在日特権―税制の優遇はあるのか?2024/03/03

 先月、国会でいわゆる「在日特権」について議論があったそうです。 内容は在日への税制優遇があるのかという質問に対して、国がそれを否定したというものです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b7806079c4c062005ed357a4abbe305eb3b2215c

28日の衆院予算委員会分科会で、在日コリアンへの憎悪をあおるデマとして知られる「在日特権」が取り上げられた。日本維新の会の高橋英明氏が、税制面の優遇措置といった特権はあるのかと質問。国税庁は「対象者の国籍であるとか、特定の団体に所属していることをもって特別な扱いをすることはない」(田原芳幸課税部長)と否定した。

高橋氏が「在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)とか、それに関わる法人個人も一切の優遇措置はないのか」と聞くと、田原氏は「特別な取り扱いをすることはない」と明言した。

「在日特権」を巡り、自民党の杉田水脈衆院議員はXに「実際には存在します」と投稿、批判を招いている。

 記事では「特権」とは、税の優遇措置を言っています。 これは国税庁の言うように「ない」とするのが正解です。 ただ所得の捕捉率という問題点で、かつて在日は有利だったと言うことはできます。    所得の捕捉率の問題というのは、税務署が課税所得を捕捉する際に業種間格差=不公平が激しかったことです。 クロヨンは今は死語かも知れませんが、よく聞いた話です。 これは、捕捉率が給与所得者なら9割なのに、自営業者なら6割、農業従事者なら4割だという意味です。 実際はもっと酷くて、トーゴーサンピン(給与所得10割、自営業5割、農業3割)だと言われていて、サラリーマンでなければかなりの税を免れていたのでした。

 かつての在日は就職が難しかったのですから、自営業をする人が多く、上記でいえば5~6割の所得捕捉率で、それだけ税を免れていたということです。 在日だからではなく、自営業だから免れていたのでした。 つまり日本人も同じだったのでした。 ただ在日は自営業が多くて、税制で優遇されているように見えただけと考えられます。

 なお在日の中でも朝鮮総連系の自営業者は、ちょっと違った様相を見せていました。 総連は傘下に朝銀(朝鮮信用組合)という金融機関がありました。 総連系の自営業者は朝鮮商工会に加入して、朝銀から融資を受けて事業を行ないます。 銀行が自分の側に立つのですから、課税所得を隠すことが難しくありません。 税務署もこれを知っていて追及するのですが、会計帳簿をハングルでつけるという手段で対抗したという話を聞いたことがあります。

 また、こんな話も聞いたことがあります。 あるパチンコ屋は本当なら2億円の税金を払わねばならなかったところ、朝鮮商工会と朝銀が組んで会計操作し、2000万円の税金で済ませ、残りのうち2000万円は当のパチンコ屋、4000万円は総連に、そして1億2000万円は祖国の北朝鮮に送金する、という話でした。 この話は1990年代初めに知ったものです。 北朝鮮はソウルオリンピックに対抗して第13回世界青年学生祭典を1989年に大々的に挙行したため、経済的にかなり窮迫した状況になっていました。 それで日本の朝鮮総連が毎年600億円を北に送金して支援しているということでした。 総連はどうやってそのお金を用意できたのか。 その説明のなかで、上記の話が出てきたのです。 本当かどうか分かりませんが、脱税が資金となっているというのは、バブルの真っ最中の時期でもあったので、さもありなんと思いました。

 しかし1990年代に入ってバブルは崩壊して、朝銀は破たんし、朝鮮商工会の在日会社の多くが借金を抱えて倒産しました。 朝鮮総連も財政が苦しくなったようです。 かつてのような甘い汁は吸えなくなりました。 これで総連がまともになってくれていたらいいのですが、どうなんでしょうねえ。

 ところで話は飛びますが、税制の優遇措置は在日ではなく、いわゆる部落にありました。 1968年頃かと思いますが、国税局と解放同盟の部落解放企業連絡会との間に税務申告の密約協定が結ばれ、この連絡会の企業からの税務申告はすべてフリーパスとなった、というものです。 だから税務署員は同和業者と分かると最初から見なくなった、と言います。 こうなると“政府公認の税制優遇措置”=「特権」と言っていいと思います。 国会議員さんはこれに気付いてほしいですね。

【在日特権に関する拙稿参照】

もう一つの在日特権       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/11/13/8997080

在日特権            http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/01/12/2556636

在日の通名は特権ではない    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/10/23/7019964

在日の生活保護         http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/16/6867746

