移民の犯罪率は高いのか2021/06/23

 6月21日付け毎日新聞に「データから読み解く『移民と日本』 失業・貧困、社会問題に直結 実態と将来、気鋭の社会学者が新書」という、ちょっと長ったらしい標題の記事がありました。 インターネット版は有料記事なので、勿体ないと思う方は図書館にでも行ってみてください。 https://mainichi.jp/articles/20210621/dde/014/040/004000c

 日本は移民が増え続けており、それに対する不安感も大きくなっています。 そのうちの一つが移民は犯罪が多いのではないか、というものです。 それについて記事では、『移民と日本社会』(中公新書)の著者である永吉希久子さんから取材して、次のように論じています。

永吉さんも参加した研究グループによる2017年の意識調査では、「日本に住む外国人が増えるとどのような影響があると思うか」という問いの2項目「犯罪発生率が高くなる」「治安・秩序が乱れる」について、同意を示した人がいずれも6割を超えた。実際、17年の移民の犯罪率は、日本の総人口における一般刑法検挙人員数割合が0・2%だったのに対し、0・4%程度とされる。だが、これを基に「移民の犯罪率が高いとは断定できない」と本書はいう。どういうことか。

たとえば移民と自国民では年齢や性別などの人口構成が異なり、単純比較はできない。さらに犯罪に至る背景はさまざまで、「貧困などの経済状況やその人が置かれている社会状況も考慮にいれる必要があります」。諸外国の調査結果をみても、少なくとも「移民を受け入れれば犯罪率が必ず上がるとはいえません」と言う。

 記事では移民の犯罪率について書かれているのは、これだけです。 要するに日本人の6割以上が移民は犯罪率が高く、治安が悪くなるという不安を持っている。 確かに人口当たり犯罪率は日本人0.2%、移民0.4%という数字がある。 しかしだからと言って「犯罪率が高いとは断定できない」「犯罪率が必ず上がるとはいえない」と論ずるものです。 

 0.2%と0.4%、倍も違う数字です。 これで何故「犯罪率が高いとは断定できない」となるのか、そこが理解できないところです。 高いなら高いことを事実として受け止め、これを低めるにはどうすればいいのか等々、つまり移民政策をどう築くべきかを考えるべきだと思うのですが‥‥。 

 また犯罪の背景には「貧困などの経済状況や‥‥社会状況」とあります。 しかしこのような「背景」を考慮したとしても、犯罪外国人には同情できるものではなく、冷たい目を送るしかないでしょう。 どんなに貧しくても、歯を食いしばって犯罪に手を染めない外国人がたくさんいるのですから。

 私の付き合っている狭い範囲の話ですが、外国人労働者(=移民)はほとんどが法やルールを守ろうとしています。 彼らが一番恐れているのは在留資格を失い、本国に送還されることです。 ですからトラブルを出来る限り起こさないように、いつも気を使っていました。 免許を持っていても車を運転しません。 もし違反して捕まったら、在留資格を失うかも知れないと思うからです。 確かに違反が繰り返されると、その可能性は出てきます。 軽微な違反でも、永住資格申請に支障をきたします。 だったら最初から運転しない、となります。

 それほどまでに気を付けて生活している外国人を見てきましたから、私はむしろ日本で働く外国人(=移民)は当初は言葉や文化の違いでトラブルが多少あっても、犯罪は少ないと思っていました。 しかし今回の毎日の記事では、移民の犯罪率は日本人の倍となっていますから、ちょっと驚いた次第。

 これをどう考えたらいいのでしょうか。 一方では法とルールを守ろうと努力する多数の外国人がおり、他方では罪を犯す少数の外国人がいます。 大事にせねばならないのは当然前者の外国人です。 彼らが法とルールを守ろうとする動機が外国人管理の厳しさであることを考えるならば、その厳しさを緩める方向に行ってはならないと、私は考えます。

【拙稿参照】

来日外国人の犯罪は多いか少ないか    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/03/08/1243463

不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672

不法残留外国人について(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363

不法残留外国人について      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331

かつての入管法の思い出      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

在日の密航者の法的地位         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269

韓国密航者の手記―尹学準        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877

集英社新書『在日一世の記憶』(その3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/12/31/4035996

韓国語の雑学―東方礼儀の国2021/06/17

国語大辞典 省安堂 730頁

 韓国の『中央日報』6月14日付に「21세기 동방예의지국의 ‘도리’」というコラムがありました。  https://news.joins.com/article/24081254

 日本語版は、「21世紀の東方礼儀之国の『道理』」という標題です。   https://japanese.joins.com/JArticle/279632    この最後にある一節に「東方礼儀の国」が出てきます。

新型コロナ状況でも飛行機に乗ってきて道理を示し、怒る時さえも道理を心配しなければならない21世紀の東方礼儀之国の姿が苦々しい。

 この記事にある「東方礼儀の国」は、“わが韓国はアジアの東にあって人として行なうべき道である礼節や礼儀作法をよく守って実行している国”という意味で使われています。 しかし「東方礼儀の国」は、本来そんな意味ではありません。 それは屈辱的で不名誉な言葉なのです。

 それを説明しているのが、『국어대사전(国語大辞典)』(省安堂 1997年10月)にある「東方礼儀の国」の項目です。 スキャンして↑のように掲示しました。 訳しますと、次のようになります。

東方礼儀の国 {名詞} 「東方にある礼儀を知る国」という意味で、「我が国」を指し示す。<参考:我が国が昔から中国で「事大の礼」を非常によく守っているために、中国人たちから得るようになった不名誉な名前である。今日、むやみに使ってはならない言葉である。

