『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(2)2024/12/11

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/06/9737449 の続きです。

 次にアイデンティティと大いに関係のある言葉です。 韓光勲さんが韓国に留学した目的は、韓国語の習得です。

僕は母語が日本語で、韓国語を勉強するために韓国に留学しに来ている。 (151頁)

僕は、韓国語を「取り戻したい」と思って韓国にやってきた。 (157頁)

(韓国語は)僕の母方の家族が一度失ってしまった言語。 父方の家族が話す言語だ。 それは母語でもなければ、単なる「外国語」でもない。 (158頁)

 韓さんは自分の民族的アイデンティティを確認するために韓国語を勉強しておられるようです。 これは私のように外国語を趣味や教養でやる者とは違って、勉強の意気込みがすごいですね。 しかし彼が民族を取り戻すべくここまで思い入れて学んでいる韓国語は、本国の韓国人から評価されません。

(韓国での)飲み会の席で初めて会った30代くらいの韓国人女性に、英語でこう言われたのだ。 「Can you speak English? Because your Korean is not fluent. (あなた、英語を話せる? あなたの韓国語は流暢じゃないから)」  驚いてすぐに反応できなかったが、やがて怒りでワナワナ震えた。 こんな侮辱はない。 「あなたの韓国語は流暢じゃない」なんて一番言われたくない言葉だ。 おまけに「韓国語じゃなくて英語を話せ」と言われているのだ。(150~151頁)

韓国語のレベルは中級~上級くらいだと思う。 当時、語学堂では、上から2番目のクラスに所属していた。 韓国語能力試験の6級(最高級)合格したこともある。 その韓国人女性の言葉は、僕をバカにしているだけでなく、韓国語を学びにわざわざソウルにやってきた僕の人格を否定する言葉だと感じた。 在日コリアン三世として育った僕が、どんな思いで韓国語を勉強してきて、語学堂にいま通っているのか。 少しでも想像力を働かせてほしい。 とにかく悲しかった。 (151頁)

こうやって僕が学んできた韓国語を、韓国人から侮辱されるのはたまったものではない。 (158頁)

 誰でもそうですが、成人になって外国語をいくら学んでも、なかなか流暢に話せるものではないです。 「韓国語能力試験の最高級」を合格したとしても「レベルは中級~上級くらい」「上から二番目のクラス」であるなら、本国の韓国人と対話したら「かなり違う」「流暢でない」と感じられてしまうのは当たり前でしょう。 しかし韓さんはそれを言われて、「僕をバカにしている」「人格を否定している」「侮辱されている」と反発を感じたと言います。

 私のように日本人なら「ハングンマル チャラシネヨ(韓国語、お上手ですね)」と言ってくれますが、在日は同じ韓国人ですから「ハングギニンデ ジェデロ モタヌンガ(韓国人なのに、ろくに喋れないのか)」と言われることになります。 本国の韓国人は「民族を取り戻すために韓国を勉強しています」と聞かされても、「韓国人のくせに」となってしまうようです。 韓さんが「少しでも想像力を働かせてほしい」と願っても、相手の本国韓国人は温かい目で見るのではなく大きな違和感を持つのですから、先ずは韓さんの方が「想像力を働かせる」べきではないでしょうか。

 また韓さんは日本でも似た体験をしたと言います。

初対面の人に名前を名乗ると、「日本語が上手ですね」とか「日本には長く住んでいるのですか」と言われることがあるのだ。 もちろんイラッとする。 僕は古文が昔から得意だし、日本史はセンター試験ではほぼ満点だったし、今でも明治以降の外交文書や擬古文はすらすら読める。 ライターもしているし、「あなたよりも日本語能力は高いですよ」と思う。 生粋の大阪生まれで、関西弁をこんなにべらべら話しているのに、「日本に長くすんでいるか」なんて愚問でしかない。 (152~153頁)

 初対面の日本人に「韓光勲(ハン・カンフン)」と名乗りますと、その日本人には来日した外国人なのか日本で生まれ育った外国人なのか、区別がつかないものです。 そんな日本人が失礼にならないように思って口から出た言葉が「日本語が上手ですね」「日本に長く住んでいるのですか」なのでしょう。 「愚問」ではないし、悪気もないので「イラッとする」こともないと思うのですが‥‥。 日本で「韓光勲(ハン・カンフン)」と名乗ると相手の日本人はどう受け取るのか、これもまた先ずはご自分の方から「想像力を働かせればいい」のではないでしょうか。 なぜ他人に「想像力を働かせる」ことを要求するのか、ちょっと理解できないところです。

日本で「日本語がうまいですね」と言われるとき。 あるいは韓国で「あなたの韓国語は流暢じゃないから」と英語で話されるとき。 僕の心はやっぱり傷ついてしまう。 同じ社会に住んでいる人として対等に扱われない感覚。 いつまでも「よそ者」として仲間に入れてもらえない感覚。 そうした感覚を抱かせてしまう言葉  (157頁)

 韓さんは、日本では喋りや身のこなし等はすべて日本人と同じなのに外国籍であるから「よそ者」扱いされ、韓国では同じ韓国人なのに言葉が流暢でないから「よそ者」扱いされる、だから「仲間に入れてもらえない」「対等に扱われていない」という感覚になるようです。 これは韓さん個人の感覚なのですが、そうならばどう行動すればいいのか、です。 だからこそ「仲間入り」しようと努力するのか、あるいはどうせ仲間入りできないのなら「よそ者」でも構わないとするのか、それともそんなことは何も考えないとするのか、「よそ者」扱いする日本人が悪いとして闘うのか、‥‥いろんな道が考えられます。 その道は韓さん自身が判断して選択すべきことだと思います。

在日コリアンは「社会の常識」を揺り動かす存在になれるとも思う。 もし「あなたは韓国人の名前なのになぜ日本語が話せるんですか?」と質問されたり、少しでもこういうテーマに関心のある人に出会ったりしたときは、「名前や言葉、国籍、民族、出身地って、本当にいつも一致するものなのでしょうか?」と逆に質問してみたい。 その人の常識を揺り動かしたい。‥‥ 新たに出会う人にそうやって質問していけば、僕の周りにいる人の持つ「常識」をちょっと変えることくらいはできる。 (167頁)

 「名前や言葉、国籍、民族、出身地はいつも一致する」という「社会の常識」を揺り動かそうという韓さんの話は、世の中にはそういう “一致しない”外国人もいることを知ってほしいという点に限れば理解できます。 なお「出身地」は、韓さんの言うものと一般に使われているものとが少し違っているようです。

 ところで「名前や言葉、国籍、民族、出身地って、本当にいつも一致するものなのでしょうか?」という質問に対して、私ならこう答えます。

 「 “一致しない”つまり “韓国人なのに韓国語ができない”あるいは “まるで日本人なのに韓国人”であることで本人が納得しているのなら、『イラッとする』事態に我慢できるだろう。 しかし子や孫の世代までも我慢させることが果たしてどうなのか。 いつまでも “一致しない”状態を続けるわけにはいかず、将来のいつかは “一致する”方向に行くことになると考える。」    (終わり)

 

【在日に関する論考集(20年以上前のものです)】

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/minzokusabetsu

『在日コリアンが韓国に留学したら』を読む(1)2024/12/06

 韓国ではビックリ事態。 戒厳令が敷かれたかと思うと、6時間後に解除。 混乱が続いているようです。 今ここではそんなことに関係なく、拙ブログを続けます。

 韓光勲『在日コリアンが韓国に留学したら』(ワニブックス 2024年10月)を購読。 まず著者の韓光勲さんの経歴は、この本の最後のページによると

1992年大阪市生まれ。 在日コリアン3世。 2016年、大阪大学法学部卒業。 2019年、大阪大学大学院国際公共政策研究科博士前期課程修了。 2019年4月から2022年7月まで、毎日新聞で記者として働く。 2023年3月から約1年間、韓国で留学生活を送った。

