1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(2) ― 2023/03/25
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/21/9570847 の続きです。
(民族教育の弾圧は)戦後もずっと?
曺― もちろん。 阪神教育事件をご存知ですか? 日本がサンフランシスコ条約の発効で独立した1952年当時、在日同胞は朝鮮人連盟を結成していた。 朝連は、権益擁護団体であるとともに、民族教育団体で、地方自治体に公立の民族学校さえつくっていたんです。
― ところが日本政府は独立後すぐ、朝連設立の民族学校を全廃するように団体等規制令で朝連に命令してきた。 この命令に対し、阪神地区在住の同胞が大阪府庁などにデモをかけたところ、数百人の死傷者をだしたうえ、やはり数百人が検挙される事件になった。 そして民族学校は私立校か各種学校として認可されることになったのです。
ここで曺さんは戦後の在日の民族学校問題を取り上げていますが、もうビックリするほどのデタラメですねえ。 まずは朝鮮人連盟(朝連)の結成は1952年ではなく、1945年10月。 そして1949年9月に朝連は団体等規正令(「規制令」は間違い)で解散させられました。 1952年に朝連は存在していなかったのです。
また「公立の民族学校さえつくっていた」とありますが、実際は日本の公立小中学校の校舎や運動場を使って朝連が朝鮮人学校をつくったもので、「公立の民族学校」ではありません。 そしてそこでは法律に基づかないで、教員免状も持たない俄か朝鮮人教師が教壇に立っていたのでした。 だからGHQは1947年に日本政府に朝鮮人学校の全廃を命令し、日本政府はこれによって翌48年4月に朝鮮人学校を全面閉鎖したのです。
「民族学校は私立校か各種学校として認可された」のは、それまでの朝鮮人学校が公立学校の校舎と敷地で設立され、教育基本法等の法律に基づかない教育が行われたために閉鎖されたので、私立学校か各種学校として生き残らざるを得なかったからです。
一方で日本政府は、在日の人々の追放政策を進めた?
曺― ええ、在日同胞は、韓国が大韓民国になった48年まで、韓国と日本の国籍を持っていましたが、日本政府は多数の同胞を軽犯罪で引っ掛けて、韓国に強制退去させてきた。 独立後、日本は国際社会に仲間入りしたために、この政策は破綻しました。
ここでもビックリ。 在日は1948年まで「韓国と日本の国籍を持っていた」!!?? 国籍法の専門家で、こんなことを言っている人がいたのでしょうか。 正確に言うと当時の在日は、日本が1945年のポツダム宣言を受け入れたことによって日本国籍を喪失したので外国人登録されたが、日本に留まる限り日本人と同様に扱うとされました。
「多数の同胞を軽犯罪で引っ掛けて、韓国に強制退去させてきた」とありますが、間違いです。 軽犯罪で強制退去はあり得ません。 なお当時は韓国から密航による不法入国者が多かったものでした。 不法入国者は外国人登録証がありませんので、警察から登録証提示を求められた時に発覚して強制退去となります。 これを「多くの同胞を軽犯罪で引っ掛けて」としたのではないかと推察されます。 強制退去は軽犯罪ゆえではなく、不法入国ゆえであったことを忘れないでほしいですね。
「独立後、日本は国際社会に仲間入りしたために、この政策は破綻しました」とあります。 これはおそらく日本独立(1952年)以後、韓国政府は日本から強制送還される韓国人の受け入れを拒否する例が多くなり、強制退去命令が出ても日本に滞在するしかない韓国人が発生したことを指しているものと思われます。 それ以前はGHQの時代でしたから、米軍の強力な影響下にあった韓国では日本からの強制送還を拒めなかったのでした。
「強制退去政策は破綻した」というのは、韓国側の都合によって日本からの強制送還者を拒否したからであって、日本が「国際社会に仲間入りしたため」ではありません。
次が同化・帰化政策?
曺― そうです。65年の韓日条約で協定永住権が生まれ、同法は韓国籍か朝鮮籍(朝鮮民主主義人民共和国)に分かれたのは周知のことですが、日本政府の在日韓国人対策の基本は、日本人として生きる方が生きやすいという状況をつくる、つまり同化・帰化、あるいは抑圧・追放政策です。 外国人登録法や入国管理法で登録証に指紋を押させて、在日同胞に負の民族意識を植えつけ、差別を温存する。 これで覚醒するものも出てくるけれど、民族意識を持つものを弾圧し、負けた大多数を同化・帰化させる条件を整備していった。 それでもだめなら、追放する方針なんです。
日本政府は在日に対して差別・同化政策を行なっているという主張です。 当時はこれが大手を振っていて、日本政府は在日の民族性を奪う政策を行なっているとされていました。 在日は民族を取り戻すために本名を名乗り、韓国語を学び、日本の差別と闘う、そうやって民族意識を持って日本政府に対し闘うことが自分たちの使命なのだとなっていきます。
しかし当時の在日はすでに本国の韓国人との違和感が大きくなっており、また本国の韓国人たちも下手な韓国語をしゃべる在日を同胞扱いしませんでした。 日本政府は何も同化・帰化政策という努力をしなくても、在日の方から同化していたのです。 1980年代はそういうことが明らかになってきた時代だったなあと思い出されます。 曺さんの主張はそういう在日の現状に目をつぶり、日本政府を撃つことに重点を置いていたと評価できます。 (続く)
1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/21/9570847
1980年代在日韓国人活動家の考え方―曺功鉉(1) ― 2023/03/21
かなり古いことになりますが、1980年代の在日韓国・朝鮮人の活動家はどのような考え方をしていたのか、ちょっと気になって資料を探していたところ、『朝日ジャーナル』1985年1月25日号に韓国学生同盟(韓学同)の委員長だった曺功鉉(読み方は「チョ・ゴンヒェオン」とされている)さんのインタビュー記事を見つけました。
曺さんの経歴等は、次のように紹介されています。
