創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (14) ― 2026/06/17
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/10/9859201 の続きです。
↑は、朝鮮銀行史研究会編『朝鮮銀行史』(東洋経済新報社 昭和62年12月)987頁に掲載されている本店営業部1944年1月現在の職員名簿の一部です。 クリックすれば拡大します。 名簿に*印が付いた職員が朝鮮人で、23人います。 当時、日本人(内地人)職員は加俸という名目で4~6割の割増手当が支給されていたのですが、朝鮮人職員にはその手当がありませんでした。 また日本人男子職員は徴兵義務があり、朝鮮人職員には徴兵義務がありませんでした。 そういった事情のためと思われますが、職員名簿には朝鮮人を区別する*印が付けられていました。 この朝鮮人職員23人のうち次の6人が朝鮮名(↑では赤の下線をつけています)で、他は日本風の名前です。
出納整理主任 閔 泳台
支払主任 李 璣鐘
出納整理 陸 鎮鳳
証券 具 栄洲
取立 金 泰晋
計算兼監査 洪 国善
この名簿の時期である1944年は創氏改名から4年も経っていて、太平洋戦争中であり軍国主義真っ盛りの時代でした。 そして朝鮮銀行は植民地朝鮮において通貨を発行するなど中央銀行の役割をしていました。 つまり経済的「収奪」の大元締めでしたから、日本帝国主義「侵略」の心臓部とも言える存在です。 そこの本店営業部に、日本名に変えずに朝鮮名のままの朝鮮人職員が6名も在籍していたのです。
創氏改名は「日本が朝鮮植民地支配の際に皇民化政策の一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に強制的に変えさせた、これを拒否しようとしたものは非国民とされ、様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた」というような説明がされていますが、そうならばここに記した6人の朝鮮銀行職員は「非国民」だったのでしょうか? あるいは朝鮮銀行は「非国民」を雇用したのでしょうか? そうではありません。 1940年の創氏改名令は日本名を強制するものではなく、先祖から受け継ぐ朝鮮名をそのまま維持してもいいとする法律だったのです。 つまり日本名でも朝鮮名でも構わないとするものでした。 だから朝鮮名の朝鮮人職員が勤務していたのです。 そして彼らは不利益を蒙ることなく社会に暮らすことができたのです。
1980年代の日本の学校の副読本の朝鮮史には、「官憲は創氏改名拒否者に対し、入学、就職、日本への渡航を邪魔し、行政事務や荷物輸送を受け付けず、労務徴用の対象にしたり、不逞鮮人と呼んでブラックリストに載せるなどした」(神奈川県高等学校教職員組合『わたしたちと朝鮮 高校生のための日朝関係史入門』公人社 99頁)などと解説されていましたが、明らかな誤りですね。 正解は〝創氏は拒否できるものではなく全員が創氏した、それには日本名にする「設定創氏」と朝鮮名のままでいいとする「法定創氏」の二種類があった”です。
行政手続きは基本的に戸籍名で行なわなければなりませんが、その一つが日本(当時は内地)に行く時に必要な渡航証明書でした。 渡航証明には戸籍抄本が必要で、そこには創氏した名前が記されていましたから設定創氏した朝鮮人なら日本名を使うことになり、法定創氏した朝鮮人なら朝鮮名のまま使っていたのでした。 ですから「官憲は創氏改名拒否者に対し‥‥日本への渡航を邪魔し」は、明白なウソです。 こんなウソが日本の学校では教えられていたのです。
このようなウソの歴史はさらに〝在日朝鮮人は創氏改名で日本名を無理やり付けさせられて、今でも通名(日本名)を使わされている”となり、そして〝屈辱の創氏改名の歴史を学び、通名を捨てよう!”と唱えるいわゆる「本名(朝鮮名)を呼び名乗る運動」が展開されたのでした。
第21題「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainijuuichidai
第85題 (続)「本名を呼び名乗る運動」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuugodai
第84題 「通名と本名」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuuyondai
通名禁止、40年前から「左」が主張と実践 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/01/05/6681269
「左」が担った「通名禁止」運動(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/03/23/9359710
民族運動として「本名を呼び名乗る」は正当なものですが、その根拠として創氏改名のウソの歴史を持ち出すのはいかがなものかと思ったものでした。
ところで冒頭の職員録↑の中に出てくる「洪国善」は、旧日本軍の将校で敗戦時に戦犯として処刑された「洪思翊」の子息です。 洪思翊は創氏改名でも日本名にすることなく朝鮮名を維持したので、家族も同じく「洪」氏となります。 しかし彼は今の韓国では「親日反民族行為者」と認定され、売国奴扱いされていますね。 日本名に変えず朝鮮名を維持したことは、何ら評価されないのでした。 https://www.asahi.com/articles/ASS5H0R05S5HUHBI019M.html
【創氏改名に関する拙稿(追加分)】
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (12) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/03/9857996
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (13) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/10/9859201
朝鮮人志願兵初の戦死者 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/02/8719450
日本統治下朝鮮における朝鮮語放送 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (13) ― 2026/06/10
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/06/03/9857996 の続きです。
↑は、1942年の『毎日新報』に載った「歯科医師試験合格者」記事です。 創氏改名が施行されてから2年経った時期です。 25名の合格者には朝鮮人も入っていますが、そのうち「李徳模」「金福徳」の二人が朝鮮名です。 この資料を掲載した韓国の「창씨개명 나무위키(創氏改名 ナムウィキ)」では次のように解説しています。 https://namu.wiki/w/%EC%B0%BD%EC%94%A8%EA%B0%9C%EB%AA%85
의료진이 일본식 성명을 사용하지 않을 경우 폐원 조치가 이루어졌다는 공식적인 기록은 확인되지 않는다. 실제로 1942년 치과의사시험 합격자의 명단인데, 조선인에게도 공공 서비스 중에서도 매우 고급 기술인 치의학을 전공하고 치과의사가 될 수 있는 길이 1941년까지도 열려있었음을 알 수 있다. 만약 조선인을 매우 못마땅하게 생각하여 어떤 식으로든 불이익을 주고자 하는 것이라면, 치과의사 자격 취득 시험을 응시하게 하고 자격을 취득하게 하여 잠재적으로 일본인의 치아 건강을 맡기는 것은 그 목적과 완전히 모순된다. 심지어 그 논리대로라면 조선식 이름을 유지한 조선인은 더더욱 제재했어야 한다. 하지만 위의 1942년 치과의사시험 합격자의 명단에서 볼 수 있듯이, 의료인이 되고자 하더라도 창씨개명이 필수는 아니었다는 점에서 이는 사실이 아니라고 보는 것이 개연적이다.