 それではどんな家庭だったのでしょうか。 家族構成は本文では次のように書かれています。

父は韓国生まれで、23歳のとき日本に働きにやってきた。 母は大阪市生まれの在日コリアン二世。 (4頁)

父は韓国・済州道で生まれ、23歳まで済州道にいました。‥‥ 母親は大阪市西成区で生まれ育った在日コリアン二世。 (94頁)

僕の兄2人と姉  (16頁)

 以上から判明することは、まず父親の姓が「韓」であり、韓光勲さんは父親の姓を受け継いでいることです。 韓国の当時の戸籍法(今は家族関係登録簿)では、子供は生まれると父親の戸籍に入って、父親の姓を受け継ぐからです。 なお両親が事実婚で韓さんが婚外子の場合、母親の戸籍に入って母親の姓を受け継ぎますが、当時としては極めて特殊事例なので考える必要はないでしょう。

 韓さんは4人兄弟の末っ子として1992年に生まれました。 とすると、韓国で生まれ育ったニューカマー(来日)の父親と日本で生まれ育ったオールドカマー(在日)2世の母親は、1980年代に結婚したと推定できます。

 次に、家庭内ではどんな言葉が話されていたのかです。

家族の会話はもっぱら日本語だ。 (4頁)

家庭ではずっと日本語を使っているからだ。 (15頁)

父親の母語は韓国語です。‥‥ 母親の母語は日本語で、韓国語は話せません。 自然と、家での共通言語は日本語になりました。 父は日本語が堪能です。 (94頁)

 ニューカマーとオールドカマーとが結婚して日本で暮らす場合は、家庭内の言葉は日本語になりますね。

 ただ一般的にニューカマーは母国(韓国)の父母や祖父母、兄弟らとの関係が切れておらず、コミュニケーションを取っているものです。 だから韓さんの場合、父親はしょっちゅう母国に帰っていただろうし、そして家族・親戚らも来日していただろうと思われます。 また韓さん自身も幼い時から母国のハラボジ・ハルモニ宅に帰省することがあっただろうと推測します。 ですから家庭内の日常語は日本語でも、本場の韓国語に接し喋る機会は多かっただろうと思うのですが、この本ではそんな話が出てきませんね。

 韓さんの本では、民族性について強い影響力を持っているはずの父親の存在感が薄いです。 読んでいて、父親は家から離れていると思ったくらいでしたが、次の記述でそうではないと判明しました。

韓国出身の父は当初、(2018年文在寅政権時の)南北対話に大きな期待感を持っていた。 父は南北対話を伝えるニュースを見ながら涙を見せていた。 (119頁)

 次に韓さんのアイデンティティです。 彼は次のように述べます。

僕は日本では「韓国人」として扱われることもあるが、「日本人」として扱われる場合も多い。 国籍は大韓民国であり、韓国のパスポートを持っているから「韓国人」なのかといえば、必ずしもそうではない。 初対面の人に「国籍は日本ですよね」と言われる場合が多くある。 これは仕方ないと思う。 僕の生活様式は完全に日本だ。 だが、行政の場に出ると、全く違う。 完全に「韓国人」として扱われる。 厳密にいえば「特別永住者」という立場だ。 (148頁)

僕の場合、「名前」は韓光勲で、「国籍」は韓国、「出身地」は大阪、「第一言語」は日本語、「民族」は韓国人、「アイデンティティ」は在日コリアンだ。 日本か韓国のどちらかに統一されていない。 それには歴史的な経緯がある。 このことを初めて会った人に理解してもらうのは骨が折れる。  (166頁)

 ここにある「統一されていない」は、鄭大均さんが言うところの「今日の在日韓国人に見てとれるのは、韓国籍を有しながらも韓国への帰属意識に欠け、外国籍を有しながらも外国人意識に欠けるというアイデンティティと帰属(国籍)の間のずれであり、このずれは在日韓国人を不透明で説明しにくい存在に仕立て上げている」(『在日韓国人の終焉』文春新書 2001年4月 4頁)にあることと同じですね。 自分を客観的に証明する法的地位(韓国国籍や特別永住)と自分を主観的に意識するアイデンティティ(言語や生活様式など)とが統一されておらず、“ずれ”があるのです。 韓さんは、その“ずれ”を周囲の日本や本国の人には理解してもらうのに「骨が折れる」とおっしゃっています。

 ただ、このような“ずれ”は在日だけが有するものではなく、他の外国人にも当てはまります。 日本で生まれたとか幼少の時に来日したという外国人の中には、幼稚園からずっと日本の学校に通ってきたという人が多くなりました。 外見も名前も国籍も外国人なのに、言葉や身のこなしは完璧な日本人という“ずれ”を有することになります。 近頃は、外国人のこの“ずれ”をテーマにしたユーチューブがよく出てきていますね。

 韓さんは外見までもが完璧な日本人で、外国人だと分かるのは名前や国籍を自ら名乗る時だけになっているようです。 ですから何も喋らなければ全くの日本人として見せることになり、周囲も本人が言わなければ同じ日本人と思うでしょう。 とすると外国人だと発覚した時の“ずれ”の感覚は、当然に大きいでしょう。 従って別に言えば、これは在日特有の問題ではなく、外国人問題の一つの類型としてとらえるべきではないかということです。 そしてその解決は、当人がその“ずれ”をなくすのか、それともそのままにしておくのかになるでしょうが、自分で判断して選択する以外になく、周囲はそれを理解し尊重することが求められるでしょう。   (続く)

 

【在日に関する拙論(最近のものです)】

在日韓国・朝鮮人自然消滅論(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/26/9734747

在日韓国・朝鮮人自然消滅論(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/12/01/9736094

在日の「国籍剥奪論」はあり得ない https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/19/9732903

在日の定義は歴史意識にある―『抗路11』 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/03/24/9670017

在日韓国人と本国韓国人間の障壁  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/12/9641974

在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/12/9387023

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

在日韓国・朝鮮人自然消滅論(2)2024/12/01

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/26/9734747 の続きです。

 なお坂中英徳さんよりも2年ほど前に、在日消滅論を公然と唱えた者がいました。 それは他ならぬ私でして、『現代コリア』第361号(1996年5月号)に「消える『在日韓国・朝鮮人』」と題して投稿しました。 この論稿は2000年10月付けの拙ホームページに再録しております。 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuukyuudai  ここでは次のように論じました。

坂中さんによると、在日の帰化者は年間約八千人である。一〇年ほど前までは五千人だったはずであり、これもまた急増している。

在日はその婚姻状況から圧倒的多数が日本人と親族関係となっていき、そしてこれから日本国籍を加速度的に取得していくのである。 冠婚葬祭という民族にとって重要な場面においても大多数の日本国籍とほんのわずかの韓国・朝鮮籍の人々の集まりとなるのは、もはや時間の問題である。 ‥‥ そしてこの間違いなく起こる将来の事態の確認は「新鮮」ではなく「衝撃的」である。

韓国・朝鮮籍という外国籍をもつ存在としての在日は、まもなく消滅しようとしている。

 当時(1996年)、「在日消滅」は心では思っていても公の場で言える雰囲気のなかった時代でした。 「在日の消滅」は個人的に陰でこそこそ言われることは多々あったのですが、公然と論じられたのはおそらく『現代コリア』の拙稿が最初だったと思います。 ただしこれは在日問題に関心を持った無名の日本人の論稿でしたから無視されたようで、大して話題にはならなかったし、その後の在日問題を扱う本や論文なんかでも全く取り上げられていません。  

