「両班」理念が復活した韓国―『朝鮮日報』(1)2022/05/17

 ちょっと古いですが、韓国の主要紙『朝鮮日報』2022年3月5日付けに、「ソン・ウィダルが出会った人」というコラムで「『新両班社会』の著者で人類学者であるキム・ウンヒ博士」と題する記事がありました。 16世紀末~20世紀初の李朝時代後期の「両班」社会理念が、現代韓国の進歩派の間で復活していると論じるものです。   https://www.chosun.com/culture-life/culture_general/2022/03/05/R2KULV4EVZCQRL5GZPWZNUQB3I/    興味深かったので、翻訳してみました。 まずは記事内容のあらましです。

―「親日清算」を叫ぶ南政府と「抗日パルチザン」を称賛する北政権は驚くほどに瓜二つ

―政治・経済・社会・歴史観などで、韓国のエリートたちの考え方が李朝後期へと退行している。 「成長」より「均等・分配」を強調し、「持つ者」を敵対視する抑強扶弱を叫ぶ政治家たちが多くなったのが証拠だ。 これは貧富の格差がなく、全てが等しく暮らす農民社会を志向した李朝時代の儒教経済観の完璧な復活である。

―先月下旬に『新両班社会』という著書を出した人類学者のキム・ウンヒ博士が下した診断である。ソウル大学衣類学科75回生である彼女は、1993年アメリカのシカゴ大学で人類学位を受け、中央大学の兼任教授と韓国学中央研究院の専任研究員等をしている。2016年の夏からSNSで意思疎通を増やしている。

―キム教授はこの本で、586世代の運動圏を始めとする韓国の進歩志向の考え方と世界観を文化人類学的観点からメスを入れた。 「586世代、彼らが言う正義というのは何なのか」という副題を付けた。 記者は今月の初め、キム博士と電話と書面でインタビューした。

 「586世代」というのは、韓国において2010年代以降に年齢が50代で、1980年代に民主化・学生運動に関わった1960年代生まれの人々を指します。 「50代」「1980年代に民主化・学生運動」「1960年代生まれ」の数字から「586世代」という言葉が生まれました。 十数年ほどの年代差がありますが、日本の全共闘世代に相当すると言えます。

 「両班」とは、李朝時代において‶士農工商″身分制度の最高位の「士」(士大夫)に当たるものです。 その詳細はこのインタビューである程度理解できるとは思いますが、やはりご自分でお調べになるのがいいでしょう。 その実態を初心者向けに解説したものとして、尹学準『オンドル夜話』(中公新書)、『歴史まみれの韓国』『韓国両班騒動記』(亜紀書房)をお勧めします。 朝鮮史の専門家のものとしては宮嶋博史『両班―李朝社会の特権階層』(中公新書)があります。

―今大韓民国が「新しい両班社会」に向かっていると見るのか?

そうです。壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)から朝鮮滅亡までの300余年間の李朝後期両班社会の統治理念は「徳治」でした。 義と礼を追求する君子が、自分だけの利益を追いかける小人を教化し支配するのが徳治です。 1990年代の初め、文民政府出発でひそかに蘇った「徳治」の亡霊が、21世紀の韓国進歩陣営を徘徊しています。

―具体的にどんな事例があるのか?

2・3年前に発生した「曹国(チョ・グク)事態」と「尹美香(ユン・ミヒャン)事態」からそうです。両班たちが君子と小人を区分したように、曹国と尹美香の支持者たちは韓国社会の構成員を、社会正義のために生きて来た運動圏である「両班」と自分の利益に忠実な既得権・積弊勢力である「小人」とに分けました。 大義に献身してきた活動家に法律的な物差しを当ててはいけないと、彼らは強弁します。 道徳的優越性が法治よりはるかに価値があり重要だという理由です。

子女が名門大学に入学するための入試不正と市民団体の会計不正は、市民社会の根幹である信頼を壊す深刻な犯罪行為です。 しかしこの二人の支持者たちは、「正義である」ことで生きて来た曹国・尹美香の犯罪行為を認めませんでした。彼らにとって「正義である」社会は道徳的に優越する人たちが統治する両班社会であって、法治を基盤とする近代市民社会ではありません。

―他の事例があるとしたら?

文在寅政府が5年間ずっと繰り広げてきた「親日清算」です。 両班社会の統治理念である「性理学の義理」論から見ると、道徳的価値は命よりも重要で、植民地の時代から「親日協力」は許されない背信としています。 586運動圏は同一の論理で、自分の利益すなわち出世のために生きた親日反逆者たちを処断し、正義の独立運動家たちを韓国社会の中心に復権しようとしています。

―彼女は「文在寅政府が独立運動家の子孫に対する礼遇を大幅に強化したのは、道徳的に優れた「君子」の子孫は代を継いで礼遇してあげねばならないという両班意識の発露」だとして、次のように言った。

故 朴元淳ソウル市長は、独立運動有功者の4~5代子孫まで、大学の学費を支援する「独立有功者奨学金」計画を出しました。 2021年、ソウル市の「独立有功者奨学金」は6代子孫まで学費を支援しています。 国家有功者法は、就職試験の当落に決定的に影響する5%の加算点を有功者の家族に今も付与しています。

―これは民主社会の平等原則を破るものではないか?

