在日が祖国の韓国に帰ってみたら(1)2025/12/14

 今の在日韓国人の多くが〝自分は韓国籍なのに韓国語ができないなど、民族的アイデンティティが不足している”ことを自覚しています。 ところが中には〝民族受難とそれに対する闘い”という歴史を学んで、自分が韓国人であるという民族性に目覚める在日が出てきます。 彼は一大決心で日本名を捨てて民族名を名乗ります。 ところが、このようにして民族に目覚めた在日がさらに民族性を確かめようと本国の韓国に行ったところ、現地の韓国人たちから韓国語ができないと責め立てられ、時には日本人扱いされることになり、大きなショックを受けます。 

 20年ほど前ですが、伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』という本にそういう在日の話が出てきます。

(2000年前後)ところが、在日韓国人と韓国の距離はなかなか縮まらなかった。 ‥‥ 「いっそのこと、日本人ならよかった」と、韓国に住む在日韓国人の友人たちはときどき口にする。 空港の税関職員やタクシー運転手の「なんで韓国人のくせに韓国語が下手なんだ」から始まり、ワールドカップなどの国際試合のたびに「日本と韓国のどちらを応援するのか」と迫られる。 そのくせアルバイトで日本語を教えようとすれば、たちまち学校側から「日本名」でやってくれと要請される。

「日本にいたころ、死ぬ思いで『本名宣言』したのに、祖国に来て『通名』(日本名)を使わされるなんて‥‥」

すでにオバサン年齢に達している私の友人たちは、そんなことで少女のように泣きわめいたりはしないが、「でも、やっぱりめんどくさい」と言う。

以前、語学学校で韓国語を一緒に勉強した「在日」の友達と、韓国人の知り合いを訪ねたときも、私の下手な韓国語は「まあ、日本の方が韓国語を話すなんて! ほんとに上手ですね」とほめられたのだが、友達のかなり上手な韓国語のほうは「アイゴー! 何だか梅干しくさい韓国語ね」と言われて、実にいやな感じだった。 (以上、伊東順子『病としての韓国ナショナリズム』洋泉社 2001年10月 120頁)

 もう一つ、同じような話を紹介します。

この国(韓国)で「ウリマル(韓国語)がお上手ですね」は、時と場合によっては、一瞬にして「カンコクジンのくせにウリマルもろくにしゃべれないのか」にとって変わる。 韓国にいる在日キョッポ(僑胞)いじめの常套句だ。 「日本に帰れ」なども簡単にいう。 ほとんど前後の脈絡とは関係なく嘲笑いと共に、相手の胸にとどめを刺す。 (金利恵「ソウル風便り」『統一日報』2000年3月26日)

 肝心の本国では、在日が〝日本では差別されながらも本名を名乗り、民族を守ってきました”という話をしても評価されることもなく、〝まるで日本人なのに、名前を本名にしたというだけで、下手な韓国語をしゃべって何を偉そうに言うのか!”となるようです。

 これは本国の韓国に行った在日がほぼ共通する体験のですね。 作家の姜信子さんは、韓国に住んでも韓国人になれなかったと言っておられます。

私の場合‥‥血の面でいうと韓国人としか言いようがないし、国家という近代の枠組みのなかで考えても、韓国籍を持っている以上、韓国人であるとしか言いようがないんですけど、私は27になるまで日本から一歩も出ませんでした。 ‥‥韓国に行けば、韓国人になるんだろうかと思ったら、ならなかった。 二年間住んで、日常会話に不自由しないんですけど、韓国人にはならなくて、やはり在韓の在日韓国人という微妙な存在でしかなかったんです。 (姜信子「『在日』ルネッサンス」1996年9月『論座』所収)

 同じような話は、拙ブログでは下記で紹介しました。 お読みいただければ幸甚。

朴一さん『在日という病』を読む(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/09/01/9800016

在日韓国人と本国韓国人間の障壁  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/12/9641974

『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/06/9737449

『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/11/9738817

在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193

韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/14/9562752

          (続く)