関東大震災―朝鮮人虐殺 寄居事件2023/08/21

 関東大震災からちょうど100周年を迎えて、各地で行事が行われます。 大震災の時に起きた朝鮮人虐殺事件についても、追悼行事が行われます。 ところで「虐殺事件」という言葉だけでは抽象的で、なかなかイメージを持てないでしょう。 そこで具体的な資料を紹介し、どんな虐殺であったかをもっと詳しく知ってもらおうと思います。

 そこで数ある資料のうち、埼玉県の大里郡寄居で発生した朝鮮人虐殺事件の資料を紹介したいと思います。 寄居町では殺された朝鮮人の追悼行事が行われる予定だというニュースを聞いたので、資料を集めてみました。  https://mainichi.jp/articles/20230806/k00/00m/040/019000c

 まずは事件の概要です。

日  時:   大正12年(1923)9月6日 午前2時ごろ

場  所:   埼玉県大里郡寄居警察署内

犯人氏名:   芝崎庫之助 外12名

被害者氏名:  具学永

罪  名:   殺人

犯罪事実:   署内保護中の鮮人を日本刀、棍棒、竹槍等にて殺害す

 この事件は裁判にかかりました。 その予審決定書が記録に残っています。 読みやすくするために現代文に書き直し、時系列によって幾つかに分割して、それぞれに簡単に解説します。 不明部分は〇〇としました。 関東大震災の朝鮮人虐殺事件を理解するために、読んでいただければ幸いです。

埼玉県下惨虐事件の予審決定書  寄居事件 

主文  本件被害事件を浦和地方裁判所の公判に付す。

理由  被告らの居村において、大正12年9月1日、東京横浜両市および隣接府県に起こりたる大震災に際し、これに伴い起りたる火災は〇〇旨の流言蜚語、しきりに宣伝せられ、なお地方より上京したものは惨状を目撃し、憎悪の念に駆られおりたる折柄、〇〇〇〇はなおまた多数地方に入り込み、凶暴を逞しくする旨の流言、しきりに宣伝せられたるより、

 関東大震災発生に伴い、「朝鮮人が火をつけた」とか「井戸に毒を入れた」「爆弾を持って襲撃してくる」などの流言飛語が飛び交った事実を語っています。

被告等居村民はその襲来に備うべく警戒をなしおりたるところ、同年9月5日午後12時ころ、埼玉県児玉郡本庄町警察署勤務の警部補の坂本武之介が大里郡用土地内を通行するを鮮人なりと誤認し、これを取り押さえて調査のため大里郡用土村役場に拉致したるも、真実本庄警察署在勤の警部補なると判明したるところ、

 流言飛語を信じ込んだ村民たちは、たまたま通りかかった警察官を朝鮮人と誤認し、暴行を働きました。

被告の庫之助は右役場庭前において集まり居りたる群衆に対し、鮮人数名が木賃宿の真下屋に滞在しているを以て襲撃殺害すべき旨演説し、もって群衆を扇動し、殺害を教唆したるに、各被告らおよび群衆はこれに応じて殺害の意志を持って被告庫之助とともに真下屋に赴く途中、

 誤認が判明しても、村民たちは朝鮮人に対する憎しみを高揚させて、旅館に泊まっていた朝鮮人への襲撃・殺害の意思を一致させ、行動に移そうとしました。 その途中で、

鮮人は大里郡寄居警察分署留置場に収容保護せられることを知り、同月6日午前2時ごろ、被告らは群衆とともに各々日本刀、竹槍、鳶口、棍棒などの凶器を携帯し、同警察分署に押し寄せ、引き渡すべき旨を交渉し、同分署長の星柳三は鮮人保護の理由を説明し、迫害するべからざる旨を懇論したるにも拘わらず、被告らは群衆とともにあくまで〇〇〇〇と誤認してこれに応ぜず、ますます喧騒を極め、午前3時過ぎに至るまでの間、騒擾をなし、その間に被告らは左記犯行を敢行したるものなり。