在日の特別永住制度       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/14/6864389

【訂正】

ちょっと間違えましたね。

国税庁と朝鮮商工会(朝鮮総連系)は、1967~8年ごろに、秘密協定を結んでいたようです。

これが後に「在日特権」と言われる材料になったわけですが、今はないようです。

いつごろなくなったのかは分かりませんが、1990 年代末に朝銀が破たんしたからではないかと思うのですが、どうでしょうか。

      (2024年3月7日 記)

韓国語の雑学―客妾(객첩)2024/03/10

 性風俗は国や民族によって違いがあります。 また歴史の時代によっても違いがあります。 現在では人権や倫理の観点から否定されるべき性風俗が各国・各民族で見ることがありますが、そうでない限りそれぞれの性風俗は尊重されるべきです。 さらにそれが過去のものであるなら、もう今は存在していないのですから、あげつらうものではありません。 ですから性風俗は国によって違う―他民族を誹謗すべからず、です。

 ということで、今回は隣国朝鮮での昔の性風俗で「客妾(객첩)」の話です。 この言葉は朝鮮史に相当詳しい人でなければ知らないでしょう。 韓流ドラマの사극(史劇 ―時代劇)にも出てきていないと思います。 少なくとも私の見た사극には、ありませんでした。 30年以上前の本ですが『ソウル城下に漢江は流れる』の中に、次のような記述があります。

むかし朝鮮の旅人たちは空腹になると、酒幕(居酒屋兼旅籠)に寄って簡単な腹ごしらえをしたり、旅の途中で日が暮れると客主(商人宿兼問屋)を尋ねたり、まれには素封家の屋敷に招かれて一夜の世話を受けたものである。 酒幕や客主のほかは、ソウルにも地方にも気のきいた食堂や料理屋などはなかった。 それでは旅人たちはどのように旅情を慰め、どこを宿にしたのであろうか。

客人として地方の有力者の家で一夜を過ごす場合、泊まる客人の身分にもよるが、たいてい食事の世話をするのは饌婢(せんぴ)と呼ばれるはしため(端女)である。 接客する方も夜伽(よとぎ)を差し出さねば済まないほどの高貴な客が来訪すると―むかし朝鮮では一時、賓客が訪れると娘や妾を差し出して添い寝させる風習があって、これを客妾と言った―どんな大監(正二品以上の高官)であっても、夫人とか娘を客に供し、彼女たちはそれぞれ独自の方法で相手を勤めたものである。 (以上、林鐘国『ソウル城下に漢江は流れる―朝鮮風俗史夜話』平凡社 1987年1月 16頁)

 ここに「客妾」が出てきます。 いまNAVERの国語辞典を見ると、「客妾(객첩)」は次のように説明されています。

예전에, 손님의 시침(侍寢)을 들던 여자. 보통 집주인의 딸이나 첩이다. (昔、客の侍寢=夜伽をした女。 普通、その家の主人の娘や妾である)

 また別に検索してみると、次のような例が記されていました。

과거에 급제한 선비들이 금의환향하는 길에 얻는 ‘객첩(客妾)’도 있다. (科挙に及第したソンビ(士人)が故郷に錦を飾って帰る道で、奉仕を受ける“客妾”もいる)

 なお얻다は直訳すれば「得る」ですが、ここでは「奉仕を受ける」と意訳しました。

 貴人あるいは高位の人が自分の家に泊まりに来たらその寝床に、娘か妾、時には妻を差し出すという慣習があったということです。 今から見ると、女性差別の最たるものでしょうが、かつての朝鮮ではあったのでした。

 ただ歴史的に見ると、この慣習は朝鮮だけにあったのではなく、全世界的にあったものと推定されます。 例えば古代日本では、日本武尊の東征伝説のなかに、日本武尊が「尾張に至りて、尾張国造の祖美夜受比売の家に入りましき、すなわち婚(まぐわひ)せむと思ほし」(古事記)とあります。 「婚」を「まぐわひ」と読むのは、ずばり性行為を意味します。 尾張の有力者である国造の家に泊まり、客妾の接待を受けたと推定できます。

 世界史では、コロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見した際、現地で歓迎を受けました。 そして帰還後間もなくしてヨーロッパでは梅毒が流行しました。 それまで梅毒のなかったヨーロッパで急に流行したのですから、コロンブス一行がアメリカ現地で女性と性交渉した際に当地の風土病であった梅毒に感染して持ち帰った、というのが通説になっています。 性行為は暴力的に強姦したのではないとされているので、現地の部族は神の使いが来たとして女性を差し出した、つまり客妾の接待をしたのだろうと推定できます。