 そして30年近く経った今、在日の現状はどうなっているのか、本当に消滅するのでしょうか‥‥。 法務省の在留外国人統計 https://www.moj.go.jp/isa/policies/statistics/toukei_ichiran_touroku.html と民団が公表している在日韓国・朝鮮人統計 https://www.mindan.org/syakai.php を紹介します。

 これによると韓国・朝鮮籍の特別永住者数は、1992年から10年毎の数字を拾いますと

   1992年 585,170人

   2002年 485,180人

   2012年 377,351人

   2022年 285,459人

10年毎に約10万人、つまり毎年1万人ずつ減少していることが分かります。

 また民団の「性別及び世代別の現状 2021年12月末現在」の統計数字も紹介します。 在日韓国・朝鮮人は、六歳ごとの数字を拾いますと、

   0歳            702人

   6歳(小学校入学時)  1,354人

   12歳(中学入学時)  1,571人

   18歳(大学入学時)  1,882人

   24歳          3,256人

   30歳          5,330人

 ただしこの数字は近年のニューカマーも含まれています。 特に18歳を越えると韓国からの留学生らがいますので際立って多くなります。 在日の本来の意味である「特別永住者」はそういったニューカマーを除外せねばなりませんので、この表の数字よりもっと少なくなります。

 特別永住者に限った年齢別数字は見つかりませんでしたが、いずれにしても年齢が下がるとともに在日の数がどんどん減っていっていることは明確です。 つまり在日社会もまた少子高齢化しているのです。 いま朝鮮学校は入学者減少のために統廃合が進んでいますが、在日の総連系離れだけでなく、少子高齢化による現象とも言えます。

 以上により、在日は「帰化」「日本人との婚姻」「少子高齢化」の三つの要因により人口減少の道を歩んでいることは明らかでしょう。 そしてそれは止めることの出来ない道なのです。 従って坂中英徳さんの「在日韓国・朝鮮人自然消滅論」は今のところその見通しの通りに進んでおり、将来の「21世紀前半中の消滅」という予想はおそらく当たることになると思われます。

 在日社会は21世紀半ばまでに、植民地支配に起因する「特別永住者」は0とは言えませんがほとんどが消え去り、日本国籍取得者やニューカマーなどに置き換わっていくことになるでしょう。  従って「在日問題」は近い将来に、数ある「外国人問題」のうちの一つでしかなくなり、その後は過去の問題として歴史の中に埋没していくものと考えられます。   (終わり)

在日韓国・朝鮮人自然消滅論(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/26/9734747

 

【追記】

 拙稿 「第19題 消える『在日韓国・朝鮮人』」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuukyuudai にある “在日の結婚割合”について、下記のように説明を追加していますので、ご笑読下されば幸い。 ただし25年前のものです。

第42題 在日朝鮮人同胞どうしの婚姻の割合  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuunidai

 

【追記】

 水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』(岩波新書 2015年1月)では、次のように論じられています。

先細るオールドカマー ‥‥ オールドカマーの減少の第一の原因は、日本国籍の取得、いわゆる「帰化」の増大である。 ‥‥ こうした帰化の増大にくわえて、日本人との<国際結婚>の増加も特別永住者急減の原因となっている。‥これに帰化者を加えると在日朝鮮人は、国籍上50~60万人に及ぶ人口の損失を経験したことになる。 (213・214頁)

 「先細る」の先は「消滅」になると思うのですが、そこまでは論じていませんね。 それどころか、下記のように明るい展望を論じているので、大きな違和感があります。

90年代以降、留学などで韓国で学ぶ在日朝鮮人の若者も急増し、日韓双方にまたがる職業や、学術・文化・スポーツ活動を営む在日朝鮮人も少なくない。‥‥ “国民”についての画一的な見方を前提に常に日本か本国かの選択を迫られてきた在日朝鮮人のあり方にも新しい可能性を開くものだ  (232頁)

 在日の定義を「特別永住」だけでなく、日本国籍者まで広げようとしているようですが、果たしてこれで「新しい可能性を開く」ものなのでしょうか。 「在日問題」をいつまでも続けていきたいという“願い”のように思われます。

在日韓国・朝鮮人自然消滅論(1)2024/11/26

 いわゆる「在日韓国・朝鮮人」は法的に言うと、「出入国管理に関する特例法(平成3年5月10日 法律第71号)」の第1条にある「平和条約国籍離脱者及び平和条約国籍離脱者の子孫」です。 分かりやすく言うと、「朝鮮半島に生を受けながらも日本の植民地政策に起因して渡日し、そのまま残留した人々、およびその子孫」で、在留資格は「特別永住」となります。 

 この在日韓国・朝鮮人は将来に消滅するだろうという予想を早くから立てたのが、法務省で長年に渡って出入国管理行政に携わってきた坂中英徳さんです。

私は講演(1998年1月の民族差別と闘う連絡協議会主催の集会での講演)で「日本人との結婚の増加」と「人口減少」の問題について特に力を入れて論じ、これから在日韓国・朝鮮人の日本国籍化が急ピッチで進むことを強調した。 その上で、21世紀前半中の「在日韓国朝鮮人自然消滅論」を唱えた。 (坂中英徳『在日韓国・朝鮮人政策論の展開』日本加除出版 1999年2月 22頁)

近年、私は「在日韓国・朝鮮人自然消滅論」を唱えている。 韓国籍・朝鮮籍の特別永住者の人口は、帰化と人口の自然減で減少の一途をたどり、在日韓国・朝鮮人は50年以内に自然消滅する可能性が高いと見ている。

もっとも50年以内とはいっても、人口減が今と同じ年間1万人強のペースで緩やかに進行する可能性は低く、むしろ年々の人口減により在日韓国・朝鮮人社会が急速に縮小してゆき、それがまた同胞同士の結婚の減少と帰化の増加をもたらし、人口減少をいちだんと加速させるコースをたどって、比較的早い時期に自然消滅の日を迎える可能性が高い。 (以上 坂中英徳『入管戦記』講談社 2005年3月 200頁)

 彼は1999年4月2日付『毎日新聞』のインタビュー記事でも、次のように言っています。

在日は自然消滅へ ‥‥ (在日韓国・朝鮮人の)人口の自然減が5年ぐらい前(1994年)から始まったことです。 ‥‥ 帰化した人もこの20年間で12万人ぐらいになります。 加えて、日本人と結婚する人が増え、生まれた子供は日本国籍となって、人口が減ってきました。 ‥‥ このままいくと、在日の韓国籍、朝鮮籍の人は毎年1万人ずつ減っていく。 あと数十年以内にほとんどゼロになってしまう。 実際はゼロにならないでしょうが、消滅に近い状態になる。 誇張して言っているわけではなく、20年経てば20万人、50年経てば50万人は確実に減るわけです。 (同上 140~142頁より再引)

 このように出入国管理を担当する法務省官僚であった坂中さんは、1998年頃から「在日韓国・朝鮮人自然消滅論」を唱えました。 しかも消滅が「21世紀前半中」「数十年以内」という時期まで言及したのです。 在日を担当する国家権力者が「在日は消滅する」と発言したのですから、民族団体などから大きな反発の声が上がっただろうと思われるかも知れませんが、実はそれがなかったのでした。

幸い、在日韓国・朝鮮人社会から批判の声は上がらず、発言内容が問題にされることもなく、事なきを得た。 あとで人づてに聞いたところでは、在日社会では『毎日』の記事に対する反発の声が一部にあったが、「あの坂中のことだからと」ということで不問に付してくれたということだ。 ある有力な在日朝鮮人は「武士の情けだ」と私に言った。 (同上 145頁)