 村民たちは旅館に行く途中で、朝鮮人が警察署に収容・保護されていることを知り、警察署に押し寄せました。 そして署長の制止を振り切り、署内に保護されていた朝鮮人を殺害したのです。 殺人の意思を固めた村人たちの集団に対し、警察はその数の多さと勢いに押されて後退してしまったのでした。

 次に村民たちは警察署内で朝鮮人をどのように殺害したかが記されています。

被告庫之助および顕蔵は同所において、携えて行きたる日本刀をもって同分署に収容保護中の朝鮮人の具学永を斬り、被告忠治、丑次郎、錦十郎はそれぞれ棍棒、被告熊吉は長鳶、被告池田次作は竹槍、被告浜二、三八吉は鍬の〇〇、被告彦二は木刀をもって同人を殴打し、被告清水治作は日本刀を携帯して留置署内に侵入し、被告義重はピストルを同人に差し向けて群衆に対して殺害を扇動し、被告善吉は同人の逃走を防ぐために抜刀をもって同所裏口の警戒をなし、共謀して前記の具学永を殺害す。 よって前記騒擾を率先加勢したるものとす。

 ここには朝鮮人の具学永を殺害した犯人として起訴された庫之助、顕蔵、忠治、丑次郎、錦十郎、熊吉、池田次作、浜二、三八吉、彦二、清水治作、義重、善吉の13人の名前が挙がっています。 うち最後の善吉は殺害に直接加わっていませんが、共謀犯とされたようです。 そして殺害の際に用いた道具は、日本刀、棍棒、長鳶、竹槍、鍬、木刀、ピストルです。 13人が寄ってたかって一人の朝鮮人を、朝鮮人であるという理由だけで殺した、という事件でした。

 後に『東京日々新聞』は10月に次のように報道しました。

温良な鮮人を保護中に刺殺す 寄居署の惨劇

9月5日夜半の2時ごろ、大里郡寄居町警察署にかねて留置中の朝鮮人飴屋、蔚山生まれ、金湘(ママ)を同地自警団員30余名が竹槍その他で滅多突きに突き殺した。 ‥‥午前2時すぎ、隣村の用土村自警団員数十名が来襲し、星署長に対し留置中の鮮人を引き渡せと怒号し、署長以下署員総出で弁解したがきかず、署内に闖入し、留置場の格子の間から突き刺し、他に留置保護中の支那人5名にも負傷させ逃げまどう泣きわめく凄惨ななかに、鍵をねじ切り鮮人のみを引きずり出して突き殺した。 かくて20日にいたり、浦和地方裁判所と同熊谷支部検事7名、寄居署に出張、警備隊兵士数十名の警備のもとに、用土村より左記12名を殺人ならびに騒擾罪として起訴、浦和刑務所に収監した。

 寄居事件は関東大震災で発生した数多くの朝鮮人虐殺事件のうちの一つにしか過ぎません。 このような悲惨な虐殺事件が、関東一円で他にも多数発生しました。 『現代史資料6』(みすず書房)の427頁に採録されている「震災後に於ける刑事事犯および之に関連する事項調査書」によれば、朝鮮人を殺したとして立件起訴された日本人は303人で、殺された朝鮮人は233人と記載されています。 件数は53件で、それぞれの事件発生の日時、場所、犯人氏名、被害者氏名、犯罪概要が一覧表で出ています。

 〝朝鮮人虐殺事件はでっち上げだ″と言う人がいるようです。 ネットの投稿欄などで見かけますね。 こういうウソ話を平然と広める人がおり、そしてこのウソを信じ込む人がいるのには困ったものです。

【拙稿参照】

水野・文『在日朝鮮人』(19)―関東大震災・吉野作造 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/04/8169265

水野・文『在日朝鮮人』(13)―関東大震災への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/07/19/8134282

関東大震災時の「在日朝鮮人虐殺者」の数 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/06/09/398058

関東大震災の朝鮮人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/08/26/8163009

関東大震災の日本人虐殺  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2016/09/15/8189607