 最近では、昨年11月に『朝鮮日報』が「『東方礼儀の国』は称賛ではなく侮辱の表現」と題する記事を出して注意を呼びかけました。https://www.chosun.com/politics/politics_general/2020/11/21/XTJGX6CCFNHALGZQWS6ZOBKPP4/

 『中央日報』は国語大辞典の↑や朝鮮日報の記事を知らなかったのでしょうか、それとも無視したのでしょうか、そこは分かりません。

 もし周囲の韓国人が自国を「東方礼儀の国」だと自慢するようなことがありましたら、本来の意味は次の通りですよと教えてあげてくださいね。

「東方礼儀の国」とは、中国人が朝鮮について、東に位置する朝鮮は小国でありながら我が中国皇帝によく仕え、またよく言うことを聞く国である、礼儀をわきまえており感心なことであるという上から目線で見た称賛であって、実は朝鮮を見下すものである。

【拙稿参照】

「東方礼儀の国」と「独立門」   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/11/25/9320164

「東方礼儀の国」は屈辱的な言葉だった  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/22/7064872

韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466

韓国語の雑学―下剋上  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987

韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/10/9325273

韓国語の雑学―내로남불(ネロナムブル) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/04/9334079

在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次2021/06/12

 『抗路8』(2021年3月)に尹健次さんの「日本語と朝鮮 主体の揺らぎ」と題する論考があり、在日のアイデンティティ(主体性)について次のように書いておられます。

そもそも、「在日」を生きるとは、差別に抗して生きることであった。(141頁)

つまりは、「在日」の民族的アイデンティティは、被差別体験という触媒によって獲得され、それは「日本」「日本人」にあがらうことをひとつの本質としてきた。(142頁)

(在日)三世・四世は日本社会のなかに溶け込み、日本語を確実に母語とする生活を営みながらも、被差別的な違和感に苛まれることが少なくなく(143頁)

(在日の若者は)朝鮮語を学ぶことによって差別社会・日本で人間としての自己を確認し、再生しうる道を切り拓いていった(145頁)

日本によって奪われ、屈従を強いられる主体性を奪還しようとするときも、多くは日本語で思考し、表現していかざるを得なくなる。(149頁)

出自・来歴を朝鮮半島だと意識し、日本の朝鮮侵略の真実を自覚する方向に向かうかぎり、「民族性」を帯びた在日文学は終焉を迎えることはなく、日本と朝鮮の不幸な関係を清算するためにも、「抗い」「ともに生きる」道を模索しつづけることになる。(151頁)

「在日」はもちろん、世界にあふれる移民・難民にとって、異郷・苦境・被差別の中で感得する出自や来歴の自覚ないし意味づけはアイデンティティのより重要な要素になっていく(163頁)

 尹さんは在日のアイデンティ(主体性)について、このように「被差別」「日本の朝鮮侵略」「植民地主義」という言葉で表されるように、過去の歴史とそれに続く差別という“被害者性”に求める発言を繰り返しておられます。

 日本の植民地から解放されたのが1945年ですから、それから76年。 36年間の日帝植民地支配の二倍以上の年月が過ぎており、今では植民地を体験した在日は超高齢者で、ごく少数となっています。 それでも「朝鮮侵略」「植民地主義」が在日の主たる課題としているところに、私の大きな違和感があります。

 また「被差別」とありますが、確かに日本社会では1970年代前半までは在日朝鮮人差別は激しかったし、そして日本人から差別されたことは当時の在日の共通体験でもありました。 民族差別反対闘争(いわゆる日立闘争)では、俺にも言わせてくれという在日が次々と現われ、真に迫った被差別の実体験談が多く語られたと言います。 それが1980年頃から、在日の若者に民族差別のことを言っても「一体どこの話?」と言わんばかりにポカンとしていると聞くようになりました。 

 1980年代になると、民間企業は日立闘争で在日側の勝利によって就職差別をしないようになり、また公務員就職差別は一部を除いて国籍条項がなくなってほぼ解決し、福祉等における差別も1982年の難民条約以降多くが解消しました。 それでも在日は差別されているのだと指紋押捺反対の運動などが盛んになりましたが、これも1991年の特別永住制度で解決しました。

 今や在日への差別は、在特会とか嫌韓偏執狂としか言いようのない一部の日本人の特異言動に限られていると、私は考えています。

 ところで尹さんは、今は在日の主体が揺らいでいると論じます。

(在日の)世代交代がすすんだ現時点において、また「帰化」その他で日本社会に溶け込み、民族とか祖国、母国語といった思考意識を持たない、持てない多くの「在日」出身者がいることも確かであろう。 「在日」の定義自体、植民地支配の所産、国民国家・日本の枠内にあるマイノリティということではすまなくなっている。「祖国」や「母国語」という言葉そのものが実体を欠いた「幻」になっているのかも知れない。(162頁)

 尹さんはこのような「主体の揺らぎ」を最近のこととしておられるようですが、実は1980年代以降から進行してきたものです。 在日は本国韓国人と言葉が通じる一世が引退するともに、韓国にいる親族との往来が途絶えるようになり、ついには「民族」「祖国」「母国語」とは切れていくのが大部分です。

 二世は一世の両親の夫婦喧嘩で飛び交う母国語(朝鮮語)を聞いたり、本国の親戚と時おり連絡する両親の母国語を傍で聞くことがありますが、三世以降になるとそんな母国語を聞くことすらなくなります。 つまり母国語は完全に外国語となっていっています。

 また本国の民主化運動家たちとイデオロギー的連帯をして、「民族」「祖国」のつながりを保っている方がおられます。 しかしそんなイデオロギーで日常生活を送るのは一部の活動家くらいですね。

