植民地時代のエピソード(3)2019/11/20

 朝鮮総督府の高級官僚である守屋栄夫は、当時の日本人たちの振る舞いにも苦言を多く発しています。

『民族及び歴史』という雑誌の満鮮研究号に喜田貞吉博士の談が載っていますが、博士が内地人の車夫の人力車に乗って行きますと、すぐ前に朝鮮の紳士を乗せた朝鮮人の車夫が賭けて行ったそうです。 すると内地人の車夫が全速力で追いついたかと思うと、幌を捉えて車を引き止め、驚いて見返る朝鮮の紳士と車夫に向かって「バカ野郎、気をつけろ」と言い放った。そこで博士が「いくら何でも、前に行く車を引き止めてバカ野郎呼ばわりをするのは酷いじゃないか」とたしなめてやりましたところ、「なに、あなた、ああでもしなけりゃ、つけ上がりますから」と言ったそうであります。 これなども実に乱暴な次第であって、実に内地人として恥じ入らねばならぬと思うのであります。(44頁)

ある日内地人の宅へ朝鮮の婦人が大根を売りに行きますと、そこのお内儀(かみ)さんが「お前さん等はよくウソを言うから調べてみなけりゃいけない。 中が空洞になっているであろう」と言って一本の大根を切った。 「これはいいが、後のはたぶん悪いに違いない」と言いつつ、残っている十本ばかりをみんな切ってしまい、その中からたった一本だけ買った。 そう切られては困るから、どうぞ全部買って下さいと懇願したけれど、その内儀さんは肯かない、果ては大声でわめき立てるので、やむを得ず切られた大根を集めて隣の家に行って、泣いて事情を訴えた。 幸いその人は分かった人であったので、全部の大根を買った上で慰めて帰したというような話も聞くのであります。(44~45頁)

いま総督府の勅任官(本省の次局長級、あるいは府県の知事級)になっておられる某氏(朝鮮人)が帝大専科の学生出会った際、休暇に朝鮮に帰ってきて本町通り(京城の繁華街)を散歩しながらガラス張りの店に飾った品物を見ようと立ち寄っていると、店から番頭が出てきて「お買いなされ、お買いなされ」とうるさく言う。 何も買うつもりで立ち寄っているのではないから、適当な値を言ってやると「バカ野郎」と言いさま、横面を殴り飛ばされたということです。 それがとにかく朝鮮の俊秀として帝国大学に学んでいる人である。 将来の、経世の理想を行なおうとする有為の青年が、理不尽に丁稚小僧のために大通りで殴られるというようなことは、感情の問題として実に耐えられないことです。(44頁)

朝鮮に来ている内地人が悪いだけでなく、大体において日本人全体が訓練されていないため‥内地人が明瞭にその欠点をさらけ出し、恥を内外に晒しているのであります。(46頁)

慶尚南道の面長(村長に該当)等からなる内地視察団が大阪を通りまする時に、二等車に細君を連れた内地の紳士が入ってきて、朝鮮の人を見るや、顔をしかめながら「ああ汚いこんな所に乗れるものか」と言った。面長の中には、内地語を解する者があったので、この言葉を聞いて腹に据えかねたように見えたのでありますが、たまたまその向こう側に腰掛けておった内地の紳士が「ああいうバカ野郎がいるから、いけない」と言って取りなしてくれたので、同伴の内地属官なども大変気持ちが良かったということであります。(46頁)

奈良の駅では、中学生の生徒らしい者が「朝鮮人のくせに二等に乗るとは生意気だ」と聞えよがしに二度も三度も列車の前を通りながら言い放ったので、皆が憤慨しておったということも聞き及んでおります。(46頁)

だいたい内地人には共通の欠点があります。 それは欧米人が来ると乞食が来ても敬意を払わんばかりでありますが、朝鮮人、支那人その他になりますと高官大官でもややもすると軽蔑し、劣等視するのであります。 この欠点は速やかに除去しなければなりませぬ。 何も朝鮮人、支那人、印度人と申しても軽蔑すべきではないのであります。 また欧米人であるからと言って、一から十まで偉い者ばかりではないのであります。 等しく人格者として敬愛する上に差等を設けるべきものではない。 このことは将来日本の教育上、是非改善しなければならぬ事項と思うのであります。(45頁)

内地の朝鮮人留学生もその通りでありまして、その大半が排日学生になって帰ってくるというのは、内地の人々から軽蔑もしくは冷遇される結果、内地人を信頼するという感情を持ちかね、むしろ疎んじ反抗するようになって帰ってくるのであると思うのであります。 朝鮮内地においては不逞鮮人を捕らえたとか逃したとかいって警務局が大騒ぎをしているのでありますが、現にわれわれ内地人の浅慮短識により、もしくは不用意な言動により、自ら京城なりまたは東京の真ん中において何百人という不逞鮮人の卵を孵化しているのであります。先ず内地人自らなぜ朝鮮人の信望がなく、かつ人格的感化が認められないかについて深く省み、速やかにその態度を改めるようにならなければならぬと思うのであります。(46~47頁)