1962年名古屋生まれ。中央大4年。 韓学同は、在日韓国人の権益擁護と韓国の民主化、統一を目指して活動している純粋学生組織。曺氏は1月初めまで委員長だった。
『朝日ジャーナル』記者は、インタビュー記事の冒頭に次のような解説を書いています。
在日三、四世の地道な政治、文化活動が、このところ盛り上がりをみせている。 突出したところでは、各地のお役所での大量指紋押捺拒否。 〝おとなしい″とされる二世に代わって、これら運動の主役になり始めたのである。 その特徴は運動だけにあき足らず、「在日」を生んだ日韓の文化の歴史的特性を改めて問うこと。 その一翼を担う韓国学生同盟の前委員長・曺功鉉氏に、「在日」の痛みについて聞いた。
二世は「おとなしい」が、三・四世が運動の「盛り上がりをみせている」という世代論には、へー!そうだったのか?とビックリ。 私は、在日社会は本国と切っても切れない一世が高齢化して1970年代には現役を退き始め、80年代に代わりに二世が活動の主役となって本国志向から日本志向へと変わっていった、指紋押捺反対運動もこの延長線上にあった、と思っていました。 しかし『朝日ジャーナル』はこの時期において、二世は「おとなしく」、三・四世が運動の主役を元気に担って「盛り上がっている」としています。 私の体験・認識とは違っているので、ちょっとビックリしたわけです。
次にインタビューの内容です。
あなた方若い在日韓国人は、祖国の文化を継承すべく、どう活動していますか。
曺― 理念的にはふたつ。ひとつは日帝支配で奪われ、失ったものを奪い返し、克服して、精神的に自分たちが解放されるような運動です。 具体的には母国語習得のほか、祖国の芸能に触れ、踊りを踊るとか‥‥。 もうひとつは、日本にいるものも本国にいるものも、日本人に韓国が理解される状況をつくるよう努力することです。
― 例えば、信楽焼、薩摩焼、有田焼などは、朝鮮の陶工が日本に伝えたものですね。 こんな初歩的な歴史でさえ、日本人は知っている人はごく少数です。
― 私たちは、自分たちの存在証明に、韓国語の習得を挙げていますが、NHKの韓国語講座に疑問を持つ、と先程いったのは、もう一つ引っ掛かりがあるからです。 それは、民族教育が弾圧されているからです。
活動の理念は二つ。 ひとつは「日帝支配で奪われ、失ったものを奪い返し、克服して、精神的に自分たちが解放されるような運動」。 当時の言葉で、〝民族を取りもどす″ですね。 具体的には韓国語を勉強して、民族の伝統的芸能を学ぶこと、と言っておられます。
私の周りの在日では、特に若者にとって韓国語はいくら民族を取り戻すとはいえ生活に役に立たない外国語と同じで、中途半端に終わる人が多かったですねえ。 なかにはハングルを見ただけで拒否反応する在日もいました。 伝統芸能も、こんなものは一度見れば十分、自分からやろうと思わないと、これまた拒否反応する若い在日が多かったです。
もうひとつは、日本人の韓国理解を挙げています。 具体的には「信楽焼、薩摩焼、有田焼」は朝鮮人陶工が伝えたことを日本人は知らないから、知ってほしいということです。 このうち薩摩焼と有田焼はその通りですが、信楽焼は朝鮮人陶工が伝えたものではありません。 信楽焼は元祖が鎌倉時代ころに常滑焼から入ってきたものであって、朝鮮は何も関係ありません。
信楽焼が中世から続く日本の伝統窯であるということは、陶磁器にちょっと詳しければごく当たり前の知識です。 しかし曺さんは信楽焼が朝鮮陶工の伝えたものであることが「初歩の歴史」でほとんどの日本人は知らないと言い切っていますから、唖然とするところです。 (続く)
金達寿の思い出―祖母の反日話 ― 2023/03/15
在日朝鮮人小説家であり古代史研究家であった金達寿。 彼は日本において韓国や朝鮮に関心が非常に薄かった1958年に岩波新書から『朝鮮―民族・歴史・文化―』を刊行しました。 これが1970年代初めまでの日本における韓国・朝鮮の唯一と言っていい入門書でした。 また1970年代から『日本の中の朝鮮文化』というシリーズものの古代史本も出していました。 在日朝鮮人として超有名人だったのですが、25年前に亡くなっておられます。 今の若い人では知らない方が多いでしょうねえ。 関心のある方は検索してください。
彼には自叙伝として中公新書『わがアリランの歌』(昭和52年6月)があります。 ところで、そこには載っていない思い出話を見つけましたので紹介します。 『朝鮮研究 月報 第7・8月合併号』(1962年8月 日本朝鮮研究所)にあったものです。
私自身のことをお話しますと、私は1930年に満10才で日本に来たのですが、その数年前に両親や兄弟は日本に来ていて、僕とおばあさんと2人だけ故郷に残って日本からの仕送りで暮らしていた。 その間7~8才の頃ですが、色々聞かされたおばあさんの話に忘れられないものが多いんです。 その中で日本人についての話は、甚だ面白くないでしょうが、日本人は「夷狄」であるという考え方です。 無知なおばあさんですが、小中華意識から「倭人」を見ているんです。 日本人のことをみな「ワエノム」(倭奴)と呼んでいました。 その「ワエノム」に国を盗まれて‥‥というわけです。
日本人は飯を皿に盛って箸で食う野蛮な連中だという話がありました。 これは、数時間もっておいても暖かい鍮器の器で、匙を使うのが原則、箸はおかずをつまむものと考えている朝鮮人の感覚からいうと、まずいことです。 それには、昔、日本人が朝鮮人に「我々もあなた方のように白い飯を食おうと思うが、どんな器を使いましょう」とお伺いをたててきたので、お前らのようなつまらん奴は皿ででも食ったらよかろうと言ってやった、それでそうなったのだというような説明がありました。 もっとも皿というので私は小皿を想像していたのですが、日本に来てみると茶碗のことだったが。
それからまた、何か被りたいがとも聞いてきたので、ポスム(靴下)でも被れと教えてやったら喜んで被っているというのもあった。 烏帽子のことですが、なるほど形が似ています。 このような話は壬辰の役(秀吉の朝鮮出兵)などの時に愛国心を高揚するためにもできたのでしょうが、とにかく庶民の意識の中にそういうものがあって、その話を子供に語りきかせるので、自然にそういうイメージができていく。