 それ以外にアジアの遊牧民族に、客妾の慣習があったと言われていますが、そこは確認できませんでした。

 セックスは人間にとって非常に重要なものですが、歴史上の記録にはなかなか残り難いものです。 客妾もおそらくはかつて全世界的に広がっていた慣習と思うのですが、今は数少ない記録から推定できるのみと考えます。 それが韓国の歴史の本や辞典にかろうじて残っていた、というのが今回のお話でした。

【朝鮮の性風俗・妾に関する拙稿】

妻の体を売る―『朝鮮雑記』   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/09/26/9427065

金九―「妻の体を売ってでも美味しいものを」 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/30/9392997

伝統的朝鮮社会の様相(1)―女性の地位 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/08/29/9146768

【日本の性風俗に関する拙稿―赤松啓介】

赤松啓介の夜這い論           http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/02/2596000

赤松啓介の思い出―差別と性       http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/01/6831892

赤松啓介の思い出―売春婦の演技     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/03/31/7600974

【韓国語の勉強―これまでの拙稿】

韓国語の雑学―남부여대(男負女戴)  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/11/14/9634052

韓国語の雑学―전산이기(電算移記) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/06/17/9594956

韓国語の雑学―賻儀   https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/11/26/9543701

韓国語の雑学―将棋倒し http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/15/9235466

韓国語の雑学―下剋上  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/04/22/9237987

韓国語の雑学―「クジラを捕る」は包茎手術の意 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2020/12/10/9325273

韓国語の雑学―내로남불(ネロナムブル) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/04/9334079

韓国語の雑学―東方礼儀の国    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/17/9388692

韓国語の雑学―동족방뇨(凍足放尿) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/09/02/9418323

日本への悪口言葉―韓国語の勉強     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/07/19/6907092

日本のかつての性風俗―夜這い2024/03/17

 前回で、昔の朝鮮の性風俗に少し触れました。

韓国語の雑学―客妾(객첩)      http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/03/10/9666292

 これに関連して、日本の夜這い風習を論じた赤松啓介についての拙稿を紹介しました。

赤松啓介の夜這い論 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2008/02/02/2596000    赤松啓介の思い出―差別と性 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2013/06/01/6831892

 今回は夜這い風習について、私が聞いたことを思い出しましたので、それを書いていきたいと思います。

 昔の日本に夜這い風習があったことは割と知られていますが、しかし具体的にどのようなものであったことは分からないものです。 赤松啓介さんによると、夜這い風習はそれぞれの村によって違いがあったそうです。

 ある村では、夜這いができる者はその村の男に限るとして、他の村から夜這いに侵入してくる男を排撃するために、村境に見張りを出していた。 そんな村があったということです。

 しかしそんな決まりがないというか、全くの自由な、今でいうとフリーセックス状態の村もあったそうです。 村で生まれた子供は父親が誰であれ問われることはなく、村の子供として村全体で育てていたという話もありました。

 夜這いのあり方は村それぞれで違いあるなんて、こんな話を聞き出すとは赤松民俗学のすごいところですね。

 赤松さんは自分の体験も含めて、夜這いの実態を話してくれました。 年頃の娘は家の中でも一番奥に寝かせるものですから、夜這いするには寝ている親の枕元を気付かれないように通り抜けて、その娘の部屋に行くことになります。 ですから男が夜這いに行こうと定めると、その家の中のどこに娘が寝て、どこに親が寝ているかをあらかじめ調べておかなくてはなりません。 そこで男は何か理由をつけて農作業などを手伝って、その家の構造をそっと調べることになるそうです。

 そしていざ夜這いを実行するのですが、その時に親に気付かれて怒鳴られて、あわてて逃げることになります。 昔の農家はみなさんご存じかと思いますが、トイレは屋外にあります。 夜にトイレに行こうとすると、暗闇の中を歩いて行かねばならないのですが、それが邪魔くさくて縁側のすぐ下に桶を置いておいて、そこに用を足すようになります。 夜這いが見つかって親から怒鳴られた男はあわてて逃げる時、この桶に足を引っ掛けることがあったそうです。 家の人が朝にそれを片付けるのですが、それを周囲から見つかって、あの家は昨晩夜這いに入られたんだなあと噂し合った、しかし夜這いはどの家でもやっていることだから、それで済んでいた、という話でした。