取り急ぎ、直訳してみました。
医療人が日本式の姓名を使用しない場合、廃院措置がなされたというような公式記録は確認されていない。 実際にこれは1942年の歯科医師試験合格者の名簿であるが、公共サービスにおいても非常に高級な技術である歯医学を朝鮮人が専攻して歯科医師になることができる道は、1941年までにも既に開かれていたことが分かる。 もし朝鮮人はダメだとしてどうあっても利益を与えないというのであれば、朝鮮人に歯科医師の資格を与えて日本人の歯科健康の仕事に従事させていることと完全に矛盾する。 さらにその論理であれば、朝鮮式の名前を維持する朝鮮人にはさらなる制裁を加えていなければならなかった。 しかし上記の1942年の歯科医師合格者名簿を見るように、医療人になろうとする朝鮮人に創氏改名が必須でなかったという点から、それは事実でないと見るのが合理的である。
この解説にある通り、歯科医師は創氏改名で朝鮮名を維持した朝鮮人にも開かれていました。 そしてそんな朝鮮人歯科医師は日本人患者も診ることになるのですが、当時の人々はそれに違和感を持たなかったのです。
『新版 韓国・朝鮮を知る事典』(平凡社 2014年3月)の291頁には、「創氏改名」について次のように解説しています。
日本の植民地支配下で、朝鮮人から固有の姓を奪い、日本式氏を名乗るよう強いた政策。‥‥ 日本の氏を名乗らされたという屈辱の思いは終生消えることはないだろう
このような解説には、大いなる疑問をいだきます。 創氏改名には「設定創氏」と「法定創氏」の二種類があります。 前者は日本名となり、後者は朝鮮名がそのまま残るものでした。 当時の朝鮮人はどちらの創氏を選んでもよかったのでした。 「朝鮮人から固有の姓を奪い、日本式氏を名乗るよう強いた政策‥日本の氏を名乗らされたという屈辱の思い」というのは、誤りと言わざるを得ません。 当時の朝鮮では、朝鮮名の歯科医が堂々と存在していたのです。
【創氏改名に関する拙稿】
創氏改名とは何か (00年4月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai
創氏改名の残滓 (01年6月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuudai
創氏改名の手続き(04年10月1日) http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuudai
毎日新聞の創氏改名記事の間違い https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/03/9834434
創氏改名の誤解―「世界史の窓」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421515
朝鮮名での設定創氏が可能な場合 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/02/12/1178596
宮田節子の創氏改名論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/10/7487557
石破茂さんのデタラメ創氏改名論 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/06/9161642
朝日の創氏改名論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/15/2753298
辺見庸さんの創氏改名論 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/10/06/1838919
民族名で応召した朝鮮人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/11/14/7491817
金時鐘さんの創氏改名は「金谷光原」―神戸新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/03/9779836
尹東柱の創氏改名―ウィキペディアの間違い http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/11/8939110
尹東柱の創氏改名記事への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/16/8917954
「尹東柱」記事の間違い―中央日報 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/17/9464967
朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/11/26/9819692
朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/03/9821132
朝鮮人は来日すると日本名を名乗った(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/12/10/9822738
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (12) ― 2026/06/03
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012 の続きです。
↑は創氏改名令が施行された翌年の昭和16年(1941)に、当時唯一のハングル新聞である『毎日新報』に掲載されたアナウンサー合格者の記事です。 記事の内容は、
아나운서-合格者 十대一이란 격렬한 경쟁속에서 광영의합격을한 경성중앙방송국 제二방송부 새 「아나운서-」는 다음 여섯명이다 ▲男子 豊原信勝 大村幸正 孫本正鳳 李元九 ▲女子 山本鮮玉 許占玉
ハングル部分を訳しますと、次の通り。
アナウンサー合格者 10対1という激烈な競争の中で、光栄の合格をした京城中央放送局 第二放送部の新しい「アナウンサー」は次の6名である。
ハングル新聞に載った記事ですので、読者は当時の朝鮮人にほぼ限られます。 ですから合格したアナウンサー6名は朝鮮人と考えられます。 この6名のうち「李元九」「許占玉」の二人が朝鮮名で、法定創氏したと思われます。 また残り4名の「豊原信勝」「大村幸正」「孫本正鳳」「山本鮮玉」は設定創氏した朝鮮人でしょう。
この資料を紹介した韓国の「창씨개명 나무위키」では、次のように解説しています。 https://namu.wiki/w/%EC%B0%BD%EC%94%A8%EA%B0%9C%EB%AA%85
1941년 경성중앙방송국에 아나운서로 채용된 합격자 6명중 2명 이원구, 허점옥이 창씨개명을 하지 않은 조선식 이름을 가진 채 아나운서에 합격했다. 경성중앙방송국은 현대의 KBS에 해당하는 방송국이다. 아나운서의 직업 특성상 자신의 이름을 스스로 시청자에게 알리게 되는 경우가 빈번하였을텐데, 이러한 직책을 창씨개명을 하지 않은 조선인을 임명하였다는 것은 창씨개명을 하지 않은 사람이 직장을 얻을 수 없다는 주장의 논리에 어느 한 부분도 맞지 않는다. 그렇다면 조선식 이름을 유지한 자를 고용한 이 경성중앙방송국은 폐쇄되었는가? 그렇지 않다. 경성중앙방송국은 해방 이후까지 건재하다가 이후 한국방송공사로 명맥을 이어간다. 심지어 한국방송공사는 아예 대놓고 창립일을 경성중앙방송국의 창립년도인 1927년을 그대로 계승하고 있다. 즉 KBS의 존재자체가 해당 주장이 사실무근이라는 하나의 증거인 것이다.
直訳しますと
1941年の京城中央放送局にアナウンサーとして採用された合格者6人中2人の李元九、許占玉が創氏改名をしていない朝鮮式の名前を持ったままアナウンサーに合格した。 京城中央放送局は現代のKBSに該当する放送局だ。 アナウンサーの特性上、自分の名前を自ら視聴者に知らせる場合が多かったはずなのだが、このような職責に創氏改名しない朝鮮人を任命したというのは、創氏改名をしない者は職を得ることができなかったという主張に一つも整合しない。 それでは朝鮮式名前を維持した者を雇用した京城中央放送局は閉鎖されたのか? そんなことはなかった。 京城中央放送局は解放以降も健在で、その後韓国放送公社として命脈を保ったのである。 さらに韓国放送公社は最初から堂々と自分の創立年を、京城中央放送局の創立年度である1927年にしているのである。 すなわちKBSの存在自体が、あの主張(創氏改名をしない朝鮮人は弾圧された)が事実無根であるという証拠となる。
なおアナウンサーに朝鮮人がなぜ採用されたのかについてですが、当時の朝鮮でのラジオ放送には朝鮮語放送があったからです。 朝鮮におけるラジオ放送は昭和2年(1927)より始まっており、当初は日本語を主とする放送でした。 またラジオ機器は高価で聴取料も高かったせいもありますが、朝鮮人にはなかなか普及しませんでした。 そこで朝鮮人にも普及すべく昭和8年(1933)より朝鮮語で行なう第二放送が始まり、聴取料も値下げされました。 これでようやく普及したそうです。 普及したといっても個人でラジオを持っている家は裕福な家に限られ、主に官公庁や市場など人が集まる場所に置かれたようです。
朝鮮語の第二放送が開始された1933年は朝鮮語学会が「朝鮮語綴字法統一案」を定めた年でもあることから推察して、音声と文字(ハングル)の両方の標準語化が同時に図られたものと考えられます。 ラジオ放送で使われる朝鮮語は音声の標準語として朝鮮全体に定着したといいます。 そして第二放送は一部に日本語番組を挟み込みながら、基本的に朝鮮語で終戦まで続いたのでした。 ラジオから朝鮮語放送がずっと流れていたのですから、〝朝鮮語は禁止された”という歴史は虚偽ですね。