アメリカは戦争参加軍人を含め、国家有功者に対する支援を、本人とその配偶者、未成年の子女など、当代の核家族に制限しています。 6・25(朝鮮戦争)に参戦した軍警の遺族に、ソウル市が支給する毎月10万ウォンの生活支援金は、独立有功者の半分に過ぎません。 我が国の独立有功者は、すべて戦死者たちを平等に追悼する現代の国民国家の原則からも外れています。

 「両班」を理解しようとしたら、「朱子学」「性理学」「君子と小人」「党争」「門中是非」などを知らねばならないのですが、これが難しいです。 『朝鮮儒教の二千年』(朝日新聞社) 『韓国は一個の哲学である』(講談社現代新書)等の本がありますが、読んでもチンプンカンプンでしょう。 何か簡単に分かりやすく説明してくれるものはないかと探してみましたが、見当たりません。

 やはり今のところ、上述した尹学準『オンドル夜話』等あたりが分かりやすくていいと思われます。 この本に出てくる「党争」「門中是非」を今の韓国の進歩・保守派の対立になぞらえると、興味深いものです。 李朝時代の両班社会が現代韓国に形を変えて復活したとするキム・ウンヒ博士の主張が、かなり理解できると思います。 

【拙稿参照】

朝鮮に封建時代はなかった   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/11/23/7919936

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/26/7254093

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/29/7261186

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(8) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/09/7270572

古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(9) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/04/14/7274402

【追記】

 昨日は、京都のウトロと愛知の民団建物を放火した事件の初公判でした。 放火犯の有本を応援するレイシストたちがどれくらい集まるかに注目していましたが、これについての報道はどこもありませんでしたねえ。

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573

金芝河(キム・ジハ)の死去2022/05/10

 韓国の詩人の金芝河が去る5月8日に亡くなったというニュースが流れました。

 今は金芝河(キム・ジハ)なんて知らない人がほとんどでしょう。 1970~80年代、韓国に関心を持った日本人なら誰でも知っている超有名人でした。 しかし数十年経った今、彼の死のニュースは日本では軽い扱いですね。 https://news.yahoo.co.jp/articles/7284875eeb0ceef87345a47f8b35accf06280b0e  

 彼に関心のある方は、検索して調べてください。

 また彼については、拙コラムで論じたことがありますので、ご笑読いただければ幸い。  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/06/8798456  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/19/8853751

 ところで彼がその後どう変わっていったのか、そして今の韓国でどう評価されているかについて、日本ではあまり知られていないようですですね。 かつての超有名人が、もはや関心外になってしまったということでしょう。

 韓国では、進歩派の『ハンギョレ新聞』では「変節」「思想転向」などと厳しく批判されています。   https://japan.hani.co.kr/arti/culture/43402.html  

 また保守派の『朝鮮日報』では「中庸」などと書かれています。   https://www.chosun.com/culture-life/culture_general/2022/05/08/BNTNFFIPIZA6ZBD5K72ZPG3RQU/

 いずれにしても、韓国では金芝河に対する関心は、まだ高いようです。

【拙稿参照】

金芝河の告白 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/06/8798456

神のように祭り上げられた金芝河 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/05/19/8853751

在日の生活保護について2022/05/06

 京都のウトロと愛知の民団を放火した有本匠吾は、在日の生活保護受給に対して

「最低保障であるはずの生活保護すら役所に断られる方が大勢いる中で、日本国籍を持たない在日外国人を変わらず援助し続ける様態に、どれほどの方が不快感を抱いていたことか、当時のネットの声の数々を見た限りでも想像を絶した」と持論を展開していた。

    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690

 この記事から、有本は在日の生活保護についてその経緯や法的根拠などがほとんど無知であり、また生活保護を受けている在日と知り合ったこともないと分かります。

 拙コラムでは、在日の生活保護について下記のように論じています。 10年前とちょっと古いものですが、基本的に私の考えは変わっていません。

 ご笑読いただければ幸甚。

【拙稿参照】

ある在日の生活保護        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/19/6449827

もう一人の在日の生活保護     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/05/26/6457698

在日の生活保護          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/16/6867746

在日の生活保護の法的根拠     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/07/22/455680

第76題 在日の犯罪と生活保護  http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai

生活保護―最低限の文化生活    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/07/6595661

外国人の生活保護         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/04/11/3066189

生活保護―最低限の文化生活       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/10/07/6595661

共同通信記事もまた「在日コリアンへ無理解」2022/05/01

 前回と前々回で、4月10日付け共同通信の「『韓国が嫌いだった』京都・ウトロ放火、22歳の男はなぜ事件を起こしたか ヘイトクライムは防げるか」と題する記事を通して、犯人の有本匠吾を考察しました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573

 ソースの共同新聞記事は下記で、記者は牧野直翔・川村敦です。 https://news.yahoo.co.jp/articles/d17482d71f1526cd88adc552bdfdc335cd148c2c

 この記事のなかで、記者は放火犯の有本を「在日コリアンに対する無理解」と厳しく批判しています。

さらにこの手紙は一貫して在日コリアンを「韓国人」と書いている。在日コリアンの中には当然、現在の北朝鮮に当たる地域に出自のある人も数多く存在する。南北分断前の朝鮮半島というルーツを大切にし、韓国や日本の国籍を取らず「朝鮮籍」のまま日本で暮らす人々もいる。出入国管理庁によると、その数は21年6月時点で約2万7千人に上る。こうした存在を無視したような書きぶりからも、被告の在日コリアンに対する無理解がうかがえる。

 批判の根拠は、在日には「朝鮮籍」が2万7千人もいるのに、有本はこれを無視して、在日すべてを一貫して「韓国人」と書いていることとしています。 これはその通りであるならば、有本に対し「在日に対する無理解」と批判することは理解できます。

 しかし記事には記者の地文として、「在日コリアンの中には当然、現在の北朝鮮に当たる地域に出自のある人も数多く存在する」という、ビックリ内容が書かれています。

 ちょっと古いですが民団の2012年在日同胞統計によれば、在日コリアン454,401人のうち、北朝鮮を本籍とする者は2,478人に過ぎません。 率にして0.45%です。 https://www.mindan.org/old/shokai/toukei.html

 つまり統計数字では北朝鮮を出自とする者はわずか0.45%で、他は南朝鮮すなわち今の韓国を出自とする者や不詳その他となります。 これで何故「北朝鮮に当たる地域に出自のある人も数多く存在」となるのか? 0.45%は千人中の4~5人程度ですが、これが「数多い」と言えるのでしょうかねえ。

 すなわち「朝鮮籍」2万7千人のほとんどは出自が南朝鮮(韓国)であり、主として思想的なことから外国人登録上の「朝鮮籍」をそのまま維持してきた人たちなのです。 (下記拙稿参照)