そして近所の子供同士でも日本人は人食い人種だぞと言い合うわけです。 僕の村のそばの中里という駅の前に日本人のお菓子屋さんが一軒だけありましたが、「あそこの日本人は生首を塩漬けにして部屋の中においている。日本人はそういうことを平気な野蛮な人間だ」ということで、朝鮮人の村の子がそのお菓子屋に入って食べることはありませんでした。(以上 2~3頁)
朝鮮人が日本人に対して有する侮蔑的意識は、へき地農村といえるような所でも口伝で代々受け継がれてきたようです。 紹介した話は100年も昔の1920年代植民地時代に金達寿がお年寄りから聞かされたものですが、そのなかにある日本への侮蔑的意識が現在の韓国・北朝鮮での反日に繋がっていると言えるのかも知れません。 ですから朝鮮半島の現在の反日は古来から受け継がれてきたものであり、解放後はそれぞれの政府で増幅されたと考えられるでしょう。
これ(日本に対する侮蔑)は、日本を小中華意識のメガネでみていたということですが、日本は(朝鮮人の)封建的儒教意識・慣習を支配の手段として温存しなければならなかったため、同時に皮肉にも夷狄意識も温存されたわけです。
日本は朝鮮を植民地支配した時、統治をスムーズにするために朝鮮人の旧来の「封建的儒教意識・慣習」を支配の手段として利用した、だから日本人を侮蔑する「夷狄意識」が温存されたというが金達寿の考え方ですね。
ここは何とも言えないところです。 日本は「封建的儒教意識・慣習」を利用したのではなく放置した、と私は考えるのですが、どうでしょうか。
私はその後日本で学校を出て、1940年代になってから京城に就職していったわけですが(小・中学校教育から日本で受けて卒業してから京城へ行くというのは、普通とは逆のコースでした)、驚いたのは京城の町では、農村と違って瓦屋根と高い厳重な塀で内部をうかがい知れない建築構造になっていることです。 これを、一緒に下宿していた金鐘漢という詩人は徹頭徹尾「ドロボウ」を防ぐためと主張していましたが、ともかく、外へ出て役所に行く時などは日本人とも話をするが、塀の中では他者をよせつけず、李朝時代のまま生活を続けていました。
「瓦屋根と高い厳重な塀で内部をうかがい知れない建築」というのは朝鮮人のお金持ちの家のことで、おそらく京城に住む不在地主でしょう。 その金満家では、古くからの伝統をそのまま受け継いだ家庭が営まれていたのでした。 戦後(韓国では光復後)、韓国でも日本同様に農地解放が施行されましたので、不在地主は消滅しました。 「不在地主」なんて、今はもう死語ですね。
ところで、みなさんは朝鮮人というと在日朝鮮人によってイメージをもたれると思いますが、在日朝鮮人について考えねばならないことは、玄界灘を裸一貫で渡ってきた連中は、多くは農民だが、故郷を出るとき、恥や外聞というか小中華意識・東方礼儀の国の国民という意識を故郷にあずけて日本に来たということです。
日本で働いてもうけたら早く故郷に帰り、取られた田畑を買い戻すという考え方が殆どでした。 2世、3世などの場合はともかく、少なくとも1世の我々世代の親達の世代の場合は。 だから意識も非常にプライドがあり、閉鎖されたものがあって、朝鮮の農民の意識とそう変わりがないと言えます。
金達寿によれば、朝鮮人農民は植民地時代に日本に出稼ぎに来て「小中華意識・東方礼儀の国の国民という意識」から一旦は離れるのですが、やはりいつかは故郷に帰ると考えていたので、その意識は変わらなかったということです。
基本的な朝鮮人の意識は統治期間を通じて変わらなかったと言えます。 逆説的に言えば、日本がもっと近代的な仕方で統治したら民族意識を減殺されたのではなかろうかとも言えます。(以上 3頁)
日本は植民地統治のなかで朝鮮の古くから牢固としてある民族意識を変えられなかった、しかし近代的な統治をしていたらそういう民族意識は減殺されただろう、というのは金達寿の見解ですが、どうなんでしょうねえ。 私は近代的な統治をしても、民族意識というものはなかなか変わるものではないと考えているのですが。
【拙稿参照】
金達寿さんの父が渡日した理由 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/12/24/1044999
金達寿の「族譜」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/10/08/5392903
伝統的朝鮮社会の様相(2)―両班階級 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/09/05/9149522
古田博司 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(3) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2014/03/21/7250136
「韓」という国号について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/05/14/7633517
左翼人士の性犯罪に思う ― 2023/03/11
日本共産党の地方幹部が女子トイレで盗撮してこの1月に逮捕された事件があり、さらにこの人が女子大生の自転車に体液を付けたこと等で8日に再逮捕されたというニュースがありました。 https://news.yahoo.co.jp/articles/b33d6cf43dbd81ee8a3eaf53cd6c082de6e0aada
常習犯のようですから、余罪がかなりあるでしょうねえ。 本来人権に非常に敏感であるはずの左翼・革新系に性犯罪が意外と多いというのは、拙ブログ・HPでもかつて何回か取り上げました。
ですから私には、またか、右も左も同じ穴のムジナ、左の方は「人権」を呼号するだけに罪が重いと言えるだろう、という感想です。
そういえば韓国でも、人権派弁護士としてセクハラ問題等に取り組み、ソウル市長にまで登りつめた人が、実は女性秘書に悪質なセクハラを続け、告発されたとたんに自殺したという事件がありましたねえ。 また民主化闘士として有名な詩人なんかも、トンデモないセクハラをしていたことが明らかにされています。