 実のところ、特別永住の在日はこのままでは将来に消滅するだろうということは、在日自身が薄々ながら気付いていました。 ノンフィクション・ライターの野村進さんが1996年に著書で次のように書いています。

帰化者が増えるだけ在日人口は減り続け、「在日はトキとおなじだ」という声も当の在日から聞いた。 特別天然記念物のトキのように、やがて「絶滅」していくというものである。 (野村進『コリアン世界の旅』講談社 1996年12月 27頁)

 在日自身が陰では「絶滅」と語っていたのです。 だから坂中さんの「自然消滅論」に反発する声が少なかったのです。 在日は 同胞らに “歴史と言葉を勉強して民族的自覚を持とう”などと訴えてきた手前、「消滅する」とは大声で言えなかったと思われます。 それが日本の国家権力にズバリと言われてしまったということになりましょうか。 これはすなわち、在日は自分たちの将来の見通しについて、心に思うだけで互いに議論し合わなかったということと思われます。 (続く)

 

【特別永住に関する拙稿】

特別永住の経過             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/08/25/1750381

特別永住制度の変更は非現実的      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/01/1762857

在日の法的問題は解決済み        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/08/1781500

米国籍などの特別永住者         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/09/15/1798285

『現代韓国を学ぶ』(3)     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/06/08/6472916

在日の特別永住制度           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

トルコ国籍の特別永住者?!―毎日新聞 ― http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/10/27/7870629

特別永住者数の推移       https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/16/9129169

在日の「国籍剥奪論」はあり得ない2024/11/19

 在日韓国・朝鮮人は1952年のサンフランシスコ講和条約発効とともに日本国籍を正式に離脱したのですが、これを「国籍剥奪」といって被害者性を主張する論者が多いですね。 その論理は、“本人の同意も得ずに日本国籍を剥奪した” あるいは “国籍の選択権を与えずに一方的に奪った”というものです。 それまではそんな主張をする人はいなかったのですが、1960年代後半から徐々に出てきました。

 それでは在日韓国・朝鮮人たちは自分らの国籍をどう考えてきたのか、また本国の韓国や北朝鮮政府は在日の国籍をどう考えていたのか、ちょっと詳しく見ていきます。 引用する資料は水野直樹・文京洙『在日朝鮮人 歴史と現在』(岩波新書 2015年1月)からのものです。 この本は私とは考えが違いますが、事実関係の記述はおおむね信頼できるものです。

 まず1945年の終戦直後です。 日本から解放された在日たちは、故国への帰国と生活権を守るために10月に「在日朝鮮人連盟(朝連)」を結成しました。 しかしこれには左翼色が強かったために、民族主義者らがここから抜け出て「朝鮮建国促進青年同盟(建青)」を結成しました。 「朝連」は後に朝鮮総連に、「建青」は後に民団につながります。 それでは解放直後の在日の代表団体であった「朝連」と「建青」は、自分たちの国籍をどう考え主張したのかです。

朝連や建青が求めていたのは、敗北した日本国民とは区別される『解放国民』、つまり外国人としての処遇であった。‥‥ 連合国民をはじめとする外国人に与えられていた特別配給(日本人の主食配給が一日2.7合に対して4合が支給された)も朝連や建青・民団は、外国人としての立場から一貫してその適用を要求した。 (岩波新書『在日朝鮮人 歴史と現在』 108~109頁)

 朝連も建青も、自分たち在日は日本人ではなく外国人であると主張したのでした。 つまり植民地から解放されたのであるから日本国籍がなくなるのは当然だという考えでした。 朝連と建青は当時の在日を代表する団体でしたから、在日全体の意見と見ていいでしょう。 従って在日は日本国籍からの離脱を自ら望んで選択したと言えます。 

 一方で、GHQ占領下の日本は独立国家ではありませんでした。 ですから日本政府は在日を明確に外国人とすることができず、“外国籍の朝鮮人とするが日本に居住する限り日本人として扱う”という曖昧な法的地位とし、当初は本人次第で国籍を選択できるだろうという「見通し」を持っていました。 しかし結局はそんな選択を認めず、一律に日本国籍を離脱させることにしました。

日本政府は1949年12月の衆議院外務委員会の答弁では、在日朝鮮人の国籍問題について「大体において本人の希望次第」となろうとの見通しを語っていた。 この頃、日本政府は、講和条約の締結(1951年)にあたっては、国籍問題は避けて通ることのできない重要問題の一つとなろう、と予想していた。‥‥ 在朝日本人の引き揚げがほぼ完了したうえ、アメリカ側の平和条約構想の中に国籍規定がないことを知って、在日朝鮮人の日本国籍を一律に奪う方向に転じたのである。 (同上 126頁)

1952年、一片の通達を通じて在日朝鮮人を一律に「外国人」としたが、在日朝鮮人側も自らを「外国人」として律していたわけである。(同上 143頁)

 1952年の講和条約で日本が独立国家となると同時に、在日を正式に日本国籍を離脱させることになりました。 この本では「一律に奪う」とありますが、在日は誰も国籍離脱に反対せず、自分たちは「外国人」だと主張したのですから、「奪う」という表現は不適切です。

 ところで国籍というのは国家の構成員という意味であり、国籍を証明するのはその国の政府だけが有する権限です。 従って在日の国籍は何かを考えるには、本国政府の見解が重要になります。

在日朝鮮人の国籍問題は講和条約の発効を控えて開かれた日韓予備会談でも議論されたが、韓国側は、国籍の選択権よりも在日朝鮮人を一律に韓国国民として認定することを日本政府に迫った。(同上 126頁)

 講和条約に向けた日韓会談で、在日の国籍をどうするのかを日本と韓国が議論した際、韓国側は「一律に韓国国民として認定することを日本政府に迫った」のでした。 つまり在日はすべて我が韓国の国籍を有すると主張したのでした。

 それでは朝鮮民主主義人共和国(北朝鮮)はどう考えていたのでしょうか。

(1954年)8月30日、在日朝鮮人を「共和国公民」とする北朝鮮南日外相の声明(「日本に居住する朝鮮人にたいする日本政府の不法な迫害に抗議して」)が発せられた。 声明は在日朝鮮人が朝鮮民主主義人民共和国という主権国家の一員であるとの論理から、共和国政府として在日朝鮮人の自由と権利の擁護を日本政府に求めるものであった。  (同上 131頁)

 講和条約の2年後ですが、北朝鮮の外相は「在日朝鮮人は朝鮮民主主義人民共和国という主権国家の一員である」と声明したのでした。 

 以上をまとめますと、 ①「在日朝鮮人」は終戦当初から自分たちが日本人ではなく外国人であると主張し、 ②「日本政府」は1945年の終戦によって在日がもはや日本人でなくなったと主張し、 ③「韓国政府」は在日はすべて自国民であると主張し、 ④「北朝鮮政府」もまた在日は自国の公民の一員であることを主張しました。

 つまり在日の国籍について、関係する「在日」「日本政府」「韓国政府」「北朝鮮政府」の四者がすべて日本国籍喪失を主張したのです。 ですから在日の国籍問題は、“日本国籍がない”ことで決着したのでした。

 ただし日本は “日韓併合条約は合法正当であり、朝鮮人は当然に日本国籍を有していた” という考えであったのに対し、韓国・北朝鮮は “併合条約は不法不当であるから、朝鮮人は日本国籍を強制されたのであって本当は日本国籍を有していなかった” という考えになります。

 ですから日本は “在日は日本国籍を喪失して韓国・朝鮮籍になった” となるのに対して、韓国・北朝鮮は “国籍は強制されていたのが元の正しいものに戻っただけ” となります。 つまり、それまでの経過にはこのような意見の違いがあったのです。 ただし前述したように、“今の在日には日本国籍がない”という点で一致したのでした。