もう一方の日本語の第一放送でも、一部の時間ですが朝鮮語の番組がありました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/11/06/8721782 これは昭和18年(1943)2月10日付けのラジオ番組表ですが、そこには朝鮮語番組の担当アナウンサーとして「洪善杓」「呉島進」「青山鶴夫」の三名の名前が出ています。 このうち「洪善杓」は明らかに朝鮮名です。
植民地朝鮮で施行された創氏改名は、日本名に変えないで先祖伝来の朝鮮名をそのまま使い続けることもできるものでした。 そしてその朝鮮名を堂々と公表しても、就職に不利になることはなかったのです。 創氏改名は「日本が朝鮮植民地支配の際に皇民化政策の一環として、朝鮮人から固有の姓を奪い日本式の名前に強制的に変えさせた。これを拒否した者は非国民とされ、様々な嫌がらせを受け、結局は日本名に変えた‥そんな嫌がらせに抗して朝鮮名を守った人は民族的英雄だ」とするようなウソの歴史記述は改めなければならないでしょう。
ところで冒頭の記事↑でアナウンサーに合格したという李元九は、나무위키によれば祖父が「乙巳五賊」の一人である李根沢だそうです。 「乙巳五賊」とは1905年の第二次日韓協約に賛成した閣僚のことで、今の韓国では「親日反民族行為者」に認定され、〝親日派=売国奴=民族の裏切り者”として歴史上悪名高いです。 その子孫が創氏改名でも日本名にすることなく朝鮮名を維持したのですが、そのことは今の韓国では何ら評価されるものではなかったのでした。
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/28/8423913
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/03/30/8425667
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/01/8436928
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/03/8441238
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/05/8444253
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/07/8447420
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (7) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/09/8451992
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/11/8457633
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (9) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/04/14/8478676
朝鮮人戦死者の表彰記事―1944年 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/29/8716160
創氏改名の誤解―日本名は強制されていない (11) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/11/9346012
4・3事件―島民はなぜ黙ってきたのかを想像する ― 2026/05/27
https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/03/9845845 の続きです。
4・3事件がどういうものだったのか、金時鐘さんは『朝鮮と日本を生きる』(岩波新書 2015年2月)に詳しく書いておられます。 ただし彼は南労党の党員でしたから、内容は武装蜂起を肯定する立場です。 また彼は講演でもこの立場で語っておられます。 彼だけではありませんが、マスコミや集会などで語られている事件は、〝島民らが祖国の分断に反対するためにやむにやまれず立ち上がった”というようなイメージがほとんどです。 それは〝善”は蜂起した「島民=南労党」であり、〝悪”はこれを過酷に弾圧した「軍・警・右翼」と単純に二分化するものです。 しかしそれでは事件の真相が見えてこないと考えます。 分かりやすく説明するために、ちょっと単純化してお話します。
朝鮮民族はよく知られている通り、祖父母・父母・伯父・伯母等々の一族親戚が十人以上の単位、もう少し遠い親戚を含めると「八寸=八親等」ですから百人以上となるだろう、そんな血縁共同体を形成しているのが一般的でした。 4・3事件の時、この大家族=一族親戚のなかで何人かが南労党に入り、何人かが警官になったり選挙管理人なったりして権力側についたのでした。
権力側(軍・警)は反権力側(南労党)を討伐するために、家々に入り込んで「南労党はいるか?!」と捜索し、見つければ即座に殺すか、引っ張り出して公開処刑していきます。 対して南労党遊撃隊は警官や右翼の家、地元有力者を襲撃し、時には家族までも殺していきます。 このような権力側と反権力側との殺し合いが、全島で行なわれたのでした。
金時鐘さんの一族親戚も、このような殺し合いに巻き込まれます。 彼は『朝鮮と日本を生きる』で、親戚の南労党員が軍・警によって殺害された事件について、次のように記しています。
狂乱の虐殺はついに、私の身近な従姉の夫にまで及んできました。 惨殺された屍体をまじまじと見たのは、この時が初めてです。 ‥‥日本から引き揚げてきてまだ3年も経たない、高南杓という実直な40がらみの男でした。 (220頁)
次に金さんが警察から逃げ回って叔父の家で匿われていた時、その叔父が南労党によって殺害されました。
かくまってくれた叔父貴(母方の)があろうことか、武装隊(遊撃隊)の手によって殺されてしまうのです。‥‥ 区長の家ですので‥警察の上役あたりがしょっちゅう出入りします。 そのつどちょっとした酒食をもてなしてもいたようです。 それが武装隊には討伐隊(軍・警)に肩入れしているように見えたのでしょう。‥‥ 明け方に襲ってきた武装隊に腹部を二ヶ所も竹槍で刺された叔父貴は、腸をはみださせたまま裏の石垣をよじのぼって裏の小道に落ちました。 それでもすぐには死ななくて、七転八倒の苦しみが3日も続きました。 (228~229頁)
南労党は、敵と見た金時鐘さんの叔父を無惨に殺害したのでした。
金さんの一族親戚のうち二人が犠牲になりました。 ここで、ふと疑問が思い浮かびます。 親戚のうち大部分は権力(警察などの行政関係)も反権力(南労党)も関係ない人たちでしょう。 特に女性は大半が学校にも行ったことがありませんから、「選挙」やら「民主」などのイデオロギー的知識もほとんど分からなかったはずです。 ところが自分の身内の中に互いに対立を演じる権力側(警察など行政関係者)と反権力側(南労党員)とがいて、実際に殺害されたのでした。 彼らはその身内の惨殺をただ見るしか出来なかったのですが、その時の気持ちはどうだったのでしょうか? 金さんの著作にはそこまで触れていないようです。 それが私に疑問を抱かせるところです。
この疑問を抱いた時、世に広まっている「4・3事件」の説明には、南労党や警察等とは直接関係ない一般島民から見た事件というものが語られていないことに気付きました。 それは殺し合いをするほどに対立している南労党と警察等の両方が自分の身内にいるという中で、ただひたすら右往左往するしかなかった一般島民のことです。
想像してみてください。 葬式や法事、結婚式などで親戚一同集まるなかで名前も顔も知っている○○ちゃんは南労党、□□ちゃんは警官となって殺し合う関係になっている場面を‥‥。 そこにいる人たちは、いざ殺害が始まれば仲裁することもできず、どちらかの味方にもなることもできず、ただ黙って見ているだけの場面を‥‥。
こんな想像をしてようやく済州島民たちの多くが事件を話さず黙っている理由が分かってきました。 顔も名前も知っていて、しかも何か事があれば互いに助け合ってきた一族郎党のなかに敵対し合う南労党員と警官がいる、そして実際に殺されるところを見る‥‥、これが4・3事件の現実であったが故に島民たちは黙るしかなかったと想像されるのです。
想像が過ぎたのも知れません。 ただ4・3事件は余りにも悲惨で、済州島出身の在日僑胞ハラボジ・ハルモニが何も喋らないし喋ろうともしてこなかったことに、そんな想像をしてしまうのでした。
【南労党の4・3赤色テロ】
済州島4・3事件の赤色テロ(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/10/8890890
済州島4・3事件の赤色テロ(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/18/8896622
済州島4・3事件の赤色テロ(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/23/8900976
済州島4・3事件の赤色テロ(4)-警官家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/06/30/8906338
済州島4・3事件の赤色テロ(5)―右翼家族へのテロ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/05/8909472
済州島4・3事件の赤色テロ(6)―評価は公平に http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/07/10/8912907
【4・3事件を語る金時鐘氏への疑問】