ここで思い出すのは「任錫均」です。 1960年代後半に韓国の朴正煕軍事政権から弾圧を受けたとして日本に密入国し、大村入管収容所に収容され、特在だったかで釈放されていたように記憶しています。 その時に彼は韓国の軍事政権と癒着する日本の自民党政権を糾弾する闘士として登場し、日本各地で講演を繰り返し、彼を守る運動が繰り広げられ、彼はまるで英雄みたいな扱い受けていました。 実はこの任錫均が大の女たらしで、支援団体に参加する若い女性をそれこそ次から次へと犯していくのでした。 しかし反体制組織内のことでしたから、警察沙汰になることはなく、つまりは女性側が泣き寝入りするしかなかったのでした。 もう50年以上も昔の話ですが、これを思い出します。
こういう類の事件は昔から内々の出来事として処理されてきたのですが、最近になって報道されるようになったという印象を持ちます。 しかし日本でも韓国でも報道されるのはごく一部でしょうから、表面化しなかった事件は今でもかなり多いだろうと推測できます。 下記をご笑読いただければ幸い。
【拙稿参照】
活動家によるレイプ事件考 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/03/07/2708813
それは泣き寝入りではなく自殺だった http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/19/5296007
解放運動の「強姦神話」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2007/07/28/1685192
人権派ジャーナリストの性暴力事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/02/01/9031087
暴力にみる民族的違和感 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai
相次ぐ有名人の性暴行事件 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/12/29/9194983
韓国Me too運動の記事 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/05/9231706
Me Too:韓国を揺るがす著名文化人のセクハラ暴露 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/02/28/8795521
韓国民主化世代の性犯罪 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/07/30/9273345
50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(3) ― 2023/03/05
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/01/9566196 の続きです。
朝鮮についていうならば、日本人向けの朝鮮人の言葉(それはほとんど批判になりますが)が多くなればなるほど、日本人の〝応援団″が増えるということになります。‥‥
このことは、われわれ日本人の倫理的脆弱さと表裏をなしています。 前述のカッコ付き反省にもとづく偽善的かつ感情的な「完全悪」のタテマエから発する非主体的態度です。 朝鮮のことは朝鮮人のお墨付きがなければ何も言えない――逆にお墨付きを得れば「連帯」などという言葉をかかげて、居丈高に他を攻撃するといった姿勢です。(以上 144~145頁)
朝鮮問題で、日本人側は「朝鮮人のお墨付きがなければ何も言えない」という風潮は強固にありましたねえ。 〝朝鮮人は上位、日本人は下位″という立場は絶対的でした。 そして日本人は「朝鮮人からお墨付きを得れば『連帯』などという言葉をかかげて、居丈高に他を攻撃する」。 俺にはバックに在日様がおられるのだぞ、という心理状態ですね。
日本人の反朴運動の集会などで、よく「私は今まで朝鮮について何も知りませんでした。 それを恥ずかしく思い、これからは皆さんとともに学び、皆さんとともに闘いの列に加わっていきます」といったことが語られ、それに万雷の拍手が沸いたりします。 何も知らなかったことの告白が、これほど昂然となされ、それが良心の証しとなるようなことは、朝鮮問題についてだけではないか‥‥(147頁)
「反朴」の「朴」とは、当時の韓国大統領であった「朴正煕」のこと。 日本各地では、軍事ファッショの朴政権に反対する集会がたくさん開かれていたものでした。 そういう集会に日本人がマイクを持って「私は朝鮮について何も知りませんでした」と言って、それが「良心の証し」だと歓迎される、そんな時代でした。
(在日朝鮮人の)若者たちは、おのれが誇りをもって生きる道を模索しているにもかかわらず、提供されるのは、日本―朝鮮の「関係」ばかり‥‥なぜこうも日本人が、朝鮮人にとってエッセンシャル(必要不可欠)な存在のように立ち現われなければならないのか――というのが小生の疑問です。(149頁)
上述したように、〝朝鮮人が上位、日本人は下位″という立場の中でのみ、朝鮮問題や在日問題が語られたのでした。 つまり朝鮮人は日本人との関係のなかに自らの民族的アイデンティティがあるということです。 別に言えば、韓国・朝鮮人は日本人がいてこそ、初めて自分の優位さを誇ることができるということになります。
在日や朝鮮問題の集会・講演会などで、在日活動家がマイクを持って「日本は昔こんな悪いことをした」と延々と喋るという場面がよくあったものでしたが、これを思い出しますね。 そういう過去の歴史を持ち出すことによって日本人たちをひれ伏させ、自分たちの優位さを確認して満足するという姿でした。 また在日活動家が自分に寄り添ってくる日本人に向かって、「差別者であるあなたは‥‥」「あなたたち日本人は昔悪いことをしたのだから‥‥」と言うのもしょっちゅうだったのです。 こういう在日にとっては一時的な優越感で、刹那的な快感だったろうと思われます。
このような韓国・朝鮮人と日本人との間の上下関係は、現在までも引きずっていると言えます。 田中明さんは在日問題に関わる運動の状況を正確に見通していたと考えます。 (終わり)
【田中明に関する拙稿】