 例えば4年前の韓国大統領選挙の時に「文在寅」に投票しようと呼び掛ける在日活動家がいましたが、投票するには領事館に二回行かねばならず(選挙人登録と投票)、実際に投票に行った在日はほんのごく少数です。 私の周辺では、活動家の方を除けば皆無でしたねえ。 いまや在日にとって「祖国」はそれほどに関心外なのです。

 尹さんはこのような在日の主体の希薄というか「揺らぎ」に対して、「脱植民地主義の課題」を提起します

(在日は)脱植民地主義の課題を自分の問題として意識するとき、出身地や母国語といったことにつながる言葉が、改めて自らの生き方を模索するキーワードにもなる(163頁)

 在日はいつまでも過去(植民地主義)からの脱出を課題として生きていかねばならないと、尹さんは主張しておられるようです。 つまり“「在日」が「在日」たる所以(ゆえん)”は75年以上昔の植民地主義を引きずる日本社会からの被差別である、というのが彼の考え方ということです。

 別の言い方をすれば、「在日」は差別問題が解決すれば「在日」としての存在はなくなる、だから植民地という過去にこだわって差別問題をいつまでも未解決のままにしておかねばならない、となるように思われます。

 もう一つ別の言い方をすれば、「在日」は日本という存在があるからこそ「主体」があるのであり、だから日本に依存することに「主体」の源泉がある、ということになりますね。

【拙稿参照】

在日企業が在日を採用しない   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/01/9159811

在日三世女性の発言への違和感   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/09/08/9150680

同化されない外国人           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/10/01/8206320

アルメニア人の興味深い話―在日に置き換えると http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/09/26/7812267

姜信子『私の越境レッスン・韓国編』   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/20/7738016

「チョン」は差別語か?         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/04/04/7603685

マルセ太郎               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/19/6694884

在日の今後の見通し(犯罪率)について  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/11/25/6642370

在日朝鮮語               http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/13/6444331

在日コリアンの「課題」         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/01/08/6282960

在日コリアンと本国人との対立      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029

在日の政治献金        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/03/06/5725110

在日の政治献金(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/03/11/5735616

在日が民族の言葉を学ぼうとしなかった言い訳  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193

在日は日韓の架け橋か          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/11/5212322

外国人参政権要求-最終目標は国政参政権 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/09/12/5342632

民族を明らかにするのに勇気がいる、という発言  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2009/05/10/4297782

在日韓国人政治犯        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/05/17/5092838

外国籍の先生          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/07/03/5197498

韓国人でもなく日本人でもない      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/24/3539242

これまでの在日とその将来について(仮説)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/01/348943

在日の範囲とルーツを隠すこと      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/04/472555

在日の慣習と族譜            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/12/481465

差別の自作自演事件2021/06/06

 5月31日付けの神戸新聞で、部落差別動画を削除せよという裁判所の仮処分が出たというニュースがありました。

https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/202105/0014374521.shtml

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202105/0014373243.shtml

兵庫県丹波篠山市内の同和地区を撮影した投稿動画がインターネットサイトで公開、放置され「差別が助長された」として、同市と地元自治会が、サイト管理会社「ドワンゴ」(東京)に動画削除を求める仮処分を申し立て、神戸地裁柏原支部が削除を命じる決定を出していたことが30日までに分かった。関係者によると、部落差別動画の削除を命じる仮処分は全国初という。

 神戸新聞は地元の新聞だけあって、市長の会見含めて、もう少し詳しく続報しています。 https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202105/0014373785.shtml

https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202105/0014375201.shtml

https://www.kobe-np.co.jp/news/tanba/202106/0014375873.shtml

 この記事を読んで不思議に感じました。 地裁の仮処分決定は2月です。 公表されたのはその時ではなく、それから三ヶ月も経った5月末で、しかも市長が直接に記者会見しています。

 何か変だなあと思っていたところ、何十年か前に起きた「差別落書き自作自演事件」を思い出した次第です。 私の手元にはこれに関する資料はもう捨ててしまったのですが、ネット上では「篠山町連続差別落書き事件」などで検索できます。

 今回問題となった「差別動画」は削除されていますので、今は見ることができません。 ですから決めつけられませんが、1983年の「差別落書き事件」の舞台となった地区がこの「差別動画」の場所ではないだろうか、と推測しました。

 推測を重ねますが、動画に「差別落書き事件」があったからこそ、もう絶対に思い出したくない過去と考えていた地元市民たちの神経に障ったのではないか、だから市長までもが乗り出したのではないか。

 推測を重ねてはいけないことは分かっていますが、どうも腑に落ちない新聞記事だったので紹介してみました。

 参考までに、差別の自作自演事件、あるいは自作自演を疑われる事件はここだけではなく、他にもいくつかあります。 このうち自作自演と判明したものは、次の通りです。

福岡県立花町連続差別ハガキ事件

解同高知市協「差別手紙」事件

滋賀県公立中学校差別落書き事件

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」2021/06/02

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682 の続きです。    趙博さんは「BLM運動を/に、学ぶ 『在日』公民権運動の『夢』」という論考で、在日について次のように論じています。

1952年の「日本国籍離脱=選挙権剥奪」以降、我々「在日」は外国人という身分に貶められ、それを強要された。 ‥‥ その実は「無権利状態」以外の何物でもなかった。日本政府は「在日」の諸権利については「外国人だから」を根拠に排除する。 典型例は「外国人だから選挙権がないのは当然だ」である。

一方、独自的な民族教育を認めよ等と主張すれば「日本に住んでいるのだから日本の法律に従え」と、認めない。 同様の論理で「日本に住んでいるのだから」、税金は日本人「並」に取る。 事ほど左様に、無権利状態とは、権力によって恣意的に排除(強制送還を含めて)されたり、包摂されたりする、ということなのである。(以上169頁)