金時鐘氏への疑問(5)―政党加入・4・3事件 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/18/9769221
金時鐘氏への疑問(6)―4・3事件(その2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770375
金時鐘氏への疑問(7)―4・3事件(その3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/04/28/9771478
金時鐘氏への疑問(8)―西北青年団 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/02/9772477
金時鐘氏への疑問(9)―韓国否定と北朝鮮容認 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/05/09/9774295
【南労党を隠蔽するマスコミ】
4・3事件-南労党を隠ぺいする読売解説 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/19/9000560
4・3事件 南労党を隠ぺいする毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/02/29/9218957
南労党を隠ぺいする韓国マスコミ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/04/9055271
4・3事件―ハンギョレ新聞も南労党を隠ぺい https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/03/9537878
韓国映画『チスル』 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/06/01/7332806
長生炭鉱水没事故死者のDNA鑑定は日韓合同で ― 2026/05/21
一昨日~昨日に韓国の安東で開かれた日韓首脳会談で、話題になっている長生炭鉱水没事故(1942年発生)死者のDNA鑑定について、日韓が共同してやることに決まったそうです。 https://japan.hani.co.kr/arti/politics/56213.html この問題については、拙ブログでも以前に取り上げました。
長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/16/9842328
長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/21/9843303
長生炭鉱刻む会代表のインタビュー―『週刊朝鮮』(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/27/9844436
長生炭鉱、韓国側支援者インタビュー『週刊朝鮮』 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/04/10/9847433
今回決まったのは、このDNA鑑定に韓国政府も参加し、日韓共同作業とすることまでですね。 これは当然でしょう。 日本だけでやれば、韓国民の国民感情からして〝また何か隠しているのではないか”などのあらぬ疑いをかけてくるでしょうから。
問題はその後です。 発掘された全ての遺骨(五点と言われている)の身元がすべて判明して遺族に引き渡されればひとまず解決ですが、果たしてどうなるでしょうか。 80年以上も前の事故で、ずっと海中に残された遺骨です。 また犠牲者183人のうち、遺族のDNAは80人分だけが確保されているそうです。 全ての遺骨にその遺族が判明することは簡単ではないと言えそうです。
またもし鑑定しても身元不明となった遺骨をどう処理するのか、早めに検討しておかないと大きな問題に発展する可能性があると思われます。 拙ブログでは、次のように論じました。 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/27/9844436
それから気になるのは、これまで発掘してきた遺骨、そして将来も発掘発見されるであろう遺骨を最終的にどうするのかという点です。 どこかの専門機関にDNA鑑定を依頼して身元を調査し、それが判明した遺骨は遺族に引き取ってもらって終わりますが、それは少数であろうと考えられます。 遺骨は事故で亡くなった183人のうちの誰かであることはほぼ確実と思われますが、80年以上も経っていて遺族のほとんどは孫や曾孫世代でしょうから判明率が落ちます。 またこれまで集めた遺族のDNAは80人分といいますから、半分以上がまだ収集できていないことになります。 ですから発掘された遺骨の多くは、遺族の確定が困難と思われます。 また朝鮮人か日本人かの区別もできませんから、韓国側に引き取ってもらう訳にもいかないでしょう。
今のところ遺骨は警察が預かっているようですが、事件性がない限り警察にいつまでも保管する義務はありません。 最終的な保管責任は遺骨発掘作業の主体者であり遺骨発見者でもある「刻む会」にあると考えられます。 ですからDNA鑑定しても身元不明となった遺骨、あるいは遺族が引き取りを拒否したような遺骨は「刻む会」に戻されることになるでしょう。 そして「刻む会」は日本政府の関与を要求しています。 しかし身元不明などの遺骨について政府がどのように関与できるのか、ちょっと疑問に感じます。
「刻む会」は、〝日本は不当な朝鮮植民地支配の加害者であり韓国は被害者である、長生炭鉱事故はそのなかで起きたものだ” 〝韓国と日本の市民の力で歴史を反省しない日本政府を追及しよう”という考えを一貫して有しており、そんな団体がその後どのような動きをするのだろうかという疑問ですね。 ここは想像になりますが、日韓間の歴史紛争のさらなるネタを作るのではないか、ということです。 また身元が判明したら今度は遺族が日本政府を相手に損害賠償請求の裁判を起こすのではないか、ということも考えられます。 そうならないことを祈るのみです。
特別永住の在日台湾人 ― 2026/05/16
岩波新書の『在日朝鮮人 歴史と現在』を読んでいたら、次の一節に出会いました。
中国人といえば、在日朝鮮人と同様に戦前から日本に定着して横浜や神戸、長崎に中華街をつくってきたオールドカマーも少なくないが、そのほとんどは日本国籍を取得し、2010年の特別永住者の数は、2600人ほどにすぎない。 (水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』岩波新書 2015年1月 211頁)
ここにある「2010年の特別永住者の数は2600人ほどにすぎない」というのは、この本では「中国人」と書かれていますが、実は〝植民地支配下の台湾で生まれた台湾人とその子孫”という意味です。
「特別永住」というのは、「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」(平成3年5月10日 法律第71号)という法律に基づく在留資格を有する人たちです。 詳しく言うと、「戦前から昭和二十年九月二日以前時点で日本列島(内地)に居住していたかつて日本国籍だった人々で、サンフランシスコ講和条約により日本国籍を失った人、それと彼らの直系卑属かつ日本出生で居住継続者」となります。 難しい文章ですね。 これを読んで直ぐに分かる人は少ないでしょう。
分かりやすく言うと、日本は朝鮮と台湾を植民地支配していたので、当時の朝鮮人や台湾人は日本国籍を有していていました。 しかし1945年の敗戦によってその日本国籍を失うことになり、1952年のサンフランシスコ講和条約によって正式に日本国籍を喪失したのです。 日本で暮らしている朝鮮人や台湾人はかつて日本の被植民地人として日本国籍を有していたという事情のために一般の外国人とは違う在留資格(いわゆる「126-2-6」「4-16-2」等)を有することとなり、1991年(平成3年)にまとめて「特別永住」という資格となったのでした。
「特別永住」といえば多くの人はすぐに朝鮮人を思い浮かべるようですが、実は台湾人も該当しています。 何十年か昔、在日朝鮮人65万人に対して、在日台湾人は2万人なんて言われていたのを記憶しています。 上述の岩波新書によれば、後者の台湾人は2010年に2600人にまで減っており、その要因は「日本国籍の取得」つまり帰化だそうです。
特別永住の台湾人の数について、法務省の外国人統計を調べてみました。 なお台湾人は、国籍欄に近年までは「中国」と記されていました。
・1969年 中国人 126-2-6 13,353人 4-1―6-2 3,718人 計 17,071人
・1974年 中国人 126-2-6 8,192人 4-1-16-2 3,702人 計 11,894人
・2010年 中国人 特別永住 計 2,668人
・2025年 台湾・中国人 特別永住 計 1,610人
在日台湾人は、1991年の特別永住制度発足以前は外国人登録の在留資格欄に「126-2-6」「4-1-16-2」等と記されていました。 その人数を合計すると、後の特別永住に相当する在留資格者の数になります。(なお「4-1ー16-3」はわずかの数字なのでここでは除外した) 1974年の数字は5年前の1969年の数字に比べて大きく減少していますが、これは1972年の日中共同声明により日本が台湾(中華民国)の承認を取り消したことを契機に、多くの台湾人が日本に帰化したためです。
また台湾特別永住者は国籍欄に「中国」「台湾」などが記されますが、「米国」や「イギリス」に帰化するなどで第三国の国籍を有する台湾人も存在します。 それでも特別永住という在留資格は変わりません。 ただし統計では「米国」「イギリス」などの国籍を有する特別永住者の数は分かりますが、これは韓国・朝鮮もを合わせた人数ですから、台湾ルーツだけの数は分かりません。