「通常‐両班社会」と「例外‐軍亊政権」―田中明 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/07/9497623
「例外」が終わり「通常」に戻る―田中明(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/06/14/9499717
50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/25/9565241
50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(2)http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/03/01/9566196
50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(2) ― 2023/03/01
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/25/9565241 の続きです。
田中明さんは、朝鮮問題に関わる日本人が「朝鮮に対する偏見に満ちている」自分に気づき、「罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉」「偏見を打破しようとする正義の言葉」「驚くほどの朝鮮讃仰の言葉」を発する、そんな姿があったことを明かしました。 これは当時を知る私には、全くその通りと言うほかありません。 こんな言葉を聞かされた在日は、
「それは日本人のどうしようもない体質だ。 それが気になるのなら、お前たちで改めろ。 われわれに言ったところで仕方があるまい」とおっしゃるかも知れません。 だが在日朝鮮人の側に、そうした日本人の性急ないい子ぶりと、なじみ合っているのではないでしょうか。
これもその通りだったと言うほかありません。 在日は自分たちが日本から差別されていると告発し、日本人はただ頭をうなだれ恐縮してそれを拝聴する、これこそが日本人と在日との連帯だと言われていたものでした。 「日本人の性急ないい子ぶり」という表現は、言い得て妙ですね。
日本人の他のアジア民族に対する反省というものは、他のアジア人から「よく思われたい」という少女趣味的道義論のレベルをでていない、と小生には思われます。‥‥ 誰も他のアジア人が100パーセント聖なるものとは思っていないのに、相手からよく思われたいために「彼は完全善、我は完全悪」という〝反省″一辺倒の言葉が乱舞しています。 そこには、彼の是非と我の是非とを対置させて論ずるときの、対等の相手との間に醸し出される緊張がありません。
当時は日本の革新・左翼人士たちは「アジア人民との連帯」を叫んでいました。 彼らが「アジア人から〝よく思われたい″という少女趣味的道義論」であるとする田中さんの表現は、成程と思います。 これも言い得て妙です。 なお「少女趣味」というのは、今では女性差別だと批判を受けるかも知れません。
当時、被差別者とされる在日韓国・朝鮮人の活動家は日本人を差別者と糾弾し、反省と謝罪を要求していました。 それに対して一部の日本人からは「『彼は完全善、我は完全悪』という〝反省″一辺倒の言葉が乱舞」していたという実情は、確かに存在していました。 差別者である日本人は被差別者である在日に対し、〝私たちが間違っていました″と謝罪して限りのない反省を約束する、こういう人間関係を目標としていたなあと思い出されます。
このような「被差別者を善人、差別者を悪者」とする人間関係は、在日韓国・朝鮮人だけでなく部落やアイヌ、障害者等の問題においても要求されていました。 私はこれを「被差別正義」と呼びましたが、これは今でも日本社会の一部に強固に残っていますね。 (続く)
【拙稿参照】
50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/25/9565241
被差別正義 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/08/06/5270853
パク・チョンスで見る韓国人の考え方―『中央日報』 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/10/06/9531169
50年前から続く在日と日本人との関係―田中明(1) ― 2023/02/25
今から50年近く前の1975年2月、韓国・朝鮮を論じる『季刊 三千里』という雑誌が発行されました。 その創刊号に田中明「『敬』と『偏見』と―『季刊三千里』の創刊によせて」と題する一文があります。 田中明さんは、1970年~2000年代初に韓国に関する論考や本を多数書いている朝鮮文学研究者として著名でした。 しかし今では忘れられた存在ですね。
このたび『三千里』創刊号にある彼の論考を読み返してみて、在日韓国・朝鮮人の問題がこの50年の間変わっておらず、田中さんの主張が今でも通じるというか、色褪せていないことに驚きを感じました。 一部を引用して紹介しながら 私のコメントを挟みたいと思います。
在日朝鮮人の文筆家‥‥今まで在日朝鮮人の書いてきたものは、あまりに日本人向け、日本人だけ(!)向けに過ぎなかったのではなかったか、という気がします。 こんなことをいえば「日本社会に朝鮮に対する偏見が偏在しているのを、お前はどう考えているのか。 それが改まらない現在、何をおいても日本人に反省を求め、真の朝鮮を知らしめる文字が必要である。 日本人の偏見が改まれば、われわれの子孫である二・三世も幸せになれるはずだ。‥‥」と言われるかも知れません
確かに日本人の間に朝鮮に対する偏見が満ち満ちていることは、いかにも日本人が強弁しようとも事実であり、日本人の最大の恥部です。 そこに朝鮮人がきびしい批判の矢を射込むことは当然であり、われわれ日本人は、それを避けてはならないでしょう。
現状はどうでしょうか。 マスコミなどで小生が目にすることのできる日本人の朝鮮論は、罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉や、偏見を打破しようとする目覚めたものの正義の言葉が溢れています。 ときには驚くべきほどの朝鮮讃仰の言葉がつらねられています。 これほど偏見に満ち満ちた社会に、これほどの朝鮮の〝味方″の文字が満載されているとは、どう考えても小生には異様です。‥‥(以上 144頁)