 朝鮮総督府の官僚は、植民地政策をスムーズに進めるために日本人と朝鮮人との和睦を図ろうとして、日本人に対する厳しい苦言も辞さないという姿勢が読み取れます。

 ところで現在の日本では、一部ですが韓国・朝鮮人に対するレイシズムが蔓延っていますねえ。 ネットウヨとも言いますが、困ったものです。 上記のような、植民地時代に品性卑しかった日本人たちとレベルが同じです。 

 インターネットや嫌韓雑誌なんかの情報ばかりに接しているようですが、その根拠となる資料は何か、反対側の立場の意見はどうかなどを探して調べた上で、発言・行動してほしいものです。 

植民地時代のエピソード(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/09/9174435

植民地時代のエピソード(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/14/9176704

植民地時代のエピソード(2)2019/11/14

朝鮮の人が申したのであります‥‥ 我々にはこういう諺がある。「家を焼いてもピンデ(南京虫)が死んだと思えば嬉しい」というのである。 すなわち一族安住の家を焼いて、住む所がないようになったけれども、いつも噛みついていたピンデが火とともに死んだと思えば嬉しいというのである。 これは理性の判断ではなくして感情の要求であります。

昔、北漢山上に大きな寺があったそうです。 寺領が多く、一度その住持となれば一生安楽に暮らすことができた。 しかるに多くの僧がそこに行っても、永続する者がなかった。 ある僧侶が、俺こそは住み通して見せると高言を放って行ったのでありますが、泊まった晩から無数のピンデが来て、噛みつく。痛さ!痒さ!とても堪らぬ。 しかし、ここにじっとしておれば、この壮麗なる殿堂を自分のものとすることができる。 多くの寺領から上がってくる資産によって楽々と生活ができる。 幸福と平和と栄華とがあわせて得られることが分かっても、毎晩来て侵すピンデの痛さ・痒さには耐えられない。 そこで怒って火を放ち、寺を焼いたといいます。(40頁)

 ピンデとは南京虫のこと。 第二次大戦時に従軍中の兵士たちが南京虫に悩まされ、戦後の日本では警察の留置場、山谷や釜ヶ崎のドヤ(簡易宿泊所)の布団にたくさんいたといいます。 今ではアジアからの旅行客が持ち込むことがあるようで、南京虫の被害が増えているようです。 シーツの洗濯や掃除の不十分な安宿は要注意ですよ。    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191107-00000068-sasahi-soci

 今日の韓国の諺に「빈대를 잡으려다 초가삼간 태운다」(南京虫を殺そうとして家を焼く)があります。 この諺が百年の昔に、日本人に記録されていたのですねえ。 日本の諺では「角を矯めて牛を殺す」に該当します。

 南京虫に悩まされて寺を焼いたというのは、それぐらい南京虫の被害は凄いことを例える話であって、実際にあったことではないようです。

 ところでこのエピソードは朝鮮総督府秘書官の守屋栄夫が、朝鮮人は「理性の判断ではなくして感情の要求」という特性を有していると論じるのに当たり紹介したものです。

 この民族的特性については、今の日本でもインターネットや嫌韓雑誌等で相変わらず論じられています。 他民族の属性を批判する時には慎重を期さねばならないと思うのですが、そんな配慮がないのは残念ですね。

植民地時代のエピソード(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/09/9174435

植民地時代のエピソード(1)2019/11/09

 朝鮮を併合した日本は、植民地政府として「朝鮮総督府」を発足させます。 総督府は『朝鮮』という定期刊行物を発行して、植民地行政の方針・報告等々を行ないます。 行政文書ですから余り面白くないのですが、大正11年1月付けの『朝鮮83号』に、朝鮮総督秘書官 守屋栄夫の「朝鮮の開発と精神的教化の必要」と題する講演の内容が載っており、講演だからなのでしょうか比較的分かりやすいものです。

 そこに植民地行政を進めるに当たって見聞した、朝鮮人や日本人のエピソードが紹介されています。 当時の朝鮮社会を知るには、このようなエピソードも重要だろうと思い、紹介・引用するものです。 なお現代文に書き直しています。