関東大震災「朝鮮人虐殺事件」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2017/09/01/8663629

「十五円五十銭」の練習―こんな在日がいるとは!? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/02/15/9347314

コメント

_ 竹並 ― 2023/08/22 03:13

朝鮮人「虐殺」という言葉とレトリック(1/3)

貴稿-末尾…>【〝朝鮮人「虐殺」事件はでっち上げだ″と言う人がいるようです。 ネットの投稿欄などで見かけますね。 こういうウソ話を平然と広める人がおり、そしてこのウソを信じ込む人がいるのには困ったものです。】

「南京大虐殺 datusha」論争だと「一人でも虐殺だ!」という名言(主張?)があって、(寄居の)この事件の「虐殺」という用語は「残虐な殺害」という意味で、「一人でも虐殺だ!」の「虐殺」に当たりますね。
(江戸時代とか「百姓一揆」で殺される場合、竹槍での刺殺、犂(すき)鍬(くわ)での撲殺になるので、みな「虐殺」ですね)

で、ご提示の「埼玉県下 惨虐事件の予審決定書」の引用の不明部分「○○○○」なんですが、「理由 …〇〇〇〇は、なおまた多数地方に入り込み、凶暴を逞しくする旨の流言、しきりに宣伝せられたるより」の四文字は「不逞鮮人」ではないでしょうか? また「… 同分署長の星柳三は鮮人保護の理由を説明し、迫害するべからざる旨を懇論したるにも拘わらず、被告らは群衆とともにあくまで〇〇〇〇と誤認してこれに応ぜず… その間に被告らは左記犯行を敢行したるものなり。」の「○○○○」も恐らく「不逞鮮人」なのでは?
「○○○○」が「不逞鮮人」だとすると、この言葉が事件の鍵(キー)で、南京大虐殺の「百人斬り」論争で、山本七平が指摘した、毎日新聞社=浅海一男(記者)の「○官」(マルカン)に当たるものではないか、と類推いたします。

で、「虐殺」という用語について申せば… 昔、東京で、「南京戦」に従軍した(元)日本軍兵士の「証言大会」みたいな集会があって、そこで藤岡(信勝)教授は「『虐殺』というのは政治的な言葉です。 相手を非難するために使う。 だから、虐殺はみな悪い。 良い虐殺というのはありません。 定義もありません」と指摘したと記憶します。
(なので、「南京大虐殺」論争では「虐殺の定義」から始めなければならなかった。 現在、よく使われるのは、板倉 由明氏の「虐殺の定義」ですね)

僕が個人的に憂慮するのは、「朝鮮人虐殺」という用語の中の「虐殺」の背景に、「朝鮮人と言うだけの理由で殺戮した」と称する「人種主義的イデオロギー」を想定し、巨大なヘイト=クライム orジェノサイドを暗示するレトリックの使用です。

まあ、貴稿、「寄居」事件の例だと、(官憲の朝鮮人保護という)全く逆の話になりますが…。

ご参照…> 大震災の悲劇(平沢勝栄先生へ-9) 2023-08-05

「関東大震災100周年記念シンポジウム」が、隣の国(=韓国?)の後援で開催される模様です。

そのテーマが、「何が市民を虐殺に駆り立てたのか」… 平沢勝栄先生、このテーマは可笑しいでしょう。

「何が市民の民族浄化への動きを止めたか」でしょう。

朝鮮民族に限って言えば、満洲で(は)漢族に、(ソ連…)極東からシベリアではロシア民族に虐殺されているでしょう。
その時、清朝や中華民国の警察が保護に乗り出したでしょうか?