 彼はこんな考えを展開しておられます。 「選挙権剥奪」「外国人という身分に貶められ」「無権利状態」「独自の民族教育を認めよと等と主張すれば‥‥認めない」等々という文言から分かるように、「外国人だから」という理由で日本社会・権力から差別と被害を受けてきたという考えです。 

 事実関係で間違いを一つ指摘しておきます。 在日は1952年に「選挙権剥奪」されたとあります。 しかし終戦後の1945年衆議院選挙法、1947年参議院選挙法および地方自治法、1950年の公職選挙法、これらすべての法律には「戸籍法の適用をうけないものの選挙権および被選挙権は当分の間停止する」として、在日を排除しています。 つまり「選挙権剝奪」は1952年ではなく、1945年です。

 そして外国人と内国人との法的処遇が違うのは、世界どこの国でも当たり前です。 法的処遇が違えば、権利も違います。 外国人が内国人と全く同じ権利というのは、あり得ません。 それを「差別」だと主張するのなら、“合理的な外国人差別は正当である”としか言いようがありませんねえ。

 もう一つ、1945年の日本敗戦時に、朝鮮人たちは在日も含めて、これで日本人でなくなったと「解放」を喜び、「万歳」を叫んだ歴史を忘れておられるようです。 在日朝鮮人が外国人(韓国・朝鮮籍)になることを望んだのは、本国の韓国や北朝鮮政府だけでなく、当人たちもそうだったことを強調しておきたいと思います。

 さらに趙さんは、在日が日本人でなく外国人となって参政権を喪失したことを「剥奪」と表現しておられます。 「剥奪」は正当に保持されてきた権利が奪われることを意味しますから、それまで日本国籍を持ち参政権を有していたことが正当となります。 つまり彼は日韓併合によって朝鮮人が日本国籍を有したことを合法正当だと考えていることになります。

 ところが本国の韓国や北朝鮮は、日韓併合は不法不当であり、従って在日含めて朝鮮人は日本国籍や参政権を有していること自体が不法不当だったという主張になります。 つまり朝鮮人が日本の国籍と参政権を喪失したのは、元の姿に戻っただけということです。ここに趙さんの「剥奪論」の矛盾を見るのですが、彼はこれについて何も言っていませんねえ。

われわれ「在日」の苦労と不条理の源泉は、「差別されていてもそれが差別だとは認められない。国籍の違いを根拠とした権利の制限は差別ではない」とされてしまう日常と現実のシステムに存する。(170頁)

とありますが、上述してきたように、これは「不条理」でありません。 繰り返しますが“合理的な外国人差別は正当”なのです。

 私は、在日の「苦労と不条理の源泉」は外国人差別にあるのではなく、朝鮮人の血を引いているからという民族差別にあると考えています。 外国人差別は帰化すれば解決しますが、民族差別は帰化したからといって解決するものではないからです。 

 しかし今、在日の結婚相手は日本人の場合が90%で、在日同士の結婚が10%となっている現状を考えると、民族差別は解消しつつあるものと考えています。 

 なお「民族差別」といえば、在特会とかネットウヨとかの激しいレイシズムがあります。 こういった人たちの発言内容を見ると、常人には理解し難いものばかりです。 なぜあのような人格を否定するような発言を繰り返すのか。 自分は特定されないと思い込んで、大胆かつエゲツない差別発言を平気でするでしょうねえ。 そろそろ法的規制をかけて、発言者の身元をすぐに探ることができるようにする時期に来ているのかも知れません。

【追記】    植民地時代の朝鮮人の参政権ですが、来日した朝鮮人には参政権がありました。 当時の在日朝鮮人は日本(当時は内地)の選挙時には投票も立候補もすることもできました。 そして投票にはハングルを使うこともできました。 実際に朴春琴は衆議院選挙で東京4区から四回立候補し、二回当選しています。

 なお朝鮮本土には選挙区が設定されなかったので、朝鮮に住む朝鮮人はもちろんのこと、日本人も選挙権がありませんでした。 なお厳密に言えば形の上では被選挙権がありました。 日本のどこかの選挙区から立候補することは法律上可能でした。

【追記の追記】

 立候補して当選した人がいました。 コメント欄をご参考ください。 訂正します。

【拙稿参照】

在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682

在日の自殺死亡率       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020

在日の低学力について(1)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638

在日の低学力について(2)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/05/9374169

在日総合誌『抗路』に出てくる「北鮮」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

趙博さんの複雑な名前     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/02/9171893

第71題 戦前の在日の参政権 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuuichidai

在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」2021/05/27

 在日問題を全般的に扱おうとする雑誌は、今は『抗路』ぐらいですねえ。 今は8号(2021年3月)まで発行されています。 これを読んでいて、私には違和感を抱くものが少なくありません。 具体的にそのお違和感とは何かを検証しようと、編集委員の一人である趙博さんの論考に対する私の感想を書いてみたいと思います。

 『抗路』8号に趙博「BLM運動を/に、学ぶ 『在日』公民権運動の『夢』」という論考に次のような文があります。

私は二一歳で本名を奪還した。(164頁)

さて、二一歳で本名を奪還した私は、この四十数年間、自己と「在日」に対する差別抑圧と不条理に抗ってきた (168頁)

 おそらく彼はそれまで「西山博」という日本名だったのが、その時から「趙博」と名乗ったということと思われます。 それは本名が「趙博」であるのに日本という差別社会が通名の「西山博」を使わせるようにした、だから本名を取り戻し、差別と闘ってきたというのが彼の主張のようです。