 まずは李朝時代の話です。 なおここに出てくる「苛斂誅求」は今では読める人が少ないですねえ。

今では昔話となりましたが‥‥ 当時(併合以前)郡守あるいは観察使(道の長官)になる為の運動費に一千若しくは数千、最も多いのは数万というような金が要ったそうです。 そうして観察使、郡守に任ずるの辞令を受け取って宮中を退出すると、居並ぶ役人衆が「お前はまことに結構な役を仰せつかったそうな、おごれ、おごれ」という。言われた者も当然のことと考え「われ腴邑(経済的に豊かな村)を得たり。 まさに民膏(住民の富)を食わんとす(得ることができる)。 おごらないで、どうしましょうか。」と答えて金銭酒食を振りまく。こうした地方官がいよいよ任地について何を始めるかといえば、すなわち苛斂誅求である。自分の懐を増やすことだけである。(30~31頁)

 そういえば、李朝末期に朝鮮を旅行した英国人女性イザベラ・バードは朝鮮の役人たちを「吸血鬼」と呼びましたねえ。 ここに紹介するエピソードは、その「吸血鬼」の実態を示すものです。

ある郡守がその職を得るために莫大な金を使った結果、任についてから無闇に金を集め出したそうです。 朝鮮の民衆は‥‥かかる場合にも従順でありますが、あまりに誅求が甚だしかったものと見えまして遂に憤慨し、有志集合して郡守を捕らえ、郡境から追放しようとした。 いよいよ郡境に達して「もうあなたの厄介にならぬ。勝手に何処にでも行きなさい」と突き放した時に、郡守が一同に対して「それはお前たちも考え直した方がいいではないか。実は私が郡守になる時に運動費として数万の金を使ったので、やむを得ずお前たちから多額の税を取り立てたのである。

しかしお蔭でもう近頃は運動費も取り返したのであるから、これからは大いに仁政を敷くつもりであったのである。 お前たちが自分を追い出すのは勝手であるが、私の後にいかなる郡守を迎えると思うか。 新しく来る郡守もやはり運動費を使った人だから、自分と同様に苛斂誅求をやるに違いない。 私を追い出しても苛斂誅求が止まぬとすれば、返ってお前たちの不利になりはしないか。 むしろ仁政を敷こうとする自分を置いた方が得策であろう。 熟考してみるがいい」と言ったので、一同も理の当然に一言もなく、それならばどうぞと相変わらず郡守としてお留まりくださるようにとお願いして、郡守になっていてもらったということであります。(31~32頁)

 前述のイザベラ・バードは、苛斂誅求する郡守様を村人が追い払うだけでなく、殺すこともあったと記しています。 当時の朝鮮で有名になった事件では「郡主の側近を薪の上に乗せて焼き殺した」というのがあったそうです。 ところで郡守になるのに多額のお金(賄賂)が必要で、郡主となった両班はそれを取り返すために任地で苛斂誅求するというのは、前述のように事実ですね。

軍籍に壮年者を登録すれば、その軍人の衣服調度等を整えるに必要な費用を一般から取り立てることが出来たのであります。 しかるに芦田という所の実例によると、子供が生まれて三日も経たぬ者を軍籍に入れて税を課し、しかも子供の親の耕作用の牛を(税の担保に)連れて帰ったのであります。牛を取られては百姓の仕事ができないという絶望に陥ったのでありましょう、これがあるためにかくの如き凌辱を受けるのだと言って、一刀のもとに陽茎(ペニス)を切り落としたのであります。 そこでその妻女がその一物を郡庁に持参してその事情を訴えた。 膏血淋漓(こうけつりんり-血がしたたるさま)を見る者、みな顔をそむけたということであります。(32頁)

   子供のペニスを切り取るなんて本当かなと思いますが、李朝時代ならあり得たかも知れません。 なお生まれたばかりの子供を軍籍に入れて、その費用を出させるというのは事実だったろうと思われます。

【拙稿参照】

朝鮮に封建時代はなかった        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/29/7261186

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/09/7270572

『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(9)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/14/7274402

朝鮮に封建時代はなかった        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936

福田徳三について         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/03/9054853

李氏朝鮮時代の社会        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/10/14/560250

趙博さんの複雑な名前2019/11/02

 先に金時鐘さんが雑誌での対談で語ったご自分の名前について、疑問を提示しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120 この同じ対談のなかで、趙博さんもご自分の名前を語っておられます。

 趙博(チョウ・バク)さんはミュージシャンで、民族問題であちこち活躍されている方です。 彼は『抗路』6号で、ご自分の名前の複雑な過程を披露されました。 誤解のないように、その部分を全文紹介します。

己の記憶に出てくる自分の最初の名前は「あんどうしげはる」なんですよ。誰が何と言おうと「安藤茂治」なんだ。 その事情は中学生の頃に判明するんだけど、お袋が離婚した後、僕はおじいちゃん・おばあちゃんのところで育てられます。 爺さんの本名は権元淳、通名が安藤さん。 で、僕が生まれたときに届け出た名前が「趙博」だった。