 それから数十年経って、“在日は日本国籍を有していたのに奪われた” という「国籍剥奪論」が出てきたのです。 これは本国の “奪われる日本国籍なんて元からなかった” とする考え方を否定するものです。 さらに日本も在日も本国も全員が一致して、“もはや日本国籍はない” ということで決着したのに、今になって引っくり返すものです。 「国籍剥奪論」は、“日韓併合は合法正当だから在日は日本国籍を有していた” とする日本側の考えにつながるのものであって、本国の不法不当論に反するものであることに注意が必要です。

 「国籍剥奪論」は日本を加害者、在日を被害者とするために、近年に作り出された用語と言えます。 そしてそれは在日の先輩たちや本国の考え方を否定するものなのです。 「国籍剥奪論」は日本を糾弾するために編み出された主張であり、“言葉の遊び”のようなものと言っていいと考えます。

 

【追記】

・「国籍剥奪論は1960年代後半から徐々に出てきた」と記しましたが、それは宋斗会です。 彼は、“自分は日本人として生まれてきた、日本国籍を捨てた覚えはない”として日本国籍確認訴訟を起こし、自分の外国人登録証を法務省の建物前で焼き捨てました。 彼は民族団体から無視されましたが、国籍剥奪論の最初の人と言っていいでしょう。 一部の知識人と市民団体が応援していました。

・「国籍を剥奪された」という主張は、私の記憶では1970年代後半頃から「在日には国籍選択権を与えるべきだった」とか「在日は権利として日本国籍を与えられるべきである」という主張とともに広まっていきました。 昔に、“日本が私に土下座して‘どうか日本国籍をもらってください’とお願いに来れば考えてやってもいい” と言った在日活動家がいましたねえ。 当時の活動家たちは、「帰化」は日本に頭を下げて申し込むものだから絶対に嫌だという執念を有していました。

・2003年頃でしたか、与党内で「特別永住者等国籍取得特例法案」がまとめられているという報道がありました。 特別永住資格を有する在日韓国・朝鮮人は、所定の要件があれば届け出だけで日本国籍を取得できるというものでした。 ですから「権利として日本国籍を与えられる」という考え方です。 しかし結局は国会に上程されず、廃案となりました。

 在日は自ら望み、そして本国政府の方針もあって日本国籍を離脱することで決着したという過去を思い起こすならば、日本国籍の取得は権利ではなく、これまで通りに申請し審査を受けて許可される「帰化」が筋であると考えます。

 なお『在日朝鮮人 歴史と現在』は「特別永住者等国籍取得特例法案」に反対する一方で、「オールドカマーの在日朝鮮人が日本国籍を取得することは当然の権利」であると主張しています(228~229頁)。 その論理が理解できないところです。

 

【拙稿参照】

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

国籍剥奪論           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/15/445780

水野・文『在日朝鮮人』(15)―外国人の地位を求めた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/25/8138588

水野・文『在日朝鮮人』(16)―国籍剥奪論の矛盾 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/30/8142349

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(6) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/01/7263575

在日朝鮮人は外国人である     http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai

(続)在日朝鮮人は外国人である  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai

合理的な外国人差別は正当である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuukyuudai

青木理・金時鐘の対談―帰化(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/08/9524343

青木理・金時鐘の対談―帰化(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/09/15/9526042

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/17/9518301

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(2)https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/23/9519952

52年前の帰化青年の自殺―山村政明(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/08/29/9521733

帰化にまつわるデマ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/05/31/387157

在日の帰化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/18/489465

帰化と戸籍 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/26/499625

国籍選択と強制退去           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/15/405667

小松川事件―民族問題を絡めてはならない(3)2024/11/13

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/08/9729822 の続きです。

 同じように凶悪犯罪でありながら民族問題が絡んだのが、その10年後の1968年に起きた「金嬉老事件」です。 金嬉老は少年時代から窃盗・詐欺・強盗などを繰り返して何度も逮捕され刑務所を出入りする犯罪常習者でした。 1968年に借金の取り立てトラブルから暴力団二人を殺害した後、ライフル銃とダイナマイトを持ち込んで旅館に人質を取って立てこもり、そこにマスコミらを呼んで在日朝鮮人差別を訴え、日本を糾弾しました。 マスコミはその籠城現場に行って金を取材し、生中継するなど、その訴えを報じました。 また金はマスコミの注文に応じて銃を撃つなどのパフォーマンスを演じました。

 多くの日本知識人たちが民族差別を訴える金嬉老を支援しました。 支援者たちは人質をとって籠城し民族差別を訴えている金に、次のような「よびかけ」を行ないました。

私たちは今回のあなたの行動を通じて、日本人の民族的偏見にかかわる痛烈な告発を知りました。 私たちはもしもあなたが命を失っても、あなたが叫び続けた問題を、その本質において受け止めねばならないと思います。 私たちは今、あなたにどのような手をさしのべるべきなのか、深刻な反省とともに考えております。‥‥ あなたの行動は民族の責任を衝きました。 私たちはまさに日本民族のために、あなたの声を真っ向から受け止めたいと思います。

 そして支援者らは金嬉老の裁判において、「法廷を通じて在日朝鮮人のかかえた問題と、日本人の責任を明らかにする」として、「朝鮮植民地化の責任、関東大震災の朝鮮人虐殺の責任‥‥一度でも問われたことがあったのか。 それを問うことなしに、金嬉老の“犯罪”だけを問おうとするのか」 「日本国家は金嬉老を裁くことができるのか」 「悪いのは国家権力であり、民族差別だ」 「日本人は金嬉老を裁く一切の資格を喪失している」 「金嬉老の無罪を主張する」と訴えたのでした。

 凶悪事件を起こした犯罪者が民族差別を訴えると、多くの著名な知識人が支援者として事件現場や裁判に駆けつけ、「日本は金嬉老を裁く資格がない」とまで言って呼応したのですから、裁判は異例な展開をみせました。 金嬉老は“民族差別があったから事件が起きたのだ、すべて責任は日本社会にある、自分は無罪だ”と主張しました。 また収監されていた拘置所(静岡刑務所内)で、金はこの支援運動を背景に刑務官らを脅して操り、自由気ままに行動しました。 寿司でも何でも刑務官に買わせ、監房の出入り自由を獲得し、女囚との密会までしていたのです。 一番驚かせたのは、出刃包丁を差し入れさせたことでした。 そのため刑務官は自殺に追い込まれました。

 借金トラブルで二人を殺害し、銃とダイナマイトを持って人質をとって立てこもるという凶悪事件に民族問題を絡ませると、こんなことになるのですねえ。 支援者たちは厳しい民族差別を加える日本社会を告発する意図でしたが、金嬉老にとって民族問題は身勝手に振る舞い自分の罪を免れるための道具でしかなかったようです。

 金嬉老は韓国では「民族の英雄」とされましたが、裁判の結果、無期懲役に処せられました。 そして金は仮釈放ののち韓国に引き取られ、歓迎を受けました。 しかしその韓国でもまた殺人未遂・放火・監禁などの罪を重ね、韓国のマスコミは「堕ちた英雄」と呼び、韓国での評判は地に落ちました。 金は、“根っからの犯罪者”とも言うべき人物だったのです。

 おそらく金嬉老は、10年前の小松川事件で知識人たちが民族問題として取り上げて支援したことを覚えていたのではないか、そして民族問題を訴えれば自分は有利になると思ったのではないか‥‥、そのように考えるのですが、どうでしょうか。

 