 ところが彼は『抗路』6号(2019年9月)の座談会で、自分の名前について次のように発言しています。

僕はどこかに書いたことがあるんだけど、己の記憶に出てくる自分の最初の名前は「あんどうしげはる」なんですよ。 誰が何と言おうと「安藤茂治」なんだ。その事情は中学生の頃に判明するんだけど、お袋が離婚した後、ぼくはおじいちゃん・おばあちゃんのところで育てられます。 爺さんの本名は権元淳、通名が安藤さん。 で、僕が生まれたときに届け出た名前が「趙博」だった。

一方、婆さんからは「お前の本当の名前は趙ヨンテやで」と何度も聞かされていたんです。ヨンテは「栄泰」かな、などと思ったりもしましたが、漢字はついぞ分からない。 ところが「ひろし」という名前が、離婚のときの名前だから縁起が悪いということで「しげはる」に勝手に変えたらしいんです。 そして僕が四歳の時にお袋が再婚したのですが、「今日からお前は西山博(ひろし)やで」といわれた記憶が強烈に残っています。 親父の通名が「西山」で、登録上の名前「博」に戻ったわけです。

僕は産みの親爺にあったこともなければ、顔も知らない。なんでも、韓国海軍の将校クラスの軍人で朝鮮戦争のときに軍隊から逃亡して、密航で日本に来て西成に住んだらしい。 当時、他人の外登(外国人登録書)を金で買えたそうですね。 その人の名前が「趙」だった。 彼の本名は「池」なんだが、離婚しても子どもの姓は変わらない。 僕は「趙博」のままだから、お袋は再婚相手として関西中の趙さんを探し回ったっちゅうんですよ。(笑)

僕はいま「趙博(チョウ・パク)」と自他共に名のっていますが、その確固たる根拠なんてどこにも存在しない、たまたまなんです。 (以上は『抗路』6号 15~16頁)

 彼が奪還したという名前の「趙」は、実父が韓国から密航して不正に入手した外国人登録証の名前ということです。 全くの架空の人物なのか、それとも「趙」という実在人物に背乗り(はいのり)したのか、そこは分かりません。 そして実父の本当の本名は「池」だということです。

 さらに下の名前は、生まれた時に届けられたのが「博」、しかし祖母から本名は「ヨンテ(栄泰?)」と教えられ、母親の再婚時に元に戻って登録の通りに「博」。 

 民族名だけでもこれだけややこしい。 さらに日本名も「安藤茂治」と「西山博」の二つがあって、これまたややこしい。

 こんな名前の歴史を経てきた彼が「本名を奪還した」と言うのですから、「奪われていた本名」とは何だろうかという疑問を抱きます。 彼は韓国籍(ひょっとして朝鮮籍?)ですから、本国の韓国での国民登録(北朝鮮なら公民登録)名が、あるいは「趙」家の族譜の名前が「本名」だと思うのですが、それが出てきません。 出てくるのは日本国政府が編成する外国人登録上の名前で、これを「本名」としているようです。

 つまり彼は日本の国家権力が作る登録制度に依存して、そこに不正に登録された名前を名乗ることを「本名を奪還」と言っているところに、私の大きな違和感があります。

 彼は日本政府について次のように述べます。

日本政府は、「在日」の諸権利については「外国人だから」を根拠に排除する。 典型例は「外国人だから選挙権がないのは当然だ」である。 一方、独自な民族教育を認めよ等と主張すれば「日本に住んでいるのだから日本の法律に従え」と、認めない。 同様の論理で「日本に住んでいるのだから」、税金は日本人「並」に取る。 事ほど左様に、無権利状態とは、権力によって恣意的に排除(強制送還も含めて)されたり包摂されたりする、ということなのである。(『抗路』8号 169頁)

   日本の国家権力に対してこれほどの対抗意識を有していながら、本名となると、その権力がつくる外国人登録制度に、しかも不正登録された名前に依存するのですねえ。 私にはとてもじゃありませんが、大きな違和感を持ちます。

【拙稿参照】

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

「左」が担った「通名禁止」運動(3)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710

第21題「本名を呼び名乗る運動」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai

第85題(続)「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai

第84題 「通名と本名」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai

不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出2021/05/21

 5月18日付の産経新聞に「〈独自〉不法滞在の外国人、実刑判決の半数が難民申請 現行法で送還できず」と題する記事があります。  https://www.sankei.com/politics/news/210518/plt2105180041-n1.html

 記事によると、日本国内で犯罪を犯して実刑判決を受けた外国人のうち、半数が「難民認定申請」をしているといいます。

約3100人の中で不法滞在以外に罪を犯し、懲役3年以上の実刑判決を受けた人は約310人で、うち約150人が難民認定申請中だ。懲役5年以上は約180人中約90人、懲役7年以上は約90人中約50人が難民認定申請している。

 そのうちの具体例を挙げています。

たとえば、あるアジア人の男は強制わいせつ致傷罪で懲役4年の実刑判決を受け、仮放免中に強姦致傷罪(現強制性交等致傷罪)で懲役6年の実刑判決を受けたが、現在2回目の難民認定を申請している。アフリカ人の男は恐喝などの罪で懲役2年6月の実刑判決を受け、仮放免中に強姦罪(現強制性交等罪)で懲役5年など2度の罪を犯し、4回目の申請中だという。

 不法滞在者が摘発された場合、難民認定を申請すれば認定されるか却下されるか決まるまでの間、母国への強制送還を免れ、また国内で働くことが可能になります。 不法滞在者たちの民間ボランティア相談窓口でも、どうしても日本にいたいのなら難民申請しなさい、却下されてもまた申請すればいい、その間は送還されずに日本におれますよ、と助言しているといいます。 ですから日本ではその分、難民申請の数が多くなり、そして認定される人の割合が低くなります。