一方、婆さんからは「お前の本当の名前は趙ヨンテやで」と何度も聞かされていたんです。ヨンテは「栄泰」かな、などと思ったりもしましたが、漢字はついぞ分からない。 ところが「ひろし」という名前が、離婚のときの名前だから縁起が悪いということで「しげはる」に勝手に変えられたらしいんです。 そして僕が四歳の時にお袋が再婚したんですが、「今日からお前は西山博(ひろし)やで」といわれた記憶が強烈に残っています。 親父の通名が「西山」で、登録上の名前「博」に戻ったわけです。

僕は産みの親爺に会ったこともなければ、顔も知らない。 なんでも、韓国海軍の将校クラスの軍人で朝鮮戦争のときに軍隊から逃亡して、密航で日本に来て西成に住んだらしい。 当時、他人の外登(外国人登録証明書)を金で買えたそうですね。 その人の名前が「趙」だった。 彼の本名は「池」なんだが、離婚しても子どもの姓は変わらない。 僕は「趙博」のままだから、お袋は再婚相手として関西中の趙さんを探し回ったちゅうんですよ(笑)。

僕はいま「趙博(チョウ・バク)」と自他共に名のっていますが、その確固たる根拠なんてどこにも存在しない、たまたまなんです。 (以上、『抗路』6号 2019年9月 15~16頁)

 ここで語られていることは、趙さんの実父は日本で外国人登録を不法入手して、他人である「趙」の名前で生活し「博」という子供を作った、それが自分だということです。 そしてその不正状態を清算することなく現在に至っていることになります。

 韓国籍だそうですが、韓国ではどのような戸籍(今は家族関係登録)なのでしょうか。 父親は「池」なのか「趙」なのか、それとも韓国での戸籍をまだ作っておられないのか。 

 本人は法律上の不正な身分関係を清算していないことに納得して生きて来られたようです。 しかし、そんなことをいつまでも続けていていいのか、家族・親族たちも納得しているのか等々、他人事ながら気になります。

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥2019/10/26

 以前に、金時鐘さんは自分の名前が「金時鐘」と「林大造」の二つあることを説明していないと論じていましたが、最近出た『抗路』という雑誌の第6号に、彼自身が次のように語っているのを見つけました。

もう一つややこしいのは、「金時鐘」は日本ではペンネームに過ぎない名前なんだ。 法的には「林大造(イム・テジョ)」という外国人登録名がある。 私の「在日」の由来とも絡んでいる名前でもある。 三つの文字の名前は日本人には朝鮮人とわかる名前でもあるので、「キン」でも「キム」でもいっこうに私はかまわない。 (抗路社『抗路』6号 2019年9月 15頁) 

 「林大造」は、金さんが1949年に日本に密航した際に、不正に入手した外国人登録証にあった名前です。 ですから「『在日』の由来に絡んでいる名前」であるのは確かですが、密航と登録証不正入手という二つの不法行為によって得た名前だということを言ってほしかったですねえ。

 もう一つ、両親の墓参りのために韓国の戸籍が必要となった際、日本で不法に入手したこの「林大造」名で韓国戸籍を取得したことも言ってほしかったです。

 彼は両親から「金時鐘」という名前をもらい、その名前で学校に通って韓国社会に暮らしていましたが、ある日に日本に密航して「林大造」に変身しました。 おそらくは「背乗り(はいのり ―他人の身分を乗っ取って、その人物に成りすますこと)」と考えられます。 そして今度は本当の本名である「金時鐘」ではなく、他人である「林大造」名で、両親が眠る韓国で戸籍を作られたのです。 以上までが、私が彼の名前に関して調べた結果です。

 他人の名前で祖国の戸籍を作って両親の墓参りすることについて、金さんはどのように説明されるのでしょうか。

【拙稿参照】

金時鐘さんは結局語らず   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/13/9140433

金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448

毎日の余録に出た金時鐘さん http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/27/8950717

本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112

金時鐘さんの法的身分(続)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281

金時鐘さんの法的身分(続々)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951

金時鐘さんの出生地        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/05/7700647

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

「9条は素晴らしい」と言うが2019/10/19

 毎日新聞に西谷文和さんの『続・西谷流地球の歩き方』というコラムが二週間おきに連載されています。 昨日の10月18日付けは「タリバンにも響いた9条の心」と題するもので、題名の通りに憲法9条を称賛するものです。  https://mainichi.jp/articles/20191018/ddf/012/070/013000c

 この人に限りませんが、9条を絶対視する人の意見について、私は昔から違和感を持ってきました。 その違和感について、この西谷さんのコラムを材料に書いてみたいと思います。