米国籍などの特別永住者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285
ところで上述の岩波新書では特別永住の台湾人は2010年で2600人ほどとしていますが、実際は2668人でした。 それから15年経った2025年に1610人と更に大きく減らしています。
在日台湾人はもはや問題ではなくなっており、その要因は彼らの帰化あるいは少子高齢化などによる人口減少ということです。 これを考えるならば、同様である在日韓国・朝鮮人問題の将来を見通すことができるでしょう。 それは特別永住の在日韓国・朝鮮人の数の減少が在日問題の解決につながるということです。 これは問題の当事者がいなくなれば問題そのものが消滅するという、考えてみれば当たり前の話です。
在日韓国・朝鮮人は、①帰化、②日本人との婚姻、③少子高齢化という三つの要因によって特別永住者数が減少してきました。 それに伴い社会からの関心が薄れて、在日問題は解決することでしょう。 つまり在日活動家たちによる「民族受難とそれに対する闘い」という努力によってではなく、在日自身の①~③の動向によって自然と解決に向かうということです。
今は代わりにと言ったらなんですが、近年に来日した外国人が大きな問題となっており、これがこれから増幅していくことでしょう。 現在のヨーロッパのように、移民問題が社会を大いに揺るがすことになるかも知れません。
【拙稿参照】
在日韓国・朝鮮人自然消滅論(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/26/9734747
在日韓国・朝鮮人自然消滅論(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/01/9736094
【特別永住に関する拙稿】
特別永住の経過 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381
特別永住制度の変更は非現実的 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857
在日の法的問題は解決済み http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500
米国籍などの特別永住者 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285
『現代韓国を学ぶ』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/08/6472916
在日の特別永住制度 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389
トルコ国籍の特別永住者?!―毎日新聞 ― http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/10/27/7870629
特別永住者数の推移 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/16/9129169
金時鐘氏の経歴を追う―戸籍、名前そして在留資格 ― 2026/05/09
金時鐘さんの経歴のうち戸籍や名前、在留資格などについて、あちこちに短文で触れられているのみで、まとまって論じられた文章はないようです。 研究者もこの点に言及していない場合が多いですね。 それでも金さん自身が一応公表していますから、彼自身に隠す意図はありません。 ただ断片的であちこちに分散していますから、非常に分かりにくいのです。 そこで今回はこの断片的短文を集めて整理し、あまり知られていない彼の経歴を少しでも明らかにしたいと思います。
本当の本名は「金時鐘」だが、法律上の本名は「林大造」
あいさつ 略啓 小生この度、外国人登録書名の「林」でもって韓国の済州島に本籍を取得しました。‥‥ あくまで小生は在日朝鮮人としての韓国籍の者であり、〝朝鮮”という総称の中の、同族のひとりとしての「林」であります。 ‥‥ 03年十二月十日 (金時鐘『朝鮮と日本を生きる』岩波新書 2015年2月 288頁)
せめて一年に一回は(親の)お墓の草刈りをしようと思う気になってね。 朝鮮籍だと墓参も五回が限度というから、2004年に韓国籍を取った。 韓国籍も本名では作れなかった。 領事館に尽力いただいて、一代きりの本籍を取得した。 済州島には恨みもあるけれど、懐かしさもある、だから済州島に本籍をおいた。そのときの心情は声明文にして、まわりの方に送ったよ。 (金時鐘「朝鮮現代史を生きる詩人」 集英社新書『在日一世の記憶』 2008年10月 570~571頁)
金石範: 彼(金時鐘)は、両親を置いて済州島から逃げてきて、親も亡くなっているし、(外国人)登録証の「林大造(イム・テジョ)」も本名じゃない。 金時鐘は本当の名前だけれども、それを客観的に証明するものは何もない。 私は、そういう事情を知っているからね。‥‥ (金石範・金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』平凡社ライブラリー828 2015年4月 195頁)
韓国政府の特別扱いで「林大造」名の戸籍を作る
金石範: 時鐘は、北で生まれているから出生記録もないだろう。 この人間(金時鐘)の存在を証明する書類は何もない、時鐘は幽霊みたいな存在じゃないか。それが今回やっと済州島に本籍ができて、幽霊が人間になったようなものだけど、どうやって、韓国に戸籍を作ったんや。
金時鐘: ‥‥当時の在大阪副総領事、情報部の責任者である外交官ですが、親の墓参りを続けたいという僕の思いを殊のほか親身に受け入れてくれて、国籍取得の方法まで講じてくれました。 外国人登録証名での新たな戸籍の取得を大法院に申請して、裁可を受けてくれたのです。 「金時鐘」では、手続きが複雑すぎて駄目だとのことでした。 それでも特別な計らいであったようには思っています。 戸籍は他人が使用している住所でなければ、韓国のどこでもいいと言ってくれていましたが、済州島以外に故郷を作る気などないしな。‥‥
文京洙: 領事館も、金時鐘先生だから特別にしたんでしょう。 ‥‥
金時鐘: 特別配慮で戸籍とったけど、韓国へは年一回くらい墓参りのときしか行っていない。‥‥
文京洙: 韓国に戸籍を作って韓国籍を取られて、韓国との関係はそれで決着がついたわけですけど、日本の入管法との関係はまだ解決していないですね。 (以上、金石範・金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』平凡社ライブラリー828 2015年4月 200~201頁)
「金時鐘」はペンネーム、本名は「林大造」と言い張る
金時鐘: 韓国籍を取ったとき、挨拶状を2003年の12月10日付で出しました。 その挨拶状をどこで見たのか、大阪府警外事課の警官がすぐさま問い合わせに来ました。 私の家までです。 登録証の名前と「金時鐘」との違いをあれこれ聴いて言いましたが、「金時鐘」はペンネームだと言い張りました。 (金石範・金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』平凡社ライブラリー828 2015年4月 202頁)
金時鐘: ‥‥もう一つややこしいのは、「金時鐘」は日本ではペンネームに過ぎないんだ。 法的には「林大造」という外国人登録名がある。 私の「在日」の由来とも絡んでいる名前でもある。 (座談会「『在日』の時代」 『抗路』第6号 2019年9月 15頁)
「林大造」は戦前からの米穀通帳にあった名前
かく言う私にも二つの名前が併存している。 日本国政府の政令によって保障されている名前と、「筆名」という本名である。 理由は簡単だ。 出入国管理令が制定された当時の、いわば戦前から持ち越された「米穀通帳」の名がそのまま登記されたことによって、私の本名は副次的な筆名になり変わったのである。 もちろんその日本人まがいの名の継承は‥‥ (金時鐘「日本語のおびえ」 『「在日」のはざまで』 立風書房 1986月5月 65頁)
共産党の支援で外国人登録証を入手― 名義は「林大造」か
金時鐘は、1948 年4 月以後,済州島4・3 事件に関わったため、父が手配してくれた「密航船」で、1949 年6 月に神戸沖(須磨付近)で上陸する。 すぐに日本共産党に入党して活動をはじめ、組織の支援で外国人登録証を手に入れる。 (尹健次「在日朝鮮人の文学―植民地時代と解放後,民族をめぐる葛藤」(http://human.kanagawa-u.ac.jp/kenkyu/publ/pdf/syoho/no52/5208.pdf 140頁)
不法入国― 何十年経っても逮捕される可能性
金時鐘: ‥‥本当にたくさんの正常でない入国の事実を話すことになってくる。
尹健次: いやーぁ、改めてびっくりしますね。 日本にいらして49年でしょう。 50年として、半世紀越えるわけでしょう。 それでもなおかつ日本に来たいきさつを心配しているという事実に、驚愕します。 50年も住んで、まだ捕まるかもしれないということの恐怖心というのは何なのかと。
金時鐘: 現に捕まった人がいますよ。 あれも40数年経っているのに捕まっているんだ。 ただ金時鐘は反天皇とか反政府のことはあまり言わないから、もうちょっと置いてやろうかぐらいのことだと思う。
尹健次: ‥‥ 捕まって‥金時鐘救援運動をやった方が、日本は国家がよくなると思いますよ。 日本社会改善のために、一回捕まってください。 (以上、「<対談>『在日』を生きる」―藤原書店『歴史のなかの「在日」』2005年3月 449~450頁)