(ソ連…)極東からシベリアでは、スターリンが乗り出して朝鮮民族の一掃を図ったでしょう。
朝鮮半島を取り巻く三か国のなかで、日本だけが民衆の動きを押さえて「民族浄化」を防いでおります。
日本警察の誇る業績です。

巷間、北の金正恩-大将が日韓友好の動きを阻止するために関東大震災時の「虐殺」(を)取り上げ(ろ)、と指示したと噂されております。

ここは警察官僚出身の平沢勝栄先生に頑張って貰いたいのです。
隣の国の大使館へ赴き、日韓友好の為に朝鮮人保護に尽くした日本警官の業績を喧伝すべきだろう、と申し入れて貰いたいのです。

平沢勝栄先生、ご健闘を願っております。
https://ameblo.jp/abe-nangyu/entry-12815028695.html

_ 竹並 ― 2023/08/22 03:15

朝鮮人「虐殺」という言葉とレトリック(2/3)

>【辻本さま: 〝朝鮮人「虐殺」事件はでっち上げだ″と言う人がいるようです。】

僕が「危うく、恥をかくところでした」という話なんですが… 「あのね、辻本さん、朝鮮人虐殺事件はでっち上げだ=『虐殺』事件自体がなかった、虚報である、という意見なんかないと思いますよ」と…
当初、そういう意図で、「例えば、これは(但馬クンの)6,000人という数字に対する否定論なんですが、6,000人を否定すると「事件をなかったことにしたい勢力」云々とプロパガンダを打つ連中がいる(6,000人というウソを止めれば解決する問題ですよ)という話として、但馬オサム氏のスピーチを提示するつもりでした。

あいさつ 但馬オサム 文筆人: 真実の関東大震災石川町 犠牲者慰霊祭 2022/9/1 墨田区横網町公園 石原町慰霊碑前
https://www.youtube.com/watch?v=V826DywsQbs

しかし、念のため「朝鮮人虐殺はなかった」でググってみると、あるんですね、『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった! 』(加藤康男、WAC文庫) という本がヒットしたんです。
正直、「よかったー、危なかったー」と安堵しましたね(w

_ 竹並 ― 2023/08/22 03:20

朝鮮人「虐殺」という言葉とレトリック(3/3)

で、書評(レビュー)を読むと、本のタイトル『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった!』 の「虐殺」の意味は、「スキ・クワ・竹槍での撲殺、刺殺… 残酷ぢゃないですか、『虐殺』ですよね」というタグイの話でないことは明らかです。

> [なぜ、加藤康男は「関東大震災 朝鮮人虐殺はなかった」と断言するに至ったのか?]by 閑居人、2014年9月11日

本書は、2009年に「工藤美代子」の名前で出版された本のリメイク版である。 著者名は「加藤康男」に代わっているが、そもそも二人は夫婦であり、同じ頃「工藤」の名前で出版された「近衛文麿もの」も根幹は共同研究であろう。

構成も依って立つ資料も同じと考えられる本書だが、「結論」に関して言えば、決定的に異なっている。 前著では、全体のトーンは「虐殺の実態については明確な検証が必要であり、6,000人という数字は事実ではない」というものだった。
しかし、今回の本では「関東大震災 朝鮮人虐殺はなかった」と断言している。 この明らかな、著しい変化は、恐らく加藤が抱く韓国人の歴史認識についての「心証」の深まりと、韓国が仕掛ける歴史戦争に対する「危機感」からくるものだろう。

1. 「関東大震災 朝鮮人6,000人虐殺」は、果たして真実なのか?

中高の歴史教科書には、「関東大震災に際して、朝鮮人が井戸に毒を投げ入れているといった流言斐語が飛び交い、日本人自警団などが無実の朝鮮人 6,000人を殺した」と記述されている。 このことは、疑うべくもない自明のこととして教科書には書かれているが、それはそもそも真実なのか?
まず、このことの当否から問われなくてはいけない。
「1919.3.1 万歳事件」の後、上海のフランス租界に作られた李承晩、金九らの「上海仮政府」は、「独立新聞」という機関誌を持っていた。 関東大震災後、彼等は「慰問団」を派遣して朝鮮人犠牲者数を調査した。 その数字が「6,419人」であり、その約半数は死体が確認できなかったが、慰問団の「同胞としての『勘』で計上した数字」だという。 著者によれば、吉野作造の「2,600人」という数字も、その根拠は「或る朝鮮人紳士」の調査によるものとのことだから、出所に共通性はあるだろう。 繰り返し著者は強調するが、これらの彼等の数字を信頼すると、「地震と火事で死んだ朝鮮人は一人もいない」ことになる。