 どうやら記者はこのような「朝鮮籍」者を、「北朝鮮出自」と勘違いしたものと考えられます。 だから「北朝鮮出自が数多く存在」と書いたのでしょう。 繰り返しますが、北朝鮮出自の在日は極めて珍しい存在であり、決して「数多い存在」ではありません。

 以上の間違いは、共同通信記者の牧野・川村の「勘違い」と言うことが一応は可能です。 しかし記者は、放火犯の有本が在日を「韓国人」と書いていることをもって「在日に対する無理解」という激しい批判の言葉を浴びせました。

 そうならば記者は、自分たちもまた「在日に対する無理解」であるという批判を甘んじて受けるべきだと思います。 それくらい恥ずかしい間違いなのですがねえ。

 これを書きながら、私もまた人を批判する時には、自分がそれに値する人間かを常に顧みなければならないと自省します。

【拙稿参照】

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/28/9485573

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/09/8589790

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/13/8593507

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/16/8598422

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(4) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/22/8601961

中村一成『ルポ思想としての朝鮮籍』(5) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/06/25/8603941

在日の「朝鮮籍」選択ー毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/13/9059048

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(2)2022/04/28

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690 の続きです。

自らについて「右派思想こそあれど、右翼関係者ではない」とした有本被告。人物像をより探るため、記者は西日本にある出身地を尋ね、彼を知る人物も何人か取材した。

返ってきたのは「右翼団体と付き合いがあったとか、そういう思想の発言をしたとかは、全然なかった」「まじめで勉強ができた。学校から帰れば家でじっとしているような、おとなしい子どもだった」「両親に愛されて、田舎で素直に育った。就職先で誰かに影響されてしまったのだろう」といった証言で、事件につながる重要な手がかりはつかめなかった。

 「まじめで勉強ができた」「両親に愛され、田舎で素直に育った」青年が、ネット情報にはまって在日や韓国に敵対心を抱き、放火事件を起こす‥‥。 ちょっと古くなりますが1960~70年代、大学に入ったとたんに投石と火炎瓶を投げる全共闘学生となったかつての若者たちを彷彿とさせます。 昔は先輩や学友からオルグされての変身でしたが、今はネットに接して変身となるようです。

手紙に書かれていた主張には事実誤認や論理の飛躍があり、にわかには理解しがたい。ウトロ地区を指して「不法占有地区を公に周知させる目的」とする一方的な見解も記述されていたが、先に示した通りそうした状態は土地を買い取ることなどによって解消している。日本人の大半が韓国人を迷惑視するというのも根拠がなく、参照した情報として示されているのは、「ネットの声」だけだ。また仮にこのような考えに至ったとしても、放火が許されるはずもない。

さらにこの手紙は一貫して在日コリアンを「韓国人」と書いている。在日コリアンの中には当然、現在の北朝鮮に当たる地域に出自のある人も数多く存在する。南北分断前の朝鮮半島というルーツを大切にし、韓国や日本の国籍を取らず「朝鮮籍」のまま日本で暮らす人々もいる。出入国管理庁によると、その数は21年6月時点で約2万7千人に上る。こうした存在を無視したような書きぶりからも、被告の在日コリアンに対する無理解がうかがえる。

 ここは記者の感想ですね。 有本に対し「事実誤認や論理の飛躍があり」「一方的見解」「根拠がない」「こうした存在を無視」「在日コリアンに対する無理解」と批判を書き連ねています。 正論なのですが、彼は自分こそが正しいと信じ込んでいますから、〝馬の耳に念仏″でしかありません。 だったらどうすればいいのか。 ここが悩みどころですね。 

 彼のような犯罪者を生んだ背景には、在日や韓国への嫌悪を繰り返し呼号する嫌韓派・ネットウヨがいます。 彼らには以前から「在特会」等でみるように犯罪性向があります。 今度の事件はそれが具体的に現れたと見るべきでしょう。 彼らを治安対象とすべき時期に来ているようです。 公安当局は、嫌韓派やネトウヨを監視してほしいですね。

手紙に反省の文言はなかった。事件のターゲットにされた側の人々をどれだけ不安に陥れたのかといったところまで考えを巡らせることは期待できないのだろうか。

 記事はこのように締めくくっています。 有本は自分を正義だと信じ込んでいるでしょうから、たとえ家族等から言われても聞く耳を持たなくなっている可能性があります。 従って期待できるものではないと考えます。

嫌韓派やネットウヨは、在日や韓国に対し「死ね!」「殺せ!」「ゴキブリ!」「帰れ!」「ウソつき!」とかのヘイトを繰り返し、犯罪を煽り立てる嫌韓偏執狂でしかありません。 彼らの中から「有本匠吾」という犯罪者が生まれたのでした。

来月に有本の初公判があるようです。 私が一番注目するのは、彼に同情し支援する人がどれほどの数になるか、というところですね。 ネットに匿名で応援する人は多いでしょうが、実際に裁判所まで足を運ぶ人はどうなんでしょうか。 犯罪性向のレイシストたちがどれほど集まるのか、注目したいと思います。 (終わり)

【拙稿参照】

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/25/9484690

ヘイト投稿者への損害賠償請求訴訟 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/11/28/9443703

なぜ嫌韓は高齢者に多いのか―毎日新聞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/05/25/9076605

嫌韓を実践するおばあさん     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/04/14/9059752

韓国語のできない嫌韓派      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/28/9052386

韓国語が出来ずに韓国を論じる人たち http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/03/16/9047781

嫌韓派と韓流派          http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/01/17/7540292

過激な言動は犯罪を生む       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/03/23/6755958

アクセス数の急減           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/04/04/6768285

在特会の行方             http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/29/6881139

在特会を弁護する人たち        http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/24/6917763