金時鐘: ‥‥なぜ私は4・3関係を隠して口にしなかったか ‥‥ やむ得ない事情でこちらに来たにせよ、4・3事件で追われて来たことを明かすということは、不法入国者ということを自ら名乗り出るということでもあるのですから。 (金石範・金時鐘『なぜ書きつづけてきたか なぜ沈黙してきたか』(平凡社ライブラリー828 2015年4月 201頁)
不正の在留資格― 強制送還は覚悟している
もう一つは、ぼく自身の在留資格の問題。 韓国に強制送還されると、生きていけないから。 (金時鐘「朝鮮現代史を生きる詩人」 集英社新書『在日一世の記憶』 2008年10月 所収 566頁)
出入国管理法は時効がない法律だそうで、私はいつなんとき強制退去させられるかも知れません。‥‥ 強制送還ともなれば、私の人生は予測して余るものでしたので、ひたすら口を噤んでまいりました。 齢ももう取るだけとりましたし、もう覚悟のほどはできております。 (『金時鐘コレクション11』藤原書店 2023年8月 256・257頁)
2つ目は卑屈であり、いかにも姑息なことでありますが、日本で住むことに執着したあまり、名乗り出ることがはばかられました。 名乗りでるということは、わたしが日本に正当な手続きへずに、いわば不法入国したこと打ち明けることにもなります。 出入国管理令は時効というのがありません。50年たとうと、80年たとうと、日本国の国益に損なうものと認定されれば、いつでも強制送還されます。 (金時鐘「敬虔に振り返るな: 4·3抗争70周年を迎えて」 『創作と批評179号』2018年春) https://magazine.changbi.com/MCMUI/item/641?lang=jp
不法を是とする―「在日は不法を生きざるを得ない」
金時鐘: ‥‥ 僕たちは労働権が保障されているわけではありません。 ‥‥総体的な労働市場において、在日は埒外の存在なんです。 人間が存続する上で労働権が奪われているというのは、生きる価値がないということです。 生きるよすががないということ。 だから本質的に不法、法律にもとることすれすれで生きざるを得なかったの、僕たちは。 そういう不法を生きざるを得ない在日の生活実態が顕在化したのが金嬉老事件でもある。 (金時鐘・尹健次「<対談>在日を生きる」 『歴史のなかの「在日」』藤原書店 2005年3月 418頁)
個人の心情としては日本の法に対しては不審がいっぱいあります。 ‥‥日本の法が朝鮮人に平等かつ公平であるなどという期待が私にはありません。 正直に言って、私は日本の法律からいきますと前科三犯ないし四犯ほど持っております。 ‥‥ 実感としては、朝鮮人が公平にそういう法の恩恵を受けられるという気持はありません。 (『金時鐘コレクション7』2018年12月 311・312頁)
【拙稿参照】
金時鐘氏への疑問(1)―在留資格 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/26/9763626
金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818
金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/07/9623500
金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/12/9624809
金時鐘氏は不法滞在者(3)―なぜ自首しなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/17/9626078
金時鐘『朝鮮と日本に生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/07/28/7718112
金時鐘さんの法的身分(続) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/13/7732281
金時鐘さんの法的身分(続々) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/26/7750143
金時鐘さんの法的身分(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951
本名は「金時鐘」か「林大造」か http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031
金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448
金時鐘さんは結局語らず http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/13/9140433
金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120
金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038
ユーチューブ「韓国左翼」を見る ― 2026/05/02
最近、興味深いユーチューブ動画を見ました。 「元極左の視点から見る韓国左翼 なぜ『韓国』は左翼の王国なのか?」と題する動画です。 https://www.youtube.com/watch?v=u7SQ8WKaWto&t=2877s
近年の韓国では左派と右派の対立が激しいので、私はそれなりの関心があります。 ですから韓国左派についてもある程度の知識はありますが、さほど詳しいものではありません。 そんな私の断片的な知識でもってしても動画の内容には整合性があったので、概ね正しいのだろうと思いました。 あるいはまた「ああ、そういうことだったのか!」と新たな知識を得た部分も多かったです。
1980年代に韓国左派の若者は日本の新左翼の影響を受けていたというところは、そういうことがあったなあと思い出されました。 というのは、1970年代まで盛んだった日本の新左翼=過激派の活動が衰えてきて、その左翼運動を離脱した元活動家たちは大事にしてきた左翼関連書籍を古本屋に売り飛ばすようになったのです。 〝こんな本、誰が買うのか?”と思っていたら、何と韓国人が買っているというのでした。 その時は〝えー! 本当かな?”と疑問でした。
ところがだいぶ後になって、韓国の作家である孔枝泳が自分の体験した左派活動を元に書いた短編小説「何をなすべきか(原題は「무엇을 할 것인가」)」を読んだ時に、彼らが合宿しながらマルクス・レーニンや日本左翼の本を熱心に読み合わせる場面が出てきて、それは本当だと分かりました。 なおこの小説は韓国語の勉強のためにたまたま見つけたもので、一般にはほとんど全く知られていません。
韓国左派は日本の新左翼と直接交流していなかったと思います。 当時の韓国では国家中央情報局(KCIA)による監視が厳しく、日本人との人的交流は余りにも目立つからです。 ですから1980年代の韓国左派は日本新左翼の本を読み、そしてヘルメット・鉄パイプ姿で時には火炎瓶を投げて果敢に闘争する映像を見てその影響を受けていた‥‥、つまり間接的影響だった、あるいは真似していたと考えているのですが、どうでしょうか。
日本新左翼は1980年代以降に衰退し、今や彼らがニュースに出てくると〝へー!まだやっているのか!まるで化石!”と驚嘆しますね。 ところが韓国左派は20世紀末の金大中政権以降、衰退するどころか元気になってきています。 彼らは左翼思想から転向しないまま、韓国の進歩政権の要職に就いているのです。 若い頃の左派活動履歴が立身出世のタネになっているというわけです。 また労働組合に入り込んでストライキ扇動をすることも多いですね。 韓国左派は活躍の場を広げていき、逆に日本新左翼はオールド左翼とともに衰弱していっていると言えます。 別に言えば、韓国では左派が優位に立って右派は後退しているが、日本では逆に左派が凋落して右派は優勢となっているということです。
「韓国左翼」というユーチューブを見て、思わず昔を思い出し、久しぶりに興奮を覚えた次第。 ところでこのユーチューブを作成している「元カゲキ派のモトカ」という人、資料をどう集めてきたのでしょうかねえ。 ハングル資料ばっかりでしょうから翻訳してくれる仲間がいるのかも知れないし、日本新左翼と韓国左派を監視する公安関係者からの協力があったのかも知れません。 経緯はどうであれ、韓国左派は今後も大きな影響を与えるでしょうから、このユーチューブでは韓国社会を分析する際の新たな知識を得たと思いました。
【韓国左派に関する拙稿】
韓国の進歩派の解説―木村幹 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/06/08/9781008
韓国民主化世代の性犯罪 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/30/9273345
Me Too:韓国を揺るがす著名文化人のセクハラ暴露 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/28/8795521
韓国Me too運動の記事 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/05/9231706
光州事件は民主化運動として普遍化できるのか? https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/25/8859204
光州事件の方がましだった―朝日ジャーナル(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/20/8772995
光州事件のほうがましだった―朝日ジャーナル http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/01/15/8769881
「5・18光州事件」小考 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/10/25/8712337
