不法残留外国人について(2)2021/05/17

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331 の続きです。

 今、入管法改正が大きな議論となっているせいか、在留資格を失った外国人(不法残留)の話がよくマスコミに登場します。 多くのマスコミは入管法改正に反対の立場を強く打ち出していますね。

 そのマスコミが、“この外国人が本国に送還されると大変なことになる、殺されるかも知れない”という記事を出しているのですが、その具体例を読むとどうも疑問に感じるものが多いです。 前回の拙ブログで取り上げたように、毎日新聞の記事にあったミャンマー人等の例がそうでした。

 今回は5月16日付の西日本新聞にある「『国に帰って殺されろとでも言われているよう』入管法改正におびえる難民申請者」と題する記事に出てくる外国人を取り上げます。 https://news.yahoo.co.jp/articles/55fa7ff2079730dc01b9d9ae74b952a121a40314

東京都八王子市に住んでいた知人のネパール人男性を頼って2016年に来日。 永住権を得たこの男性と結婚し、配偶者として在留資格を得て暮らしていたが、昨年離婚し、在留資格を失った。 難民申請は却下され、現在は不服申し立ての審査請求中。 認められなければ不法滞在者として強制送還される可能性がある。

 このネパール人女性は内戦の母国を避けて来日したのですが、日本では「永住権者の配偶者」資格を得て暮らしてきたことが分かります。 しかし離婚したのですから、当然のことながら「配偶者」資格は喪失します。 そのまま日本に滞在していると、不法滞在となることも当然です。

 ところで私事ですが40年前(1970~80年代)のことを思い出します。 韓国女性が在日韓国人男性と結婚して来日する場合が多かった時代です。 彼女らは「永住権者の配偶者」の資格で生活することになります。 そして離婚すればその資格を失うので、離婚されまいと必死でしたね。 男性の方が分かれると言って家出までするのですが、女性は男性の両親(舅姑)の世話を一生懸命にやって信頼を得て、息子には絶対に離婚させないと言ってくれたと言っていました。

 またある韓国女性は在日韓国人男性と結婚したのですが、程なく男性が事故で死亡。 この場合も「配偶者」資格は喪失します。 ただし事情がそうでしたから、1年ほどは在留資格を維持できました。 そして彼女はその合法滞在期間中に次の結婚相手を見つけようと、在日韓国人や日本人男性を必死に探していましたねえ。 そうしないと不法滞在となって送還される可能性があるからです。 祖国ではバツイチの女性は生活が難しく、水商売か売春くらいしか仕事がないので、何としてでも日本に残りたいと言っていました。

 またある韓国人女性は在日男性に嫁に来て子供を生みました。 子供は男性の永住権を受け継ぎますから、永住権者となります。 そうすると、その女性は永住権を有する子の母親となりますから、男性と離婚しようが死別しようが、子を養育している限り送還される心配はなくなります。

 昔のことですが私は以上のような話を聞いてきましたから、西日本新聞の記事に出てくるネパール人女性の話には疑問を抱かざるを得ません。 なぜ在留資格を得ようと努力してこなかったのか?という疑問です。

3回目の難民申請中のスリランカ人男性(39)は「国内の暴力団の恨みを買い、04年に外国への避難を決めた」と言う。 仲介業者を頼って逃げた先が日本。 難民認定率の低さは知らなかった。    「業者にだまされた。帰国すれば命はない」

 これにはビックリ。 「(祖国)国内の暴力団の恨みを買って」日本に逃避してきた人がなぜ難民なのか? これを難民扱いするのなら、麻薬マフィアの抗争で逃げてきたとか、借金取りの取り立てから逃げてきたとか、そんな人まで難民として受け入れねばならないことになります。 またそんなことを言っていたら、祖国で殺人を犯して逮捕を逃れようと来日した人も「帰国すれば死刑になる」から難民だという主張も成立することになります。

 西日本新聞の記事では、入管法改正に反対するための具体的事例として以上の二点を挙げています。 しかしどちらも私には疑問を抱くばかりです。 

【拙稿参照】

不法残留外国人について      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331

かつての入管法の思い出      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

不法残留外国人について2021/05/11

 いま入管法改正案が国会で審議されていて、これに反対する運動が盛んなようで、よくマスコミに登場します。

 これに関しては1980年代までは、韓国からの密入国や不法滞在が大きな問題になっていたことを思い出します。 摘発された韓国人は長崎にある大村収容所に入れられ、強制送還を待つこととなります。 しかし時の韓国政府が彼らの送還を拒絶する場合が多々あり、その時は長年にわたり収容所に閉じ込められました。 ですから大村収容所を廃止しようという運動が、1960年後半から70年代にかけて盛んでしたねえ。

 私もこれに関心があって、この運動団体のパンフなんかを熱心に読んでいましたが、周囲の日本人だけでなく、多くの在日韓国人までが「密入国だから仕方ない。私らはあんな人たちとは違う」と冷たい反応だったことを覚えています。