2010年2月、アフガニスタンの首都カブールでムタワッキル師の邸宅を訪問した。 ムタワッキル師は「穏健派タリバン」と言われていて、タリバン政権時代の外務大臣。

開口一番、「日本は素晴らしい国だ」と言う。 なぜか? それは先進国で、日本だけがアフガン派兵を見送り「誰も殺さなかったから」だ。

「日本は平和貢献、人道支援に徹するべきだ」と強調するので、ここでとっさに聞いてみた。 「あなたは日本の憲法9条を知っていますか?」「9条? なんだそれは?」。通訳のイブラヒームが尋ねる。 「えーっとね、9条というのはね、日本が戦争に負けてもう二度と……」。 イブラヒームに説明している時だった。

「I know(知っているよ)」とムタワッキル師。

えっ! なんとタリバンの元外務大臣が日本の平和憲法を知っていて「9条は素晴らしい」と言うではないか。 この時点ですでにタリバンは米軍との戦争に疲れていたのだ。

「もうこれ以上戦いたくない。早く和平合意を」。 これがタリバンの本音だった。 極端なイスラム原理主義で、女性の人権保護、ハザラ人の大虐殺などタリバンには重大な戦争責任がある。 しかし、それは国際刑事裁判でただすべきで、空爆で街を破壊し、住民を殺りくすることではない。

感動した私はムタワッキル師と固く握手。 丁重に礼を言い、無事ホテルに到着。 ほっとした私とイブラヒームが互いにつぶやく。 「人は会ってみないとわからんねー」<ジャーナリスト 西谷文和>

 アフガニスタンで徹底したイスラム原理主義政策を施行し、女性虐待、少数民族虐殺、そして世界各地でテロ活動を行なったタリバン政権。 バーミヤン石窟の仏像を破壊するという野蛮行為をしたといえば、思い出される方もおられるでしょう。

 その政権の中心人物が日本の憲法9条を「素晴らしい」と絶賛したというのです。 それほど「素晴らしい」のであれば、タリバン自身が9条のような憲法もしくは最高法規を定めるべきだと思うのですが、彼らにはそんな気は全くありません。 ただ日本が9条を有していて、我がアフガンに派兵しなかったことを称賛しているだけです。 

 そして、アメリカとの戦争に疲れて「和平合意」を考え始めた時に、日本人を相手に「日本の9条は素晴らしい」と言い出したということです。 しかし、それを聞いた西谷さんが感激したというのですから、ここが私の理解できないところです。

 世界的に見て、9条のような平和憲法を持とうとする国はないでしょう。 9条護持を強く訴えている日本共産党にしても、平和憲法なんてこれぽっちも考えたことのないベトナムに友好親善訪問しています。 つまり9条は世界的・普遍的な価値観を有するものではないということです。 9条護持の主張は、日本というごく狭い地域のみに通用している論理なのです。

 昔、9条にノーベル平和賞を!という運動がありましたが、世界の戦争・紛争の解決に一度として貢献したことのない9条がそんな値打ちを持っているのだろうか、と疑問に感じたものでしたねえ。

【拙稿参照】

加藤陽子「九条放棄されればカナダ国籍を取る」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/09/04/6971199

第25題 タリバンの純粋さ    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuugodai

中島岳志さん、それはちょっと違うのでは2019/10/15

 10月14日付の朝日新聞に、近頃の嫌韓現象について、中島岳志さんから意見を聞く記事がありました。 

https://digital.asahi.com/articles/DA3S14217205.html?iref=pc_ss_date

 その中で、気になる部分を引用紹介します。

――何(近年の強い『嫌韓』の広がり)が、大きな要因に?

「その後(1980年代以降)、韓国が経済成長で国力をつける一方、世界における日本の相対的地位が下がったこと。根底にはこうした変化があると思います。韓国の姿勢も『日本に言うべきことは言う』と変化していきました。隣国の韓国が自己主張を強める姿は一部の日本人にとって、自信喪失と相まって気に入らない。保守派、とくに年長の世代により表れていると思います」

――朝日新聞の世論調査では、年長になるほど、韓国を「嫌い」と答える割合が増えていました。

「韓国を過去に見下していたような中高年世代にそうした傾向がある程度、あることは納得できます。この世代が時の変化に追いつけていない。それが今の日本のナショナリズムの姿です」

――80年代以降の政治における変化も影響しましたか。

「自民党が下野した93年の総選挙で初当選したのが安倍晋三首相です。このころ自民党内では、先の戦争を侵略戦争と認めた細川内閣やハト派の河野洋平総裁に反発する『歴史・検討委員会』が発足します。これが現在の安倍さんや周辺の動きにつながっていると思います。重要なのは、以前の自民党右派や保守論壇に反韓・嫌韓は強い形では見られなかったことです」