1970~80年代の韓国民主化連帯闘争 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/01/16/5639024
全国行脚する活動家たち―韓国 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/10/15/6157065
韓国の進歩系も使う「白丁」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/01/17/9202929
「通常‐両班社会」と「例外‐軍亊政権」―田中明 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/07/9497623
「例外」が終わり「通常」に戻る―田中明(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/14/9499717
「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/17/9491298
李朝の「両班」理念が復活した韓国(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/24/9493453
李朝の「両班」理念が復活した韓国(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/05/31/9495653
日韓市民運動の悲観的記事-ハンギョレ新聞 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/04/9721593
指紋押捺拒否運動 ―違法行為は許されるか ― 2026/04/25
最近は在日外国人=移住者の問題が大きな話題になっています。 その一つが不法滞在者など法に違反する外国人をどう処置するか、すなわち強制送還するのかどうかということです。 これについて、法に反している外国人の早急な強制送還を主張する意見がある一方、これに対して移住者を支援する市民団体などはたとえ違法があったとしても強制送還は人権の点から反対だと主張しています。
この議論を見ていて、40年前の1980年代に社会を大きく揺るがせた指紋押捺拒否運動を思い出します。 マスコミ等がこの指紋拒否運動を応援したこともあって日本社会にも広がりを見せ、大きな問題となりました。 この拒否運動については25年前に拙HPで論じたことがありますので、お読みいただければ幸甚。 下記【拙稿参照】
この指紋押捺拒否運動について、一部の人は〝指紋押捺は法で定められていることであり、法に違反する運動をしてはならない”と反対しました。 これに対して運動側は〝指紋押捺を定める法そのものが人権上問題なのだから、法に反する行動も構わない”という反論だったと記憶しています。 対立点は、一方は〝どんな理由であれ違法は許してはならない”であり、他方は〝人権問題だから許される”ということになります。
ところでこの指紋押捺拒否運動というのはどういうものであったか、今はもう知らない方が多いと思われます。 この運動の直後に出版された『在日朝鮮人』(明石書店)に概要が次のように説明されていましたので、紹介します。 ただしこの本は拒否運動側(違法は許される)の立場ですので、その点を考慮してお読みください。
近年来、この指紋押捺を含めた、外国人登録証の常時携帯、官憲への呈示義務等を規定した外国人登録法そのものの抜本的改正を日本政府に要望、要請し、かつ抗議してきた在日朝鮮人団体の運動が続き、また日本政府による国際人権規約の批准もあって、在日朝鮮人の2・3世を中心に、指紋押捺を法的に強制するのは内外人平等をうたった国際人権規約の趣旨に反するものであり、同時に在日朝鮮人形成についての歴史的省察を欠くものである、との声が高まり、1985年9月末現在、7409名が外国人登録証の切替時に、指紋押捺を拒否した(1985年10月1日 朝日新聞)。 指紋押捺を拒否すれば、「1年以下の懲役若しくは禁錮又は20万円以下の罰金」に処せられることも覚悟の上である。
こういった動きに対して様々な日本人の反応があったが、その中でも大阪府警富田五郎外事課長の朝日放送系列のテレビニュースでの発言は重大な問題があると言える。 いわく、「日本の法治体制に対して外国人になめられている、 ‥‥やはり日本に居住したいと思えば、法律が現存する以上、守ってもらわねばならない。 そういう法体制がいやであれば、自分のお国にお帰りになればいいわけですね。 また、日本で生まれて、日本人と同じように育っているという方は、日本に帰化すればいいんです。 そういう方法もあるわけですからね。 ‥‥」(1985年5月11日 朝日新聞)
「外国人になめられている」といった発言は論外としても、「自分の国に帰ればよい」というのは、全く近代の朝・日関係の歴史に無知であるか、さもなければ、知っていても知らないふりをしているか、あるいはその歴史を誇りに思っているのであろう。
「帰化すればいいんです」という言葉は、富田氏の言もさることながら、「善意ある」日本人からもよく聞かされる。 それが善意であればあるほど胸が痛む。 「善意」を盾に、自分の無知を覆いかくし、そして人間の尊厳性を踏みにじって何もきづかず、人間を殺す、その心をずたずたにする。 (以上、山田照美・朴鐘鳴編『新版 在日朝鮮人 歴史と現状』明石書店 1991年4月 224~225頁)
1980年代の指紋押捺拒否運動の焦点の一つは、法を守るのか否か、というところでした。 指紋拒否運動では〝人権に関わることだから法に反することも許される”という主張があり、それを支持する人が多かったのです。 また警察が「日本に居住したいと思えば、法律が現存する以上守ってもらわねばならない」と言ったことに対し、この本では「歴史に無知な者の発言」との批判を浴びせています。 〝在日の歴史を知れば法に反しても構わない”となりますが、当時はこの運動側の主張に賛成する意見が多かったものです。
指紋押捺拒否は当時の法律に反するものでしたが、生活する上でやむを得ず法を犯したのではなく、差別を告発するために起こしたイデオロギー的闘争と言うことができます。 ですから反体制・反権力の考え方を有する人たちの共鳴を得て、マスコミも大いに味方したのでした。 結果は在日(永住資格者)の指紋押捺義務は撤廃されて、拒否運動側の勝利に終わりました。
ところで今でも外国人の不法滞在(非正規滞在とも言います)者問題において、〝法か人権か”で議論が激しいようです。 一方は法に反しているのだから強制送還は当然、もう一方は人権問題なのだから強制送還は不当、となるようです。 中身は違いますが、今も昔も変わらない議論だなあと感じます。
「今も昔も変わらない議論」と書いたのは、人権問題=民族差別問題の歴史をひもとくと、この議論が常に出てくるからです。 私の記憶では、60年前の金嬉老事件が嚆矢だったと思います。 借金トラブルから暴力団二人を殺害した金嬉老は人質を取って立てこもり、その際に日本社会の民族差別を訴えました。 そしてこの金嬉老に、日本人や在日の知識人たちが共感し支援したのでした。 その一人である鈴木道彦は次のように「無罪」を主張しました。
朝鮮侵略なくして「在日朝鮮人」60万の存在はあり得たか。‥‥ 金嬉老はこのような日本人が作り出した「怪物」である。‥‥ 日本人は金嬉老を裁く一切の資格を喪失していると言わなければならない。 金嬉老の「犯罪」は日本人の大罪のささやかな反映にすぎない。‥‥ この裁判が日本において、日本人の検事の告発によって、日本人判事によって行われる限り、私は金嬉老の無罪を主張するものである。 (鈴木道彦「なぜ金嬉老を弁護するか」 『金嬉老公判対策委員会ニュース』1号)
在日問題で〝差別に反対するためなら法を犯してもよい”のか、〝差別に反対しようとも法は守らねばならない”のかの議論は、おそらくこの金嬉老事件が始まりだったのではないかと考えているのですが、どうでしょうか。
ところで週刊誌などは金嬉老を擁護した人たちを「金嬉老に騙された文化人たち」などと揶揄していましたね。 また在日の代表団体である総連や民団は犯罪者を擁護しない姿勢で一貫していて、〝あんな奴に肩入れしたら自分たちも同じように見られる”とい言っていたと記憶しています。
【指紋押捺に関する拙稿】
第47題 指紋押捺拒否運動への疑問 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuunanadai
朴一さん『在日という病』を読む(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/21/9797365
朴一さん『在日という病』を読む(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/08/27/9798735
【金嬉老に関する拙稿】
小松川事件―民族問題を絡めてはならない(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/13/9731138
【入管問題に関する拙稿】
1960年代の入管問題―金東希と任錫均(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/02/9751631
1960年代の入管問題―金東希と任錫均(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/02/07/9752842
入管闘争―善人だから闘うのか、善人でなくても闘うのか https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/25/9588921
不法滞在・犯罪者の退去・送還-1970年代の思い出 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/21/9379672