 私には何十年も前のそんな体験がありましたから、今回の入管法改正とそれに反対する運動についても関心があります。 今のところ新聞記事などを読むしかありませんが、そこには不法滞在者や難民申請者の「国に帰れば殺される」というような話が多く出てきます。 それを読んでいて、どうも疑問を感じるところがあります。 例えば毎日新聞5月7日付に「『帰ったら殺される』入管法改正案、在日ミャンマー人の叫び」と題する記事は、次のように書かれています。  https://mainichi.jp/articles/20210507/k00/00m/040/023000c

「帰ったら殺される。恐ろしい」。そう声を落とす40代のミャンマー人男性は母国の軍事政権に反対するデモに何度も参加してきた。男性は「国軍はデモ参加者のリストを持っている」と危惧し、帰国すれば命の危険があると訴える。

男性は1999年に親族を頼って観光ビザで来日。ビザが切れても日本人の人手不足が深刻だった製造業で働いていたが、数年後に不法残留で摘発され、入国管理局に収容された。現在は一時的に収容を解かれる「仮放免」の身。母国の情勢を鑑みて難民申請を繰り返しており、改正法案が成立すれば強制退去になる可能性がある。

 一般的に不法残留には、意図的に不法残留したのか、或いはうっかりで不法残留となったのか、それとも止むを得ず不法残留にならざるを得なかったのか、等々の場合があります。 このミャンマー人の場合、記事を読む限り「意図的な不法残留」と言わざるを得ませんね。 毎日が何故このような例を記事化したのか、そこが分からないところです。

 またミャンマーは2011年に軍事政権から不十分ながらも民政に移管し、2015年と20年に総選挙が実施されました。 しかし今年の2月に軍事クーデターが起こって再び軍事政権となり、国内では民主化を要求する命を掛けた活動が続いています。

 こんな歴史を知ると、毎日の記事に出てくるミャンマー人が日本国内で不法残留の身でありながら「母国の軍事政権に反対するデモに何度も参加してきた」というところに疑問が出てきます。 2011年以降、今年2月までの約10年間は帰国できるチャンスがあったと思うのですが、何故か「難民申請を繰り返して」きたとありますから、単に日本に在留したかっただけではないのかという疑問です。

 毎日の記事は、続いて次のような例を挙げています。

20年以上前に来日した仮放免中のアジア出身の男性も改正法案に危機感を募らせている。不法残留の状態で結婚した女性との間にもうけた子どもは既に高校生。日本語しか話せず、この先も日本での進学や就職を希望しており、「子どもの将来が心配だ」と話す。

 不法残留者同士が結婚して子供ができれば、その子も在留資格のない子供になります。 従って強制送還の対象になります。 こんなことは不法在留者には常識なはずですが、両親はなぜこれを放置してきたのかが理解できないところです。 日本で子供を生めば何かの在留資格が得られると思ったのでしょうか? 周囲にはそれは難しいと忠告する人はいなかったのでしょうか?

 ところで1960年代に韓国からの密入国者同士が結婚して子供を作ったが発覚、両親・子供みんなが送還されたという話はよく聞いたものでした。 この過去と同じ出来事が今も繰り返されているようですね。

 外国人は日本で自分がどのような身分であるかについて、よく知っているものです。 もし不法滞在であることが発覚すれば送還されますから、発覚しないように慎重に生活します。 もし何かの事件に関係したり事故を起こしたりすると、不法滞在であることは直ぐにバレますから、そうならないように大人しく目立たないように生活するのです。 かつて知り合った韓国からの元密入国者は不法滞在時代に職場(パチンコ屋)で事件が起きた時に、自分は事件に直接関係なかったが警察が来る前にそこから逃亡したと言っていましたねえ。

 在日韓国人社会にはかつて韓国からの密入国者が多く存在し、バレるとどのような取り扱いを受け、どのような経過を経るのかをよく知っています。 ある者は強制送還され、ある者は自費帰国し、ある者は特別在留許可を得て引き続き日本に滞在するといった道を歩むのですが、その分かれ道は何なのか。 在日はこういった実際の話を多く見聞きしてきていますから、今回の入管法改正および不法残留者問題に対して役に立つ助言をすることが可能だと思います。 しかし在日たちはそれほど大きな関心がないようです。 

 特別永住等の合法的在留資格を有する在日にとって、今の不法在留者は関係ない問題ととらえているのだろうと思います。 この問題の支援者のほとんどが日本人であり、そして彼らはまるで自分たちの問題であるかのように運動しているところに、私の驚きというか新鮮さを感じるところです。

【拙稿参照】

かつての入管法の思い出 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547

昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536

8歳の子が永住権を取り消された事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/01/9322206

在日の低学力について(2)2021/05/05

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638 の続きです。

 ところで、なぜ在日の子供たちが低学力なのか。 これは部落問題と共通するものがあると考えます。 同和地区の低学力は昔から問題になっていました。 同和教育(解放教育)の先進地では、放課後に学校で勉強を教える(補充学級とか解放学級とか言われていました)取り組みをするのですが、周囲の一般生徒から「あんたら、いいね、タダで勉強教えてもらって」という妬みを言われます。 また当の部落の子からは、補充学級をしている間はクラブ活動ができないから行きたくない言い出すこともあります。 そうすると、その日の学校のすべてのクラブ活動を中止させるところまで出てきました。