――「保守」のありようという視点でみると、安倍政権の韓国への姿勢はどう評価すべきですか。

「18世紀の英国の政治家エドマンド・バークに従えば、保守思想は、人間は不完全であり、人間の理性は間違いやすいと考えます。自分と異なる主張にも耳を傾け、『なるほど』と思える異論とも合意形成を図ろうとする。これが保守政治の矜持(きょうじ)です」

――保守政治家こそ韓国と対話すべきだ、と。

「そうです。『自分たちこそ正しい。韓国はおかしなことを言い続けている』という頑(かたく)なな姿勢は、私には保守とは見えません」

 近年の嫌韓の盛行は中島さんによると、かつて日本と韓国は大国と小国の関係であり、だから日本は韓国を見下してきた、しかし1980年代以降に韓国が力をつける一方、日本は国際的地位が低下してきた、そこで韓国は日本に対して強くものを言うようになった、しかしこれを理解できない日本の保守派がかつての小国だった韓国のイメージを持ち続けて、韓国は何と生意気になったのかと反発し、今の『嫌韓』となっている、というものです。

 彼は嫌韓をこのように解説しているのですが、ちょっと違うなあと感じました。 日本と韓国がかつて大国と小国であったのはその通りですが、当時は保守も革新も、日本は大国だから小国の韓国に対しては譲歩し、手を差し伸べねばならない、という考え方でした。 

 毎日新聞記者の澤田克己さんが、その著書『韓国「反日」の真相』(文春新書 2015年1月)で、日韓の政治家の重鎮がかつて次のような会話をしていたというエピソードを紹介しています。

韓国の金鐘泌元首相が「なんだかんだと言っても日本は大国ですから」と言い、中曽根元首相や竹下元首相らが「やっぱり韓国の事情も考えてあげないと」話していたのだという。(92頁)

 これに類した発言として「日本は大人の対応をせねばならない」というのがあり、これは言論人や知識人からしょっちゅう出ていました。 日本だけに「大人の対応」を求めるのですから、韓国を「子供扱い」していることになります。 革新系の政治家では、民主党政権の大蔵大臣だった藤井裕久さんが産経新聞のインタビューで「中韓は子供だと思って我慢すればいいんです」と発言していました。

 また毎日新聞の小倉孝保記者は、2014年6月13日付で「日韓関係について‥‥最近、日本側には誇りを傷つけられたと感じることも多い。ただ、そういうときこそ誇りを声高に主張せず、冷静に対応すべきだと私は思う。それが『強い国』の責任である」と書きました。 ここでは日本は「強い国」ですから、韓国は「弱い国」なのです。

 同じく毎日新聞は2014年2月17日の社説で「(日本は)成熟した民主主義国家として、中国や韓国に対して関係改善に積極的に動け」と主張しました。 日本が「成熟した民主主義国家」ですから、中国や韓国は「未熟な国家」ということです。

 以上のように、日本と韓国の関係は「大国と小国」、「大人と子供」、「強い国と弱い国」、「成熟した民主主義国家と未熟な国家」ということで、保守だけでなく革新も、そして言論界でも、最近まで有していた認識です。 中島さんは韓国を見下していたのは保守派のように語っていますが、実は革新派も、また韓国に理解があるとされているマスコミまでも同じであったことを指摘しておきたいと思います。

 そしてこういう関係だからこそ、日本は相手に言いたいことも言わずに遠慮し、手を差し伸べてきたのでした。 ここは中島さんが「以前の自民党右派や保守論壇に反韓・嫌韓は強い形では見られなかった」と言っているところですね。 いわゆる「金持ち喧嘩せず」の精神でした。 しかし中島さんの言う通り、今は韓国が力をつけ、日本は相対的地位が低下しました。 とすると日本はもう「金持ち喧嘩せず」の必要がなくなり、遠慮なく「言うべきことを言って」喧嘩する状況になったということです。 

 一方力をつけた韓国は、今度は日本との優劣関係が逆転したと思い始めたようで、日本を見下すことが露骨になってきました。 韓国の場合、自分が優位にあると思うと、その優劣関係を明瞭化しようと傾向が強いです。 劣位にある相手方を思いやるという発想は、なかなか出てこないのです。 

 中島さんは「保守政治家こそ韓国と対話すべきだ」と主張していますが、日本の保守政治家と韓国の政治家との対話は今でも時々やっていますね。 しかし互いに言いたいことを言い合うだけで物別れに終わり、感情的なしこりが残ったというものばかりです。 このままで対話しても、しこりが更に強くなるだけでしょう。 こんな状況で単に対話を呼びかけることは、無責任なだけです。 中島さんや朝日新聞が仲介の労を取り、実りのある対話ができるようにお膳立てすれば意味のある主張となるのですが、そんなつもりは全くないようです。 

