関東大震災朝鮮人虐殺事件の犠牲者数の検証(1)2023/08/26

 8月18日付け東京新聞に、「関東大震災の朝鮮人虐殺にどう向き合うか 東大・外村教授に聞く」と題する記事があって、そこで教授は次のように述べておられます。   https://www.tokyo-np.co.jp/article/271013

―虐殺の被害人数について、都立横網町公園(墨田区)にある犠牲者追悼碑には「6000人余」と書かれているが、6000人より少なかったとする人もいる。

正確な人数は分からないとしか言えない。分からないのはなぜかというと、当時ちゃんと調査してないから。 6000人説がおかしいという見方があるけど、6000人説が間違ってるという学説も確立しているわけではない。 政府の防災対策会議でも、全死者(10万5000人余り)の1%から数%として、1000人だったかもしれないし、6000人だったかもしれないというほかない。   

 私も朝鮮人虐殺事件の犠牲者数に関心があったので、ちょっと調べてみました。 まずは岩波新書の水野・文『在日朝鮮人』の記述です。 その本で記載されている数字は次の通りです。

殺された朝鮮人の数は司法省の発表では233名、朝鮮総督府の資料では832名、政治学者吉野作造(1878~1933)の調査では2711名とされるが、朝鮮人留学生らが「罹災同胞慰問団」の名目で行なった調査では6415名という数字があげられる。 日本政府が朝鮮人虐殺の事実を隠すために調査を妨害したので、正確な死者数は不明だが、千名単位の死者があったことは否定できない。 (水野直樹・文京洙 『在日朝鮮人 歴史と現在』 岩波新書 2015年1月 18~19頁)

 司法省「233人」、朝鮮総督府「832人」、吉野作造「2711人」、罹災同胞慰問団「6415人」という四つの具体的な数字が挙げられ、別に著者の主観として「千名単位」という数字も出てきます。 

 次にノンフィクション作家の金賛汀さんは次のように書いています。

関東大震災で虐殺された朝鮮人の総数については現在に至るも不明である。 内務省警保局では報告書で朝鮮人の死亡者の数を231名と報告し、朝鮮総督府は832人と認定している。 日本政府の官庁発表でこれだけの違いが出るということはどちらの数字も信用できないということであろう。 現在比較的正確でないかと考えられているのは、当時上海にあった朝鮮独立運動団体の機関紙『独立新聞』の社長金承学が震災後、朝鮮人虐殺の報に接し、密かに来日し、留学生たちと共同で調査を開始して纏めた『金承学調査書』に記載されている6415人という数字である。 しかしこの数字も必ずしも正確とはいえない。 非常時に民間人によって行われた非公式の調査である。 正確さが期待できないことは当然考えられる。 (金賛汀 『在日、激動の百年』 朝日新聞社 2004年4月 38頁)

 ここでは内務省警保局「231人」、朝鮮総督府「832人」、金承学調査書「6415人」となっています。

 以上の二つをまとめて検証します。

 まずは岩波新書の「司法省『233人』」ですが、この出所は次の資料と思われます。

震災後に於ける刑事事犯および之に関連する事項調査書   第四章 鮮人を殺傷したる事犯

被害鮮人の数は、巷間伝うるところ甚だ大なるものありと雖も、犯罪行為により殺傷せられたるものにして明確に認め得べきものは別表に示すが如く、その数300を越えず。‥‥

第三 被害人員表(11月15日現在)

死亡 233、 重傷 15、 軽傷 27   計275。  (以上『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』みすず書房 1963年10月 426~427頁)

 ここで「死亡 233」が出てきます。 これは殺人罪等で立件起訴された事件の被害者の数です。 裁判にかかっていますから確実な数字と言えますが、立件して起訴に持ち込むことのできた事件に限られますから、実際の被害者数はもっと多くなるのは確かでしょう。

 なお元の資料である「事項調査書」がどこの部署のものか、『現代史資料6』には記載されていませんでした。 なお、最近の政府中央防災会議によれば、「司法省報告書掲載」とされています。

 そして金賛汀さんの「内務省警保局『231人』」ですが、そこには「『大正12年9月1日以降に於ける警戒処置一班』 内務省警保局 1924年(大正13)年」という《注》が振られています(211頁)。 しかしこの資料が見当たらず、検証できませんでした。 従って「内務省警保局『231人』」は今の私には不明というところですが、おそらくは岩波の「司法省『233人』」と同じ資料が元になっているのではないかと推測します。

 次に朝鮮総督府の「832人」ですが、岩波も金賛汀さんも同じ数字を出しています。 これは次の資料が根拠のようです。

関東地方震災時に於ける朝鮮人問題   朝鮮総督官房外事課

第五、震災当時の被殺鮮人の数   自警団に殺害された鮮人の数は混乱の際であり、死体は一般の死体とともに火葬に付されたから、死因も弁別せず、従って的確なる数を得ることは困難であるが、朝鮮地方官憲で精細に調査した結果に依れば、圧死者・焼死者・被殺者および行方不明となった鮮人は総体で832名である。 鮮人の居住場所と焼死者の多かった事実に徴し、自警団に殺害された者はその2・3割を超過することはあるまいと推定せられるのである。  (『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』みすず書房 462頁)

 この総督府資料では「圧死者・焼死者・被殺者および行方不明となった鮮人は総体で832名」となっており、殺された人だけでなく災害死した人も含まれていることが分かります。 ところが岩波も金さんも、「虐殺された朝鮮人」の数として832人という数字を出しているので、ここは岩波も金さんも間違っていると言わざるを得ません。

 考えてみれば、朝鮮総督府は朝鮮戸籍を管理・運営しており、戸籍登載者が死亡すればその事実を戸籍に記入せねばなりません。 従って、総督府は大震災で死亡した朝鮮人の把握に務めようとしたことが当然ながら考えられます。 その意味では最低限の数として確実性があると言えます。 ただし死亡原因が殺人なのか、焼死圧死等の災害死なのかの区別はできなかったようです。 

 繰り返しますと、朝鮮総督府が発表した「832人」は殺された人だけでなく、圧死や焼死など災害によって亡くなった人や行方不明者も含めた数字として、当時に把握されたものなのです。    (続く)

【追記】

 「元の資料である「事項調査書」がどこの部署のものか、『現代史資料6』には記載されていませんでした」と記しましたが、この本の「資料解説」xxxページに、「司法省の極秘文書」とあるのを見つけました。

 なお岩波新書には「司法省の発表」とありますが、この「資料解説」では「配布先はごく限られ‥‥人民に見せるつもりのものでは毛頭ないもの」とありますから、「発表」されたものではありません。   (2023年8月27日記)