日本社会における在日韓国・朝鮮人への差別は、1970年代までは今では想像もできないほど厳しかったです。 ですから1975年の論稿に「日本人の間に朝鮮に対する偏見が満ち満ちている」とあるのは、そういう事実は確かにあったと言わざるを得ないところです。
一方、その当時は部落差別反対運動の影響で朝鮮差別に反対する運動が盛り上がり始めていて、「日立闘争」という在日朝鮮人の就職差別に反対する運動や、金達寿などの「日本のなかの朝鮮文化」の活動も活発になっていた時期でした。
そんな運動が活発化するなかで、この運動に参加する心ある日本人からは「罪意識にさいなまれた深刻な反省の言葉や、偏見を打破しようとする目覚めたものの正義の言葉」 「ときには驚くべきほどの朝鮮讃仰の言葉」が出てくるようになります。 そしてこのような日本人が「良心的」だと評価されていたものでした。
しかし田中さんはこれに対して、「これほど偏見に満ち満ちた社会に、これほどの朝鮮の〝味方″の文字が満載されているとは、どう考えても異様」だと言います。 この「異様」さというのは、「偏見に満ちている」日本社会に対して、「朝鮮の味方」の日本人が反対を唱えている有り様を言っています。 つまり朝鮮とは直接関係のない日本人が「朝鮮の味方」となって、「偏見に満ちた」日本社会を批判するという反体制運動が「異様」であると、冷静に論じていきます。
彼はこの冷静さゆえに朝鮮問題に関わる活動家(反体制側)からは無視され、時には反発の声が上がっていましたねえ。 「田中メイとかいう奴」なんて言われていました。 (続く)
京都高麗寺の国際霊園 土葬墓地 ― 2023/02/20
昨日(2023年2月19日)のYahoo Newsに、「『死んだら国籍も民族も関係ない』 99.99%が火葬される日本で、京都の寺が土葬を受け入れる理由とは」と題するドキュメンタリーが公開されているのを見つけました。 https://creators.yahoo.co.jp/shimadatakuya/0200398765
場所は京都府相楽郡南山城村にある高麗寺(こうらいじ)です。 高麗寺は「こまでら」と読めば飛鳥時代の有名な寺跡ですが、「こうらいじ」と読めば1978年に創建された韓国系の寺院を指します。 宗派は曹渓宗です。
「曹渓宗」は日本では馴染みがないですが、韓国では最大の仏教宗派で、ソウル中心部に本山があります。 皆さまには韓国旅行に行ってソウル市内を歩きまわった際に、曹渓宗本山を見た方は多いでしょう。 高麗寺の姉妹寺に当たる普賢寺(大阪市)が韓国から来日する曹渓宗僧侶たちの拠点になっているという関係ですが、韓国曹渓宗の末寺ではないようです。 高麗寺は宗教法人化されていて、「曹渓宗総本山高麗寺」となっています。
この高麗寺は、土葬ができる霊園を経営しています。 国籍・民族・宗教・信仰に関わらず、すべての土葬を受け入れています。 https://www.dosoukyoto.com/
イスラム教徒はその宗教的信仰から土葬を切に望んでいるのですが、日本には土葬できる墓地が余りに少ないので、かなり苦労していますね。 ですからイスラムを含めすべての宗教に関わりなく土葬を受け入れる高麗寺の事業は、たいへん貴重なものです。
高麗寺の代表役員の崔柄潤さん(82)は、自分の子供の時のことを次のように振り返っておられます。
在日韓国人2世の崔さんは、子どものころは母親が持たせてくれた弁当箱を隠していた。 弁当箱を包んでいた新聞紙のハングルを見られるのが恥ずかしかったからだという。 就職活動では、学科試験を優秀な成績で通っても韓国人であることを理由に採用されなかったことがある。 担任の教師には「韓国籍のままではお前の能力が正当に評価されずもったいない。 早く帰化しろ」と熱心に勧められたが、それはできなかった。 「帰化してしまうと、自分自身に敗れたような気がして、どうもプライドが許しませんでした」と崔さんは振り返る。
82歳、この年代の在日は全員と言っていいほどに同じような体験をしていますねえ。 そしてこの被差別体験が
過去に差別を受けた人間が、今度は誰かを差別しようなんて考えたらダメなんです。 だからこそ今、差別を受けている人の助けになれればと思った
として、土葬地に困っているイスラム教徒に手を差し伸べる‥‥、私なんかは胸が熱くなりますね。
日本ではほんの数十年前までは、土葬が普通に見られました。 私の体験では30年ほど前に、家から車で20分くらいの地区で土葬行列を見たことあります。 僧侶が先導し、桶棺をロープで縛り丸太棒を差して二人が担ぎ、家族が棺を囲み、親戚や地区住民たちが行列をつくって土葬地に向かうところでした。 亡くなったおばあさんが〝死んだら土に返る、火葬は返れないから絶対に嫌だ″という遺言で土葬となった、これがこの地区の最後の土葬だろう、という話でしたねえ。
今では火葬が普及するにともなって土葬へのタブー視が強くなり、差別的な目で見るようになったそうです。 そのためにイスラム教徒たちが墓地に困っているのですねえ。 日本もかつて土葬が当たり前の時代があったことを思い出せば、そんな差別的にしなくてもいいのに、と思うのですが‥‥。 だからこそ高麗寺の取り組みは貴重と考えます。
土葬と火葬について、拙稿で取り上げたことがありますので、ご笑読くだされば幸甚。
韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人 ― 2023/02/14
今度は在日韓国・朝鮮人について昔に書いて、未公表だった原稿です。 内容は具体的に在日と接したことのない日本人には抽象的すぎて、理解できないかも知れません。 具体例はこれまでの拙HP・拙ブログに書いてきましたから、それをご参照くだされば幸いです。 なお今回発表するに当たり「ですます」調に直しました。