 そこまでやっても同和地区生徒の低学力はなかなか解消しませんでした。 活動家の一人が、“親がパチンコ三昧、家ではテレビの前でビールを飲みながら競馬や野球中継を見るばかりで、子供に「勉強しろ!」と叱りつけても子供は勉強しない、まずは親から生活を正さねばならない”と言っていました。 しかし解放運動ではそんな意見を全く無視し、自分たちの生活を省みることもなく、子供たちには狭山闘争なんかの時に学校を休ませていましたねえ。 学校側もそれを容認していました。

 これも当時聞いた話ですが、ある同和教育推進校にいた教師が「同和地区の家を家庭訪問したら家の中に本がほとんどない、親が本を読まないし読もうともしない、部落の低学力要因は社会からの差別というより家庭環境に問題があるのではないか」と発言し、批判を浴びたといいます。

 同和地区の低学力については、14年前に拙稿でも論じたことがありますから、ご参考いただければ幸い。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/18/1515064

 在日の子供らの低学力も、同じように家庭環境に問題があると思います。 朝鮮人は植民地時代末期に男子の就学率50%、女子はわずか10%でした。 従ってその朝鮮から来日した朝鮮人一世たちは、もともと日本語の読み書きができず低学力が多かったのです。 そういう家庭環境が子供たちの低学力につながったと考えられます。

 ただ両親が無学だからといって、子供が低学力になるとは限りません。 私の知っている例では、両親は日本語の読み書きができないのにかなりの高学力の方がおられました。 お話を伺うと、子供の時に学校から帰って母親に今日何があって何をしたかを話したら、母親はどんなに忙しくても話を聞いてくれた、また長女が少し勉強できたのでその姉から勉強を教えてもらったし、自分も弟に勉強を教えてあげた、とかいうことでした。 そこに高学力の秘密がありそうです。 親がたとえ無学文盲でも、家庭環境によって子供の学力は向上するものだと思いましたね。

 差別をなくす運動は、社会の差別体質に対する闘いだけでなく、被差別者側の生活を点検し改めていく取り組みも必要だと考えています。 〝解放運動“にしろ〝民族差別と闘う運動”にしろ、自分たちの生活や家庭環境に問題がないのかを常に問い返しながら進めるべきでしょう。

 「子は親の背を見て育つ」という諺がありますが、その通りと思います。 親がこんな子になってほしいと願っても子はその通りに生きない。 親が安逸な生活をすればそれを見て育つ子も堕落し、親が誠実であれば子も真面目になる。 勉強も同じです。

 子は親の思う通りになるのではなく、親のようになっていくものなのです。 (終わり)

【拙稿参照】

在日の低学力について(1)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638

同和地区の低学力            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/05/18/1515064

郵便ポストを設置させた解放運動     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/07/6502784

同和地区の貧困化            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/29/6525302

同和教育が差別意識をもたらす      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/29/5614412

柳田邦男のビックリ部落認識     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/12/25/8290405

日本統治下朝鮮における教育論の矛盾   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/01/1156247

差別問題の解決とは?       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/09/9266205

在日の低学力について(1)2021/04/28

 前回で、在日の自殺率に関する金泰泳氏の「在日の自殺率」に関する論稿を取り上げました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020 この論稿では他に、在日の子供たちの低学力について次のように論じているところに目が行きました。

筆者は、ある「在日」青年が集まって活動する団体で一時活動していた。 当時、日本の学校に通う「在日」の中では非行に走ってしまう子、また「低学力」に苦しむ子も少なくなかった。 「在日」の生徒の学力を示すデータはほとんどないが、大阪府Y市の中学校が出した統計では、日本人生徒は学力の上位層、中位層、低位層の割合が概ね30%ずつであったが、「在日」生徒では、それぞれ10%、25%、65%という結果であった。 それは差別による展望のなさや家庭環境になどいろいろな背景があるだろう。

筆者はその団体の会議で、民族楽器や舞踊など民族文化を伝えることはもちろん必要だとおもうが、それに加えて、学力保障の取り組みをしていかなければいかないのではないかと提起したことがあった。 そしてその提起をめぐって議論になり、その団体の中心的役割を担う人が言ったのは、「学力保障は民族教育の範疇ではない」ということであった。 その場にいるほとんどの人がその人の意見に賛同し私は孤立した形になった。 しかし、なおも「学力保障の取り組みは必要だ」と食い下がる筆者に、今度は「そんな考えだからダメなんだ。朝鮮人やめてしまえ!」という発言が飛び出したのである。

その場(団体)において、「学力保障」というのは個人主義であり能力主義である。 私たち(団体構成員)が大切にしているのは「民族集団としての仲間づくりでありつながりだ。」 実際に学力をつけて学歴を積んで安定した仕事に就く「在日」の少なからぬ人が「在日」」コミュニティを離れ、日本社会に埋没していってしまっているじゃないか。 彼/彼女(団体構成員)たちはそう言いたかったのだろう。 (以上『抗路8』2021年3月 95・96頁。 カッコ内は引用者)