 1958年の小松川事件と1968年の金嬉老事件。 この二つの凶悪事件は日本人や在日知識人らが犯人を支援し、マスコミを賑わせました。 二つの事件の内容はもともと民族問題とは何も関係なかったのですが、一つは支援者側の意図で、もう一つは犯罪者本人の意図に支援者側が同調・応援して、どちらも民族問題が絡んでしまい、在日韓国・朝鮮人の歴史に残ったと言えます。

 姜尚中さんは、金嬉老事件から30年経って金が仮釈放されて韓国に引き取られた1999年9月、全国紙で次のように発言しています。

最近、日韓が急速に近しい関係になっているが、金嬉老を生み出した差別構造は残ったまま。 事件から学ばず、歴史の中に封じ込めれば、今後、第二、第三の金嬉老が生まれる可能性がある。 (1999年9月7日付『毎日新聞』)

 この姜尚中さん発言の翌年にルーシー・ブラックマン事件が起きました。 この強姦バラバラ殺人事件の犯人は、織原城二(帰化以前の本名は「金聖鐘」、通名「星山聖鐘」)という帰化した在日です。 けれど「第二の金嬉老」とは呼ばれなかったですね。 週刊誌が彼の身元を暴露し、在特会とかネットウヨとかの嫌韓派が執拗にヘイトしていたのに対し、彼は名誉棄損で訴えるなどして対抗しました。 姜さんの言う「差別構造」は残っていたことになるはずですが、誰も織原を応援しなかったです。

 そして最近の在日の凶悪犯罪といえば、この4月に発生した宝島夫妻殺害事件の実行犯が姜光紀(カン・グァンギ)というハングル本名を名乗る在日韓国人の若者でした。 ニュースではハングル名が何度も出てきましたねえ。 在日がハングル読みの本名を使えば、以前ならば“民族主体性”とか“高い民族意識”とかで称賛されたものです。 ですからそんな在日が事件を犯せば、昔なら「日本の民族責任を問う」知識人たちが支援の声を上げたでしょう。 しかしこの凶悪事件でも、そんな声を上げる人はいないようです。 250万円かそこらのお金で二名の殺人と死体遺棄を請け負った犯罪者がたまたまハングル読みの本名を名乗る在日だったことに過ぎないのですから、民族問題は全く関係がありません。 それが当然でしょう。  (終わり)

小松川事件―民族問題を絡めてはならない(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/03/9728638

小松川事件―民族問題を絡めてはならない(2)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/08/9729822

 

【拙稿参照】

戦後朝鮮人の振る舞い―「事実」の経過 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/28/9299898

戦後朝鮮人の振る舞い―NHK記事に民団が人権救済申し立て http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/09/25/9299094

戦後の朝鮮人の振る舞い―事実を語るべきか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/08/23/9281241

水野・文『在日朝鮮人』(14)―終戦直後の状況 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/22/8135824

張赫宙「在日朝鮮人批判」(1)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/27/7024714

張赫宙「在日朝鮮人批判」(2)   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/01/7030446

権逸の『回顧録』          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/07/7045587

終戦後の在日朝鮮人の‘振る舞い’  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/11/14/7054495

在日朝鮮人の「無職者」数      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/01/05/7971706

闇市における「第三国人」神話    http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuusandai

在日朝鮮人の犯罪と生活保護  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai

暴力にみる民族的違和感  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai

差別とヤクザ       http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuyondai

小松川事件―民族問題を絡めてはならない(2)2024/11/08

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/03/9728638 の続きです。

彼の抑圧され続けた在日朝鮮人としての苦しみと怒りは、それとして十分に認められるとしても、それらはすべては殺人という行為の瞬間には、性欲という原始的衝動の前に著しく重みを失い、行為の後、おのが行為を自他に分析し、説明し、弁明するにあたって、初めて注目され、重みを回復し、必要以上に幅を利かせ始めるのです。 そのことはR(李珍宇)自身の、行為の理由についての発言の“どうもよく分からない‥‥自分でも‥‥”というところや、また特に被害者がその犯罪時に、果たして絶対に日本人であって同胞でないという確認などを一切していないこと、要するに性欲のはけ口としての<女>でありさえすれば、それで十分であったらしい事からも十分にうかがわれるところです。 (加賀乙彦『ある死刑囚との対話』弘文堂 1990年3月 74~75頁)

 「彼の抑圧され続けた在日朝鮮人としての苦しみと怒りは、それとして十分に認められるとしても」は、李珍宇と何度も往復書簡を繰り返した朴壽南が李に民族意識を持たせようと説得したり、日本の知識人たちが「李少年をたすける会」という支援組織を作って世間に訴えた民族問題を指しているようです。 しかし正田は、そんな民族問題は「殺人という行為の瞬間、性欲という原始的衝動の前に著しく重みを失う」と主張します。 つまり李珍宇は民族とは関係なしに「性欲のはけ口としての女」でありさえすれば誰でも襲ったであろうと正田は言うのですが、その分析は正しいと考えます。 

 ところで李珍宇は第二審判決の6カ月後に、事件を起こした心境について、支援者で往復書簡を交わした朴壽南に次のような手紙を送っています。

私は二つの事件を起こしましたが、あのまま捕われなかったなら、機会あるごとに更に人を殺したことは確かです。 私が捕われてから、何の後悔も見せず、むしろ快活に振る舞ったことは、少なくとも故意ではなく、それは自然でした。 何故なら、私は自分の罪に対して何の後悔も感じていなかったからです。 私は人を殺したことについて何の後悔も感じませんでした。 私は捕われてからも、もしも自分が社会に出たら、また人を殺すかも知れない、ということを感じていました。

第一に、私は人を殺すということについて、何の感動もないのです。 この本性、これは今の、現在の私の心に相変わらずあるのです。 理性、心を考えに入れず、人を殺すという行為そのものを見る時、現在の私は、以前と同じように、それを容易に為し得るという本性を感じています。

‥‥親思いの私も、この本性には打ち勝てませんでした。 私が罪を犯さないのは、その機会がないからかも知れません。 あるいは親を悲しませたくないからかも知れません。 あるいは窮屈な刑務所に入りたくないからかも知れません。 とはいえ、私の本性はそれによって何にしても、無感動なこの本性にたいして堪らない憎しみを感じています。 私は被害者のこと、家の人たちのことを思って涙を流しました。 しかしそれは、ただの涙で、私の本性は無関心です。 (以上、朴壽南編『李珍宇全書簡集』 新人物往来社 昭和54年2月 192頁)

 李珍宇は「本性」という言葉を使っていますが、“強姦殺人衝動”という意味のようです。 その“衝動”が一旦湧き上がると、そのまま実行するだけで、そこには「後悔」も「理性」も「心」もなく、「無感動」「無関心」であり、涙を流してもそれは「ただの涙」にしか過ぎない、ということです。 李が事件は「夢」のなかで行なわれたと語った中身は、これだったようです。 そしてそれは、今でも殺人が「容易に為し得る」「社会に出たらまた人を殺すかも知れない」という「本性」なのです。 

 極悪事件犯罪者の心境というのは、こういうものなのでしょうか。 ここは犯罪心理学などの専門家の意見を聞きたいところです。

 しかし李珍宇の犯罪は民族問題(―朝鮮語を知らない)に起因するものだとする主張があります。 在日作家の高史明さんです。 彼は次のように言います。

李珍宇には大きな共感を持ちました。 彼は母親が聾唖者でコミュニケーションが成り立たない。 父親は日雇い労働者で家庭内教育などできない。 言葉を知らないで育った人間がアイデンティティ表明しようとすれば、他者を殺すしかなくなる。 彼は自分の殺人があったか否かを新聞社に電話して確認しましたね。 私なりに言うと、彼はそこまで自らを喪失した者だった。 ‥‥私の彼への共感は言葉を持たない者の次元です。 それに彼の犯罪は民族差別の歪みだけによるのではなく、歴史的、社会的な人間存在総体の奈落によるものと思います。 (『ルポ 思想としての朝鮮籍』中村一成著 岩波書店 2017年1月 11頁)