2. 当時の「東京府統計」等によれば、東京には9,000人、横浜には3,000人の朝鮮人がいた。 著者は、このうち、一万人弱の朝鮮人が本所、深川を中心とする京浜地区で被災したのではないかと推定する。

「流言斐語」によって自警団に殺された朝鮮人がいなかったわけではない。
自警団の過剰警備による死者は、東京府警察発表で233人、起訴された日本人は300人を超える。
しかし、一方で、朝鮮人被災者は特別に保護されていた。 習志野陸軍宿舎の3,000人を筆頭に9月半ばの時点で約 6,800人の朝鮮人は各地の警察署等に保護され、食料や被服の配給を受けていた。(後藤新平の国会答弁による)
残る、不明の約2,700人程度の朝鮮人の中には、震災によって死亡したと推定される者が2,000人前後いたとしても不思議はない。この著者の推定は、下町の朝鮮人家屋の脆弱さから日本人の死亡率をやや高めたものである。
このようなことから、著者は、「本当に生死不明だった朝鮮人は、800人前後」であろうと推測する。 その朝鮮人は或いは被災で死んだかも知れないし、実際に放火や暴行、強姦を企てて自警団に殺され、数字に表れなかった者かも知れない。 或いは、上海から送り込まれたテロリスト集団であったかも知れない。 その数字も真実も今となっては解き明かせない。

3. 朝鮮人のテロ行為はあったのか? 「自警団」は、不必要だったのか?

この問題を考える上で避けて通れないのが、「流言斐語」の信憑性である。 その判断によって、この「虐殺問題」への考え方は、大きく変わってくるだろう。 「流言斐語」に実態があるならば、「大震災を奇貨とする朝鮮人テロ行為があり、東京市民との間に悲劇が起きた」ということになる。
これまで、左翼史家はもとより、吉村昭の著作に見られるように、「流言斐語」には否定的で批判的な見解が多い。 吉野作造の論説や、後に後藤新平が日韓宥和のために「朝鮮人良民説」にマスコミを誘導しようとした論説などが、傍証として引用される。
しかし、「上海仮政府」が紛れもないテロリスト集団であり、ロシア革命以後、社会主義者の扇動によってさらに過激化していたことも、事実である。
このことを著者は、当時の日本の新聞記事を引用しながら、1919年以降、朝鮮人テロ行為が日本国内でも頻発していた実態を示す。 日本政府、朝鮮総督府は絶えず警戒し、神経を尖らせていた。
特に、「210日」前後が、日本は颱風に襲われることが多いことから、1923年9月2日を目標に大規模な東京を中心とした騒乱事件が企画されており、思わぬ大震災によりその企ては前倒しされる形で行われようとしていた、と著者は書く。
また、11月の皇太子の結婚を狙ったテロ計画も存在した。 その詳細は、直接、本書に当たってもらいたいが、金九という朝鮮人テロリストや「冬のアゼリア」(イギリスに向かう皇太子殿下を香港で暗殺しようとして未遂に終わった事件)等を考えれば、荒唐無稽な話ではない。

「自警団」にまつわる様々なエピソードも興味深い。 新宿の自警団の一人が、64歳の「内村鑑三」であり、地方から救援に駆けつけた警察官達を自宅の聖書講義室を開放して宿泊させたことなど、当時の日本人一般の常識めいた感覚だろう。