 これを読んで、1970年代の民族差別と闘う運動団体でも同じことがあったなあと思い出されました。 運動団体は〝勉強”よりも〝民族差別と闘う”ことを重要視するものだったのです。 子供会活動では朝鮮人の子供たちには一応勉強を教えるのですが、教える側の学力そのものにかなりの問題がありましたし、指導者本人が「子供会は‘勉強塾’になってはいけない」と強く言っていました。 ですから子供らには「本名を名乗れ!」と繰り返し指導するばかりで、勉強よりも遊びの場になるしかありませんでした。

 そして何か差別反対闘争や行政闘争があれば、勉強なんか止めてそっちに行こう!というのでした。 その闘争の現場では、「お前らは朝鮮人の子供らがどんな気持ちでいるのか分かっているのか!」「その子のお母ちゃんがどんなに辛いのか知っているのか!」などと怒鳴るように叫んで、相手方を追及します。

 在日の子供たちの学力が低い傾向にあったのは、私の経験からしても事実でした。 しかし民族主体性を訴える運動団体では、子供たちの学力向上は主たる関心の外にありました。 日本の学校でいくら勉強しても将来は土方になるかパチンコ屋で働くぐらいしかない、そうでなければヤクザだ、ということが公然と言われていた時代でしたね。

 運動団体はそんな時代のなかで、勉強よりも民族主体性の確立を目指していました。 しかし民族主体性とか言ったって、本名をハングル風に呼んで民族を隠さないくらいでしかありませんでした。 民族にとって一番重要な朝鮮語は、ほとんどが初級段階でしたね。 (続く)

在日の自殺死亡率  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020

在日の自殺死亡率2021/04/20

 在日の総合誌『抗路8』(2021年3月)に、「『在日』における精神障害とコミュニティ」と題する論稿があります。 論者は金泰泳さんという方です。

マイノリティにとって社会はストレスが多い。マイノリティは民族、人種、性別、出身地、またはセクシュアリティ、障がいなど、さまざまな属性にもとづいて蔑視や差別をうける、排除・疎外されるという経験を有している。そのストレスの長期にわたる蓄積ゆえに、精神疾患の発症リスクが高い人々であるといえる。 ‥‥ 在日コリアンもマイノリティのひとりである。 筆者は本稿で、「在日」が‥‥どのような状況に追い込まれているのかということをうきぼりにしたい (91頁)

というもので、その一つとして「在日」の自殺率の高さを論じています。 ↑は、それを示す根拠して掲載されているグラフです。

 在日韓国・朝鮮人はこれまで様々な調査が繰り返されてきており、統計数字もたくさんあります。 しかし自殺率に関する資料は見たことがなく、私には新鮮な印象をもちました。(自殺に関する統計数字ですから、「新鮮」はちょっと言い過ぎかも知れません)

 論者は次のように言います。

図からわかることは、日本の韓国・朝鮮籍者の自殺死亡率が、「日本全体」(外国人を含む)や他の外国籍の人々よりきわだって高く、その傾向は一貫している(94頁)

 この統計の典拠の一つはおそらく厚生労働省「人口動態統計に基づく自殺死亡数及び自殺死亡率」と思われ、ネット上でも公開されていますので関心ある方はご覧ください。 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/jinkoudoutai-jisatsusyasu.html

 これを見れば、論稿の↑グラフ図は信頼できるものと判断できます。 韓国・朝鮮籍の自殺率は2010年以降減少してきているのですが、それでも他と比べて「きわだって高い」のは事実と言わざるを得ないですね。

 ただしこの「韓国・朝鮮籍者」には近年に来日した「ニューカマー」も含んでいるので、論者は「『在日』の自殺死亡率と言い切ってしまうにはやや語弊がある」(94頁)と注意を呼びかけています。

 論者はこの方面の専門家のようですから政府統計だけでなく、ご自分で「特別永住者」と「ニューカマー」の自殺率の違い、あるいは帰化者の自殺率といったものを調べることができないものだろうか、という期待を持ちました。

 例えば、帰化者の自殺率が「韓国・朝鮮籍者」のそれより低ければ「在日」は帰化によって精神的安定を得ることができるとなるだろうし、同じであれば帰化しても在日問題は解決しないとなるだろうし、高ければ帰化はかえって危険となるでしょう。 そういった数字がほしいところです。

植民地時代の土地調査事業の遺跡が文化財に2021/04/16

 『朝鮮日報』2021年4月5日付に、植民地時代に施行された土地調査事業の遺跡が韓国の登録文化財に指定されたというニュースが出ました。

https://www.chosun.com/culture-life/culture_general/2021/04/05/6V45OQML7ZDLRF2DEF73HCXIQM/

 関係する部分は次の通りです。

문화재청은 …1910년대 토지 측량사업 유물로 강원도 지방의 지형, 거리 등을 정밀하게 측정하는 기준이었던 ‘고성 구 간성기선점 반석’을 문화재로 등록했으며… 등 3건을 등록문화재로 예고했다.