ウトロと韓国民団を放火した人物―有本匠吾(1)2022/04/25

 2021年に京都のウトロ地区の住宅と愛知の韓国民団建物を放火したとして、「有本匠吾」なる若者が逮捕され、ちょっとしたニュースになりました。 事件の概要はインターネットで検索すれば分かりますが、彼が一体どんな人物なのかに関心がありました。 その情報を待っていたところ、 去る4月10日付けの共同通信に、記者が有本に手紙を出したところ、その返事が来たと報道されました。 返事の全文があればよかったのですが、それは公表されていません。 そこで報道のうち彼に関係する部分を引用し、考察します。   https://news.yahoo.co.jp/articles/d17482d71f1526cd88adc552bdfdc335cd148c2c

「韓国が嫌いだった。日本人に注目してほしかった」。朝鮮半島出身者の子孫が暮らす京都府宇治市の「ウトロ地区」の住宅に火を付けたとして、非現住建造物等放火の罪で起訴された男(22)は、そんな供述をしたという。

有本被告はなぜこのような事件を起こしたのか。記者は勾留先の京都拘置所に手紙を出し、意図を尋ねた。数日後、返信が届いた。「拝復」で始まり「敬具」で終わる便箋5枚。手書きでびっしりと文字を並べ、面会での取材は断るとしつつも、自分の考えを説明していた。以下、誤字と思われる部分などを適宜直した上で引用する。

 以上は、記者が有本匠吾なる人物と関わるきっかけとなった内容です。 彼の供述「日本人に注目してほしかった」から推測すると、自分を認めてもらいたいという“承認欲求”心理なのでしょうかねえ。 それとも“嫌韓の英雄”になりたかったのでしょうかねえ。

被告は手紙の中で、ウトロと愛知での事件への関与を認め、動機をつづっていた。背景として挙げたのは、新型コロナウイルス感染症の影響と、それに対する行政の対応だ。コロナによる就職難と、国による支援制度の不十分さが影響しているのだという。「最低保障であるはずの生活保護すら役所に断られる方が大勢いる中で、日本国籍を持たない在日外国人を変わらず援助し続ける様態に、どれほどの方が不快感を抱いていたことか、当時のネットの声の数々を見た限りでも想像を絶した」と持論を展開していた。

 有本は在日に生活保護がなされることに対し、「どれほどの方が不快感を抱いたことか」。 そして彼はネット情報だけを見て、「想像を絶した」と言っています。 ここから彼は、在日が生活保護を受給する経緯や法的根拠といった基礎的初歩的知識が全くなく、また生活保護を受給している在日の人と知り合ったことも全くないという実態が判明します。

 彼は日常生活で在日と接することがなく、また在日について基本となる知識がないズブの素人の日本人です。 そして接する情報は何かつけて「外国人へ生活保護反対!」を叫ぶネットの匿名投稿だけのようです。 嫌韓派とかネットウヨとか言われる人は、こういうタイプが多いですねえ。 こんなのは日本国民でもごく少数なのですが、ネット情報ばかりに頼っていると「想像を絶する」ほどの多数に見えるということですね。

そして放火に至った心情が述べられる。「多くの人が抱いていたであろう内なる不満や不快を、目に見える対象にぶつけやすい状況にすべく、日本人の大半が嫌悪もしくは迷惑視する韓国人の関連施設に対して事件を、放火を発生させた」

 「多くの人が抱いていたであろう内なる不満や不快」「日本人の大半が嫌悪もしくは迷惑視する」。 上述したように嫌韓派・ネットウヨはごく少数なのですが、有本には「多くの人」「日本人の大半」となってしまい、今度は自分が彼らに成り代わって成敗してやるといわんばかりに、「放火」事件を引き起こしたというわけですねえ。 こんな罪を犯しても、「多くの人」「日本人の大半」は自分を理解し応援してくれると思ったのでしょうか。 (続く)

民族差別―総督府官僚だった任文桓の回想2022/04/19

 4月15日付の本ブログで、植民地下の朝鮮における民族差別の一つとして、下記のように給与差別があると論じました。 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/15/9481866

属人主義の差別として、給与差別を挙げることができます。 朝鮮では公務員の給与において、宗主国の日本人には6割の外地手当(加俸という)が出ました。 これは海外赴任手当のように見えますが、朝鮮で生まれ育った日本人でも朝鮮総督府に勤めればこの6割の手当が貰えたといいます。 同じように朝鮮で生まれ育っても朝鮮人にはその手当がないのですから、正に民族差別です。

 これの裏付けとなる資料として、任文桓『日本帝国と大韓民国に仕えた官僚の回想』(ちくま文庫 2015年2月)を再度紹介します。

 この資料のなかにある「バウトク」は任文桓の幼名。 바위 덕(岩の徳)の意で、この本では自称でこの名前を使っています。 また「昌平」は任文桓の友人の秋山昌平。 任と秋山は同じ旧制六高・東京帝国大学法学部を経て、一緒に高等文官試験に合格し、朝鮮総督府に赴任しました。 親友関係だったので、互いの給与を知っていました。 まずは赴任する際に支給される「赴任旅費」です。

東京から京城までの赴任旅費としてバウトクには70円が渡された。ところが昌平は60円も多い130円を貰った。(223頁)

ある日、六高の先輩である警務課長吉良喜重市が、彼(バウトク)の赴任旅費は値切り過ぎだと、学務課長に文句をつけた。‥学務課長は、本人が承知して受け取ったあとだからを理由に、増額に応じようとしなかった。 ‥‥勝手に金額を決めた‥(225頁)

 赴任旅費には担当官の裁量部分が大きかったようで、その際におそらくは朝鮮人だからという理由で旅費を少なく出したのでしょう。 担当官は、“それで本人が承知したのだから”と言い逃れしたということです。 こんなことを言われても、本人が納得できるはずもないでしょう。 次は「加俸(外地勤務手当)」と「宅舎料(住居手当)」です。

(朝鮮総督府で)バウトクの月給は75円であった。 ところが昌平のほうは、この金額の6割にあたる植民地勤務加俸なるものが上積みされ、その上に、宅舎料なるものまで加給されるので、昌平の給料は130円を上回った。 おかしなもので、バウトクのように日本で勉強して京城に家一軒持たない者には、加俸も宅舎料もくれないくせに、朝鮮で生まれ、そこで学校を終え、京城にある豪華な自宅から通勤する者でも、父母が日本人の原種でありさえすれば‥大手を振って加俸と宅舎料が貰えた。(223~224頁)