 李珍宇は学校の成績上位者で短編小説を書いていたといいますから、日本語は自分の心情を文章化できるほどに十分にできたと思われます。 ですからここで「言葉を知らない」というのは、民族の言葉である朝鮮語を知らないという意味になります。 つまり李珍宇は朝鮮人なのに朝鮮語を知らないから「アイデンティティ表明しようとすれば、他者を殺すしかなくなる」というのが高史明さんの分析です。 しかしこんなことで強姦殺人事件を起こすものなのですかねえ。 あるいはひょっとして、高さん自身が朝鮮語を知らないために「他者を殺すしかなくなる」という心境になった経験があるという意味なのでしょうか。 どうも理解できないところです。

 また高さんは、「彼の犯罪は民族差別の歪みだけによるのではなく、歴史的、社会的な人間存在総体の奈落によるもの」とも分析していますが、李個人の責任を問わないで、犯罪の原因を社会や歴史に求めているように思えます。

 私は、小松川事件は人間として許されない凶悪犯罪であり民族問題に絡めるべきものではなかった、と考えます。 問題にすべきことは、犯行時少年だった者に死刑判決を下し、執行したことが妥当なのか、という点でしょう。 (続く)

小松川事件―民族問題を絡めてはならない(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/11/03/9728638

小松川事件―民族問題を絡めてはならない(1)2024/11/03

 66年前の1958年に発生した小松川事件は在日朝鮮人が起こした凶悪事件ですが、これに民族問題を絡めて救援活動が行われたので、在日朝鮮人の歴史を語る本などでは必ずと言っていいほどに出てきます。 拙ブログでも取り上げたことがあります。

 犯人の李珍宇は事件について民族問題と絡められることに困惑していたという証言がありましたので紹介します。 出典は加賀乙彦『ある死刑囚との対話』です。 加賀はバー・メッカ殺人事件の死刑囚である正田昭と手紙をやり取りしていて、その内容を本にしました。 このなかで正田は東京拘置所で同囚の李珍宇に出会い、話を交わしていたというのでした。

R(李珍宇)は生前私に、自分の犯罪が在日朝鮮人一般の問題として広く展開されてゆくことに戸惑い、困ってしまう‥‥と申しておりました。 (加賀乙彦『ある死刑囚との対話』弘文堂 1990年3月 78~79頁)

 李珍宇は死刑囚として東京拘置所にいた際に、同じく死刑囚で同じ拘置所にいた正田昭にこのような話をしていたのでした。 この証言はそれが出てきた経過から、内容に間違いがないと思われます。 “自分の犯罪は民族問題ではない”ということです。

 次に正田は李珍宇の事件について考察します。 正田は同じ死刑囚として李と話を交わしたというのですから、その発言内容には重みがあると思います。 それを紹介します。 正田はもともと学があり、囚人生活のなかで小説家にもなりましたから、文才があると言っていいでしょう。 紹介する文には当時のインテリらしい表現が出てきますが、今ではちょっと読みづらいかも知れません。

R(李珍宇)少年の場合、その行為から考え、大江健三郎氏にしろ、他の論者にしろ、何故最も根源的理由とごく普通に認められているものを見過ごしているのか、不思議でなりません。 それは性欲、それも異常に強い性欲です。 単に禁断的状況にあるが故ならず、明らかに一般より数倍する外部からうかがえる、かつ昼間においても自瀆しないでいられぬ程の人間が為した強姦殺人‥‥ (同上 66頁)

 「自瀆」なんて、今は知る人がいないでしょう。 オナニー(自慰・手淫)のことです。 事件について大江健三郎などが民族問題を言っているが、「根源的理由」は「異常に強い性欲」である、というのが正田の考えです。

李少年の犯罪が単純に性欲のためだとする考え方の方に、私は賛成です。 (同上 69頁)

「女の人を自転車から引きずり下ろしたとたん、僕は夢を見ているようだったと。 これは夢なんだと思った」と。 すなわち、彼は女の人の体に触れたとたん ‥‥自分の行為は理性(精神)によって律しられておらず、肉体の支配に委ねられたことを感じ、だからこそ「夢を見ている」と覚えたのです。 ひとたび、肉体の論理が人間を支配すると、行為はとことんまで行く。 原始的で凶暴なものが噴出し、その最後まで行ってしまう。 李少年の殺人はかくして成就し‥‥ (同上 70頁)

 李珍宇は自分の事件を「夢を見ている」と言っているんですねえ。 ここらあたりは私には理解できませんが、正田は同じく殺人事件を犯した体験から、李がその時の自分自身の精神状況を「夢」と語ったことが理解できるようです。 それは、後先も何も考えずに湧き上がる感情のまま行動したのが強姦殺人だった、それはまるで夢の中のようだった、ということなのでしょうか。

殺人という異常な行為は李のように「夢」と感じられる。 つまり非現実的な世界の出来事として感じられる。 なぜなら精神にとって肉体は常に非現実的なものなのですから。 このことはドストエフスキーが、おそらく世界で初めて発見したことではないでしょうか。 (同上 70~71頁)

 李珍宇は凶悪犯罪行為を実際に行なっていながら、「非現実的な世界の出来事」すなわち「夢」と感じているということですね。 正田はドストエフスキーを引っ張り出してきて、李の「夢」が分かると言っているようです。 私はドストエフスキーをほとんど読んだことがないからでしょうか、ちょっと理解できませんねえ。

在日朝鮮人であること、圧迫された人間であることは、彼の犯罪とは無関係かどうか、 この点について私は無関係だとは言い切れない。 ただそれが第一義的なものではないといえる (同上 71頁)

 民族問題は第一義ではないというのは、私もその通りと考えます。(続き)

 

 【拙稿参照】

小松川事件(1)―李珍宇救援を呼びかけた人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/04/9574532

小松川事件(2)―李珍宇と書簡を交わした朴壽南 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/08/9575512

小松川事件(3)―李珍宇が育った環境 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/12/9576502

水野・文『在日朝鮮人』(17)―小松川事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/15/8152243

小松川事件は北朝鮮帰国運動に拍車をかけた https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/12/02/9639109

韓国のドイツ風住宅2024/10/27

 今から10数年ほど前、韓国の新聞に「ドイツ風住宅」の広告が載ったことがあります。 都会からちょっと離れた田園風景の土地で、第一期として何軒かの建売住宅を販売するものでした。 ですから最終的には十数軒か何十軒かの団地になるようでした。

 ところで、なぜドイツ風なのか? 韓国では何かドイツ文化が流行しているのかとも思いましたが、そんなことはありませんでした。 ですからその時は、一風変わった住宅をアピールする宣伝戦略なのだろうと思いました。

 それから何年かして、『国際市場で逢いましょう』という韓国映画がヒットしました。 家族を守り支えるためにベトナム戦争などの戦乱を体験し、ドイツに出稼ぎに行ったりした男の物語でした。 ここにドイツが出てきます。

 軍事政権時代だった1960年代後半~70年代前半、貧しかった韓国ではドイツ(当時は西ドイツ)への出稼ぎ労働者が募集されていました。 男なら炭鉱夫、女なら看護助手です。 映画の主人公は男でしたからドイツの炭鉱に行ったのですが、同時に募集された女性は看護助手としてドイツの病院・療養所等に行きました。 そして彼らは何年か働いて稼ぎ、契約が終わると韓国に帰ってきました。