 この記事の日本語版は4月13日にネット上で公開されました。 該当部分は次の通りです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6ff922f60e73fa9d424ceed1c8dfac1f978ed196

文化財庁は ‥‥1910年代の土地測量事業の遺物として江原道地方の地形や距離などを精密に測定する基準だった「高城・旧杆城基線点磐石」を文化財に登録し‥‥ など3件を登録文化財として予告した。

 ここで注目してほしいのは、「1910年代の土地測量事業」というところです。 これは朝鮮総督府が日韓併合当初より始めた土地調査事業のことで、1918年までの約8年間にわたって朝鮮全土の土地測量を行ない、土地所有権の確定等々の近代的土地所有制度を確立していったものです。 これによって朝鮮では、それまで不安定だった土地所有権が安定化しました。

 これはどういうことかと言うと、ある常民が先祖の代から耕作していた畑について、どこかの両班が「ここは元々俺たち家門の土地だ!お前らは出て行け!」と迫られるとか、どこかの役所が「ここは昔に朝廷から我々が賜った土地だ!勝手に耕作するとは怪しからん!」と訴えられる可能性があったのです。 何百年も昔の記録らしきものを突きつけられると、常民には両班やお上に逆らうことは難しい時代でした。 つまり日韓併合以前の朝鮮では、土地所有権が不安定だったのです。

 それがこの土地調査事業で所有権が確定したことによって安定したのです。 ですから、どこかから「ここは元来自分の土地だ」とか言われても対抗できることになったのです。 つまり土地調査事業は私有財産制の確立であって、近代化に絶対に必要なものだったのです。 そしてその成果は現在の韓国の土地制度にまで及んでいます。 今の韓国でも土地の所有権は争いの種ですが、その裁判ではこの土地調査事業の成果物が出てくるのです。 それ以前の李朝時代の記録はあっても無視されます。 ということは、100年以上前に朝鮮総督府が施行した土地調査事業の成果は現在の韓国にまで継承されているのですから、事業は歴史の理に適っていたと言ってもいいと考えます。

 従って韓国が今度、この土地調査事業の遺跡を重要だからと文化財登録したことは、歴史価値の重要性からしても当然なことです。

 ところが世間に出回っている韓国史では、この土地調査事業は「日本帝国主義による土地収奪」だと極めて低い評価を与えています。 そして在日も自らの歴史を語る時に、自分たちの祖父は日帝の土地調査事業で土地を奪われてやむなく日本に来た、だからこれは「強制連行」と同じだ、というような「歴史」を語ることが多いです。 これは「虚偽の歴史」と言っていいものです。

 それでは真実の歴史は何か?

土地調査事業によって土地所有権が確定したので朝鮮人は安定した生活を送り、結婚して子供を産むことができるようになった、だから朝鮮人の人口は日韓併合後に爆発的に増えた、しかしこの人口増に農業生産が追い付かず、朝鮮の各農村では人口過剰に陥って貧困層が拡大し、農村外に出ようとする動きが活発化した、その出稼ぎ先の一つが産業化の進んでいた日本(当時は内地)だった。

 「在日の歴史」は、このように語ってほしいと思います。

【拙稿参照】

土地調査事業           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/23/3273840

水野・文『在日朝鮮人』(7)―人口の急増 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/05/14/8089137

『現代韓国を学ぶ』(2)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/06/6470236

毎日新聞「在日3世代100年の歴史」への違和感(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/13/9278142

『金達寿伝』を読む―金家はなぜ没落したか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/07/9293017

朝鮮奨学会のアンケート調査(3)2021/04/13

 前回と前々回では、朝鮮奨学会が実施した民族差別体験アンケート調査について、まず毎日新聞が記事にして、次に韓国の中央日報が記事にしたことを紹介しました。 それでこの朝鮮奨学会の調査というものを見たくて探したところ HPで公開されているのですねえ。   http://www.korean-s-f.or.jp/doc/201912survey.pdf

 「韓国人・朝鮮人生徒学生の嫌がらせ体験に関する意識調査」と題するものです。 設問は四つあって、①「言葉による嫌がらせ体験(言葉)」 ②「嫌な思い(差別的処遇)」 ③「ネットでの嫌な体験(ネット)」 ④「ヘイトデモ・街宣の見聞き(デモ街宣)」。

 毎日新聞が報道したのは、このうちの ①「言葉による嫌がらせ体験(言葉)」だけで、「体験あり」30.9%、「体験なし」が69.1%です。 それ以外をみると‥‥

 ②「嫌な思い(差別的処遇)」は、「体験あり」が39.4%、「体験なし」が60.6%です。 差別的処遇というのは、「公共機関や住宅利用などにおける差別的処遇」となっています。 家を借りようとする際に、“外国人お断り”で苦労する話はよく聞きます。 家主さんにとっては日本語が通じるのか、不法滞在者の溜まり場にならないか等々の懸念があって、外国人に貸すのを嫌う場合が多いです。 

 「公共機関における差別的処遇」というのが何を指すのか分かりません。 これまで何人かの外国人に、公的機関の人から受けた嫌なことを聞いたことがあります。 それは入管や警察なんかから疑うような目つきで外国人登録証(今は在留カード)を見せろと言われることでしたね。 こんなことを指しているのかなあと想像します。