こうして出来た昌平とバウトクの月収の差は、たいそうなものだった。‥‥年の暮れに支給されるボーナスも、月収の何割で計算されるので、これにも二人の友人のあいだに大きな差が出来た。(224頁)

 「加俸」と「宅舎料」は、この資料に「朝鮮で生まれ、そこで学校を終え、京城にある豪華な自宅から通勤する者でも、父母が日本人の原種でありさえすれば‥大手を振って加俸と宅舎料が貰えた」とありますように、現地採用でも日本人(当時は内地人)でありさえすれば貰え、朝鮮人には貰えませんでした。 そして東京で採用されて朝鮮に赴任した場合でも、日本人は貰えて朝鮮人は貰えませんでした。

 つまり朝鮮人であるという理由だけで日本人よりも6割も給与が安く、住居手当もないという、明白な民族差別だったのです。 この収入の差は、職場での民族間に微妙な葛藤を生じさせます。

官界というところは、何と言っても月収の嵩が人品を決める標識となる世界であった。 したがってバウトクの下で働いている属僚(部下)でも、原種日本人でありさえすれば、月収は彼(バウトク)よりはるかに多く、彼(バウトク)が日本の名門学校で学び、特待生として優遇され、朝鮮の役人中には例がないほどに優秀な成績で高文(高等文官試験)に合格したと自負してみたところで、彼(バウトク)の部下である原種日本人どもは、鼻の先でこれをせせら笑っていた。(224頁)

かくして、年功序列の厳しい官界の仕来りは、内鮮人(内地人と朝鮮人)間においては完全に乱れ、彼(バウトク)の二年後輩の見習いまでが、彼(バウトク)の名を君づけで呼ぶようになった。(225頁)

 加俸だけで6割、それ以外に宅舎料まで差のある民族差別給与でしたから、朝鮮人が先輩・上司であれば、後輩・部下の日本人は「鼻の先でこれをせせら笑い」「彼(バウトク)の名を君づけで呼ぶ」ようになったということですね。

 また日本では、目下の者が目上の人を「君」付けで呼ぶのは今でも非常識とされます。 植民地時代の日本人と朝鮮人との間では、そういう非常識な関係になっていたのでした。 任が「原種日本人ども」と言いたくなる気持ちは、理解できます。

当時の朝鮮は13道に分割され、全羅北道、全羅南道、忠清北道、江原道の四ヶ道‥の中から二つを選んで、朝鮮人知事に割り当てた。 ところで日本人知事の下にある警察部長は、総督府に提出する書類には知事の決裁を仰ぐことに規定されていたが、朝鮮人知事の部下である警察部長には、その必要なしと定められていた。 馬鹿馬鹿しい話で、朝鮮人知事は部下である日本人警察部長が、自分はもとより他の部下のやっている仕事について、どんな情報を出しているのかいっこうに知らずにいるのである。(227頁)

自分のやっている仕事をくさしている(悪口を言っている)かも知れないこれらの情報は、日に何通となく、自分の首を抑えている総督と政務総監の目にさらされているのだ。‥こんなことが、いわゆる警察情報として‥公然たる行政制度として認められるとなると、驚くほかはない。‥‥内務部や産業部の連中も、(朝鮮人)道知事はそっちのけにして、警察の顔色ばかり気にしていた。(227頁)

 各道の警察情報は、日本人知事さんなら決裁を仰ぐが、朝鮮人知事さんなら知事決裁を経ずにそのまま総督府に送る、というのが制度的に決められていたのですねえ。 朝鮮人知事は自分の知らぬ間に、部下の警察官が書類を上級官庁に送っているのを黙認するしかなかったということです。 こうなると知事の下で働く役人たちは知事よりも警察の顔色を見るようになり、朝鮮人知事は知事としての立場がなくなるのは当然でしょう。 

 以上の実話を聞くと、当時の総督府に勤務する朝鮮人官僚たちは、よくもまあ我慢してきたことか!と感心しますね。 任文桓の本を読んで、日本の朝鮮統治は植民地支配であって、民族差別で貫かれていたことが分かります。

 また差別というのは差別する側では直ぐに忘れるが、差別された側はいつまでも脳裏に焼き付いているということを改めて感じました。

【拙稿参照】

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/06/9479114

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/11/9480573

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/15/9481866

朝鮮総督府における給与の民族差別 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/17/9411320

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660

植民地朝鮮における日本人の差別・乱暴 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/21/9413485

植民地時代のエピソード(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(3)2022/04/15

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/11/9480573 の続きです。

 当時の朝鮮人は日本の植民地支配を受けていたために、宗主国の日本人とは義務と権利において差別がありました。

 義務は、何と言っていても大日本帝国臣民であれば当然のことである納税・徴兵・教育の三大義務のうち、朝鮮人には徴兵と教育の二つの義務がありませんでした。(なお徴兵制は終戦直前の1944年に施行された) 義務がないということは、臣民としての地位が低かったという意味になります。

 権利は、植民地であるが故に制限がありました。 まずは参政権です。 朝鮮からは東京の帝国議会に議員を送ることはできませんでした。 なお参政権は属人ではなく、属地主義でした。 ですから朝鮮に住む人は、朝鮮人はもちろん日本人も参政権はありません。 また朝鮮人でも日本(当時は内地)に来れば参政権を与えられました。

 属人主義の差別として、給与差別を挙げることができます。 朝鮮では公務員の給与において、宗主国の日本人には6割の外地手当(加俸という)が出ました。 これは海外赴任手当のように見えますが、朝鮮で生まれ育った日本人でも朝鮮総督府に勤めればこの6割の手当が貰えたといいます。 同じように朝鮮で生まれ育っても朝鮮人にはその手当がないのですから、正に民族差別です。

