朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(2)2025/12/03

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/11/26/9819692 の続きです。

 今は亡き作家の金達寿は、著書『わがアリランの歌』で、次のように語っています。

1932年(金達寿は小学三年)‥‥従兄(本家にあたる)は私を源氏前小学校へつれていく途次、なにを考えたのか急に立ちどまると、「おまえは学校では、金山忠太郎という名にしよう」と言って、自分の掌に指でその字を書いて見せてくれた。‥‥ 在日朝鮮人はいまもまだそういうことがあるが、たいていみな本名のほかに日本名をつくって、それを日本人社会では通名として使っていた。 それで私の兄も当時「金山清吉」といっていたから‥‥従兄は私も「金山忠太郎」にしろというわけだった。

‥‥しかし先生は‥「金山忠太郎」という名については異議をとなえた。 「いや、名前は金達寿という本名そのままのほうがいいです」と先生は‥はっきりとそう言った。 ‥私を担任してくれた山内喬木先生で、私はこの先生のおかげで小学校では「金山忠太郎」などというものにならなくてすんだのだった。 (金達寿『わがアリランの歌』中公新書 昭和52年6月 65~66頁)

 金達寿は本家筋の従兄から便宜的に「金山忠太郎」にするように言われたのですが、小学校の担任から金達寿(きん・たつじゅ)のままがいいとされて、本名で通うことになりました。 しかし金はその後学校を出て仕事するときに、この「金山忠太郎」を使います。

神奈川県の横須賀で、そこにあった電気館という映画館の映写技師見習となったとき‥‥私を採用してくれた映画館の支配人が、「日本名はないのかね」と言ったので、私はとっさに「金山忠太郎です」と答えたものだった。 どういうかたちであれ、一度そういうふうに名づけられてみると、それはなかなか忘れられない‥  (同上 66~67頁)

 ところが、金達寿は創氏改名で「金光」となります。

1939年12月からいわゆる「創氏改名」というのが強制されることになり(これは「創氏改名令」の施行予定日決定の公布であり、実際の施行は翌1940年2月からである)、在日朝鮮人が便宜的に使用していた通名どころではなく、朝鮮人全体が日本式の姓名を名乗らなくてはならないことになっていた。 それで私たちも本家にあたる従兄の金鶴寿一家とともに「金光」ということになった (同上 211頁)

 金達寿は神奈川日日新聞に就職する時、この「金光」という創氏改名による名前を使いました。 (同上 211~212頁)

 金達寿の思い出話は、創氏改名より以前に、朝鮮人は来日すると当然のように日本名を名乗っていたことが分かります。 

 

 戦前の朝鮮人は日本に出稼ぎに来ると、早い段階に日本名を名乗る例をもう一つ挙げます。 金一勉は、著書『朝鮮人はなぜ「日本名」を名のるか』で次のように記しています。

1930年代になると、一部の留学生は別として日本在住者(朝鮮人)の大多数は「日本名」をひっさげていた。 その大半を占める労働者といえば、職工、店員、清掃人、土木日雇者、新聞配達、廃品回収(屑屋)、行商人といった日本社会の底辺に密着した者であり、例外なく日本名を持っていた。 その事情をあげると、①日本社会では朝鮮名が馴染みにくい。 ②朝鮮名を名乗っていると異分子として目につき、むきだしの差別を受ける。 ③先住朝鮮人のしきたりに従って日本通名をひっさげる、などであった。‥‥

‥‥ 日本の都会地に住み込む朝鮮人が、日常的に日本名を名乗っていたことは頷けるとしても、山奥の工事場の朝鮮人のみの飯場労働者のほとんどが「日本名」を使っていたことは、当時の「タコ部屋」の存在を考え合わせると注目すべき点である。 長野県南安曇郡梓川村から六里も入った奥地のトンネル工事の飯場では、総勢50人の人夫すべてが朝鮮人であったが、ほとんどが日本名を呼び合っていた。 (以上、金一勉『朝鮮人はなぜ「日本名」を名のるか』三一書房 1978年5月  43頁)