昔も今も変わらない不法滞在者の子弟の処遇 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/03/21/9226536
かつての入管法の思い出 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/17/9306547
不法残留外国人について https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/11/9376331
不法残留外国人について(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/17/9378363
在日が入管問題に冷たい理由―『抗路』を読む https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/20/9587549
密告するのは同じ在日同胞―『抗路9』座談会 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/03/9468948
在日の葬法-土葬と火葬 ― 2026/04/17
在日韓国・朝鮮人を含む朝鮮民族の葬法に関心があり、下記のように拙ブログで論じてきました。
古代から続く伝統的葬法「草墳」(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/15/9836684
古代から続く伝統的葬法「草墳」(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/21/9837659
古代から続く伝統的葬法「草墳」(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/02/27/9838734
古代から続く伝統的葬法「草墳」(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/05/9840035
古代から続く伝統的葬法「草墳」(5) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/03/11/9841411
在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/22/9832164
在日の葬送の歴史―火葬の受け入れ(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2026/01/29/9833521
土葬と火葬 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/10/27/9310074
京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/20/9564102
在日は今やすっかり同化していますので、日本人同様にほとんど大部分が火葬です。 また在日はお寺の檀家に入っていない場合がほとんどですので、お墓は霊園などで墓地を購入して建てますね。 その墓石を見ていくと、「金家の墓」のように本名(朝鮮名)を刻んだり、通名(日本名)のまま「○○家の墓」と刻まれたりします。 日本名の場合、裏側面に本貫と姓を刻んでルーツを残すことも多いですね。 在日の墓石は日本化しており、その銘文はやはり日本人と同様に各家や宗教・思想によって多様です。
ところで1960~70年代の在日は一世がまだ元気で、韓国の故郷に自分が入る墓地を購入している人が結構おられました。 いざ亡くなると息子が火葬した遺骨を韓国に運んでいって埋葬することになります。 あるいは頑固な親は故郷での土葬を遺言に残すような場合もありました。 この時は遺体を空輸あるいは船便で運ぶことになり、手続きが複雑で費用もかなり必要となりますので、果たして遺言通りにしたのかどうか、疑問ですね。
いずれにしても無事に自分のお墓に葬られますが、果たして息子が墓参りをずっとしてくれるのかどうか‥‥。 親孝行の息子ならば毎年チュソク(秋夕ー日本のお盆に該当)に墓参りしてボルチョ(伐草―草取り)するかも知れませんが、言葉ができないので韓国に行くこと自体が億劫になっていき、体が動かなくなるともう行くことがなくなりますね。 孫・曾孫の代になると一二回は墓参りすることがあっても、あまり馴染みのない祖父・曾祖父ですから全くと言っていいほどに行かなくなります。 お墓の普段の管理は故郷の親戚にやってもらうのですが、日本から息子らが墓参りに行かなくなると一体どうなるか心配、なんていう話を聞いたことがあります。
朝鮮総連の幹部の場合、北朝鮮に息子らを帰国させている場合が多く、その子らのために北朝鮮にお墓をつくる方がおられるようです。 愛国烈士陵とかいう墓地で、かなりのお金をかけて準備せねばならないと聞きます。 おそらく日本に残った子が火葬して、分骨した遺骨を北朝鮮に運んでいるのではないかと推測されます。
私はこんな風に在日の葬礼について関心を持ってきました。 とすると、高齢の在日一世であり拙ブログでたびたび取り上げている金時鐘さんの場合はどうなるのだろうかと、大変無礼ながら気になりました。 実は金時鐘さんは、自分が亡くなれば骨をご両親の眠る墓に入れるようにすでに準備をしておられるとのことです。
https://www.youtube.com/watch?v=t4d_65I7Lk0 https://www.asahi.com/rensai/list.html?id=2057 https://gendainoriron.jp/vol.05/serial/se01.php
今のご両親の墓は、元々の墓地が整備工事のために移葬(お墓の位置を変える)せざるを得なくなって新たに造られたようです。 それは民族伝統の儒教式土饅頭である土葬墓の形ですから、ご両親の遺骸は改葬(火葬)せずにそのまま移したと思われます。 金時鐘さんはこのご両親の墓に入ると言っておられるので、日本で火葬したご自分の遺骨をここに埋葬することになるようです。
親の土葬墓に後から子の火葬骨を埋葬するというのは、朝鮮民族あるいは済州島人の風習に合うのかどうか、ここはちょっと分からないところです。 もともと土葬がほとんどだった韓国で火葬が普及し始めたのは近年の3・40年ほど前からで、今は韓流ドラマに出てくるように火葬遺骨をロッカー式の納骨堂に収めることが多いといいます。 自治体が土葬墓地霊園を造成したら火葬の普及が進んでしまって売れず、広大な空き地となったというニュースがありました。 https://www.youtube.com/watch?v=xyNN0a1NPvw ですから金さんが予定しているような一つの墓に土葬と火葬が並存するというは珍しいのではないかと思うのですが、どうでしょうか。
まだ生きておられるのにこんなことを言うのは不謹慎で礼を失するものであることは重々に分かっているのですが、朝鮮民族の葬法に関心がある私としてはどうも気になって仕方ないのです。
【関連投稿】
金時鐘氏への疑問(2)―韓国戸籍・墓参り https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2025/03/31/9764818
【追記】
『ポッタリひとつで海を越えて』という本の中に、次のような記述があります。
(2)在日の葬礼 土葬を重んじる儒教にならい、植民地時代初期には、船で遺体を運んで故国に埋葬する人が多かった。 しかしそれには大変な費用と日数がかかることから、日本で火葬後、遺骨を郷里に運ぶようになり、さらには労務動員による渡日が増える1941年以降では、埋葬も日本で行なわれるようになっていく。 (小泉和子編『ポッタリひとつで海を越えて』合同出版 2024年9月 226頁)
在日朝鮮人は「植民地時代初期には遺体を船で運んで故国で埋葬する」なんて、私には初めて聞く話です。 根拠となった資料が提示されていないのが残念です。
植民地化されてしばらく経ってからの話ですが、済州―大阪間の航路が開設された時、その船で遺体を運ぶことができたので、済州人は日本で亡くなると故郷の済州島で土葬する人がいたようです。 その場合、腐敗の進行する遺体をどのように運んだのか、遺体を納めた棺の密封ができていたのだろうか、おそらく大量の氷を詰めたのだろうが重くなった棺を運べたのだろうか、などと想像するのですが、どうも分からないですね。
なお関釜連絡船は遺体の運搬ができないので、慶尚道や全羅道などの朝鮮本土出身者は亡くなると遺体を運べず、故郷で土葬できませんでした。 ですから火葬して遺骨を持って帰ったようです。
在日が亡くなると、当たり前ですが遺族に連絡することになります。 一応建前上、来日した朝鮮人は協和会手帳を持たされて警察から把握・管理されていましたから、身元はすぐに判明するものでした。
ところでこの本では「1941年以降では埋葬も日本で行なわれるようになった」とあります。 しかし日本内地では、埋葬は地籍図で土葬地とされた土地以外ではできません。 そんな土葬地は農村地帯に多いのですが、地区(かつて部落と呼ばれていた)の共有地であり、その地区構成員だけが埋葬できます。 よそ者である在日は土葬できないのでした。 ですから在日が「埋葬するようになった」というのは一体どういう場所での埋葬だったのかが想像できず、ちょっと理解できないところです。
なお労務動員による死亡の場合は労災事故ですからその会社の費用で火葬するのが普通でしたが、辺鄙な現場での死亡の場合では事情で火葬できずに現地での土葬もあったようです。 ただしこれはそういう話があったという伝聞情報ですので、確実な話ではありません。 在日は戦時中に亡くなれば日本で埋葬していたのが事実なら、ひょっとして土葬ができる公営墓地や霊園なんかがあったのでしょうかねえ。