 ③「ネットでの嫌な体験(ネット)」は、「体験あり」が73.9%、「体験なし」が26.1%です。 多いですね。 これはいわゆるネットウヨ(嫌韓偏執狂)の書き込みでしょう。 こういったものには法的規制をかけるべき時期に来ているのかも知れません。 ごく一部の愚か者のために言論の自由が阻害されることになるのですが、止むを得ないと思うようになりました。

 ④「ヘイトデモ・街宣の見聞き(デモ街宣)」は、「体験あり」が75.7%、「体験なし」が24.3%。 これも多いです。 日本にも在特会など公然と人種差別する集団がいると全世界に報道されているようですから、困ったものです。 レイシスト集団はほんのごく一部とはいえ、放置していると犯罪につながる可能性があります。 実際に外国ではその例が多々ありますから、公安当局の監視を願うところです。

 奨学会のアンケート調査を見ながら感想を書きました。 被差別の「体験あり」が、「言葉」や「差別的処遇」では30~40%なのに対し、「ネット」「デモ街宣」が75%と高いことに目が行きます。 ごくわずかの少数者による悪行がこの数字の高さとなっているところにため息が出ますね。

朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート―『中央日報』  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/30/9361948

朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート(2)―『毎日新聞』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/06/9364434

朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート(2)―『毎日新聞』2021/04/06

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/30/9361948 の続きです。

 前回の『中央日報』の記事のネタ元は『毎日新聞』です。 インターネット版では2021年3月13日付けにあります。 https://mainichi.jp/articles/20210313/dde/007/040/017000c  ただし有料記事ですから、勿体ないと思われる方はお近くの図書館に行って探してくださいね。

 この記事のなかで、次のような一節があります。

20年夏、BLMを巡り、「日本には人種差別はない」という言葉がツイッター上を駆け巡った。 同じ年の11月には、在日コリアンを含む外国ルーツの女性アスリートたちが、差別やいじめを受けながらもスポーツを通じて乗り越えようとする姿を描いたナイキのCMが話題になり、これに対して「捏造(ねつぞう)だ」「私の周囲に差別はない」という批判が殺到した。 だが、調査結果や取材から見えてくるのは、日韓、日朝関係が硬直化する中、「嫌韓」感情が一部の極端な言説だけでなく一般市民の間に広がり、在日コリアンの若者たちを追い詰めている今の日本社会の有り様だ。

 このなかの「『嫌韓』感情が一部の極端な言説だけでなく一般市民の間に広がり、在日コリアンの若者たちを追い詰めている」というのは、私には異議があります。

 今は「第三次の韓流ブーム」と言われています。 韓国ドラマやK‐POPにはまって韓国語を勉強したいという人が増えているそうです。 また韓国映画を見に行く人も、このコロナ禍でも相変わらず多いです。 以前の日本では韓国に関心を持つのが圧倒的少数だった時代を思い起こすならば、今は「韓国好き」が一般市民に広がっていると言い切ることができます。

 従ってこの毎日の記事は「韓国好き」が忘れられていると言わざるを得ません。 なぜ「嫌韓」ばかりを取り上げるのか、しかもなぜ「日本社会が在日コリアンを追い詰めている」とまで言うのか。 毎日は日本人を差別者=加害者、在日を被差別者=被害者という構図を作り上げようとしているようです。 「嫌韓」も広がってはいるが、同時に「韓国好き」も広がっている、こう書いてほしかったし、またこれが正解でしょう。

ジャーナリストの安田浩一さんはこう語る。「特定の民族は出て行けとか、殺せとかいう言葉は、街頭の中で叫ばれる一部の過激化した特殊な言葉だった。 でも今、その差別の言葉がどんどん標準言語として定着している。 街頭やネットだけでなく、日常生活のあらゆる場で差別と偏見がすり込まれ、発出しているんです。これは日本人側が解決すべき問題です」

 「特定の民族は出て行けとか、殺せとかいう言葉は‥‥その差別の言葉がどんどん標準言語として定着」とはビックリ。 安田さん自身が、そんな言葉が「標準言語として定着」している場所で暮らしておられるのでしょうねえ。 そんなごく狭い所だけで通用している「標準言語」を持ち出されても、私のような部外者は戸惑うだけです。

 「街頭やネットだけでなく、日常生活のあらゆる場で差別と偏見がすり込まれ、発出している」 これにもビックリ。 「街頭」は在特会とかいうトンデモ団体なんかがやっているヘイトデモで、「ネット」は確かに嫌韓偏執狂ともいうべきヘンテコ人士がやっています。 しかし安田さんは「日常生活のあらゆる場で差別と偏見がすり込まれ」と書いていますから、ご自身が、特定外国人に対して「出ていけ」「殺せ」が標準言語である場所で「日常生活」を送っているということです。 彼の周囲には在特会とか嫌韓偏執狂ばかりがいる、かなり特殊な環境におられるのですねえ。 彼と私とは住んでいる世界が違うと言っていいのかも知れません