 ところがそんな村でも、謹厳実直というか、夜這いを許さない家があったそうです。 そんな家では夜にはしっかり鍵をかけているのでした。 こんな家には冬の夜に玄関や雨戸の下に外から水をぶっかけたと言います。 こうすると凍ってしまって、朝に開けられなくなります。 こんな悪戯をしたものだ、という思い出話もありました。  

 このような夜這い風習の村でも、戦争が進む時代になると、村から男が徴兵などでいなくなります。 残ったのは女ばかりで、それまで男がやっていた力仕事を女がしなければなりません。 そんな時代に、若い男が村に入ってきます。 そう、朝鮮人です。 朝鮮人は徴兵されませんでしたから、貴重な労働力として残っていたのです。 夜這い風習の盛んだった村では男日照り状態でしたから、この若い朝鮮人男は特に中年女性たちから目をつけられます。 男は昼は力仕事をして疲れているのに、夜はこういう女性たちが今日は私、明日はあんたと、夜這いに来るのです。 男は最初のうちは日本とはこんなところかと驚いて楽しんだが、ほとんど毎晩なのですぐに嫌になった、と言います。 

 この最後の話は赤松さんではなく、ある朝鮮研究者(佐藤勝巳さんだったかな?)から又聞きのそのまた又聞きで聞いたものでした。 強制連行なんていうが、こんなこともあるという話でした。 赤松さんの話と整合する部分があったので、私は本当のことだろうと印象に残っています。

在日の定義は歴史意識にある―『抗路11』2024/03/24

 在日総合誌『抗路』11号(2023年12月)の巻頭辞に、在日について次のように書かれていました。

「在日」を論じることは今後も可能なのか、可能であるならば、その内容はどんなものか‥‥ 世代の交代、時代意識の変化その他で「在日」とは誰なのか、定義することすら困難な情況のなかにある。‥‥(在日として)生きていく上で歴史意識のありようが重要な位置を占めることを改めて思う。

 要は、「在日」を定義することは難しい、もし定義しようとするなら「歴史意識」であり、これが重要だ、ということのようです。

 「在日」は、本来の定義は「朝鮮半島に生を受けながらも日本の植民地政策に起因して渡日し、そのまま残留をせざるを得なくなった人々、およびその子孫」であり、法的には入管特例法に基づく「特別永住者」です。

 しかし『抗路』は“在日の定義が困難”だと言うのですから、在日は本来の定義から外れて、誰を在日としたらいいのか分からなくなっている、ということですねえ。 結局、「歴史意識のありよう」が在日の「重要な位置を占める」と主張します。 つまり在日とは法的地位とか血統とかの客観的な根拠ではなく、「歴史意識」という主観的なものに基づく、ということになります。  これは「本誌編集委員会」の巻頭辞ですから、個人の考えではなく在日総合誌『抗路』全体の考えであり、方針ですね。

 こうなると、特別永住者であっても歴史を知らない人であれば“あなたは在日ではない”となるだろうし、帰化して日本人となっている人でも「歴史意識」を有していれば“あなたは立派な在日です”となるでしょう。 つまり在日か否かの境界線は自分たちが想定している「歴史意識」を有しているかどうか、そこにあるとなります。 

 在日の歴史意識とはどういうものか、拙論では20年ほど前に論じたことがありますのでご笑読いただければ幸甚。   http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuudai

 『抗路』は、在日のアイデンティティは歴史しかない、という考え方を明確にしたと言えます。

 私は昔のことですが、右翼・ヤクザになって日の丸を掲げながら君が代を鳴らす街宣車に乗る在日(126系列―特別永住者)を知っていました。 それは何十年も前のことで記憶が薄れていますが、山口組系雄心会日本塾というような団体名だったように覚えています。 在日というのは、どんな「歴史意識」を持とうがそんな主観的・情緒的なレベルで定義付けるものではないと考えます。 ですから在日の存在根拠に「歴史意識」のような曖昧なものを持ってこようとするところに、大いなる違和感を持ちますね。 どんな歴史意識を持とうとも、在日は在日です。

 在日はこれから更に日本化して日本社会の一員となり、在日の有してきた文化(チェサなどの祖先崇拝など)は日本文化の一つとして取り込まれるだろう、 そして日本から“侵略され強制され剥奪され差別されてきた”というような被害者意識に終始する歴史は雲散霧消していくだろう、というのが私の見通しです。

韓国人でも日本人でもない―しかし同化する在日韓国人 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/02/14/9562752

【在日総合誌『抗路』に関する拙稿】

尹健次さんの北朝鮮密航    https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/22/9603772

在日の古代史(1)―古代渡来人と広開土王碑改竄 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/01/9598436