 ところで上述の産経新聞は、不法滞在どころか懲役3年以上の重犯罪の外国人の半数以上が難民申請しているという事実を伝えるものです。 難民申請が強制送還を免れるための便利道具になっているわけですね。 日本の難民認定は厳しすぎる、もっと難民を受け入れろ!と批判する人が多いようですが、外国人犯罪者をどう考えるかを聞いてみたいものです。

 また私事ですが、この記事を読みながら1970年代を思い出します。 日本はこの当時まだ難民条約に入っていませんでしたので「難民」なる外国人はいませんでした。 外国人の退去・送還問題といえば、ほぼ100%韓国・朝鮮人であった時代です。

 当時の在日韓国・朝鮮人は126-2-6、4-1-16-2、協定永住等の在留資格でしたから、オーバーステイというのはほとんどなく、問題の多くが韓国からの密航者、および在留資格を持っていながら懲役7年以上の犯罪者(1965年以前は懲役1年以上でしたが、日韓条約以降7年以上等に変わりました)でした。 ごく少数ですが、北朝鮮からの工作員潜入もありました。

 韓国からの密航者は10年20年と長年日本で暮らしてきた人も多く、それがある日発覚します。 多くは同胞からの密告だといいます。 すぐさま逮捕・収監され、強制送還の手続きがとられます。 それまで日本で安定して生活してきたのが一変し、当時まだまだ貧しかった本国に送還されるのですから、必死に抵抗します。 民団はそんな不法入国者を相手にしませんでしたから、在日韓国・朝鮮人問題を善意でやっていた日本人などに電話をかけ、何とかしてくれと頼むことになります。

 日本朝鮮研究所(後の現代コリア研究所―今は閉鎖されてインターネット版の機関紙を発行するのみ)の佐藤勝巳さんは、こんな電話が増えてきて、なかには今入管と警察が家の前に来ているという切羽詰まった電話もあったと言っておられましたねえ。 

 市役所の外国人登録を担当したことをきっかけに在日の生活相談をボランティアでやっていた人は、密航者からの相談、ついには犯罪者からの相談まで来るようになり、もうやっていられないと活動を止めました。

 1965年の日韓条約の法的地位協定により、在日は7年以上の懲役刑を受けると強制退去(送還)されることになりました。 ですから1972年頃からこれに基づく強制送還が始まりました。 その第1号が申さんという方で、刑務所から出所したらすぐに収監されて、強制送還されそうになりました。 彼には年老いた母親がおり、韓国には身寄りがおらず、また韓国語も知らないという事情があったので、彼を守ろうとする市民運動が起きました。 結局は法務大臣の特別在留許可がおりました。

 ところが、ある在日が彼に同情することなく、罪を犯したのだから韓国に送還されるのは当然だと言ったので驚いたことを記憶しています。 自分は法を守って生きてきたのに、そんな犯罪者と一緒にしてほしくないという気持ちのようでした。

 法務省に保護司という制度があります。 刑務所から出所した人を更生保護する役割を務める仕事で、この方から次のような実話を聞いたことがあります。 ある在日が仮釈放されて自分のところの担当となった、ところがその在日はすぐさま収監されて大村収容所に送られたと聞きビックリした、出所した人を更生させねばならないと思っていたのに、日本から追放するという処置に納得できない、これでは二重処罰ではないか、と言うのでした。 保護司という仕事を長年やっておられると、こういう感想になるものだなあと思いましたねえ。

 産経の記事を読みながら、昔の思い出を書いてみました。 今回もまとまらない文章になりました。

【拙稿参照】

不法残留外国人について(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363

不法残留外国人について      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331

かつての入管法の思い出      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

在日の密航者の法的地位         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/23/6874269

韓国密航者の手記―尹学準        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/12/03/7933877

集英社新書『在日一世の記憶』(その3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/12/31/4035996

不法残留外国人について(2)2021/05/17

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331 の続きです。

 今、入管法改正が大きな議論となっているせいか、在留資格を失った外国人(不法残留)の話がよくマスコミに登場します。 多くのマスコミは入管法改正に反対の立場を強く打ち出していますね。

 そのマスコミが、“この外国人が本国に送還されると大変なことになる、殺されるかも知れない”という記事を出しているのですが、その具体例を読むとどうも疑問に感じるものが多いです。 前回の拙ブログで取り上げたように、毎日新聞の記事にあったミャンマー人等の例がそうでした。

 今回は5月16日付の西日本新聞にある「『国に帰って殺されろとでも言われているよう』入管法改正におびえる難民申請者」と題する記事に出てくる外国人を取り上げます。 https://news.yahoo.co.jp/articles/55fa7ff2079730dc01b9d9ae74b952a121a40314

東京都八王子市に住んでいた知人のネパール人男性を頼って2016年に来日。 永住権を得たこの男性と結婚し、配偶者として在留資格を得て暮らしていたが、昨年離婚し、在留資格を失った。 難民申請は却下され、現在は不服申し立ての審査請求中。 認められなければ不法滞在者として強制送還される可能性がある。

 このネパール人女性は内戦の母国を避けて来日したのですが、日本では「永住権者の配偶者」資格を得て暮らしてきたことが分かります。 しかし離婚したのですから、当然のことながら「配偶者」資格は喪失します。 そのまま日本に滞在していると、不法滞在となることも当然です。

 ところで私事ですが40年前(1970~80年代)のことを思い出します。 韓国女性が在日韓国人男性と結婚して来日する場合が多かった時代です。 彼女らは「永住権者の配偶者」の資格で生活することになります。 そして離婚すればその資格を失うので、離婚されまいと必死でしたね。 男性の方が別れると言って家出までするのですが、女性は男性の両親(舅姑)の世話を一生懸命にやって信頼を得て、息子には絶対に離婚させないと言ってくれたと言っていました。