 また彼は「これは日本人側が解決すべき問題」としておられますが、一部の狭い空間での問題とはいえ、日本社会内での出来事です。 そして在日外国人も日本社会を構成しているのですから、両者が共同して解決すべき問題だと私は考えます。 しかし彼は解決の主体がなぜ日本人側だけにあると言うのか、そこが私には理解できないところです。

 それでは私のことについて話しますと、私は彼のいう「標準言語」が存在しない場所で日常生活を送っていますから、普段は韓国語を学び韓国の文化を楽しむ、時には本国や在日韓国人たちと愉快にお付き合いする、そして在日や韓国には苦言を呈することに遠慮はしない、そんな風に過ごしています。

【拙稿参照】

朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート―『中央日報』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/30/9361948

なぜ嫌韓は高齢者に多いのか―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/25/9076605

嫌韓を実践するおばあさん    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/14/9059752

韓国語のできない嫌韓派     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/28/9052386

韓国語が出来ずに韓国を論じる人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047781

嫌韓派と韓流派         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

最初の韓流ブーム        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/06/8934724

日本語と韓国語の微妙な違い   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/19/9074339

朝鮮奨学会の民族差別実態アンケート―『中央日報』2021/03/30

 『中央日報』2021年3月16日付けに、「日本の学校に通う韓国人学生の30%以上が民族差別的な言葉の暴力受ける」と題する記事がありました。   https://japanese.joins.com/JArticle/276591?sectcode=A10&servcode=A00

15日の毎日新聞によると、朝鮮奨学会が在日コリアンと韓国人留学生など高校生~大学院生1030人を対象に日本国内での民族差別の実態に対するアンケート調査を実施した結果、30.9%が「直近3年間に言葉による嫌がらせを受けたことがある」と答えた。

このうち48.1%は「同級生など日本人の生徒・学生」からのものだった。16.4%はアルバイト先の客、10.1%は教師・教授ら日本人教員だった。

具体的な嫌がらせの事例では、「韓国に帰れ」「日本から出て行け」のような日本人同級生による言葉の暴力をはじめ、「日本人の教員から『北朝鮮のスパイなのか』と言われた」「彼女の父親に、民族学校に通った韓国人は危ないと言われた」「バイト先で、ネームプレートを見た客から『まともな日本語使えないのか』と言われた」などの被害の訴えもあった。「通名(日本名)じゃないと雇わない」という就労差別も数件あった。

日本人から嫌がらせを受けた73%が「不快に感じた」と答えた中で10.1%は「韓国人・朝鮮人である自分を嫌だと思った」と答え、「日本人に生まれたかった」という回答もあった。朝鮮奨学会の権清志代表理事は「学生たちは文字通り心から血を流していると思う」と批判した。

 これを読んで先ず目が行ったところは、「言葉の嫌がらせを受けた」と答えた在日学生が31%という点です。 これを多いと見るか、少ないと見るか。 中央日報は多いと見たから、記事化したのでしょう。 

 しかし50年前の1960年代以降の民族差別を知る私には、へー!そんなに少なくなったのか!という感想を抱きました。 

 当時の学校では、朝鮮人と日本人生徒とのケンカはそれこそ本当に血みどろでしたし、その時に日本人側から「やい!朝鮮!」「何を!この朝鮮!」という言葉を投げつけるのはいつものことでした。 日常で朝鮮人の子に「朝鮮、にんにく臭い!」「チョーセン、チョーセン、パカスルナ!」「オナチ メシクテ トコチガウ!」とからかうのも日常茶飯事でした。 また登校道にある高架下などに個人名をあげて「〇〇は朝鮮だ!」と書かれた落書きもよく見たものでした。

 その時代に在日の生徒・学生らに民族差別の実態アンケート調査をとったら、ほぼ100%が「差別を受けた」と答えると思います。 ということは当時の在日の若者にとって自分たちの共通点が“日本人から差別された”という体験になります。

 これは実際の体験ですから、それを語る時の彼らの表情や態度は、感情がほとばしると言っていいほど激しいものになるものでした。 民族差別糾弾闘争などで、俺にも言わせてくれ!と参加する在日が次から次へと現れたという話はよく聞いたものでした。 この時代の在日のアイデンティティは「日本人から差別された」という被差別体験といって過言でありません。

 こんな50年前の時代を思い出すと、今の在日生徒・学生が「言葉の嫌がらせを受けた」と答えたのが31%というのは、状況がかなり良くなったんだなあという感想を持ちます。 「差別を受けなかった」が70%もあるじゃないか!? という疑問も抱きます。 

 参考までに30年近く前の1993年の在日韓国青年会の調査によると、18~30歳の在日800人のうち、民族差別を体験したがことが「とてもよくある」2.5%、「よくある」6.5%、「少しはある」32.5%、「ほとんどない」28%、「まったくない」30.5%です。 これは中公新書『在日韓国人の終焉』(鄭大均著 平成13年4月)の24頁に紹介された数字です。 数字をまとめると民族差別体験のある者は41.5%、体験のない者は58.5%となります。

 ただし調査の対象ややり方が違うでしょうから、今回の朝鮮奨学会の調査の数字と単純に比較することはできません。 しかし被差別体験はどんどん少なくなってきたことの裏付けの一つになるでしょう。