 映画では韓国に帰ってその後の物語に続くのですが、実は一部の韓国女性がドイツに残ったのです。 看護助手は看護師の補助作業で、患者の身の回りの世話をします。 一番大変なのが沐浴や排せつの世話ですが、韓国から来た看護助手らは小さい身体で大柄なドイツ人患者らを嫌がらずに誠心誠意で世話をしました。 そうすると患者の息子たちがその姿を見て感動し、惚れ込んで求婚したそうです。

 詳しい数は分かりませんが、看護助手の韓国女性がドイツ男性と結婚した例がかなりあったと聞きました。 その結婚式には韓国の家族が参加できず、男性側は家族・親戚等大勢だったが女性側はごくわずかの友人のみ、という式だったそうです。 その時、花嫁は韓国の母親から送られてきた韓服を着たそうです。

 また韓国の家族のためにまだまだ儲けねばならないと新たな在留資格を取ってドイツに残ったり、同じく派遣された男性炭鉱夫と結婚してドイツにそのまま定着した女性もいました。

 それから数十年が経ち、彼女らは老境とともに望郷の念が募り、韓国へ帰ろうとする動きが出てきたのです。 冒頭の「ドイツ風住宅」というのは、そういった彼女たちのための家だったのです。 更にそれがこれまでの韓国にはないモダンでシャレた住宅ということで、ドイツとは関係のない韓国人にも需要が出てきたようです。

 韓国の新聞の載った建売住宅の広告なんて本来はどうでもいいことなのですが、その背景をちょっと調べると、韓国現代史の新しい知識を得ることができました。 雑学でも知識が広がれば、興味がさらに深くなりますね。

金正恩10・7演説「韓国を攻撃する意思はない」(2)2024/10/20

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/10/15/9724192 の続きです。

我々は正直言って、大韓民国を攻撃する意思が全くありません。 意識することすら鳥肌が立ち、あの人間たちとは向かい合いたくもありません。

以前の時期には、我々があの南の解放という声も多くあって、武力統一とも言いましたが、今は全くこれに関心がなく、二つの国家を宣言してからは更にもっとあの国を意識することもありません。ところで問題は、ひっきりなしに我々を苛立たせていることです。

 ここで「韓国を攻撃する意志はない」という言葉が出てきました。 今まで「南の解放」「武力統一」と言ってきたが、もう韓国を「意識することはない」から「攻撃すらもしたくない」ということです。 そうであるのに韓国はごちゃごちゃ言ってきて、「我々を苛立たせる」というわけです。

我々は最近の我が国家周辺の情勢環境を鋭く注視せねばなりません。 ありもしない脅しを《抑制》するという妄念にとらわれて、《韓米同盟》という核を基盤とする同盟に変異させて武力増強に熱を上げながら、狂的に繰り広げる米帝と傀儡の戦争騒動と挑発的行動は、いつ朝鮮半島で力の均衡が崩れるかも知れないという危険性を内包しています。 自分たちの軍備拡張と軍事行動は正当で防御的性格であり、我々の該当する活動は危険で挑発になるという非論理的で変態的な理由がまさに米帝と手下たちが声を上げている盗人猛々しい主張です。

 イヤでイヤでたまらない韓国が、米国と同盟して我が北朝鮮を挑発し、戦争を企んでいるということですね。

朝鮮半島で戦略的力の均衡の破壊は、すぐさま戦争を意味します。 正にそのために、敵をいつも抑え込んで情勢を管理できる物理的力を持たねばならないという我々の自衛国防建設論理は、針を通す隙間もなく完璧で正当です。 軍事超強国、核強国へ立ち向かう我々の歩みは更に早くなります。 韓米軍事同盟や傀儡たち自らが言うように核同盟へ完全に変異された現時点で、我が国の核対応態勢は更にもっと限界のない高さまで完備しなければなりません。

 韓米同盟が核を保有する我が北朝鮮を攻撃してもすぐさま完璧に対応するぞ、というのです。

話のついでに指摘しておくと、去る10月4日、国連事務総長代弁人は我々に《修辞の水位を低めることを望む》と要請してきました。 このような要請がソウルにも伝えられたのか不分明ですが、この席を借りて再び強調することは私の発言を世の中が聞こうとするなら直ぐに聞かなければならないことです。 私は明らかに、そして一貫して軍事力使用に関する我々の立場を鮮明にするたびに《万一》という前提をつけました。その《万一》という仮定のもので、我々の憲法は我が軍に厳格な命令を下すのです。

敵たちが我が国家を、反対する武力使用を企図するならば、共和国武力は全ての攻撃力を躊躇なく使用するのです。 ここには核兵器使用が排除されません。

 ここで北朝鮮は「万一の仮定」と言いながらも、核兵器を使用するぞと脅していますね。

また何度も強調するところですが、そんな状況で生存に希望をかけることは無駄なことであり、幸運も《神の保護》も、大韓民国を守ってやれないのです。 これは国連が言う修辞的水位に関する問題ではなく、明らかに実地行動的警告です。

我々の前には、世界最大の核保有国と一緒にいじり回そうとする一番奸悪な傀儡があります。 このような環境下で我々の見解と選択、決心は絶対に変わることがありません。 敵は軽挙妄動をしてはなりません。 敵たちは我々の警告をいつものように間違って聞けば、更に凄絶で酷毒な対価を払うようになるということを深く噛みしめなければならないのです。

現在、我々が保有する絶対的力は、実地の戦争を抑制し平和を守る使命を責任もって遂行しています。 どんな勢力も、朝鮮民主主義人民共和国に反対する軍事力使用と軍事力間の衝突という選択はできません。 しかし敵たちが《核同盟》を武器に力の優位を占め、戦略的形勢をひっくり返そうと足掻けば足掻くほど私たちは国防科学と工業の継続的な跳躍を成し遂げ、自衛の戦争抑制力を無限大に強化していかねばなりません。 我が党と共和国政府は、朝鮮半島で力の均衡が破壊されることを少しも許容しないのです。

 我が北朝鮮を挑発・攻撃しても無駄だ、返って痛い目に遭うぞ、という意味ですね。

 以上で、金正恩の「韓国を攻撃する意志はない」という言葉がどういう話の流れのなかで出てきたのかを見てきました。 要は、韓国なんか顔も見たくないほどに嫌いだ、しかしその韓国が“自分はこれだけ強い”と力自慢をしている、これに対して核強国の我々は黙っていないぞ、けれど韓国が黙って大人しくしていればこちらから攻撃はしない、という主張のようです。

 今月、韓国が無人機を平壌に飛ばしてビラを撒いたとして北の金与正が「惨事が起きるぞ」「宣戦布告とみなすぞ」と報復の警告を発し、金正恩は「主権が侵害される場合、我々の物理力がためらわず使用される」と宣言しました。 おそらく、“韓国を攻撃する意志はないとせっかく言ってあげたのに無視しやがって、見てろよ”ということなのでしょう。 本気なのか虚勢なのか分かりませんが、“我が国は核武装と軍事強国で相手に恐怖を与える”という路線に変わりがないみたいです。 (終わり)

【拙稿参照 ―労働新聞】

金正恩2024年1月15日施政演説(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/01/30/9654884

金正恩2024年1月15日施政演説(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/03/9656008

金正恩2024年1月15日施政演説(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/07/9657120

金正恩の2024年1月15日施政演説(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/11/9658152

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/27/9605137

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/31/9606151

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/04/9607167

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(4) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/08/9608146

『労働新聞』の論説―朝鮮戦争70周年(5) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/08/12/9609128

今日は「太陽節」-朝鮮総連に教育費2億7千万円 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/04/15/9577360