 朝鮮人校長の学校に若い日本人教師が来て、教師歴20年のベテラン校長と新任教師との給与が変わらない、という話を聞きましたね。 それでも朝鮮人の教師たちは、じっと我慢したということでした。 植民地なのだから仕方ないと言うことは出来ます。 しかし朝鮮人であるということだけで6割もの給与差別があったのですから、今から見ても誉められた植民地支配ではなかったと言えます。 

 また朝鮮に帝国大学をつくったことを自慢する人がいるようですが、京城帝国大学の入学および教授任用で民族差別がありました。 京城帝国大学には、朝鮮人教授はいませんでした。 しかし植民地経営のための人材育成の大学だったと考えれば、教授は日本人教授ばかりで、学生数も成績に関係なく朝鮮人と日本人の割合が決められていたというのは納得がいきます。 つまり高等教育においても、植民地支配の論理が貫かれていたのです。 従って朝鮮に国立大学をつくったことは、今から考えてみるとあまり高く評価するほどのものではありません。

 また朝鮮戸籍と日本戸籍(内地籍)は、厳密に分けられていました。 朝鮮人は日本(内地)に戸籍を移動することが厳しく制限されたのです。 例外は、朝鮮人女性が日本人男性と結婚して男性側の戸籍に入ること、もしくは朝鮮人子弟が日本人の家に養子として入籍することぐらいです。

 日本では一家全体が他家の戸籍に編入してその家の氏を称する場合が可能(例えば、終戦時にA級戦犯だった東郷茂徳は幼少の時に一家が「東郷」家の戸籍に編入された)でしたが、植民地朝鮮人の家は宗主国日本人の家の戸籍に編入することができませんでした。

 要するに、植民地人が宗主国の人間になることを厳しく制限したということです。 ですから戸籍を見れば、朝鮮人か日本人かすぐさま判明しました。 そしてこのことによって権利・義務における民族差別が行なわれていたのです。 これ以外にも、当時の朝鮮に対する差別は探せばいくらでも出てきます。

 これらの差別を解消しようとしたのがいわゆる「皇民化政策」です。 植民地政府である朝鮮総督府は、朝鮮人を完全な「皇国臣民」たらしめる「内鮮一体」を推し進めて、朝鮮人と日本人との差異をなくそうとしたのでした。 この民族差別解消政策が、解放後“民族性を抹殺するものだ”と激しく批判されたのでした。

 差別を放置すれば人間として扱っていないと言われ、差別をなくそうとすれば民族抹殺だと言われる‥‥どっちにしろ、非難を受けるのでした。

 なお民族差別をなくす方向を目指した「皇民化政策」は、1945年の終戦=朝鮮解放により中途半端に終了したことを、念のため申し添えます。

【拙稿参照】

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/06/9479114

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/11/9480573

朝鮮総督府における給与の民族差別 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/17/9411320

植民地朝鮮における民族差別はもっと知られていい http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/10/9407660

植民地朝鮮における日本人の差別・乱暴 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/08/21/9413485

植民地時代のエピソード(3) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/20/9179083 

(追記 「東郷茂徳」について)

 東郷茂徳の先祖は文禄・慶長の役(豊臣秀吉の朝鮮出兵)の際に来日した朝鮮人陶工で「朴」を名乗りました。 明治になって壬申戸籍に登載されましたので、当初より日本国籍(内地籍)です。 朴家は西南戦争で敗れて貧窮した鹿児島士族から「士族株」を購入し、「東郷」を名乗るようになりました。 明治19年、茂徳5歳の時です。 朴家が東郷家の戸籍に編入したのです。 これは内地人同士に限り可能だったということですね。

東郷茂徳が名前を変えた理由 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/04/21/1453694

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(2)2022/04/11

https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/06/9479114 の続きです。

日本の朝鮮半島や台湾に対する統治は、実は、同じ時期に欧米諸国が行なっていた「他民族支配型」の植民地支配の在り方を詳しく研究し、これを模倣した結果だった‥‥ 例えば、台湾や朝鮮半島の教育制度の整備に当たった研究者であり、行政官でもあった幣原坦は‥韓国が日本に併合された1910年、欧米諸国においてその植民地における教育制度への調査を行ない、その後の朝鮮半島の教育制度の設計に当たった (86~87頁)

明治の日本人は、植民地への支配の在り方のみならず、全てにおいて西洋列強を模範とし、その経験をモデルとして自らの社会を作り上げていた。 そのような状況下で、朝鮮半島や台湾における支配の在り方だけが、西洋列強のそれと大きく異なるものとなることは、最初から考えられないことだったのである。 結果として、教育、法制度、経済等々の全てにおいて、日本の朝鮮半島や台湾における統治は、当時の世界のトレンド(趨勢)を忠実に追うものとなっていた。(87頁)

 日本は明治以来、先進国の欧米に学び、富国強兵に励みました。 日本の国造りのモデルは、あくまで欧米にあったのです。 ですから植民地支配でも欧米に倣うことは、ごく自然な流れでした。 つまり日本の朝鮮・台湾支配は大きくは欧米を見本として遂行し、そこに日本独自のやり方を少し加味したと言えるのです。 やはり“欧米諸国の植民地とは違う”という主張には無理があります。

植民地での経済開発は、19世紀後半以降の西洋列強の植民地支配の大きなトレンドであり、各国の植民地では活発なインフラ整備やプランテーションの設置が行なわれていた。 単純な収奪により利益を上げるのではなく、積極的な投資により植民地経済を大きくし、これによりさらに大きな経済的利益を獲得するのが目的である。(87~88頁)

単純な収奪による利益が一過性のものに過ぎないのに対し、投資を行ない、その経済の拡大により得られる利益は、持続性があり、将来に向けてさらに利益を大きくしていくことができるからである。 その結果こそが‥‥多くの植民地での急速な人口増加や、経済成長にほかならなかった。(88頁)

植民地における開発には費用がかかり、結果として、中央政府と植民地政府の財政的関係は、中央政府側の赤字になることとなった。 これまた日本のみならず、ほとんどの宗主国と植民地の間に見られた現象である。(88頁)

 ここは朝鮮近代化をどう考えるか、論争になる部分ですね。 鉄道・道路・港湾などの交通網整備や鉱山・水力の開発等々、日本は朝鮮を近代化しようと多額の資金を投入してインフラ整備を進めました。 これは欧米の植民地での近代化と軌を一にするものでしたが、植民地支配を受ける側からみれば、「そんなものは搾取・収奪でしかない、近代化の恩恵はなかった」となります。 

 国連が1960年に植民地独立付与宣言を出してから、植民地は不法不当であることが国際的な認識となりました。 それを契機に主にアフリカ大陸で多くの植民地が独立し、主権国家となりました。 搾取・収奪論ならば、独立すれば「搾取・収奪」が止むのですから、アフリカのこれらの国は豊かになるはずです。 しかし実際はそうならず、国は更に貧しくなり、治安が大いに乱れました。 果たして植民地の搾取・収奪論が正しかったのか、疑問になります。

 これは朝鮮でも同じでした。 1945年に日本の植民地から解放されてから、韓国では飢饉が訪れ不安定な国になりました。 もう一方の北朝鮮は経済破綻状態の道を歩み、ソ連や中国の支援がなければ立ち行かない国になりました。 日本の植民地支配が「搾取・収奪」であるなら、独立すれば朝鮮で生産された富は朝鮮内に留まって豊かになるはずですが、南北ともそうはならず、最貧国に数えられるようになったのです。

 韓国が経済発展して豊かな国になったのは、解放後15年以上も経った朴正熙大統領の時代からです。 ですからそれまでの15年間の韓国は国造りに失敗したと言えるし、またそれは1960年の植民地独立付与宣言以降のアフリカ諸国と同じだった、と評価できるでしょう。

 ところで、ここまでは木村幹さんの解説に説得力があり、私も賛同するところです。 しかし次の部分では、疑問を抱きました。

第一次世界大戦にいて多大な負担を強いられた西洋諸国では、植民地からの人的動員が行なわれ、多くの人々が兵士や労働者として動員された。 当然のことながら、動員を円滑にするためには、その対価として彼らにより多くの権利を与えざるを得ず、また宗主国人とともに戦い労働するために、現地住民への積極的な同化政策が行なわれるようになった。(89頁)

西洋列強において、軍隊では植民地出身の将校が出現するようになり、議会においても例外的な存在ながら、植民地出身の議員が登場するようになるのも、正にこの時代なのである。(89頁)

 「現地住民への積極的な同化政策」は疑問です。 第二次世界大戦時において、西洋諸国本国の白人たちが植民地住民である黒人や黄色人種たちを「同化」させようとしたのかどうかという点です。

 私の狭い範囲の知識では、当時の白人たちは有色人種と自分たちが「同化」して一つになるなんて思いも寄らなかったはずです。 果たして、白人の西洋諸国が有色人種の植民地に「積極的な同化政策」を行なったのかどうか、疑問を抱くところです。 

 「軍隊では植民地出身の将校が出現するようになり」は、ビルマがイギリスの植民地であった時代にそんな例があったようです。 ただ疑問があります。 戦場では軍隊は生死を共にするので、例えば戦線において上官が「突撃!」と叫んで最初に飛び出すと、続いて部下の兵士たちがその後に続きます。 しかし果たして植民地出身の有色人種の上官に、本国出身の白人部下たちが付いていったのかどうか。 

 日本の敗戦後、日本人は進駐してきた連合国の軍人たちを直接見ることになります。 その時の黒人兵士の処遇の話を聞いたことがあるのですが、黒人は白人と差別なく対等であったのか、つまり「同化」なんてあり得たのか、と思わざるを得ません。 すると西洋諸国が「(植民地の)現地住民への積極的な同化政策が行なわれるようになった」と、果たして言えるのでしょうかねえ。

 「同化」に対する認識の違いがあるのかも知れませんが、木村幹さんの記述に疑問を抱いたところです。

 なお日本人と朝鮮人は同じ黄色人種で、欧米の植民地の多くで人種の違いが際立つのと違っています。 この点で、日本の朝鮮植民地支配において「皇民化政策」を施行したのは、欧米と違った独特な部分と言えるのではないかと思います。

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/04/06/9479114

日本統治下の朝鮮は植民地だったのか(1)2022/04/06

 日本は朝鮮を植民地としていない、と主張する人がいます。 私が「植民地時代の朝鮮」と書けば、そのような反応をする人が少なからずいました。 そこで「植民地」についてうまく説明しているものはないかと探していたところ、木村幹『誤解しないための日韓関係講義』(PHP新書 2022年3月)の中に解説がありましたので、紹介します。

日本の朝鮮半島や台湾における支配は、植民地支配ではなかった、という主張がある。 例えばある人たちは、日本の植民地支配下において、一定の経済発展があったことを以て、その支配が植民地支配ではなかった、と主張する。 また他のある人たちは、朝鮮半島や台湾の人々に教育が与えられ、大学が建設されたことを以て、やはり日本の支配は植民地支配とは言えない、と力説する。 そこで強調されるのは、例えば、イギリスのインド支配や、オランダのインドネシア支配などとの相違である。(66頁)

植民地とは何であるかから考えてみよう。 最初に重要なのは、歴史上に登場する「植民地」には実に様々なものがある、ということである。 日本語の「植民地」という語は、英語のcolonyをはじめとする西洋諸語からの翻訳語であり、これらの西洋諸語の語源はラテン語のcoloniaにある(67頁)

日本が朝鮮半島を支配していた時期の日本人は、「植民地」についてどのように理解していたのだろうか。 当時の植民地問題の「専門家」「植民地政策学」研究者である京都帝国大学教授であった山本美越乃は‥‥ 植民地とは、法律上、本来の国土つまり本土から明確に区別され、異なる法律によって支配されている土地だ、ということである。‥‥ そしてそれは当然だった。 時代はすでに20世紀、植民地を有する列強はいずれも、程度の差こそあれ、近代的な法的枠組みを以て統治を行なっていた時代だったからである。(69~70頁)