 ところで「チョーセン、チョーセン、パカスルナ!オナチ メシクテ トコチガウ!」というからかいは、1970年代には聞くことがなくなりました。 これは一世の朝鮮人が差別する日本人らに拙い日本語で抗議する言葉で、日本人がそれをそのまま真似して朝鮮人をからかったものです。 今考えると、酷かったですねえ。

「左」が担った「通名禁止」運動(3)2021/03/23

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358120 の続きです。

 前回で、日本人の一部に在日外国人の「通名禁止」を強固に叫ぶ人がいることを論じました。 本名を出させて晒し者にしようとする人種差別主義者たちで、左右でいうと「右」です。

 しかし20年ほど前までは、在日韓国・朝鮮人の通名を止めさせ、本名を名乗らせようとする運動があったことは記憶に留めてほしいと思います。 彼らは在日の本名こそが民族主体性を獲得するものだと唱え、日本社会の民族差別を告発しました。 ですから「左」からの「通名禁止」運動でした。

 「通名禁止」という点では、時間差がありますが「右」と「左」が一致していることに注目されます。

 「左」の「通名禁止=本名を呼び名乗る」運動については以前に拙稿で取り上げたことがありますので、要点部分を再録します。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

1970~80年代、在日韓国・朝鮮人が通名(日本名)を名乗ることについて、差別的な日本社会が在日の民族性を否定するために通名を強制している、だから在日は通名を捨てて本名を名乗り、自らの民族的アイデンティティを確立せねばならないという主張がありました。 いわゆる「本名を呼び、名乗る運動」です。この考え方は解放運動と結びつき、在日が本名を名乗ることは日本社会の差別に対して闘うことのように考えられました。

特に公教育でこの考え方が広まり、同和(解放)教育の集会では、教師たちの取り組みの報告として「うちの学校では何人の在日生徒を本名宣言させた」が、自慢のように語られたものでした。

また民族差別と闘う運動団体や解放運動団体は、教育委員会に圧力をかけ、在日生徒に通名を捨てて本名を名乗らせる指導をするような指針を作らせることもしました。

このような「本名を呼び名乗る運動」は、さらに「通名禁止」を実践するところまで現れました。 一部の公立学校(解放運動や日教組の影響の強い)では、入学してくる在日生徒の名前を、保護者や本人の了解なく、本名を強制的に使うところが出てきました。 また一部の大学(左系が強いR大など)でも、今もそうだと思われますが、通名で入試を受けて入学してきた在日を、本人・保護者の了解なしに強制的に本名を使っていました。

このように「本名を呼び名乗る運動」というのは、“日本社会の差別性=保守的・右翼的体質が在日の民族性を否定するために通名を強制している、だから在日が通名を捨てて本名を名乗ることは日本社会に対し闘うことなんだ、君も在日なら共に闘おう”という考え方だったのです。正に左翼運動の一貫だったのです。

つまり「通名禁止」は「左」が主張し、そして場所によってはそれを実践していたということです。

 名前をどう名乗るかは本人の自由な権利なのですが、「左」も「右」も通名を禁止して本名を名乗れと主張しています。 しかしその主張は、「左」では善意からであり、「右」では悪意から、という違いがあります。

 「左」は自ら善意と確信していますから強要・押し付けとなりやすいものです。 権利を侵害しているとは全く思っていません。 本名は嫌だ!と激しく抵抗する生徒がいたら、民族差別と闘う運動団体では「心を鬼にして本名を名乗らせねばならない」という主張が堂々と語られていましたねえ。 

 一方「右」特に「ネットウヨ」は自分の本名を隠して特定外国人に「通名を使うな! 本名を名乗れ!」と主張しています。 外国人であることを晒して差別してやるぞ!という考えです。 自分の本名は出さないのですから、悪意があることを自ら表明しているようなものですね。 ですから「右」からの主張はレイシズムというかエゲツなさが甚だしく、人間性に疑問を抱くしかありません。

 本名か通名か、これは本人が決めればいいだけの話です。 他人が本名か通名かを強制することはできません。 本人が通名を使いたいと言うなら、周囲の人は分かりました、そうしましょう、ただし必要ならば本名を使いますよ、で十分です。

 日本人でも知事や国会議員といった公職に通名の人がいます。知事ではかつての横山ノック、最近では森田健作や玉城デニーなんかが有名ですね。 国会議員では自民党の高市早苗もそうだし、古くは共産党の不破哲三もそうでした。 探せばいくらでも出てきます。 こういった人たちと同じ扱いをすればいいだけです。

 この常識が特定国籍の外国人に限り、かつては「左」に通用せず、近年では「右」にも通用しないということですね。 同じ穴のムジナに見えますが、悪質性は「右」の方が上回ります。 (終わり)

【拙稿参照】 

外国と日本の文化の違い―卑猥語(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/18/9358120

人に卑猥語を言わせるトンデモ俗悪人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/28/9351491

通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269

第21題「本名を呼び名乗る運動」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai

第85題(続)「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai

第84題 「通名と本名」考   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai