、名古屋オリンピック反対の市民運動代表として、ドイツのバーデン・バーデンで開かれたIOC総会に出かけて、反対運動を展開しました。 自国のオリンピック開催反対のために、わざわざ遠くドイツまで行ったのですから、現地ではかなり注目されたようです。

 彼は自国である日本を「悪霊に取り憑かれた」「特殊な共同体の本質的な病理」「新大国主義」と罵倒しています。 つまり日本はすべからく“悪”であると考えています。 だからこんな日本にオリンピックを開催してはいけない、それよりも韓国でこそ開催すべきだ、という主張です。

 韓国は軍事独裁体制の血なまぐさい政権であってもオリンピックを契機に改めるだろう、 しかし日本はオリンピックを開催しても “悪”は直らない、という考え方になります。 

 ついでに言いますと、当時名古屋には民族差別と闘う市民団体があって、彼らも名古屋オリンピックに反対していました。 その論理は、名古屋市の公務員採用等に国籍条項があって、外国人を差別している、外国人の大半は韓国・朝鮮人であるから、これは韓国・朝鮮人に対する民族差別である、こんな排他的な名古屋に国際イベントはふさわしくない、というものでした。 彼らもまた、ファッショ的軍事独裁というレッテルを知りながら、全斗煥政権を後押ししたのでした。

 1980年代初めはこんな時代だったなあ、と思い出されました。

国賓晩餐に招待された脱北青年2018/01/25

 昨年米国のトランプ大統領が韓国訪問をした際、青瓦台(韓国の大統領官邸)で開かれた晩餐会に、米国側の要請で脱北青年が招待されて出席していました。 この晩餐会は日本では「独島エビ」や元慰安婦ばかりが取り上げられて、この青年のことはほとんど全く報道されませんでした。 また韓国でもそれほど注目されませんでした。 ちょっと遅くなりますが、約2ヶ月後の1月15日付け『朝鮮日報』にこの青年のインタビュー記事が掲載されました。 日本語版にはありませんが、ちょっと興味深かったので、抜粋して訳してみました。

『朝鮮日報』2018年1月15日付け 「トランプ訪韓当時、国賓晩餐に招待され‥‥“コッチェビ”(北朝鮮で孤児となった浮浪児)出身のイ・ソンジュさん」

昨年11月、ドナルド・トランプ大統領の訪韓当時、青瓦台の公式晩餐に各界の有力人士たちと共に、ある脱北青年が招請された。これまで国賓晩餐に脱北民が出席したことはなく、初めてであった。主人公は「コッチェビ」出身のイ・ソンジュ(31)さんであった。

―彼の父親は、北朝鮮の護衛局所属の少尉だった。1994年、金日成死亡直後に酒の席でしゃべった体制批判的発言が当局に摘発された。ピョンヤンに暮らしていた彼の家族は咸鏡道の鏡成に下放された。飢死する住民らが続出する「苦難の行軍」の時期であった。   1998年、父親は「中国に渡ってお金を工面してくる」といって出かけた後、消息を絶った。そうすると母親が食料を求めて元山にいる妹の家に出かけた。「お腹が空いたら水を飲んでから、塩を必ず舐めろ。一週間したら戻ってくる」という手紙一枚を残して、そうやって出かけた母親は行方不明になった。

―どうして両親は11歳の息子を一人残して、二人とも出ていけるのか?

両親をずっと恨みました。しかし、当時食べるものが尽きた北朝鮮では自然なことでもあります。捨てられた子どもたちは市場で乞食をして、騙して、盗んで、喧嘩する“コッチェビ”として転々としていました。私は同じ年頃の7人と一緒に仲間を組みましたが、二人はぶん殴られて死にました。こんなコッチェビ生活を4年ぐらいした頃。母方のお祖父さんに会いました。ある日、ブローカーがやって来て、「お父さんが中国で待っている」と言いました。

―2002年の冬に、彼はブローカーと一緒に豆満江を渡った。中国のある村に到着すると、直ぐに彼を風呂に入れ、写真を撮った。その後、他のブローカーに彼を引き渡して「遠い所に行かねばならない」と言った。

気配がおかしいので「お父さんはどこにいるのか」と尋ねると、「韓国にいる」と言いました。「韓国はどこか」と言うと、「大韓民国」と言いました。当時は「南朝鮮」とばかり言っていましたから、「韓国」だなんて、どこにあるのか分からなかったのです。ブローカーが「延吉のように朝鮮族が集まっている所」と説明しました。彼が「南朝鮮」と言ったら来なかったです。南朝鮮に行けば、たくさん食べさせてたくさん着せてから、情報を探り出しては血を吸い、肉は犬にくれてやると言われていましたから。

―彼は中国の延吉から汽車に乗って大連に行った。そこでまたブローカーが替わった。

大連の空港まで連れてくれたブローカーは、航空券と偽造のパスポート韓国旅券を渡して、「検査台を通過し、何番出口に行って飛行機に乗ればいい」と言いました。その時はまだ、大連空港は電算化しておらず、偽造旅券が受け付けられたようです。

―仁川空港でお父さんに会いましたか?

入国審査で偽造旅券がバレました。その時まで、私が中国のある年に来ていると思っていました。南朝鮮であることを知って、ひざまずいて「元に返してくれ」と頼み込みました。国情院に引き渡されてから、やっと父親に会いました。

―父親は京畿道平沢で小さなレミコン会社を共同経営いた。彼は中学校に入学し、同級生より3歳年上だった。しかし人民学校4年を終えてコッチェビ生活をしたために、授業についていけなかった。

その頃、私はいつも怒っていました。自分自身と全ての状況が不満だったのです。そうしたら上級生たちと喧嘩になりました。校長先生が「北朝鮮から来て、もめ事ばかり起こす。みっともない奴」と大声で叱りました。それを聞いて、自分で退学しました。

―その後、彼は放浪してから検定考試(中学等の卒業と同等の学力を認める試験)を受け、知人の紹介で釜山にある地球村高校に入学した。帰国した在外同胞の青少年を対象にした特性化(ある分野に特化した)寄宿学校だった。

その学校で、安定を取り戻して体系的に勉強するようになりました。ネイティブの英語の先生に出会ったことも運がよかったです。‥‥

―彼は西江大学政治外交科に進学し、ある学期には交換留学生としてアメリカのアリゾナ州立大学に通った。その時外国の友人たちと一緒に3ヶ月、アメリカを旅行した。‥‥ソンジュさんを見ていると、何でも挑戦しようというか、手腕が飛びぬけていると言うべきか‥ 家族の保護を受けねばならない子供の時に「コッチェビ」で暮らしたのが、今の生活に大きな影響を与えたようだね?

あの時はどんな状況にも適応して生き残る能力を鍛錬しました。‥‥韓国に来て、最初は北朝鮮で自分が生きてきたやり方でやっていこうと思いました。不利な状況ならばウソをつきました。自分の間違いなのに他人のせいにしてその場を免れました。そんなウソが自分の後ろに蓄積されているのを知りました。信用がどれほど重要なのか分かるのに6年以上かかりました。それから、その場しのぎするよりは正直に認めるようになりました。

 この脱北青年の話で興味深かったのは、北朝鮮では「韓国」「大韓民国」と言われても、どこにある所か分からないという話。 北朝鮮では「南朝鮮」はあるが「韓国」はない、ということが徹底しているんですねえ。

 もう一つ興味深かったのは、韓国社会に馴染むまで6年かかったという話。 先に脱北した父親が韓国で事業に成功したらしく、経済的には困らなかったようですが、それでも馴染むのにかなりの時間がかかるのですねえ。

【北朝鮮関係の拙稿】

北朝鮮の火葬              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/10/360577

北朝鮮の火葬状況            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/01/01/1084693

北朝鮮が崩壊しないわけ         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/04/1701479

北朝鮮の百トン貨車           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/11/1716894

『写真と絵で見る北朝鮮現代史』     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/06/5665262

韓国と北朝鮮の歴史観が一致する!!   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/10/5675477

白い米と肉のスープ           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/14/5680393

韓国の北朝鮮研究            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/02/22/5698027

1970年代の北朝鮮=総連の手口     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/12/6199653

先軍政治は改革開放を否定するもの    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/12/23/6256776

金正日急死への疑問           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/15/6293047

韓国に親北民主政権=人民革命政権が樹立される可能性 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/02/01/6315655

自主的、民主的、平和的統一       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/22/6421457

和田春樹『北朝鮮現代史』        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/04/29/6428366

北朝鮮は社会主義の盟主を観念的に目指す http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/02/16/6722829

南朝鮮解放路線はまだ第一段階      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/30/6762019

北朝鮮を甘く見るな!(1)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/23/7395972

北朝鮮を甘く見るな!(2)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/07/28/7400055

北朝鮮を甘く見るな!(3)        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/08/02/7404064