【拙稿参照】

実は韓・中を見下している「毎日新聞」社説 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/02/19/7226754

「中韓は子供と思って我慢すればいい」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/12/27/7157809

毎日新聞 「“強い国”こそが寛容に」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/15/7344974

韓国では日本の存在感はない    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/17/8789342

世界で唯一日本を見下す韓国人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/06/8216253

日本を見下す韓国(2)         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/22/8285733

戦前の朝鮮人へのイメージは良かったのか2019/10/12

 『ニューズウィーク日本版』(2019年10月9日付け)に、「戦前は『朝鮮人好き』だった日本が『嫌韓』になった理由」と題する記事がありました。 そのなかに次のような一文が目に引きました。

https://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2019/10/post-287.php

本記事で指摘される興味深い事実の1つは、日本人の「韓国人観」の変遷だ。1941年に元大阪学芸大学の心理学者・原谷達夫氏らが日本の小学生~大学生を対象に12の人種・民族集団について持つ信念や態度を調査したところ、朝鮮人への好感度は日本人、ドイツ人、イタリア人に次いで4番目に高かった。嫌韓どころか、「好韓」だった時代があったのだ。

それが、敗戦直後の1946年には最下位である12位に落ちる。その後、2000年代には韓国に対する態度は比較的ポジティブだったのが、2012年には急激に悪化した。(内閣府「韓国に対する親近感」調査)

 戦前の日本人は朝鮮人に対するイメージが良かったというものです。 これはこれまで世に広く、日本は朝鮮を植民地化して朝鮮人を蔑視してきた、その植民地主義的な民族差別意識が戦後も続いて今に至っているのだ、と教えられてきた歴史とは違っています。

 戦前は朝鮮人のイメージが良かったという話は、20年以上前に発行された本ですが、鄭大均『韓国のイメージ』(中公新書 1995年10月)にも出てきます。

表1は、楠弘閣が1939年と1949年に行なった「日本人学生」の「諸民族」に対する好悪調査の結果を、鈴木二郎が整理したものである。(鈴木二郎『人種と偏見』紀伊國屋書店 1969 126頁) 同調査は、戦前から戦後にかけての朝鮮人イメージの変化をうかがうことのできる貴重な資料であるが、印象的なのは、1939年調査で、比較的好感度の高い集団として位置づけられていた朝鮮人が、1949年調査では、最も好感度の低い集団に転落していることである。

多分、重要なのは、日本人がかつて朝鮮人との間に共有していた運命共同体の消失と戦後の日本社会における在日朝鮮人の行為という二つの要因であろう。 「内鮮一体」や「内鮮融和」のスローガンが示すように、1939年当時の日本人にとって、朝鮮は「大日本帝国」の版図の一部であり、1932年満州国建国、1937年日中戦争と時局が推移する過程で、その国策的要請は高まっていた。 敗戦後、こうした運命共同体が消失した時、朝鮮人に対する眺めが変化したのは当然のことであるが、好感度がかくも急激に下落したのは、終戦直後の在日朝鮮人の行為が日本人の心に植え付けた印象であろう。 (以上 2頁)

 ここの「表1」というのは「日本人学生の諸民族に対する好悪」と題するもので、次の通りです。

順位     1939年     1949年

  1      日本人      日本人

  2      ドイツ人     アメリカ人

  3      イタリア人    ドイツ人

  4      満州人      フランス人

  5      朝鮮人      イギリス人

  6      蒙古人      イタリア人

  7      インド人     満州人

  8      アメリカ人    インド人

  9      フランス人    中国人

  10      トルコ人     トルコ人

  11      黒人       ユダヤ人

  12      イギリス人    ロシア人

  13      支那人      蒙古人

  14      ユダヤ人     黒人

  15      ロシア人     朝鮮人

 日本人の朝鮮人へのイメージは、終戦を境に大きく変わったと言えるように思えます。

【拙稿参照】

終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/14/7054495

張赫宙「在日朝鮮人批判」(1)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714

張赫宙「在日朝鮮人批判」(2)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446

権逸の『回顧録』              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587

闇市における「第三国人」神話    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai

石破茂さんのデタラメ創氏改名論2019/10/06

 朝日新聞によれば、自民党の石破茂氏が講演で、日本が植民地時代の朝鮮で施行した創氏改名について、次のように論じたそうです。

石破氏「今日から君はスミスと言われたら」日韓連携訴え

「なぜ韓国は『反日』か。もしも日本が他国に占領され、(創氏改名政策によって)『今日から君はスミスさんだ』と言われたらどう思うか」   

自民党の石破茂・元幹事長は5日、悪化の一途をたどる日韓関係について、戦前の朝鮮半島統治で日本が創氏改名などを進めた歴史的背景を考えるべきだと指摘した。徳島市内での講演で語った。

https://digital.asahi.com/articles/ASMB563Y0MB5UTFK00D.html?iref=comtop_list_int_n04