 在日朝鮮人は日本各地の工事現場の飯場で共同生活をしながら働いていたのですが、その飯場には日本人はおらず朝鮮人ばかりですから民族差別なんてあるわけがないのに、お互いを民族名ではなく日本名で呼び合っていたのでした。 同じような話が、金達寿『わがアリランの歌』にも出てきます。

私は‥日大芸術科の学生となっていたが、‥‥栃木県那須野の整地工事場に働きに行ったことがある。 いまでいうアルバイトだったわけであるが、その工事場の朝鮮人飯場には、北海道のいわゆる「タコ部屋」へ「募集人夫」として連れてこられた何人かの者が逃げ込んで来ていた。‥‥

飯場頭がやって来て二・三人の者とちょっとしゃべっていたが、ふと気がついたように、「ああ、そうだ」と、そこにいるタコ部屋から逃げ込んで来ていた男に向かって言った。 「おまえには日本名がなかったな。うん、そうだ、今日から木下一郎ということにしろ」‥‥ まだ日本語を全然知らなかったタコ部屋からの男は、「キノタチロウ」とそれを口の中でそっとつぶやいてみた。 「キノタではない、キノシタイチロウだ」と横から誰かが言った。

すると、向こうで長くなっていた男がむっくり起き上った。 そして、手を振って言った。 「おう、それはいけねえ。 聞いたことがあると思ったら、木下一郎というのはおれの名前じゃないか」。 どういうわけか、日本人の姓としてもそうやさしい読みの方ではない「木下」というのが、在日朝鮮人には多かった。 なにか、理由があってのことだったかも知れない。 (金達寿『わがアリランの歌』中公新書 昭和52年6月 67~68頁)

 朝鮮人ばかりが集まって生活している工事現場の飯場では、朝鮮人たちは民族名ではなく、日本名を名乗り呼び合っていたのでした。 〝在日朝鮮人は差別があるから日本名を名乗らざるを得なかった”という歴史は疑問になります。

 以上長々と論じてきましたが、要は、多くの朝鮮人は1940年の創氏改名よりも以前に、来日すると直ぐに日本名を便宜的かつ普通に名乗っており、その際に強制されたというような被害者意識がなかったということです。 これは、朝鮮人は名前に関してかなり柔軟な考え方をしており、その時その場の環境によって使いやすい名前を名乗ることを実践していたと推定できます。

 ただし例外があります。金一勉が「一部の留学生は別として」と記しているように、日本(当時は内地)の大学に留学した朝鮮人です。 これは大学当局が在学生は本名を使うことを決めていたために、本人も本名を使って生活したからだと思われます。 つまり来日した朝鮮人は、留学生などのインテリは本名(民族名)、出稼ぎ労働者は通名(日本名)を使ったのでした。 ただしこれはそういう傾向が強かったということであって、例外はたくさんあります。 例えば後に国会議員となった朴春琴は当初出稼ぎ労働者として来日しましたが、一貫して「朴春琴」を通しました。

 なお1940年の創氏改名は法に基づく名前ですから、それ以降はその名前が本名となります。 ですから1940年以降は創氏改名が設定創氏で日本名であるなら、その日本名が本名(戸籍名)となります。 詩人の尹東柱は設定創氏したので、1942年に立教大学と同志社大学に留学した時の本名は平沼東柱でした。

 また創氏改名で法定創氏すれば、先祖から続く民族名が本名(戸籍名)になります。 上述の朴春琴は法定創氏をしたのでした。    (続く)

【創氏改名に関する拙稿】

創氏改名とは何か (00年4月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai

創氏改名の残滓 (01年6月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai

創氏改名の手続き(04年10月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai

創氏改名の誤解―「世界史の窓」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515

朝鮮名での設定創氏が可能な場合 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

宮田節子の創氏改名論      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557

石破茂さんのデタラメ創氏改名論  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/06/9161642

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633

創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676

朝鮮名での設定創氏が可能な場合  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596

民族名で応召した朝鮮人      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817

朝鮮人戦死者の表彰記事―1944年 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160

民族名での人探し三行広告     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/24/7807103 

金時鐘さんの創氏改名は「金谷光原」―神戸新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/03/9779836

「尹東柱」記事の間違い―中央日報  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/17/9464967

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