重要なのは、植民地とは定義上「場所」だということであり、これと区別される「本国」とどう異なっていたかである。‥‥ その「場所」が本国と異なる状態に置かれているとしたならば、近代的な法的枠組みを持つ国家においてその理由は一つしかない。 それは「場所」に本国と異なる法律が適用されているからである。‥‥ 例えば、その「場所」に住む人々が国政に参与することができないような状況に置かれているとするならば、その理由はその「場所」における法律、例えば憲法や選挙法の適用状況が、本国と異なるからである。(70~71頁)

植民地を本国と分ける基準は、どのような法律が適用されているかであり、また適用されている法律を見れば、その「場所」が植民地か否かがわかることになる。(71頁)

 「植民地」は、その言葉の中に「地」という漢字がある通りに「場所」を指します。 それは、同じ国家領土内で本国とは違う法体系で統治される「場所」なのです。 そしてそこには経済的な「搾取」「収奪」は関係がないことを強調しておかねばなりません。

 例えば香港は1999年まではイギリスの植民地でしたが、1960年代から経済が発展し、90年代までには一人当たりのGNPが本国よりも高くなりました。 つまり本国の人間よりも植民地の人間の方が経済的に豊かになっていたのです。 「搾取」「収奪」された哀れな植民地ではありません。 それでも香港はロンドンの議会で制定される法律を適用されず、本国より任命される総督によって統治されていましたから、「植民地」と言うしかありません。 

 ところで日本が統治した朝鮮は、当初より最後まで日本本国から大きな財政援助を受けていました。 つまり赤字経営で日本側からの持ち出しばかりだったのですから、「搾取」「収奪」がなかったと言うことは可能です。 しかしだからと言って、朝鮮は「植民地」ではないと主張する人がいるのにはビックリです。

 朝鮮における行政最高権力者は日本首相ではなく朝鮮総督であり、東京の帝国議会で成立した法律は朝鮮には適用されず、朝鮮からは議会に代表を送ることが出来ず‥‥、正に「植民地」なのです。

(1930年代までの日本本国では)大蔵省においては、朝鮮総督府や台湾総督府、さらには樺太庁などの予算は一括して「植民地特別会計」という名のカテゴリーにまとめられており、これに勤務する官僚も「植民地」官僚と呼ばれていた。 施行される法令は「植民地」法令という形で一括され、整理されることとなっていた。 内務省はこれらの地域について『植民地要覧』あるいは『植民地便覧』を毎年発行し、朝鮮総督や台湾総督は、関東州長官と並んで「植民地長官」と呼ばれ、日本政府は‥これらを集めた「植民地長官会議」をも定期的に開催 (73~74頁)

 このように朝鮮において「植民地」は、当初はごく普通に使われていました。 ところが1930年代になって、「植民地」の代わりに「外地」という語が使われるようになります。

朝鮮半島や台湾に対して当たり前に使われていた「植民地」という表現が、突如として使われないようになり、代わりに「外地」が使われるようになった経緯については、実は日本政府自身による説明が存在する。 外務省条約局が1957年に出版した『外地法令制度の概要』によれば、その経緯は以下のようなものになっている(74~75頁)

外地なる呼称が情報されるにいたったのはそれ程古いことではなく、25年前の昭和4年(1929)、拓務省が設置された頃からであって、拓務省の前身で規模の小さな拓務局時代には殖民地あるいは植民地なる名称をもって海外領域あるいは異法域の代称とした。 ‥‥ 枢密院の審議に上程されたところ、拓殖は拓地植民を意味し‥統治上面白くない節があるとの理由で‥当然の帰結としてその所管地域についても使い慣らされた植民地なる称呼に替え、外地という名が慣用されるにいたったのである。(75頁)

つまりは、1930年代に入ってからの「植民地」から「外地」への用語の変容は、「統治上面白くない節がある」という極めて国内的なそして政治的な理由によるものであり、何かしらの統治の実態の変化を伴ったものではなかったのである。(76頁)

 1930年頃から「植民地」という言葉にはマイナスイメージが付くようになって「統治上面白くない」から、「植民地」を使わないようにした、ということです。 要は単なる言葉の言い換えでしかなかったのです。

 それがいつの間にか「日本は朝鮮を植民地にしたのではない」という主張になってしまったと考えられます。 言葉を言い換えても、植民地として中身は変わらなかったのですがねえ。

例えば、日本による朝鮮半島や台湾に対する支配の特殊性を、その支配下において大きく人口が増えた点に置く人たちがいる。 そこでは人口増加は、即ち、経済発展や衛生状況の好転の証であり、だから同じ現象がなかった欧米諸国の植民地支配とは異なるものだ、というのである。(80頁)

確かに、日本統治下の朝鮮半島や台湾で人口が増えたのは事実である。 それでは欧米諸国の統治下にあった植民地では人口が増えなかったのか。‥‥ 明らかなのは、程度の差は大きく異なるとはいえ、19世紀以降、欧米諸国の支配下に置かれた多くの地域でも、ほぼ等しく急速な人口増加が見られたことである。(81頁)

背景に存在したのは、西洋列強における資本主義と民主主義の発展であった。‥そこには本国の人々が自らの経済的利益のために、植民地経済の活性化を望む状況が存在し、だからこそ民主主義が根付き始めていた西欧各国政府は、有権者の期待に応えて、植民地への積極的な投資を行なった。 結果、この時期の各植民地では本国による「上からの」経済的刺激により、経済が活性化し、それにより人口も増加することになったのである。(81~82頁)

 要するに、19世紀末~20世紀前半に全世界的な資本主義の発展により、世界の植民地の経済も発展し人口も増えたのです。 植民地はそれまで資源略奪的経営だったものが、この時に開発投資して経済発展を図る経営へと変わったのです。 日本の朝鮮や台湾を植民地にしたのは、まさにこの時期に相当します。 日本の朝鮮・台湾は欧米諸国の植民地と歩調を合わせていたのですから、“欧米の植民地とは違う”という主張は成り立ちません。  (続く)