4. ロンドンに残る独立運動派の「謀略文書」

本書299ページ以下に、社会主義者が関与したと見られる「謀略文書」が紹介されている。 これは、駐日イギリス大使館経由で本国の外務大臣に報告された文書で、「在中国英国大使館に何者かによって送付されてきた Massacre of Koreans in Japan という小冊子」である。
この「小冊子」は、ある意味では典型的な中国・韓国製の謀略冊子で、その内容は、1905年の「旅順虐殺事件」、後の「南京大虐殺事件」の謀略文書を彷彿させるものである。 それらの関連文書に親しんだ読者は、その構成類型と殺人・強姦・暴行の猟奇的表現の類似性に興味を抱くに違いない。
この文書では、虐殺された朝鮮人の数を23,059人として、その証人の一人として「中央公論編集長 吉野博士(東大教授 吉野作造と思われる)」を挙げている。

本書をリメイク版として発行した著者の動機には、韓国の歴史捏造をこれ以上許さないためには、はっきりしたもの言いが必要だという「心証」があったものと思われる。 もう一つは、拉致問題で活躍するN氏(西岡力氏のことと思われる)が、「関東大震災・朝鮮人虐殺」を信じていることに感じた「危機感」がある。 慰安婦問題で韓国政府を厳しく批判するN氏ですら、検証なしの「神話」に囚われているのではないか。 「慰安婦問題」の虚構が暴かれようとしている現在、韓国が「関東大震災・朝鮮人虐殺」を次のターゲットにしていることは事実である。 過日、韓国人が見慣れた関東大震災の写真を「朝鮮虐殺写真を発見」として発表したが、日本人が「そんなバカなことが」と笑っているうちに、いつのまにか宣伝戦のさなかに放り込まれているのである。

あえて言えば、「関東大震災・朝鮮人虐殺」は、当時の日本を代表する政治学者・社会論評家である吉野作造がその信憑性を裏書きしたために定説化したのではないか。
別な言い方をすれば、「上海仮政府」の「朝鮮人紳士」は巧みに吉野を取り込むことに成功したのだ。
「流言斐語」に実態はあり、「不逞鮮人」は間違いなく存在した。 興味深いことに「上海仮政府」の正統性とその独立への戦いを彼等が強調しようとすればするほど、その後の「昭和天皇」暗殺未遂事件や上海-天長節-爆破事件などを宣伝しなければならなくなる。 その実態は「テロ」であり、幹部達も粛清・暗殺を重ねていたのだ。
「関東大震災」における「自警団」の活動は、基本的に正当防衛であり、当時の状況を総体的に考えれば「緊急避難」としてはやむをえないものであったと判断できる。 もちろんそれは、「悲劇」であったが、特別「虐殺」の汚名を着せるに値するものではない。 なぜなら、「上海仮政府」のテロ行為も同じく俎上に乗せない限り、公平ではないからである。

「金九」。 現代韓国政府が英雄視して、教科書にまで取り上げる男の実像がどんなものか。 その実態とその子孫達のあくなき欲望・野望を知れば、泉下の吉野作造は「朝鮮人紳士」の正体をどう思うことだろう。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1YQDJV9CWBIO2/ref=cm_cr_dp_d_rvw_ttl?ie=UTF8&ASIN=4898317030

_ 辻本 ― 2023/08/22 07:22

 関東大震災の際に、何千人かの朝鮮人は警察によって保護・検束されました。 しかし自警団は警察を襲撃し、保護検束された朝鮮人多数を殺害しました。 (熊谷事件、本庄事件など)
 自警団は朝鮮人を見つけては次から次へと殺していきました。
 自警団はそれだけでなく、日本人も多数殺しています。立件起訴されたものだけで46件、殺された日本人は58人です。 (代表的なものは福田村事件)
 それ以外に、中国人(当時は支那人)も殺しています。 立件起訴されただけで3件、被害者は3人です。
 自警団は殺害意思で一致し、警察をも恐れずに、殺人を実行していったと見るしかないです。
 普段は善良な市民が、大事変の際に流言飛語に踊らされて殺人集団化してしまった事件として、記憶に留めるべきだと考えます。

_ 海苔訓六 ― 2023/08/23 21:51

埼玉県東松山市はヤキトリの町で、在日朝鮮人のヤキトリ店が中心になって東松山ヤキトリ組合とか「東松山ヤキトリ音頭」を作っています。
https://youtu.be/SJDG9Ej1ULI
このルーツは寄居町だそうです。
https://e-aji.blog.jp/archives/65795508.html