北朝鮮の宋日昊が日本を脅迫      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/10/10/7455119

北朝鮮を後押しする中国         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/08/8011036

北朝鮮の核開発の目的          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/07/8671910

北の核ー歴代韓国大統領の発言    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/12/8675214

現代に残る古代国家       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachidai

金正日の肩書き          http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuukyuudai

天皇制と首領制の比較      http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuugodai

北朝鮮と小中華思想        http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuunanadai

朝鮮総連の人から聞いた話    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihyakugodai

光州事件の方がましだった―朝日ジャーナル(2)2018/01/20

 前回の「光州事件の方がましだった」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/15/8769881 の一文に対し、読者からかなりの批判があったようで、『朝日ジャーナル1989年7月7日号』に筆者である編集長の弁明というか回答が出ています。 かいつまんで紹介します。

「光州事件の方がましだった」(6月16日号本欄)に対してたくさんの人から抗議の面会要求、手紙、電話があった。 ‥‥抗議の主な内容は、「光州事件の方がまだ人間味があったという表現は、全斗煥政権を免罪してしまう。 光州事件を軽んじることで犠牲者や関係者の心をひどく傷つける」「一人殺すも千人殺すも同じ。 権力による人民虐殺が問題で、比較するなどもってのほか」という二点である。

いまも光州事件の責任追及と、犠牲者の救済運動にかかわっている人々には心外な表現だったに違いない。 ‥‥私の真意は「光州の虐殺も残忍きわまる犯罪だったが、天安門虐殺は規模といい、凶行を見られて恥じない政府の神経といい、それ以上だ」ということである。

抗議の人と話し合いながら、私は感覚のずれを痛感した。 虐殺を絶対視し、犠牲者を聖域としている人々と、ともすれば相対化、客観化しがちな自分との差である。 このずれはどこからきたのか?アラブ・アフリカの特派員として、私の主な仕事は戦場から戦場へ、虐殺の現場から現場へと移動することだった。 この間に私が学んだことは、政府も人民を虐殺するが、解放勢力も人民も、時には人民が人民を虐殺するということである。 ‥‥さらに学んだことは、虐殺の被害者が歳月とともに加害者になり得ることである。

虐殺の記憶は私のなかで重く明滅する。 虐殺の規模や、動機、虐殺に至るまでの経過などを、私はどうしても比較する。 そうしなければ人民対人民のような虐殺の多様さに対応できない。 また私は犠牲者に同情こそすれ、聖域にまつりあげる気にはならない。

 最後の「犠牲者に同情こそすれ、聖域にまつりあげる気にはならない」とあるところは、私も共感します。

光州事件のほうがましだった―朝日ジャーナル2018/01/15

 革新・左翼系雑誌といわれた『朝日ジャーナル』(1992年廃刊)を読み返していますと、へー! こんな記事があったんだ!と驚くものがあります。その一つを紹介します。

 『朝日ジャーナル1989年6月16日号』に、編集長の伊藤正孝が書いた「光州事件の方がましだった」という一文です。

人格とか人間性とかいわれるものが、極限状態に陥って初めてわかるように、権力者や政権の資質も、危機のなかで初めて露呈する。 しかし中国政府が韓国の全斗煥政権より残忍だとは思ってもみなかった。 四日の天安門制圧に伴う死者は二千人といわれる。 事実なら1980年の光州事件の公式犠牲者の10倍である。

中国人民解放軍の兵士一人の殺傷力は、古代の暴君を何倍も上回る。 兵士の持つカラシニコフ突撃銃は数秒間で30発の弾丸を発射できる。 一方のデモ隊は非暴力主義を貫いていた。

光州事件の方がまだ人間的だった。 第一に韓国政府は報道陣を排除して密室状態のなかで殺害を続けた。 全氏には人殺しを恥ずかしいと思う神経があったのであろう。 第二に学生側を武装しており、部分的ではあるが銃撃戦が行われた。 治安部隊の武力行使の名目は、立たないではなかった。

それにひきかえ天安門はどうだったか、私は大規模な武力行使はないと楽観していた。 その大きな理由は、天安門広場は各国の記者がつめかけていた劇場だったからだ。 衆人環視のなかで人をわが手にかけるのはむずかしい。 ところが中国政府は、獣性ぶりを世界にみられて恥じなかった。