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民族差別と闘う運動を担っていた在日活動家が、「私は韓国人でもなく日本人でもなく、在日です」と自称するようになったのは1970年代からだったと思います。 それは、総連・民団という在日を代表する公的組織が本国との繋がりを重視して本国の在外国民(公民)としての自覚を求める本国志向だったのに対し、日本での生活を重視して日本国内の差別を告発する日本志向でした。 つまり本国志向から日本志向への転換を宣言したものでした。
これは、一世が若くして来日し必死に働いてきたがいつかは懐かしの本国に帰りたいと思う一方、二世以降は生まれ育った日本から離れたくないという世代間の意識の違いであり、従って世代交代とともに必然的に起きる現象だったとも言えます。
このように二世以降は日本志向となったのですが、だからといって日本人ではありません。 自分は日本人ではなく韓国・朝鮮人だという意識は当然ながら持ちつつも、実際に本国韓国人と出会って受ける大きな衝撃と違和感(例えば、下手な韓国語をバカにされる)によって自分は韓国人ではないという意識も生じます。
1990年6月1日付け『朝日ジャーナル』の「<民族>と<帰化>の狭間に揺れる―日本人に〝見えない″青春」という記事の中で、金明美さんという二世(21歳)が次のように発言しています。
姉に誘われて(民団)青年会に行き始めた。 高卒後、韓国に留学して韓国語を勉強。最大の収穫は、在日同胞の友だちがたくさんできたことだ。 本国の人からは、韓国語をしゃべれないからと、日本人扱いをされた。 〝私たちは日本人でもないし、韓国人でもない。 在日韓国人なんだ″という思いが強まった。(94頁)
一世と二世以降の世代論で言うと、一世は外国人意識が濃厚であるのに対し、二世以降は外国人意識が希薄だということです。 そしてこれは、いつまでも本国志向にとらわれている在日一世に対する二世以降の批判であり、逆に一世からは二世以降が日本に同化して嘆かわしいという批判となります。
しかしやがて一世は高齢化とともにその存在感を失っていき、在日社会は二・三・四世が主役となって日本志向へと変化したのでした。 1990年代以降、二世以降の在日で本国に帰りたいと考える人は皆無とは言えませんが、ほとんどいないでしょう。 あれほど本国志向だった総連系人士も、このまま日本で暮らして骨を埋める決意をし、お墓を日本国内に準備するようになりました。
在日の日本志向は止まることはなく、この日本が他人の土地ではなく自分の土地という意識になりました。 彼らは外国人(韓国・朝鮮籍)であっても外国人意識に欠け、中身は全くの日本人になっていきました。 こうなると日本国籍の取得=帰化への拒否感が薄れていきます。
日本の植民地支配に由来する在日(在留資格は特別永住等)は以上のような経過を歩みつつあるのですが、一方で近年に来日して定着した韓国人、いわゆるニューカマーが多くなりました。 彼らは本国で生まれ育ってからの来日ですから、本国の親族・親戚としょっちゅう交流しており、まさに一世です。
ですから今の在日社会では、昔から続いてきた在日の二世以降と、近年のニューカマー一世とが具体的に接触することになります。 そこでは同じ韓国人なのに全然違うという緊張感が漂うのを否定するわけにはいきません。 それは在日も韓国人だと考えるところから生じる緊張感です。
在日はニューカマーに会う時、自分は韓国語のできないパンチョッパリ(半日本人という意味の侮蔑語)だと名乗るか、あるいは在日であることを隠すかをするのがいいようです。 またニューカマーの方も、韓国人なのに韓国語ができない在日に対する苛立ちを見せることが多いのですが、それは在日が日本人なんだと思い込むことで解消するようです。
在日はもはや韓国人ではなく日本人であるとすることが実態に即しています。 従って在日は日本への完全同化の方向に向かっており、将来消滅する運命にあることは否定できないでしょう。
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以上は昔に書きためておいたものです。 ところで2023年2月10日付け『中央日報』に「【グローバルアイ】ある在日の遺言」と題する記事がありました。 在日作家の絵画を長年にわたって収集してきた河正雄(ハ・ジョンウン)さんの話です。 https://www.joongang.co.kr/article/25139606 (日本語版は https://japanese.joins.com/JArticle/300855) この記事の中で次のような記述があります。
日帝強占期と戦争、つらい屈曲の時間を韓国人でも日本人でもない在日として生きてきた彼は‥‥
この文は「中央日報」のキム・ヒョンイェ記者の地の文です。 本国韓国人である記者が在日同胞を「韓国人でも日本人でもない」と表現したところに目が行きました。
かつて本国韓国人は在日を見て、韓国語ができず、またあまりに日本的な雰囲気や身のこなしに不愉快さを露骨に見せていたものです。 そんな韓国人ばかりを知っている私には今回、韓国の新聞記者が在日を「韓国人でも日本人でもない」と言ったところにちょっとビックリ。 記者は取材対象の河正雄さんが言ったことを、違和感を持たずにそのまま書いたのでしょうかねえ。
【拙稿参照】
韓国人でもなく日本人でもない http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/05/24/3539242
在日が自分の民族の言葉を身に付けようとしなかった言い訳 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2010/12/12/5574193
在日コリアンと本国人との対立 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2011/11/20/6208029
姜信子『棄郷ノート』を読む http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/10/19/8977899
「同化」は悪だとされた時代 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/02/15/8018723