在日の古代史(2)     https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/08/9600251

在日の古代史(3)     https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/07/15/9601987

民族的アイデンティティはどこまで主張すべきか https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/06/11/9593557

在日誌『抗路』に出てくる「北鮮」(2) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/06/06/9592240

在日誌『抗路』に出てくる「北鮮」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000

在日が入管問題に冷たい理由―『抗路』を読む https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/05/20/9587549

在日のアイデンティティは被差別なのか―尹健次 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/12/9387023

かつての朝鮮学校には日本人教師がいた―『抗路9』 https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/09/9470770

密告するのは同じ在日同胞―『抗路9』座談会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/03/03/9468948

親の靴職人を継いだ在日子弟―『抗路9』座談会 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/24/9466872

在日は「生ける人権蹂躙」?-『抗路』巻頭辞 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/01/31/9460212

戦後補償運動には右派も参加していた http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/07/9461960

戦後補償問題の解決とは?―『抗路』外村大を論ずる http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2022/02/14/9464117

在日誌『抗路』への違和感(1)―趙博「本名を奪還する」  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/27/9381682

『抗路』への違和感(2)―趙博「外国人身分に貶められた」  https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/06/02/9383666

趙博さんの複雑な名前     http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/11/02/9171893

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥   http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

在日総合誌『抗路』に出てくる「北鮮」 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/01/16/9338000

在日の自殺死亡率 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/20/9369020

在日の低学力について(1) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/04/28/9371638

在日の低学力について(2) http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2021/05/05/9374169

脱北して戻ってきた在日    https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2024/02/25/9662215

玄善允ブログ(1)―金時鐘さんの日本名2024/03/31

 玄善允さんのブログ「連作エッセイ『金時鐘とは何者か』2(第一部 金時鐘の年譜)」を読む。  https://blog.goo.ne.jp/sunyoonhyun5867kamakiri/e/14b31cbf81eda5ac72f05dac66804bb5

 ブログでは、金時鐘さんが小学校時代(当時は普通学校)に使っていたとされる日本名は年譜では「光原」となっているが、出身校と推定される済州北初等学校(現在)同窓会誌の1943年卒業生名簿には「金山時鐘」となっているとしています。

『同窓会誌』に付された歴代の卒業生名簿の内、33期(1943年3月25日卒業)の欄では、総116名の卒業生の名前と、番地はないが町名までの住所は記載されており、 ‥‥ 学校の公式記録に劣らぬ信憑性がありそうな総同窓会の卒業生名簿では、金時鐘の卒業時の姓名は「金山時鐘」、住所は「済州二徒」、済州北初等学校の前身である済州北公立普通学校を「1943年3月25日に卒業」したとされている。

 つまり金時鐘さんには「光原」以外に、「金山」という日本名があったことを指摘するものです。 「金山」は卒業者名簿と発見するに至った経緯とを明らかにしていますので、信頼できる情報でしょう。 また「光原」は金時鐘さんの自叙伝である『朝鮮と日本に生きる』には次のように記述されており、確認できます。

そのことを金(金容燮)君に息苦しくてならないと話しましたら、彼は私の手を握って「光原(これが私の日本名でした)! それが詩なんだ! お前の詩はそれなんだ!」と諭してくれました。 (金時鐘『朝鮮と日本に生きる―済州島から猪飼野へ』岩波新書 2015年2月 42~43頁)

 金時鐘さんは「光原」について、わざわざ括弧書きで「これが私の日本名でした」と記しています。 しかし「金山」には全く触れていません。 金さんの小学校時代に「金山」と「光原」の二つの日本名があったと推定されることに対し、金さんの説明がほしいところです。

 まとめますと、金時鐘さんには親に名付けてもらった「金時鐘」、日本に密航した際に不正に入手して今まで使い続けてきた法律上の名前「林大造」、そして今回は「光原」「金山」という二つの日本名、計四つの名前があるということです。

【拙稿参照】

本名は「金時鐘」か「林大造」か  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/08/23/8948031

金時鐘さんは本名をなぜ語らないのか? http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/07/02/9110448  

金時鐘さんが本名を明かしたが‥‥ http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2019/10/26/9169120

金時鐘『「在日」を生きる』への疑問 http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2018/03/01/8796038

金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(1) https://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/07/9623500

金時鐘氏は不法滞在者なのでは‥(2)  http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/12/9624809

金時鐘氏は不法滞在者(3)―なぜ自首しなかったのか http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2023/10/17/9626078 

金時鐘さんの法的身分(4)    http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2015/08/31/7762951