 またある韓国女性は在日韓国人男性と結婚したのですが、程なく男性が事故で死亡。 この場合も「配偶者」資格は喪失します。 ただし事情がそうでしたから、1年ほどは在留資格を維持できました。 そして彼女はその合法滞在期間中に次の結婚相手を見つけようと、在日韓国人や日本人男性を必死に探していましたねえ。 そうしないと不法滞在となって送還される可能性があるからです。 祖国ではバツイチの女性は生活が難しく、水商売か売春くらいしか仕事がないので、何としてでも日本に残りたいと言っていました。

 またある韓国人女性は在日男性に嫁に来て子供を生みました。 子供は男性の永住権を受け継ぎますから、永住権者となります。 そうすると、その女性は永住権を有する子の母親となりますから、男性と離婚しようが死別しようが、子を養育している限り送還される心配はなくなります。

 昔のことですが私は以上のような話を聞いてきましたから、西日本新聞の記事に出てくるネパール人女性の話には疑問を抱かざるを得ません。 なぜ合法的な在留資格を得ようと努力してこなかったのか?という疑問です。

3回目の難民申請中のスリランカ人男性(39)は「国内の暴力団の恨みを買い、04年に外国への避難を決めた」と言う。 仲介業者を頼って逃げた先が日本。 難民認定率の低さは知らなかった。    「業者にだまされた。帰国すれば命はない」

 これにはビックリ。 「(祖国)国内の暴力団の恨みを買って」日本に逃避してきた人がなぜ難民なのか? これを難民扱いするのなら、麻薬マフィアの抗争で逃げてきたとか、借金取りの取り立てから逃げてきたとか、そんな人まで難民として受け入れねばならないことになります。 またそんなことを言っていたら、祖国で殺人を犯して逮捕を逃れようと来日した人も「帰国すれば死刑になる」から難民だという主張も成立することになります。

 西日本新聞の記事では、入管法改正に反対するための具体的事例として以上の二点を挙げています。 しかしどちらも私には疑問を抱くばかりです。 

【拙稿参照】

不法残留外国人について      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331

かつての入管法の思い出      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

不法残留外国人について2021/05/11

 いま入管法改正案が国会で審議されていて、これに反対する運動が盛んなようで、よくマスコミに登場します。

 これに関しては1980年代までは、韓国からの密入国や不法滞在が大きな問題になっていたことを思い出します。 摘発された韓国人は長崎にある大村収容所に入れられ、強制送還を待つこととなります。 しかし時の韓国政府が彼らの送還を拒絶する場合が多々あり、その時は長年にわたり収容所に閉じ込められました。 ですから大村収容所を廃止しようという運動が、1960年後半から70年代にかけて盛んでしたねえ。

 私もこれに関心があって、この運動団体のパンフなんかを熱心に読んでいましたが、周囲の日本人だけでなく、多くの在日韓国人までが「密入国だから仕方ない。私らはあんな人たちとは違う」と冷たい反応だったことを覚えています。

 私には何十年も前のそんな体験がありましたから、今回の入管法改正とそれに反対する運動についても関心があります。 今のところ新聞記事などを読むしかありませんが、そこには不法滞在者や難民申請者の「国に帰れば殺される」というような話が多く出てきます。 それを読んでいて、どうも疑問を感じるところがあります。 例えば毎日新聞5月7日付に「『帰ったら殺される』入管法改正案、在日ミャンマー人の叫び」と題する記事は、次のように書かれています。  https://mainichi.jp/articles/20210507/k00/00m/040/023000c

「帰ったら殺される。恐ろしい」。そう声を落とす40代のミャンマー人男性は母国の軍事政権に反対するデモに何度も参加してきた。男性は「国軍はデモ参加者のリストを持っている」と危惧し、帰国すれば命の危険があると訴える。

男性は1999年に親族を頼って観光ビザで来日。ビザが切れても日本人の人手不足が深刻だった製造業で働いていたが、数年後に不法残留で摘発され、入国管理局に収容された。現在は一時的に収容を解かれる「仮放免」の身。母国の情勢を鑑みて難民申請を繰り返しており、改正法案が成立すれば強制退去になる可能性がある。

 一般的に不法残留には、意図的に不法残留したのか、或いはうっかりで不法残留となったのか、それとも止むを得ず不法残留にならざるを得なかったのか、等々の場合があります。 このミャンマー人の場合、記事を読む限り「意図的な不法残留」と言わざるを得ませんね。 毎日が何故このような例を記事化したのか、そこが分からないところです。

 またミャンマーは2011年に軍事政権から不十分ながらも民政に移管し、2015年と20年に総選挙が実施されました。 しかし今年の2月に軍事クーデターが起こって再び軍事政権となり、国内では民主化を要求する命を掛けた活動が続いています。

 こんな歴史を知ると、毎日の記事に出てくるミャンマー人が日本国内で不法残留の身でありながら「母国の軍事政権に反対するデモに何度も参加してきた」というところに疑問が出てきます。 2011年以降、今年2月までの約10年間は帰国できるチャンスがあったと思うのですが、何故か「難民申請を繰り返して」きたとありますから、単に日本に在留したかっただけではないのかという疑問です。

 毎日の記事は、続いて次のような例を挙げています。

20年以上前に来日した仮放免中のアジア出身の男性も改正法案に危機感を募らせている。不法残留の状態で結婚した女性との間にもうけた子どもは既に高校生。日本語しか話せず、この先も日本での進学や就職を希望しており、「子どもの将来が心配だ」と話す。

 不法残留者同士が結婚して子供ができれば、その子も在留資格のない子供になります。 従って強制送還の対象になります。 こんなことは不法在留者には常識なはずですが、両親はなぜこれを放置してきたのかが理解できないところです。 日本で子供を生めば何かの在留資格が得られると思ったのでしょうか? 周囲にはそれは難しいと忠告する人はいなかったのでしょうか?