水野・文『在日朝鮮人』(21)―同化 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/23/8197450
第40題 在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuudai
第41題(続)在日朝鮮人は外国人である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuichidai
第49題 合理的な外国人差別は正当である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuukyuudai
第54題 「差別・同化政策」考 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuuyondai
第19題 消える「在日韓国・朝鮮人」 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuukyuudai
韓国の華僑 ― 2023/02/08
これは昔に聞いた話で、元となる資料が見つからなかったものです。 ですから、ちょっとあやふやな話として読んでいただけたらいいです。
植民地時代、朝鮮にも多くの中国人がやって来ました。 主に山東省からだそうです。 最初は無一文で、沖仲士として働き始めました。
「沖仲士」なんて今は死語ですね。 昔は港に大型船が接岸できる波止場がありませんでしたから、貨物船は沖合に停泊することになります。 そこに艀(はしけ)をたくさん繰り出し、人海戦術で荷物を上げ下ろしして陸上の倉庫まで運ぶという仕事がありました。 これを担う肉体労働者が「沖仲士」です。 20世紀初めまでは、世界各地の港で中国人の沖仲士が働いていたといいます。 1960年代以降、沖仲士はなくなりました。
ところで中国人沖仲士は元々が農民でしたから、お金を貯めると農業に転身するする人が現れます。 植民地下の朝鮮でもこういった中国人が小作人として土地を借りて農業を始めました。 しかしそこは朝鮮人が人口の大部分を占める社会です。 農作物の販売ルートは朝鮮人社会で決まっていましたから、そこでは自分の収穫したものがなかなか売れません。 また当時の朝鮮人農民は、消費者に合わせて作物を生産するという発想が希薄でした。
そこで華僑農民は朝鮮にやって来た日本人に目を向け、日本人が好む農作物を生産し、日本人の家に届けるようになります。 日本人側は自分たちの趣向に合った野菜等を持ってきてくれる華僑を歓迎しました。 当時の日本人は植民者として経済的地位が高かったですから、そこに販売するということはそれだけ利益が大きかったのでした。 華僑はこうしてお金を蓄えて、今度は農地を購入して地主となり、朝鮮人を小作人として農地を貸すようになります。
この段階で日本は戦争に敗れ、朝鮮は解放を迎えました。 北朝鮮では私有地を否定する社会主義を選択しましたから、地主から土地を取り上げました。 一方南朝鮮(韓国)では日本と同様に農地改革を施行しましたから、地主は小作に貸していた農地を奪われました。 さらに韓国は外国人の土地所有を禁止したので、華僑農民は自作農地までも失いました。 つまり華僑は北でも南でも、すべての土地を奪われたのでした。
韓国の華僑農民は農業をあきらめ、元から得意だった中華料理屋や商業で生き残ることになりました。 しかし在韓外国人は飲食店や商店も経営規模を厳しく制限されましたから、小さな店を家族営業でやるしかありませんでした。 日本では昔から中華料理の大型店がありますが、韓国ではほとんど全く見かけなかったのはこういう事情のためでした。
このように韓国政府は、華僑の活動をかなり厳しく制限しました(下記の拙稿参照)。 このために韓国では他のアジア諸国と違ってチャイナタウンが形成されませんでした(昔インチョンに中華料理屋が何店か散在する地区があって、ここが韓国唯一のチャイナタウンだなんて言われていましたねえ)。 このように華僑は韓国での生活が厳しくなって、1945年の解放直後に4万人だった人口が1980年代には1万数千人にまで減りました。 ほとんどが台湾やアメリカ、日本に移住したといいます。
当時の日本では在日韓国・朝鮮人に対する民族差別が問題になっていました。 その時に韓国における華僑差別を取り上げて、日本の民族差別反対運動に疑問を呈する人(鄭大均など)がいました。 在日の本国では民族差別がこれほど酷いのにそれを問題にせず、なぜ自分たちだけの民族差別を言うのかというものでしたが、無視されました。
そして1992年に韓国と中国が国交を回復して、韓国には中国人が多数渡来するようになりました。 今や韓国の中国人といえばニューカマーばかりで、元々いた華僑の影が薄くなりましたねえ。 20年ほど前にオールドカマーの華僑は1万人もいないと聞いたことがありましたが、今はどうなんでしょうかねえ。 韓国のニュースでは、元華僑だったというスポーツ選手がたまに出てきます。 韓国への帰化が進んでいるのかも知れません。
在韓華僑の歴史を思い出しながら、うろ覚えで書きました。 おおよそこんな感じの歴史だった、というくらいに読んでいただけたら幸いです。
【追記】
1972年にアメリカのニクソン大統領訪中を契機に、台湾(中華民国)の承認を取り消し、国交断絶する国が増えました。 しかし当時の韓国はこの台湾と国交を維持しましたから、韓台間の貿易が活発化し、台湾籍の中国人が韓国に多数居住するようになりました。 そのために1970~80年代に、在韓華僑の人口がかなり増えたそうです。 ただしこれはニューカマーであって、植民地時代から住み続けているオールドカマーの華僑とは違います。
【拙稿参照】
韓国における外国人差別 http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daigojuugodainoichi
合理的な外国人差別は正当である http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuukyuudai
在日韓国人と華僑―成美子 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/09/25/8964788