 ごく簡単な記事なので詳しいことは分かりませんが、わざわざ括弧書きをして小見出しにまでしていますから、発言は事実のようであり、それに朝日が全面的に賛同していると思われます。 創氏改名を例にとって、韓国が日本に反発するのは当然だという趣旨です。

 石破さんは創氏改名を、日本名を強制するものだと考えておられます。 こんな創氏改名論が間違いであることは拙論で繰り返し論じてきたし、また世間でも定着してきたと思っていたのですが、今でも、しかも影響力の大きい政治家の口から出てきたことにビックリしました。

 昭和15年(1940)の創氏改名時の施行時に、日本名ではなく、先祖伝来の名前で創氏した朝鮮人は20%でした。 つまり金や李といった民族名を維持した朝鮮人は二割です。 その具体例はいくらでも挙げることができますし、拙論でもその資料を紹介しました。

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676

民族名で応召した朝鮮人    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817

朝鮮人戦死者の表彰記事ー1944年 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160

 以上の例からも分かるように、かつての創氏改名は、石破さんが言うような「『今日から君はスミスさんだ』と言われたら」とは全く違うものです。 

 おさらいしますと、創氏改名はそれまで朝鮮社会にはなかった家族名(ファミリーネーム)を新たに創るものであって、その家族名は日本名でもよかったし民族名でもよかったのです。 日本名を強制するものではありません。

 石破さんや朝日新聞記者(鬼原民幸)には、もっと歴史を勉強してほしいですね。

【拙論参照】

創氏改名の誤解―「世界史の窓」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515

朝鮮名での設定創氏が可能な場合 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

宮田節子の創氏改名論    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

創氏改名とは何か (00年4月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

創氏改名の残滓 (01年6月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

創氏改名の手続き(04年10月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

在日企業が在日を採用しない2019/10/01

 だいぶ前のことですが、ちょっとした会社を経営している在日の方と、社員の採用について話を伺ったことがあります。 本人が在日ですし、在日の生活の厳しさもよく知っている方なので、その会社には多くの在日が働いているのかなと思ったら、そうではありませんでした。 

 その在日社長さんが言うには、本名を名乗って就職を希望してくる在日はほとんど断っているとのことでした。 なぜなら、自分が在日だと名乗ることによって、在日の会社なのだからこんなことぐらい構わないじゃないかと甘えるようになるからだそうです。 だから採用の際には、国籍や本籍なんかは見ずに人柄と意欲と成績で採用しており、今いる在日社員は後でその中に在日がいたことが判明した場合だけだということでした。

 この話のなかで「自分が在日だと名乗ることによって、これくらい構わないじゃないかと会社に甘えるようになる」というところが非常に印象的で、成程と思いました。

 本名を名乗る在日は、その存在だけで周囲から注目され特別扱いされることがあります。 特に差別問題に関わる団体やマスコミ、教育等々の世界では顕著でしたねえ。 在日が口を開けばみんな静かになって聞き入る、あるいは大したことのない活動でも在日ならば新聞に大きく取り上げられる、またあるいは教室では通名を捨てて本名を名乗る在日生徒を教師が称賛する、なんてことがよくありました。 

 こんな体験を繰り返してきた在日は、周囲が自分のことを気にかけるべきなのだ、更には社会は自分を中心に動くものだと思い込んで甘える態度となっていくようです。

 以上はちょっと昔の話です。 今はニューカマーは勿論ですが、在日も最初から本名を名乗っている場合が多くなってきました。 だからなのでしょうか、本名を名乗っている在日のあなたは偉い!なんて言う人は少なくなりましたねえ。 

【拙稿参照】

二つの名前を持つこと          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/27/6493072

在日の本名とは?            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/01/6497383

通名を本名と自称する在日        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/04/6500499

日本名を本名とする在日朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/18/6663657

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

在日の通名使用の歴史は古い       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/12/6688526

ある在日の通名騒動記          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/16/6904707

通名・本名の名乗りは本人の意思を尊重せねば  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/28/6925152

外国人が通名で銀行口座を設ける場合   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/13/6945717

外国人の名前              http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/08/16/6948002

在日の通名は特権ではない        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/23/7019964

通名登録制度を悪用した事件       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/02/7031887

本名強要は人格権侵害―判決       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/24/7618561

「カタカナ姓」考            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/04/392195

外国人の通称名はワガママか       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/09/09/516945

外国人が日本名(通名)を使う理由    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/23/6640875

外国人の名前が日本文化に馴染まない例  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/17/6662794

出自を隠すための通名には事情がある   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/21/6666178

「通名禁止」主張はレイシズム      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/12/29/6673689