中国共産党が五日発表した「全共産党員と全国民に告げる書」は、たくまずして党の恐るべき体質を告げている。 ‥‥‥ つまり学生たちを指導したのは少数のスパイであり、売国奴だったというわけだ。 あちこちの共産党が、同志の粛清に使った古典的名目ではないか。国を外に開いているのに、こんな釈明が通用すると思っている時代錯誤ぶり!マルクスの『共産党宣言』に誇るべき妖怪として登場した共産主義は、冷血の妖怪となった。

 天安門事件は人民軍が無抵抗の若者を弾圧して、多数を殺害しました。その数は共産党の公式発表では300人余り。共産党のことですから、この数字は信じられるものではありません。 ここでは二千人だろうとしていますが、その以上の可能性もあり、確かなことは分かりません。 なお人民軍の方に犠牲者がなかったのは確実です。

 一方の光州事件は弾圧された市民・学生が武器庫を襲撃して武装し庁舎を占拠しましたから、無抵抗ではありません。 銃撃戦となりましたので、双方から死者が多数出ました。 その数は不明者を含めて220人ほどで、この数は確実なようです。

 『朝日ジャーナル』の編集長はこの二つの事件を比べて、「光州事件のほうがましだった」と書きました。 これに対し、この雑誌の読者から多くの反発がありました。 次回はこの反発に対する編集長の回答を紹介します。

【拙稿参照】

「5・18光州事件」小考  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/25/8712337

韓国政府の慰安婦合意に対する方針2018/01/10

 昨日、韓国の康京和外相が慰安婦合意に対する政府の立場を明らかにしました。 内容はマスコミに報道されている通りですので、繰り返すことはないでしょう。

 なお中身にちょっと気になることがありましたので、これを書きます。

①  「協議」と「協商」

향후 처리 방안에 대해서는 일본 정부와 협의하도록 하겠습니다.  (今後の処理の方案については日本政府と協議するようにします)

일본 정부에 대해 재협상은 요구하지 않을 것입니다.  (日本政府に対し再協商を要求しません)

 「협의(協議)」と「협상(協商)」は同じ「話し合う」の意味だと思うのですが、一方では「協議する」、他方では「協商を要求しない」となっています。従って韓国政府は日本政府に対して、「協議する」が「協商しない」というちょっと理解し難い対応をするようです。

②  「日本政府」ではなく、「日本」

일본이 스스로 국제 보편 기준에 따라 진실을 있는 그대로 인정하고 피해자들의 명예, 존엄 회복과 마음의 상처 치유를 위한 노력을 계속해 줄 것을 기대합니다.     (日本が自ら国際普遍基準に従って、真実をあるがままに認定し、被害者らの名誉、尊厳の回復と心の傷の治癒のための努力を続けてくれることを期待します)

 ここで主語が「일본(日本)」となっていて、「일본정부(日本政府)」でないことに注目されます。日本政府には期待しない、日本人や日本社会に期待する、というように読めます。

 マスコミで報道されなかった部分で、気になったところは以上です。

 韓国政府は、慰安婦合意は履行しない、日本政府とこれについて話し合いはしない、しかし新たに話し合いたいところもある、という態度を取ることにしました。 

 実際には日本政府は反発していますから、韓国政府は何もできずに放置することになるでしょう。 内心では元慰安婦たちが世を去るのを待つつもりなのだろうか、などと邪推しています。

慰安婦合意の検証 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/12/31/8758841

30年前の在日韓国人論―四方田犬彦2018/01/05

 1980年代の『朝日ジャーナル』を読み返していると、30年前のあの当時、こんな議論が真剣にされていたんだなあと思い出されて、参考になります。

 今度は四方田犬彦「われらが〈他者〉なる在日韓国人 日本文化を攪拌することの豊穣」(『朝日ジャーナル1987年3月6日号』92~95頁)を紹介します。

韓国では在日韓国人のことを在日僑胞(チェイルギョッポ)、略してギョッポと呼ぶ。だがあらゆる場合において彼らに親密な同胞意識を抱いているかというと、かならずしもそうではない。 かつての力道山や張本勲(チャン・フン)のように英雄視されるか、でなければひどく冷淡に扱われるかのいずれかである。      たとえばこんな紋切り型がソウルでは広く信じられている。 韓国人のくせに日本でタクワンばかり食べていたので、ロクに母国語(ウリマル)も喋れない。根性まで日本人になってしまって、隙さえあれば騙そうとする。 政治的にも総連系の人士が多数存在していて、けっして気を許すことができない‥‥。わたしは知人の韓国人の大学教授が次のようにいったことを憶えている。ギョッポというのは全員こちらに送り帰して、精神を叩き直したほうがいいんですよ。