関東大震災の時に犠牲になった寄居町の在日朝鮮人も東松山のヤキトリ店のご先祖様がいるかもしれません。

_ 辻本 ― 2023/08/24 00:52

 寄居事件の犠牲者である具学永は、朝鮮飴の行商人ですね。
 日韓併合以前より、朝鮮から朝鮮飴の行商人が日本各地を回っています。
 どのような飴なのか知りませんが、千歳飴のように長く伸ばした飴をはさみで切りながら売っていたそうです。
 はさみをチョッキンチョッキン鳴らして売り歩くのが特徴とされています。

 この時に売られていた朝鮮飴は、熊本の伝統菓子の朝鮮飴とは違うようです。

_ 海苔訓六 ― 2023/08/24 06:14

熊本県の伝統菓子の朝鮮飴は名前は朝鮮となってますが実際の朝鮮の飴とは全然違うものだというのは慶応大学から電子書籍で無料ダウンロード出版されている朝鮮総督府監修「朝鮮旅行案内記」のコラムでも書いてあったと思います。
私の想像ですが、たぶん韓国で今現在も一番売れている「백점 만점」(百点満点)という飴が朝鮮飴に近いのではないかと思います。
http://m.11st.co.kr/products/m/92939434
私が韓国観光したときに現地ガイドしてくださった日本語のできる朝鮮人大学生がこの飴をご馳走してくださいました。
シッケを固めた飴で、韓国では昔から一番売れている飴だとのことです。何故百点満点という名前なのか?というと韓国は受験大国なので、試験を受けるときに「くっつく」と「合格」をかけて縁起を担いで試験会場で飴を食べたり、目標大学の壁に飴をくっつけたりするからだそうです。
彼は長い飴をハサミで切らないで、袋ごと床にコンコン!と叩きつけて四等分に折って、ひとつ私に食べさせてくれました。
「ハサミを使えば良いのに。朝鮮人はせっかちだな」と思いました。
せっかちといえば、その時に彼のアパートで瓶ビール(クラウドビール)を飲んだのですが、彼は栓抜きを持ってこないでその場にあったスッカラ(スプーン)で器用に栓を開けてました。

_ 海苔訓六 ― 2023/08/25 15:51

当局が一度かくまうけれども暴徒化した民衆が押し寄せてきて、最終的にかくまってあげた人が殺されてしまう話だと韓国映画「血の涙」を思い出します。主人公は池城をかばって民衆を諭すのですが、暴徒化した朝鮮人大衆は聞く耳をもたず、池城を引きずり出して滅多刺しにして虐殺してしまいます。直後に空から真っ赤な血の雨が降り注ぐシーンが印象的でした。
監督はたぶんイエスが虐殺されたエピソードを念頭においていたと思いますが。
イエスのケースも総督のピラトゥスはユダヤ人がリンチをしていると見抜いてイエスを助けてやろうとしますが、怒ったユダヤ人たちが暴徒化しそうになるので、仕方なくイエスをユダヤ人たちのリンチ裁判に任せてしまいました。

_ 辻本 ― 2023/08/25 18:12

 民間人が朝鮮人をかくまった事例が多かったのは事実です。
 しかし、かくまった民間人を自警団が殺したというのは、記録として見当たりませんねえ。

 警察は朝鮮人を保護検束しましたが、これが警察が朝鮮人をかくまったことと同じになります。
 そして自警団は、警察に保護検束という名目でかくまわれた朝鮮人を殺そうとしました。
 これを警察署長が諌めたのですが、「自警団は『鮮人に味方する署長を殺せ』と打ち掛かったので、部下巡査二名とともにたんぼ伝いに危難を逃れたが、この際警官二名が竹槍に突かれ重軽傷を負った」という記録があります。(本庄事件)

 自警団は、権力を恐れず自ら武装し、究極まで暴走した人民だった、と考えます。

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