 ところで1960年代に韓国からの密入国者同士が結婚して子供を作ったが発覚、両親・子供みんなが送還されたという話はよく聞いたものでした。 この過去と同じ出来事が今も繰り返されているようですね。

 外国人は日本で自分がどのような身分であるかについて、よく知っているものです。 もし不法滞在であることが発覚すれば送還されますから、発覚しないように慎重に生活します。 もし何かの事件に関係したり事故を起こしたりすると、不法滞在であることは直ぐにバレますから、そうならないように大人しく目立たないように生活するのです。 かつて知り合った韓国からの元密入国者は不法滞在時代に職場(パチンコ屋)で事件が起きた時に、自分は事件に直接関係なかったが警察が来る前にそこから逃亡したと言っていましたねえ。

 在日韓国人社会にはかつて韓国からの密入国者が多く存在し、バレるとどのような取り扱いを受け、どのような経過を経るのかをよく知っています。 ある者は強制送還され、ある者は自費帰国し、ある者は特別在留許可を得て引き続き日本に滞在するといった道を歩むのですが、その分かれ道は何なのか。 在日はこういった実際の話を多く見聞きしてきていますから、今回の入管法改正および不法残留者問題に対して役に立つ助言をすることが可能だと思います。 しかし在日たちはそれほど大きな関心がないようです。 

 特別永住等の合法的在留資格を有する在日にとって、今の不法在留者は関係ない問題ととらえているのだろうと思います。 この問題の支援者のほとんどが日本人であり、そして彼らはまるで自分たちの問題であるかのように運動しているところに、私の驚きというか新鮮さを感じるところです。

【拙稿参照】

かつての入管法の思い出 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

在日の低学力について(2)2021/05/05

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638 の続きです。

 ところで、なぜ在日の子供たちが低学力なのか。 これは部落問題と共通するものがあると考えます。 同和地区の低学力は昔から問題になっていました。 同和教育(解放教育)の先進地では、放課後に学校で勉強を教える(補充学級とか解放学級とか言われていました)取り組みをするのですが、周囲の一般生徒から「あんたら、いいね、タダで勉強教えてもらって」という妬みを言われます。 また当の部落の子からは、補充学級をしている間はクラブ活動ができないから行きたくない言い出すこともあります。 そうすると、その日の学校のすべてのクラブ活動を中止させるところまで出てきました。

 そこまでやっても同和地区生徒の低学力はなかなか解消しませんでした。 活動家の一人が、“親がパチンコ三昧、家ではテレビの前でビールを飲みながら競馬や野球中継を見るばかりで、子供に「勉強しろ!」と叱りつけても子供は勉強しない、まずは親から生活を正さねばならない”と言っていました。 しかし解放運動ではそんな意見を全く無視し、自分たちの生活を省みることもなく、子供たちには狭山闘争なんかの時に学校を休ませていましたねえ。 学校側もそれを容認していました。

 これも当時聞いた話ですが、ある同和教育推進校にいた教師が「同和地区の家を家庭訪問したら家の中に本がほとんどない、親が本を読まないし読もうともしない、部落の低学力要因は社会からの差別というより家庭環境に問題があるのではないか」と発言し、批判を浴びたといいます。

 同和地区の低学力については、14年前に拙稿でも論じたことがありますから、ご参考いただければ幸い。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/18/1515064

 在日の子供らの低学力も、同じように家庭環境に問題があると思います。 朝鮮人は植民地時代末期に男子の就学率50%、女子はわずか10%でした。 従ってその朝鮮から来日した朝鮮人一世たちは、もともと日本語の読み書きができず低学力が多かったのです。 そういう家庭環境が子供たちの低学力につながったと考えられます。

 ただ両親が無学だからといって、子供が低学力になるとは限りません。 私の知っている例では、両親は日本語の読み書きができないのにかなりの高学力の方がおられました。 お話を伺うと、子供の時に学校から帰って母親に今日何があって何をしたかを話したら、母親はどんなに忙しくても話を聞いてくれた、また長女が少し勉強できたのでその姉から勉強を教えてもらったし、自分も弟に勉強を教えてあげた、とかいうことでした。 そこに高学力の秘密がありそうです。 親がたとえ無学文盲でも、家庭環境によって子供の学力は向上するものだと思いましたね。

 差別をなくす運動は、社会の差別体質に対する闘いだけでなく、被差別者側の生活を点検し改めていく取り組みも必要だと考えています。 〝解放運動“にしろ〝民族差別と闘う運動”にしろ、自分たちの生活や家庭環境に問題がないのかを常に問い返しながら進めるべきでしょう。

 「子は親の背を見て育つ」という諺がありますが、その通りと思います。 親がこんな子になってほしいと願っても子はその通りに生きない。 親が安逸な生活をすればそれを見て育つ子も堕落し、親が誠実であれば子も真面目になる。 勉強も同じです。

 子は親の思う通りになるのではなく、親のようになっていくものなのです。 (終わり)

【拙稿参照】

在日の低学力について(1)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638

同和地区の低学力            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/18/1515064

郵便ポストを設置させた解放運動     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

同和地区の貧困化            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525302

同和教育が差別意識をもたらす      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/29/5614412

柳田邦男のビックリ部落認識     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/25/8290405

日本統治下朝鮮における教育論の矛盾   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/01/1156247

差別問題の解決とは?       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205