1980年であったが、韓国政府高官の位にあった金鐘泌(キム・ジョンピル)が日本の『諸君!』誌上で在日韓国人に向かって「もう日本人になり切りなさい」と発言し、在日社会に大きな波紋を投げかけた事件があった。 韓国のプロ野球界で在日僑胞出身の選手たちは、「外人選手(エインソンス)」という恐ろしいレッテルで呼ばれる。要するに在日韓国人とは、当の国家のみならず、本国からも二重に見捨てられ、放逐された存在なのである。

在日韓国人、とりわけ二世・三世の自己同一性はきわめて決定困難な、微妙な状況にある。 ‥‥一世と違って韓国文化を自然環境として体験することのない二世、三世は、あくまで知的選択としてそれに接近せざるをえない。 政治的被差別意識がかろうじてその自己同一性の輪郭を形作っている。 では、仮に彼らが闘っている差別の陋習が消滅してしまったとすれば、彼らはどうなってしまうのか。 実存の核を喪失して、日本の市民社会に同化してしまうのか。 はたしてそれで在日韓国人の問題は解消されたことになるのだろうか。

彼ら(在日韓国人)が二つの文化(韓国文化と日本文化)に対して抱いている批判的距離こそが、わたしにはきわめて魅力的なモデルであるように思われる。  在日韓国人が日本に存在することで文化が結果的に攪拌され、掘り崩されてゆくとき、わたしはそこに豊穣の一語を与えたいと思う。 その結果、日本という社会がいささかなりとも生硬な自己同一性の神経症(単一民族による単一文化)から解放されることになれば、われわれはそこに希望の一語を与えてもいいのではないだろうか。

 前半部分では、在日韓国人は本国韓国人と大きな隔絶があることを論じています。

「韓国の大学教授が‥‥在日韓国人(ギョッポ)というのは全員こちらに送り帰して、精神を叩き直したほうがいい、といった」   「金鐘泌(キム・ジョンピル)が日本の『諸君!』誌上で在日韓国人に向かって『もう日本人になり切りなさい』と発言」   「韓国のプロ野球界で在日僑胞出身の選手たちは、「外人選手(エインソンス)」という恐ろしいレッテルで呼ばれる」   「要するに在日韓国人とは、当の国家のみならず、本国からも二重に見捨てられ、放逐された存在なのである」

 ならば「在日韓国人」の自己同一性(アイデンティティ)は何か?といえば、

「政治的被差別意識がかろうじてその自己同一性の輪郭を形作っている」

とあるように、日本では外国人であるが故に日本国民と違う取扱いをされる点に求めています。 つまり文化の違いではなく、帰化すれば全てが解決する「政治的被差別」のみにアイデンティティの根拠があるということです。 

 ここまでは四方田は正確に分析しているのですが、最後の所で急に論点を変え、「文化」が出てきます。

「在日韓国人が二つの文化(韓国文化と日本文化)に対して抱いている批判的距離こそが、わたしにはきわめて魅力的なモデルである」 「在日韓国人が日本に存在することで文化が結果的に攪拌され、掘り崩されてゆくとき、わたしはそこに豊穣の一語を与えたい」

 ここでは、日本とも本国韓国とも違う在日韓国人の存在そのものが、自分にとって「魅力的なモデル」「豊穣」であるとしています。 その理由は次に続きます。 

「日本社会が生硬な自己同一性の神経症(単一民族による単一文化)から解放」

してくれるからだ、ということです。 すなわち日本の単一民族感情を撃つものとして、在日の存在意義があるという考え方です。 これは政治的被差別感(国籍による制限)で「かろうじて」アイデンティティを維持している在日には、重荷でしかないでしょう。

 今この文章を読むと、30年前はこんなことが真剣に議論されていたことを思い出します。 だから当時は左翼・革新系(今は良心的日本人とも言われます)の間で、在日はそれだけで‘ちやほや’されていたのです。 結局は彼らは日本社会への異議申し立てをするために、在日を賞賛して利用しようとした、ということです。 だからそれを知る一部在日活動家が日本の左翼・革新思想を獲得して、日本社会・日本文化の批判を繰り返すという経過になりました。 これが1980年代の大きな流れでした。

 この流れの名残りが今も残っていますね。

 21世紀になって日本社会を「豊穣」にしてくれた韓国人は、在日ではなく、「冬のソナタ」のペ・ヨンジュンはじめ韓流ブームの人たちであると考えています。 在日に「文化」を期待する時代ではなくなっていると思います。